幸兵衛の小言

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カテゴリ:幸兵衛の独り言( 48 )

 トランプ父娘の来日騒動が、ようやく終わってほっとしている。

 窮乏する国民の生活などを無視し、大盤振る舞いの安倍だったなぁ。

 最近は、日本で起こった出来事を、海外のメディアで初めて知ることが多くなった。

 二人の来日中の出来ごとについて、「BUSINESS INSIDER」がロサンゼルス・タイムズ、ニューヨーク・タイムズの記事から紹介しているので、引用したい。
「BUSINESS INSIDER」の該当記事

「会場はガラガラ」欧米メディアが冷笑する日本のイヴァンカとトランプ報道

津山恵子 [ジャーナリスト]
Nov. 07, 2017, 06:00 PM

「シンゾーは、ドナルドに特別なものを用意していた」

という書き出しで、ロサンゼルス・タイムズは、両首脳の接近ぶりをトランプ大統領来日の初日(米時間11月4日)に書いた。安倍首相がトランプ氏に贈った「ドナルド&シンゾー 同盟をもっと素晴らしいものにする」と縫い取りがある野球帽のことだ。

同紙は、ゴルフのプレイについて、両首脳がtwitterでお互いを褒めあったことも報じた。

❝「素晴らしい友人とのゴルフ、会話が弾みます」(安倍首相)

「安倍首相と松山英樹とゴルフ。素晴らしい人たちだ」(トランプ大統領)

両首脳夫妻が鉄板焼きグリルに行った際は、トランプ大統領が、記者団にこうコメントした。

❝「我々の関係は、本当に稀なものだ。日本に我々がこんなに近づいたことはなかっただろう」

ロサンゼルス・タイムズは両首脳の「褒め合戦」を淡々と報じたが、多くの各国首脳とはうまくいっていないトランプ氏が、異例の扱いを受けていることが際立つ。さらに首脳同士の関係と日本人の米大統領に対する感情は、大きく隔たっている。

ガラガラだったイヴァンカ氏のイベント

米調査機関ピュー・リサーチ・センターによると、日本人の米大統領に対する信頼度は、2016年のオバマ大統領時代の78%から24%と、54ポイントも下落している。同様に、アメリカに対する好感度も72%から57%と落ち込んだ。 また、トランプ政権下、日米関係が「良くなる」と答えた人は17%にとどまり、「悪化する」と答えた人が41%と大きく上回った。

ニューヨーク・タイムズは、ピューの数字を大統領の長女で大統領補佐官のイヴァンカ・トランプ氏の来日記事で引用した。安倍首相と出席した「国際女性会議WAW!」の座席がガラガラだったのも、この数字が背景にあるのでは、と報じている。

 同紙はまた、日本のテレビコメンテーターが、イヴァンカ氏のピンクのスカートが大統領補佐官として、短すぎると報じていたことも伝えた。アメリカでは「スカートの長さ」などどうでもいいことだとも。イヴァンカ氏の成田国際空港到着時の様子からレストランでの食事内容まで、「メジャー・ニュース」として伝えた日本メディアの過熱ぶりと、メインイベントの会議では集客につながらなかったことの対比を際立たせていた。


 私の記憶がたしかなら、日本のテレビで、ガラガラの会場を放送した局はなかっただろうし、そのことを報道した大手新聞もなかったはず。

 流行語大賞じゃないが、「忖度」か。

 ここ数年、政府に批判的な記事や放送をしたメディアへの脅しが、実によく効いているということだ。

 この国で起こったことを、この国のマスコミから知ることは難しくなった。


 北朝鮮への圧力を強めることについてトランプと安倍は同意したらしい。

 日本国民の多くは、そんな安倍政権はもうたくさんだ、ということに同意している。

 コメンテーターなる、雛壇の賑やかしが、スカートの丈が短いなどど言っているのは、いわゆる、オバチャンたちの井戸端会議と同レベルの内容である。

 どうでもいいことなのだ。

 ファミレスや喫茶店でオバチャン達が交わすような会話が、公共の電波でたれ流ししされている時、それを見てほくそ笑んでいる権力者がいることを忘れてはならない。

 先の選挙で堂々と当選した山尾議員が、不倫相手と言われる弁護士をスタッフ(政策顧問)に起用したことに対して、いろんなタレントが批判的コメントをしているらしいが、海外、たとえばフランスなら何ら問題にされないだろう。

 山尾議員に尋ねるべきことは、スタッフを強化して、何を国会で追及するのか、というあくまで「政治的」なテーマであるべきだ。

 政治家に問うべきは、政治課題にどう取り組んでいるかである。

 もし不倫問題でもっと糾弾されるべきは、当代の桂文枝ではなかったのか。
 相手が売名を目的としていたとしても、文枝が長らく彼女と交際していた事実は消えなかろう。
 
 ともかく、なぜ、野党の政治家が覗き見的な週刊誌のターゲットになったのか、その背後にあるものこそ、国民は凝視しなければならない。

 我々国民の血税が無駄遣いされていることこそ、追及されるべきであって、「モリ」も「カケ」もまだ終わっちゃいない。

 トランプの来日中に、二人のファーストレディが、「平」「和」の書道をしている映像を見ていて、私が思ったことがある。
 もし、森友問題が表面化されていなければ、安倍総理夫人は、トランプ夫人を森友の幼稚園に連れて行ったかもしれないなぁ。

 そこで、彼女は、日本の教育問題を滔々と語ったであろう。

 二人で書いた「平和」の文字は、皮肉だ。
 世界の多くの真っ当な政府が、北朝鮮問題で、対話を重視すべきと主張している中で、「圧力」で一致している貴方たちの旦那こそ、「平和」を乱そうとしているのではないか。

 今、まさに日本のジャーリズムの炎が消えかかろうとしている。
 
 想田和弘が「熱狂なきファシズム」と名づけた脅威を防ぐには、少しでも多くのメディアが、本来の仕事をする必要がある。

 何にメディアは「熱狂」すべきなのか。

 その対象は、弱い者ではなく、強い権力であるはずだ。

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by koubeinokogoto | 2017-11-09 18:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 準備期間の短さを考えれば、立憲民主党の55議席は、国民の「反安倍政権」の思いを充分に反映した結果と言えるだろう。

 選挙前から議席数を伸ばしたのは、立憲民主党だけである。

 このことは、もっと声高に叫ばれて良い。
 しかし、今のメディアは、安倍に睨まれるようなことは、しない。

 共産党も議席数を伸ばして欲しかったが、残念。

 しかし、それは選挙協力において、ほぼ一方的に共産党が立憲民主党を助ける形になったからでもある。

 とはいえ、共産党候補が立憲民主党候補と戦っていたら、共倒れになっていた地域も少なくないだろう。

 立憲民主党は、共産党の選挙協力があったことを忘れてはならない。

 そして、今こそ、二年前、あの強行採決の後に志位委員長が提唱した、「国民連合政府」を目指すべき時ではなかろうか。
 
 共産党サイトに、当時の主張が掲載されている。
共産党サイトの該当ページ


題は、
「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」の実現をよびかけます
2015年9月19日 日本共産党中央委員会幹部会委員長 志位和夫
となっている。

 その「よびかけ」の内容を引用する。

1、戦争法(安保法制)廃止、安倍政権打倒のたたかいをさらに発展させよう

戦争法(安保法制)は、政府・与党の「数の暴力」で成立させられたからといって、それを許したままにしておくことは絶対にできないものです。

何よりも、戦争法は、日本国憲法に真っ向から背く違憲立法です。戦争法に盛り込まれた「戦闘地域」での兵站、戦乱が続く地域での治安活動、米軍防護の武器使用、そして集団的自衛権行使――そのどれもが、憲法9条を蹂躙して、自衛隊の海外での武力行使に道を開くものとなっています。日本の平和と国民の命を危険にさらすこのような法律を、一刻たりとも放置するわけにはいきません。

戦争法に対して、圧倒的多数の憲法学者、歴代の内閣法制局長官、元最高裁判所長官を含むかつてない広範な人々から憲法違反という批判が集中しています。このような重大な違憲立法の存続を許すならば、立憲主義、民主主義、法の支配というわが国の存立の土台が根底から覆されることになりかねません。

安倍首相は、〝国会多数での議決が民主主義だ〟と繰り返していますが、昨年の総選挙で17%の有権者の支持で議席の多数を得たことを理由に、6割を超える国民の多数意思を踏みにじり、違憲立法を強行することは、国民主権という日本国憲法が立脚する民主主義の根幹を破壊するものです。

私たちは、心から呼びかけます。憲法違反の戦争法を廃止し、日本の政治に立憲主義と民主主義をとりもどす、新たなたたかいをおこそうではありませんか。安倍政権打倒のたたかいをさらに発展させようではありませんか。


2、戦争法廃止で一致する政党・団体・個人が共同して国民連合政府をつくろう

憲法違反の戦争法を廃止するためには、衆議院と参議院の選挙で、廃止に賛成する政治勢力が多数を占め、国会で廃止の議決を行うことが不可欠です。同時に、昨年7月1日の安倍政権による集団的自衛権行使容認の「閣議決定」を撤回することが必要です。この2つの仕事を確実にやりとげるためには、安倍自公政権を退陣に追い込み、これらの課題を実行する政府をつくることがどうしても必要です。

私たちは、心から呼びかけます。〝戦争法廃止、立憲主義を取り戻す〟――この一点で一致するすべての政党・団体・個人が共同して、「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」を樹立しようではありませんか。この旗印を高く掲げて、安倍政権を追い詰め、すみやかな衆議院の解散・総選挙を勝ち取ろうではありませんか。

この連合政府の任務は、集団的自衛権行使容認の「閣議決定」を撤回し、戦争法を廃止し、日本の政治に立憲主義と民主主義をとりもどすことにあります。

この連合政府は、〝戦争法廃止、立憲主義を取り戻す〟という一点での合意を基礎にした政府であり、その性格は暫定的なものとなります。私たちは、戦争法廃止という任務を実現した時点で、その先の日本の進路については、解散・総選挙をおこない、国民の審判をふまえて選択すべきだと考えます。

野党間には、日米安保条約への態度をはじめ、国政の諸問題での政策的な違いが存在します。そうした違いがあっても、それは互いに留保・凍結して、憲法違反の戦争法を廃止し、立憲主義の秩序を回復するという緊急・重大な任務で大同団結しようというのが、私たちの提案です。この緊急・重大な任務での大同団結がはかられるならば、当面するその他の国政上の問題についても、相違点は横に置き、一致点で合意形成をはかるという原則にたった対応が可能になると考えます。

この連合政府の任務は限られたものですが、この政府のもとで、日本国憲法の精神にそくした新しい政治への一歩が踏み出されるならば、それは、主権者である国民が、文字通り国民自身の力で、国政を動かすという一大壮挙となり、日本の政治の新しい局面を開くことになることは疑いありません。


3、「戦争法廃止の国民連合政府」で一致する野党が、国政選挙で選挙協力を行おう

来るべき国政選挙――衆議院選挙と参議院選挙で、戦争法廃止を掲げる勢力が多数を占め、連合政府を実現するためには、野党間の選挙協力が不可欠です。

私たちは、これまで、国政選挙で野党間の選挙協力を行うためには、選挙協力の意思とともに、国政上の基本問題での一致が必要となるという態度をとってきました。同時に、昨年の総選挙の沖縄1~4区の小選挙区選挙で行った、「米軍新基地建設反対」を掲げての選挙協力のように、〝国民的な大義〟が明瞭な場合には、政策的違いがあってもそれを横に置いて、柔軟に対応するということを実行してきました。

いま私たちが直面している、戦争法を廃止し、日本の政治に立憲主義と民主主義をとりもどすという課題は、文字通りの〝国民的な大義〟をもった課題です。

日本共産党は、「戦争法廃止の国民連合政府」をつくるという〝国民的な大義〟で一致するすべての野党が、来るべき国政選挙で選挙協力を行うことを心から呼びかけるとともに、その実現のために誠実に力をつくす決意です。

この間の戦争法案に反対する新しい国民運動の歴史的高揚は、戦後70年を経て、日本国憲法の理念、民主主義の理念が、日本国民の中に深く定着し、豊かに成熟しつつあることを示しています。国民一人一人が、主権者としての力を行使して、希望ある日本の未来を開こうではありませんか。

すべての政党・団体・個人が、思想・信条の違い、政治的立場の違いを乗り越えて力をあわせ、安倍自公政権を退場させ、立憲主義・民主主義・平和主義を貫く新しい政治をつくろうではありませんか。

 二年前は、この「よびかけ」に、他の野党が応えることはなかった。
 
 では、今はどうか。

 枝野が、もし、誠意ある人物ならば、共産党への恩義を忘れないはずだ。

 野党第一党党首の枝野が、共産党の犠牲を覚悟の選挙協力に真摯に感謝し、それに応えるのは、まさに「国民連合政府」実現のための、野党再編に取り組むことである。

 立憲民主党、共産党、社民党、そして、無所属の護憲派議員を取り込んで、次の機会での「国民連合政府」実現のための地固めをするべきだ。

 そう簡単ではない。

 しかし、もし、衆院で100名の仲間が集まれば、歴史を変える土台にはなる。

 枝野、期待に応えてくれ!

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by koubeinokogoto | 2017-10-23 19:12 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 枝野が、ぎりぎりのタイミングで、リベラルの臨終を救おうとしている。

 自民党と希望の党は、対決どころか、同じ穴のムジナであり、国の将来を左右する憲法問題、安保問題については、彼らの主張は変わりはない。

 安倍がほくそ笑んでいるところに、ようやく真っ当な護憲、反戦を主張する国民の声の受け皿ができた。

 今、排除すべき言葉が「圧力」や「選別」であり、大事にするべき言葉は「対話」や「友和」だと思う。

 そもそも、安保法や共謀罪に賛成する議員を身内に抱えていた旧民主党や民進党は、リベラルでもなんでもない烏合の衆であったのだから、解体は必然。

 希望の党は、選挙対策としての反原発の旗を掲げているだけで、時間を見計ってその旗を降ろすのは目に見えている。
 
 自由民主党の政治には、まったく「自由」も「民主」も存在しない。
 
 希望の党のどこに「希望」など見出せるというのか。

 「小池にはまって、さぁ大変」になる前に、なんとか受け皿ができたのだ。

 反戦、脱原発、反共謀罪という主張を共にする人々は、ベストではないかもしれないが、ベターな立憲民主党に結集すべきだ。

 
 アメリカでさえも北朝鮮との対話を模索している時、世界中の反戦を祈る人々が、唯一の被爆国である日本に仲介役として期待しているはずだ。

 しかし、「圧力」しかない、と危機感を煽るしか能のない安倍自民や、希望のない希望の党に日本の舵取りを任すわけにはいかない。

 立憲民主党と共産党との選挙協力で、なんとか、右に旋回しようとしている日本丸の舵を、修正しなければならない。

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by koubeinokogoto | 2017-10-02 17:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

女優、月丘夢路さんの訃報に接した。
朝日新聞の該当記事

 大正11年生まれ、94歳での旅立ち。

 先日帰郷して会ってきた北海道の父と同じ戌年の生まれだ。

 宝塚出身で、数多くの映画に出演された。

 原爆に関する映画に出演されたことでも知られている。

 昭和25(1950)年の「長崎の鐘」は、戦後最初に原爆をテーマとして日本映画だ。当時の長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井隆の随筆に基づいている。永井が原爆爆心地に近い同大学で被爆した状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながらも被爆者の救護活動に当たる姿などが描かれている。
 GHQの検閲もあり原爆を直接批判する映画には出来なかったので、永井の半生を描く映画となっており、月丘さんは永井の妻役を演じた。

 そして、出身地でもある広島に関する映画、その名も映画「ひろしま」に、ノーギャラで主演された。

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                (写真はWikipedia「ひろしま」より)
Wikipedia「ひろしま」

 同映画は、日教組プロにより昭和28(1953)年に製作され、昭和30(1955)年に第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞した。

 この映画は、後に新藤兼人監督・脚本で映画化された『原爆の子』と同じ長田新編纂による文集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』(岩波書店、1951年)を原作としている。

 八万人の広島市民がエキストラで出演している、市民参加の反戦映画と言えるだろう。

 上映にあたっては、GHQへの忖度などから批判的な意見も出たようだ。

 しかし、フランクリン・ルーズベルトの妻、エレノア・ルーズベルトが高く評価したり、ベルリン国際映画祭で長編映画賞を受賞したことが、この映画の価値の証左である。

 月丘さんが、この映画について語っているYoutubeを見つけたので、掲載する。



 松竹専属だったが何度も嘆願して出演した映画だったことや、現地で目にしたアメリカの映画人のように、富を得た者が何等かの形で社会に貢献することの大切さなどが語られている。

 残念ながら、この二つの映画を見ていない。

 「長崎の鐘」、「ひろしま」をぜひ見たい。

 月丘さんの追悼の意味でも、ぜひ地上波でもBSでもCSでもいいので、放送して欲しいと思う。

 2020年東京五輪を無理やり理由にもならない理由にして、共謀罪を強引に可決させ、また、憲法を改悪しようとしている安倍政権に、月丘さんはどんな思いを抱いていたのか、もはやお聞きすることはできない。

 しかし、日本が再び戦争への道をたどることには、間違いなく反対されたであろう。

 そうじゃなければ、とても、あの二つの原爆にまつわるい映画に出演されるはずもない。

 月丘夢路さんのご冥福を、心よりお祈りする。


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by koubeinokogoto | 2017-05-08 18:41 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 加川良の訃報に接した。

 デイリースポーツから引用する。
デイリースポーツの該当記事
加川良さん 急性骨髄性白血病で死去 判明から4カ月、前夜容体急変
デイリースポーツ 4/6(木) 5:59配信

「教訓1」などで知られ、日本フォーク界の先駆け的存在だったフォーク歌手・加川良(かがわ・りょう)=本名小斎喜弘=さんが5日午前9時39分、急性骨髄性白血病のため都内の病院で死去した。69歳。滋賀県出身。所属事務所によると、昨年12月9日の検査入院で急性白血病が判明。今月4日夜にに容体が急変し、妻・富士子さんに見守られて息を引き取った。葬儀・告別式は親族のみで行い、後日、追悼ライブを開く予定。

 訃報は一人息子でミュージシャンのgnkosai=本名小斎元希=が自身のフェイスブックで伝えた。

 加川さんは昨年12月14日、公式サイトで「12月9日 山梨県下の病院に検査入院、少々つかれ気味でした。本日6日目、今しばらくの入院生活となりそうです」と、恒例の直筆メッセージで報告していた。メッセージは「また お会いします」と結ばれていたが、約束は果たされることなく、これが最後のメッセージとなった。

 所属事務所の阪本正義社長によると、加川さんはそれまで普通にライブを行っていたが、検査入院で急性白血病が判明。1月に入って都内の病院に移り、闘病生活を送っていた。病状は「穏やかな日もあり、ムラのある日々だった」が、4日夜に容体が急変。静かに息を引き取った。

 加川さんは昨年6月、ニューアルバム「みらい」を発表。10月には米シカゴでライブを行った。その後も12月4日の福岡までライブを行ったが、同17日の大阪、18日の岡山を入院のため延期した。

 今年は古希を迎えることもあって、いろいろなイベントが予定されており、ライブの予定も多く入っていたという。阪本氏は「本人も夢にも思っていなかったと思います」と、加川さんの無念を思いやった。

 加川さんはセミプロのグループサウンズのボーカルを経て、高石ともや、岡林信康や故高田渡さんが所属していた日本のインディーズレーベルの先駆け「URCレコード」の出版会社「アート音楽出版」に就職した。

 1970年、伝説の第2回中津川フォークジャンボリーに飛び入りして「教訓1」を歌いデビュー。小室等、友部正人、大塚まさじらと共に日本のフォークの先駆けとして活躍した。吉田拓郎が72年に発表したアルバム「元気です」には「加川良の手紙」という楽曲が収録されている。


 残念だ。

 もっと歌って欲しかった。

 しかし、彼の歌は、生きている。

 今の時代、まさに必要とされる歌が、「教訓Ⅰ」だ。

 二十代で越後にいた時、あるお店で加川良のライブがあり、彼の歌を聴くことができた。

 ジャズのライブなども開くそのお店のご主人と懇意にしていたので、打ち上げにも参加させてもらった。
 実に腰が低く、その場にいたお客さんたちに酒を注いで回っていた加川良の姿を、今でも思い出す。

 たぶん、昭和57年か58年だったと思う。

 生で聴いた「教訓Ⅰ」は、素晴らしかった。

 今、まさにこの歌が求められているのではなかろうか。

 歌詞を紹介し、加川良のご冥福を祈りたい。


「教訓Ⅰ」

作詞:加川良
作曲:加川良
唄 加川良

 命はひとつ 人生は1回
 だから 命をすてないようにネ
 あわてると つい フラフラと
 御国のためなのと 言われるとネ
 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 御国は俺達 死んだとて
 ずっと後まで 残りますヨネ
 失礼しましたで 終るだけ
 命の スペアは ありませんヨ
 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 命をすてて 男になれと
 言われた時には ふるえましょうヨネ
 そうよ 私しゃ 私しゃ 女で結構
 女のくさったので かまいませんよ
 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 死んで神様と 言われるよりも
 生きてバカだと いわれましょうヨネ
 きれいごと ならべられた時も
 この命を すてないようにネ
 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 国のために命を捨てよ、などという言葉には、震えよう。
 教育勅語などには、青くなってしりごみしよう。

 そして、戦争からは、徹底的に逃げようじゃないか。

 合掌
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by koubeinokogoto | 2017-04-07 12:55 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)

 「LITERA」が、なかなか楽しい(?)記事を掲載している。
「LITERA」の該当記事

 題は次の通り。
新年特別企画◉安倍政権御用ジャーナリスト大賞
安倍サマのためならデマも平気で垂れ流す、安倍政権御用ジャーナリスト大賞を発表! 2017年もコイツらには要注意

 俎上に上った七人について、一部の記事を引用し上から並べてみる。

1位●田崎史郎(時事通信社特別解説委員)

待機児童問題でもデマ、寿司だけじゃなく自民党から金も! 自他ともに認める「安倍政権の代弁者」

 安倍首相と会食を繰り返していることからネット上で“田崎スシロー”と揶揄されている田崎史郎だが、昨年も相変わらずメディアに引っ張りダコ。


2位●山口敬之(ジャーナリスト、元TBS記者)

「安倍首相と温泉に行った」と自慢しプロパガンダを垂れ流す癒着ジャーナリスト

 昨年6月、気持ちが悪いほどの安倍礼賛本『総理』(幻冬舎)を発表し、一躍“安倍応援団”の大型新人として名乗りを上げた山口敬之。じつは前職のTBS官邸担当記者時代から、NHKの岩田明子、産経の阿比留瑠比と並んで“安倍の太鼓もち番記者三羽烏”と呼ばれていた典型的な癒着ジャーナリストなのだが、本の出版を機にワイドショーに進出。“安倍首相のことなら何でも知っている”と言わんばかりの態度でプロパガンダを流すようになったのだ。

3位●松本人志

孤高の芸人もいまは昔…安倍首相と同調し尻尾を振る「権力の犬」

 安保法制議論で「安倍さんがやろうとしていることに対して『反対だ!』っていう意見って、意見じゃないじゃないですか。対案が出てこないんで」と見事な安倍話法を踏襲させてみせ、すっかり安倍政権応援団に仲間入りした松本人志。こうしたエールに気を良くしたのはもちろん安倍首相で、昨年4月には『ワイドナショー』(フジテレビ)についに出演。熊本大地震の発生で放送は5月に延期されたが、そもそも予定されていた放送日は衆議院補欠選の選挙期間中で、安倍首相はこの前哨戦のために、自分の味方である松本と同番組を利用しようとしたのだ。

4位●後藤謙次(『報道ステーション』コメンテーター)

自民党から金を受け取っていた過去も!「ダラダラ解説」で安倍政権をフォロー

 昨年4月、古舘伊知郎の降板とともに『報ステ』の月〜木曜コメンテーターとなった元共同通信社編集局長の後藤謙次。いまではダラダラと論点のボケた解説をして視聴者を煙に巻き、しかし結果的に安倍政権をフォローするという芸を身につけたようだ。

5位●辛坊治郎(キャスター)

デマを流してまで安倍政権をアシストする「大阪の腰巾着」

 ネトウヨ製造番組『そこまで言って委員会NP』(読売テレビ)で司会を務め、安倍首相にとって大阪の腰巾着となっている辛坊治郎だが、昨年も2月20日には冠のラジオ番組『辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!』(ニッポン放送)に安倍首相が生出演。安倍首相は「辛坊さんの番組に出るというのは大きなリスクなんですが(笑)」などと語ったが、何をか言わんや。辛坊は「(北方領土問題を)動かせるのはプーチン・安倍しかいない」と盛大にもちあげた。

6位●青山和弘(日本テレビ報道局解説委員、政治部副部長)

単独インタビューのご褒美でフォローに走る「政権の腹話術人形」

 2015年の安保法制議論では「この法案が廃案にされては困りますので、うまくこう、巻き込んでいく」と安倍首相の思いを代弁して見せたことで本サイトが“政権の腹話術人形”と命名した青山記者は、2016年も絶好調。憲法記念日を目前にした4月下旬には安倍首相の単独インタビューをおこない、そこで安倍首相は憲法改正の必要性を強調するという舞台を用意した。

7位●岩田明子(NHK政治部記者、解説委員)

失態をすべて美化する「安倍首相にもっとも近い女性記者」

 安倍政権の広報部と化しているNHKにおいてもっとも露骨に安倍首相の功績をアピールする岩田記者。2007年に安倍首相が退陣した際には体重が5キロも減り、精神不安定になったとさえ言われるほどで、その盲信ぶりに「安倍教の信者」「安倍の喜び組」とも揶揄されている。

 あまりテレビを見なくなったので、よく知らない人もいるが、今後ニュースなどでこの方たちの名前を目にしたら、眉に唾することにしよう。



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by koubeinokogoto | 2017-01-05 12:39 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 スウェーデン・アカデミーがノーベル文学賞を授与すると発表して以来、ボブ・ディランとノーベル賞事務局との連絡がつかないらしい。
 
 朝日新聞から引用する。
朝日新聞の該当記事

ディランさんへ、もう連絡しません ノーベル賞事務局
ロンドン=渡辺志帆
2016年10月18日01時12分

 今年のノーベル文学賞を米国のミュージシャンのボブ・ディランさん(75)に授与すると発表したスウェーデン・アカデミーは17日、ディランさん本人への連絡を断念すると明らかにした。サラ・ダニウス事務局長が地元ラジオに語った。

 それによると、アカデミーは授与発表から4日がたった現在も、ディランさん本人と連絡が取れていない。ディランさんが文学賞を受けるつもりがあるかや、12月10日にストックホルムである授賞式に出席するかも不明だ。ダニウス氏は「受諾してくれると思う。そうでなければ悲しいが、栄誉は彼のものだ。心配はしていない」と語った。関係者への連絡は続けるという。

 ディランさん本人は、受賞についてコメントしていない。公式ツイッターは、受賞当日の夜にオバマ大統領からの祝福メッセージをリツイートして以後、更新が途絶えている。(ロンドン=渡辺志帆)

 私は、ディランは、受賞すべきかどうか迷っているのではないかと察する。

 昨夜、私はアメリカ人とドイツ人と一緒に夕食をとったのだが、この話題になり、二人とも今回の受賞に否定的なのは、私の思いと同じだった。

 他の多くの方と同じく、私は今回の授章に疑問を抱く。
 ディランは「シンガー・ソング・ライター」であり、「作詞家」としてだけの存在ではない。
 だから、「文学」の範疇に彼を取り込もうとすることに、無理がある。
 
 「詩人」としての範疇では括り切れない彼の存在を考えて、今回のスウェーデン・アカデミーの決定は多くの人に違和感を与えている。

 そして、何より、彼は「プロテスト・ソング」の担い手である。

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Amazon Bob Dylan「The Freewheelin'」

 ボブ・ディランの「風に吹かれて」を含む、デビュー二作目のアルバム「The Freewheelin'」は、今更説明の必要もない、傑作だ。

 デビューアルバムは、当時5,000枚しか売れなかった。
 この二作目は、RIAA(アメリカ・レコード協会)から100万枚以上のセールスを記録したプラチナ・ディスクとして認定されている。


 1963年11月にリリースされたのだが、収録曲の録音は、1962年4月24日から1963年4月24日までに渡っている。
 1962年の10月に、あの「キューバ危機」が起こっている。

 次のような曲が含まれている。

Side 1
1.「風に吹かれて」 Blowin' in the Wind
2.「北国の少女」  Girl from the North Country
3.「戦争の親玉」 Masters of War
4.「ダウン・ザ・ハイウェイ」 Down the Highway
5.「ボブ・ディランのブルース」 Bob Dylan's Blues
6.「はげしい雨が降る」 A Hard Rain's a-Gonna Fall
7.「くよくよするなよ」 Don't Think Twice, It's All Right

Side 2
1.「ボブ・ディランの夢」 Bob Dylan's Dream
2.「オックスフォード・タウン」 Oxford Town
3.「第3次世界大戦を語るブルース」 Talking World War III Blues
4.「コリーナ、コリーナ」 Corrina, Corrina
5.「ワン・モア・チャンス」 Honey, Just Allow Me One More Chance
6.「アイ・シャル・ビー・フリー」 I Shall Be Free

 公式サイト「bobdylan.com」から、「戦争の親玉」(Masters of War)の歌詞を引用。
ボブ・ディラン公式サイトの該当ページ

Masters Of War
Written by: Bob Dylan

Come you masters of war
You that build all the guns
You that build the death planes
You that build the big bombs
You that hide behind walls
You that hide behind desks
I just want you to know
I can see through your masks

You that never done nothin’
But build to destroy
You play with my world
Like it’s your little toy
You put a gun in my hand
And you hide from my eyes
And you turn and run farther
When the fast bullets fly

Like Judas of old
You lie and deceive
A world war can be won
You want me to believe
But I see through your eyes
And I see through your brain
Like I see through the water
That runs down my drain

You fasten the triggers
For the others to fire
Then you set back and watch
When the death count gets higher
You hide in your mansion
As young people’s blood
Flows out of their bodies
And is buried in the mud

You’ve thrown the worst fear
That can ever be hurled
Fear to bring children
Into the world
For threatening my baby
Unborn and unnamed
You ain’t worth the blood
That runs in your veins

How much do I know
To talk out of turn
You might say that I’m young
You might say I’m unlearned
But there’s one thing I know
Though I’m younger than you
Even Jesus would never
Forgive what you do

Let me ask you one question
Is your money that good
Will it buy you forgiveness
Do you think that it could
I think you will find
When your death takes its toll
All the money you made
Will never buy back your soul

And I hope that you die
And your death’ll come soon
I will follow your casket
In the pale afternoon
And I’ll watch while you’re lowered
Down to your deathbed
And I’ll stand o’er your grave
’Til I’m sure that you’re dead
Copyright

© 1963 by Warner Bros. Inc.; renewed 1991 by Special Rider Music


最初の段落を、微力ながら和訳したい。

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Come you masters of war
You that build all the guns
You that build the death planes
You that build the big bombs
You that hide behind walls
You that hide behind desks
I just want you to know
I can see through your masks

戦争の親玉諸君よ
鉄砲を作る諸君よ
殺人飛行機を作る諸君よ
大きな爆弾を作る諸君よ
壁の後ろに隠れている諸君よ
机の後ろに隠れている諸君よ
あんた達に知ってもらいたい
あんた達の魂胆はお見通しだってことを
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最後の段落の一つ前は、こうだ。
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Let me ask you one question
Is your money that good
Will it buy you forgiveness
Do you think that it could
I think you will find
When your death takes its toll
All the money you made
Will never buy back your soul

質問させてくれないか
そんなに金っていうものはいいのかい?
その金で許しを買おうというのかい?
そんなことができると思っているのかい?
あんた達も、いつかは気づくだろう
あんた達が死ぬときに有り金全部積んでも
魂は買い戻せやしないってことを
---------------------------------------------

 1963年、ディラン22歳の時の歌に込めた反戦の思いは、75歳になる今も変わらないのではなかろうか。

 彼が讃えられるべきなのは、プロテスト・ソングの作り手であり歌い手であった人生そのものであろう。

 その彼が、「ノーベル文学賞」授章の知らせがあって以降、ライブ会場でもまったくそのことに触れず、また、ノーベル賞事務局との連絡を断っているいるのは、なぜか・・・・・・。

 「ノーベル文学賞」という分野の問題よりも、ディランにとって重要なのは「ノーベル賞」という権威の背後にあるものではなかろうか。

 アルフレッド・ノーベルは、ニトログリセリンを実用化し、ダイナマイトを発明した人だ。

 Wikipediaのアルフレッド・ノーベルから、引用する。
Wikipedia「アルフレッド・ノーベル」
アメリカに渡って4年間化学を学んだ。そこで短期間だが発明家ジョン・エリクソンに師事している。その後、父の事業を手伝う。最初の特許を出願したのは1857年のことで、ガスメーターについての特許だった。

クリミア戦争 (1853–1856) では兵器生産で大儲けをするが、戦争終結と同時に注文が止まったばかりでなく、軍がそれまでの支払いも延期したため事業はたちまち逼迫し、父は1859年に再び破産する。父は工場を次男のリュドビック・ノーベル(英語版) (1831–1888) に任せ、ノーベルと両親はスウェーデンに帰国した。なお、リュドビックは受け継いだ工場を再開して事業を発展させた。ノーベルは爆発物の研究に没頭し、特にニトログリセリンの安全な製造方法と使用方法を研究した。ノーベル本人がニトログリセリンのことを知ったのは1855年のことである(テオフィル=ジュール・ペルーズの下で共に学んだアスカニオ・ソブレロが発見)。この爆薬は狙って爆発させることが難しいという欠点があったので起爆装置を開発。1862年にサンクトペテルブルクで水中爆発実験に成功。1863年にはスウェーデンで特許を得た。1865年には雷管を設計した。ストックホルムの鉄道工事で使用を認められるが、軍には危険すぎるという理由で採用を拒まれる。

1864年9月3日、爆発事故で弟エミール・ノーベルと5人の助手が死亡。ノーベル本人も怪我を負う。この事故に関してはノーベル本人は一切語っていないが、父イマニュエルによればニトログリセリン製造ではなくグリセリン精製中に起きたものだという。この事故で当局からストックホルムでの研究開発が禁止されたためハンブルクに工場を建設。ニトログリセリンの安定性を高める研究に集中した。また合成者のアスカニオ・ソブレロ (Ascanio Sobrero) に対し充分な対価を支払った。1866年、不安定なニトログリセリンをより安全に扱いやすくしたダイナマイトを発明。彼の莫大な利益を狙うシャフナーと名乗る軍人が特許権を奪おうと裁判を起こしたがこれに勝訴し、1867年アメリカとイギリスでダイナマイトに関する特許を取得する。しかしシャフナーによる執拗な追求はその後も続き、アメリカ連邦議会にニトロの使用で事故が起きた場合、責任はノーベルにあるとする法案まで用意されたため、軍事における使用権をシャフナーに譲渡。

1871年、珪藻土を活用しより安全となった爆薬をダイナマイトと名づけ生産を開始。50カ国で特許を得て100近い工場を持ち、世界中で採掘や土木工事に使われるようになり、一躍世界の富豪の仲間入りをする。1875年、ダイナマイトより安全で強力なゼリグナイトを発明。1887年にはコルダイトの元になったバリスタイトの特許を取得している。

 ニトログリセリンやダイナマイトは、必ずしも兵器としての使用にとどまらず、医療分野や土木の分野で重要な役割を果たしている。
 しかし、爆薬として兵器にもなり得る。

 何より、アルフレッドと父を含めたノーベル一家が、兵器製造によって財を蓄えた事実は、動かしようがない。
 
 「ノーベル賞」の背後にある財の源泉を、ディランが知らないはずはなかろう。

 「プロテスト・ソング」の担い手であったディランが、その「ノーベル賞」を受けることは、いわば、彼の哲学と反することではなかろうか。

 ディランは、ノーベルを「Masters of War」の一人として見なしているのかどうか・・・・・・。
 
 ノーベル賞事務局がディランと連絡がとれない謎の答えは、ディランの歌を借りるなら、「風」の中にあるのだろうか。

 ディラン自身が、受賞すべきかどうか、「風」の中に漂う答えを探しているのかもしれない。

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by koubeinokogoto | 2016-10-18 21:42 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 むのたけじさんが、21日に101歳の天寿を全うされた。

 以前に黒岩比佐子さんの聞き書きによる本『戦争絶滅へ 人間復活へ』から、むのさんが五代目柳家小さんについて語られた内容を紹介した。
2013年10月20日のブログ

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むのたけじ『99歳一日一言』(岩波新書)

 2013年11月に、同じ岩波新書で発行された『99歳一日一言』という本の成り立ちについて、巻末にご子息の武野大策さんが、次のように書かれている。

この本作りにつながって

 この本を作る直接のきかっけは、父、むのたけじが眼底出血を患い、その治療を終えて、横手の実家に送っていった2008年8月31日に、長いいわれを付けて渡された100枚近い色紙にあります。その力強い字体に驚いて、その中の36枚を取り出して、これをこのまま複写して本にできるのではないかと提案しました。私は、10歳くらいですでに父親とは別の道を行くと決めていたこともあり、それまで父親の著作を読むこともほとんどなかったから、父親はそうした提案に驚いたかもしれません。その話はすぐに実現されることはありませんでしたが、こうすれば息子に自分の考えを伝えられると思ってか、折に触れて父は色紙を私に渡すようになりました。その様子の典型的なものを紹介します。
 私は、日ごろの運動不足を解消させるために、隣町にある川越の喜多院というお寺に月に1~2回くらい自転車で行っていました。そのようなサイクリングをしたある日の夕方に、この本で一月一日に紹介した「拝むなら自分を拝め。賽銭出すなら自分に渡せ・・・・・・」という色紙が何枚かのものと合わせて渡されたのです。私のお参りは人並みで特に信心が深いから行くのではないとわかっていながらこのような色紙を渡すかと、それを見た瞬間は反発を覚えましたが、それでもていねいにそれを袋に入れて保存しました。
 こうしたことで保存がしっかりしていると思ったのか、その後渡されるものが増え、「語録」と書かれた大判のノートも加わりました。色紙も増え、渡されるようになって5年近く経過した2013年2月には確実に1100枚を超えましたが、ただこのまま保存しておくのでは埋没させるだけのような気がしました。
 (中 略)
 私はいままで、生物が行っている一つか二つの生理現象を科学的に説明する研究に従事してきました。それは、人間をはじめとする生物の内部で行われていることを明らかにすることで、とりわけ20世紀になって飛躍的に躍進し、細部にわたってまで解明されました。ただ、いまだに「いのち」とは何かは解明されているわけではありません。こうした知識で、人間生活の便利さを増やすことはあっても、本質的な生き方を問うことはほとんどありませんでした。この本作りにかかわって、私はこうした科学研究で得られた知識が人間の生き方そのものを考えさせることに結びつく必要性を痛切に感じたことを話しました。それに対して、父が私に言ったことは、「生命科学のその『いのち』とは何かを問え」です。
 私の子ども時代には家庭生活を顧みることもなく社会活動だと言って外に出ていた父・むのたけじと、この本作りにつながって、そのことの親父の年を超えてから親子の会話・交流が出来たように思います。いずれにしろ、先の世代が後の世代にその経験をキチンとした情報として残すことができるのは、あらゆる生き物でおそらく人間だけが持っている能力です。だから、この能力を存分に利用することが大切です。この本がそうしたものとして受けとめてもらえることを願っています。

 私と年齢の近い大策さんは、次の埼玉新聞の記事にあるように、お父上の最後を看取られた方。
埼玉新聞の該当記事

 色紙や大学ノートでご子息に渡された言葉は、大策さんのおかげで、広く日本国民にとって有益な、硬骨のジャーナリストむのたけじさんの遺言集という財産となった。

 大策さんは、残された数多くの言葉から感じる季節感に従って、365の珠玉の言葉を並べてくれた。
 それらは、「人間がどのような生き方をすればよいか、問うているように思いました」と大策さんは記している。

 本書から、命日となった8月21日の「一日一言」を紹介したい。

八月二十一日

 戦時中、軍の輸送船でボルネオ海を渡ったとき、ひどい嵐にぶつかった。泳げない私は死ぬしかないと腹を決めたら、不思議と心は落ち着いていた。けれど最後に残った残念・無念は、この私が、いつ、どこで、何ゆえ、どんな有り様で死んでいくか。それを妻と子らに知らせる術がないことだった。戦場で死んだ多くの人たちは同じ思いでなかったろうか。

 幸運にも、むのたけじさんはボルネオ海に沈むことなはく、天寿を全うされ、ご家族に見守られて天国へ旅立たれた。
 そのおかげで、残された著作や珠玉の言葉を、大切にしたいと思う。

 合掌
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by koubeinokogoto | 2016-08-22 12:52 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 リオデジャネイロ・オリンピックには、難民選手団が初めて参加している。

 その10人の選手の中の一人が、シリア難民のユスラ・マルディニだ。

 彼女は、日本時間の今朝決勝が行われた競泳女子100メートル・バタフライの予選に出場した。
 
 決勝ではスウェーデンのの選手が55秒48の世界新で優勝した。

 ユスラでの予選タイム1分9秒21は、優勝タイムから14秒近い差がある。

 しかし、重要なのは、ユスラが“生きて”オリンピックに参加できたこと、そして、無事100メートルを泳ぎ切ったことだと思う。

 
 ユスラは、一年前、プールではなく、地中海にいて、死を覚悟した時がある。

 「HUFFINGTONPOST」から引用する。

「HUFFINGTONPOST」の該当記事

ユスラ・マルディニ、夢をかなえる。エーゲ海を泳いで渡った難民少女
【リオオリンピック】
The Huffington Post | 執筆者: Emma Batha
投稿日: 2016年08月07日 15時57分 JST 更新: 2016年08月07日 15時58分 JST

2015年8月、シリア人難民のユスラ・マルディニは命をかけて泳がなくてはならなかった。彼女が乗っていた救命ボートが故障したのだ。彼女はヨーロッパを目指していた。

2016年8月、10代の彼女はリオデジャネイロ五輪で泳いでいる。

8月6日、彼女は女子100mバタフライ予選に出場し、1分9秒21で41位という結果に終わり、残念ながら予選落ちとなった。試合後、ユスラは「オリンピックの舞台で泳ぐことをずっと夢見ていた。とても気持ちよかった」と語った。11日には、100メートル自由形に出場する。

ユスラは五輪史上初の難民選手団の一員で、姉のサラと2人で感じた恐怖を語った。地中海を渡ってギリシャに向かう途中で、すし詰めの救命ボートが水上に降ろされた瞬間に、ボートが沈んでしまうのではないかと恐れたという。

もう1人の難民と一緒に、彼女たちは海に飛び込み、3時間にわたってボートを引っ張り続けた。そして、19人の命を救った。

「海の中にいた時は怖かったです。生きるのか、死ぬのか、わかりませんでした」と、国際移住機関 (IOM) が公開した動画取材で18歳の彼女は語る。

 振返って、ボートに乗り込んだ時のことを、ユスラはこう回想してる。
ある夜、他の20人と一緒にトルコの海岸からボートに乗りこんだ。定員のおよそ3倍だった。

「ボートに乗る前、死ぬことになると言われるんです」と、サラは語る。

「ですから、ボートに乗った時にまず考えることは死ぬことです。他のことは考えません」

 これは、たった一年前のことだ。

 姉サラの教えについて、こう語る。
数多くの難民がトルコからヨーロッパを目指して地中海を渡ろうとして命を落としてきた。彼らは中東の紛争や政治的な混乱を逃れて、トルコに来ていた。

同じく水泳選手のサラは、ボートが航海中に転覆した場合には、自分たちの命だけを助けようとしないといけないと妹に伝えた。他の人を助けるのはおそらく不可能だし、みんな覚悟はできていた。

しかし、エンジンが停止しボートが縮み始めた時、彼女たちは他の人が溺れるのを見捨てられないと気づいた。

「ボートにかかっている重量を減らす必要がありましたが、私たち以外に泳げる人はほとんどいませんでした。海中に飛び込んだ時、体全体が競技直前のように震えていました」と、ユスラは言う。

「その瞬間、みんなの命が自分自身のもの以上に思えたのです。ボートに乗っている人たち全員が私の一部のように思えました」

「水に飛び込むのが自分の使命だと思いました。もし、彼らを見捨てていれば、生きている間ずっと後悔していたことでしょう」

彼女は、父親の友人が海の中で彼女のズボンの脚を切り落とし、彼女の衣類が負荷をかけないようにしてくれた。

2時間後、彼女は極限の疲労と戦うようになる。眠ってしまって溺れてしまう危険があった。

「暗く、寒くなっていました。風が吹いて、凍えていました。海水が目に入ってきて、開け続けられなくなったんです」と、ユスラは振り返る。

夜中になってようやく、彼女たちはギリシャのレスボス島にたどり着いた。

 クーベルタンが提唱したと言われる「参加することに意義がある」という言葉は、実は、聖公会のペンシルベニア大主教であるエセルバート・タルボットが、1908年のロンドンオリンピックの際に、当時米英関係が良くなかったため、開催地イギリスでさまざまな嫌がらせを受けたアメリカ選手たちに対して語った言葉らしい。
 しかし、クーベルタンはその言葉に感銘を受け、この言葉を多くの方に伝えたため、後にクーベルタンの言葉と伝わるようになったようだ。

 そのいきさつはともかく、参加することに意義がある、という言葉は、リオ五輪の難民選手団にとって相応しい言葉だと思う。
 そして、そのことを、もっと多くの人が感じるべきではなかろうか。

 あらゆる種目の金メダルにもひけととらないメダルを、ユスラは受け取るだけの資格がある。

 難民選手団の言葉を伝えることは、決してオリンピックの政治利用ではなく、その逆である。

 戦争という究極の政治的手段に抗議するためにも、ユスラ達のことを世界中のメディアは取り上げるべきではなかろうか。

 勝った、負けただけではない、オリンピック報道のあり方を、2020年に向けて日本のメディアは考えるべきだ。

 もちろん、3.11の被災者や被災地のことも、覆い隠さず伝えなければならないはずだ。
 なぜなら、「復興五輪」という言葉を招致活動で語ったのだから。

 「復興」した姿を世界に示すためにやるべきことを国はやっているのか・・・・・・。

 間違っても、東京五輪のために被災地の復興が遅れている、などということは、本末転倒で許されないはずだ。

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by koubeinokogoto | 2016-08-08 20:53 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 今や、本当のこと、また、権力者が隠そうとしていることを知るには、特定のミニメディアかSNSしかなくなってきた。


 その貴重なメディアの一つと言ってよいだろう、LITERAの記事から。
LITERAの該当記事
 ポケモンGOを、政府与党が利用しようとしていることなどを指摘した後で、次のようなニュースを紹介している。
 先週、シリアで西側の支援を受ける活動家や反体制派の統一組織である「シリア国民連合」が、ポケモンのイラストを手に持った現地の子どもたちの写真を発表。可愛らしいピカチュウの絵の下には、「助けに来て」という叫びが刻まれていた。
 また、自身も難民であるシリア人グラフィックデザイナー、サイフ・ターハンさんは、ポケモンGOを模した架空のゲーム「シリアGO」の画面を作品として公開した。これは、先進国でポケモンを探す代わりに、衣料品や学習のための教科書など、いま実際にシリアで必要なものを紛争地で見つけ、モンスターボール(ポケモンを捕縛する玉)で捕まえるというゲームだ。

 これらはSNS で一気に拡散し、世界中で大きなニュースになった。欧米各国の主要メディアもこぞって、このメッセージを取り上げ、改めてシリアの子どもたちの惨状をクローズアップした。

 ところが、日本のテレビや新聞はこのメッセージをほとんど報じなかった。また、これらを取り上げたニュースも、多くは「シリアでもポケモン人気を使って子どもたちの惨状を訴える動きがあった」という表層的なものだった。

 しかし、シリアから発せられたメッセージは、たんなるポケモンを使ったPRなどではない。ポケモンGOブームへの批判的な意味合いも込められたものだ。たとえば、これを報じた英BBCは、ウェブサイトの日本向けの翻訳記事で、このように記している。

「ポケモンの絵を掲げた子どもたちの写真は、ソーシャル・メディアで多くの人が共有した。そこに込められたメッセージは次のようなものだろう。不思議な想像上の生き物を追いかける暇があるなら、なぜ、戦火の下で大きくなる子どもたちを助けに来ないのだと」

 このニュースは、BBCのNews Japanのページで日本語版を確認することができる。
BBCニュースの該当記事

「僕を助けに来て」 ポケモンGO人気をシリアの子供支援に
2016年07月22日
エド・メイン記者、BBCトレンディング
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内戦が5年以上続き、対立に終わりが見えないシリア。あらためて世界の関心を集めようとするのは至難の業だ。

たる爆弾や自爆攻撃、拷問や飢える市民についてのショッキングなニュースも、何度も繰り返されるうち、シリアから遠く離れた場所にいる多くの人の心を動かさなくなってしまう。

そんな状況を変えるため、シリアの活動家たちが取った手段は、ゲームアプリ「ポケモンGO」の世界的な大ブームを十二分に活用することだ。

拡張現実のゲームの中にいるピカチュウやゼニガメ、ビードルなどのモンスターたちが、戦争の残酷な現実を伝えるため、非公式に駆り出された。

「シリア革命軍(RFS)メディア・オフィス」という名の反体制派活動家たちは今週、ポケモンの絵を掲げるシリアの子どもたちの写真を発表している。

それぞれのポケモンの絵には短いキャプションが付けられ、絵を持つ子どもが、シリア北部の反体制派の支配地域にあるどの町や村にいるのかを教えてくれる。下の写真の絵には「イドリブ県のカフル・ナブルに住んでいます。助けに来て」と書いてある。
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 ポケモンGOの流行について、コメンテーターなる“にぎやかし”タレントの感想や、どうでもいいつぶやきのことなどで時間と空間を一杯にしている日本のメディアとは、まったく視点が違う。

 BBCの記事の引用を続ける。
シリア国外のアーティストたちも、ポケモンを使ってメッセージを伝えようとしている。記事冒頭の作品は、現在スウェーデンに住むシリア人のムスタファ・ジャノさんのものだ。ジャノさんがフェイスブックに投稿した作品群のひとつで、戦争を逃れた多くの難民が命の危険を冒して海を渡り、欧州での不確かな未来に向かっていく姿に、ポケモンたちが加えられている。

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ジャノさんのある投稿には、スウェーデンの小説家ヨナス・ガーデル氏の言葉が引用されている。「おじいちゃん、世界がひどいことになってた2016年の夏には何をしていたの? ああ、愛する孫たち、おじいちゃんたちは電話でポケモンを探していたんだよ」。

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デンマークでは、サイフ・ターハンという名前のシリア人グラフィック・デザイナーがポケモンGOの特徴的なインターフェースから着想を得て、現実には存在しないゲーム「シリアGO」をプレーしている様子を作品にした。ポケモンを探す代わりに、安全や教育、医療物資など、戦争に巻き込まれた市民たちに欠乏した生活必需品を探すゲームだ。

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 すべての文章と画像を引用しているのではないので、ぜひ、BBCの記事をご覧のほどを。

 SNSは、あくまで道具である。

 ポケモンGOに賛成だとか反対だとかつぶやいたりするのは、その人の自由だ。
 しかし、思いつきに近い舌足らずな発言をそのまま垂れ流したり、つぶやき同士で喧嘩を煽ったりするのは、メディアの仕事とは思えない。

 そのSNSという道具で、戦争の悲惨さを、ユーモア精神を失わずに伝えようとする人々が世界に存在する。
 そういう事実こそ、メディアは明らかにすべきではないのか。

 もし、日本の子供たちが、世界では自分と同じように遊ぶことができない子供が大勢いることを知ることができたら、それもポケモンGOを通じた効果なのかもしれない。

 “おじいちゃん、世界がひどいことになってた2016年の夏には何をしていたの? ああ、愛する孫たち、おじいちゃんたちは電話でポケモンを探していたんだよ”

 今、危険な街歩きに夢中になっている日本の若者が、将来、記事の中にあるこの会話を孫とすることになってもいいのか・・・・・・。

 まだ先のこと、なんて言っているうちに、そんな年齢には、すぐになってしまうんだよ、君たち。まさに、私がそうだったのだから。

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by koubeinokogoto | 2016-07-27 21:30 | 幸兵衛の独り言 | Comments(5)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛