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幸兵衛の小言

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マンクーゾ報告 (内橋克人著『日本の原発、どこで間違えたのか』より)


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 内橋克人著『日本の原発、どこで間違えたのか』

 以前に高木仁三郎さんの『科学は変わる-巨大科学への批判-』(1979年に東洋経済新報社の東経選書として発行され、その後1987年に社会思想社から現代教養文庫として発行。残念ながら現在は古書店で入手するしかない)から、「マンクーゾ報告」のことを紹介した。
2011年4月8日のブログ

 4月に発行された内橋克人さんの『日本の原発、どこで間違えたのか』(朝日新聞出版発行、1986年に講談社文庫から発行された『原発への警鐘』の復刻本)にも、当のマンクーゾ教授へのインタビューなどを含め紹介されている。「第三章 人工放射能の恐怖『放射能はスロー・デスを招く』」より引用。

 ハンフォード原子力施設は兵器製造のための消費燃料からプルトニウムを処理する、という作業が中心になっていて、アメリカ原子力兵器産業にとっては重大な意味をもっている。
 長崎原爆と同型の原爆のためのプルトニウムを製造したり、廃棄物処理が行われているのだ。
 教授の調査は、そこを舞台に実施された。
「私は1944年以来の残されているハンフォード労働者(男女とも)のファイル(ソシャル・セキュリティ・ナンバーによる記録)を、苦労しながらふるい分けて、被曝の状態と健康に与える有害な影響の間の、ありとあらゆる連関について調べあげました。調査の結果、重大な事実が出てきたんです・・・・・・」
 1944~72年に至る29年間に同センターで働いた労働者2万4939名。うち死者3520名。うちガン(白血病を含む)による死者670名(全労働者の2.7パーセント、全死者の19パーセント)。ガンによる死亡者の66パーセントまでがバッジ・リーディングと呼ばれる作業(放射線被曝量が多い)に従事した人々であった。
 (中 略)
 結果を発表したマンクーゾ教授は、米政府エネルギー省の手によって、ただちに「ペルソナ・ノン・グラータ」の烙印を押された。
 ペルソナ・ノン・グラータ、すなわち「危険人物」にほかならない。



 1977年に発表された「マンクーゾ報告」の内容については、4月8日のブログをご覧いただくとして、この報告、そしてマンクーゾ教授自身のその後について、本書はご本人へのインタビューも交えて明らかにしている。

発表直後に調査費停止
「被曝はスロー・デス(時間をかけてやってくる死)、を招くのです。死は徐々に、二十年も三十年もかけて、ゆっくりとやってきます。原子力産業はクリーンでもなければ、安全でもありません。それは殺人産業といっていいでしょう」
 ピッツバーグ市内のホテルでインタビューが行われた翌朝、トーマス・F・マンクーゾ教授は、再びピッツバーグ大学の大学院ビルにある自らの研究室にインタビュアーを招いた。
 大学院ビル七階のマンクーゾ研究室は、同室を含めて五部屋つづきのうちの一室。1962年以来、同大学の公衆衛生大学院職業衛生調査担当教授(リサーチ・プロフェッサー・オブ・オキュペイショナル・ヘルス)をつとめ、NCDA賞受賞(国立ガン研究所が優秀な研究者に贈る)など、世界的に名を知られた科学者の研究拠点としては、室内に人のざわめきも感じられず、あまりに質素に過ぎる印象は否定できなかった。
 謎はすぐに氷解した。
 政府および原子力委員会(AEC、1975年にNRC=原子力規制委員会とERDA=エネルギー研究開発庁に分割)の委託として開始されたその調査活動が、結果において当のスポンサーたちの意図を裏切る内容のものとなった。にもかかわらず、あえて調査データを公表したマンクーゾ教授は、結局、米政府エネルギー省(EOD、77年にERDAが改組され設置)の手によって「ペルソナ・ノン・グラータ」(危険人物)の烙印を押されてしまったからだ。
 調査費予算の支給は打ち切られ、苦労の末、築き上げてた調査データはオークリッジ国立研究所に移管されてしまった。

 「マンクーゾ報告」については、原子力村からは当然のこと、他の科学者からも統計手法などについて批判がないことはない。そのことについて、京大原子炉実験所の今中哲二助手(当時)へのインタビューが紹介されている。

 「放射線は人間の身体に対してどんな影響を与えるのか、人体への確率的影響をみるための最も基礎的なデータといいますと、もう当然のことながら、広島・長崎で被曝した生存者の方々が、その後どのような率でガンや白血病に冒されていったのか、その発生率と被爆線量との相関関係を追跡調査したデータのほかありません。が、このいわゆる原爆データを使って、原子力発電所などにおけるリスクを評価しようとしますと、たちまち問題が出てくるわけです。いったいお原爆のような高線量域でのデータを、そのまま低線量域んじ外挿して果たしてあてはまるのだろうか、という疑問ですよ」
 その点、マンクーゾ教授が調査に駆使したハンフォード原子力施設でのデータは、「直接、低線量域での被曝データなので、きわめて有意義なものです。原発での作業従事者のリスト評価には、過去のどんなデータより優れていると私は思いますね」
 だが、と彼は、マンクーゾ・データが内包している“欠陥”についても、次のように指摘することを忘れなかった。
「ただ、純粋に科学的な立場から、マンクーゾ教授の行った疫学調査を詳しく検討してみますと、データ処理の方法にやや欠陥がみられることも確かです」
 数式のとり方、数字の扱い方に問題があり、数値の合わない部分が、じっさいに見られると今中氏はいう・
「いいかえますと、マンクーゾ教授の姿勢は高く評価できるし、原子力に関係する一科学者として私自身、マンクーゾ・データを支持する立場ははっきりしているのですが、科学的な面で彼のデータを全面的に信頼するというわけにはいかない。この点がまた、マンクーゾ教授に対するあげ足取り的な批判を許す大きな原因となっていることも事実ですね」
 また一方で、彼らはマンクーゾ報告に対して出された批判を逐一、吟味するという作業もやってのけた。
「マンクーゾ報告はデータそのものの信頼性が低い」
「生存者をデータに含めて、死亡率を検定するという手法を用いると、相関性は認められない」
 そういった批判であった。
 今中氏らによる検証の結果、前者の「データの信頼性」うんぬんというのは「批判のための批判という色合いが強くて、いわばアラ探しのやり方」といえるという。
 また後者のように「調査の方法」に対して出された批判も、「分析方法が違えば有意性の判定結果が違ってきても、それでただちにどちらが誤りといえるわけではない」と彼は診断を下した。
 以下、専門的な話が今中氏の口を通して詳細に展開された。そのすべてを報告するわけにはいかないのが残念である。
 ここではマンクーゾ報告に対する今中氏の総括で、ひとまず締めくくっておくことにする。
「要するにマンクーゾ論文というのは、ハンフォードという現実に存在する原子力施設のデータから、放射線とガンとの相関関係を見出したところに大きな意味があるわけですよ。科学的な結論をいいますと、マンクーゾ・データには少なからぬ欠陥がることは確かではありますが、しかし、私自身が検討したところでは、マンクーゾ・データに対して加えられたこの種の批判が成立するほどの根拠もない。マンクーゾ報告は多くの欠陥はあるものの、放射線とガンとの相関性は示されている、というのが私の結論です」
 マンクーゾ報告を無視したり、敵視したりすることは、原発から出る放射線のリスクを正確に知ろうとして払われている真剣かつ科学的なおびただしい努力に対して、逆行する姿勢を示すもの、ということになるのではあるまいか。


 フクシマ以降の日本のマスコミに、「マンクーゾ報告」のことは、ほとんど登場しない。私は原子力村からの直接的な“指導”があるか、あるいはメディア側の自主規制、もしくは、取り上げようとして御用学者に意見を聞いて「あの報告は信頼性がない」の一言でボツにしているような気がしている。

 まったく欠陥などない調査や統計というのは皆無ではなかろうか。今中さんが指摘するように、“アラ探し”をするように問題的に着目して、調査結果の持つ大きな意義まで無視するのは、数少ない内部被曝に関する実証的データを無駄にすることになる。

 九州電力のヤラセ・メールのように、原子力推進派は、自分達の有利な方向に進めるために手段を選ばない。まさか露見するとは思っていなかったので、確信犯的にやったのだ。そして、逆に自分達に不利になる情報は極力隠蔽しようとする。

 原発が、こういった言論統制的な社会を招くことも大きな問題である。やはり、人の体にも心にも害を与える原発は、いらない。
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by koubeinokogoto | 2011-07-06 19:00 | 原発はいらない | Comments(0)

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