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幸兵衛の小言

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ドイツ人ジャーナリストが明かす政府の‘圧力’-「内田樹の研究室」より。

「内田樹の研究室」で、ドイツのジャーナリストが日本での滞在を終えて帰国するにあたって書いた記事を、翻訳して紹介してくれている。日本を知るためには、海外のメディアに頼らざるを得なくなった。内田の労力に感謝して紹介したい。(太字は管理人)
「内田樹の研究室」該当記事

ドイツのあるジャーナリストの日本論

ドイツのある新聞の東京特派員が過去5年間の日本の政府と海外メディアの「対立」について記事を書いている。
安倍政権の国際的評価がどのようなものかを知る上では貴重な情報である。
でも、日本国民のほとんどは海外メディアが日本をどう見ているのかを知らない。
日本のメディアがそれを報道しないからである。
しかたがないので、私のような門外漢がドイツの新聞記者の書いたものをボランティアで日本語に訳して読まなければならない。
このままでは「日本で何が起きているのかを知りたければ、海外のメディアの日本関連記事を読む」という傾向は止まらない。
そんなことまで言われても日本のジャーナリストは平気なのか。


 太字部分、まったく同感だ。

 さて、ここからが、ドイツの日刊紙Frankfurter Allgemeine Zeitungの東京特派員だったゲーミス記者の記事内容。

「ある海外特派員の告白 5年間東京にいた記者からドイツの読者へ」
Carsten Germis

さて、荷造りも終わった。ドイツの日刊紙Frankfurter Allgemeine Zeitungの特派員として東京で5年以上を過ごしたあと、私はもうすぐ東京から故国へ旅立つ。
私が今離れてゆこうとしている国は、2010年1月に私が到着したときに見た国とはもう別の国になってしまった。表面的には同じように見える。けれども社会の空気は緩慢に、だがあらわに変化しつつある。その変化は過去1年間の私の書いた記事にしだいに色濃く反映するようになった。
日本の指導層が考えていることと海外メディアが伝えることの間のギャップは日々深まっている。それによって日本で働く海外ジャーナリストたちの仕事が困難になっていることを私は憂慮している。もちろん、日本は報道の自由が保障された民主国家であり、日本語スキルが貧しい特派員でも情報収集は可能である。それでもギャップは存在する。それは安倍晋三首相のリーダーシップの下で起きている歴史修正の動きによってもたらされた。
この問題で日本の新しいエリートたちは対立する意見や批判をきびしく排除してきた。この点で、日本政府と海外メディアの対立は今後も続くだろう。


 このドイツ人記者の太字部分の指摘も、同感。
 日本のメディアは日本政府に懐柔され、海外メディアとの対立が深まっている、ということだ。なんとも情けない状況。
 引用を続ける。

日本経済新聞は最近ドイツ首相アンゲラ・メルケルの2月の訪日についてベルリンの同社特派員のエッセイを掲載した。特派員はこう書いた。
「メルケルの訪日は日本との友情を深めるよりも日本との友情を傷つけるものになった。日本の専門家たちを相手に彼女はドイツの原発廃止政策について議論し、朝日新聞を訪問したときも安倍と会談したときも彼女は戦争をめぐる歴史認識について語った。野党第一党民主党の岡田克也代表とも対談した。彼女が友情を促進したのはドイツ企業が経営している工場を訪れて、ロボット・アシモと握手したときだけであった。」

これはドイツ人にとってはかなり気になる発言である。百歩譲ってこの言い分に耳を傾けるとして、彼の言う「友情」とは何のことなのか? 友情とはただ相手の言い分を鵜呑みにすることなのか? 友人が間違った道に踏み込みそうなときに自分の信念を告げるのは真の友情ではないというのか? それにメルケル訪日にはいくつかの目的があり、単に日本を批判するために訪日したわけではない
私自身の立場を明らかにしておきたい。五年を過ごした日本に対する私の愛着と好意は依然として揺るぎないものである。出会った多くのすばらしい人々のおかげで、私の日本に対する思いはかつてより強いものになった。ドイツ在住の日本人の友人たち、日本人の読者たちは、私の書いた記事に、とりわけ2011年3月11日の出来事からあとの記事のうちに、私の日本に対する愛を感じると言ってくれた。
しかし、残念ながら、東京の外務省はそういう見方をしていないし、日本メディアの中にも彼らと同じように私をみなしている人たちがいる。
彼らにとって私は、他のドイツメディアの同僚たち同様、日本に対して嫌がらせ的な記事を書くことしかできない厄介者らしい。
日経のベルリン特派員の言葉を借りて言えば、日独両国の関係が「フレンドリーなものでなくなった」責任は私たちの側にあるようだ。
本紙は政治的には保守派であり、経済的にはリベラルで市場志向的なメディアである。しかしそれでも本紙は安倍の歴史修正主義はすでに危険なレベルに達しているとする立場に与する。これがドイツであれば、自由民主主義者が侵略戦争に対する責任を拒否するというようなことはありえない。もしドイツ国内にいる日本人が不快な思いをしているとしたら、それはメディアが煽っているからではなく、ドイツが歴史修正主義につよい抵抗を覚えているからである。


 第二次大戦における同じ敗戦国のドイツと日本。しかし、現在のメディア事情は、大いに異なっているということだ。
 ドイツは、いまだにナチスの残党を裁くための活動を続けている。しかし、日本の政権は、憲法の解釈一つで戦争をできる国にしようとしている。
 「歴史修正主義」への感度の大きな違いを、日本人、そして日本のメディアは認識すべきだ。

 さらにドイツ人ジャーナリストは次のように、外務省からの‘攻撃’について語る。

反動は2012年12月の選挙直後から始まった。新しい首相はフェイスブックのような新しいメディアにはご執心だったが、行政府はいかなるかたちでも公開性に対する好尚を示さなかった。財務大臣麻生太郎は海外ジャーナリストとはついに一度も話し合おうとしなかったし、巨大な財政赤字についての質問にも答えようとしなかった。
海外特派員たちが官僚から聴きたいと思っていた論点はいくつもあった。エネルギー政策、アベノミクスのリスク、改憲、若者への機会提供、地方の過疎化などなど。しかし、これらの問いについて海外メディアの取材を快く受けてくれた政府代表者はほとんど一人もいなかった。そして誰であれ首相の提唱する新しい構想を批判するものは「反日」(Japan basher)と呼ばれた。
五年前には想像もできなかったことは、外務省からの攻撃だった。それは私自身への直接的な攻撃だけでなく、ドイツの編集部にまで及んだ。
安倍政権の歴史修正主義について私が書いた批判的な記事が掲載された直後に、本紙の海外政策のシニア・エディターのもとをフランクフルトの総領事が訪れ、「東京」からの抗議を手渡した。彼は中国がこの記事を反日プロパガンダに利用していると苦情を申し立てたのである。
冷ややかな90分にわたる会見ののちに、エディターは総領事にその記事のどの部分が間違っているのか教えて欲しいと求めた。返事はなかった。「金が絡んでいるというふうに疑わざるを得ない」と外交官は言った。これは私とエディターと本紙全体に対する侮辱である


 その後、政府の海外メディアへの懐柔策として、ランチへの招待などが行なわれるようになったらしいが、状況は2014にまた悪化したようだ。

2014年に事態は一変した。外務省の役人たちは海外メディアによる政権批判記事を公然と攻撃し始めたのである。首相のナショナリズムが中国との貿易に及ぼす影響についての記事を書いたあとにまた私は召喚された。私は彼らにいくつかの政府統計を引用しただけだと言ったが、彼らはその数値は間違っていると反論した。
総領事と本紙エディターの歴史的会見の二週間前、私は外務省の役人たちとランチをしていた。その中で私が用いた「歴史をごまかす」(whitewash the history)という言葉と、安倍のナショナリスト的政策は東アジアだけでなく国際社会においても日本を孤立させるだろうとうアイディアに対してクレームがつけられた。口調はきわめて冷淡なもので、説明し説得するというよりは譴責するという態度だった。ドイツのメディアがなぜ歴史修正主義に対して特別にセンシティブであるのかについての私の説明には誰も耳を貸さなかった。



 安倍政権のメディアへの干渉は、国内に留まっていない。しかし、国内メディアから、このような‘圧力’に関して暴露する記事は見当たらない。あすが、ゲルマン魂、とでも言おうか。
 ドイツ人ジャーナリストは、最後に次のように記事を締めくくっている。

過去5年間、私は日本列島を東奔西走してきた。北海道から九州まで東京以外の土地では私が日本に対して敵対的な記事を書いているという非難を受けたことは一度もない。反対に、さまざまな興味深い話題を提供され、全国で気分のよい人々に出会ってきた。
日本は今もまだ世界で最も豊かで、最も開放的な国の一つである。日本に暮らし、日本についてのレポートを送ることは海外特派員にとってまことに楽しい経験である。
私の望みは外国人ジャーナリストが、そしてそれ以上に日本国民が、自分の思いを語り続けることができることである。社会的調和が抑圧や無知から由来することはないということ、そして、真に開かれた健全な民主制こそが過去5年間私が住まっていたこの国にふさわしい目標であると私は信じている。



 先日紹介したニューヨーク・タイムズ東京支局長の指摘のように、日本のメディアは、その存在理由を問われている。
 今回の統一地方選の結果を踏まえ、安倍政権は自分たちの政策が支持された、と言うのだろう。
 しかし、それは民主党を筆頭に、野党がだらしなさすぎるための結果でしかないし、メディアの不毛の反映でもあるだろう。
 また、投票率の低さは、国民の政治への虚無感の広がりを表している。10知事選の確定投票率は47.14%、41道府県議選の投票率は45.05%と、いずれも過去最低を記録。
 以前書いたが、自民党は嫌がるだろうが、そろそろ投票の義務化を真剣に検討すべきだろう。2014年12月17日のブログ

 海外メディアから、日本のことを知り、海外ジャーナリストからのみ真っ当な主張を聴く傾向は、残念ながらしばらく続きそうだ。

 なお、このゲーミス記者の記事は、LITERAでも取り上げており、部分的に日本語の内容を紹介している。
 ご興味のある方は、こちらもご参照のほどを。
LITERAの該当記事

P.S.
この件、「日刊ゲンダイ」も取り上げました。
日刊ゲンダイの該当記事
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by koubeinokogoto | 2015-04-13 12:03 | 責任者出て来い! | Comments(0)

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by 小言幸兵衛