幸兵衛の小言

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カテゴリ:戦争反対( 108 )

 PKOの南スーダン派遣部隊における「戦闘」と記された日報を隠匿しようとしていた防衛省は、まるで大本営ではないか、と思っていたら、東京新聞の今日のコラム「筆洗」が、私の思いを代弁してくれていた。

 引用する。
東京新聞の該当コラム


筆洗
2017年2月9日

 日米開戦から二年がたった一九四三年十二月八日、大本営は戦果を発表した。二年間で米英の戦艦十八隻、空母二十六隻を撃沈、日本軍の損害は戦艦一隻に空母二隻。連戦連勝を思わせる戦果である▼では実際のところはどうだったのか。近現代史研究家の辻田真佐憲(まさのり)さんの『大本営発表』(幻冬舎)によると、米英軍の損失は戦艦四隻、空母六隻。対する日本軍は戦艦三隻、空母七隻を失っていた▼数字の操作だけではない。大本営は「全滅」を「玉砕」と言い、「撤退」を「転進」と言い換えた。情報を軽んじ、都合のいいように変える。それが、どんな悲劇をこの国にもたらしたか。現代史の常識なのだが、どうもそういう歴史に疎いのだろう▼国連の平和維持活動に陸上自衛隊が参加している南スーダンで昨夏、何が起きていたのか。防衛相らは「戦闘行為は発生していない」と言っていた▼しかし、二百人もが命を落とした緊迫した日々を、現地の陸自部隊は、「戦闘」という言葉を何度も使って日報に記録していた。この大切な日報を防衛省は「廃棄した」と説明していたのだが、追及されると、「実は、ありました」▼辻田さんの著書によると、大本営は、偽りの真実に自ら縛られていったという。そうして、非現実的な策が現場に押し付けられていった。そんな自縄自縛の罠(わな)が、防衛相には見えていないのだろうか。


 結局公開された日報には、生々しい「戦闘」そして「戦争」が刻まれていた。
 時事新報サイト「JIJI.COM」から引用する。
時事新報「JIJI.COM」の該当記事

突発的戦闘やPKO停止も=南スーダン派遣部隊の日報公開-政府説明とずれ・防衛省

 防衛省は7日、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊部隊が昨年7月に作成した日報などを公開した。同国の首都ジュバでは同月、大規模な武力衝突が発生しており、日報には「激しい銃撃戦」「突発的な戦闘への巻き込まれに注意」などという記載のほか、「国連活動の停止」もあり得るとの指摘もあった。

 「戦闘」という表記が複数あり、これまで政府が否定してきた「戦闘行為」が起きていたことを裏付ける内容。当初は日報を破棄したと説明していた同省の姿勢が厳しく問われることになりそうだ。
 公開された文書は、現地部隊が作成した昨年7月11~12日付の日報と、日報に基づき陸自中央即応集団が作成した「モーニングレポート」。
 日報には、同月11日午後、ジュバ市内の宿営地周辺で「激しい銃撃戦」や「砲弾落下」があったなどと記載。「(大統領派と前副大統領派)両勢力による戦闘が確認されている」と明記し、「宿営地周辺における流れ弾や突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要」としていた。
 さらに、今後想定されるシナリオとして「ジュバでの衝突激化に伴う国連活動の停止」とあり、PKO活動が停止する可能性も指摘していた。
 政府はこれまで、300人超が死亡したとされる昨年7月の武力衝突について、「武器を使っての殺傷や物を破壊する行為はあった」としながらも、「戦闘行為ではなかった」と説明。菅義偉官房長官は7日の会見で「文書を隠蔽(いんぺい)する意図は全くなかった」述べた。(2017/02/07-22:34)


 政府が、「武器を使っての殺傷や物を破壊する行為はあった」としながらも、「戦闘行為ではなかった」という苦しい弁明こそが、「隠蔽」しようとした確信犯であることを物語る。

 まさに、大本営の姿と変わらない。

 朝日の今日の社説に、昨年の安倍晋三の嘘や、稲田防衛相の発言を含め掲載されている。
朝日新聞の該当社説
 一部、太字にする。

社説
PKO日報 国民に隠された「戦闘」
2017年2月9日(木)付

 これまでの政府の説明は何だったのか。現場とのあまりの落差にあぜんとする。

 昨年7月の南スーダンの状況を記録した、国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報などの文書を防衛省が公表した。

 この当時、政府軍と反政府勢力の大規模な戦闘が起きた。文書には、部隊が派遣された首都ジュバの、生々しい状況が記録されている。

 「宿営地5、6時方向で激しい銃撃戦」「戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘」。事態が悪化すれば、PKOが継続不能になる可能性にも言及している。

 こうした状況について、政府はどう説明していたか。

 昨年7月12日、当時の中谷元防衛相は「散発的に発砲事案が生じている」と述べた。安倍首相は10月に「戦闘行為ではなかった。衝突、いわば勢力と勢力がぶつかったという表現を使っている」と国会答弁した。

 ジュバの状況を、政府はなぜ「戦闘」と認めないのか。

 稲田防衛相はきのうの衆院予算委員会でこう説明した。

 「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」

 政府は「戦闘行為」について「国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺傷し、または物を破壊する行為」と定義する。こうした「戦闘」が起きていると認めれば、憲法やPKO参加5原則に抵触し、自衛隊はPKOからの撤退を迫られる。

 稲田氏は「国際的な武力紛争の一環とは評価できない」とするが、派遣継続ありきで「戦闘」と認めないとも取れる。

 「戦闘」が記された文書は、昨年9月に情報公開請求され、防衛省は文書を「廃棄した」として不開示とした。ところが、自民党の河野太郎衆院議員に再調査を求められ、範囲を広げて調べ直すと別の部署で見つかったとして一転、公開された。

 この間、政府は10月に南スーダンPKOの派遣を延長し、11月以降、安全保障関連法に基づく「駆けつけ警護」が初めて付与された部隊が出発した。

 こうした政府の決定は結果として、国民にも、国会にも重要な判断材料を隠したままで行われた。駆けつけ警護の付与、さらにはPKO派遣継続自体の正当性が疑われる事態だ。

 そもそも、このような重要な記録を「廃棄した」で済ませていいはずがない。不都合な文書を恣意(しい)的に隠したと疑われても仕方がない。安倍政権は厳しく襟を正すべきだ。

 稲田の、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている、という発言は、戦地と認めれば国民を派遣できないので嘘をついている、ということを自供しているようなものだ。

 PKOは、弾の届かない安全な地帯への派遣である、などという嘘は、もはや通じない。

 自国のためといえども、日本は戦争を放棄したはずだ。
 それなのに、海外の戦地に、なぜ日本国民が生命の危険を賭して行かねばならないのか。

 自衛隊員、そして家族の皆さんも、当事者として発言して欲しい。

 戦争はまっぴらだ、と。


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by koubeinokogoto | 2017-02-09 21:14 | 戦争反対 | Comments(0)
 日本が、未だに主権のない国であり、アメリカの幇間持ちであることを露呈したのが、今回の国連での「核兵器禁止条約」に関わる行動だ。

 まず、朝日新聞の記事から引用。
朝日新聞の該当記事
核兵器禁止条約、交渉へ決議採択 国連、日米ロなど反対
ニューヨーク=杉崎慎弥、松尾一郎、田井中雅人
2016年10月28日14時48分

 国連総会第1委員会(軍縮)は27日、核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」について来年から交渉を始めるとの決議を、123カ国の賛成多数で採択した。米ロ英仏などの核保有国や、米国の「核の傘」の下にある日本など38カ国が反対し、中国など16カ国が棄権した。

 年内に国連総会本会議で採択され、核兵器の法的な禁止をめぐる本格的な議論が初めて国連で行われることになるが、米国などは不参加を表明しており、状況しだいでは実効性を問われる可能性もある。

 決議は、核兵器を禁止する法的措置を交渉する国連会議を2017年3月と6~7月に開催するように求める内容。メキシコやオーストリアなど核兵器の「非人道性」を訴える国々が提案し、推進してきた。

 これに対し、米国は「第2次世界大戦後の安全保障体制を下支えしてきた長年の戦略的安定性を損ねかねない」などとして強い反対を表明し、自らが主導する北大西洋条約機構(NATO)の加盟国などに反対するよう求めていた。


 次に、共同通信のニュースを元にした東京新聞の記事を引用。
東京新聞の該当記事

核禁止条約 交渉開始へ 国連委決議、日本反対
2016年10月28日 13時57分

 【ニューヨーク=東條仁史】国連総会第一委員会(軍縮)は二十七日、核兵器を法的に禁止する条約の制定交渉を来年から開始することを盛り込んだ決議案を賛成多数で採択した。唯一の戦争被爆国として核廃絶に取り組んできた日本政府は反対に回り、被爆者から反発の声が上がるのは必至だ。

 賛成は百二十三カ国で、核保有国の米国、英国、フランス、ロシアなど三十八カ国が反対、中国など十六カ国が棄権した。核実験を繰り返す北朝鮮は賛成した。

 来年三月にも核兵器の開発や実験、保有、使用などを全面禁止する条約の枠組みづくりに向け、国連で初めて本格的な議論が始まることになる。

 佐野利男軍縮大使は採決後、記者団に「核軍縮は核保有国と非保有国が協力して進めることが必要。国際社会の総意の下で進めるべきだと主張してきたが、意思決定のあり方に反映されなかった」と反対理由を説明した。

 決議案を共同提案したオーストリアのクグリッツ軍縮大使は採択後、日本の反対について「残念に思う」と述べた。

 決議は「核兵器の使用がもたらす人道的に破滅的な結果を深く懸念する」とし、来年三月二十七~三十一日と六月十五日~七月七日にニューヨークで「国連の会議を開き、核兵器を禁止する法的拘束力がある文書の交渉に入ることを決める」と明記した。交渉の進め方や議論する具体的な内容などについては今後、協議していくとみられる。

 ただ、米国など主要な核保有国は交渉に参加しない可能性が高い。核廃絶に向け、実効性のある条約が制定できるかは見通せない。

<核兵器禁止条約> 核兵器の開発や実験、保有、使用などを全面禁止する条約。現在は構想段階。核廃絶への法的手段を討議するためジュネーブで開かれた国連作業部会は今年8月、2017年の交渉開始を国連総会に勧告するとの報告書を採択。米国などの核保有国は強く反発しているが、オーストリアやメキシコなどは今年10月、17年3月の交渉開始に向けた決議案を国連総会に提出していた。(共同)
(東京新聞)


 佐野利男軍縮大使のコメントを、再度確認。

「核軍縮は核保有国と非保有国が協力して進めることが必要。国際社会の総意の下で進めるべきだと主張してきたが、意思決定のあり方に反映されなかった」

 この「国際社会」というのは、紛れもなく「アメリカ」を中心とする社会だ。

 それらの「国際社会」は「核の傘」の下にあるという。

 冷戦が終結してずいぶん時間が経ったが、いまだに、「抑止力」としての「核の傘」は、必要なのか・・・・・・。

 どんな戦略的な要因があろうと、「核廃絶」を訴える十分な資格が、世界で唯一の被爆国である日本にはある。

 しかし、その資格を生かすこと、役割を果たすことが、日本にはできないのか。

 「北朝鮮が核兵器で攻撃をしてきたら、どうする?」という脅し文句があるが、技術的な問題は置いておき、政治的には、北朝鮮が実際に核兵器を使うことは、まずありえないだろう。

 あくまで“脅し”なのである。

 ここに大きく二つの選択肢がある。

 (A)被曝国としての悲惨な歴史を忘れず、世界に核兵器廃絶を訴える日本
 (B)被爆国としての悲惨な歴史を忘れ、「核の傘」の下でうずくまる日本


 日本が、信頼され、そして尊敬される国となるには、どちらを選択すべきか明白だろう。
 そもそも、冷戦時代とは違い、いまや「核の傘」は、実態がないに等しい。

 今回の決議では、「棄権」という選択肢もあったはずなのだが、「反対」という意思表示をした。あくまで、アメリカに向かって犬のように尻尾を振りたかったのだ。
 
 さっそく、広島、長崎の被爆地から、今回の日本政府に非難の声が上がっている。
 毎日新聞から引用する。
毎日新聞の該当記事
核兵器禁止条約 .
広島から「日本政府は明確な妨害行動」
毎日新聞2016年10月28日 14時34分(最終更新 10月28日 15時57分)

交渉開始決議案が採択も日本政府は反対

 国連総会第1委員会(軍縮)で日本時間の28日朝、2017年の「核兵器禁止条約」制定交渉開始を定めた決議案が賛成多数で採択され、被爆地・広島からは歓迎の声が上がる一方で、日本政府が反対に回ったことに対して、痛烈な批判が相次いだ。

 広島市の市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」共同代表の森滝春子さん(77)は「採択は大きな前進。123もの国が賛成し、本当にうれしい」と喜んだ。一方、反対した日本政府には「賛成に転じる余地を残した棄権と異なり、明確な妨害行動。『核保有国と非核保有国の溝を埋める』と主張しているが、実際には溝を深めているだけ」と厳しく批判した。

 もし、日本が「賛成」したら、他の123の賛成した国は喜んで日本の行動を賛美したのではなかろうか。

 それこそ、信頼され尊敬される国として。

 いまだに、アメリカの属国であることを印象づけるだけの、日本政府の悪行だった。


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by koubeinokogoto | 2016-10-28 21:25 | 戦争反対 | Comments(0)

 一昨日の土曜に、兄弟ブログ「噺の話」で、もうじき終了するNHKの朝の連続ドラマ「とと姉ちゃん」について書いた。
「噺の話」2016年9月24日の記事

 モデルの一人である花森安治の薫陶を受けた「暮しの手帖」の元編集者が、あの番組では花森安治の真の姿は表現されていない、と批判していることも、LITERAの記事(および同記事で引用されている「週刊朝日」の記事)で紹介した。

 花森安治という人は、どんな思想、信条を抱いていた人なのか。

 「とと姉ちゃん」でも、その様子が一部紹介されていたが、花森は敗戦まで、大政翼賛会の外郭団体に籍を置いて国策広告に携わっていた。有名な「欲しがりません 勝つまでは」は花森が考案したと言われることがあるが、事実ではない。大政翼賛会と新聞社による標語募集に応募しされたものを花森が採用したのだった。しかし、この点について花森は一切弁明しなかったという。
 あの標語が自作ではないにせよ、自分が国策広告に携わっていた事実への自責の念が、そうさせたのだろう。

 彼が語らなかったことの意味を慮ることも大事だが、花森が書き残した言葉を読むことができる。

 その中の一つが、日本ペンクラブの「電子文藝館」のサイトにある、「見よぼくら一銭五厘の旗」だ。
「日本ペンクラブ 電子文藝館」の該当ページ
 作者と掲載された内容の説明を含む部分を、先にご紹介する。
花森 安治
ハナモリ ヤスジ
はなもり やすじ 編集者 1911・10・25~1978・1・14 兵庫県神戸市に生まれる。東大在学中、扇谷正造、杉浦明平らと帝大新聞の編集に携わり、戦後1948(昭和23)年、「暮しの手帖」を創刊、雑誌の全面に花森の手と息吹がかかっていた。

掲載作は1970(昭和45)年10月、「暮しの手帖」第2世紀8号に掲げた胸にしみるマニフェストである。なお、改行の仕方について今や筆者に確認をとれない微妙な点があり、雑誌初出時の改行(組体裁)のママに従っている。

 「マニフェスト」という言葉には、少し違和感があるが、花森安治というジャーナリストの意図を示す「声明文」あるいは「誓約書」という意味では、間違いではないのだろう。

 本文を、まず冒頭から引用する。
見よぼくら一銭五厘の旗

美しい夜であった
もう 二度と 誰も あんな夜に会う
ことは ないのではないか
空は よくみがいたガラスのように
透きとおっていた
空気は なにかが焼けているような
香ばしいにおいがしていた
どの家も どの建物も
つけられるだけの電灯をつけていた
それが 焼け跡をとおして
一面にちりばめられていた
昭和20年8月15日
あの夜
もう空襲はなかった
もう戦争は すんだ
まるで うそみたいだった
なんだか ばかみたいだった
へらへらとわらうと 涙がでてきた

どの夜も 着のみ着のままで眠った
枕許には 靴と 雑のうと 防空頭巾を
並べておいた
靴は 底がへって 雨がふると水がしみ
こんだが ほかに靴はなかった
雑のうの中には すこしのいり豆と
三角巾とヨードチンキが入っていた
夜が明けると 靴をはいて 雑のうを
肩からかけて 出かけた
そのうち 電車も汽車も 動かなくなっ

何時間も歩いて 職場へいった
そして また何時間も歩いて
家に帰ってきた
家に近づくと くじびきのくじをひらく
ときのように すこし心がさわいだ
召集令状が 来ている
でなければ
その夜 家が空襲で焼ける
どちらでもなく また夜が明けると
また何時間も歩いて 職場へいった
死ぬような気はしなかった
しかし いつまで生きるのか
見当はつかなかった
確実に夜が明け 確実に日が沈んだ
じぶんの生涯のなかで いつか
戦争が終るかもしれない などとは
夢にも考えなかった

その戦争が すんだ
戦争がない ということは
それは ほんのちょっとしたことだった
たとえば 夜になると 電灯のスイッチ
をひねる ということだった
たとえば ねるときには ねまきに着か
えて眠るということだった
生きるということは 生きて暮すという
ことは そんなことだったのだ
戦争には敗けた しかし
戦争のないことは すばらしかった
 
軍隊というところは ものごとを
おそろしく はっきりさせるところだ
星一つの二等兵のころ 教育掛りの軍曹
が 突如として どなった
貴様らの代りは 一銭五厘で来る
軍馬は そうはいかんぞ
聞いたとたん あっ気にとられた
しばらくして むらむらと腹が立った
そのころ 葉書は一銭五厘だった
兵隊は 一銭五厘の葉書で いくらでも
召集できる という意味だった
(じっさいには一銭五厘もかからなか
ったが……)
しかし いくら腹が立っても どうする
こともできなかった
そうか ぼくらは一銭五厘か
そうだったのか
〈草莽そうもうの臣〉
〈陛下の赤子せきし〉
〈醜しこの御楯みたて〉
つまりは
〈一銭五厘〉
ということだったのか
そういえば どなっている軍曹も 一銭
五厘なのだ 一銭五厘が 一銭五厘を
どなったり なぐったりしている
もちろん この一銭五厘は この軍曹の
発明ではない
軍隊というところは 北海道の部隊も
鹿児島の部隊も おなじ冗談を おなじ
アクセントで 言い合っているところだ
星二つの一等兵になって前線へ送りださ
れたら 着いたその日に 聞かされたの
が きさまら一銭五厘 だった
陸軍病院へ入ったら こんどは各国おく
になまりの一銭五厘を聞かされた


 「とと姉ちゃん」には、この「一銭五厘」のことは、一切登場しない。

 実際には存在しなかった、安かろう悪かろうという製品を作っていた電気メーカーとの戦いは描かれた。
 
 しかし、花森安治が戦ってきた相手は、違うのである。

 この文章の中盤には、公害問題に対する花森の強い思いが綴られている。
 
 なぜ、政府が自動車を規制しないのか、なども書かれている。
 ぜひ、全文を読んでいただきたい。

 後半から最後の部分を、引用したい。

さて ぼくらは もう一度
倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている〈民主々義〉を 探しだ
してきて 錆びをおとし 部品を集め
しっかり 組みたてる
民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にする
ということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
かったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
かったら 政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ
政府が 本当であろうとなかろうと
今度また ぼくらが うじゃじゃけて
見ているだけだったら
七十年代も また〈幻覚の時代〉になっ
てしまう
そうなったら 今度はもう おしまいだ

今度は どんなことがあっても
ぼくらは言う
困まることを はっきり言う
人間が 集まって暮すための ぎりぎり
の限界というものがある
ぼくらは 最近それを越えてしまった
それは テレビができた頃からか
新幹線が できた頃からか
電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか
とにかく 限界をこえてしまった
ひとまず その限界まで戻ろう
戻らなければ 人間全体が おしまいだ
企業よ そんなにゼニをもうけて
どうしようというのだ
なんのために 生きているのだ

今度こそ ぼくらは言う
困まることを 困まるとはっきり言う
葉書だ 七円だ
ぼくらの代りは 一銭五厘のハガキで
来るのだそうだ
よろしい 一銭五厘が今は七円だ
七円のハガキに 困まることをはっきり
書いて出す 何通でも じぶんの言葉で
はっきり書く
お仕着せの言葉を 口うつしにくり返し
て ゾロゾロ歩くのは もうけっこう
ぼくらは 下手でも まずい字でも
じぶんの言葉で 困まります やめて下
さい とはっきり書く
七円のハガキに 何通でも書く

ぽくらは ぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗のいろは
赤ではない 黒ではない もちろん
白ではない 黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布はぎれをつなぎ合せた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し
台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後あとへひかない
(8号・第2世紀 昭和45年10月)


 前回の「噺の話」の記事で引用したが、「とと姉ちゃん」のプロデューサーが、素顔の花森安治のことを描くにあたっての「ハードル」があると発言している。

 それは、たとえば、引用した次のような言葉に象徴されているだろう。

 ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
 かったら 企業を倒す ということだ
 ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
 かったら 政府を倒す ということだ
 それが ほんとうの〈民主々義〉だ


 「企業を倒す」も「政府を倒す」も、あくまで「ぼくらの暮し」とぶつかったら、という条件だ。
 そして、公害や粗悪な製品開発などは、花森にとっては「ぼくらの暮し」とぶつかることなのである。
 「ぼくら」という立ち位置を描くために、プロデューサーは、なんとかその“ハードル”を乗り越える努力をしたのだろうか。
 もっと言えば、プロデューサーの立ち位置は、果たして「ぼくら」の側にあったのか。

 「企業批判」は、民放では難しいかもしれない。
 しかし、広告のないNHKは、もっと花森安治の真実に迫ることができたのではなかろうか。
 「暮しの手帖」が広告を掲載しないからこそできた、「ぼくらの暮し」を守る活動を、なぜ、広告収入に依存しないNHKは、同じように、「ぼくら」の立場で描かないのか。

 それは、了見の違い、なのだと思うし、経営管理層の問題なのだろう。

 「とと姉ちゃん」では割愛(?)された花森安治という一人のジャーナリストの真の姿は、あの番組が終わるからこそ、もっと振り返られて良いように思う。

 
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by koubeinokogoto | 2016-09-26 22:47 | 戦争反対 | Comments(0)
 内田樹の研究室の8月5日の記事は、ル・モンドによる、日本の新防衛大臣に関する記事の翻訳。
 引用する。
「内田樹の研究室」の該当記事

ルモンドの記事から

日本政府、ナショナリストを防衛相に任命
『ルモンド』8月3日
Philippe Mesmer (東京特派員)

日本の首相安倍晋三は側近を彼の政府に登用したが、とりわけナショナリスト的立場で知られる女性を防衛相に任命することによって彼の権力掌握を一層強化しようとしている。

新内閣は8月3日水曜日に明らかにされたが、彼のスポークスマンである菅義偉、副総理兼財務相の麻生太郎、外相岸田文雄は留任した。

「アベノミクス(安倍の経済政策)を一層加速する」ための布陣と首相によって公式に紹介されている新内閣は参院選における自民党の大勝の三週間後に任命された。参院選によって自民党とその同盟者たちは両院で3分の2を制し、これによって安倍氏が憲法改定という彼の年来の野心を実現する可能が高まっている。
彼は防衛相に稲田朋美を任命した。このポジションを女性が占めるのは2007年第一次安倍政権の小池百合子以来である。稲田氏にはこの分野での経験がないが、自衛隊の海外派遣についての新しい枠組みを定めた2015年採択の安全保障関連法を運用するというデリケートな仕事を委ねられることになる。経験不足にもかかわらず稲田氏が登用されたのは、彼女が首相の側近であり、「お気に入り」だからである。安倍氏は彼女を後継者候補とみなしているようであるが、それは二人のイデオロギー的な近接性による。彼は稲田氏を自民党の政調会長に2014年に任命した。通常経験豊かな議員が任ぜられるこのポストに、稲田氏は2012年から14年まで行政改革担当相を勤めたあとに就いた。

 安倍の「お気に入り」であり、イデオロギー的な近接性により、通常ではありえない昇進を遂げている人物であることを、まず、指摘している。 

 そして、その人物の危険性を、次のように明らかにしている。
2005年に福井県から初当選したこの57歳の弁護士は安倍氏に近いそのナショナリスト的立場によって知られている。政界に入る前、彼女は1945年の沖縄戦の間の日本兵士のふるまいについての作家大江健三郎の著書によって名誉を毀損されたと感じた日本軍将校たちの弁護活動をしていた。
議員になってからは歴史修正主義の立場を繰り返し表明し、1937年の日本軍による南京大虐殺や、『慰安婦』の存在を否定している。2015年、終戦70年に際しては、謝罪しないと繰り返しアピールした。
ウルトラナショナリストの組織である日本会議のメンバーであり、日本のアジアでの行動を「侵略」とすることを否定しており、戦争犯罪人を含む戦死者を祀っているために当否について議論の多い靖国参拝を擁護している。稲田氏はまた憲法改定についても意欲的である。こういった言動は中国、韓国との外交関係を必ずや紛糾させるであろう。


 稲田朋美という新防衛大臣の危険性は、他の海外メディアも取り上げている。
 「LITERA」から引用する。(太字は管理人)
「LITERA」の該当記事
稲田朋美防衛相の軍国主義思想にロイター、
APなど海外メディアが一斉に警戒感! でも日本のマスコミは沈黙

2016.08.05

 第三次安倍改造内閣で安倍首相が防衛相に任命した自民党・稲田朋美衆議院議員。8月4日、就任後初の会見で、日中戦争などが日本の侵略戦争だとの認識があるか質問され、こう答えた。

「侵略か侵略でないかは評価の問題であって、一概には言えない」
「私の個人的な見解をここで述べるべきではないと思います」

 曖昧な回答で明言を避けたのは、本音では日本の侵略や戦争責任を否定したい歴史修正主義者だからに他ならない。実際、稲田氏は自民党きっての極右タカ派で、安倍政権による戦前回帰の旗振り役。本サイトではこれまで、稲田氏の経済的徴兵制推進など、その軍国主義丸出しの発言の数々を伝えてきた。

 ところが、こうした稲田氏の極右政治家としての本質を、日本のマスコミ、とくにテレビメディアはほとんど触れようとせずに、ただ“将来の総理候補”ともてはやすばかりだ。

 しかし、そんな国内マスコミとは対照的に、世界のメディアはその危険性を盛んに報道している。

 たとえば、英タイムズ紙は3日付電子版で、「戦中日本の残虐行為否定論者が防衛トップに」(Atrocity denier set to be Japan’s defence chief)との見出しで、冒頭から稲田氏について「第二次世界大戦中の日本が数々の残虐行為を犯したという認識に異議を唱え、日本の核武装をも検討すべきとする女性」と紹介した。

 また英ロイター通信も3日付の「日本の首相は経済回復を誓いながらも、新たな内閣にタカ派防衛相を迎える」(Japan's PM picks hawkish defense minister for new cabinet, vows economic recover)という記事で、稲田氏の写真を冒頭に掲載し、大きく取り上げている。

「新たに防衛相に就任する稲田朋美(前・自民党政調会長)は、日本の戦後や平和憲法、日本の保守派が第二次世界大戦の屈辱的な敗戦の象徴として捉えている平和憲法や戦後を改めるという安倍首相の目標をかねてより共有している」

 さらに米AP通信は3日付で「日本が戦争の過去を軽視する防衛トップを据える」(Japan picks defense chief who downplays wartime past)という記事を配信し、ワシントンポスト紙などがこれを報じている。記事のなかでは稲田氏を「戦中日本の行いを軽視し、極右思想(far-right views)で知られる女性」「国防についての経験はほとんどないが、安倍首相のお気に入りの一人」と紹介。そして「慰安婦問題など戦中日本の残虐行為の数々を擁護し、連合国による軍事裁判を見直す党の委員会を牽引してきた」と書いたうえで、在特会などヘイト勢力との“蜜月”についてもこのように伝える

稲田氏の悪名高い反韓団体とのつながりについて、今年、裁判所は稲田氏の主張を退けて事実と認めた。また2014年には、稲田氏が2011年にネオナチ団体トップとのツーショット写真を納めていたと見られることも表沙汰となった

 稲田と高市のネオナチ団体トップとのツーショットの件は、以前拙ブログの記事で紹介した。
2014年9月11日のブログ
 毎日の記事はリンク切れになっているが、The Gardianの記事はリンクできており、写真を確認できる。

 日本のメディアが、政府の広報紙に成り下がったり、恫喝に恐れて批判的なことがほとんど書けない状況において、真っ当なジャーナリズムはミニメディアやSNS、そして紹介したような海外メディアに頼るしかないのだろう。

 オリンピック報道に隠れて、為政者たちがどんな悪さをしようとしているか、しっかり監視しなくてはならないと思う。

 平気で「国民は国のために死ね」と言うような人物が防衛相に就いたのだ。
 本来なら、日本のメディアは、もっと批判精神を発揮すべき、とんでもな人事。

 まったく専門知識も経験もない極右政治家の防衛大臣就任は、まさに“馬鹿に刃物”なのである。

 
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by koubeinokogoto | 2016-08-10 12:27 | 戦争反対 | Comments(2)
 参院選、都知事選に関する、芸能ゴシップまがいの内容を含むメディアの喧噪は、これからリオ五輪報道に替わっていくのだろう。

 しかし、前回の記事で紹介したような、シリア難民のことや、ISの実態などの報道は、ほとんどテレビや全国紙で時間やスペースを割かれることはないに違いない。

 バングラデシュの首都ダッカのレストランで日本人を含む犠牲者を出したテロ事件が起こったのは、たった一ヶ月前のことなのだが、見事に参院選と都知事選のニュースで、“暗い”テロ事件のことは覆い隠された。

 とはいえ、テロ事件は、その被害の大きさに応じてニュースが報じられる。

 それらは、決して「線」でも「面」でもなく、「点」の事件としてのみ扱われる。

 なぜ、日本人までがISやIS信奉者によるテロに巻き込まれるのだろうか。
 
 テロリストであろうと、イスラム圏の国・地域の人々からは、「日本人は逃げなさい!」と言われることはあり得ても、「日本人か、そこに座れ!」と攻撃されることは、長い歴史の中では、基本的にはなかったはずだ。

 後藤健二さんが亡くなったのとされる時期とほぼ同じ頃の雑誌「SAPIO」に、内田樹の記事が載っているので「NEWSポストセブン」から引用する。
NEWSポストセブンの該当記事

米の従属国・日本がイスラム圏から敵視されてこなかった理由
2015.01.28 16:00

 シリアやイラクを中心に勢力を拡大するイスラム国に、世界中が頭を悩ませている。日本とて決して“対岸の火事”ではないイスラム国に対し、日本は何ができるのか? 思想家・武道家の内田樹氏が解説する。

 * * *
 イスラム共同体は北アフリカのモロッコから東南アジアのインドネシアまで、領域国家を超えて結ばれた人口16億人の巨大なグローバル共同体であり、宗教、言語、食文化、服装などにおいて高い同一性を持っている。これほど広い範囲に、これだけ多数の、同質性の高い信者を擁する宗教は他に存在しない。

 加えて、イスラム共同体の構成員の平均年齢は29歳と若い。欧米先進国も中国もこれから急激に少子高齢化の時代に突入する中で、イスラム圏の若さは異例である。ここが21世紀の政治経済文化活動のすべてについて重要な拠点となることは趨勢としてとどめがたい。

 アメリカ主導のグローバリズムとイスラムのグローバル共同体はいずれもクロスボーダーな集団であるが、支配的な理念が全く異なる。イスラム社会の基本理念は相互援助と喜捨である。それは何よりも「孤児、寡婦、異邦人」を歓待せねばならないという荒野の遊牧民の倫理から発している。

 アメリカ型グローバリズムには相互扶助も喜捨の精神もない。「勝者が総取りし、敗者は自己責任で飢える」ことがフェアネスだというルールを採用している。この二つのグローバル共同体が一つの原理のうちにまとまるということはありえない。かといって相手を滅ぼすこともできない。隣人として共生する他に手立てはない。

 日本はアメリカの従属国でありながら、幸い平和憲法のおかげで今日にいたるまでイスラム圏から敵視されていない。それは日本の宗教的寛容の伝統もかかわっているだろう。ムスリムもキリスト教徒も仏教徒も平和的に共生できる精神的な基盤が日本にはある。

 この「ゆるさ」は日本の外交的なアドバンテージと評価してよいと思う。この宗教的寛容に基づいて二つのグローバル共同体を架橋する「仲介者」となることこそ、日本が国際社会に対してなしうる最大の貢献だと私は思っている。

※SAPIO2015年2月号

 内田樹が説明するように、イスラム圏において日本は決して敵視される国民、民族ではなかった。

 しかし、今や、テロリストのブラックリストの中に日本は加わったと見るべきだろう。

 何が変わったのか・・・・・・。

 内田樹が指摘する、 “相互扶助と喜捨”の精神、そして、“宗教的寛容の伝統”は、今どうなっているのだろう。

 日本人一般においては、長い歴史を背景にした、文化基盤として変わることはないと思う。

 問題は、体外的に国の顔である政府やその首長たちだ。

 後藤さん、湯川さんの殺害や、先日のダッカでの日本人も巻き込むテロ事件の要因には、間違いなく、安倍首相のカイロでの演説が影響している。

 そして、次なる安倍内閣には、ますます、憲法を改悪し、堂々と戦争ができる国となることを推し進めようとする人材が増えている。

 彼や彼女には、 “相互扶助と喜捨”の精神などは、からっきしも存在しない。
 
 日本国民の敵は、イスラム圏の人々ではない。

 国のために命を投げ出せ、と平気で口走る政治家こそが敵である。
 
 アジアの隣国やテロリストと戦うのではなく、戦わない道を探ること、あるいは、戦おうとする両者の仲介役を果たすことのほうが、どれほど日本的であるだろうか。


 相互扶助と喜捨の精神は、日本人に馴染む。

 紛争の「当事者」になるのではなく、「仲介者」としての役割こそ、日本と日本人にとって相応しい道である。


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by koubeinokogoto | 2016-08-03 21:34 | 戦争反対 | Comments(4)
 参院選の結果は、ある程度は予想していたものの、日本の将来を懸念させるのは事実だ。
 野党が統一名簿を作成できなかった時点で、結果は見えていたのだが、それにしても、民進党の体たらくぶりには、いらだつばかり。
 
 メディアも、ほとんど真っ当な選挙報道をしたと思えない。

 そのことについて、遅ればせながら、日刊ゲンダイに岸井成格へのインタビュー記事が載ったので、前半の一部を紹介。全文は9頁に及ぶ。
「日刊ゲンダイ」の該当記事

元NEWS23岸井成格氏 「このままだとメディアは窒息する」
2016年7月10日

選挙報道が減ったのはイチャモンが面倒くさいから

 改憲派が3分の2を制するのか。天下分け目の参院選を前にこの国の報道の静かなこと。まともに争点を報じず、アベノミクスの検証すらやらない。この国のテレビはどうなっているのか? さぁ、このテーマを聞くなら、この人。毎日新聞特別編集委員の岸井成格氏(71)しかいない。

――参院選の報道を見て、どう感じますか? 報道の量そのものが減ってしまったような気がします。

 その通りだと思いますね。集計していないのでハッキリわかりませんが、減っている印象です。2014年の衆院選の時も、テレビの選挙報道は減った。従来の衆院選の時に比べて半分くらいになった。そうした傾向が続いていますね。

――2014年の衆院選といえば、安倍首相が岸井さんの「ニュース23」に生出演して、文句を言った選挙ですね?

 アベノミクスについての街録で反対意見が多すぎる。局が恣意的に選んでいるんじゃないか。そういうことを言われたんですが、その2日後に自民党からテレビ各局に政治的に中立、公平な報道を求める文書が届いた。街録の人数とか時間とか具体的なことにまで踏み込んで要請文書が来たのは初めてでした。

――テレビ局がスクラムを組んで文句を言うかと思ったら、選挙報道そのものが減ってしまった。

 街録そのものもなくなっちゃった。

――なぜですか?

 イチャモンをつけられるのは嫌だからでしょう。それに現場は面倒くさい。街録でアベノミクスに5人が反対したら、賛成5人を集めなきゃいけない。面倒だから報道そのものが減ったんですが、今回は参院選の争点も番組で扱わなくなっている。だから、何が争点だか、ぼやけてしまっている。舛添問題や都知事選の報道ばかりで、参院選を真正面から取り上げている番組が少ない。今度の参院選が盛り上がらないのは、権力側が争点隠しをやっていて、メディア側も与野党の相違点をきちんと報じないからですよ。
 まだまだ、記事は続いているので、ご確認のほどを。

 この記事、もう少し早く掲載して欲しかったが、今回の選挙の大勢に影響はなかっただろう。
 
 改憲についてメディアの報道や、選挙結果に関する記事には、どうしても違和感を感じてきた。
 「改憲派」と言ったって、それぞれ政党の言い分は違っており、温度差もある。
 また、国民投票に至るまでには、いくつかステップがあるのに、そういった事実をほとんどスルーしているのは、報道機関としては片手落ちだ。

 「3分の2」を確保したら、何でも出来るようなイメージを作っているとしか思えない。

 選挙後の記事も、まるで、憲法改正(改悪)が既定路線のような印象を与えるではないか。

 そんな疑問を感じながら、いくつかネットで検索していて、あるサイトに巡り合った。

「GoHoo」という、マスコミ誤報検証・報道被害救済サイトである。
「GoHoo」サイト

 楊井人文(やないひとふみ)という人が代表を務める日本報道検証機構が管理している。
 楊井さんは、産経新聞の記者を経て弁護士になり、2012年に、同機構を立ち上げた。

 このサイトから、楊井さんが書いたYahooニュースの記事にリンクされていたので、紹介したい。(太字は記事原文のママ)
「Yahooニュース」の該当記事

参院選 「改憲勢力3分の2」が焦点? メディアが報じない5つのファクト、1つの視点
楊井人文|日本報道検証機構代表・弁護士
2016年7月8日 6時53分配信

 「改憲勢力が3分の2を上回るかが焦点」ー参院選でメディアがまた横並びで、こんな決まり文句を唱えている。

 たとえば、毎日新聞は7月6日付朝刊1面トップで、参院選終盤情勢として「改憲勢力2/3の勢い」と題した記事を掲載。記事の冒頭には「安倍晋三首相が目指す憲法改正に賛同する自民、公明両党、おおさか維新の会などの改憲勢力は・・・」と書かれていた。

 一体いつから、どんなファクトに基づいて、公明党が「安倍晋三首相が目指す憲法改正に賛同」したと報じているのだろうか。自民党とおおさか維新の改正草案を読み比べたことがあるのだろうか。

 記事を書いている記者たちも、4党を「改憲勢力」と書くときの枕言葉に一瞬窮しているはずだ。でも、みんな同じ橋を渡っているのだから、他紙の表現も参考に…という感覚かもしれない(例外的に、読売新聞は「3分の2」という切り口での報道に慎重であることは特記しておく)。

 こうした事実に基づかない報道から距離をおき、今回の選挙における憲法改正の位置づけについて冷静に考えたい人のために、基本的なファクト・視点をまとめておきたい。

1.公明のスタンスは民進に近い 生活の改憲案は具体的

 メディアが当たり前のように使っている「改憲勢力」という表現。自民党、公明党、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党(以下「こころ」)の4党を指しているが、それぞれ憲法改正に関する立場にはかなり違いがある。まず、各党が改憲に積極的かどうかは、参院選公約に限らず、党是や過去の発表も含め、具体的な改憲案を示しているかどうかを見なければならない。

 自民、こころ、おおさか維新の3党は、それぞれ具体的な改正案を提示しており、改憲に前向きな勢力といえよう。ただ、おおさか維新の改正案は、教育無償化、統治機構改革、憲法裁判所の設置の3項目であり(マニフェスト、憲法改正草案)、自民党の憲法改正草案とも、こころの憲法改正草案とも共通項がない

 公明党は、従来から「加憲」という立場だが、具体的な改正項目は示していない。むしろ「改正ありき」「期限ありき」ではないとわざわざ強調し、慎重なスタンスだ(参院選:憲法改正)。自民党よりむしろ民進党の立場に近いのではないか。

 民進党は、参院選の公約では「平和主義を脅かす9条改正に反対」と掲げているが、もともと基本政策合意で憲法改正を目指すと明記しており、公約でも「未来志向の憲法を国民とともに構想する」と言っている。具体的な改正項目には言及せず、早期の改憲に積極的でないとみられるが、「改憲自体に反対」の立場でないことも明らかだ。

 この後に他の政党のことも紹介されており、最後に次のように指摘している。
 こうしてみると、憲法改正に積極的といえるのは自民、こころ、おおさか維新の3党。具体案を出している勢力は生活を含めて4党。民進、公明、改革は、具体案は出していないが必要とあれば何らかの改憲を認める立場であり、これらを含めて広義の「改憲勢力」と呼べば、とっくに衆参両院で「3分の2」を超えている。改正項目や内容について一致点が見出されておらず、改正発議の前提条件が整っていない点では、広義の「改憲勢力」7党も、メディアが「改憲勢力」と称する4党も、同じなのである

 この後に、政党ごとの立ち位置が図で紹介されているので、ご参照のほどを。

 次に、国民投票で、自民党原案を一括で問うことなどできないということを、この記事から引用する。
2.国民投票法上、憲法の全面改正はできない

 自民党の憲法改正草案は、全面改正案である。明治憲法体制、戦後憲法体制に代わる、第3の新憲法体制を打ち立てようという発想(いわゆる自主憲法制定論)が基底にある。こころの改正草案も同様である。

 ところが、2007年に制定された国民投票法は、改正項目ごとに賛否を問う個別投票方式を採用したため、事実上、全面改正が不可能になった。(*3)かつて「改憲vs護憲」の対立は「自主憲法制定(全面改正)vs自主憲法反対・現憲法護持」の対立だったが、この不毛な対立軸は、現行の国民投票法のもとでは無意味化している。つまり、「自主憲法制定」を前提とした自民党やこころの改正草案は、そのままでは現行法上「原案」となる資格がないのである。

 もちろん一度の改正発議で複数の項目・条文を対象にすることは可能だが、個別に賛否を問わなければならない。一度に国民投票にかける項目数も事実上限定されている(国民投票法案の審議で、せいぜい3~5項目とされている)。したがって、自民党の憲法改正草案の一部分だけ取り出して「原案」として提出することは可能だが、草案全体をパッケージにして提案することはできない。

 こういうことを、全国紙では、ほとんど説明しない。
 記事の中からは、自民党サイトの憲法改正草案や国民投票に関する政府広報などへのリンクもあるので、ご確認のほどを。

 他にも、与野党が憲法審査会再開で合意していることや、憲法改正には「各議院の総議員の3分の2以上の賛成による発議」と「国民投票での過半数の賛成」以外にも、「審議する改正項目の確定」「改正案の作成、提出。発議」という4つのハードルがあるが、まだ、どれ一つのハードルも超えていないことや、憲法改正のための具体的なステップなども図示されていたりするが、それは実際に読んでいただくとして、この記事の最後にある<視点>を引用したい。

<視点>党議拘束を前提とした「数の論理」でよいのか

 憲法改正権力は国民にある。国会の勢力図によって決まるものではない。いくら国会で「3分の2」で改正の発議をしても「提案」できるにすぎず、国民投票で過半数が賛成しなければ実現しない(日本国憲法96条)。

 憲法改正問題は本来、超党派で議論すべき事柄であるのに、「改憲勢力が3分の2を取るか」にこだわってよいのか。党派的な「数の論理」を持ち込めば、党派を超えた議論の基盤を損なうのではないか。そのことをメディアは自覚しているだろうか。

 この点については、安倍晋三首相にも大きな責任がある。1月10日のNHK討論番組で、与党だけでなく、改憲に前向きな野党も含めて「未来に向かって責任感の強い人たちと3分の2を構成していきたい」と述べた(読売新聞ニュースサイト)。これでは、「改憲の中身」より「数の論理」を優先する本音が出てしまったと言われても仕方がない。しかし、野党側も「3分の2の阻止」と応じ、メディアも同じ土俵に乗って報道してしまっているのである。

 そもそも「3分の2を取る/取らせない」という発想は、政党の「党議拘束」を前提としている。本来超党派で議論すべき問題なら「党議拘束」を外して各議員の良心にしたがって採決すべき、という議論が出てきてもよい。「党議拘束なし」を前提とすれば「3分の2」を取ってから議論をスタートさせる、という発想は出てこないはずである。「3分の2」はあくまで超党派の審議、熟議の末のゴールにすぎなくなる。(*5)

 与野党ともに「党議拘束」を前提とした「数の論理」に拘泥すればするほど、「3分の2」vs「3分の1」の攻防が先鋭化し、再び不毛な論議に陥るおそれがある。そうした危険性に警鐘を鳴らすでもなく、むしろ率先して「数の論理」に加担するメディアの罪は、あまりにも大きい。

 まったく、本記事の指摘通りだと思う。

 言葉を大事にするはずのメディアに、「改憲派」とは何か、確認したいものだ。

 あまりにも多くの形容詞や注釈を省略して、言葉を使っているように思う。

 全国紙やテレビの「3分の2」に関するニュースには、十分に気を付けるべきだ。

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by koubeinokogoto | 2016-07-11 12:59 | 戦争反対 | Comments(4)
 ISというテロ組織の残虐行為は、許せない。

 しかし、ISという組織にのみ注意を払っていると、中東問題の本質を見失いかねない。

 現在の混沌とした状況を生み出した「サイクス・ピコ協定」から、今年はちょうど100年になる。

 今年4月からNHKのBSで始まった「国際報道2016」で、同協定が締結されてちょうど百年目の5月16日に、この協定のことを取り上げていた。
NHKサイトの該当ページ

 ワシントン支局長などを歴任した田中淳子と、「ニュースウォッチ9」のレポーターを務めていた児林大介などがキャスター。
 当日の内容から引用したい。
 なお、専門家として出演した池内恵(さとし)さんは、落語などの芸能にも造詣が深いドイツ文学者の池内紀(おさむ)さんのご子息である。

特集
2016年5月16日(月)
「サイクス・ピコ協定」締結から100年

映画『アラビアのロレンス』。
第1次世界大戦のさなか、イギリス軍の工作員・ロレンスが、オスマントルコからの独立を目指していたアラブ人義勇兵を支援する物語です。
劇中、イギリスが結んだある密約が問題となります。

“サイクス・ピコ条約を知らんのか?”

「サイクス・ピコ協定」です。
イギリスやフランスなどが、中東の分割を秘密裏に決めていたのです。
大国の利害を優先したサイクス・ピコ協定。
今も中東で続く混乱の原因とも言われます。

田中
「今からちょうど100年前の今日、5月16日に締結された『サイクス・ピコ協定』。
今日の特集は、この協定を手がかりに、混沌とする今の中東情勢を読み解きます。」

児林
「『サイクス・ピコ協定』とは、第1次世界大戦のさなかに、イギリスとフランスなどが、中東の分割を決めた密約です。
両国の外交官、イギリスのサイクス氏と、フランスのピコ氏の名前から、こう呼ばれています。
当時、この地域を支配していたオスマントルコ帝国が崩壊する中で、両国は、自国の利権を確保することを目的とした、新たな秩序を作ろうとしました。

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こちらが当時の分割案です。
地図にある『A』がフランス、そして『B』はイギリスのもとで支配するとしました。
そしてこちらの赤い線が、現在のシリアとイラクの国境です。
当時引かれた黒い線が、今のシリアとイラクの国境の原型になったことがわかります。」

サイクス・ピコ協定 なぜ今?

田中
「ここからは、中東情勢に詳しい、東京大学准教授・池内恵(いけうち・さとし)さんにお話を伺います。

池内さんは最近、サイクス・ピコ協定について1冊の本にまとめ、来週出版されます。
本も書かれているということで、今、改めて100年前のこの協定に注目する意義というのはどこにあるんでしょうか?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「サイクス・ピコ協定そのものを見たり、その前後の中東の動きを見ると、中東問題というものはどうしてこんなに難しいのか、なぜ難しいのかというのが、かなり明らかになるんですね。
それで、同じ問題を今も引きずっていますから、そういう意味でサイクス・ピコ協定を見直してみることに意味があると思いますね。」

田中
「そうしますと、今のいろいろ混とんとしている中東情勢、ここに原因があったと?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「原因というよりは、当時と今と、おそらく、かなり同じ問題に直面していると。
サイクス・ピコ協定そのものは、当時の超大国・イギリスとフランス、英仏が中心になったと。
 当時の帝国だったロシアとか、あるいはイタリアなども一緒になって、中東をどう分割しようかというのを考えたわけですね。
ただ、それは大国の思惑で考えたもので、結局は、そのままでは実現しなかったんですね。
ですから、それが原因を作ったというわけではないんですが、しかし外側から欧米諸国が植民地主義によって中東に介入してつくりかえようとする、その問題を今も引きずっていますから、中東では。
そういう意味で、このサイクス・ピコ協定というのは欧米の植民地主義が中東に与えた影響ということで、非常に象徴的なんですね。」

田中
「悪名高き協定となっていましたよね。」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「そうですね。
日本の学校教育、世界史の教科書などで教えられて覚えていらっしゃる方もいると思いますし、世界的にも非常に有名で、外交文書としては、おそらく最も有名なもの、また最も悪名高いものだと言えると思います。」

田中
「今につながる問題だというのを、地図で具体的に説明していただけますか?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「なぜ悪名が高いかといいますと、とりあえず線を引いて、ここはイギリス、ここはフランスが仕切るよというふうにして…。

実際にはこの辺りにロシアとか、そういった勢力圏があったんですが…。

この線が、現地の民族とか宗教・宗派に合致していないというところが、ずっと批判されてきたんですね。

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批判が最も大きいもの、例えばこの(白い)エリアというのは、トルコ人でもなく、シリア・イラクのアラブ人でもなく、クルド人の人たちが住んでるんですね。


この国境でいいますと、トルコとシリアとイラク、あとイランがありますが、クルド人というのはそういった国のどこにも住んでいるんですが、『国』を持っていない。
国境線が、例えばクルド人が住んでいるところに引かれてしまう、そういう原因をサイクス・ピコ協定は作ったというのが、いちばん大きな批判ですね。」

 このように、第一次世界大戦において、イギリスとフランス、そこにロシアやイタリアも加わって、戦勝国である軍事大国が、好き勝手に国境線を引いて縄張りを決めた密約が「サイクス・ピコ協定」なのだ。
 この協定の原案を作ったイギリスの中東専門家マーク・サイクスと、フランスの外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコの名をとって名付けられた。

 この協定が、どんな問題を引き起こしたか、引用を続ける。

田中
「そのことによって、クルド人にはどういうことが起きているんでしょうか?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「クルド人が国を持てない、国を持とうとする民族運動をやる。
そうすると、各国の政権と対立すると。
民族紛争が起こるんですね。」

田中
「では、改めて国境を引き直したほうがいいんでしょうか?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「ところが、そううまくはいかないんですね。
例えば、実際にはクルド人だけではなくて、例えばアルメニア人も、同じようなエリアに実は住んでいたり…。
あるいは、この辺りにギリシャ人なども住んでいたんですよね。
そうしますと、この1920年の条約(セーブル条約)ではもうサイクス・ピコ協定は否定して、もっといろんな民族や宗教・宗派集団の人たちが国をほしがった。
それを認めた条約が実際に作られたんです。

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ただ、これはこれでものすごく細分化されてしまって、しかもそれぞれの領土の中にクルド人がいたり、クルド人の領土の中にアルメニア人がいたり、その逆も同じで、実際にはこんなふうに線を引けないんですね。
民族や宗教・宗派に合わせた国境線を引くということ自体がそもそもできないと。」


 ここで、池内さんから、重要な発言が登場した。
 そうなのだ。
 “民族や宗教・宗派に合わせた国境線を引くということ自体がそもそもできない”のである。

 引用を継続。


「その後、どうなったんでしょう?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「1920年の、トルコのアナトリアというエリアをいろんな民族で分割する案(セーブル条約)を、新たに独立しようとしているトルコ共和国が否定して、結局、独立戦争をやって、今の国境線にほぼ近いところまで全部押し戻した。(ローザンヌ条約)
それでその後、トルコ人の国民国家をつくっていったと。
それからこの下のエリアでは、シリアとかイラクの人たちがアラブの国民国家をつくっていったんですね。

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そうしますと、クルド人やアルメニア人やギリシャ人は、それぞれが例えば『住民交換』なんていう方法まで使って、ギリシャ人はギリシャに行ってしまったり、アルメニア人は世界中に散ってしまうとか、そういう形で無理やり解決したんですね。」

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田中
「ここに『超大国』『地域大国』『現地の民族・宗派』とありますが?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「サイクス・ピコ協定というのは、この『超大国』が主導して、中東をこんなふうにしたらいいんじゃないかといった、そういう協定なんです。
それに対して、『セーブル条約』の方になってしまうと、今度は『現地の民族・宗派』が、それぞれ自分たちがこの辺りに国をつくるから、『超大国』や『地域大国』は認めてくださいよと主張する。」

田中
「両方ともうまくいかなかったわけですね。」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「そこで結局、1923年のローザンヌ条約になりますと、『地域大国』としてのトルコが台頭して、自分たちが、自分たちの国だと思っている領域を、とにかく軍事力をもって制圧して、そのあと国際社会もそれを認めた。
ギリシャ人やアルメニア人などは外へ出ていったり、クルド人などは民族の主張を抑圧されるということになってしまった。
結果的に、それでトルコという国ができたんですね。」

児林
「そういったサイクス・ピコ協定の否定を前面に掲げて勢力を拡大したのが、過激派組織IS=イスラミックステートです。」


 ついに、ISの名が登場。

“密約”から100年 中東はどこへ

一昨年(2014年)6月、ISの樹立が宣言された時期に公開されたビデオです。
タイトルは、「サイクス・ピコ協定の終えん」。

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国境地帯の警察署を爆破したとする映像など、ISがシリアとイラクの国境をないものとして支配を広げていることを印象づけるものです。

“ここはサイクス・ピコ協定の国境だが、我々は決して認めない。
私たちに国籍はない。
イスラム教徒の国は1つだ。”

“100年の不満” ISが利用

田中
「ISはこれまでの国境を無視して、ご覧のようなイスラム国家を樹立すると宣言していますね。
こうしたサイクス・ピコ協定の『全否定』をよりどころとしているんですが、そこを池内さんはどのようにご覧になっていますか?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「これは、例えば歴代のアラブ諸国の政権というのは、ずっとサイクス・ピコ協定が悪かったんだと主張してきて、教育でも教えてきたんですね。
そういう意味では、ISが突然言い出したことでもないですし、また現地の各国の人たちも、実は意外にそのことを、支持はしないかもしれませんが、共感したりするんですね。
この地図は、イスラム世界が最大の版図を持っていたときの誇りを全部取り戻すというような主張をしているんですが、ただ、実際にISがやったのは、イラクやシリア、その近代につくられた国境線を壊してみせるということなんです。
サイクス・ピコ協定を批判するアラブ諸国の政権は、実際にはサイクス・ピコ協定の枠の中で国を与えられて、それを既得権益のようにしてきたんです。
だから実際には自分たちで国境線を引き直そうとしなかったんですが、それを、ほんの小規模ですがイラクとシリアのところでISがやってみせた。
これは、言っていたことが初めて実現したということで、それなりに衝撃を与えたんですね。」

ISは、イスラム世界の人々の共通の思いである、大国の身勝手な「サイクス・ピコ協定」による国境線を否定することを旗印にして出来た組織であるということを、日本の国民はもっと理解すべきだと思う。

 発端となった密約は、第一次世界大戦時のイギリス、フランス、そしてイタリア、ロシアによる密約であり、日本は、まったく関与していない。

 あえて言うならば、アメリカも、「サイクス・ピコ協定」に関与していない。

 しかし、アメリカは、かつての「世界の警察」の夢を再びというノスタルジーもあったのだろうが、石油利権をめぐるロシアとの覇権争いのために、湾岸戦争を起こし、イラクに侵略し、中東問題を複雑化させている。

 そんなアメリカの言うがままに、「ISは敵だ」と言う日本の首相は、「サイクス・ピコ協定」のことを、どれほど理解しているのか、疑問である。

 さて、なかなかの好番組は、自然な話の流れとして、この後でシリア問題にもふれているので、引用を続ける。

国境線 限界に?

児林
「となりますと、サイクス・ピコ協定によって引かれた国境線、これによる矛盾が出てきたというか、何かそういうことも指摘できるんでしょうか?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「もともと中東を民族ごとに国をつくる、国境線を引くというのは非常に難しいんです。
そういう意味で矛盾はあるんですね。
その矛盾を覆い隠していたのは何かというと、例えばかつてのフセイン政権とか、今のシリアのアサド政権のような、かなり抑圧的な独裁政権なんですね。
ところが、その政権が揺らいでしまった。
アメリカのイラク戦争によって倒されたフセイン政権だとか、あるいは『アラブの春』以後、民衆の反体制運動をきっかけに揺らいだアサド政権、それらの強権的な政権が抑えていることで、宗教とか宗派の問題が覆い隠されていたものが今、出てきてしまった。」

シリア 解決の道は

田中
「その最も顕著な、今起きている例というのがシリアかと思うんですが、国境線を維持したまま問題解決をする道、国際社会が今それを探って和平協議をしているわけですが、これはどうご覧になりますか?」
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東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「今のシリアの内戦の現状を見ますと、おおまかに見ただけでも、いろんな色で塗り分けられた諸勢力が自分たちの支配領域をおさえてしまっていると。
例えばクルド人が中心になって、クルド人の自治区をつくるとかですね、あるいはアサド政権に近い人たちがおさえているエリアとか、あるいはイスラム主義的な勢力がおさえているエリアなどに分かれてしまっているんですね。

これは100年近く前の、例えばセーブル条約などを先ほどお見せしましたけれども、当時は民族・宗派に合わせてここまで細分化されましたが、今のシリアも同じように細分化されてしまう。
しかしそれだと、とても国として今後成り立たないと思うんですね。
そうしますと、どうやら現地の民族・宗派に合わせて切り取ればいいわけでもないらしい。
じゃあ、地域大国が新たに出てきて、ある程度まとまった地域単位をおさえてくれるかというと、今、例えばサウジアラビアやトルコやイランなどのこの周辺諸国、地域大国がいるんですが、それぞれが争っていて、むしろこのいろんな勢力を支援している。
ですからむしろ地域大国は今、力は強くなっているんだけども、現地のいろいろな民族・宗派の対立を永続化する方向にいっている。
そうなると超大国はなんとか合意してくれないかと。
例えば今年(2016年)の2月22日に発表されたアメリカとロシアの合意なんかでは、ここでなんとか超大国が、アメリカやロシアがそれぞれ影響力があるイランやサウジアラビアなどを使ったり、あるいは直接現地の勢力に連合者を見つけて影響力を行使したりして、そして米ロでは合意して、なんとかまとめようとはしているんです。
しかし、超大国の力もそんなに決定的ではないと。
この3層構造で、それぞれが中で分裂している。
それぞれの層の間でまた対立がある。
これをぴたっとどこかで、全員が合意するかたちで終わらせないといけない。
それがシリア内戦を終わらせる難しさなんですね。」


 こういう混沌として状況で、日本は、どういう役割を果たすべきか。
 
 何度か書いているが、イスラム民族は、日本に好意的な面の方が強い。

 それは、日露戦争で、極東の小国が大国ロシアと堂々と戦って勝利した、ということも、いまだに日本贔屓の要因の一つだが、憲法九条があることも、理由の一つに違いない。

 しかし、昨年1月にエジプトで安倍晋三が行った演説は、これまでの日本へのイメージに泥を塗る暴言だった。
 
 テロは許せない。
 しかし、もしテロ事件があっても、「日本人は逃げろ」と言われるための国としての行動、思想のあり方が、国家としてあるべきだ。

 イギリス、フランス、イタリア、ロシアがテロの攻撃対象になることが多いのは、100年前の密約に由来していることを、日本政府も国民も、あらためて認識しなくてはならないだろう。

 中東の人々に、そして、ISなどのテロ組織から、日本は、勝手に国境線を引いて大国の利権争いをする大国の仲間と見なされることの危険性を認識しなくてはならない。

 中立で、常に平和を希求する、世界で唯一原爆の被害を受けた国として存在する道はありえる。


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by koubeinokogoto | 2016-07-05 21:40 | 戦争反対 | Comments(4)

 以前、小島貞二さんの『こんな落語家がいた-戦中・戦後の演芸視-』について記事を書いた。

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小島貞二著『こんな落語家がいた-戦中・戦後の演芸視-』

  最初の記事は、2010年8月11日に放送されたNHKの「戦争と平和」関連番組『戦場の漫才師たち~わらわし隊の戦争~』を見て書いたその日の記事の中で少し紹介したものだ。
 ミス・ワカナとヒロポンのことなども、書いた。
2010年8月11日のブログ

 その六日後8月17日にも、この本を元に記事を書いたのだが、それをきっかけに、ある方とお知り合いになることができた。

 重松正一さんだ。

 私の記事のキーワードは、「バシー海峡」だった。

 2010年8月17日の記事から、小島さんの本の関連部分を再度引用したい。
2010年8月17日のブログ

 佐世保港から君川丸という徴用客船(約一万トン)に乗せられ、出航したのは昭和十九年七月十一日だった。
 東支那海へ出ると、あちこちから船が集まり、たちまち大船団となる。航空母艦もいる。心強い。日本海軍は健在なりを思う。
 健在が一瞬、恐怖に変わったのは七月十八日。命拾いしたあと、船中で見たガリ版刷りのニュースで、「東条内閣総辞職」を知った日であったから忘れ得ない。
 命拾いとは、「そろそろバシー海峡だよ」と聞いたその日の夕刻、私はトイレのため甲板に上がり、用足しのついてに深呼吸をした。船内はすし詰めで息苦しい。トイレは甲板の脇に間に合わせのように設けられ、風の強い日など大も小も甲板に舞う。
「きょうは臭い日だね」が会話のひとつになっていた。
 深呼吸の瞬間、「取り舵一杯!」の絶叫に続いて、船はギシギシ音を立てて左に廻る。その鼻っ先を、おそらく十メートルもないほどの距離を、魚雷が右に走ってゆく。間髪を入れずに、我がほうの艦載機が飛び、駆逐艦が走り、爆雷投下。幸い船団のどの船も無事であったようだ。火柱はどこにもない。
 おそらく東條内閣崩壊の日を狙っての攻撃であったろう。ことらの防御もそれだけに万全であったのだろう。
 大岡昇平の『俘虜記』によると、彼も同じころ、同じ海を渡っている。「サイパン陥落」の報をきいた三日後、バシー海峡で日進丸が魚雷を受け沈む。生存者約七百名を傍船が収容するとある。私たちよりひと足早い船団であったろう。
「南方へ死ににゆく」が実感となる。

 この記事では、この後に、次のように書き、 朝日テレビ系列の「テレメンタリー」というドキュメンタリー番組での東京地区と大阪地区の放送日と時間を、重松さんのホームページの案内から、引用させてもらった。
 このバシー海峡は、「魔の海峡」、「死の海峡」などと言われ、数多くの日本兵士の命を奪っている。小島さんが命拾いをした一ヶ月後の八月十九日には、“ヒ71船団”の「玉津丸」が米軍の潜水艦スペードフィッシュの魚雷を二発受けて沈没し、5000名近くの兵士が亡くなった。
 レイテで戦死されたお父上の記録を残すために重松正一さんが開設されているHPの掲示板に、玉津丸のことを題材にしたテレビ番組が放送されるというニュースがあったので下記に引用させてもらいました。
遺誌 独立歩兵第13聯隊第3大隊レイテ戦史のHP

 放送日前にも記事にしたところ、その記事に重松さんからコメントを頂戴した。
2010年9月9日のブログ
 私は、重松さんのホームページの掲示板を拝見し、肉親捜しの依頼がたてこんでおられて、とてもお忙しい様子なので、引用するご了解をいただかないままに記事を書いていたので、実に恐縮したことを思い出す。

 重松さんのホームページでメールアドレスを知り、遅ればせながら御礼を含むご連絡をした次第だった。

 そして、昨年8月のこと。

 バシー海峡「潮音寺」で大規模な慰霊祭が行われたことを新聞で知り、記事を書いた。
2015年8月4日のブログ

 記事では、あらためて小島さんの本を引用し、重松さんのホームページの掲示板のことも紹介した。

 重松さんにメールしたところ、慰霊祭からお帰りになったばかりで、実にお忙しい中なのに、丁寧なご返事を頂戴した。

 その重松さんから、1月下旬に、読売新聞と東京新聞(中日新聞)で、重松さんを紹介する記事が掲載されることのご案内をいただいていた。

 実は、これらの新聞は、どれも購読していない。
 Webサイトで掲載するだろうと思っていて、つい日が経ってしまっていた。
 新聞販売店に行ったら、もうなかったため、そのうち図書館に行って書き取ろう、と思っていたのだった。

 しかし、今日、中日新聞のサイトに記事があるのを発見。

 「戦禍の記憶」と題して、1月24日に「上」、25日に「中」、26日に「下」の三回にわたって掲載された記事の「下」に、あった。

中日新聞の該当記事(上)
中日新聞の該当記事(中)
中日新聞の該当記事(下)

 26日の記事、「<戦禍の記憶> 戦死者、埋もれさせぬ」を引用したい。

 米軍が太平洋の島を次々と攻略していた一九四四年夏。大分県中津市の陸軍軍人の留守宅に、一通の手紙が届いた。

 「自己の生命の事等考へておられぬ 皆(み)んな父もあり母もあり可愛いゝ(い)子供もある人が沢山ゐるんだ (中略)此(こ)の大切な人々を僕の一令で死地に追込むのだから」

 差出人は、重松勲次(くんじ)少佐。中国からフィリピンへ転任する直前にしたためた。「これが、最後の便りでした」。長男の正一さん(81)=堺市=は、父の心境を推し量った。「命令に従わなければならない。だが、多くの部下を死なせることにもなる。悩んだのではないか」

 フィリピンで日本軍がほぼ壊滅した四五年六月。重松少佐はレイテ島で自決した。四十歳だった。二カ月後に終戦。重松少佐率いる大隊千二百人で、生還者はいなかった。

 正一さんが戦争に向き合うようになったのは、六一年春。フィリピン戦の戦没者の慰霊式に初めて出席したのがきっかけだった。

 「どこで亡くなったんでしょうなぁ」。親や息子の命日が分からないことに苦悩する遺族たちの声を聞いた。過酷だったフィリピン戦の中でも特に生還者が少なく、記録が乏しいレイテ島の戦いは、個々の兵士の正確な戦死日や場所は分からないままだった。

 「自分の場合は、別部隊の将校が間接的に父の最期を聞いていて、自決を知ることができた。でも、大半の兵士たちはそうではなかった」。故人の足跡をたどろうにも、手掛かりすらなかった。

 「戦死者を記録に埋もれさせるのではなく、一人の人間としてよみがえらせよう。指揮官の息子としての使命だ」。そう決意し、銀行勤めをしながら、レイテ戦の生還者への聞き取りをしたり、資料に当たるため図書館に通い詰めたりと、地道な調査を続けた。

 五十年にわたる調査で五百人を超える遺族へ可能な限りの情報を伝えてきた。渡した資料に肉親の名前を見つけると、「これで一区切りが付く」と感激する人が少なくないという。レイテ戦を多くの人に知ってもらおうと、二〇〇八年にホームページも開設した。

 「父が生きていたら同じことをしたはず。死んで父に再会した時、胸を張れます」

 “戦死者を記録に埋もれさせるのではなく、一人の人間としてよみがえらせよう。指揮官の息子としての使命だ”という決意で仕事を続けながらの地道な調査をされてきた重松さんによって報われた人は多いだろう。

 戦争の悲惨さを忘れないためにも、重松さんのような活動は、長く記録され記憶されるべきだと思う。

 今の内閣が、あまりに軽々に憲法を改正(改悪)しようとしていることに、多くの遺族の方は決して賛成するはずもない。
 そして、重松さんの努力で甦った一人一人の戦没者だって、彼岸から、戦争反対を叫んでいるに違いない。

 “父が生きていたら同じことをしたはず。死んで父に再会した時、胸を張れます”とおっしゃるように、重松さんの努力は尊い。
 その努力に報いるには、私のようなもっと若い世代が、戦争するための憲法改悪を断固として防ぐことしかないと思う。

 昨日書いた記事の最後では、将来の日本を若者に期待するというようなことを書いた。
  
 いやいや、中年も壮年も含め、国民一人一人が、現在の日本政府の軍国化の流れに、自分が出来ることで反対の意を示さなければならないのだ。

 あらためて重松さんの記事を見て、こんなちっぽけなブログでも、なんとか頑張ろう思うばかりだ。

 最後に、重松さん、記事の紹介が大変遅くなり、誠に申し訳ありませんでした。

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by koubeinokogoto | 2016-02-09 18:09 | 戦争反対 | Comments(0)
 野坂昭如の訃報を目にした。

 昭和58年の衆院選、私は野坂が田中角栄に対抗して立候補した、当時の新潟三区の中心都市である長岡に住んでいた。

 飲み屋街である殿町の店で、うかつに角栄や越山会の悪口など言えない土地。
 ある選挙期間中だったと思うが、飲んでいたスナックに、娘の真紀子が「父の代理」として挨拶で回っていたことを思い出す。ビルの店を一軒づつ回っていたのだろう。

 大手通りで角栄が演説をしている時、多くの越後のおばちゃん達が、神様に向かうかのように手を合わせていたことも思い出す。

 余所者である私は、野坂の出馬を意気に感じて彼に一票を投じた。

 「朝まで生テレビ」は、大島渚と野坂昭如が出演していた頃が絶頂期だったなぁ。

 さて、この記事は野坂の前に伝えられた訃報の主の著作について書くつもりでいたが、まくらがつい長くなった。野坂のことは、別途書くつもり。

 水木しげるさんの訃報に接した際、兄弟ブログ「噺の話」で記事を書いた。
「噺の話」2015年11月30日のブログ

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『総員玉砕せよ!』(講談社文庫)

 あの記事を書いた時は未読だった『総員玉砕せよ!』(講談社文庫)を読み終わった。本書は1991年に単行本発行、1995年に文庫化された。

 読後、なんとも言えない思いに浸る。


 冒頭部分。
 海上を進む輸送船やニューブリテン島の風景を背景に、次の「可愛いスーチャン」(作者不詳)の歌詞がある。

お国のためとは 言いながら
人の嫌がる 軍隊に
志願でするよな バカもいる
可愛いスーチャンと 泣き別れ

朝は早よから 起されて
ぞうきんがけやら はき掃除
いやな上等兵にゃ いじめられ
泣く泣く送る 日の長さ

乾パンかじる ひまもなく
消灯ラッパは 鳴りひびく
五尺の寝台 わらぶとん
ここが我等の 夢の床

海山遠く へだてては
面会人とて さらになく
着いた手紙の うれしさよ
可愛いスーチャンの 筆の跡

 戦意高揚のための軍歌ではなく、兵卒の日常を歌う、いわゆる兵隊節であることが、この本がどんな視点で書かれたものかを暗示する。

 あとがきで作者水木しげるは「90パーセントが事実です」と書いている。

 残る10パーセントは、作者の分身である丸山二等兵は、「バンザイ突撃」の時には入院していたのだが、本書では仲間と一緒に玉砕していること、など。

 本書は、水木しげるの戦争体験に基づいている。
 中心となるのは、ラバウルにいた十万人の日本兵の捨て石となったバイエン支隊五百人の兵士の玉砕。

 敵は上陸してくる米軍だけではなかった。
 デング熱で亡くなる者、手榴弾で捕った魚が喉に詰まって窒息死する者、池に溺れてワニに食われた者、などもいる。そして、支隊にとって味方であるはずのラバウル司令部でさえ・・・・・・。


 物語は、ニューブリテン島ココボ、昭和18年末のことから始まる。

 「ピー屋」と呼ばれる慰安所に並ぶ多くの兵隊たち。

 翌日の丸山たちの会話。
 
 「それで、きのうはどうだった」
 「二三人はできたかしんねいど、なにしろ五分間しかねえのに
  七十人も並んでんだ」
 「ほとんど『女郎の歌』でお別れさ」
 
 『女郎の歌』の歌詞も載っているが、割愛。

 初年兵は、理由なく上官から殴られる。
 しかし、テレビドラマ「鬼太郎が見た玉砕 ~水木しげるの戦争~」で塩見三省が扮した「ピンタ軍曹」こと本田軍曹は、味方の鉄砲の誤射で負傷し、手榴弾で自決。

 部下に「玉砕」を命じたのは士官学校出、二十代のバイエン支隊長田所少佐。
 少佐は楠木正成に心酔しており、湊川の戦いにおける正成の死に様にあこがれていた。
 テレビでは「花子とアン」で新聞記者を演じた木村彰吾が田所に扮した。

 田所支隊長(少佐)が「玉砕」を説くものの、児玉中隊長(中尉)はゲリラ戦を主張する。田所は、児玉の中隊のみ、特別にゲリラ戦を許可したため、生き残ることのできた生命が増えたのだった。

 バイエン支隊はラバウルの司令部に玉砕することを電信する。
 司令部では、彼らは全員死んだものと思い、全軍にそのことを告げ、戦意高揚を図っていた。しかし、聖ジョージ岬の警備隊から、バイエン支隊の生存者数十名が岬近くにいると知らせを受ける。
 司令部は、バイエン支隊の敵前逃亡はラバウル全軍の面汚しと考え、彼らを実際に「玉砕」の英霊とするために、参謀の木戸を聖ジョージ岬に派遣する。
 木戸の出発前夜、バイエン生き残り兵士の一人である石山軍医がラバウルを訪れて部下の命乞いをしたが、司令部が認めるはずもなく、軍医は抗議の自決をした。
 テレビでは嶋田久作が軍医に扮した。ニンだったなぁ。
 
 本書でも、石山軍医の行動や発言が、強く印象に残る。

 狂気のうずまく中で、正気は少数派にしかなりえない、ということか。

 これ以上は内容について書かないが、作者のあとがきから引用したい。
 
 「玉砕」というのは、どこでもそうですが、必ず生き残りがいます。 
 まあ、ベリリウ島等は、ものすごく生き残りが少なかったので、模範ということになり、ラバウルではベリリウ島につづけということがよくいわれました。
 しかし、ベリリウ島みたいな島で全員が一度に死ねるということなら、玉砕は成功する。
 ラバウルの場合、後方に十万の兵隊が、ぬくぬくと生活しているのに、その前線で五百人の兵隊(実際は三、四百人)に死ねといわれても、とても兵隊全体の同意は得られるものではない。
 軍隊で兵隊と靴下は消耗品といわれ、兵隊は“猫”位にしか考えられていないのです。

 日本は、人間を靴下と同じような消耗品として扱う悪夢を、また繰り返そうとしている。

 水木しげるは次のような回想を記している。
 この物語では最後に全員死ぬことになっているが、ぼくは最後に一人の兵隊が逃げて次の地点で守る連隊長に報告することにしようと思った。だが、長くなるので全員玉砕にしたが、事実はとなり地区を守っていた混成三連帯の連隊長は、この玉砕事件についてこういった。
「あの場所をなぜ、そうまでして守らねばならなかったのか」
 ぼくはそれを耳にしたとき「フハッ」と空しい嘆息(ためいき)のような言葉が出るだけだった。
 
 後で振り返れば、何人もの生命を奪った玉砕のすべてに、「なぜ、そうまでする必要があったのか」という疑問符がつく。

 それは、「なぜ戦争をしたか」という問題にまで戻ることになるはずだ。

 水木しげるが残してくれた戦争の記録と反戦の思いを、我々は生かさないわけにはいかない。

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by koubeinokogoto | 2015-12-10 20:52 | 戦争反対 | Comments(2)
ある本の引用から。

 人間が武器で身を固め、衣服をまとい、社会を組織することによって、外から人間を脅かす飢えや、寒さや、大きな捕食者につかまるという危険をどうやら取り払い、その結果これらの危険がもはや人間を淘汰する重要な要因とはならなくなったとき、まさにそのときに種の内部に悪しき淘汰が現れてきたにちがいない。こうなると淘汰の腕を振るうのは、敵対する隣合わせの人間どうしがする戦争ということになった。戦争は、さまざまないわゆる「軍人精神」を養い育てるのに役立ったに違いない。そんな精神を今なお本気で養うに値する徳だと思っている人間が残念ながら多いのだ

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『攻撃 -悪の自然誌-』(ローレンツ、みずす書房)

コンラート・ローレンツの『攻撃-悪の自然誌』(日高敏隆・久保和彦訳、みすず書房、昭和45年1月初版発行)からの引用だ。
 
 作者コンラート・ローレンツは動物行動学、動物心理学の権威で、『ソロモンの指環』と本書が有名。1973年にノーベル医学生理学賞を受賞。

 私が持っているのは、ⅠとⅡの上下巻に分かれた版だが、今では一冊になって発行されている。
 発行は、あのピケティ『21世紀の資本』の、みすず書房。

 私は、ローレンツの指摘するように、残念ながら、軍人精神を養うべき“徳”と考えている人間が、今の日本の政権の中枢に少なくない、と思えてならない。

 本書で、ローレンツは次のような主張をしている。

 生物は本来、同じ種の仲間に対する闘争の衝動があり、人間の場合それが理性で抑制されている。
 理性で抑制されているからストレスが生じる。
 そのストレスを解放するために、スポーツなどへの「熱狂」と、緊張を解きほぐす「笑い」が有効であると述べている。

 そして、ローレンツは「笑いは熱狂よりもっと高尚な意味で人間固有のもの」であり、「吠える犬は噛みつくことも多かろうが、笑っている人間が発砲することは決してない」と言う。

 こんな言葉を紹介すると、「いや、笑いながら引き金を引く殺し屋もいるだろう」などと反論されそうだが、その笑いは、ローレンツの言う笑いではない。

 ローレンツは、人間の本能の衝動である攻撃は、種外の環境との関係において、少しでも有利な生存の可能性を確保しようとする「淘汰」の作用だとも言う。

 
 この指摘は、引用した文章にあるように、戦争などを考えると、実に示唆に富んでいる。

 人間の場合、敵対すべき他種をも駆逐してしまい、環境からの脅威のない「万物の霊長」になってしまったがために、その本能は空回りをして、非常に危険な状態にあると彼は主張する。

 そして、ストレスの爆発を回避するためには、抑制よりも「熱狂」や「笑い」による積極的な解放が重要であることを提起している。

 東京五輪による熱狂で、果たしてストレスの爆発は回避できるのだろうか・・・・・・。

 それよりも、「笑い」が、攻撃という本能のブレーキになることのほうが、実に健全ではないかと思っている。

 これからは、困った価値観を持った人間によって成立した憲法違反の法案を、民主主義の力であらためて葬り去るための長い戦いが続くだろう。
 
 常に、熱狂でいることはできない。

 笑いのある日常生活を続けながら、侵略主義者たちに負けないようにしたいと思う。
 そして、できることなら、相手も気の利いた冗談、小咄で笑わせてやる、くらいの心の余裕をもっていたい。

 同じ種への攻撃は、動物の本能。
 理性で抑制することでたまったストレスを、いかに解放するか。

 ローレンツの指摘は、今後の日本の政治状況を考えるにあたっても、実に示唆的だと思う。

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by koubeinokogoto | 2015-09-23 11:28 | 戦争反対 | Comments(2)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛