オスプレイ再飛行は、いまだに米軍の属国であることの証だ!
飛行機とヘリコプターの長所を組み合わせた複雑なシステムは、操縦にも高度な技術が必要となる。
オスプレイは開発段階で4回、正式配備後も重大事故を起こしており、「ウィドウ・メーカー」(未亡人製造器)と呼ばれていた。
なぜ、そんな危険な物体が、日本の空を飛ぶことを政府が認めるのか。
以前紹介した記事と重複するが、オスプレイの日本配備がアメリカにとって戦略的に何を意味しているか、そして、配備の最初から政府がアメリカの言いなりであったことを、ある本からの引用を中心に紹介したい。
2013年5月16日のブログ
松竹伸幸著『憲法九条の軍事戦略』(平凡社新書)
内田樹が「誰かがこういう本を書かなければならないと思っていたら松竹さんが書いてくれました」と推薦文を書いている、松竹伸幸著『憲法九条の軍事戦略』(平凡社新書、2013年4月15日初版発行)は、実に貴重な本。
著者は、九条を遵守した上での日本の軍事戦略が必要だ、という認識のもとで本書を書いている。なかなか意欲的な試みであり、本書では、なかなか知ることのできない日米安保体制の実態や、日本の安全性を脅かすさまざなな事実も明らかにされている。
「第五章 日米安保条約をどうするか」からの引用。
オスプレイ配備における日米の認識の違い
いまの日本は、九条の軍事戦略とは正反対の方向に進んでいる。オスプレイの配備は、その最たるものである。
アメリカにとっては、オスプレイの配備というのは、古くなった現行のヘリコプターを最新の軍用機に代えるというだけのものかもしれない。だが、グローバルに展開していう米軍にとってはその程度のものであっても、日本周辺という地域限定でみれば、オスプレイはきわめて重大な意味をもつ。
これまでの軍用ヘリコプターと比べて、速度も、積載重量も、航続距離も飛躍的に向上したオスプレイの配備によって、この地域におけるアメリカの抑止力は飛躍的に強まった。それがもたらしたのは、ただの量的な変化ではない。ヘリコプターと異なり、自力で適地に飛んでいって、兵員と武器・弾薬などを降ろすことも可能になったのである。オスプレイが日本全土で低空飛行訓練と実施することが問題になっているが、軍用機が低空で飛ぶのは、敵国のレーダーに探知されないで適地に到達することが目的である。
したがって、オスプレイの配備とは、中国にとってみれば、レーダー網をかいくぐり、自国の領土に展開する能力をもつ軍用機が新しく配備されたことになる。そして、それを日本が許可したということは、日本が中国への敵対度を増大させていることを意味するわけである。
アメリカにおいて、中国に対する重要な戦力として、オスプレイの存在は大きい。
中国は、約13億の国民を束ねる手段として、経済の次に軍事を手段としようとしているのだろうし、海に眠る海底油田などの資源に固執してもいるだろう。軍事力の示威行動は、今までになくあからさまになり、東アジアの緊張感を高めている責任の多くは中国側にあるのかもしれない。
中国が帝国主義への回帰の気配があり、東アジアが非常に危険な状態にあるのは事実だ。しかし、その彼らに一層軍備を拡張させる口実を、日本から与えることは避けるべきだ。
それでも、安保条約依存派は、「中国が攻めてきたら、アメリカが助けてくれる」などと“右からの平和ぼけ”になった発想をし、日米安保に依存することで“判断停止”病になっている。
同じオスプレイのことから、日米安保依存派が決して公言しない、あるいは知らない実態を紹介したい。
安保のもとでは自主的な判断ができない
日米安保条約が日本から自主的な判断を奪っていることは、さまざまな事例で論証できる。たとえば、オスプレイにかかわることで思い起こされるのは、98年2月、低空飛行訓練中の米軍機がイタリアで起こした事故をめぐる問題と、日本で米軍が事故を起こした場合との比較である。
このとき、米軍機はアルプスの山中を飛んでいて、スキー客を乗せたゴンドラを運ぶケーブルを切断した。20人の乗客が落下して死亡したのである。高速で飛行する戦闘機だから、太さがわずか6センチのケーブルがパイロットの目にみえたのは200メートル手前で、その距離を進むのに一秒しかかからない戦闘機は、回避動作をとることがでいなかったのである。
日本で米軍機が低空飛行訓練をするルートの下に、も、たくさんのスキー場がある。オスプレイは高速な性能を誇っている。人ごとではない。
イタリア政府は、このような事故が起こらないよう、自国で10本のルートを設定し、そのルート下にある障害物を明記した地図を作成して米軍に提供していた。事故の直前、飛行高度の制限を300メートルから600メートルに上げて、それを米軍に通知していた。ところが米軍は、その地図を使っていなかったし、飛行高度の変更をパイロットに伝えていなかったのである。他国の防衛のために駐留してやっているという自負のある米軍は他国の主権に無関心なのである。
ところが日本の場合、イタリアの事情とも比べられないほど、主権はさらに無視されている。そもそも日本にある七本の低空飛行訓練ルートは、日本政府が知らぬ間に米運が勝手に設定したものである。だから日本側は地図など作成しようがない。それどころか日本政府は、この程度の訓練なら(爆弾を落とすような訓練でないなら)、七本のルート以外のどこで訓練してもいいという態度だ。米軍機の飛行高度についても、日本側に決める権限はなく、アメリカが150メートルだとか60メートルだとかを決定し、日本に通告しているだけである。
重要部分を太字で再確認。
“日本にある七本の低空飛行訓練ルートは、日本政府が知らぬ間に米運が勝手に設定したものである。だから日本側は地図など作成しようがない。それどころか日本政府は、この程度の訓練なら(爆弾を落とすような訓練でないなら)、七本のルート以外のどこで訓練してもいいという態度だ。米軍機の飛行高度についても、日本側に決める権限はなく、アメリカが150メートルだとか60メートルだとかを決定し、日本に通告しているだけである”
安全性について国民が不安を抱いていたのに、その飛行ルートについての主体性を日本政府は持っていなかった。
その状況は、今回の一歩間違えば国民の犠牲を強いた墜落事故の後も変わらない。
政府は「安全性の確保を米軍に求める」と、今回も繰り返している。
しかし、それは嘘なのである。
なぜなら、今回の事故に関して、明確な原因追求とその問題への対処方法などの解答がないままに、再飛行を認めているではないか。
果たしてそんな政府に、国民の大事な生命、生活を委ねることなどできないことは明白だ。
沖縄は、いまだに戦争の犠牲を強いられている。
多くの県民が暮らす町の空を、いつまた落ちても不思議のない危険な武器が飛んでいる。
しかし、オスプレイ墜落の危険は、沖縄だけではない。
日本側の意向などを最初から無視した飛行ルートを今日も飛んでいるのだ。
今こそ、墜落事故という紛れもない事実を突きつけて、オスプレイの配備撤回につなげるべき時なのだ。
今回の事故を、大きな転換点とすべきだ。
トランプ新大統領がどう思おうかは、問題ではない。
逆に、トランプの大統領選挙中の言い分が変わらず、アジアの平和を守るためのアメリカの国費投入を削減しようとしているのが本当なら、「あんな危険なものは飛ばさないでくれ」と、安倍晋三は直接トランプに掛け合ってもいいではないか。
トランプも、公約を守る良い口実ができようと言うものだ。
しかし、もうアメリカは日本を守るどころではないのが実態だ。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
果たして、今の状況は、憲法に照らしてどうなのか。
日本は、一つの法治国家として、多くの国民の生命に危険を及ぼす空飛ぶ危険物体の存在を払拭すべきなのである。