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幸兵衛の小言

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正力は、なぜ「原発」だったのか①(有馬哲夫著『原発・正力・CIA』より)

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有馬哲夫著『原発・正力・CIA』

 初代の原子力委員会委員長にして、科学技術庁長官であったのが正力松太郎だったことは、以前に書いた。今回は、一人の野心家の出世欲が今の危機を招くきっかけになったこと、そして、その影にはアメリカ政府とCIAがいたという歴史を紹介したい。
 有馬哲夫著『原発・正力・CIA-機密文書で読む昭和裏面史-』(新潮新書、2008年発行)からの引用である。 著者は早稲田大学の教授(メディア論)であり、この本は有馬さんがアメリカ国立第二公文書館などでCIA文書を中心とする多くの公文書を読み解くことで、分かった“真の歴史”を元に書かれている。本書の副題には「機密文書で読む昭和裏面史」とあるが、この本で明かされるのが、“真”の(“表”の)の歴史なのだ。国民が、どれほど偽りの歴史を信じて生きてきたか、ということを鋭く知らしめてくれる本と言えるだろう。そして、すでに公開された資料に基づき、本書は書かれている。しかし、日本のマスコミには、こういった資料から真実を解き明かそうとするジャーナリスティックな姿勢は皆無と言ってよいだろう。もちろん、讀賣グループからはありえないが、他の新聞や雑誌にしても有馬さんのようなアプローチをしたメディアはない。ジャーナリズム不在の国、ニッポンなのだ・・・・・・。

 まず、最初から原発が正力が政治家としてのしあがる切り札ではなかった、ということから知ることと、アメリカが、なぜ正力を利用しようと思ったか、という前提部分が分かる箇所を引用。

正力マイクロ構想
 原子力に出会う前の正力にとって、最大の関心事はマイクロ波通信網の建設であった。これはテレビ導入のときからの正力の悲願だった。
 マイクロ波とは波長がきわめて短い電波で、第二次世界大戦中にレーザーの開発により注目されるようになった。その後、音声、映像、文字、静止画像など大容量の情報を高品質で伝送できることがわかったため放送と通信にも用いられるようになった。
 正力はこの通信網を全国に張り巡らせてテレビ、ラジオ、ファクシミリ(軍事用、新聞用)、データ放送、警察無線、列車無線、自動車通信、長距離電話・通信などの多重通信サーヴィスを行おうと計画していた。これはあらゆるメディアを一挙に手中にすることを意味する(本書では以下、この構想を「正力マイクロ構想」と記す)。
 そしてこの野望をアメリカ政府もある程度後押しした。その結果、この通信網の一部として、そして日本初の民間テレビ放送局として、1953年8月28日、現在の日本テレビは開局することになったのである。正式の社名が「日本テレビ放送網株式会社」となっているのはこの構想の名残である。
 この当時、アメリカは日本が共産主義勢力の手に落ちないかという不安を持っていた。そのため、日本においてCIAを中心とした情報関係部署が心理戦を展開していた。アメリカにとって正力がテレビというメディアを所有することは望ましいことだった。というのも、正力は折り紙つきの反共産主義者だったからだ。かつて警視庁で共産主義者や無政府主義者を取り締まった部局のトップだったうえ、終戦後は讀賣新聞を労働組合に乗っ取られそうになったことがある。
 その一方、NHKは労働組合の力が強く、占領期ですらVOA(アメリカのプロパガンダ放送)番組を放送することに抵抗していた。朝鮮戦争勃発の直後には119人の職員がGHQによってパージされたほどだった。しかも、日本国民の受信料で運営される公共放送であるため、アメリカのプロパガンダ番組を放送することは原則的にできなかった。番組枠を買いさえすればアメリカのVOA番組を放送できる民間放送局とは事情が違っていた。
 このため、アメリカ(とくにCIA、心理戦局、国防総省)は様々な手を尽くして、日本テレビ開設を援助した。そこには当時の日本の吉田政権への働きかけも含まれていたのだ。そしてアメリカは「正力マイクロ構想」に対して1000万ドルの借款を与えるという内諾もしていた。


「正力マイクロ構想」実現には、次のように様々な逆風が吹く。
・1953年3月の「バカヤロー」解散以後、正力は吉田茂からの政権奪取を目指す鳩山一郎に肩入れし始める
・吉田は、正力がマイクロ構想のためのアメリカから1000万ドルの借款承認の要請を拒絶し、電電公社に100億円の借款を外国の銀行に申し込むよう命令した(当時の電電公社総裁梶井剛の日記より)

 そもそも吉田はアメリカの都合に合わせて日本が再軍備することに反対していた。正力のマイクロ構想はアメリカが日本に要求する再軍備、とくに航空兵力の拡充とも密接に結びついていた。だからこそ認めるわけにはいかなかった。


・膠着状態にしびれを切らしたアメリカは、1953年の終わりにアメリカ駐留軍用のマイクロ波通信回線の建設と保守を電電公社に委託することを決定した。

・・・正力はもはや自分自身が政界に打って出て強大な権力を手に入れない限りは、「正力マイクロ構想」を実現できないという結論に至った。実際、この頃吉田も正力に「君が総理大臣にでもならない限りそんな構想は実現しない」と述べたといわれる。


 この段階での正力の野望は、あくまで「マイクロ構想」だった。では、なぜ彼が政争の道具として「原発」を担ぎ出すことになるのか、については後編で紹介したい。
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by koubeinokogoto | 2011-04-29 10:17 | 原発はいらない | Comments(0)

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