人気ブログランキング | 話題のタグを見る

幸兵衛の小言

koubeinoko.exblog.jp
ブログトップ

「チェルノブイリ」の被害に関する報道に気をつけよう!

来週4月26日が、チェルノブイリ事故から25年という区切りでもあり、ますますフクシマとチェルノブイリを比較する論調のニュースが増えるだろう。4月8日のAsahi.Comの記事を引用する。
Asahi.Comの該当記事

汚染、「飛び地」状も セシウムの健康被害は未確認 チェルノブイリ事故
2011年4月8日11時6分

1986年に起きたチェルノブイリ原発事故では、原子炉の試験運転中に大きな水蒸気爆発が起きた。10日間にわたり、放射性物質の大量放出が続き、原発から数百キロと極めて広い範囲に拡散した。福島第一原発の事故は、運転を停止した後に起きており、放射性物質が多く飛散したのは、避難地域を中心に限定的だ。

 旧ソ連政府などは、土壌のセシウム137の値が1平方メートルあたり3万7千ベクレル(100万分の1キュリー)を超えた地域を「汚染地域」、55万5千ベクレル(100万分の15キュリー)を超えた地域を「強制移住地域」とした。

 セシウム137は半減期が30年と長いため、土壌汚染の指標として使われる。

 国際原子力機関(IAEA)の報告によると、旧ソ連の汚染地域は約14万5千平方キロメートルと、日本の面積の約4割に上った。その地域に住んでいた住民数は、約600万人に上る。強制移住地域は、岐阜県の面積に匹敵する約1万平方キロメートルで、約27万人が対象となった。

 しかしこの汚染地域も風向きなど気象条件により、原発から同心円状ではなく、まだら状に広がっている。東側に400~600キロの範囲に、飛び地のように広がった地域もある。

 

 汚染地域が飛び地になる状況は、フクシマも同様の問題を抱えている。気象条件に影響されるから。
 さて、この記事で注意しなくてはならないのは、この後につづく次の部分である。

 汚染地域に住み続けた人が86~2005年に受けた放射線量の積算値の平均は10~20ミリシーベルト。強制移住地域に住み続けた人の積算値は、50ミリシーベルトを超えたという。しかし、国際機関と共同でチェルノブイリでの健康調査を実施してきた山下俊一・長崎大教授(被曝〈ひばく〉医療)によると、セシウム137の影響を受けた健康被害は確認されていないという。

 山下さんは「現地の人は汚染されたキノコや野菜を食べ続け、体内にセシウム137を500~5万ベクレルぐらい持っている。しかし、何ら疾患が増えたという事実は確認されていない」と話している。


 こういった報道は今後も増える可能性がある。第三者機関による調査とはいえ、「未確認」の背景には、ソ連政府による「被害の隠蔽」も想定できることを、あえて指摘したい。チェルノブイリ原発事故隠蔽の事例を、七沢潔著『原発事故を問う-チェルノブイリから、もんじゅへ-』(岩波新書、1996年発行)より紹介したい。

 

 原発の真北にあるウラスエ村は、放射能をふくんだ風の最初の通り道だった。しかし、村人が事故について公式に知らされたのは、保健婦のマリヤでさえ、事故から五日たってからだった。その間、突然軍のヘリコプターが飛来し、ガスマスクと防護服に身を包んだ軍人が放射線を測定したりしていたが、村人の質問には何も答えなかったという。マリヤは、五日目の4月30日に、ようやく隣村に呼び出されてヨード剤を渡され、村の子どもたちに配給した。そして5月1日、16歳以下の子どもたちが避難。5月4日には、コルホーズの牛や豚を297台のトラックに載せ、村人はバスに分乗して全員避難した。車に載せきれなかった犬が十数匹、バスのあとを追ってきたが、民間警察官が銃で撃ち殺したという。ウラスエ村から人影が消えたのは、歴史上二度目だった。第二次大戦下、ドイツ軍の攻撃で村は全滅、戦後四十年かけてようやく復興した村から、今度は放射能汚染が、村人を追い出したのである。
 (中 略)
 マリヤ・コジャーキナは、夫と七歳の娘、五歳の息子を連れ、避難先のゴメリ州の病院で、ほかの避難民と同様に健康診断を受けた。ほかの地区からやって来た人々に比べ、ウラスエ村の人々の顔が日焼けしたようにみな黒かったことが印象に残っている。甲状腺に測定器を当てられ、何の単位かわからないが、自分は4,000、子どもは2,500という数字がカルテに書き込まれたという。しかし、被爆線量などは知らされなかった。そしてカルテには「神経血管疲労」という奇妙な診断名が記された。
 マリヤはその後、家族とともに、原発から北西に五十キロの町ホイニキに移り、そこの地区中央病院に准看護婦として勤務することになった。この病院でも、三十キロ圏内からの避難民五千人が医療検査を受けていた。病院内のベッドには収容しきれないため、病院の前の広場に軍の医療部隊の手で特設テントが建てられたという。このホイニキ地区中央病院の医師長で、当時避難民の診断に当たったコビィルカ医師に会った。彼は、「あの時行われた検査の結果は、中央からの指示により、機密扱いとされました」と言いながら、病院の倉庫に残された、当時の避難民のカルテの山を見せてくれた。ベラルーシが独立を果たしてから、ようやく公開できることになったのだという。
 カルテを見ると、避難民が検査のために入院した5月初旬には、甲状腺の強い被爆線量が記されたり、「放射線障害」といった診断が書かれている。しかし、退院する時になると、診断は「神経血管疲労」という、マリヤ・コジャーキナがつけられたのとまったく同じ「病名」に変わっている。なぜだろうか。
 「『神経血管疲労』という病名をつけることになったのは、ソ連保険省からの通達があったからです。『事故の規模はそれほど大きくないから、住民には放射線障害に関連した病気は起こらない』という指示があり、われわれ現場の医者は、『放射線障害』と診断することを禁止されたのです。それで、ほとんどすべての患者に対して、上からの指示どおり『神経血管疲労』の診断名を書きました。・・・・・・」



 ソ連だからという特殊事情よりも、「原発事故」で共通する政府の“隠蔽体質”が、間違いなく存在する。今の日本政府筋から発信される情報や、御用学者の発言にくれぐれも注意する必要がある。

 “放射線障害”→“神経血管疲労” 、なのである。
 “未確認”→“被害なし”、ではあり得ないと考えるべきだろう。

 これまで繰り返された、その場しのぎの「ただちに健康への影響はない」という虚しい言葉の次に、チェルノブイリを引き合いに出して、フクシマに関する被害を低く低く偽ろうとする発表や報道が今後想定されるが、決して鵜呑みにはできない。セシウム137の半減期は30年、チェルノブイリから、まだ25年である。

 以前に高木仁三郎さんの『科学は変わる』から、「マンクーゾ報告」を紹介した2011年4月8日の該当ブログが、チェルノブイリの汚染地域で、実証的に被爆放射線量とガン発生の因果関係などを調べた報告があるというニュースを見たことも聞いたこともない。もしかすると、調査していても公開できない内容なのかもしれない。放射線許容量の基準などは、そもそも存在しないのである。あるのは、ソ連も日本も、そしてアメリカも含むすべての原子力発電所保有国の“政治的な判断”なのだということを、あらためて認識しないわけにはいかないだろう。
Commented by 佐平次 at 2011-04-19 10:12 x
東洋経済の4月23日号に菅谷松本市長(チエルノブイリで診療した)の話が載ってました。現地を見もしない人がいい加減なことを云っていると。
いい加減なことをいう人は犯罪者だと思いますよ。

Commented by 小言幸兵衛 at 2011-04-19 13:07 x
田中三彦さんの本が岩波新書で重版されたので読みましたが、田中さんが今の活動へのきっかけとなったのが、故シェフチェンコ監督のチェルノブイリの記録映画だと、あとがきで書いてますね。
いい加減な人たちは、この映画だって見ていないでしょう。
ぜひ、今だからこそ、この記録映画を岩波ホールあたりで上映して欲しいと思います。

名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by koubeinokogoto | 2011-04-18 11:31 | 原発はいらない | Comments(2)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛