幸兵衛の小言



愛国的自由至上主義者ー「内田樹の研究室」より。

 昨日の「内田樹の研究室」は、あるメディアに掲載された「相模原事件」に関する記事。
 「愛国的リバタリアン」について興味深い内容だったので、紹介したい。
 「リバタリアン」は、「自由至上主義者」と言ってよいだろう。太字は管理人による。
「内田樹の研究室」該当記事

「愛国的リバタリアン」という怪物

金滿里さんが主宰する劇団「態変」の出している『イマージュ』という媒体が「相模原事件」を特集した。そこに事件についてのコメントを寄稿した。なかなか手に取ることのない媒体なので、ブログに採録しておく。

相模原の大量殺人事件のもたらした最大の衝撃は、植松聖容疑者が事前に安倍晋三首相宛てと大島理森衆院議長宛てに犯行を予告する内容の書簡を届けていたことにある。それは単に権力者を挑発するための犯行予告ではなく、自分の行為が政権と国会多数派には「好ましい」ものとして受け止められ、権力からの同意と保護を得られるだろうという期待をこめたものだった。逮捕後も容疑者は「権力者に守られているので、自分は死刑にはならない」という趣旨の発言をしている。
もちろん、これは容疑者の妄想に過ぎない。けれども、何の現実的根拠もない妄想ではない。彼の妄想形成を強化するような現実が今の日本社会内部にはたしかに存在しているからである。
アナウンサーの長谷川豊は事件の直後の2016年9月に自身のブログに「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」というタイトルの記事を投稿した。これには批判が殺到し、専門医からも事実誤認が指摘されたが、この人物を日本維新の会は千葉一区から衆院の立候補者として擁立するということが先日発表された。
重篤な病人や障害者に対する公然たる差別発言にはまだ一定の社会的な規制が働いており、有名人の場合には、それなりの批判を受けて、社会的制裁が課されているが、在日コリアン、生活保護受給者やLGBTなどの社会的弱者に対する差別や攻撃の発言はほとんど何のペナルティもないままに垂れ流しされている。
際立つのが片山さつき議員で、生活保護受給者は「実質年収4百万円」の生活をしているという無根拠な都市伝説の流布に加担して、生活保護叩き発言を繰り返してきたが、最近も捏造投稿に基づいてNHKのニュース内容にクレームをつけて、生活保護受給者が社会福祉の「フリーライダー」だという世論の喚起に励んでいる。もちろん、本人がそう「信じている」という信憑の問題もあるのだろうが、「そういうこと」を公言すると選挙で票が集まるという現実的な打算も同時に働いているはずである。

 相模原事件の犯人、長谷川豊、片山さつきに共通するのは、「愛国的自由至上主義者」としての差別意識だ。
 もちろん、安倍晋三にも当てはまるわけで、自分たちと同じでない者は、彼らにとっては邪魔でしかない。

 引用を続ける。
これはおそらく全世界的な傾向である。社会的弱者たちは、自己責任で弱者になったわけであり、いわばそういう生き方を選択したのだから、政府や自治体が、公金を投じて彼らを支援することは「フェアではない」というロジックは目新しいものではない。これはアメリカ社会においては「リバタリアニズム(libertarianism)」というかたちで、建国当初からつねに伏流していた考え方である。アメリカが世界に冠絶する覇権国家となり、その国の作法や価値観が「グローバル化」したことによって、アメリカ的な「リバタリアニズム」もまたグローバル化したということだと私は理解している。

 「自由至上主義」や「自由競争至上主義」は、「自由」という言葉の糖衣を被ってはいるが、その考えに同調しない側を差別する実に乱暴で危険な考え方である。
 歴史の浅いアメリカという国は、多民族国家という要因もあって、国の発展のために「自由」「競争」を標榜せざるを得なかったかもしれない。
 しかし、それは「グローバル化」すべき手本でもなんでもない。

 安倍政権は、第一次の時から、とにかく「グローバル化」という名の「アメリカ化」を進めてきたが、では、なぜ「愛国」と「自由至上主義」が、同居することになったのか。

 締めにつながる部分を引用。
日本的リバタリアンは「排外主義」的イデオロギーを装飾的に身にまとう。そして、貧乏人も、病人も、障害者も、生活保護受給者も、みな本質的には「外国人」であるという摩訶不思議な理説を噛ませることで、話のつじつまを合わせようとするのである。
相模原事件の植松容疑者はその意味では障害者支援をめぐる問題の本質をよく見抜いていたというべきだろうと思う。彼自身は生活保護の受給者であったが、その事実は「わずかな賃金を得るために、他人に顎で使われて、自分の貴重な人生を空費したくない」という彼のリバタリアン的な気質と齟齬するものではなかった。けれども、自分以外の生活保護受給者や障害者は彼の目には許し難い社会的寄生者に見えた。この矛盾を彼はどう解決したのだろうか。自分には公的支援を受けることを許すが、他人には許さないという身勝手な識別を可能にする境界線として最終的に彼が思いついたのは「私は日本人として日本の国益を優先的に配慮しているが、彼らはしていない」という「日本人/非日本人」スキームであった。
だから、植松容疑者がこれは「日本のために」したのだとか、「社会が賛同するはずだった」とかいう自己弁明を繰り返し、「国益を害するものたち」を「処分」する「官許」を首相や衆院議長に申請したことには論理的には必然性があったのである。彼は自分が「愛国的リバタリアン」という政治的奇形物であり、現在の日本の政界の指導者たちの多くが程度の差はあれ自分の「同類」だと直感していたのである。
 相模原事件を、容疑者個人の問題として片付けることはできない。

 この国に「愛国的自由至上主義」を助長する状況があることこそが、大きな問題であり、あの事件の遠因なのである。

 安倍晋三、長谷川豊、片山さつきは、相模原事件の容疑者をきっと非難するだろう。

 しかし、彼は「国のために、税金のフリーライダー(ただ乗り)達を始末してやったんだ」と思っている。

 本来、国が守るべき弱者の国民を差別する愛国的自由至上主義者の発言や行動が、あの犯罪の引き金になっているのだ。

 安倍政権が、白を黒、ある物をない物にしてしまうのは、リバタリアンの差別意識が根底にあるからだ。

 心の中に、共謀罪や憲法改正(改悪)に反対する国民を馬鹿にし、そして自分たちの仲間以外を差別する意識があるからなのだ。

 「愛国的自由主義者」にとっては、都合の悪いものは消せばいいのであって、それは、確実に戦争につながる悪魔の発想である。


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by koubeinokogoto | 2017-06-13 12:47 | 市場原理主義、新自由主義に反対! | Comments(0)
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