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イスラム圏と日本、のことなど-「SAPIO」内田樹の記事などより。

 参院選、都知事選に関する、芸能ゴシップまがいの内容を含むメディアの喧噪は、これからリオ五輪報道に替わっていくのだろう。

 しかし、前回の記事で紹介したような、シリア難民のことや、ISの実態などの報道は、ほとんどテレビや全国紙で時間やスペースを割かれることはないに違いない。

 バングラデシュの首都ダッカのレストランで日本人を含む犠牲者を出したテロ事件が起こったのは、たった一ヶ月前のことなのだが、見事に参院選と都知事選のニュースで、“暗い”テロ事件のことは覆い隠された。

 とはいえ、テロ事件は、その被害の大きさに応じてニュースが報じられる。

 それらは、決して「線」でも「面」でもなく、「点」の事件としてのみ扱われる。

 なぜ、日本人までがISやIS信奉者によるテロに巻き込まれるのだろうか。
 
 テロリストであろうと、イスラム圏の国・地域の人々からは、「日本人は逃げなさい!」と言われることはあり得ても、「日本人か、そこに座れ!」と攻撃されることは、長い歴史の中では、基本的にはなかったはずだ。

 後藤健二さんが亡くなったのとされる時期とほぼ同じ頃の雑誌「SAPIO」に、内田樹の記事が載っているので「NEWSポストセブン」から引用する。
NEWSポストセブンの該当記事

米の従属国・日本がイスラム圏から敵視されてこなかった理由
2015.01.28 16:00

 シリアやイラクを中心に勢力を拡大するイスラム国に、世界中が頭を悩ませている。日本とて決して“対岸の火事”ではないイスラム国に対し、日本は何ができるのか? 思想家・武道家の内田樹氏が解説する。

 * * *
 イスラム共同体は北アフリカのモロッコから東南アジアのインドネシアまで、領域国家を超えて結ばれた人口16億人の巨大なグローバル共同体であり、宗教、言語、食文化、服装などにおいて高い同一性を持っている。これほど広い範囲に、これだけ多数の、同質性の高い信者を擁する宗教は他に存在しない。

 加えて、イスラム共同体の構成員の平均年齢は29歳と若い。欧米先進国も中国もこれから急激に少子高齢化の時代に突入する中で、イスラム圏の若さは異例である。ここが21世紀の政治経済文化活動のすべてについて重要な拠点となることは趨勢としてとどめがたい。

 アメリカ主導のグローバリズムとイスラムのグローバル共同体はいずれもクロスボーダーな集団であるが、支配的な理念が全く異なる。イスラム社会の基本理念は相互援助と喜捨である。それは何よりも「孤児、寡婦、異邦人」を歓待せねばならないという荒野の遊牧民の倫理から発している。

 アメリカ型グローバリズムには相互扶助も喜捨の精神もない。「勝者が総取りし、敗者は自己責任で飢える」ことがフェアネスだというルールを採用している。この二つのグローバル共同体が一つの原理のうちにまとまるということはありえない。かといって相手を滅ぼすこともできない。隣人として共生する他に手立てはない。

 日本はアメリカの従属国でありながら、幸い平和憲法のおかげで今日にいたるまでイスラム圏から敵視されていない。それは日本の宗教的寛容の伝統もかかわっているだろう。ムスリムもキリスト教徒も仏教徒も平和的に共生できる精神的な基盤が日本にはある。

 この「ゆるさ」は日本の外交的なアドバンテージと評価してよいと思う。この宗教的寛容に基づいて二つのグローバル共同体を架橋する「仲介者」となることこそ、日本が国際社会に対してなしうる最大の貢献だと私は思っている。

※SAPIO2015年2月号

 内田樹が説明するように、イスラム圏において日本は決して敵視される国民、民族ではなかった。

 しかし、今や、テロリストのブラックリストの中に日本は加わったと見るべきだろう。

 何が変わったのか・・・・・・。

 内田樹が指摘する、 “相互扶助と喜捨”の精神、そして、“宗教的寛容の伝統”は、今どうなっているのだろう。

 日本人一般においては、長い歴史を背景にした、文化基盤として変わることはないと思う。

 問題は、体外的に国の顔である政府やその首長たちだ。

 後藤さん、湯川さんの殺害や、先日のダッカでの日本人も巻き込むテロ事件の要因には、間違いなく、安倍首相のカイロでの演説が影響している。

 そして、次なる安倍内閣には、ますます、憲法を改悪し、堂々と戦争ができる国となることを推し進めようとする人材が増えている。

 彼や彼女には、 “相互扶助と喜捨”の精神などは、からっきしも存在しない。
 
 日本国民の敵は、イスラム圏の人々ではない。

 国のために命を投げ出せ、と平気で口走る政治家こそが敵である。
 
 アジアの隣国やテロリストと戦うのではなく、戦わない道を探ること、あるいは、戦おうとする両者の仲介役を果たすことのほうが、どれほど日本的であるだろうか。


 相互扶助と喜捨の精神は、日本人に馴染む。

 紛争の「当事者」になるのではなく、「仲介者」としての役割こそ、日本と日本人にとって相応しい道である。


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by koubeinokogoto | 2016-08-03 21:34 | 戦争反対 | Comments(4)
Commented by sheri-sheri at 2016-08-17 11:52
深く共感します。戦争で生まれる憎しみは増幅し何も生み出しません。人々は死に絶え、愛おしい人たちを虫けらのように殺すのです。なにがあるというのでしょう。・・
Commented by koubeinokogoto at 2016-08-17 21:31
>sheri-sheri さんへ

相互扶助と喜捨の精神・・・イスラムと日本は共感できるはずなのに、なぜ日本人あテロの標的になるのか・・・・・・。
大手メディアは、何も語りません。
責任は明確です。
安倍政権が、イスラムと日本を仲違いさせる元凶です。
Commented by sheri-sheri at 2016-08-18 12:05
私のまわりの普通に生きる人々…結婚し子供を育て、子供に良い悪いを教え、ちゃんとした大人・・人間としてまっとうな子育てをしたり、また結婚しているしていない、子供がいるいないにかかわらず、地味でもまっとうに生きている人たちは、同じことを言っています。元来、私たちの親やその先祖もどこかしら仏教の慈悲の心が根っこにあって、人さまとは穏やかにつきあって何かあったときは助け合うといった民族の血が続いていると思います。それが自然なのです。ことさら敵をつくり、強い日本を取り戻すなんて、はぁ?というかんじです。穏やかに、毅然とプライドを持って外交を進めればいいと。そのほうが諸外国から尊敬され、イスラムの人々からも安堵を持って迎えられると思います。返す返すも後藤さんの件は残念でした。バングラデシュの犠牲になられた方々にも顔向けできませんね。現地に足を運び、その国に溶け込み頑張ってこられてきた方でしたでしょうから。
Commented by koubeinokogoto at 2016-08-19 08:42
>sheri-sheriさんへ

3.11の直後は、日本人が忘れかけていた相互扶助、喜捨の精神を取り戻していたような気がします。
しかし、その後、再び世の中は経済の論理が幅を利かせているように思えてなりません。

「なぜ日本人がテロの標的になっているのか?」という課題は、今後もしっかりと議論されるべきでしょう。
決して日本人はイスラムの人々の敵ではないのに、その政府が敵対する発言や行動をとっているのです。

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