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ロバート・B・ライシュ著『最後の資本主義』
 ライシュの『最後の資本主義』からの三回目。

 今回は、大企業やウォール街がロビー活動や政治献金をテコに、政治的、経済的な支配力を強化し、所得や富の「事前配分」をしている仕組みを、どう変えるかということについて。

 「第二十一章 企業を改革する」から、引用。

 市場に埋め込まれた所得と富の下位層から上位層への事前配分を終焉させるのと同時に、拮抗勢力が市場における配分が「より公正に」なるよう求めることで、課税や社会保障給付も抑えることができる。それには、現代の資本主義の中心組織である大企業を再構築することが必要となる。
 すでに述べてきたように、この30年間、企業を動かす誘因のほぼすべてが、一般労働者の賃金を引き上げ、CEOをはじめとする取締役らの報酬を引き上げる結果につながった。問題はそうした誘因をいかに反転させるかだ。
 一つの可能性としては、法人税率を決める際に、その企業の平均的労働者の賃金に対するCEOの報酬の比率と連動させる方法が考えられる。この比率が低い企業には低い法人税率を、比率が高い企業には高い法人税率を適用するということだ。一例としてカリフォルニア州議会が2014年に導入した法律が挙げられる。
 本書で紹介されるカリフォルニア州の法律では、CEOの報酬とその会社の平均的労働者の賃金の比率で、法人税が次のように定められている。

 CEO報酬が平均的労働者賃金の100倍-->法人税は8%
 CEO報酬が平均的労働者賃金の25倍 -->法人税は7%
 もし、
 CEO報酬が平均的労働者賃金の200倍-->法人税は9.5%
 CEO報酬が平均的労働者賃金の400倍-->法人税は13%

 これは、CEO及び経営者の報酬への抑止力となる。

 ウォルシュは、「会社は誰のものか」という根源的な問いを提示する。

 1980年代に定着した株主資本主義が何をもたらしたかを精査してみると、大多数のアメリカ人の賃金が停滞するか減少し、仕事のアウトソーシングが進み、地域社会が荒廃し、CEOの報酬は天文学的数字に達し、四半期の収益ばかりが近視眼的に注目され、カジノの様相を呈した金融セクターが2008年に破綻しかけて大多数のアメリカ人を巻き添えにするなどの負の遺産ばかりだった。
 いわゆる「ステークホルダー(利害関係者)」は、株主だけではない。
米国経済のステークホルダーは私たち全員であり、そのステークホルダーの大多数は潤っていないのだ。おそらくより必要とされているのはステークホルダー資本主義であり、株主資本主義の類ではないだろう。
 ドイツの企業のガバナンスに関する法律や規制は、このアプローチが取られている。
企業規模にもよるが、監査役会の半数までが従業員の代表者で構成される。さらに、店舗で働く販売員は「事業所委員会」と呼ばれる労働者協議会によって代表される。
 労働組合をはじめ、拮抗勢力の弱体化は、米国のみならず、日本でも顕著だ。
 いかに働く人々が、企業運営にかかわっていくべきか、ドイツに見習うべきことは多い。
 引用を続ける。
 有効な拮抗勢力が存在すれば、米国企業を再構成し改革することができる。法律によって、従業員を代表する組織の設置だけでなく、利害に比例した投票権を従業員に与えることが義務づけられ、一個人や一人の株主が投票権の大半を独占するという事態を防げるだろう。さらに、米国の法人が持つ法的特権の数々、例えば、有限責任や企業永続性、契約締結のための法人格、憲法で定められた権利の享受といった特権は、成長による利益を労働者と共有しつつ、地域社会や環境の利害を考慮する主体にのみ認められることとなろう。

 ウォルシュが提示する案は、民主主義に裏付けされた本来の資本主義への回帰を指向するものと言えるだろう。

 ウォルシュは、富の集中が、現行のルールでは永続性を持つことの問題も指摘する。
 「第二十三章 市民の遺産」から。

政治経済学者ピーター・バーンズによると、アメリカ人が手にする所得の三分の一は利子や配当、キャピタルゲイン、相続財産が占めている。そしてその大部分が上位1%に集中している。他方、遺産税は夫婦の遺産が1068万ドルを超えない限りは課税されず、法律の中には、抜け目のない遺産相続専門の弁護士がさらなる遺残を信託ファンドに隠しておく余地が十分にある。また、住宅、株式、債券、宝石、絵画、骨董品、土地など、一生の間に価値が上がる試算は、相続人が含み益に対してキャピタルゲイン税を払うことなく相続されていく。相続人は自分の一生の間にそうした資産から収入を得て、さらに次の世代の相続人に資産を引き継ぐ。この間、誰もキャピタルゲイン税を払うことはないのだ。

 知的財産の早期のパブリック・ドメイン化などのルールの変更、それを実現するためにも中間層が拮抗勢力となって復活することが求められている。

 トランプ大統領を生んだ大きな要因の一つは、ウォルシュがデータや法律の実態で明らかにする格差社会を生み出す構造的な問題だ。

 しかし、彼がその問題を真剣に解決しようとしない場合、ラストベルトを中心とする貧しい人々は、期待が大きかっただけ、その反作用が大きくなるだろう。

 トランプも確実に富裕層の代表なのである。

 安倍晋三と自らが所有するゴルフ場で遊んでいる様子をツィッターで見る人々は、いったい何を思っているのか、そういった国民の視点に立てるどうかが、今後のアメリカ政権の課題だろう。

 彼のツイッターによる発言は、首尾一貫性を欠いている。
 飽きっぽい性格が反映していると察する。
 いつ、「辞~めた」と言い出しかねないのではなかろうか。

 今のアメリカの病理を根治しようと思うのなら、もっと腹を据えてかからねばならないはずだ。

 大企業やウォール街からの圧力に、トランプは勝てるのかどうか。
 ツイッターで呟くくらいでは、なかなか勝てそうな相手ではないのだ。

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 PKOの南スーダン派遣部隊における「戦闘」と記された日報を隠匿しようとしていた防衛省は、まるで大本営ではないか、と思っていたら、東京新聞の今日のコラム「筆洗」が、私の思いを代弁してくれていた。

 引用する。
東京新聞の該当コラム


筆洗
2017年2月9日

 日米開戦から二年がたった一九四三年十二月八日、大本営は戦果を発表した。二年間で米英の戦艦十八隻、空母二十六隻を撃沈、日本軍の損害は戦艦一隻に空母二隻。連戦連勝を思わせる戦果である▼では実際のところはどうだったのか。近現代史研究家の辻田真佐憲(まさのり)さんの『大本営発表』(幻冬舎)によると、米英軍の損失は戦艦四隻、空母六隻。対する日本軍は戦艦三隻、空母七隻を失っていた▼数字の操作だけではない。大本営は「全滅」を「玉砕」と言い、「撤退」を「転進」と言い換えた。情報を軽んじ、都合のいいように変える。それが、どんな悲劇をこの国にもたらしたか。現代史の常識なのだが、どうもそういう歴史に疎いのだろう▼国連の平和維持活動に陸上自衛隊が参加している南スーダンで昨夏、何が起きていたのか。防衛相らは「戦闘行為は発生していない」と言っていた▼しかし、二百人もが命を落とした緊迫した日々を、現地の陸自部隊は、「戦闘」という言葉を何度も使って日報に記録していた。この大切な日報を防衛省は「廃棄した」と説明していたのだが、追及されると、「実は、ありました」▼辻田さんの著書によると、大本営は、偽りの真実に自ら縛られていったという。そうして、非現実的な策が現場に押し付けられていった。そんな自縄自縛の罠(わな)が、防衛相には見えていないのだろうか。


 結局公開された日報には、生々しい「戦闘」そして「戦争」が刻まれていた。
 時事新報サイト「JIJI.COM」から引用する。
時事新報「JIJI.COM」の該当記事

突発的戦闘やPKO停止も=南スーダン派遣部隊の日報公開-政府説明とずれ・防衛省

 防衛省は7日、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊部隊が昨年7月に作成した日報などを公開した。同国の首都ジュバでは同月、大規模な武力衝突が発生しており、日報には「激しい銃撃戦」「突発的な戦闘への巻き込まれに注意」などという記載のほか、「国連活動の停止」もあり得るとの指摘もあった。

 「戦闘」という表記が複数あり、これまで政府が否定してきた「戦闘行為」が起きていたことを裏付ける内容。当初は日報を破棄したと説明していた同省の姿勢が厳しく問われることになりそうだ。
 公開された文書は、現地部隊が作成した昨年7月11~12日付の日報と、日報に基づき陸自中央即応集団が作成した「モーニングレポート」。
 日報には、同月11日午後、ジュバ市内の宿営地周辺で「激しい銃撃戦」や「砲弾落下」があったなどと記載。「(大統領派と前副大統領派)両勢力による戦闘が確認されている」と明記し、「宿営地周辺における流れ弾や突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要」としていた。
 さらに、今後想定されるシナリオとして「ジュバでの衝突激化に伴う国連活動の停止」とあり、PKO活動が停止する可能性も指摘していた。
 政府はこれまで、300人超が死亡したとされる昨年7月の武力衝突について、「武器を使っての殺傷や物を破壊する行為はあった」としながらも、「戦闘行為ではなかった」と説明。菅義偉官房長官は7日の会見で「文書を隠蔽(いんぺい)する意図は全くなかった」述べた。(2017/02/07-22:34)


 政府が、「武器を使っての殺傷や物を破壊する行為はあった」としながらも、「戦闘行為ではなかった」という苦しい弁明こそが、「隠蔽」しようとした確信犯であることを物語る。

 まさに、大本営の姿と変わらない。

 朝日の今日の社説に、昨年の安倍晋三の嘘や、稲田防衛相の発言を含め掲載されている。
朝日新聞の該当社説
 一部、太字にする。

社説
PKO日報 国民に隠された「戦闘」
2017年2月9日(木)付

 これまでの政府の説明は何だったのか。現場とのあまりの落差にあぜんとする。

 昨年7月の南スーダンの状況を記録した、国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報などの文書を防衛省が公表した。

 この当時、政府軍と反政府勢力の大規模な戦闘が起きた。文書には、部隊が派遣された首都ジュバの、生々しい状況が記録されている。

 「宿営地5、6時方向で激しい銃撃戦」「戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘」。事態が悪化すれば、PKOが継続不能になる可能性にも言及している。

 こうした状況について、政府はどう説明していたか。

 昨年7月12日、当時の中谷元防衛相は「散発的に発砲事案が生じている」と述べた。安倍首相は10月に「戦闘行為ではなかった。衝突、いわば勢力と勢力がぶつかったという表現を使っている」と国会答弁した。

 ジュバの状況を、政府はなぜ「戦闘」と認めないのか。

 稲田防衛相はきのうの衆院予算委員会でこう説明した。

 「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」

 政府は「戦闘行為」について「国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺傷し、または物を破壊する行為」と定義する。こうした「戦闘」が起きていると認めれば、憲法やPKO参加5原則に抵触し、自衛隊はPKOからの撤退を迫られる。

 稲田氏は「国際的な武力紛争の一環とは評価できない」とするが、派遣継続ありきで「戦闘」と認めないとも取れる。

 「戦闘」が記された文書は、昨年9月に情報公開請求され、防衛省は文書を「廃棄した」として不開示とした。ところが、自民党の河野太郎衆院議員に再調査を求められ、範囲を広げて調べ直すと別の部署で見つかったとして一転、公開された。

 この間、政府は10月に南スーダンPKOの派遣を延長し、11月以降、安全保障関連法に基づく「駆けつけ警護」が初めて付与された部隊が出発した。

 こうした政府の決定は結果として、国民にも、国会にも重要な判断材料を隠したままで行われた。駆けつけ警護の付与、さらにはPKO派遣継続自体の正当性が疑われる事態だ。

 そもそも、このような重要な記録を「廃棄した」で済ませていいはずがない。不都合な文書を恣意(しい)的に隠したと疑われても仕方がない。安倍政権は厳しく襟を正すべきだ。

 稲田の、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている、という発言は、戦地と認めれば国民を派遣できないので嘘をついている、ということを自供しているようなものだ。

 PKOは、弾の届かない安全な地帯への派遣である、などという嘘は、もはや通じない。

 自国のためといえども、日本は戦争を放棄したはずだ。
 それなのに、海外の戦地に、なぜ日本国民が生命の危険を賭して行かねばならないのか。

 自衛隊員、そして家族の皆さんも、当事者として発言して欲しい。

 戦争はまっぴらだ、と。


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ロバート・B・ライシュ著『最後の資本主義』
 ロバート・B・ライシュの『最後の資本主義』からの二回目。

 ヒラリー・クリントンが大統領選で敗れたのは、彼女がウォール街の金持ちの仲間とみられてきたことが要因の一つだろう。

 富の二極分化の事例として、本書「第十二章 ウォール街の高額報酬のカラクリ」から引用する。
 ウォール街の金融機関で働く人々が、2013年に267億ドルもの賞与を得ることができたのは、彼らが他の大多数のアメリカ人よりも一生懸命働いたわけでも、彼らが優秀だったからとか洞察力があったからというわけでもない。彼らが賞与をもらうことができたのは、たまたま米国の政財界において特権的な立場にある企業で働いていたからだ。

この年、ヘッジファンド・マネージャーの所得番付上位25人の報酬は平均で10億ドル。大手ヘッジファンドのごく普通のポートフォリオ・マネージャーでさえ平均220万ドル。

 なぜ、大多数のアメリカ人が、所得減少のなかで、いわゆるワーキング・プア化しているのに、生産性のない、株の売買のみで利益を得るウォール街の人間が、こんな高額な富を得ることができるのか。
 経済学者エリック・フォルケンスタインは「ポートフォリオ・マネージャーは一番よい価格を知っている。部外者はそれを知らない。それだからこそ彼らは高い報酬を得ているのである。流動性にある市場と流動性に乏しい証券(例えば、不動産担保証券)の世界では、実際にどの程度のお金が手元に残っているのか正確にはわからない。だが、個人のレベルで、眼前にニンジンがぶら下げられればみな自らの利益のために行動するのである」と述べた。

 まさに、「インサイダー」なのである。
 では、なぜインサイダー取引が許されているのか。
 アンソニー・チアソン(彼はSACキャピタルの元社員)の弁護士が2014年、チアソンが別のインサイダー取引で起訴されたとき(控訴裁判所は一審の有罪判決を覆して無罪とすることに同意した)に主張したように、ウォール街では極秘情報は「法貨」であるというなら、SACの行為が特段異常というわけではない。
 ヘッジファンド・ビジネスの下で大量の資金が流動していること、そこに極秘情報があること、そしてそれらの情報を活用した取引で莫大な利益がもたらされていることから、この業界はすべてとは言わないが、極秘情報を前提にしているとみなしても過言ではないだろう。
ヘッジファンド・マネージャーはこのような法貨を容易に入手し、それを堂々と現金に換えることが可能な立場にある。
彼らの巨額の報酬は、異なる二種類の大金を反映することになる。
一つは、投資家がだまされないことを願って払う合法的な賄賂、もう一つは極秘情報を利用した取引を通して投資家からもらう非合法な(百歩譲って法的に問題のある)手数料だ。
彼らはまた、これまで述べたように、他の人々には使えない税制の抜け穴も活用できる。ヘッジファンド・マネージャーやプライベート・エクイティ投資のマネージャーは自らの所得を、通常の所得税よりも税率が低いキャピタルゲイン課税を使って納税できる。

 現在のアメリカで、インサイダー取引による法律や規制は、政治、経済において影響力を持つウォール街人脈たちにより、自分たちに有利な方向にねじ曲がられている。

 国民は、こういったウォール街にごく近い人物としてヒラリー・クリントンをみなしている。

 いわば二極化した富の象徴なのだ。

 では、トランプは金持ちじゃないのか・・・・・・。

 彼は、ある意味でアメリカン・ドリームの象徴でもあり、少なくとも“実業家”として受け入れる有権者が多かった、ということだろう。


 政治的、経済的支配力を持ち、何ら汗をかかずに巨額の富を得るウォール街と蜜月関係にあるヒラリーは、ラストベルトの人々に象徴される、職を失ったり薄給によって日々の生活もままならない大多数の国民の支持を得ることはできなかった。

 トランプ大統領が誕生した背景には、二人の候補者の比較において、「ウォール街とつながっているヒラリーでは、何も変わらない」という思いが、叩き上げ実業家という像を持つトランプへの支持の力となったということだろう。

 ライシュは、大企業や金融業界により、所得と富の「事前配分」を是正しない限り、アメリカの明日はない、と主張する。

 トランプの政策は、果たしてこの事前配分をなくしていけるのか・・・・・・。

 イスラム七か国からの入国禁止、メキシコ国境へ壁の構築などは、彼が世界の反応を見るための“ブラフ”かもしれない。

 もしそうなら、それはポーカーでのそれより、あまりにも人騒がせすぎる。

 すべからく“大統領令”で物事を進めようとする姿は、まさに独裁者ではないのか。

 米国の不幸は、これから本格的に始まろうとしているのかもしれないが、そんな人間のご機嫌をとるリーダーは、我々の国にいることも、これまら不幸だ。

 しかし、希望を捨てては、辺野古の人々に申し訳ない。

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 トランプ大統領誕生の理由として、よく、「ラストベルト」という言葉が登場する。

 'Rust Belt'(さびついた地帯)と形容される地域の貧しい人々が、トランプを支持した、という説明だ。

 ミシガン州、オハイオ州、ペンシルベニア州など、かつて鉄鋼、石炭、自動車産業などの「オールドインダストリー」で栄え、その後衰退した地域の、「忘れられた人々」と呼ばれる労働者たちの多くが、トランプを支持したのは事実だ。

 しかし、ラストベルトの有権者だけが投票したわけではない。

 トランプ大統領を誕生させたアメリカ全体に渡る問題を、見逃すことはできないだろう。
 
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ロバート・B・ライシュ著『最後の資本主義』
 ビル・クリントン政権で労働長官を務め、オバマのアドバイザーでもあったロバート・B・ライシュの『最後の資本主義』は、なかなか興味深い本だった。

 自分が政権に関与しながら実現できなかったことへの自責の念も、この本からは伝わってくる。

 たとえば、このようなことが書かれている。

経済史学者カール・ポランニーも指摘するように、「より小さな政府」を提唱する人々は、実際には「別の政府」(自らやそのパトロンに都合のよい政府であることが多い)を提唱しているのである。

「自由市場」という神話は、私たちがこれらのルール変更の実態を精査したり、そうしたルール変更が誰を有利にしたのか問いかけようとするのを妨害する。
 だからこの神話は、精査されることを望まない人々にとってはとても便利な存在だ。

 ライシュが一貫して主張するアメリカの問題は、富が富裕層に集中し、その富を利用して、ごく少数の金持ちが、政治に関与して自分たちの都合が良いようにルールを作ってきたこと、その結果、経済面で相対的に下位の国民が、ますます貧しくなっていること。
 また、かつては、労働組合や在郷軍人会、農協など、会員の声が下から上へ伝わり、少数の権力者への拮抗力のあった組織が衰退しているということ、など。

 富の富裕層の集中に関しては、次のような図をもとに説明がある。

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 図は第二次世界大戦以降に生じた景気拡大期に現在を加え、上位10%と下位90%の世帯収入の成長率を示したものだ。この図から三つのことがわかる。
 第一に、下位90%の数値が1982年から1990年の間に大幅に下落したこと。
 第二に、景気拡大期のたびごとに経済的利益が富裕層に移ったこと。
 第三に、下位90%の実質所得が2009年から始まった景気回復期に初めて減少に転じたことだ。それまでは世帯収入の中央値が景気回復期に減少したことはなかった。

 富裕層の政治への関与について、象徴的なのは、彼等のとんでもない額の政治献金だ。

 2012年の二大献金者はシェルドン・アデルソンとミリアム・アデルソンで、それぞれ5680万ドルと4660万ドルだった。
 アデルソンは、ラスベガスのカジノ・ホテルのオーナーとして有名。
 ソフトバンクが、アデルソンの「コムデックス」というイベント会社を傘下におさめたことで、アデルソンと孫社長は交流があり、今回、安倍晋三がトランプに面会できた背景には、孫-アデルソン-トランプという人脈があったとも言われている。

 だが、アデルソン夫妻は超富裕層による政治献金という巨大な氷山の一角に過ぎない。
『フォーブス』誌による米国の富豪トップ400人の中で、実に388人がこの年に政治献金を行なっていた。
 『フォーチュン500』にランキングされた企業の取締役とCEO4493人の中で、五人中四人以上が献金した(献金しなかった人の大半は外国人で、政治献金が禁止されている)

2016年大統領選に向けた準備段階で、億万長者のチャールズ・コークとデビッド・コーク兄弟は裕福な友人らと協力して、10億ドル近い資金を集めた。
 コーク兄弟は、今や、アメリカを蔭から動かす大富豪として有名だ。

 彼らの政治献金は、いまや、共和党のみならず、民主党にも同じように“投資”されている。

 その結果、独占禁止法は骨抜きにされ、かつて存在した貧しい人々を保護する法令は廃止され、富裕層への規制がどんどん取り除かれている。

 こういった、富の極端な二極化が、アメリカの最大の病理と言ってよいだろう。

 ラストベルトという一部の地域に限らず、多くのアメリカ人が、既成の政治家では何も変わらないという思いを抱き、ヒラリーではなく、自らも富裕層の一人であるがために、他人の政治献金に頼り、その言いなりにならないであろうトランプを支持した、ということだろう。

 しかし、本当に貧しい人に職が戻り、富裕層に集中している富が再配分されるのだろうか・・・・・・。

 トランプの保護主義政策が、「自由市場」や「小さな政府」という言葉でごまかし、富裕層がつくったきた病根を直撃し、アメリカの病を治す特効薬になり得るのか・・・・・・。


 この本については、もう少し紹介したい。

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 豊洲への移転問題は、完全に宙に浮いた。

 この問題の根源には何があったのか。

 なぜ380億円をかけた築地の再整備を進めていたにも関わらず、計画が頓挫し、豊洲への移転案が浮上したのか。

 「ハフィントンポスト」の12月2日の記事を引用する。
 肝腎な部分に色をつけて太字にする。

「ハフィントンポスト」該当記事


築地市場移転、なぜ「最もふさわしくなかった」はずの豊洲が選ばれたのか
The Huffington Post | 執筆者: ハフィントンポスト編集部
投稿日: 2016年12月02日 15時00分 JST 更新: 2016年12月02日 16時42分 JST

【ジャーナリスト池上正樹氏、加藤順子氏のレポート】

■当初、築地市場を移転するつもりはなかった

ここにきて、次から次へと不透明な問題が噴出する豊洲市場(東京都江東区)。当初は11月7日に築地市場から移す予定だったが、2年間の地下水モニタリングが終っていないことや、土壌汚染を防ぐための「盛り土」をしていなかったこともわかり、移転が延期になっている。

すべての問題の根源は、この地が東京ガスの工場跡地で、高濃度の汚染によって食の安全性が懸念されてきたことに始まる。そもそも、どうして東京都は「豊洲」にこだわったのか。20年以上の歴史をひもとくと、東京都政の失敗を隠そうという思惑が見え隠れする

移転先の豊洲は元々、1923(大正12)年の関東大震災の瓦礫によって埋め立てられた埠頭だ。工場地帯の何もない埋め立て地だった豊洲地区も、今は大規模再開発が進んでタワーマンションやオフィスビル、「ららぽーと」などの商業施設が建ち並び、すっかり若い世代に人気のお洒落なエリアになった。

その賑やかな街から、新交通システム「ゆりかもめ」に乗って2駅行くと、打って変わって左右に巨大な施設が現れる。ゆりかもめと、その下を走る道路に分断されるように立地しているのが、豊洲市場だ。

筆者が確認する限り、 東京都の関連資料に初めて「豊洲」の地名が登場するのは、青島幸男都知事が就任した20年以上前の1995年。7月に港湾局が「臨海部を実施調査する」ところから始まる。

当時、都の中央卸売市場は、1986年の第4次再整備基本方針に基づき、91年1月から築地での再整備工事を進めていた。

基本方針では、「老朽化」「狭溢・過密化」などによって、再整備が緊急な課題になっているとして、次のように必要性を示している。

<築地市場を他の場所に移転することは、流通の実体、社会的要因から極めて難しい。現在地は隅田川の河口に面し、周辺には豊海などの冷蔵庫群が控えるという優れた地理的条件下にありながら、しかも22.5haという都心部としては広い敷地を有している>

つまり、この時までは、市場は移転するのではなく、あくまでも築地での再整備が前提だった。

■「豊洲ならば可能性がある」 急浮上した移転案

88年11月、当時の鈴木俊一都政は、庁議に諮り、再整備基本計画を決定している。それは、基幹施設が「平面」という卸売市場業界の常識を破る「水産1階、青果2階」という前例のない大規模立体化計画だった。

築地で再整備だったはずが、東京魚市場卸協同組合(以下、東卸)が02年11月に発行した『東京魚市場卸協同組合五十年史』によると、95年8月、市場当局が、前月に調査に出かけた港湾局と「協議」したという記述がある。港湾局からは、<臨海部に市場が立地できる場所は城南島(東京都大田区)、豊洲、外防(※筆者注:中央防波堤外側)であれば可能性がある>ことを示唆されたという

翌9月、港湾局と協議した市場当局は、内部で、<再整備基本方針の見直しと並行して移転の可能性を検討>している。その後、城南島と外防の記述はないが、豊洲と比べれば「遠い」立地だけに、立ち消えになったのであろう。

翌96年になると、当時の番所宏育市場長が「年頭会見」で、「移転を検討するとすれば、豊洲ならば可能性がある」と発言。同年4月、東京都中央卸売市場審議会が「卸売市場基本方針」の中で、「築地市場は、現行計画を見直す必要がある」と答申した。

この年、築地での再整備工事は約380億円を注ぎ込みながら、なぜか途中でストップしてしまった。

こうした移転候補地の実施調査を始めたことについて、当時の東卸組合・築地市場再開発特別委員会の伊藤宏之委員長は、今年9月、テレビ番組の取材に「後で聞きました」と証言。当時の番所宏育市場長も「覚えていません」と答えている。結局誰が「豊洲」の話を持ちかけたのか、わからない状況なのは、消えた盛り土問題と同じような構図だ。

 番所元市場長が年頭会見で「豊洲ならば可能性がある」と発言した1996年の都知事は、前年就任したばかりの青島幸男。

 しかし、青島知事が、豊洲移転を持ちかけたはずもなかろう。

 移転案の背景に何があったのか。

■ 移転は「業界団体から要望」 すり替えられた議論

都は、同文書の中で、もし仮に豊洲への受け入れが可能になった場合を念頭に置いて、築地市場と比較すると、豊洲より築地のほうが「場外市場を市場機能として加えれば33haの敷地面積」「消費地に近接して搬出入に便利」「世界の築地として名が知られている」「大きな渋滞、公共交通不足等の問題がない」といった点で「好ましい」と指摘していた。

一方で、<豊洲地区へ現在地より広い敷地を得て移転すれば、現在の営業に煩わされず、自由に市場デザインが描け>て、<市場の財源面から、現在の敷地を売却すれば、より広い新市場の用費を捻出できるという意見もある>などと、真逆の評価もしている。

また、都は、<移転後の跡地に高層ビルを林立させるよりは、浜離宮、市場、本願寺など、比較的低層な空間を保持し、隅田川の堤防を広くして緑化を進めるとともに…>などと、大型ビルによる開発については否定する体をとりながら、築地移転後の跡地で再開発の意向があることをほのめかしていた

98年4月、市場業界6団体は、当時の宮城哲夫市場長宛てに、臨海部への移転の可能性について調査・検討を要請したが、以後、都は「業界団体からの要望を受けて、豊洲移転に方針転換した」(『疑問解消book』)などと議論をすり替えていく

同年6月、都は6団体に「現時点で、移転の可能性を見極めることは困難」と回答。その一方で、「業界各団体の一致した意思が確認できる文書」を提出するよう求めた。

そんな再整備の方針も、98年10月になると、ついに都のトーンは一転する。

都は、「昨年、平成9年10月時点における豊洲ではなく、現在地で築地市場の再整備を行うとの方針と、現時点、平成10年10月との状況の変化について」という文書の中で、こう記している。

<現在地で再整備となると、神田市場などを売却した積立金の残だけでは足りず、一般会計からの繰り入れを求めなければならない。しかし、そのとき、一般会計に余力があるのか不明確である>

<現敷地を売却して豊洲へ移転するのであれば、財源的には随分楽になる>

ここで急にカネの問題が取り沙汰されるようになった。いったい、98年までのこの1年の間に何があったのか。


■バブル経済のツケを押しつけた

例えば、2000年11月、都庁職中央市場支部の鈴木清司支部長が、「苦しい市場会計から、東京都の一般会計に2400億円も貸し出した財政運営について理解に苦しむ。なぜ、このような財政運営をするのか」という公開質問状を出している。これに対し、当時の大矢寛市場長は「今日は回答できない」と述べるに留まった。

当時、市場業界の関係者は、筆者に対してこう説明した。

「当初、築地での再整備計画で、都は約2400億円の予算を組んでいたんです。しかし、バブルが崩壊して、臨海再開発も失敗し、財政が悪化した。本来は、築地再整備のための独立会計予算をその穴埋めで使ってしまい、資金が不足した。だから築地を売却して、移転するしかなくなってしまったのです」



これを裏付けるように、前出の「五十年史」でも、こう記述されている。

<都の路線変更にあったのは、バブル経済の破綻で都市場の財政事情が極めてひっ迫してきたことがある。都市場は企業会計方式を採用しており、施設整備費の大部分は起債に依存していた。使用料で賄うことなどは殆ど不可能である。起債残高が1000億円もある中で、すべてを築地市場に投入するわけにはいかない事情があった>

その後、都知事選に立候補した青島幸男氏は、臨海副都心計画は実施しないことを公約に掲げて当選した。

<平成7年(95年)の夏、都の港湾局から臨海部に築地市場を移転させるべく、都市場当局に盛んにシグナルが送られていた。当時の港湾局が、一大商業機能を持つ築地市場を移転させ、臨海部開発とリンクさせたい意向があったことは容易に想像がつく>

<「豊洲なら可能性があると聞いている」と無責任であるが業界にサインを送るのが精一杯だったようである>

つまり、都の失政の尻拭いを築地市場の人たちが被せられたという格好になったのだ。

しかも、その押し付けられた土地こそ、ベンゼンやシアン、水銀などの有害物質が土壌や地下水から検出されている汚染地だったのだ。


 本来最優先されるべき、お客さんや市場関係者の安全性の問題などは度外視し、東京都の財政的な失敗を、築地移転費用を使って隠そうとしていたとしか思われない背景が見えてくる。


 兄弟ブログ「噺の話」で、落語の登場人物である八五郎とご隠居の会話として、築地の倍近い敷地面積のある大田市場への移転案を語らせた。
2017年1月18日の「噺の話」

 新たに晴海に移転する案もあるようだが、今から建設する場合の時間とコストは莫大になるだろう。

 青果物の市場を他の市場に分散するなども検討し、大田市場を元に築地の受け入れをするのが、私としてはもっとも道理ではないかと思っている。

 では、約6000億かけた豊洲はどうするのか・・・・・・。

 新宿から、都庁が豊洲へ引っ越せばいいのではなかろうか。

 今回の問題は、ほぼ間違いなく東京都の失政が引き金になっている。

 地下水を飲まなきゃ、ベンゼンも全然大丈夫ではないのか。

 シアン対策は、する必要があるだろう。ぜひ、思案していただこう。

 しかし、そのために都民の税金を使う協議は、ヒ素ヒ素話ではなく、公開していただこうじゃないか。

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 メリル・ストリープのゴールデングローブ賞授賞式でのスピーチが話題になっている。
 
 いくつかのネット・メディアが、翻訳文を掲載している。

 「ハフィントンポスト」にもスピーチの全文が掲載されている。
「ハフィントンポスト」の該当記事

 訳文は「クーリエ・ジャポン」が良さそうなので、少し紹介したい。
「クーリエ・ジャポン」の該当記事

ここにいる皆さん、私たち全員はいま、米国社会のなかで最も中傷されている層に属しています。だって、ハリウッド、外国人、記者ですよ。

それにしても、私たちは何者なんでしょう。ハリウッドとはそもそも何なんでしょう。いろんなところから来た人たちの集まりでしかありません。

私はニュージャージーで生まれ育ち、公立学校で教育を受けました。ヴィオラ・デイヴィスはサウスカロライナの小作人の小屋で生まれ、ロード・アイランドのセントラルフォールズで世に出ました。サラ・ポールソンはフロリダで生まれ、ブルックリンでシングルマザーに育てられました。サラ・ジェシカ・パーカーはオハイオで8人兄弟のなかで育ちました。

エイミー・アダムスはイタリアのヴィチェンツァ生まれです。ナタリー・ポートマンはエルサレム生まれです。

この人たちの出生証明書はどこにあるんでしょう。

あの美しいルース・ネッガはエチオピアのアディス・アババで生まれ、ロンドンで育ち──あれ、アイルランドだったかしら──今回、ヴァージニアの片田舎の女の子役で受賞候補になっています。

ライアン・ゴズリングは、いい人たちばかりのカナダ人ですし、デヴ・パテルはケニアで生まれ、ロンドンで育ち、今回はタスマニア育ちのインド人を演じています。

そう、ハリウッドにはよそ者と外国人がうじゃうじゃしているんです。その人たちを追い出したら、あとは、アメフトと総合格闘技(マーシャルアーツ)くらいしか見るものはないですが、それは芸術(アーツ)ではありません。

こうした皆さんが私に3秒間くれたのは、次のことを言うためです。

役者の唯一の仕事は、自分たちと異なる人々の人生に入っていくことで、それはどんな感じなのかを見ている人に感じさせることです。まさにその役目を果たした力強い演技が、この1年もいっぱい、いっぱい、いっぱいありました。息をのむ、心のこもった仕事ばかりです。

しかし、この1年の間に、仰天させられた一つの演技がありました。私の心にはその「釣り針」が深く刺さったままです。

それがいい演技だったからではありません。いいところなど何ひとつありませんでした。なのに、それは効果的で、果たすべき役目を果たしました。想定された観衆を笑わせ、歯をむき出しにさせたのです。

我が国で最も尊敬される座に就こうとするその人物が、障害をもつリポーターの真似をした瞬間のことです。

特権、権力、抵抗する能力において彼がはるかに勝っている相手に対してです。心打ち砕かれる思いがしました。

その光景がまだ頭から離れません。映画ではなくて、現実の話だからです。

このような他者を侮辱する衝動が、公的な舞台に立つ者、権力者によって演じられるならば、人々の生活に浸透することになり、他の人も同じことをしていいということになってしまいます。

軽蔑は軽蔑を招きます。暴力は暴力を呼びます。力ある者が他の人をいじめるためにその立場を利用するとき、私たちはみな負けるのです。

さあ、やりたければやればいいでしょう。

さて、この話が記者につながります。私たちには信念をもった記者が必要です。ペンの力を保ち、どんな暴虐に対しても叱責を怠らない記者たちが──。建国の父祖たちが報道の自由を憲法に制定したゆえんです。


 私は、ストリープの発言内容、そして彼女の勇気に拍手を送りたい。

 ロバート・デ・ニーロが、賞賛する手紙をストリープに送ったことがニュースになっている。
「朝日新聞デジタル」の該当記事
 朝日新聞デジタルから、引用されている米ピープル電子版の内容を紹介する。

デ・ニーロは手紙の中で、「君が言ったことは素晴らしい。君は、言われる必要があったことを見事に言ってのけた。世界が君の業績をたたえている時に、発言したことを非常に尊敬している。私も君とまったく同意見で、(トランプ氏の)くだらないたわごとや、弱い者いじめには本当にウンザリしている」と書いている。

 過去に2度、オスカーを受賞しているデ・ニーロと、3度にわたりオスカーを受賞しているストリープは、映画「ディア・ハンター」(1978年)や「恋に落ちて」(1984年)など、4本の作品で共演している。


 「ディア・ハンター」、懐かしいなぁ。

 印象に残っているのは、あのロシアン・ルーレットもそうだが、ラストシーンで、葬儀の後に仲間が集まって卵料理で食事をしようとしている場面だったりする。


 さて、ストリープのスピーチについて、ネットでは批判的な内容も飛び交っているようだ。

 それは、ハリウッドの“セレブ”たちへの妬みも背景にあるのだろう。

 たしかに、ストリープやデ・ニーロのレベルの俳優は、裕福な部類に入るだろう。
 日々の暮しに困ることもないだろうし、ましたや仕事を移民などに奪われる恐れもないだろう。

 しかし、重要なことは財布の中身ではなく、心の中身なのだと思う。

 いくら有名な俳優であろうと、次期大統領に対する反対意見を、大衆が注目する場で敢然と表明することは、大きな危険を伴う行為である。

 それでも、言わずにはいられない、そんな強い衝動と覚悟がストリープにはあったのだろう。

 さて、そこで日本だ。

 今まさに「共謀罪」を成立させようとする安倍政権に対し、俳優やタレント、あるいはメディアの従事者は、いったいどう発言、行動しようとしているのか・・・・・・。

 テロ対策、2020年オリンピック、国際的な条約批准、などという理由を元に、600を超える犯罪を対象にして、恣意的に拡大解釈して国民を逮捕できる法律をつくろうとしている。

 
 日本弁護士連合会(日弁連)のサイトから、共謀罪に関するパンフレットがダウンロードできる。
「日弁連」サイトの該当ページ

 一部をコピペでご紹介。
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 まさに、“警察国家”“監視社会”に向かう恐れがある。

 レッドパージ、東宝争議などの悪夢が繰り返されようとしているのではなかろうか。

 「言論の自由」「表現の自由」の危機である。

 昨年後半から年初にかけて、紅白(あかしろ)がどうしたとか、あの四人組が解散するとか、誰かが不倫したとか、あるバンドがしばらく休むなど、私にとってどうでもいいことでメディアは賑わっているが、その背後で着々と暗い時代への逆コースへの道を日本が辿ろうとしているという危機感を、どれほどの人が抱いているのだろうか。

 昨年、お上に批判的な人物が相次いでメディアから去って行った。
 それは、さまざまな政府からの圧力があったり、メディアの経営陣が「忖度」しての結果なのだろう。

 そして、NHKも、いわば民放化し、民放はますますバラエティ番組ばかりとなる。

 引用したメリル・ストリープのスピーチの最後に、「報道の自由」という言葉があり、「記者」の奮起を求めている。

 アメリカでさえ、次期大統領に反旗を翻すのが容易ではないことが察せられる。

 日本でもそうかもしれない。
 
 もし反政府的な発言をしたら、仕事を奪われる危険性もあるだろう。

 しかし、今、沈黙していていいのだろうか。

 メディアの関係者や、影響力のある俳優やタレントは、いつまで頭を下げて、自分に火の粉が飛んでこないように屈んでいるのだろうか・・・・・・。


 日本には、ストリープもデ・ニーロも、いないのか・・・・・・。

 兄弟ブログの「噺の話」で、成人の日に、大人ってなんだろう、という素朴な疑問を感じて記事を書いた。

 自分の意見を持つこと、そして然るべき時にはその思いを勇気を出して表明すること、その発言に責任を持つこと、なども大人としての重要な条件ではないか、と思う。

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 「LITERA」が、なかなか楽しい(?)記事を掲載している。
「LITERA」の該当記事

 題は次の通り。
新年特別企画◉安倍政権御用ジャーナリスト大賞
安倍サマのためならデマも平気で垂れ流す、安倍政権御用ジャーナリスト大賞を発表! 2017年もコイツらには要注意

 俎上に上った七人について、一部の記事を引用し上から並べてみる。

1位●田崎史郎(時事通信社特別解説委員)

待機児童問題でもデマ、寿司だけじゃなく自民党から金も! 自他ともに認める「安倍政権の代弁者」

 安倍首相と会食を繰り返していることからネット上で“田崎スシロー”と揶揄されている田崎史郎だが、昨年も相変わらずメディアに引っ張りダコ。


2位●山口敬之(ジャーナリスト、元TBS記者)

「安倍首相と温泉に行った」と自慢しプロパガンダを垂れ流す癒着ジャーナリスト

 昨年6月、気持ちが悪いほどの安倍礼賛本『総理』(幻冬舎)を発表し、一躍“安倍応援団”の大型新人として名乗りを上げた山口敬之。じつは前職のTBS官邸担当記者時代から、NHKの岩田明子、産経の阿比留瑠比と並んで“安倍の太鼓もち番記者三羽烏”と呼ばれていた典型的な癒着ジャーナリストなのだが、本の出版を機にワイドショーに進出。“安倍首相のことなら何でも知っている”と言わんばかりの態度でプロパガンダを流すようになったのだ。

3位●松本人志

孤高の芸人もいまは昔…安倍首相と同調し尻尾を振る「権力の犬」

 安保法制議論で「安倍さんがやろうとしていることに対して『反対だ!』っていう意見って、意見じゃないじゃないですか。対案が出てこないんで」と見事な安倍話法を踏襲させてみせ、すっかり安倍政権応援団に仲間入りした松本人志。こうしたエールに気を良くしたのはもちろん安倍首相で、昨年4月には『ワイドナショー』(フジテレビ)についに出演。熊本大地震の発生で放送は5月に延期されたが、そもそも予定されていた放送日は衆議院補欠選の選挙期間中で、安倍首相はこの前哨戦のために、自分の味方である松本と同番組を利用しようとしたのだ。

4位●後藤謙次(『報道ステーション』コメンテーター)

自民党から金を受け取っていた過去も!「ダラダラ解説」で安倍政権をフォロー

 昨年4月、古舘伊知郎の降板とともに『報ステ』の月〜木曜コメンテーターとなった元共同通信社編集局長の後藤謙次。いまではダラダラと論点のボケた解説をして視聴者を煙に巻き、しかし結果的に安倍政権をフォローするという芸を身につけたようだ。

5位●辛坊治郎(キャスター)

デマを流してまで安倍政権をアシストする「大阪の腰巾着」

 ネトウヨ製造番組『そこまで言って委員会NP』(読売テレビ)で司会を務め、安倍首相にとって大阪の腰巾着となっている辛坊治郎だが、昨年も2月20日には冠のラジオ番組『辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!』(ニッポン放送)に安倍首相が生出演。安倍首相は「辛坊さんの番組に出るというのは大きなリスクなんですが(笑)」などと語ったが、何をか言わんや。辛坊は「(北方領土問題を)動かせるのはプーチン・安倍しかいない」と盛大にもちあげた。

6位●青山和弘(日本テレビ報道局解説委員、政治部副部長)

単独インタビューのご褒美でフォローに走る「政権の腹話術人形」

 2015年の安保法制議論では「この法案が廃案にされては困りますので、うまくこう、巻き込んでいく」と安倍首相の思いを代弁して見せたことで本サイトが“政権の腹話術人形”と命名した青山記者は、2016年も絶好調。憲法記念日を目前にした4月下旬には安倍首相の単独インタビューをおこない、そこで安倍首相は憲法改正の必要性を強調するという舞台を用意した。

7位●岩田明子(NHK政治部記者、解説委員)

失態をすべて美化する「安倍首相にもっとも近い女性記者」

 安倍政権の広報部と化しているNHKにおいてもっとも露骨に安倍首相の功績をアピールする岩田記者。2007年に安倍首相が退陣した際には体重が5キロも減り、精神不安定になったとさえ言われるほどで、その盲信ぶりに「安倍教の信者」「安倍の喜び組」とも揶揄されている。

 あまりテレビを見なくなったので、よく知らない人もいるが、今後ニュースなどでこの方たちの名前を目にしたら、眉に唾することにしよう。



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