防衛省は、大本営と同じだー東京新聞コラム「筆洗」より。
引用する。
東京新聞の該当コラム
筆洗
2017年2月9日
日米開戦から二年がたった一九四三年十二月八日、大本営は戦果を発表した。二年間で米英の戦艦十八隻、空母二十六隻を撃沈、日本軍の損害は戦艦一隻に空母二隻。連戦連勝を思わせる戦果である▼では実際のところはどうだったのか。近現代史研究家の辻田真佐憲(まさのり)さんの『大本営発表』(幻冬舎)によると、米英軍の損失は戦艦四隻、空母六隻。対する日本軍は戦艦三隻、空母七隻を失っていた▼数字の操作だけではない。大本営は「全滅」を「玉砕」と言い、「撤退」を「転進」と言い換えた。情報を軽んじ、都合のいいように変える。それが、どんな悲劇をこの国にもたらしたか。現代史の常識なのだが、どうもそういう歴史に疎いのだろう▼国連の平和維持活動に陸上自衛隊が参加している南スーダンで昨夏、何が起きていたのか。防衛相らは「戦闘行為は発生していない」と言っていた▼しかし、二百人もが命を落とした緊迫した日々を、現地の陸自部隊は、「戦闘」という言葉を何度も使って日報に記録していた。この大切な日報を防衛省は「廃棄した」と説明していたのだが、追及されると、「実は、ありました」▼辻田さんの著書によると、大本営は、偽りの真実に自ら縛られていったという。そうして、非現実的な策が現場に押し付けられていった。そんな自縄自縛の罠(わな)が、防衛相には見えていないのだろうか。
結局公開された日報には、生々しい「戦闘」そして「戦争」が刻まれていた。
時事新報サイト「JIJI.COM」から引用する。
時事新報「JIJI.COM」の該当記事
突発的戦闘やPKO停止も=南スーダン派遣部隊の日報公開-政府説明とずれ・防衛省
防衛省は7日、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊部隊が昨年7月に作成した日報などを公開した。同国の首都ジュバでは同月、大規模な武力衝突が発生しており、日報には「激しい銃撃戦」「突発的な戦闘への巻き込まれに注意」などという記載のほか、「国連活動の停止」もあり得るとの指摘もあった。
「戦闘」という表記が複数あり、これまで政府が否定してきた「戦闘行為」が起きていたことを裏付ける内容。当初は日報を破棄したと説明していた同省の姿勢が厳しく問われることになりそうだ。
公開された文書は、現地部隊が作成した昨年7月11~12日付の日報と、日報に基づき陸自中央即応集団が作成した「モーニングレポート」。
日報には、同月11日午後、ジュバ市内の宿営地周辺で「激しい銃撃戦」や「砲弾落下」があったなどと記載。「(大統領派と前副大統領派)両勢力による戦闘が確認されている」と明記し、「宿営地周辺における流れ弾や突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要」としていた。
さらに、今後想定されるシナリオとして「ジュバでの衝突激化に伴う国連活動の停止」とあり、PKO活動が停止する可能性も指摘していた。
政府はこれまで、300人超が死亡したとされる昨年7月の武力衝突について、「武器を使っての殺傷や物を破壊する行為はあった」としながらも、「戦闘行為ではなかった」と説明。菅義偉官房長官は7日の会見で「文書を隠蔽(いんぺい)する意図は全くなかった」述べた。(2017/02/07-22:34)
政府が、「武器を使っての殺傷や物を破壊する行為はあった」としながらも、「戦闘行為ではなかった」という苦しい弁明こそが、「隠蔽」しようとした確信犯であることを物語る。
まさに、大本営の姿と変わらない。
朝日の今日の社説に、昨年の安倍晋三の嘘や、稲田防衛相の発言を含め掲載されている。
朝日新聞の該当社説
一部、太字にする。
社説
PKO日報 国民に隠された「戦闘」
2017年2月9日(木)付
これまでの政府の説明は何だったのか。現場とのあまりの落差にあぜんとする。
昨年7月の南スーダンの状況を記録した、国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報などの文書を防衛省が公表した。
この当時、政府軍と反政府勢力の大規模な戦闘が起きた。文書には、部隊が派遣された首都ジュバの、生々しい状況が記録されている。
「宿営地5、6時方向で激しい銃撃戦」「戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘」。事態が悪化すれば、PKOが継続不能になる可能性にも言及している。
こうした状況について、政府はどう説明していたか。
昨年7月12日、当時の中谷元防衛相は「散発的に発砲事案が生じている」と述べた。安倍首相は10月に「戦闘行為ではなかった。衝突、いわば勢力と勢力がぶつかったという表現を使っている」と国会答弁した。
ジュバの状況を、政府はなぜ「戦闘」と認めないのか。
稲田防衛相はきのうの衆院予算委員会でこう説明した。
「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」
政府は「戦闘行為」について「国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺傷し、または物を破壊する行為」と定義する。こうした「戦闘」が起きていると認めれば、憲法やPKO参加5原則に抵触し、自衛隊はPKOからの撤退を迫られる。
稲田氏は「国際的な武力紛争の一環とは評価できない」とするが、派遣継続ありきで「戦闘」と認めないとも取れる。
「戦闘」が記された文書は、昨年9月に情報公開請求され、防衛省は文書を「廃棄した」として不開示とした。ところが、自民党の河野太郎衆院議員に再調査を求められ、範囲を広げて調べ直すと別の部署で見つかったとして一転、公開された。
この間、政府は10月に南スーダンPKOの派遣を延長し、11月以降、安全保障関連法に基づく「駆けつけ警護」が初めて付与された部隊が出発した。
こうした政府の決定は結果として、国民にも、国会にも重要な判断材料を隠したままで行われた。駆けつけ警護の付与、さらにはPKO派遣継続自体の正当性が疑われる事態だ。
そもそも、このような重要な記録を「廃棄した」で済ませていいはずがない。不都合な文書を恣意(しい)的に隠したと疑われても仕方がない。安倍政権は厳しく襟を正すべきだ。
稲田の、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている、という発言は、戦地と認めれば国民を派遣できないので嘘をついている、ということを自供しているようなものだ。
PKOは、弾の届かない安全な地帯への派遣である、などという嘘は、もはや通じない。
自国のためといえども、日本は戦争を放棄したはずだ。
それなのに、海外の戦地に、なぜ日本国民が生命の危険を賭して行かねばならないのか。
自衛隊員、そして家族の皆さんも、当事者として発言して欲しい。
戦争はまっぴらだ、と。