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カテゴリ:今週の一冊、あるいは二冊( 2 )


 昨夜は、テレビ朝日で昨年制作の映画「日本のいちばん長い日」を観た。

 1967年版は、劇場で観た。

 映画の出来栄えとしては、1967年版に軍配を上げる。

 観た環境の違いもあるのだが、やはり、役者の違いが大きい。
 
 阿南陸軍大臣 1967年 三船敏郎 1995年 役所広司
 畑中健二少佐 1967年 黒沢年男 1995年 松坂桃李

 1967年版における黒沢年男の演技は、彼の最高傑作ではないかと私は思っている。
 狂気が伝わった。
 比較するのは松坂には酷かな。
 それは、役所と三船にも言えるだろう。
 山本五十六でもそう感じたのだが、役所は、どんな人間を演じても、ただの“良い人”になってしまうような気がする。

 私が狂気を十分に感じた黒沢の演技を観た畑中健二の故郷園部の人々は、畑中はもっと温厚な性格で、黒沢が描く畑中は本当の畑中ではない、と抗議があったらしい。

 この影響が1995年版の松坂の演技に影響しているようなのだ。

 あの日の畑中の実態は、分からない。

 しかし、普通の人、あるいは好人物に、今となってはどうしても狂気としか思えない、あるいは異常としか見えない行動や発言をさせたり、文章を書かせたりするのが戦争の一面なのであろうということを、畑中に関する映画の逸話は考えさせる。

 
 71年前の8月15日、その一日だけでも確かにさまざまなドラマがあったとは思うが、戦争は、もっと長く人々の心身を疲弊させていた。


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ドナルド・キーン著『日本人の戦争』

 ドナルド・キーンの『日本人の戦争ー作家の日記を読むー』は、初出が「文学界」の2009年二月号で、その年の七月に単行本が発行され、私が呼んだ文春文庫版は2011年の12月発行。

 本当は、高見順、永井荷風、山田風太郎など、本書で扱っている日記そのものを読むべきなのだろうが、それぞれ、決して生半可な文章量ではない。

 つい、ドナルド・キーンの労作に頼ってしまった次第だ。

 まず、序章から引用。
 わたしが日記に興味を持ち始めたのは太平洋戦争のさなかで、(アメリカ海軍の情報将校としての)三年間の主な仕事は、押収された文書を読むことだった。その中に、日本の兵士や水平の日記があった。おそらく最後の一行を書いた後に太平洋の環礁の上か海の中で死んだに違いない人々の苦難を綴った感動的な日記を読んで、わたしはどんな学術書や一般書を読んだ時よりも日本人に近づいたおいう気がした。
 この本に登場する作家の中で伊藤整、高見順とわたしはかなり親しかったし、永井荷風と平林たい子には短時間だが会ったことがある。山田風太郎には会ったことがないが、同じ年に生まれて同じ本をたくさん読んでいることで、二人の間には絆のようなものを感じた。知り合っておけばよかったと思うのは渡辺一夫で、これは東大仏文科の学生たちに数世代にわたって崇拝された学者である。

 ドナルド・キーンが会ったことがないが、同じ年に生まれて同じ本をたくさん読んでいることで、親近感を持っていた山田風太郎は、戦争当時は、まだ作家デビューをしていない一医学生の、山田誠也青年だ。
 
 旧制高校の受験に失敗し家出同然で上京した山田誠也は、肋膜炎の影響で徴兵検査は丙種合格で入隊することはなかった。
 昭和19(1944)年、22歳だった彼は旧制東京医学専門学校(後の東京医科大学)に合格して医学生となった。
 昭和20(1945)年5月の空襲で焼け出され山形に避難、その後は学校ごと長野県の飯田に疎開。
 敗戦の前日には異常な精神状態となったと伝えられている。

 8月15日、玉音放送があることを知った時を回想した山田の日記を引用する。
 
 その朝、友人から天皇が放送することを聞いた山田風太郎は、次のように書いている。

   その刹那、「降伏?」という考えが僕の胸をひらめき過ぎた。しかしすぐに
  烈しく打ち消した。日本はこの通り静かだ。空さえあんなに美しくかがやいて
  いるではないか。
  だから丸山国民学校の教場で、広田教授の皮膚科の講義をきいている間に、
  「休戦?
   降伏?
   宣戦布告?」
   と、三つの単語を並べた紙片がそっと回って来たときには躊躇なく
  「宣戦布告」の上に円印をつけた。(中略)
   これは大変なことだ。開闢以来のことだ。そう思うと同時に、これは
  いよいよソ連に対する宣戦の大詔であると確信した。いまや米英との激闘惨烈を
  極める上に、新しく強大ソ連をも敵に迎えるのである。まさに表現を絶する国難
  であり、これより国民の耐ゆべき苦痛は今までに百倍するであろう。このときに
  当って陛下自ら国民に一層の努力を命じられるのは決して意外の珍事ではない。
 「最後の一兵まで戦え」
  陛下のこのお言葉あれば、まさに全日本人は歓喜の叫びを発しつつ、その通り
  最後の一兵まで戦うであろう。

 山田は、「教授も学生もことごとくソビエトに対する宣戦の大詔だと信じて疑わなかったのである」と付け加えている。

 山田風太郎の「戦中派不戦日記」からの引用だ。
 
 「日本のいちばん長い日」で、陸軍軍人が「2000万人が玉砕すれば日本の国体は護持される」と語るのを聞いて、あれは軍人だから、と特別視しては、戦争を見誤るのだろう。
 
 多くの国民が、いわば、“狂気”の中にいたのだ。

 しかし、その狂気から脱したい、と願う心情を日記に吐露していた作家のことを本書から引用する。
 八月十日、各新聞がソ連の宣戦布告を伝えた後のことだ。

 夕方、高見が鎌倉文庫に行くと、ついさっき中年の客が文庫に来て、御前会議で政府は休戦の申し入れをすることに決定したそうだ、と言ったという。

   あんなに戦争終結を望んでいたのに、いざとなると、なんだかポカンと
  した気持だった。どんなに嬉しいだろうとかねて思っていたのに、別に
  沸き立つ感情はなかった。その中年の客の言葉というのを、信用しない
  からだろうか。ーでも、おっつけ、戦争は終結するのだ。惨めな敗戦で
  終結ーというので、心が沈んでいるのだろうか。

 ラジオでは、阿南惟幾陸軍大臣が徹底抗戦を宣言したと報じたという。「そういう場合は、みんな駆り出されて、死ぬのである。国も人民も、滅びるのである」と、高見は書いている。
 そのあと、文庫から家に帰る電車の車中の様子が日記に出てくる。

   車中でも歩廊でも、人々はみな平静である。真に平静なのか。それとも、
  どうともなれといった自棄なのか。戦争の成行について多少なりとも絶望的
  なのは確かだ。
   ソ連の宣戦について誰ひとり話をしている者はない。興奮している者は
  ない。驚嘆している者はない。憤激している者はない。
   だが、人に聞かれる心配のない家のなかでは、大いに話しあっているの
  だろう。私たちが第一そうだ。外では話をしない。下手なことをうっかり
  喋って、検挙されたりしたら大変だ。その顧慮から黙っている。全く恐怖
  政治だ。(中略)そういう沈黙だとすると、これでは戦いには勝てない。
  こういう状態に人々を追いやったのは誰か。

 八月十一日の読売、毎日両紙ともトップは皇太子の写真を掲げ、皇太子の美徳を称えている。また情報局総裁が、政府が国体護持の決意を表明したことを伝えている。

 高見順が日記に書いた、“こういう状態に人々を追いやったのは誰か”ということを、敗戦後71年の今、あらためて問い直すべきだろう。

 「国のために死ぬのが国民」と言って憚らない人物が、防衛大臣になったのである。

 この本から、まだまだ引用したい内容がある。
 少しづつ、紹介するつもりだ。


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 アメリカ大統領選、民主党はアイオワ州でクリントンとサンダースが、ほぼ同数の支持を得て、引き分けと言うべき結果だったが、次のニューハンプシャー州の世論調査では、ミレニアル世代を中心とする若者の支持を得るサンダースが、圧倒的な優位にあるようだ。

 TBS Newsから引用。
TBS Newsサイトの該当記事

 アメリカ大統領選挙の予備選挙が9日、ニューハンプシャー州で行われますが、最新の世論調査で、民主党はサンダース氏がクリントン氏にダブルスコアまでリードを広げていることが分かりました。

 CNNテレビなどがニューハンプシャー州で4日までに行った世論調査では、民主党は、サンダース氏が61%でクリントン氏の30%を大きくリードしていて、その差は、アイオワ州の党員集会の前より広がっています。初戦を僅差で制したクリントン氏にとっては厳しい戦いになっています。

 一方の共和党は不動産王のトランプ氏が29%とトップ。また、アイオワの党員集会で3位と健闘したルビオ上院議員が18%で2位に浮上し、アイオワでトップだったクルーズ上院議員は13%で3位となっています。

 ルビオ氏が初戦に続いてニューハンプシャー州でも健闘すれば、共和党の指名候補争いはトランプ氏とクルーズ氏、そしてルビオ氏の三つ巴の戦いになりそうです。(05日09:27)


 共和党も気になるが、なぜ、サンダース候補が、これほど若者の支持を集めるか、ということについて、ある本を元に考えたい。

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ジェレミー・リフキン著『限界費用ゼロ社会』

 『限界費用ゼロ社会』は昨年10月にNHK出版から発行された。
 著者ジェレミー・リフキンは、文明評論家で経済動向財団代表でもある。欧州委員会やドイツのメルケル首相のアドバイザーとしても知られる。
 この本の副題は、<モノのインターネット>と共有型経済の台頭、となっている。
 <モノのインターネット>とは、昨今よく見かける<IoT>の日本語訳だ。

 一見、ハイテク関連書、という印象を与えるが、実は、優れた文明批評の本でもある。
 
 一貫して語られるのは、テクノロジーの進展による、コミュニケーション/エネルギー/輸送の各ネットワークが統合されていくことで、限界費用(一単位分生産を増やすために必要な費用)がほぼゼロに近づくことで、従来の資本主義、物質主義、中央集中型の経済は、変革の時を迎えている、ということだ。

 そして、物質を「所有」することに価値を見出していた過去の世界は終焉を迎え、お互いが「共感」し、モノを「共有」することに価値を見出す、協働型コモンズの時代になる、と主張する。それは、著者の希望でもあると言えるのだが、そのあるべき未来の担い手として、著者はミレニアル世代(1980年から2000年あたりまでに生まれた若者たち)に熱い期待の視線を向ける。

 なぜ、若者は八十歳を超える、社会主義者と自ら名乗るサンダースを支持するのか、そのヒントが本書にある。

 少し引用する。
 まず、IoTの土台となるインターネットについて、著者は次のように語る。
□インターネットを所有しているのは誰か?実際の答えは、誰もが、であり、誰でもない、でもある。
□大企業によって形成される有形なネットワーク(インターネット・バックボーン)は存在するものの、これらの企業は単なるプロバイダーや仲介役にすぎない。
□これとは別に、インターネット空間に存在し、コンテンツをコーディネートしているウェブ会社や非営利のウェブ団体も存在する。とはいえインターネット自体はバーチャルな公共の場で、インターネット接続料さえ払えばだれでも中に入って会話に加われるインターネットは、人々が焦がれてやまないこの領域に、すでに27億人を引き込んだ。

 二十年前のことを考えると、インターネットによるアクセスや情報収集のコストは、まさに限界費用がほぼゼロに近い、ということは理解できると思う。

 IoTの進展により、まさに第三次産業革命が起こりつつある、と著者は主張する。

 その結果招来するのは、過去の中央集中的な資本主義的、物質至上主義的なものではなく、分散型で水平的で、あらゆるモノとあらゆる人がつながりを持つ世界である、と説く。
 そういった近未来では、モノを持つことより、いかに共有し、共感するかが重要になるという。

 そういった次世代での「あるべき世界の姿」が、「協働型コモンズ」であると訴求する。

 コモンズとは、共有の牧草地、を元来は意味する。
 協働型コモンズとは、本書の意味合いから言うならば、非営利的な、参加者による「共有」「共感」を土台とする世界であり、それはネットワーク上にも、また実態社会にも存在し得る。
 
 なぜ、コモンズが今になってあらためて着目されているか、本書から紹介する。
□コモンズを社会の統治モデルとして復活させることへの関心が高まったのはなぜなのだろうか?簡単な答えなどないが、関連する要因をいくつか示そう。
□自由市場を支持する経済学者やビジネスリーダー、新自由主義の知識人、そしてアメリカのビル・クリントン大統領やイギリスのトニー・ブレア首相のような進歩主義の政治家は、たいていの場合、市場を経済発展にとっての唯一のカギとして描き出したり、自分たちに批判的な者は時代遅れで実態を把握していないとこき下ろしたり、果てはソ連型の大きな政府擁護論者として酷評したりして、主張を通すことができた。
□最終的には、自由主義イデオロギーが勝利した。だが間もなく、多様な立場の人々が一息ついて現状を顧みるようになり、認識し始めた-富を生み出す地上の資産のほとんどを民間部門が奪い、大きな口を開けて一瞬にして丸呑みして自身の脂肪や筋肉に変え、自らの優位性に対するどんな挑戦も蹴散らすほどの威力を持つに至ったことを。
□政府は骨抜きにされ、民間市場にまともに対抗できる勢力を提供できることがもはやできないため、悪影響を被った人々は、彼らの関心や感性をもっと適切に反映する統治モデルを探しにかかった。
□官僚的な政府による管理と、操作巧みで締まり屋の巨大な民間部門という両極端に対して人々は幻滅し、経済生活を構成するもっと民主的で協働型の方法を見込めるような統治モデルを探し始めたのだ。そして彼らはコモンズを再発見した。

 本書では、コモンズ研究での画期的な業績として、女性で初めてノーベル賞経済学賞を受賞した、エリノア・オストロムのことを紹介している。

□オストロムは骨の髄まで経済学者だったが、人類学者の役目を担うことに微塵のためらいもなかった。
□彼女は、効果的な統治モデルの根底にある原理をみつけるために、スイスのアルプスの山村から日本の村に至るまで、コモンズの管理体制を調べた。彼女はこの研究所の冒頭で、自分の調べたコモンズ組織の多くが、長い歴史において、(彼女の言葉を借りると)「旱魃、洪水、戦争、疫病、経済や政治の大変動などを生き延びてきた」ことを説明するのに心を砕いた。
□そして、コモンズは非常に優れた統治組織であり、しだいにつながりを深めるグローバルな世界で人類が直面する、環境、経済、社会の諸問題や好機の点から再考に値することをこれまでの実績が示している事実を、議論の余地のないまでに明白にした。

 本書から紹介したいことはたくさんあるが、少し章を飛ばして、ミレニアル世代を中心とする若者に関するいくつかの調査結果を紹介する部分を引用する。

□物質主義的行動と、共感という動因の抑圧もしくは消失に密接な相互関係があることは、さまざまな調査によって繰り返し示されている。
□冷淡で自分勝手、サディスティックで思いやりに欠ける親の元で育ったり、精神的虐待や体罰を受けたりした子供たちは、長じて攻撃的になって人を利用したり、逆に殻に閉じこもって孤立したりする場合が多い。
□そうした子供の共感の働きは抑え込まれ、恐れや不信、見捨てられたという感覚に取って代わられる。
□対照的に、愛情深く、相手に敏感に反応しながら幼児を養育でき、自我の発達を促す安全な環境を子供に提供できる親は、共感性の開花に欠かせない社会的信頼感を伸ばしてやれる。
□ミレニアル世代は「同じ集団に属する他の人々に共感を抱き、相手の立場を理解しようとする傾向がはるかに強い」という。
□さまざまな調査の結果は、ミレニアル世代のほうが、自分の属する仲間集団の他者の意見にも同じ重みづけをし、協働した物事に取り組むことを好み、全体のコンセンサスが得られるよう努力する傾向にあることを示している。こうした行動にはみな、共感的な心配りが求められる。
□2013年12月「ニューヨーク・タイムズ」紙はその「サンデーレビュー」欄に、研究者たちによる新たな発見を報じるトップ記事を掲載した。
 記事によれば、大景気後退とグローバル経済の停滞により深刻な影響を受けたミレニアル世代の精神面での優先事項が、物質的な成功から有意義な人生を送ることに移行し始めているという。職業諮問委員会の委託により作成された報告では、21~31歳のミレニアル世代の間では、大金を稼ぐよりも有意義なキャリアを築くほうが優先されることが判明した

 ツイッターやLINEなどをやらない私のような還暦過ぎの人間は、ややもすれば、徒党を組みたがる、群れたがる、いつも誰かと「つながっていたい」という若者の心情や行動を批判的な目で見ることがある。
 
 「なんと軟弱な!?」
 「一人で考えられんのか!?」
 「つぶやいてばかりで、どうする!?」

 電車に中で、こんなことを思うことも、たびたびだ。

 しかし、彼らは物心ついた時に、2008年の大景気後退を迎えた。

 彼らは、実体験として、高度成長期の時代ではないことを知っている。

 父母や祖父母の時代のように、物質の所有欲が強く、それが出世欲につながった精神構造は、彼らには無縁だ。
 それよりも、仲間とつながること、カーシェアリングなどへの強い参加意向に見られるように、モノを「共有」することへの強い意識や、「共感」することへの高い価値観がある。

 このままでは、化石燃料が枯渇することへの危惧も強い。

 相手への気配りは、アメリカで顕著なように、マイノリティへの同情になり、自分の所得を増やすことより、仲間の貧困者への思いやりが優先する。

 サンダースを多くの若者が強く支持するのは、まさに、彼ら若者が今日の諸問題の原因と考える資本主義的な日常から、社会主義的な未来への変革に希望を託す思いが、間違いなく背景にあるのだろう。

 それは、日本においては、SEALDsに代表される若者たちの心情と相共通するものだ。

 本書の特別章「岐路に立つ日本」では、ドイツとの比較することで、次のように書かれている。

□日本は、老朽化しつつある原子力産業を断固として復活させる決意でいる堅固な業界と、日本経済を方向転換させて、スマートでグリーンなIoT時代への移行によってもたらされる厖大な数の新たな機会を捉えようとする、新しいデジタル企業や業界との板挟みになってもがいている。
□日本は今、歴史上の岐路に立たされている。
□もし日本が、汚染の根源、すなわち持続不可能な20世紀のビジネスモデルの特徴である、古いコミュニケーション・テクノロジーやエネルギー様式、輸送/ロジスティクスから抜け出せなければ、その将来は暗い。
□だが、日本がもし時と移さず起業家の才を発揮し、エンジニアリングの専門技術を動員し、それに劣らず潤沢な文化的資産-効率性向上への情熱や非常に高い未来志向の活力を含む-を活かせれば、限界費用ゼロ社会と、より平等主義的で豊かで、生態学的に持続可能な時代へと、世界と導くことに十分貢献できるだろう。
 著者の日本の技術に対する評価は高い。
 ドイツのメルケル首相は2005年就任後に著者を呼び、話を聞いた。
 彼は、IoTの進展による第三次産業革命による近未来の姿、そして、彼の希望する世界像を説明した。

 メルケルは、どう反応したのか。
 会見を終えるにあたって、首相はこう言った
「ミスター・リフキン、私はドイツのために、この第三次産業革命を実現させたいです」。
 私が理由を訊くと、第三次産業革命のインフラは分散型・水平展開型なので、自国の政治地理に打ってつけだからという。

 もちろん、経済を最優先に念頭に置いて、メルケルは判断したのだろう。
 しかし大事なことは、彼女は、長期的なエネルギー政策を含め、未来を見通すだけの聡明さを持ち合わせていたのだ。
 今の日本の内閣には、残念ながらメルケルのような将来を展望できる人材は皆無だろう。
 しかし、希望はある。
 サンダースを支持する若者に共感できる日本の若者は少なくない。

 リフキンの主張を踏まえれば、アメリカ大統領選でのサンダース支持は、決して一過性のものではない。

 私は、アメリカ大統領選の行方に注目し、若者の思いが結果につながることを期待している。
 もちろん、日本の若者への希望もある。
 すでに「共有」「共感」の時代への助走は始まっており、その担い手は、若者なのだから。

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