ユスラこそ、金メダルだ!
その10人の選手の中の一人が、シリア難民のユスラ・マルディニだ。
彼女は、日本時間の今朝決勝が行われた競泳女子100メートル・バタフライの予選に出場した。
決勝ではスウェーデンのの選手が55秒48の世界新で優勝した。
ユスラでの予選タイム1分9秒21は、優勝タイムから14秒近い差がある。
しかし、重要なのは、ユスラが“生きて”オリンピックに参加できたこと、そして、無事100メートルを泳ぎ切ったことだと思う。
ユスラは、一年前、プールではなく、地中海にいて、死を覚悟した時がある。
「HUFFINGTONPOST」から引用する。
「HUFFINGTONPOST」の該当記事
ユスラ・マルディニ、夢をかなえる。エーゲ海を泳いで渡った難民少女
【リオオリンピック】
The Huffington Post | 執筆者: Emma Batha
投稿日: 2016年08月07日 15時57分 JST 更新: 2016年08月07日 15時58分 JST
2015年8月、シリア人難民のユスラ・マルディニは命をかけて泳がなくてはならなかった。彼女が乗っていた救命ボートが故障したのだ。彼女はヨーロッパを目指していた。
2016年8月、10代の彼女はリオデジャネイロ五輪で泳いでいる。
8月6日、彼女は女子100mバタフライ予選に出場し、1分9秒21で41位という結果に終わり、残念ながら予選落ちとなった。試合後、ユスラは「オリンピックの舞台で泳ぐことをずっと夢見ていた。とても気持ちよかった」と語った。11日には、100メートル自由形に出場する。
ユスラは五輪史上初の難民選手団の一員で、姉のサラと2人で感じた恐怖を語った。地中海を渡ってギリシャに向かう途中で、すし詰めの救命ボートが水上に降ろされた瞬間に、ボートが沈んでしまうのではないかと恐れたという。
もう1人の難民と一緒に、彼女たちは海に飛び込み、3時間にわたってボートを引っ張り続けた。そして、19人の命を救った。
「海の中にいた時は怖かったです。生きるのか、死ぬのか、わかりませんでした」と、国際移住機関 (IOM) が公開した動画取材で18歳の彼女は語る。
振返って、ボートに乗り込んだ時のことを、ユスラはこう回想してる。
ある夜、他の20人と一緒にトルコの海岸からボートに乗りこんだ。定員のおよそ3倍だった。
「ボートに乗る前、死ぬことになると言われるんです」と、サラは語る。
「ですから、ボートに乗った時にまず考えることは死ぬことです。他のことは考えません」
これは、たった一年前のことだ。
姉サラの教えについて、こう語る。
数多くの難民がトルコからヨーロッパを目指して地中海を渡ろうとして命を落としてきた。彼らは中東の紛争や政治的な混乱を逃れて、トルコに来ていた。
同じく水泳選手のサラは、ボートが航海中に転覆した場合には、自分たちの命だけを助けようとしないといけないと妹に伝えた。他の人を助けるのはおそらく不可能だし、みんな覚悟はできていた。
しかし、エンジンが停止しボートが縮み始めた時、彼女たちは他の人が溺れるのを見捨てられないと気づいた。
「ボートにかかっている重量を減らす必要がありましたが、私たち以外に泳げる人はほとんどいませんでした。海中に飛び込んだ時、体全体が競技直前のように震えていました」と、ユスラは言う。
「その瞬間、みんなの命が自分自身のもの以上に思えたのです。ボートに乗っている人たち全員が私の一部のように思えました」
「水に飛び込むのが自分の使命だと思いました。もし、彼らを見捨てていれば、生きている間ずっと後悔していたことでしょう」
彼女は、父親の友人が海の中で彼女のズボンの脚を切り落とし、彼女の衣類が負荷をかけないようにしてくれた。
2時間後、彼女は極限の疲労と戦うようになる。眠ってしまって溺れてしまう危険があった。
「暗く、寒くなっていました。風が吹いて、凍えていました。海水が目に入ってきて、開け続けられなくなったんです」と、ユスラは振り返る。
夜中になってようやく、彼女たちはギリシャのレスボス島にたどり着いた。
クーベルタンが提唱したと言われる「参加することに意義がある」という言葉は、実は、聖公会のペンシルベニア大主教であるエセルバート・タルボットが、1908年のロンドンオリンピックの際に、当時米英関係が良くなかったため、開催地イギリスでさまざまな嫌がらせを受けたアメリカ選手たちに対して語った言葉らしい。
しかし、クーベルタンはその言葉に感銘を受け、この言葉を多くの方に伝えたため、後にクーベルタンの言葉と伝わるようになったようだ。
そのいきさつはともかく、参加することに意義がある、という言葉は、リオ五輪の難民選手団にとって相応しい言葉だと思う。
そして、そのことを、もっと多くの人が感じるべきではなかろうか。
あらゆる種目の金メダルにもひけととらないメダルを、ユスラは受け取るだけの資格がある。
難民選手団の言葉を伝えることは、決してオリンピックの政治利用ではなく、その逆である。
戦争という究極の政治的手段に抗議するためにも、ユスラ達のことを世界中のメディアは取り上げるべきではなかろうか。
勝った、負けただけではない、オリンピック報道のあり方を、2020年に向けて日本のメディアは考えるべきだ。
もちろん、3.11の被災者や被災地のことも、覆い隠さず伝えなければならないはずだ。
なぜなら、「復興五輪」という言葉を招致活動で語ったのだから。
「復興」した姿を世界に示すためにやるべきことを国はやっているのか・・・・・・。
間違っても、東京五輪のために被災地の復興が遅れている、などということは、本末転倒で許されないはずだ。
難民選手団の出場、ということ自体、本来あってはならないのでしょう。
誰かが「命をかけて」戦う、というような表現を使っていますが、彼女こそ、命をかけていたのです。
ユスラは、すでに金より光輝くメダルを持っていると思います。
メディアは、安倍マリオを称賛したり、馬鹿な二世タレントやその親のことなどで時間とスペースを埋めて、もはやユスラなど存在しなかったかのようです。
彼女のリオ後を追うメディアはないのか・・・・・・。