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幸兵衛の小言

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広島市長の松井一実は、ヒロシマの被曝者のことを何もわかっていない!

4月の統一地方選で自公推薦で当選した広島市の松井市長は、残念ながらヒロシマの被曝者のことを、本質的にはわかっていない。中国新聞サイトの該当記事

松井市長の被爆者発言に批判 

 広島市の松井一実市長は16日、市役所で被爆者と面会した際、被爆者援護に関し「黒い雨とか何とかで、わしは被爆じゃけえ医療費まけてくれとか、悪いことではないんですよ。でも死んだ人のこと考えたら簡単に言える話かな」と述べた。被爆者団体からは批判の声が上がっている。

 この日、松井市長は被爆体験記を出した被爆者と面会。代表者が「爆心地から4キロも離れたところで被爆者というのは後ろめたいものがあった」と心境を語った。これを受けて市長は「一番ひどいのは原爆で死んだ人。残った人は死んだ人に比べたら助かっとる、と言うことをまず言わんのんですね。悲劇だ、悲劇だと(話す)」と述べた。

 さらに松井市長は被爆者への援護施策に言及。「何か権利要求みたいに『くれ、くれ、くれ』じゃなくて『ありがとうございます』との気持ちを忘れんようにしてほしいが、忘れる人がちょっとおる」と続けた。

 その後、市長発言を聞いた広島県被団協の坪井直理事長は「被爆地の市長の言葉の重みを自覚できていない。もっと被爆体験を直接聞き、大いに反省と勉強をするべきだ」。もう一つの県被団協の金子一士理事長は「被爆者は国家補償を求めているのであり援護は施しではない。感謝の気持ちについて、市長から言われる筋合いはない」と憤る。

 県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会の牧野一見事務局長は「被爆者に感謝を強いるのは、原爆を落とした米国と戦争を起こした日本政府を免罪している。被爆地の市長として失格」と訴えた。

 中国新聞の取材に対し、松井市長は被爆者援護に関し「財源の話で言えば国民から税金をもらってやっている。国民の分かち合いの心でやっている。ありがたいと思うべきでしょ」と話した。一方、援護施策の拡大は従来通り国に求める考えを示した。



 Wikipediaでこの人の経歴を見ると、役人上がりだったらしく、なるほどと思う。

略年譜
父は銅虫職人。
広島市立牛田小学校、広島市立牛田中学校、広島市立基町高等学校、京都大学法学部卒業
1976年(昭和51年) 労働省(当時)入省
1989年(平成元年) 在イギリス日本大使館一等書記官
1993年(平成5年) 婦人局婦人労働課長
1994年(平成6年) 職業安定局高齢・障害者対策部高齢者雇用対策課長
2002年(平成14年) 大臣官房総務課長
2006年(平成18年) 大臣官房総括審議官、国際労働機関理事
2008年(平成20年) 中央労働委員会事務局長
2011年(平成23年)4月10日 統一地方選挙において実施された広島市長選挙で初当選(自民党・公明党推薦)。また、前任の秋葉忠利が推進したヒロシマ・オリンピック構想(2020年夏季オリンピック)について、東日本大震災の影響など理由に招致を断念する意向を示した。


 しかし、被曝2世で、「脱原発」発言をしているとのこと。

概略 
 2011年の広島市長選挙により、秋葉忠利前市長の後継候補らを破り当選した。自民党が推薦した新人候補が当選したのは初めてだった。秋葉市長の時代、自民党系市議の四分五裂が常態化したことから結束力が弱く、市長選で党推薦候補が三連敗したが、秋葉引退を機に一致団結した。
 松井は戦後生まれ初の広島市長であり、両親が広島への原爆により被爆した被爆2世初の市長でもある。秋葉の推進してきた政策については変更を示唆しているが、核兵器のない世界の実現のための平和市長会議などの活動は継続するとしており、広島市が行ってきた核廃絶の為の平和運動は変わりないとしている。
 福島第一原子力発電所事故に際しては、日本政府に対しエネルギー政策の見直しを要請する考えを示し、歴代広島市長で初めて「脱原発」発言をした。なお、広島市には島根原子力発電所を持つ中国電力の本社がある。


 4月の統一地方選ということは3.11以降であり、“被曝2世”でもあり、「脱原発」発言は、市長選においては当然のことだったのだろう。十分に宣伝効果もあって当選したのかと察する。

 この件、「被爆者に感謝を強いるのは、原爆を落とした米国と戦争を起こした日本政府を免罪している。被爆地の市長として失格」という、県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会の牧野一見事務局長の発言、もっともである。

 以前に紹介した肥田舜太郎さんと鎌仲ひとみさんの共著『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』から、あらためてヒロシマの被爆者について書かれた部分を紹介したい。肥田さんが執筆担当の「第2章 爆心地からもういちど考える」からの引用。
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肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』

2000年代の被ばく者 
 中級の建設会社の社長で根っからの酒好き、じっとしていることが嫌いでいつも忙しく何か活動しているという友人がいる。定年で会社を退いてから町内会の役員を引き受けて、祭りの準備から消毒の世話まで目まぐるしく動きまわっているうちに、健康診断で血小板減少を指摘された。
 気になることがあって無理やり精密検査をすすめたところ、骨髄異型性症候群という厄介な病気のあることが分かった。専門学校時代、原爆投下の広島に何日かたって入市したと聞いたことを思い出し、確かめたところ1945年の8月9日に五人の級友と海軍のトタックで広島に入市し、海田市からは徒歩で千田町の県立広島工業学校まで行き、誰もいない崩れた校舎に入って散乱している機械器具を片付けたり防水布を掛けたり、三時間くらい作業をした。近辺は学校ばかりが集まっている地域で人は一人も見かけず、日が暮れたので呉へ帰ったという。
 彼らは1944年秋から呉の海軍施設に勤労動員で派遣されていたのである。明らかに入市被ばく者なので、早速、被ばく者健康手帳交付の申請を勧めたが、億劫なのか、なかなか手続きをしないでいるうち、今度は大腸癌が見つかって入院手術となり、観念して手帳を申請、証人の依頼に手間取って、数カ月かかってやっと広島の被ばく者と認められた。
 現在、血色素の一定数を目安に輸血を繰り返しているが治癒の見込みはなかなかむずかしい。厚生大臣の認める認定患者認定を申請したが四月末、永眠した。

被ばく者の六十年 
 2005年の今年、生き残っている約二十七万人の被ばく者の多くは二つ、三つの病気を持ちながら、様々な不安や悩みを抱えて生き続けている。
 彼らの多くは被ばくの前は病気を知らず、健康優良児として表彰までされたのが、被ばく後はからだがすっかり変わり、病気がちで思うように働けず、少し動くとからだがだるくて根気が続かずに仕事を休みがちになった。医師に相談していろいろ検査を受けても、どこも異常がないと診断され、当時、よく使われたぶらうら病の状態が続き、仲間や家族からは怠け者というレッテルを貼られたつらい記憶を持つものが少なくない。事実、「からだがこんなになったのは原爆のせい」とひそかに思いながら被ばく事実を隠し続け、誰からも理解されずに社会の底辺で不本意な人生を歩いた被ばく者を私は何人も診ている。

占領米軍による被ばく者の敵視と差別 
 被ばく者は敗戦直後から米占領軍総司令官の命令で広島・長崎で見、聞き、体験した被ばくの実相を語ること、書くことの一切を禁止された。違反者を取り締まるため、日本の警察に言動を監視された経験のある被ばく者は少なくない。また、1956年に日本核団協(各都道府県にある被ばく者の団体の協議会)が結成された前後は、被ばく者は反米活動の危険があるとして警戒され、各地で監視体制が強められた。1957年、埼玉県で被ばく者の会を結成した小笹寿会長の回顧録のなかに、当時の執拗な埼玉県警の干渉があったことを書き残している。私自身も1950年から数年間、東京の杉並区でひそかに広島の被ばく体験を語り歩いたとき、米軍憲兵のしつこい監視を威嚇を受けた覚えがある。

日本政府による差別 
 敗戦後、辛うじて死を免れた被ばく者は家族、住居、財産、仕事の全てを失った絶望的な状態のなかから廃墟に掘っ立て小屋を建てて生き延びる努力をはじめた。故郷のある者は故郷に、ない者は遠縁や知人を頼って全国へ散って行った。被ばく地に残った者にも、去った者にも餓死寸前の過酷な日々が続いた。政府は1957年に医療法を制定し、被ばく者健康手帳を交付するまでの十二年間、被ばく者に何の援護もせず、地獄のなかに放置した。
 なお、被ばく者手帳を発行して被ばく者を登録したとき、政府は被ばく者を①爆心地近くの直下で被ばくした者、②爆発後二週間以内に入市した者および所定の区域外の遠距離で被ばくした者、③多数の被ばく者を治療・介護した者、④当時、上記の被ばく者の胎内にあった者に区分して被ばく者のなかに差別を持ち込んだ。


 原爆投下後に爆心地にいたため瞬間的にとんでもない量の外部被曝を受けて亡くなった方も、その後、さまざまな内部被曝による肉体的な被害と精神的な被害を蒙った被爆者の方も、同じ被爆者である。その原因は原爆にあり、遠因は戦争にある。戦争は一つの国ではできないわけで、戦争を核の人体実験に悪用したアメリカも、そのアメリカの誘い水に乗って何ら確かな戦略も展望もなく戦争を起こした日本も被爆者に対して責任がある。なぜ、本来なら蒙らなくて良かった被害を受けた被曝者が、当然の権利としてその治療や生活の保障を得るため、国や県、市町村に「感謝」しなければならないのか。

 この人のご両親の被曝の状態などはもちろん知るよしはない。それは、あえて関係がないこととする。あくまで、本人が現在の広島市長なのだから。松井市長は、被爆者に謝ることはあっても感謝される立場にはない。私とほぼ同年代の松井一実という男は、何らヒロシマの被曝の本質をわかっていないバカ市長だと言わせてもらおう。

 国-県-市町村という構造において、国民-県民-市町村民の生活と安全を維持し確保することを責務とする自治体の長ならば、過ちは過去のことであろうと歴史の継続性を踏まえ、「被曝によって長年ご苦労をおかけし、誠に申し訳ありません」と謝ることこそ本当であろう。国や自治体が被爆者に“恵んで”いるのではない、当然の償いをしているということを、この人は分かっていない。

 松井市長、あなたに言いたい。「広島市長は、被爆者への当然の補償を、まるで国や自治体から『やる、やる』と恵んでやっているように勘違いしている。被爆者の皆様へ『申し訳ございませんでした』というお詫びの気持を忘れんようにしてほしいが、忘れる人がちょっとおる」と。
Commented by とらちゃん at 2011-06-18 10:53 x
「晴天とら日和」管理人のとらちゃんと申します。
いくらでも引用下さって結構ですよ。
ところで素敵な落語の文章をお書きなんですね。上方落語なら「米朝師匠」が一番だと思います。
「米朝師匠」の落語集を集めたブログ、ご存知ですか?
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakugo27.htm
口入屋、地獄八景、面白い満載です。
マ、しかし、落語と言う芸はホントに難しい芸で、名人は一握りですもんね。
では、またです。

Commented by 小言幸兵衛 at 2011-06-18 11:21 x
お立寄りありがとうございます。
目下、貴ブログへのリンクを含むものを書いている最中です。
親娘でつくる素敵なブログですね。
落語もお好きのようで、これもご縁かと思います。
米朝のことも、もっと書きたいのですが、3.11以降はなかなかそうもいかず・・・・・・。
今後もよろしくお願いします。

Commented by 佐平次 at 2011-06-18 11:23 x
松井市長には村上の「集団責任」についてのスピーチ、マイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」などを読んで欲しい。広島市長の必読書ですね。

Commented by 小言幸兵衛 at 2011-06-18 11:35 x
この人が単に勉強不足で、根は誠実ならばいいのですが、さてどうなのでしょうね。
広島出身、被曝2世で五十路になってこの発言。
根っこのところが腐っていなければいいのですが・・・・・・。

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by koubeinokogoto | 2011-06-17 13:34 | 原発はいらない | Comments(4)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


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