幸兵衛の小言

koubeinoko.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:原発はいらない( 278 )

肥田舜太郎の訃報を目にした。
 毎日新聞から引用。
毎日新聞の該当記事

肥田舜太郎さん100歳=広島原爆で被爆の医師
毎日新聞2017年3月20日 20時49分(最終更新 3月20日 22時10分)

 広島原爆で被爆し、医師として被爆者医療に尽力した肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)さんが20日、肺炎のため亡くなった。100歳。葬儀は26日午前10時半、さいたま市浦和区瀬ケ崎3の16の10のさがみ典礼北浦和葬斎センターで営まれる。喪主は元全日本民医連会長の長男泰(ゆたか)さん。

 軍医として広島陸軍病院在勤中の1945年8月6日に被爆し、直後から被災者救護にあたった。戦後、東京や埼玉で低所得者向けの診療所を開設し被爆者を診察。30年にわたって日本被団協原爆被爆者中央相談所(既に解散)の理事長を務め、全国の被爆者への医療相談に取り組んだ。医師の立場から原爆被害の実態を伝えるため、欧米など海外約30カ国も訪問。各国の反核団体と連携して核兵器廃絶を訴えた。

 2000年代の原爆症認定集団訴訟では証人として出廷し、長年の臨床経験と海外の文献研究を基に証言。原爆投下後に広島・長崎に入った「入市被爆者」が、飛散した放射性物質を呼吸や飲食で体内に摂取し、「内部被ばく」を起こしてがんなどの原因になったと訴えた。国の認定手法の問題点を突き、原告勝訴の判決を引き出す力になった。

 09年に医療の第一線から退いた後も、各地で精力的に講演活動を展開。毎日新聞が06年から続けている記録報道「ヒバクシャ」でも反核や平和への思いを語っていた。

 百歳での大往生。

 その長寿を天が肥田さんに与えたのは、原爆の悲惨さ、内部被曝の実態を世に知らしめるという仕事をしてもらうためではなかっただろうか。

 肥田さんは、まさに、「被爆」と「被曝」の恐怖を伝えてきた“語り部”と言えるだろう。

e0337777_14221789.jpg

肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』

 肥田舜太郎さんと鎌仲ひとみさんの共著『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』から、あらためて引用したい。

 本書は2005年に刊行されたものだが、私は3.11の後で読み、何度か拙ブログで紹介している。

 肥田さんが執筆担当の「第2章 爆心地からもういちど考える」より。

 ここでは被曝から60年後の時点での状況が書かれているが、さて、どれほど事態は改善されているのか、大いに疑問だ。

 引用文の最期の部分で、肥田さんは、国の対応を「差別」と糾弾する。
2000年代の被ばく者 
 中級の建設会社の社長で根っからの酒好き、じっとしていることが嫌いでいつも忙しく何か活動しているという友人がいる。定年で会社を退いてから町内会の役員を引き受けて、祭りの準備から消毒の世話まで目まぐるしく動きまわっているうちに、健康診断で血小板減少を指摘された。
 気になることがあって無理やり精密検査をすすめたところ、骨髄異型性症候群という厄介な病気のあることが分かった。専門学校時代、原爆投下の広島に何日かたって入市したと聞いたことを思い出し、確かめたところ1945年の8月9日に五人の級友と海軍のトラックで広島に入市し、海田市からは徒歩で千田町の県立広島工業学校まで行き、誰もいない崩れた校舎に入って散乱している機械器具を片付けたり防水布を掛けたり、三時間くらい作業をした。近辺は学校ばかりが集まっている地域で人は一人も見かけず、日が暮れたので呉へ帰ったという。
 彼らは1944年秋から呉の海軍施設に勤労動員で派遣されていたのである。明らかに入市被ばく者なので、早速、被ばく者健康手帳交付の申請を勧めたが、億劫なのか、なかなか手続きをしないでいるうち、今度は大腸癌が見つかって入院手術となり、観念して手帳を申請、証人の依頼に手間取って、数カ月かかってやっと広島の被ばく者と認められた。
 現在、血色素の一定数を目安に輸血を繰り返しているが治癒の見込みはなかなかむずかしい。厚生大臣の認める認定患者認定を申請したが四月末、永眠した。

被ばく者の六十年 
 2005年の今年、生き残っている約二十七万人の被ばく者の多くは二つ、三つの病気を持ちながら、様々な不安や悩みを抱えて生き続けている。
 彼らの多くは被ばくの前は病気を知らず、健康優良児として表彰までされたのが、被ばく後はからだがすっかり変わり、病気がちで思うように働けず、少し動くとからだがだるくて根気が続かずに仕事を休みがちになった。医師に相談していろいろ検査を受けても、どこも異常がないと診断され、当時、よく使われたぶらぶら病の状態が続き、仲間や家族からは怠け者というレッテルを貼られたつらい記憶を持つものが少なくない。事実、「からだがこんなになったのは原爆のせい」とひそかに思いながら被ばく事実を隠し続け、誰からも理解されずに社会の底辺で不本意な人生を歩いた被ばく者を私は何人も診ている。

占領米軍による被ばく者の敵視と差別 
 被ばく者は敗戦直後から米占領軍総司令官の命令で広島・長崎で見、聞き、体験した被ばくの実相を語ること、書くことの一切を禁止された。違反者を取り締まるため、日本の警察に言動を監視された経験のある被ばく者は少なくない。また、1956年に日本核団協(各都道府県にある被ばく者の団体の協議会)が結成された前後は、被ばく者は反米活動の危険があるとして警戒され、各地で監視体制が強められた。1957年、埼玉県で被ばく者の会を結成した小笹寿会長の回顧録のなかに、当時の執拗な埼玉県警の干渉があったことを書き残している。私自身も1950年から数年間、東京の杉並区でひそかに広島の被ばく体験を語り歩いたとき、米軍憲兵のしつこい監視と威嚇を受けた覚えがある。

日本政府による差別 
 敗戦後、辛うじて死を免れた被ばく者は家族、住居、財産、仕事の全てを失った絶望的な状態のなかから廃墟に掘っ立て小屋を建てて生き延びる努力をはじめた。故郷のある者は故郷に、ない者は遠縁や知人を頼って全国へ散って行った。被ばく地に残った者にも、去った者にも餓死寸前の過酷な日々が続いた。政府は1957年に医療法を制定し、被ばく者健康手帳を交付するまでの十二年間、被ばく者に何の援護もせず、地獄のなかに放置した。
 なお、被ばく者手帳を発行して被ばく者を登録したとき、政府は被ばく者を①爆心地近くの直下で被ばくした者、②爆発後二週間以内に入市した者および所定の区域外の遠距離で被ばくした者、③多数の被ばく者を治療・介護した者、④当時、上記の被ばく者の胎内にあった者に区分して被ばく者のなかに差別を持ち込んだ。

 肥田さんの指摘するごとく、これは「差別」である。

 戦後70年経っても、被爆者の苦しみは終わっていない。
 
 永田町や霞が関は、「新たな被爆者」を増やそうとはしないし、内部被曝の脅威を正しく評価しようとしない。

 年間20ミリシーベルトなどという基準を変えようとせず、自主避難する人々への支援を放棄しようとしていることに、肥田さんはどんな思いを抱いていたのだろうか。
 
 
 貴重な著作や記録、記憶を残してくれた肥田さんのご冥福を心よりお祈りする。

[PR]
by koubeinokogoto | 2017-03-21 17:46 | 原発はいらない | Comments(0)
 朝日新聞の記事を引用する。
朝日新聞の該当記事

原発周辺、「故郷に戻らない」が大幅増
大月規義
2017年3月8日06時54分

 復興庁は7日、東京電力福島第一原発事故で避難指示を受けた世帯に対する今年度の意向調査を発表した。2014年度調査と比較可能な5町村で「故郷に戻らない」と答えた世帯が大幅に増加。原発に近いほど、故郷に帰らずに移住を決める世帯が増える傾向だ。

 16年度調査では、14年度調査に比べて「戻るかまだ判断がつかない」とした世帯が減り、「戻らない」が4~9ポイント増加した。原発が立地する双葉町で「戻らない」は62%(14年度は56%)だった。次いで原発に近い浪江町は53%(同48%)、富岡町58%(同49%)。原発から40キロ前後離れた飯舘村と川俣町では、「戻らない」がいずれも31%だった。14年度調査は飯舘が27%、川俣が23%だった。

 今回の調査対象ではないが、大熊町は15年度調査で64%(同58%)だった。

 一方、「戻りたい」とした世帯は14年度調査とほぼ同じ水準で、原発近辺の町では1割台。飯舘と川俣はそれぞれ34%と44%だった。また、すでに避難指示が解除された自治体の中には、川内村で41%が「元の家に住んでいる」と答えた。

 これは、妥当な住民の皆さんの判断の結果である。

 楢葉町の町長の無謀な発言を昨日の記事で紹介したが、国の出鱈目な基準で「帰れ」と言われても、とても帰れる場所ではないのだ。


 日本とチェルノブイリの避難地域の基準を並べてみる。
e0337865_13560427.jpg


 20ミリシーベルトを少し下回ったところで、チェルノブイリなら「強制避難地域」であるし、5ミリシーベルト以上なら、移住の「義務」がある。

 20ミリシーベルト未満なら安全、などという日本の基準は、まったく国民の生命をないがしろにするものである。

 日本の政府や官庁は、この六年何を学んだのだろうか。

 20ミリシーベルトなんて基準はありえない。

 事故から五年後に制定されたチェルノブイリ基準に照らして再考すべきだ。

[PR]
by koubeinokogoto | 2017-03-08 21:57 | 原発はいらない | Comments(0)
 あれから6年が経とうとしている。

 問題が風化しつつあることの象徴が「年間20ミリシーベルト以下なら安全」という新たな「神話」づくりだろう。

 国の避難区域の設定は、次のようになっている。
 (1)50ミリシーベルトを超え、自由に立ち入りできない「帰還困難(きかんこんなん)区域」
 (2)20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下で、日中の出入りは自由にできるが宿泊はできない「居住制限区域」
 (3)20ミリシーベルト以下だがインフラの未整備などの理由で宿泊ができない「避難指示解除準備区域」

 (3)は、裏返すとインフラが整えば避難解除する、ということになる。
 そして、国はそのインフラ整備を、地元に押し付けようとしている。

 こんな出鱈目な基準を元に、もう戻れると国が言ったところで、危険性や生活基盤を考え、旧ふるさとへ帰るかどうか決めるのは、一人一人の人間であるべきだ。

 そんなまだ危険な場所に戻ることを強制するようなことを言っている主長がいる。
 楢葉町の町長だ。
 河北新報から引用する。
河北新報の該当記事

<避難解除>帰町しない職員 昇格させない
河北新報 3/7(火) 11:19配信


 東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が2015年9月に解除され、今春を「帰町目標」に掲げる福島県楢葉町の松本幸英町長が、町職員への対応で「帰町しない場合、昇格・昇給させないようにしたい」との趣旨の発言をしていたことが6日、分かった。
.
 町議会一般質問で松本清恵議員が「町民から(発言への)問い合わせがあった。職員も避難者。行き過ぎではないか」と指摘。松本町長は「オフィシャルな席で、ある意味、伝わるように話をした」と認めた。

 同議員によると、発言があったのは2月の町長の私的新年会。別の議員らによると、昨秋の庁議などでも同様の考えを示し、「辞めてもらっても構わない」とも話しているという。

 松本町長は答弁で(1)環境がある程度整い、帰町目標を掲げた(2)昨年11月の地震の際、職員がすぐに集まれなかった(3)町民から職員が戻っていないとの声がある-などと説明。「守るべき責任の重さがある。やり過ぎとの声はあろうと思うが、基本的考え方として行政執行に当たっている」と強調した。

 人事への影響について大和田賢司副町長は取材に「町に住まないと支障が出る職場もあり配置で考慮することもあり得るが、昇格も含め人事は適材適所で判断する」と説明した。

 町によると、本庁舎の職員約100人のうち帰町者は35人で、今月末には43人に増える見込み。町は職員が業務外扱いで、輪番で町内に宿泊している態勢を終えたい考えを示した。

 自治労県本部は「職員が町内に居住しないことが公共の福祉に反していると言えず、居住の自由は認められる。居住地を人事の評価対象にするのは問題がある」と指摘した。

 とんでもない町長だ。

 国が避難解除の基準としているのは、国際放射線防護委員会(ICRP)が、原発事故からの復旧期には年1〜20ミリシーベルトを「許容範囲」としていることに頼っている。
 これは、とんでもないことだ。
 1ミリシーベルトより少ない被曝量でさえ、内部被曝には危険性がある。

 2011年5月28日の記事は、これまで何度か引用してきた本『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』を元に書いたものだが、久しぶりにその内容を再度紹介したい。
2011年5月28日のブログ

e0337865_16391245.jpg

肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』
 
 20ミリどころか、1ミリシーベルトでも安全とは言えず、正解に近い答えは、「内部被曝は、ごく低線量の放射線でも危険性はある。放射能は浴びないにこしたことはない」ということになるのである。

 まるで、20ミリシーベルトが国民のコンセンサスも得ているようなメディアの論調だが、とんでもないことである。

 ちくま新書から2005年6月に初版が発行された本書は、ヒロシマで自らも軍医としてその日を迎え、その後、数多くの内部被曝患者の診療を経験した肥田舜太郎さんと、湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾の内部被曝によるイラクの人々の被害を明らかにしたドキュメンタリー映画「ヒバクシャ」を制作した鎌仲ひとみさんの共著。内部被曝に関して数々の有益な情報を提供してくれる。「第4章 被ばくは私たちに何をもたらすか」からの引用。

 人類史上、最大の人体実験ともいわれる広島・長崎への原爆投下があっても、内部被曝そのものに関しては長い間、言及されることはなかった。近年、ようやく内部被曝の存在が注目され、国際放射線防護委員会(ICRP)の見解とヨーロッパの科学者グループ、欧州放射線リスク委員会(ECRR)が出した見解がはっきりと二つに分かれるようになった。前者は内部被曝も体外被曝と同様に許容量を定め、後者は内部被曝の許容量をゼロ以外は安全ではないとしている。
 たとえば、たった一粒のプルトニウムが体内に入った場合、ECRRは体内で放出されるアルファ放射線がその人間に癌を発症させる可能性は十分にある、というのだ。ちなみに、この一粒はたばこの煙の粒子の20分の1の大きさしかない。
 ヨーロッパの科学者グループであるECRRが2003年に公表した報告によると、1945年から89年までに放射線被ばくで亡くなった人の数は6160万人になる。ICRPのこれまでの計算では117万人ということになっている。ECRRは現行の国際放射線防護委員会が設定する一般人の許容限度、1ミリシーベルト/年を0,1ミリシーベルト/年以下に、労働者の限度も50ミリシーベルト/年から0.5ミリシーベルト/年に引き下げるべきだと主張している。もし、これが実現すれば、原発の労働者だけでも100倍の人員が必要になる計算だ。これによって増加する人件費が原子力産業にとって経済的に見合わないことは明白だろう。
 だからこそ、ICRPは「合理的に達成できる限り低く保つ」と許容限度を勧告しているのだ。


 “6160万人 対 117万人”の差は、あまりにも大きい。

 ECRRとICRPと、どちらの主張を信じるかは人それぞれだろうが、もちろん私はECRRに軍配を上げる。

 3.11以降、市民や企業で、子どもから放射能を守ろうとして地道に活動を続けている組織がある。
 その中の一つが「ほうきネット」だ。
 サイトから、引用する。
ほうきネットについて

放射能から子どもを守る企業と市民のネットワーク(通称:ほうきネット)は、原発事故で放出された放射性物質による被ばくから子どもたちや若い世代の健康を守ること及び放射能から子どもを守るために脱原発に取り組むことに賛同・協力する企業と市民のネットワークです。

【活動内容】

1.医療支援と被ばく軽減の支援

●検診の拡充
・福島県外の放射能汚染地(年1ミリシーベルト以上の汚染地)でも、事故当時19歳以上の人も、甲状腺検査の実施。
・移動検診のためのポータブルエコー(超音波診断装置)の購入。検診を受けやすいように医師がエコーを持って動きます。

●被ばくを減らす活動
・保養の拡充(現在、夏休みや春休みに全国で行われている取り組みですが、多くの団体が資金不足に苦しんでいます)
・子ども留学・疎開(家族みんなで避難はできない、子どもだけでも避難させたい方を対象に) まつもと子ども留学など。
・移住のサポート(移住を希望される方のサポート)。

●子どもたちを放射能から守るために重要な情報の収集と発信

・マスコミの問題でもありますが、重要な情報が一般に知られていないことが多いので、メディアの役割も担っていきます。

・独立系メディアの支援。

2.企業と市民のネットワークで基金を創設

上記活動が拡充していくために多額の資金が必要です。少しでも多くの企業や市民の方々が参加する基金の創設を目指していきます。

その他、必要な支援を行っていきます。

 その「ほうきネット」では、福島における、今もそこにある被害について報告している。

 「ほうきネット」の該当ページ


 この記事でも紹介されている内容で、国連人権理事会で健康問題を担当する弁護士のアナンド・グローバーの指摘を掲載した毎日新聞の記事を引用する。

 報告書は、県民健康管理調査で子供の甲状腺検査以外に内部被ばく検査をしていない点を問題視。白血病などの発症も想定して尿検査や血液検査を実施するよう求めた。甲状腺検査についても、画像データやリポートを保護者に渡さず、煩雑な情報開示請求を要求している現状を改めるよう求めている。また、一般住民の被ばく基準について、現在の法令が定める年間1ミリシーベルトの限度を守り、それ以上の被ばくをする可能性がある地域では住民の健康調査をするよう政府に要求。国が年間20ミリシーベルトを避難基準としている点に触れ、「人権に基づき1ミリシーベルト以下に抑えるべきだ」と指摘した。


 本来この20ミリシーベルト基準を問題にすべきなのだ。

 チェルノブイリ事故から五年後1991年に、ソ連(正確にはロシア・ウクライナ・ベラルーシ)で設定された避難基準には2段階あって、一つは公衆被曝の1mSv/年を超えると「移住権利」が発生する。もう一つ5mSv/年を超える場合、「移住義務」になる。

 20ミリシーベルトで安全、などという基準は、チェルノブイリから何も学んでいない、ということだ。

 南相馬では、この基準を撤回すべく訴訟を起こしている人々がいる。
「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟支援の会」のサイト

 六年の月日の中で風化しつつある20ミリシーベルトの問題は、もっともっと論議されて然るべきだ。

 あれから六年経っても、福島原発事故から日本は復興などしていないし、事態は決して好転していない。

 国家や市町村が、内部被曝の危険性のある場所に人々を戻そうとしている。

 とんでもない暴挙だ。



[PR]
by koubeinokogoto | 2017-03-07 21:31 | 原発はいらない | Comments(0)
 22日の朝の震度5弱以降、福島沖を震源とする地震が続いている。

 そして、22日の地震の影響で、福島第2で、核燃料プールの冷却ポンプが、一時停止した。
 日経から引用。
日本経済新聞の該当記事

福島第2、燃料プールの冷却1時間半停止
地震で水面揺れる

2016/11/22 11:04

 22日早朝に福島県などで起きた地震で、午前6時10分ごろ、東京電力福島第2原子力発電所3号機の使用済み核燃料プールを冷却するためのポンプが自動停止した。東電の増田尚宏・福島第1廃炉推進カンパニー最高責任者は東京都内で記者会見し「地震でプールの水が揺れた結果、水位が低下したと水位計が検知してポンプが止まった」との認識を示した。

 使用済み核燃料プールは水位低下などの異常を検知すると、自動的に冷却を停止する仕組みになっている。タンクや配管が破損して水漏れが生じるなど、冷却システムに異常が発生している可能性があるためだ。

 同7時47分には冷却を再開。核燃料の異常や水漏れなどは確認されていない。東電は冷却水を送る配管に異常がないかを確認した結果、冷却再開に約1時間半かかったと説明している。

 3号機のプールには2544体の核燃料が保管されている。冷却が停止した時の水温は29.3度で、ポンプの停止により一時は29.5度まで上昇した。運転管理上の制限値は65度だった。

 また福島第2原発では放射性物質を含む空気中のちりを観測する装置が1台停止したが、午前10時10分に復旧した。6時半すぎには福島第1原発と第2原発で高さ約1メートルの津波を観測したが、安全上の問題や作業員の被害は確認されていない。

 私は、「冷却停止」のニュースを最初に目にして、正直、冷汗をかいた。

 万が一・・・・・・。

 結果として冷却は再開したが、果たして、日本のメディア関係者のどれほどの人が、私のように冷汗をかいただろうか。


 この件に関して、東電およびその下請け業者の人たちが手を抜いていたとは思わない。

 しかし、こうした天災と人災の掛け合わせによる事故が、いつ起こっても不思議はない。

 原発とは、そういうものなのだ。

 原発という超巨大で危険なシステムは、人類の管理の範囲を超えているのであって、安倍晋三がオリンピック招致のために使った「Under Control」という言葉は、根本からウソなのである。

 もし、「管理下」にあるなら、想定できる地震で、なぜ今回のようなことが起こるのか、ぜひ説明して欲しい。


 少し古いが、2011年8月18日の記事と重複するが、再度、使用済み核燃料の問題、そして廃炉に関わる内容を、ある本からの引用を中心に紹介したい。
2011年8月18日のブログ

e0337865_16392803.jpg
石橋克彦編『原発を終わらせる』

 2011年7月20日発行の『原発を終わらせる』(石橋克彦編、岩浪新書)からの引用。

 目次を紹介。
--------------------------------------------
はじめに            石橋克彦
Ⅰ 福島第一原発事故
 1 原発で何が起きたのか  田中三彦
 2 事故はいつまで続くのか 後藤政志
 3 福島原発避難民を訪ねて 鎌田 遵
   
Ⅱ 原発の何が問題か-科学・技術的側面から-
 1 原発は不完全な技術     上澤千尋
 2 原発は先の見えない技術   井野博満
 3 原発事故の災害規模     今中哲二
 4 地震列島の原発       石橋克彦
   
Ⅲ 原発の何が問題か-社会的側面から-
 1 原子力安全規制を麻痺させた安全神話 吉岡 斉
 2 原発依存の地域社会        伊藤久雄
 3 原子力発電と兵器転用
   —増え続けるプルトニウムのゆくえ  田窪雅文

Ⅳ 原発をどう終わらせるか
 1 エネルギーシフトの戦略
   —原子力でもなく、火力でもなく    飯田哲也
 2 原発立地自治体の自立と再生    清水修二
 3 経済・産業構造をどう変えるか    諸富 徹
 4 原発のない新しい時代に踏みだそう 山口幸夫
--------------------------------------------

 “トリ”の山口幸夫“原発のない新しい時代に踏みだそう”から引用。
 小泉純一郎元首相も観た、ある映画のことが紹介されている。

10万年後の不安
 「オンカロ」(ONKALO)という聞きなれない言葉がある。フィンランドにつくられつつある地下岩盤特性調査施設のことだが、「隠された場所」という意味があるらしい。オンカロは首都ヘルシンキの北西250キロ、バルト海のボスニア湾沿岸に近いオルキルキト島にある。世界でただ一つの放射性廃棄物の地下処分場の予定地だ。工事は2004年に始まった。地下520メートルまで掘る計画で、2011年4月現在、440メートルに達した。操業開始は2020年、100年後の2120年まで使用する予定だ。その後、厳重に封鎖される。10万年後までの安全を見込んでいるという。
 明日のことも分からぬは人の世の常である。しかし、放射能は違う。放射能の半減期は放射性の核種に固有の値であり、その核種の放射能の量が半分になるまでの時間のことである。放射能は、時間とともに指数関数的に減ってはいくが、消え去ることはない。半減期の20倍の時間を、放射能の影響が実質的になくなる一応の目安にしてみよう。もちろん、放射能の量は放射性物質の総量によるので、それをもって、安全になるまでの時間とみなすわけにはいかない。ここでは、半減期の20倍を「待ち時間」と呼んでおこう。一半減期ごとに二分の一になるので、半減期の20倍の時間が過ぎると、1/2x1/2x・・・1/2と20回かけあわせて、放射能の量は、およそ100万分の1になる。
 福島第一原発から大量に放出されたヨウ素131の半減期は8.04日なので、その20倍は160日、およそ半年の「待ち時間」だ。セシウム137は、半減期30.1年の20倍の600年、プルトニウム239ならば、その半減期は2万4100年だから、ざっと50万年を待たなければならない。
 原発を運転すると、燃料のウランから、長短さまざまの半減期を持つ放射性物質がたくさんできてしまう。この後始末がじつに厄介なのである。原発で使い終わった燃料の中の放射能の害を無視してもよい状態になるまで、きちんと保管・管理しておかなければならない。ヨーロッパでは、この「待ち時間」を10万年とみなしているいる。オンカロはこの目的のためにつくられつつある。

絶対に触れないでください
 2009年に制作された国際共同ドキュメンタリー作品『100,000年後の安全』を見た。原題は、「Into Eternity」である。「永遠の中へ」という意味だろう。オルキルオト島の十八億年前に形成されたという頑丈な地層の中に、一大近代都市に似た、しかし殺伐とした地下構造物が建設されている現場が映し出される。地上では、雪の降り積もった針葉樹林の中をゆったりと歩むヘラジカが姿をみせる。絵に描いたような北欧の世界だ。まさか、その地下に、危険このうえもない放射性廃棄物が閉じ込められているとは、まさに「隠された場所」(オンカロ)である。10万年後までの安全を確保するというが、その頃、人類は存在しているにだろうか。仮に、人類が存在したとしても、標識に書かれた警告の言葉は通じるだろうか。ひょっとして、そのころの誰かが、ここを発掘するかもしれない。
 監督のマイケル・マドセンは、「未来のみなさんへ」と題するメッセージで映像をしめくくっている。

 未来のみなさんへ

ここは21世紀に処分された放射性廃棄物の埋蔵場所です。
決して入らないでください。
あなたを守るため、地中奥深くに埋めました。
放射性物質は大変危険です。透明で、においもありません。
絶対に触れないでください。
地上に戻って、我々より良い世界を作ってください。
幸運を。


 もはや、言うまでもないだろう。「10万年後」にも不安を抱かざるを得ない原発が必要か否かは。

 ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマを経ても原発に明確なノーと言えない国の国民であることが、なんともやるせない。

 “隠された場所 オンカロ”に、全世界の放射性廃棄物を収容する能力などはない。もちろん、オンカロに閉じ込められた廃棄物が10万年に渡って安全であるかも、今日の人類には知りえることではない。当座の問題の時間稼ぎをしているにすぎない。

 原発が稼動している間、日々放射性廃棄物は増える一方である。海外にまで原発を売り込もうとしている人間には、事故への対策という問題とともに、「放射性廃棄物をどうするのか?」という疑問に対し、明確に答えてもらわなければならない。「時間が解決する」などと答える政治家こそ、10万年間地下に隠れていてもらいたいものだ。

 地震列島日本では、常に、原発事故という当座の問題を危惧しなければならない。

 そして、核燃料廃棄物への危惧は、10万年後、いや永遠に消えない。

 福島第2の冷却ポンプ停止は、あらためて「今そこにある危機」を思い出させてくれた、ともいえる。

 しかし、当座の危機を逃れるために、電力も人の労力もかけて冷やし続ける作業を続けなければならない。そして、その先には、何が待っているのか。

 40年以上稼働している「老朽化」原発まで、この国の為政者は動かそうとしている。

 かつて「経年化」という言い換えで誤魔化してきたように、政府は国民を誤魔化そうとしている。

 思い出そうじゃないか、オンカロのことを。

 核燃料廃棄物は、とても「Under Control」な対象ではない。

 しかし、メディアも、5年半前に味わった危機感を、失ってきた。

 ぜひ、今回の冷却ポンプ停止で、冷汗を書いたメディアの人が多いことを祈っている。

[PR]
by koubeinokogoto | 2016-11-24 22:20 | 原発はいらない | Comments(0)
 東電が、「炉心溶融」や「メルトダウン」という言葉を隠蔽していた、という調査報告が、今になって明かされている。

 なぜ、この時期に、という疑問は残る。

 拙ブログでも何度か紹介してるように、2011年3月12日には、当時の原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官がら、「炉心溶融」の可能性がある、と発言している。
2011年12月19日のブログ

 日経サイトでいまもリンク可能な記事を、またご紹介。
nikkei.comの該当記事
福島第1原発「炉心溶融が進んでいる可能性」 保安院
2011/3/12 15:30

 経済産業省の原子力安全・保安院は12日午後2時、東京電力の福島第一原発1号機で原子炉の心臓部が損なわれる「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発表した。発電所の周辺地域から、燃料の核分裂に伴うセシウムやヨウ素が検出されたという。燃料が溶けて漏れ出たと考えられる。炉心溶融が事実だとすれば、最悪の原子力事故が起きたことになる。炉心溶融の現象が日本で確認されたのは初めて。

*写真(動画)のキャプション:記者会見する経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官(12日午後)

 保安院は同日午後3時半、圧力が高まって爆発による放射性物質の大量放出を防ぐため、格納容器内の減圧作業を実施した。圧力が「午後2時を境に急激に下がりはじめた」(保安院)という。

 周辺地域から検出された種類は、いずれも本来は金属容器で封じ込めている物質。炉心溶融で大量に放射性物質が出れば、被曝(ひばく)の被害が広がる恐れもある。

 保安院は今回の炉心溶融について「放射性物質の広がりを計算した結果、現時点では半径10キロを対象とする住民避難の範囲を変更する必要はないだろう」と話している。

 震災にあった1号機は、核燃料棒を冷やしていた水位が下がり、露出していたとの報告もあった。

 燃料を包む金属容器は高温に耐えるとされる。溶けたとなれば、燃料周辺が相当の高温にさらされたとみられる。金属容器ばかりか原発の圧力容器や格納容器を溶かせば、放射性物質が外に漏れ出す。

 原発の運転中は、炉心で核燃料が核分裂を起こしている。発熱反応が連鎖し、冷却水を蒸気に変えてタービンを回し、発電している。

 冷却水があるうちは熱が一定に保たれるが、本来の水位が下がると燃料が生む熱の行き場が無くなる。最悪の事態では、原子炉の心臓部である炉心溶融が起きる。

 この事態を受け、保安院は自衛隊に給水支援を要請した。大量の水を使って熱を冷ますためだ。

 過去の大きな原子力災害も、炉心溶融が原因のものがあった。1979年には、米ペンシルベニア州のスリーマイルアイランド原発にトラブルが発生。緊急炉心冷却装置が働かず、高温になった燃料が炉心を溶かす大事故につながった。

 さすがに、もう動画を見ることはできないが、3月12日のこの報告を正しく受け止めた上で、その後の対策を施していたら・・・と思わないではいられない。

 2012年2月の東京新聞に、この中村幸一郎氏への取材結果を含む記事があるので、ご紹介したい。
東京新聞の該当記事

事故翌日「スリーマイル超える」 震災当初の保安院広報 中村幸一郎審議官
2012年2月22日

 福島第一原発の事故当初、記者会見で「炉心溶融の可能性がある」と説明した後、経済産業省原子力安全・保安院の広報担当を交代した中村幸一郎審議官(52)が21日、本紙のインタビューに応じ、その経緯などを語った。事故は深刻で、発生翌日には、米スリーマイル島原発事故を超えると思ったと当時の認識を語る一方、交代は発言とは無関係だと強調した。

 交代の経緯は、政府事故調査・検証委員会の中間報告でも検証されているが、報道機関に詳細を語るのは初めてという。

 中村氏は、1号機の原子炉を覆う格納容器の圧力が上昇した昨年三月十二日未明には「難しい状況に入ってきているなと思った」と、当時の認識を説明。

 消防車で注水を始めたのに、原子炉の水位が低下している状況をとらえ「(過熱した)核燃料の溶融が始まっている可能性がある」と考えた。大学で学んだ原子力工学の知識も判断を下支えした。

 同日午前の会見で、「(核燃料を覆う)被覆管が一部溶け始めていることも考えられる」と、初めて溶融の可能性に言及した。

 午後の会見前には、「コア(幹部)の人たちはそういう(溶融の可能性があるとの)認識を持っていた」と、寺坂信昭院長(当時)らと認識を共有していたと説明。寺坂氏の了承を得て、会見で「炉心溶融の可能性がある。ほぼ進んでいるのではないか」と踏み込んだ経緯を説明した。

 その後、首相官邸側が保安院の説明に懸念を示しているとの情報を得た寺坂氏から、ほかの審議官を介して「発言に注意するように」と指示された。

 中村氏は同日夕の会見を最後に広報担当を交代した。その後、保安院の説明は「炉心が破損」など、「溶融」を使わなくなった。

 このため、溶融発言によって交代させられたと受け取られてきたが、中村氏は「一、二時間おきに計十数回、二十五、六時間寝ずに会見をし、長い仕事になると思ったので休もうと考えた」と、自ら願い出ての交代だったと強調した。


 あの事故に関する報道で重要な転換点は、中村氏は同日夕の会見を最後に広報担当を交代した。その後、保安院の説明は「炉心が破損」など、「溶融」を使わなくなったことである。

 さて、中村幸一郎氏が交代した本当の理由は、何だったのか・・・・・・。

 “首相官邸側が保安院の説明に懸念を示しているとの情報を得た寺坂氏から、ほかの審議官を介して「発言に注意するように」と指示”があった、官邸の圧力が真因か。 

 それとも、ご本人が強調するように “自ら願い出ての交代”だったのか。


 東スポの昨年3月の記事に、真相が明かされている。
 同記事の中心となるのは中村審議官の後を受けた西山審議官の“その後”を追ったもの。
 しかし、中村審議官交代についても、信憑性の高い調査報告の内容が含まれている。
東スポの該当記事

 保安院の事故対応会見については先月、政府の事故調査・検証委員会が関係者を聴取した「聴取結果書(調書)」の一部が追加公開され、中村氏更迭の経緯が明らかになっている。

 保安院の根井寿規審議官(当時)が証言したもので、中村氏がメルトダウンの可能性に言及した後、会見担当を外れたのは、「寺坂(信昭)院長に呼ばれ『官邸から中村審議官を会見から外すよう言われたので根井君から言ってくれないか』と言われた」と語っている。中村発言に懸念を示した首相官邸側の指示があったと認めた。


最後の、“保安院の根井寿規審議官(当時)が証言したもので、中村氏がメルトダウンの可能性に言及した後、会見担当を外れたのは、「寺坂(信昭)院長に呼ばれ『官邸から中村審議官を会見から外すよう言われたので根井君から言ってくれないか』と言われた」と語っている。中村発言に懸念を示した首相官邸側の指示があったと認めた”という内容が、真実だと思う。

 この「聴取結果書(調書)」の追加公開分を探してみたのだが、なかなか見つからない。

 以前の記事で、リンクしていた、最初の報告書も、リンク先が替わってしまった。

 私の探し方がよくないのかもしれないが・・・何らかの意図を感じている。

 昨日の東電社長の質問への答えが歯切れが悪かったのは、報告書に対して枝野がいち早く異を唱えたからかもしれない。

 勘ぐるならば、自民党がこの時期の報告者提出を画策したのではなかろうか。
 政府の圧力があった、当時の政府はどこか・・・ということである。

 もし、そうだとしても、あるいは、自民党が関与してないにせよ、菅も枝野も、過ちは過ちとして、しっかり認め、受け止めることが大事ではなかろうか。

 まず間違いなく、官邸の圧力を、少なくとも“感じて”、東電が「メルトダウン」「炉心溶融」という言葉をタブー化したのであろう。

 では、あれから五年余。

 状況は変わったのか。
 情報公開は改善されたのか。

 今、福島第一原発では、どれほどの放射能が発生し、どんな危険な作業が続いているのか。

 現在の原発情報に関する隠蔽体質は、大手メディアを巻き込んでさえいるように思われる。

 決して、原発報道に関する情報公開の環境は、改善されていないと思う。

 野党は、“今そこにある問題”に対して、声を大にして追求すべきことが山ほどあるはずだ。
 
[PR]
by koubeinokogoto | 2016-06-22 22:10 | 原発はいらない | Comments(0)

 運転開始から40年を超えた関西電力高浜原発1、2号機について、原子力規制委員会は、運転延長を認可するという暴挙に出た。関電は、2019年秋以降の再稼働をめざしている。

 なぜ、こんなことが起こるのか・・・・・・。

 かつて、原子力ムラは、「老朽化」を、「経年化」と言い換えて、一度つくった原発を、一年でも長く稼働させようという誤魔化しを続けてきた。

 しかし、そういった過ちを正すのが「規制」委員会の役割だったのではないのか。

 なぜ、40年も稼働してきた原発までも延長して稼働させたいのか・・・・・・。

 原子力規制委員会は、原子力ムラ寄生委員会と名を替えるべきだろう。

 原子力を「規制」する組織などではなく、関電を含む原子力ムラと一体化した組織であることは、もはや明白。

 委員長の田中俊一は、2011年4月1日に、こんな行動をしていた。
 NHK ONLINEの記事を元にした拙ブログ記事から再度引用する。
 当時リンクしていたNHK の記事は、とうにリンク切れなので、記事の中身のみ引用する。

2011年4月1日のブログ

原子力委員会元委員らが陳謝

 事態収束の兆しが見えない東京電力の福島第一原子力発電所について、国の原子力委員会や原子力安全委員会の元委員らが、1日、記者会見し、原子力の利用を先頭に立って進めてきた立場から国民に陳謝するとともに、政府は国を挙げて事態に対処する強力な態勢を作るべきだなどと訴えました。

 記者会見したのは、原子力委員会の元委員長代理の田中俊一氏や原子力安全委員会の元委員長の松浦祥次郎氏、それに東京大学名誉教授の石野栞氏の3人です。3人は、日本の原子力利用を支えてきた研究者や技術者16人を代表して、1日、文部科学省で記者会見し、「これまで原子力の平和利用を先頭だって進めてきた者として、今回の事故を防ぎえなかったことについて、国民に申し訳なく思います」と述べました。
 そして、事態は次々と悪化し、収束の見通しは得られていないとして、電源と冷却機能を回復させ、原子炉や燃料プールを冷却し、大量の放射性物質の拡散を防ぐための対策を急ぐ必要があるとしました。具体的な対策としては、▽安定した冷却機能の復旧に向けて、24時間態勢で作業を進める一方で、作業員の人数を増やして1人当たりの作業時間を制限し、被ばく量を少なくすること、▽放射性物質の拡散を防ぐとともに、汚染の影響を評価し、避難している住民が帰れるまでの手順を示すことなどを挙げました。そのうえで、危機的な事態に専門家の知識や経験が十分に生かされていないとして、政府の下に、原子力事故の解析や放射線の計測評価など経験と技術を持った専門家を結集し、国民に情報を提供し協力を求めながら、国を挙げて事態の収束に当たることが重要だと訴えました。

 あの日、“今回の事故を防ぎえなかったことについて、国民に申し訳なく思います”と詫びたのは、田中俊一はじめとする面々の、エイプリルフールだったわけだ。

 “政府の下に、原子力事故の解析や放射線の計測評価など経験と技術を持った専門家を結集し、国民に情報を提供し協力を求めながら、国を挙げて事態の収束に当たることが重要だと訴え”たという言葉が嘘ではなかったのなら、原子力規制委員会委員長となった田中俊一は、高浜原発に関して、“経験と技術を持った専門家を結集”して、結論を出したのだろうか。

 とんでもない。
 
 反原発複数団体による共同声明を、FoE Japanのサイトから引用する。
FoE Japanサイトの該当ページ

 福島原発事故を受けて、原発の運転期間は「原則40年」と決めたはずです。原子力規制委・規制庁はこともあろうに、老朽化した原発の実態も把握せず、認可ありきで審査を急ぎ、審査ガイドを破ってまで、期限内の認可を強行しました。福島原発事故の教訓を葬り去り、事故を再び繰り返すことは断じて許されません。
 地震の活動期に入り、巨大地震がいつどこで起きてもおかしくない状況で、設計が古く、設備の劣化が進み、点検も不十分な状況で認可するなど、危険極まりない行為です。
 高浜1・2号の耐震性が不十分なことは、熊本地震に照らしても明らかです。熊本地震のようなくり返しの揺れを考慮した耐震評価は実施されていません。
 元原子力規制委員会委員長代理の島崎邦彦氏は、熊本地震のデータから、「入倉・三宅式」を用いて基準地震動を策定すると過小評価となり、日本の地震データを基にした「武村式」と比べて4分の1の過小評価となるため、「入倉・三宅式」は使うべきではないと警告を発しています。これはまさに高浜1・2号に当てはまる問題です。同時に、各地の裁判や運動の中で、市民が主張してきたことでもあります。規制委・規制庁は16日に島崎氏から意見聴取を行いました。しかし、その警告を無視するかのように高浜1・2号の運転延長を認可しました。
 老朽化した高浜1・2号の特有の危険性が具体的に明らかになっています。電気ケーブルの劣化により事故時に絶縁性が急低下し、制御ができなくなる恐れがあります。しかし、規制委・規制庁は具体的な判断基準も持たずに、関電のいいなりです。
高浜原発1号機は、全国の原発でもっとも原子炉圧力容器の中性子による脆性破壊が発生し易い原発です。廃炉が決まっている玄海原発1号より脆性遷移温度は高く、事故時にECCSの水を注入すれば、圧力容器が壊れる危険があります。やはり中性子の照射により炉心の金属板を留めるボルトにひび割れが生じている恐れがありますが、まともに検査すら行われていません。

 専門家を結集した検査など、まったく行っていないのである。
 
 田中俊一の五年まえ4月1日の嘘は、罪が深い。
 私などは、あやうく騙されそうになったのだ。

 そして、彼は、国民を裏切る罪を今も重ねようとしている。

 参院選の争点の一つとして、なかなか原発問題が取り上げられないが、明らかに政財界の原発推進派が、田中俊一の周囲や背後に取り巻いているのである。

 原子力規制庁の職員は発足当時(2012年9月)455名で、そのうちの351名が経産省出身者。
 加えて、あの原子力安全・保安院から横滑りした者が多いのだから、どっぷり原子力ムラに属した組織。
 アメリカの原子力規制委(NRC)が、政府からは完全独立した、4000人を超える専門家の組織であるのとは、大きな違いなのである。

 規制ではなく寄生の委員会による暴挙は、とても許されることではない。


[PR]
by koubeinokogoto | 2016-06-21 21:09 | 原発はいらない | Comments(2)
 タレントの不倫、あるお笑い番組の司会者交代、公私混同都知事の問題などに関するニュースで紙面や時間が埋まることは、為政者にとって実に都合のいい隠れ蓑になっている。

 大手メディアも、政府に忖度し、また放送法を持ち出しての恫喝に屈し、芸能週刊誌的な内容ばかりを追いかけるが、その裏で、とんでもない悪行が進んでいるのだ。

 たとえば、放射能汚染土のバラマキである。

 少し古い掲載記事だが、「FoE Japan」のサイトから署名を呼び掛ける記事を引用する。
FoEサイトの該当ページ

【緊急署名】全国に被ばくを強い、環境を汚染する
「8000ベクレル/kg以下の汚染土を全国の公共事業で利用」方針に反対


 環境省は、3月30日、東京電力福島第1原発事故後の除染で出た汚染土に関し、放射性セシウム8,000ベクレル/kg以下の汚染土を、全国の公共事業で利用できる方針を決定しました。
しかし、原子炉等規制法に基づく規則においては、原発の解体などによって発生したコンクリートや金属などの再生利用の基準は、放射性セシウムの場合、100ベクレル/kgとなっています。今回の環境省方針は、この80倍となります。
降雨、浸食、災害などによる環境中への大量放出も懸念されます。工事中においては、工事従事者も通行人も被ばくします。大地震が発生すれば、道路の陥没、崩壊などがあちらこちらで発生し、汚染土がむき出しになるでしょう。
まさに、子どもも含めて、日本中の人たちを被ばくさせるための、壮大な「ナショナル・プロジェクト」にほかなりません。

 新聞もテレビも、この暴挙については、まったく触れようとしない。
 
 こんな出鱈目な方針が、密室で決められている。

 同じページに、署名とともに環境大臣あてに提出される抗議内容が掲載されている。

環境大臣 丸川珠代 様

【緊急署名】全国に被ばくを強い、環境を汚染する
「8000ベクレル/kg以下の汚染土を全国の公共事業で利用」方針に反対


環境省「中間貯蔵除染土壌等の減容・再生利用技術開発戦略検討会」は、3月30日、東京電力福島第1原発事故後の除染で出た汚染土に関し、8,000ベクレル/kg以下の汚染土を、「遮蔽および飛散・流出の防止」を行った上で、全国の公共事業で利用できる方針を決定しました。「周辺住民などの追加被ばく量は年間10マイクロシーベルトに押さえられる」としています。
しかし、原子炉等規制法に基づく規則においては、原発の解体などによって発生したコンクリートや金属などの再生利用の基準は100ベクレル/kgとなっています。今回の環境省方針は、この80倍となります。
この検討会のもとにおかれた「放射線影響に関する安全性評価ワーキンググループ」は、非公開で実施されており、議事メモも公開されていません。そもそも、この検討会は、最終処分量を減らすため、再生利用量を増やす、ということが前提となっています。現在の無理な「除染」「帰還」路線が前提で、そのためには、国民の被ばくもやむなし、ということなのでしょうか。
環境省は、「福島の復興、さらには東北の復興と日本の再生に向けた一大プロジェクトであるとともに、その成果は世界でも前例のない経験・知見として国際的な共有財産となる」と大見得をきっています。
しかし、「遮蔽および飛散・流出の防止」と書いたところで、そんなことは絵に描いた餅です。管理型の処分場でさえ、周辺や地下水の汚染は避けられないのに、ましてや通常の公共事業の構造基盤に使うというのでは、汚染を防ぐことはできません。。
降雨、浸食、災害などによる環境中への大量放出も懸念されます。工事中においては、工事従事者も通行人も被ばくします。大地震が発生すれば、道路の陥没、崩壊などがあちらこちらで発生し、汚染土がむき出しになるでしょう。
まさに、子どもも含めて、日本中の人たちを被ばくさせるために、壮大な「ナショナル・プロジェクト」にほかなりません。断じて許すわけにはいきません。

要請事項
1.放射性廃棄物を含んだ除染土を公共事業で利用する方針の撤回を求めます。
2.「除染」「帰還」を前提とした除染土再利用の政策を見直してください。
3.除染のあり方、除染土の処分のあり方に関しては、福島県内外の各地の幅広い人たちの参加のもとでの検討を行うようにしてください。
4.「放射線影響に関する安全性評価ワーキンググループ」のメンバー、議事録、全資料を公開してください。

 丸川という大臣は、かつてはジャーナリズムの世界にいたのではないのか・・・・・・。

 結局、マスコミで顔を売っていた“タレント”でしかなかったのだ。
  
 放射能で汚染された土が、全国で撒き散らされる。
 除染の度合いは、それぞれ違うだろうが、放射性セシウムで8000ベクレル/kgまでなら、再利用して良い、と国がお墨付きを与えているのだ。

 これが、「3.11」から五年が経過した、今の日本の実態なのである。

 熊本では、まだ被災者の皆さんの多くが、日常を取り戻すことができていない。
 今日は、函館で震度6-の地震。

 地震列島日本では、いつ、どんな大地震が起こっても不思議ではない。

 紹介した内容を使わせてもらうなら、“大地震が発生すれば、道路の陥没、崩壊などがあちらこちらで発生し、汚染土がむき出しになる”から、不特定多数の国民に被害が及ぶ可能性が高い。

 しかし、政治家や役人は、自分は大丈夫、と思っているのだろう。
 
 まず、国会議事堂や各官庁で、この土を再利用してもらおうじゃないか。
 大丈夫なんでしょう?!

 参院選の論点は、たくさんある。

 その中の一つに、この問題を含め、原発事故からの復興が進んでいない実態や、政府の怠慢。そして暴挙のことも含まれるべきだ。
 

[PR]
by koubeinokogoto | 2016-06-16 22:42 | 原発はいらない | Comments(4)
 HINTERの記事を読むと、この度の熊本を中心とする大地震においても、原子力規制委員会が稼働を認めている川内原発に対し、真っ当なリスクヘッジが為されていないことに、あらためて驚く。
 該当記事から引用。
 なお、この記事中の囲み部分(鹿児島四民と市との会話)は、イタリックにしてある。
HUNTERの該当記事

川内原発事故 鹿児島市避難計画の実情
2016年4月22日 08:50

 川内原子力発電所 熊本地方で14日から続く一連の地震を受け、改めて注目が集まっているのが原発の是非や災害避難の在り方。とくに、市域の一部が全国で唯一稼動中の川内原発(鹿児島県薩摩川内市)から30キロ圏に入る鹿児島市では、万が一の場合の避難計画について、懸念を抱く市民が増えている。
 熊本の現状に危機感を持ち、鹿児島市に原発事故時の避難方法を聞いた鹿児島市在住の男性。返ってきた答えに愕然となったという。
 杜撰極まりない同市の避難計画の実態とは……。

 原発30キロ圏にある鹿児島市郡山地区から車で約15分。原発の40キロ圏付近に位置するところに、県が開発を進めてきた松陽台町がある。県住宅供給公社が販売した「ガーデンヒルズ松陽台」の土地を買った地元住民の反対意見を無視して、伊藤県政が県営住宅を大増設しているのがここだ。

 東日本大震災直後、鹿児島県は一方的に地区計画を変更。戸建住宅による街づくりという方針を放棄し、県営住宅大増設計画を発表した。地元住民は、避難所として利用できる施設がないことを不安視し、県や市に対策を訴えて来たというが、5年経った現在も進展なし。住民は増える一方なのに、小中学校はもちろん、集会場さえ整備されていない。

 熊本地震の地震域が次第に南下し、川内原発に近づいている状況。心配になった住民が、鹿児島市役所松元支所に問い合わせたところ、詳細は市危機管理防災課に尋ねるよう言われたという。以下は、記録を提供してくれた松陽台住民と市側のやりとりの概要である。

住民:松陽台町住民の避難場所は、歩いて30分もかかる石谷の仁田尾中公民館で間違いないか?
市側:間違いない。
住民:仁田尾中公民館には何人の受入が可能なのか?
市側:40人。長期滞在者向けである。
住民:40人?松陽台地区だけでも1,000人はいる。石谷の住民もいる。全然足りない。では、短期滞在者というか一般の避難者はどこに行けばいいのか?
市側:仁田尾中公民館をはじめ、市が指定している避難所は可。
住民:松陽台の住民は具体的にはどこに行けばいいのか?
市側:それぞれに判断して、安全な場所に移動していただければよい。
住民:具体的な指示は市が出すのか?
市側:市として指示を出すことはない。
住民:避難所の指定もなしに、鹿児島市の避難勧告を受けて、市民は、後は勝手に逃げろということか?
市側:……。
住民:放射能は人ではないので、原発から30キロの線でピタッと止まることはない。鹿児島市は喜入地区を除いて、ほとんどが50キロ圏内に入ると思うが、郡山の30キロ圏以外の市民はどう逃げればいいのか?避難計画はあるのか?
市側:……。
住民:仁田尾に移動するよりも、岩盤は強いし、松陽台にいる方が安全だと思うが。
市側:仁田尾よりも松陽台の方が安全だと思う。
住民:わざわざ坂道を上る必要もなく、高低差のない、松陽台に隣接する松陽高校への避難はなぜできないのか?高校によっては、避難所に指定されている所もあるのに、なぜ松陽高校は避難所に指定されていないのか?
市側:鹿児島市には現在240の避難所があり、これ以上増やす予定はない。これ以上は職員を配置できない。
住民:職員の都合か?ということは、松元、松陽台は見捨てられるということか?
市側:……。


 市側の対応を確認した松陽台住民の気持ちは察するに余りある。鹿児島市は、原発の事故が起きても知らん顔。市民は勝手に避難しろという姿勢なのだ。夫人と子ども二人がいる上、平日は市外の勤務地にいる彼としては、無いに等しい避難計画に不安が募るばかり。他人事のように答える市側の対応に、怒りがこみ上げてきたという。

 鹿児島県の避難計画を巡っては、緊急避難時に住民輸送にあたるとされてきたバスが、実際には運転手が浴びると予想される放射線量が「1ミリシーベルト以下」の場合にしか出動しないことが判明。さらに、唯一稼動する予定の鹿児島市交通局の市バス乗務員には、原発緊急避難の運用について何の説明もなされていないことが分かっている。県や鹿児島市の避難計画は、まさに机上の空論。松陽台住民と市側のやり取りで、鹿児島市民が「原発棄民」であることを裏付けた格好だ。

 これが、原子力規制員会の田中委員長が、「稼働することに問題はない」という状況なのか!

 地震大国日本に地震が起こるたびに「原発は大丈夫か?」と近隣の人々が心配しなければならない生活は、とても「日常」的なものとはいえない。
 ましてや、何か起こった時、近隣の住民の人々が、どの避難所に避難すべきかという明確は施策を持ち合わせていない県や市の行政機関には、原発を立地させる資格などない。

 真っ当な避難計画がないことは、再稼働の前から、多くの団体や市民から指摘があったことである。
 そして、それは、裏付けるのが、紹介した記事だ。

 いち早く川内原発は止めるべきである。
 「福島のようなことは、起こらない」と原子力ムラの住民が言うのなら、その証拠をはっきし示して欲しいものだ。

 何か起こってからでは遅い、ということは、我々日本人は、五年まえに学んだはずではないのか。
 
[PR]
by koubeinokogoto | 2016-04-28 18:41 | 原発はいらない | Comments(2)
 原子力規制委員会は「原子力ムラ寄生委員会」に堕ちてしまったが、それにしても、酷い事実が判明した。
 
 共同通信の記事を引用。
47NEWSの該当記事

川内原発の放射線測定、性能不足
監視装置の半数で

2016/3/14 11:40

 昨年再稼働した九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)周辺の放射線監視装置(モニタリングポスト)のうち、ほぼ半数の48台中22台が事故発生時の即時避難の基準となる高い放射線量を測定できないことが14日、同県への取材で分かった。監視態勢が不十分なまま、再稼働したとの批判が出そうだ。

 国の指針では重大事故時、被ばくのリスクが高い5キロ圏の住民はすぐに避難。5~30キロ圏はまず屋内に退避し、ポストの数値で避難の必要性を地域ごとに判断する。毎時500マイクロシーベルト以上は即時に避難、毎時20マイクロシーベルト以上が1日続いた場合は1週間以内に避難させる。

 県への取材で判明、ということは、鹿児島県も九州電力とグルになっていた、ということか。

 万が一のことは、起こってはいけないが、それに備えなければならないのが、原発という、人類が本来管理できない巨大で危険なシステムなのである。

 前回の記事で紹介したが、福島第一原発の事故を防ぐ機会は、いくらでもあった。

 原発そのものを稼働させない、ということは除外するにしても、10メートルを超える津波は想定できていたのに、対策を怠ったのも大事な機会損失であり、失態である。
 
 もし事故が発生した場合、放射能汚染の状態を測定・管理して適切に地域住人を避難させるのも、当然の義務。放射能を的確に測定するのは、基本の基本なのである。

 いくら放射能が漏れているか分からないのでは、事故現場に行くことさえためらわれる。

 何を規制委員会は検査したのか。何をもって鹿児島県は再稼働を認可したのか。

 あれから五年・・・しかし、歴史の悲劇を学ばない人が、たくさんいるのだ。

 彼らの犠牲になるなんて、まっぴらごめんである。

[PR]
by koubeinokogoto | 2016-03-14 21:31 | 原発はいらない | Comments(3)
 「あれから五年」という言葉がメディアを賑わわせているが、決して、大震災も福島第一原発事故も、復興には遠い地点にとどまっている。

 五年経とうが、十年経とうが、決して忘れてはならないことがある。

 原発事故の原因は、決して「天災」ではなかった、ということだ。

 岩上安見さんの「IWJ(Independent Web Jornal)」に、福島第一原発事故が「人災」である証拠が見つかった、というスクープ記事が掲載されている。

 まず、前半部分を引用したい。
IWJの該当記事

【スクープ速報!】「想定外の巨大津波」は、実は想定の範囲内だった! 震災から5年、東電が「巨大津波」を予測できていた「新証拠」について、福島原発告訴団・代理人の海渡雄一弁護士が岩上安身のインタビューにこたえて証言!

※公共性に鑑み、ただいま全編公開中!

 事故当時、東電は巨大津波を予測できていた――そんな新証拠が存在するという。

 福島第一原発事故をめぐり、2016年2月29日、検察審査会から「起訴議決」を受けた東京電力の勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長の3人について、検察官役の指定弁護士が業務上過失致死傷の罪で強制起訴を決定した。

 起訴状によると、3人は原発の敷地の高さである10メートルを超える津波が襲来し、建屋が浸水して電源喪失が起き、爆発事故などが発生する可能性を事前に予測できたのに、防護措置などの対策をする義務を怠ったとしている。

 実は、起訴状の中身を裏づける、当時の東電が巨大津波を予測していた決定的な「新証拠」があるという。告訴団代理人の海渡雄一弁護士が2016年3月10日、岩上安身のインタビューで明かした。

 東電は福島第一原発事故の主な原因を「想定外の巨大津波」であると結論づけているが、新証拠が事実であれば東電の従来の主張は覆り、「想定外の原発事故」は予測できた「人災」だったことになり、東電幹部らの刑事責任は避けがたいものとなる。

 2月29日に、ようやく強制起訴となったが、検察審査会での起訴議決は、2014年夏のことだった。
 当時、東京新聞を引用して記事を書いたが、その時点でも、「人災」の疑いは十分に匂っていた。
 当時の記事を再掲載したい。なお、東京新聞のリンクは、すでに切れている。
2014年8月1日のブログ

-------------2014年8月1日のブログから引用----------------------

東京新聞の該当記事

大津波の恐れ報告 東電元会長出席の会議
2014年8月1日 07時09分

 東京電力福島第一原発の事故が発生する約三年前、東電の勝俣恒久元会長(74)が出席した社内の会議で、高さ一四メートルの大津波が福島第一を襲う可能性があると報告されていたことが、三十一日に公表された東京第五検察審査会の議決で分かった。これまでの東電の説明では、勝俣氏は大津波の可能性を知らないとされ、本人も検察に同趣旨の供述をしていたが、検審は「信用できない」と否定、起訴相当と判断した。東京地検は同日、議決を受け、再捜査することを決めた。 (加藤裕治、加藤益丈)

e0337865_16403420.jpg




 議決によると、この会議は二〇〇七年七月の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発(新潟県)が被災したのを受け、〇八年二月に開かれ、福島第一の津波想定を七・七メートル以上に変更する資料が配布された。出席した社員から「一四メートル程度の津波が来る可能性があるという人もいて、考える必要がある」との発言もあった。

 検察側の捜査資料にあった会議のメモなどから、検審はより詳しい報告や議論もあったと判断。出席していた勝俣氏は大津波の可能性を知りうる立場にあり、「東電の最高責任者として各部署に適切な対応策を取らせることも可能な地位にあった」と結論付けた。

 これまでの東電の説明では、大津波の可能性は原子力部門で試算され、武黒一郎元副社長(68)でとどまり、勝俣氏や他部門の幹部には知らされなかった、としていた。

 この会議には武黒元副社長も出席。報告を聞き「(東北電力)女川(原発)や(日本原子力発電)東海(第二原発)はどうなっている」と尋ねていたことが議決から明らかになった。

 東海第二原発は〇七年に茨城県が公表した津波想定に基づき、ポンプ室の側壁の高さを四・九メートルから六・一メートルにかさ上げ。東日本大震災で五・四メートルの津波が襲ったが、冷却に必要な電源を確保でき、福島第一と明暗を分けた。

 歴代幹部のうち勝俣、武黒両氏と、武藤栄元副社長(64)の三人が起訴相当と議決された。津波の情報を知っても、判断する立場にない二人は不起訴相当、対策を決める権限がない一人は不起訴不当と議決された。

 起訴相当の三人については、仮に地検が再び不起訴としても、別の市民による検審が起訴議決すれば、強制起訴される。(東京新聞)


 この件、東京新聞は社説でも扱っている。一部引用する。ちなみに、朝日、毎日も社説はこの件だったが、当然のように読売は違うネタ。
東京新聞の該当社説
 東北電力の女川原発(宮城)は津波に備えて、三十メートル近くに「壁」をかさ上げしたのとは好対照だ。東電が対策を怠ったのはなぜなのか。市民はこう考えた。

 「原発の運転停止のリスクが生じると考えたとうかがわれる」「東電は対策にかかる費用や時間の観点から、津波高の数値をできるだけ下げたいという意向もうかがわれる」−。この推察は、国会事故調査委員会が「シビアアクシデント(過酷事故)対策を経営上のリスクとしてとらえていた」と指摘したこととも響き合う。

 東電は〇六年段階でも、津波によって非常用海水ポンプが機能を失い、炉心損傷に至る危険性があることや、全電源喪失の危険性があることも分かっていた。それを市民は議決文に書き込んだ。

 東電幹部六人のうち、津波の情報に接していても、判断できない立場の二人は「不起訴相当」にし、一人は「対策の決定権がなかった」とし、「不起訴不当」にとどめた。冷静さが感じられる。「起訴相当」としたのは、情報を知りつつ、判断できる立場の幹部に絞り込んだわけだ。

 業務上過失致死傷罪での刑事責任を問うテーマをふたたび検察が負うことになった。東電を強制捜査もせずに、「想定外だから罪は問えない」と一蹴した判断をそのまま維持するのか。被災者らは注視している。「人災」なのか、その真相に肉薄してほしい。

 ようやく、責任を明確にするための動きが出てきた。
 福島第一原発事故は、紛れもなく、“人災”であった。
 もちろん、大地震、大津波という自然災害が関係はしているが、地震大国日本で原発を稼動させる以上、その対策を講じるのは当然の企業責任であり、東電はそれを怠った。
--------------------引用ここまで--------------------------------------------

 かつて、原子力発電所の活用が、国策であったことは事実だろう。
 しかし、その安全対策のすべてを国の責任に帰すことはできない。
 東電をはじめとする電力会社は、国の庇護の元で大きな経済的な恩恵を受けてきた。
 安全確保は、民間企業の責任として当然行われるべきものだったし、今後も継続して安全を最優先にすべきである。

 それだけ、制御するのが難しい、巨大なシステムなのだ、原発は。

 IWJの記事に戻る。岩上安見が、海渡弁護士にインタビューしている内容。
 動かぬ「証拠」の存在が明白だ。
 
岩上「2月29日、福島第一原発事故をめぐり、検察審査会から基礎議決を受けた東京電力の勝俣恒久・元会長、武黒一郎・元副社長、武藤栄・元副社長の3人について、検察官役の指定弁護士が業務上過失致死傷の罪で強制起訴されました」

海渡「告訴事件では僕はこの被害者側の代理人をしています。実は7月に開催された2回目の検察審議会議決内容が画期的なものでした。東京電力は2007年12月の段階で、福島沖でも大きな地震と津波が起きる可能性を踏まえ、対策を取らなければならないという方針を決めていたのです。津波対策を預かっている部局がそう決めていたのです。武藤氏も加わった状態で決めていました。

 翌年の2008年の3月にシュミュレーションをやって、福島第一に15.7mの津波が来ると言う計算結果が出ていました。これに基づいて、2008年の3月末に耐震バックチェックの中間報告があり、最終報告までには津波対策をきちんとやりますと説明することになっていました。証拠として、県に説明するためのQA資料が残っています。これは、つまり社の方針です。

 2008年の6月、津波対策案がまとまり、土木調査グループが武藤氏にその案を持っていきます。案では、10メートルの地盤の上に10メートルの防潮堤を立てる計画が立てられていました。しかし、武藤氏はその1か月後に、防潮堤建設をやらないと決めました」

岩上「知らなかった、どころではなく、津波対策の計画が実際にあり、それを東電のトップが却下したのですね」

 この経営陣の誤った判断を修正しようと努めた東電社員がいたことを、海渡弁護士は、次のように語っている。
海渡「この話は司法記者クラブで何度も話しているんですけどね。2008年9月10日の資料です。東電では、同年7月31日に津波対策をやらないことに決めました。その1か月後の耐震バックチェック説明会での議事録にこんなことが書かれています。

 まず、『津波は機微事項だから回収 議事メモには残さない』と記載されています。そういうことで配られたメモです。

 このメモには、『予備津波に関する学識経験者のこれまでの見解および推本の知見を完全に否定することが難しいことを考慮すると現状より大きな津波高を評価せざるをえないと想定され、津波対策は不可避』と書いてあります。つまり、武藤氏は津波対策を先延ばしにしろと言ったわけですが、現場の担当者はやる必要があると、あきらめきらないで粘り、訴えた人もいたということです。

 東電の当時の経営陣は、もう逃げられない。

 彼らは、法の裁きを受けるべきだし、あの原発事故により避難生活に苦しんでいる人や、甲状腺ガンを発症した若者たちに、永久に東電として補償しなければならない。

 「安全神話」を世間にまき散らし、「事故は起こらないこと」になっているとして、不可欠な自然災害への対策を講じなかった責任は、あまりにも大きい。

 「人災」を「天災」と誤魔化すことは、「天」が許さない。
[PR]
by koubeinokogoto | 2016-03-11 20:25 | 原発はいらない | Comments(2)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛