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幸兵衛の小言

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「放送法」を持ち出す政府の恫喝を、メディアは「すりぬける」な!

テレビ朝日の「報道ステーション」は、見る気がしなくなった。

 古舘のニタリ顔が、どうも嫌になってきた。

 私は、古賀茂明も恵村順一郎もMチーフプロデューサーもすでに存在しないあの番組に、かつては抱いていた期待感を急激に失った。
 かと言って、報道機関としてのテレビ朝日を諦めたわけではない。

 自民党が明日17日、テレビ朝日とNHKの幹部を呼び出すことに関しては、異議を唱えたい。

 東京新聞の社説をご紹介。(太字は管理人)
東京新聞の該当社説

【社説】
権力と放送法 統治の具と成す不見識
2015年4月16日

 権力者はなぜ、かくも安易に放送法を振りかざすのか。放送内容に誤りなきを期すのは当然だが、放送局側を萎縮させ、表現の自由を損ねてはならない。

 きっかけは三月二十七日夜、テレビ朝日系列で放送された「報道ステーション」だった。

 この日が最後の出演とされたコメンテーター、元経済産業省官僚の古賀茂明氏が「菅義偉官房長官をはじめ、官邸の皆さんからバッシング(非難)を受けてきた」と述べると、菅氏は三十日の記者会見で「事実無根」と反論し、こう付け加えた。「放送法という法律があるので、テレビ局がどう対応するか、しばらく見守りたい」

◆表現の自由を目的に

 自民党はあす、テレビ朝日などの経営幹部を呼び、番組内容について説明を求めるという。

 放送事業を規定する放送法は不偏不党、真実、自律を保障することで表現の自由を確保し、健全な民主主義の発達に資することが目的だ。放送番組は法律に基づく以外は誰からも干渉されないことが明記され、同時に政治的な公平、真実を曲げないこと、意見が対立する問題は多くの角度から論点を明らかにすることも求めている。

 放送は、政権や特定勢力の政治宣伝に利用されるべきではない。大本営発表を垂れ流して国民に真実を伝えず、戦意高揚の片棒を担いだ先の大戦の反省でもある。

 政治的に偏ったり、虚偽を放送しないよう、放送局側が自ら律することは当然だが、何が政治的公平か、真実は何かを判断することは難しい。にもかかわらず政治権力を持つ側が自らに批判的な放送内容を「偏っている」と攻撃することは後を絶たない。

 さかのぼれば一九六八年、TBSテレビ「ニュースコープ」のキャスターだった田英夫氏(二〇〇九年死去)がベトナム戦争報道をめぐり「解任」された件がある。

◆自民党の圧力で解任

 田氏は前年、北ベトナムの首都ハノイを西側陣営のテレビ局として初めて取材し、戦時下の日常生活を伝えた。以前からTBSの報道に偏向との不満を募らせていた自民党側は放送後、TBS社長ら幹部を呼び「なぜあんな放送をさせたのか」と批判する。

 このとき社長は、ニュースのあるところに社員を派遣し、取材するのは当然、と突っぱねたが、翌六八年に状況は大きく変わる。

 成田空港反対運動を取材していた同社取材班が、反対同盟の女性らを取材バスに乗せていたことが発覚し、政府・自民党側がTBSへの圧力を一気に強めたのだ。

 田氏は自著「特攻隊だった僕がいま若者に伝えたいこと」(リヨン社)で当時の様子を振り返る。

 <当時の福田赳夫幹事長が、オフレコの記者懇談で、なんと「このようなことをするTBSは再免許を与えないこともあり得る」という発言をしたのです。

 これを聞いたTBSの社長は、翌日すぐに私を呼んで、「俺は言論の自由を守ろうとみなさんと一緒に言ってきたのだけれども、これ以上がんばるとTBSが危ない。残念だが、今日で辞めてくれ」と言われ、私はニュースキャスターをクビになりました>

 田氏解任の決定打は権力側が免許に言及したことだ。放送は電波法に基づく免許事業。五年に一度の再免許を受けられなければ事業は成り立たない。同法は放送法に違反した放送局に停波を命令できる旨も定める。権力が放送免許や放送法を統治の具としてきたのが現実だ。

 昨年の衆院選直前、安倍晋三首相はTBSテレビに出演した際、紹介された街頭インタビューに首相主導の経済政策に批判的な発言が多かったとして「おかしいじゃないですか」などと批判した。

 自民党はその後、在京テレビ局に選挙報道の公平、中立を求める文書を送り、報道ステーションには経済政策に関する報道内容が放送法抵触の恐れありと指摘する文書を出した。そして菅氏の放送法発言、自民党による聴取である。

 報道の正確、公平、中立の確保が建前でも、権力が免許や放送法に言及し、放送内容に異を唱えれば放送局を萎縮させ、結果的に表現の自由を損ねかねない。歴代政権は、自らの言動がもたらす弊害にあまりにも無自覚で不見識だ。

◆「報道に意気込みを」

 キャスターを解任された田氏は七一年、参院議員となる。二〇〇七年に政界を引退する直前、本紙のインタビューに「メディアはもっと姿勢を正さなくちゃいけないね。報道に意気込みが感じられない。引きずられているんだよ」とメディアの現状を嘆いていた。

 政権による圧力に萎縮せず、それをはね返す気概もまた必要とされている。放送のみならず、私たち新聞を含めて報道に携わる者全体に、大先輩から突き付けられた重い課題である。


 海外メディアによる日本のメディアの惨状に関する指摘を何度か紹介したが、同じ言論の世界にいる東京新聞のこの主張について、テレビ朝日他のメディアは、いったいどう思うのだろう。

 放送法という言葉を使って、許認可権を振り回しメディアを恫喝する政府の言うがままでは、この国は、まさに独裁国家であることを容認するに等しいのではないか。

 「よぉーし、やったろうじゃないか。政府や自民党が何を言おうと、うちは政府に問題があれば、批判報道をするぞ!」というメディアの経営者はいないのか。

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むのたけじ(聞き手 黒岩比佐子)『戦争絶滅へ、人間復活へ』

 田英夫などよりも、もっと大先輩の方のこと。

 以前にも紹介したことがあるが、黒岩比佐子さんの聞書きによる、むのたけじ『戦争絶滅へ、人間復活へ』は、2008年7月に岩波新書で発行された本。

 今年百歳となった硬骨のジャーナリストの言葉を引用する。

 「第2章 従軍記者としての戦争体験」から引用。先に黒岩さんの問いかけがある。

「すりかえる」権力、「するぬける」民衆

 ‐私は明治の日露戦争に関心があるのですが、昭和の戦争の前に、二十世紀に入ってすぐ、日本はロシアと戦っています。日露戦争では、日本が大勝したように報じられていましたが、あと一年続いていたら日本は兵力も資金も使い果たして、多分ロシアに負けていただろうという状況でした。ところが、ポーツマス講和条約で償金はなし、領土も樺太の半分しか取れなかったため、怒った群衆による日比谷焼打ち事件という大暴動が起こります。でも、戒厳令が若かれて軍隊が出動すると、あっという間に鎮圧されて、政府の責任を問う声はうやむやになってしまいました。結局、そのときの教訓がまったく生かされていない、という気がします。 

 本当は、あの日露戦争のあとで、きちんとけじめをつけなければいけなかった、でも、その深い根っこについて言うと、日本の支配権力と支配される民衆の相互関係に、そういうふうにさせるものがあるんです。それは何かと言うと、支配階級は「すりかえる」んだ、いつでも。
 この「すりかえる」手口というのはさまざまで、たとえば、戦争体制の準備を「有事」なんていう言葉でごまかす。こうしたことは、一朝一夕にできたものではありません。まるで、呪いをかけて人間を金縛り状態にしてしまうような、そんな支配力が民衆の中に作用している。
 私の考えでは、それは四百二十年前に豊臣秀吉が行った刀狩りの手口に行きつく。農民の武装解除をするための「刀狩り」なのに、「その刀で梵鐘をつくってお寺に納めれば、極楽へ行ける」というように言う。農民から武器を奪っておとなしくさせるために、秀吉が編み出したのは、まさに「すりかえ」を武器にした支配構造でした。
 でも、民衆はそれにだまされているばかりではなかった。徳川時代の正味二百七十年間のうち、後半の百二十年から百三十年のあいだに、だいたい三千件の百姓一揆が起こっている。そのうち、一番多いのが東北地方でした。成功した一揆というのは、岩手で一件だけありますが、それ以外はほとんど全部、首謀者もその家族もみな処刑されました。
 そして、明治になった一年目から、福島の郡山で、もう一揆が起こっているんですよ。いまの固定資産税に相当する税金があまりに高いので、地主階級が各地で一揆を起こした。これは八年ぐらい続いて、四十数万人lが処罰されています。ですから、これほどの闘いをする力も日本の民衆のなかにあるといえますが、権力との闘いにはじつに多くの犠牲を作った。
 そのため、「すりかえる」権力に対して、民衆の側は「すりぬける」ということを考えたのです。要するに、真正面からぶつからない。だから、日露戦争が終わったときにも、立ち止まっていったん総括する、ということをしなかった。なんとなく「すりぬける」ことですませてしまう。それが、ずっと続いてきたのです。



 権力者の「すりかえ」に、真っ向から立ち向かえば、たしかに血が流れるかもしれない。
 しかし、メディアが、いつまでも「すりぬけ」てばかりいては、何も変わらない。

 自分の体験を反省し、「たいまつ」の発行と行動で体制批判を続けてきたむのたけじさんの思いを、メディアの世界の後輩たちはよく噛みしめるべきだろう。

 そうでなければ、軍国化を急ぐ安部政権の暴走を止めることができず、悲しい歴史を繰り返すだけではないのか。

 むのたけじさんは、二年前の五月に「報道ステーション」に出演した。

 今の「報道ステーション」に、むのさんを再登場させる意欲、気概は残っているだろうか。もし、まだジャーナリズム精神の火がかすかにでも灯っているのなら、ぜひ、百歳のむのさんに語ってもらうべきだろう。

 むのさんであれば、「放送法なんて持ち出す政府の恫喝に、負けるな!」と、きっとおっしゃるはずである。
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by koubeinokogoto | 2015-04-16 12:05 | 責任者出て来い! | Comments(0)

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