「ほっ」と。キャンペーン

カテゴリ:責任者出て来い!( 61 )


 豊洲への移転問題は、完全に宙に浮いた。

 この問題の根源には何があったのか。

 なぜ380億円をかけた築地の再整備を進めていたにも関わらず、計画が頓挫し、豊洲への移転案が浮上したのか。

 「ハフィントンポスト」の12月2日の記事を引用する。
 肝腎な部分に色をつけて太字にする。

「ハフィントンポスト」該当記事


築地市場移転、なぜ「最もふさわしくなかった」はずの豊洲が選ばれたのか
The Huffington Post | 執筆者: ハフィントンポスト編集部
投稿日: 2016年12月02日 15時00分 JST 更新: 2016年12月02日 16時42分 JST

【ジャーナリスト池上正樹氏、加藤順子氏のレポート】

■当初、築地市場を移転するつもりはなかった

ここにきて、次から次へと不透明な問題が噴出する豊洲市場(東京都江東区)。当初は11月7日に築地市場から移す予定だったが、2年間の地下水モニタリングが終っていないことや、土壌汚染を防ぐための「盛り土」をしていなかったこともわかり、移転が延期になっている。

すべての問題の根源は、この地が東京ガスの工場跡地で、高濃度の汚染によって食の安全性が懸念されてきたことに始まる。そもそも、どうして東京都は「豊洲」にこだわったのか。20年以上の歴史をひもとくと、東京都政の失敗を隠そうという思惑が見え隠れする

移転先の豊洲は元々、1923(大正12)年の関東大震災の瓦礫によって埋め立てられた埠頭だ。工場地帯の何もない埋め立て地だった豊洲地区も、今は大規模再開発が進んでタワーマンションやオフィスビル、「ららぽーと」などの商業施設が建ち並び、すっかり若い世代に人気のお洒落なエリアになった。

その賑やかな街から、新交通システム「ゆりかもめ」に乗って2駅行くと、打って変わって左右に巨大な施設が現れる。ゆりかもめと、その下を走る道路に分断されるように立地しているのが、豊洲市場だ。

筆者が確認する限り、 東京都の関連資料に初めて「豊洲」の地名が登場するのは、青島幸男都知事が就任した20年以上前の1995年。7月に港湾局が「臨海部を実施調査する」ところから始まる。

当時、都の中央卸売市場は、1986年の第4次再整備基本方針に基づき、91年1月から築地での再整備工事を進めていた。

基本方針では、「老朽化」「狭溢・過密化」などによって、再整備が緊急な課題になっているとして、次のように必要性を示している。

<築地市場を他の場所に移転することは、流通の実体、社会的要因から極めて難しい。現在地は隅田川の河口に面し、周辺には豊海などの冷蔵庫群が控えるという優れた地理的条件下にありながら、しかも22.5haという都心部としては広い敷地を有している>

つまり、この時までは、市場は移転するのではなく、あくまでも築地での再整備が前提だった。

■「豊洲ならば可能性がある」 急浮上した移転案

88年11月、当時の鈴木俊一都政は、庁議に諮り、再整備基本計画を決定している。それは、基幹施設が「平面」という卸売市場業界の常識を破る「水産1階、青果2階」という前例のない大規模立体化計画だった。

築地で再整備だったはずが、東京魚市場卸協同組合(以下、東卸)が02年11月に発行した『東京魚市場卸協同組合五十年史』によると、95年8月、市場当局が、前月に調査に出かけた港湾局と「協議」したという記述がある。港湾局からは、<臨海部に市場が立地できる場所は城南島(東京都大田区)、豊洲、外防(※筆者注:中央防波堤外側)であれば可能性がある>ことを示唆されたという

翌9月、港湾局と協議した市場当局は、内部で、<再整備基本方針の見直しと並行して移転の可能性を検討>している。その後、城南島と外防の記述はないが、豊洲と比べれば「遠い」立地だけに、立ち消えになったのであろう。

翌96年になると、当時の番所宏育市場長が「年頭会見」で、「移転を検討するとすれば、豊洲ならば可能性がある」と発言。同年4月、東京都中央卸売市場審議会が「卸売市場基本方針」の中で、「築地市場は、現行計画を見直す必要がある」と答申した。

この年、築地での再整備工事は約380億円を注ぎ込みながら、なぜか途中でストップしてしまった。

こうした移転候補地の実施調査を始めたことについて、当時の東卸組合・築地市場再開発特別委員会の伊藤宏之委員長は、今年9月、テレビ番組の取材に「後で聞きました」と証言。当時の番所宏育市場長も「覚えていません」と答えている。結局誰が「豊洲」の話を持ちかけたのか、わからない状況なのは、消えた盛り土問題と同じような構図だ。

 番所元市場長が年頭会見で「豊洲ならば可能性がある」と発言した1996年の都知事は、前年就任したばかりの青島幸男。

 しかし、青島知事が、豊洲移転を持ちかけたはずもなかろう。

 移転案の背景に何があったのか。

■ 移転は「業界団体から要望」 すり替えられた議論

都は、同文書の中で、もし仮に豊洲への受け入れが可能になった場合を念頭に置いて、築地市場と比較すると、豊洲より築地のほうが「場外市場を市場機能として加えれば33haの敷地面積」「消費地に近接して搬出入に便利」「世界の築地として名が知られている」「大きな渋滞、公共交通不足等の問題がない」といった点で「好ましい」と指摘していた。

一方で、<豊洲地区へ現在地より広い敷地を得て移転すれば、現在の営業に煩わされず、自由に市場デザインが描け>て、<市場の財源面から、現在の敷地を売却すれば、より広い新市場の用費を捻出できるという意見もある>などと、真逆の評価もしている。

また、都は、<移転後の跡地に高層ビルを林立させるよりは、浜離宮、市場、本願寺など、比較的低層な空間を保持し、隅田川の堤防を広くして緑化を進めるとともに…>などと、大型ビルによる開発については否定する体をとりながら、築地移転後の跡地で再開発の意向があることをほのめかしていた

98年4月、市場業界6団体は、当時の宮城哲夫市場長宛てに、臨海部への移転の可能性について調査・検討を要請したが、以後、都は「業界団体からの要望を受けて、豊洲移転に方針転換した」(『疑問解消book』)などと議論をすり替えていく

同年6月、都は6団体に「現時点で、移転の可能性を見極めることは困難」と回答。その一方で、「業界各団体の一致した意思が確認できる文書」を提出するよう求めた。

そんな再整備の方針も、98年10月になると、ついに都のトーンは一転する。

都は、「昨年、平成9年10月時点における豊洲ではなく、現在地で築地市場の再整備を行うとの方針と、現時点、平成10年10月との状況の変化について」という文書の中で、こう記している。

<現在地で再整備となると、神田市場などを売却した積立金の残だけでは足りず、一般会計からの繰り入れを求めなければならない。しかし、そのとき、一般会計に余力があるのか不明確である>

<現敷地を売却して豊洲へ移転するのであれば、財源的には随分楽になる>

ここで急にカネの問題が取り沙汰されるようになった。いったい、98年までのこの1年の間に何があったのか。


■バブル経済のツケを押しつけた

例えば、2000年11月、都庁職中央市場支部の鈴木清司支部長が、「苦しい市場会計から、東京都の一般会計に2400億円も貸し出した財政運営について理解に苦しむ。なぜ、このような財政運営をするのか」という公開質問状を出している。これに対し、当時の大矢寛市場長は「今日は回答できない」と述べるに留まった。

当時、市場業界の関係者は、筆者に対してこう説明した。

「当初、築地での再整備計画で、都は約2400億円の予算を組んでいたんです。しかし、バブルが崩壊して、臨海再開発も失敗し、財政が悪化した。本来は、築地再整備のための独立会計予算をその穴埋めで使ってしまい、資金が不足した。だから築地を売却して、移転するしかなくなってしまったのです」



これを裏付けるように、前出の「五十年史」でも、こう記述されている。

<都の路線変更にあったのは、バブル経済の破綻で都市場の財政事情が極めてひっ迫してきたことがある。都市場は企業会計方式を採用しており、施設整備費の大部分は起債に依存していた。使用料で賄うことなどは殆ど不可能である。起債残高が1000億円もある中で、すべてを築地市場に投入するわけにはいかない事情があった>

その後、都知事選に立候補した青島幸男氏は、臨海副都心計画は実施しないことを公約に掲げて当選した。

<平成7年(95年)の夏、都の港湾局から臨海部に築地市場を移転させるべく、都市場当局に盛んにシグナルが送られていた。当時の港湾局が、一大商業機能を持つ築地市場を移転させ、臨海部開発とリンクさせたい意向があったことは容易に想像がつく>

<「豊洲なら可能性があると聞いている」と無責任であるが業界にサインを送るのが精一杯だったようである>

つまり、都の失政の尻拭いを築地市場の人たちが被せられたという格好になったのだ。

しかも、その押し付けられた土地こそ、ベンゼンやシアン、水銀などの有害物質が土壌や地下水から検出されている汚染地だったのだ。


 本来最優先されるべき、お客さんや市場関係者の安全性の問題などは度外視し、東京都の財政的な失敗を、築地移転費用を使って隠そうとしていたとしか思われない背景が見えてくる。


 兄弟ブログ「噺の話」で、落語の登場人物である八五郎とご隠居の会話として、築地の倍近い敷地面積のある大田市場への移転案を語らせた。
2017年1月18日の「噺の話」

 新たに晴海に移転する案もあるようだが、今から建設する場合の時間とコストは莫大になるだろう。

 青果物の市場を他の市場に分散するなども検討し、大田市場を元に築地の受け入れをするのが、私としてはもっとも道理ではないかと思っている。

 では、約6000億かけた豊洲はどうするのか・・・・・・。

 新宿から、都庁が豊洲へ引っ越せばいいのではなかろうか。

 今回の問題は、ほぼ間違いなく東京都の失政が引き金になっている。

 地下水を飲まなきゃ、ベンゼンも全然大丈夫ではないのか。

 シアン対策は、する必要があるだろう。ぜひ、思案していただこう。

 しかし、そのために都民の税金を使う協議は、ヒ素ヒ素話ではなく、公開していただこうじゃないか。

[PR]

 メリル・ストリープのゴールデングローブ賞授賞式でのスピーチが話題になっている。
 
 いくつかのネット・メディアが、翻訳文を掲載している。

 「ハフィントンポスト」にもスピーチの全文が掲載されている。
「ハフィントンポスト」の該当記事

 訳文は「クーリエ・ジャポン」が良さそうなので、少し紹介したい。
「クーリエ・ジャポン」の該当記事

ここにいる皆さん、私たち全員はいま、米国社会のなかで最も中傷されている層に属しています。だって、ハリウッド、外国人、記者ですよ。

それにしても、私たちは何者なんでしょう。ハリウッドとはそもそも何なんでしょう。いろんなところから来た人たちの集まりでしかありません。

私はニュージャージーで生まれ育ち、公立学校で教育を受けました。ヴィオラ・デイヴィスはサウスカロライナの小作人の小屋で生まれ、ロード・アイランドのセントラルフォールズで世に出ました。サラ・ポールソンはフロリダで生まれ、ブルックリンでシングルマザーに育てられました。サラ・ジェシカ・パーカーはオハイオで8人兄弟のなかで育ちました。

エイミー・アダムスはイタリアのヴィチェンツァ生まれです。ナタリー・ポートマンはエルサレム生まれです。

この人たちの出生証明書はどこにあるんでしょう。

あの美しいルース・ネッガはエチオピアのアディス・アババで生まれ、ロンドンで育ち──あれ、アイルランドだったかしら──今回、ヴァージニアの片田舎の女の子役で受賞候補になっています。

ライアン・ゴズリングは、いい人たちばかりのカナダ人ですし、デヴ・パテルはケニアで生まれ、ロンドンで育ち、今回はタスマニア育ちのインド人を演じています。

そう、ハリウッドにはよそ者と外国人がうじゃうじゃしているんです。その人たちを追い出したら、あとは、アメフトと総合格闘技(マーシャルアーツ)くらいしか見るものはないですが、それは芸術(アーツ)ではありません。

こうした皆さんが私に3秒間くれたのは、次のことを言うためです。

役者の唯一の仕事は、自分たちと異なる人々の人生に入っていくことで、それはどんな感じなのかを見ている人に感じさせることです。まさにその役目を果たした力強い演技が、この1年もいっぱい、いっぱい、いっぱいありました。息をのむ、心のこもった仕事ばかりです。

しかし、この1年の間に、仰天させられた一つの演技がありました。私の心にはその「釣り針」が深く刺さったままです。

それがいい演技だったからではありません。いいところなど何ひとつありませんでした。なのに、それは効果的で、果たすべき役目を果たしました。想定された観衆を笑わせ、歯をむき出しにさせたのです。

我が国で最も尊敬される座に就こうとするその人物が、障害をもつリポーターの真似をした瞬間のことです。

特権、権力、抵抗する能力において彼がはるかに勝っている相手に対してです。心打ち砕かれる思いがしました。

その光景がまだ頭から離れません。映画ではなくて、現実の話だからです。

このような他者を侮辱する衝動が、公的な舞台に立つ者、権力者によって演じられるならば、人々の生活に浸透することになり、他の人も同じことをしていいということになってしまいます。

軽蔑は軽蔑を招きます。暴力は暴力を呼びます。力ある者が他の人をいじめるためにその立場を利用するとき、私たちはみな負けるのです。

さあ、やりたければやればいいでしょう。

さて、この話が記者につながります。私たちには信念をもった記者が必要です。ペンの力を保ち、どんな暴虐に対しても叱責を怠らない記者たちが──。建国の父祖たちが報道の自由を憲法に制定したゆえんです。


 私は、ストリープの発言内容、そして彼女の勇気に拍手を送りたい。

 ロバート・デ・ニーロが、賞賛する手紙をストリープに送ったことがニュースになっている。
「朝日新聞デジタル」の該当記事
 朝日新聞デジタルから、引用されている米ピープル電子版の内容を紹介する。

デ・ニーロは手紙の中で、「君が言ったことは素晴らしい。君は、言われる必要があったことを見事に言ってのけた。世界が君の業績をたたえている時に、発言したことを非常に尊敬している。私も君とまったく同意見で、(トランプ氏の)くだらないたわごとや、弱い者いじめには本当にウンザリしている」と書いている。

 過去に2度、オスカーを受賞しているデ・ニーロと、3度にわたりオスカーを受賞しているストリープは、映画「ディア・ハンター」(1978年)や「恋に落ちて」(1984年)など、4本の作品で共演している。


 「ディア・ハンター」、懐かしいなぁ。

 印象に残っているのは、あのロシアン・ルーレットもそうだが、ラストシーンで、葬儀の後に仲間が集まって卵料理で食事をしようとしている場面だったりする。


 さて、ストリープのスピーチについて、ネットでは批判的な内容も飛び交っているようだ。

 それは、ハリウッドの“セレブ”たちへの妬みも背景にあるのだろう。

 たしかに、ストリープやデ・ニーロのレベルの俳優は、裕福な部類に入るだろう。
 日々の暮しに困ることもないだろうし、ましたや仕事を移民などに奪われる恐れもないだろう。

 しかし、重要なことは財布の中身ではなく、心の中身なのだと思う。

 いくら有名な俳優であろうと、次期大統領に対する反対意見を、大衆が注目する場で敢然と表明することは、大きな危険を伴う行為である。

 それでも、言わずにはいられない、そんな強い衝動と覚悟がストリープにはあったのだろう。

 さて、そこで日本だ。

 今まさに「共謀罪」を成立させようとする安倍政権に対し、俳優やタレント、あるいはメディアの従事者は、いったいどう発言、行動しようとしているのか・・・・・・。

 テロ対策、2020年オリンピック、国際的な条約批准、などという理由を元に、600を超える犯罪を対象にして、恣意的に拡大解釈して国民を逮捕できる法律をつくろうとしている。

 
 日本弁護士連合会(日弁連)のサイトから、共謀罪に関するパンフレットがダウンロードできる。
「日弁連」サイトの該当ページ

 一部をコピペでご紹介。
e0337865_09575607.jpg

e0337865_09581216.jpg

e0337865_09421717.jpg

e0337777_10580121.jpg



 まさに、“警察国家”“監視社会”に向かう恐れがある。

 レッドパージ、東宝争議などの悪夢が繰り返されようとしているのではなかろうか。

 「言論の自由」「表現の自由」の危機である。

 昨年後半から年初にかけて、紅白(あかしろ)がどうしたとか、あの四人組が解散するとか、誰かが不倫したとか、あるバンドがしばらく休むなど、私にとってどうでもいいことでメディアは賑わっているが、その背後で着々と暗い時代への逆コースへの道を日本が辿ろうとしているという危機感を、どれほどの人が抱いているのだろうか。

 昨年、お上に批判的な人物が相次いでメディアから去って行った。
 それは、さまざまな政府からの圧力があったり、メディアの経営陣が「忖度」しての結果なのだろう。

 そして、NHKも、いわば民放化し、民放はますますバラエティ番組ばかりとなる。

 引用したメリル・ストリープのスピーチの最後に、「報道の自由」という言葉があり、「記者」の奮起を求めている。

 アメリカでさえ、次期大統領に反旗を翻すのが容易ではないことが察せられる。

 日本でもそうかもしれない。
 
 もし反政府的な発言をしたら、仕事を奪われる危険性もあるだろう。

 しかし、今、沈黙していていいのだろうか。

 メディアの関係者や、影響力のある俳優やタレントは、いつまで頭を下げて、自分に火の粉が飛んでこないように屈んでいるのだろうか・・・・・・。


 日本には、ストリープもデ・ニーロも、いないのか・・・・・・。

 兄弟ブログの「噺の話」で、成人の日に、大人ってなんだろう、という素朴な疑問を感じて記事を書いた。

 自分の意見を持つこと、そして然るべき時にはその思いを勇気を出して表明すること、その発言に責任を持つこと、なども大人としての重要な条件ではないか、と思う。

[PR]
 まだ、墜落したオスプレイの残骸が沖縄の海に残っているにも関わらず、米軍のオスプレイ再飛行を認める日本政府には、やはり、この国がアメリカの属国であることを痛感させられる。

 飛行機とヘリコプターの長所を組み合わせた複雑なシステムは、操縦にも高度な技術が必要となる。
 オスプレイは開発段階で4回、正式配備後も重大事故を起こしており、「ウィドウ・メーカー」(未亡人製造器)と呼ばれていた。

 なぜ、そんな危険な物体が、日本の空を飛ぶことを政府が認めるのか。

 以前紹介した記事と重複するが、オスプレイの日本配備がアメリカにとって戦略的に何を意味しているか、そして、配備の最初から政府がアメリカの言いなりであったことを、ある本からの引用を中心に紹介したい。
2013年5月16日のブログ

e0337865_16401062.jpg

松竹伸幸著『憲法九条の軍事戦略』(平凡社新書)

 内田樹が「誰かがこういう本を書かなければならないと思っていたら松竹さんが書いてくれました」と推薦文を書いている、松竹伸幸著『憲法九条の軍事戦略』(平凡社新書、2013年4月15日初版発行)は、実に貴重な本。
 著者は、九条を遵守した上での日本の軍事戦略が必要だ、という認識のもとで本書を書いている。なかなか意欲的な試みであり、本書では、なかなか知ることのできない日米安保体制の実態や、日本の安全性を脅かすさまざなな事実も明らかにされている。

「第五章 日米安保条約をどうするか」からの引用。
オスプレイ配備における日米の認識の違い

 いまの日本は、九条の軍事戦略とは正反対の方向に進んでいる。オスプレイの配備は、その最たるものである。
 アメリカにとっては、オスプレイの配備というのは、古くなった現行のヘリコプターを最新の軍用機に代えるというだけのものかもしれない。だが、グローバルに展開していう米軍にとってはその程度のものであっても、日本周辺という地域限定でみれば、オスプレイはきわめて重大な意味をもつ。
 これまでの軍用ヘリコプターと比べて、速度も、積載重量も、航続距離も飛躍的に向上したオスプレイの配備によって、この地域におけるアメリカの抑止力は飛躍的に強まった。それがもたらしたのは、ただの量的な変化ではない。ヘリコプターと異なり、自力で適地に飛んでいって、兵員と武器・弾薬などを降ろすことも可能になったのである。オスプレイが日本全土で低空飛行訓練と実施することが問題になっているが、軍用機が低空で飛ぶのは、敵国のレーダーに探知されないで適地に到達することが目的である。
 したがって、オスプレイの配備とは、中国にとってみれば、レーダー網をかいくぐり、自国の領土に展開する能力をもつ軍用機が新しく配備されたことになる。そして、それを日本が許可したということは、日本が中国への敵対度を増大させていることを意味するわけである。

 アメリカにおいて、中国に対する重要な戦力として、オスプレイの存在は大きい。

 中国は、約13億の国民を束ねる手段として、経済の次に軍事を手段としようとしているのだろうし、海に眠る海底油田などの資源に固執してもいるだろう。軍事力の示威行動は、今までになくあからさまになり、東アジアの緊張感を高めている責任の多くは中国側にあるのかもしれない。

 中国が帝国主義への回帰の気配があり、東アジアが非常に危険な状態にあるのは事実だ。しかし、その彼らに一層軍備を拡張させる口実を、日本から与えることは避けるべきだ。

 それでも、安保条約依存派は、「中国が攻めてきたら、アメリカが助けてくれる」などと“右からの平和ぼけ”になった発想をし、日米安保に依存することで“判断停止”病になっている。

 同じオスプレイのことから、日米安保依存派が決して公言しない、あるいは知らない実態を紹介したい。
安保のもとでは自主的な判断ができない

 日米安保条約が日本から自主的な判断を奪っていることは、さまざまな事例で論証できる。たちえば、オスプレイにかかわることで思い起こされるのは、98年2月、低空飛行訓練中の米軍機がイタリアで起こした事故をめぐる問題と、日本で米軍が事故を起こした場合との比較である。
 このとき、米軍機はアルプスの山中を飛んでいて、スキー客を乗せたゴンドラを運ぶケーブルを切断した。20人の乗客が落下して死亡したのである。高速で飛行する戦闘機だから、太さがわずか6センチのケーブルがパイロットの目にみえたのは200メートル手前で、その距離を進むのに一秒しかかからない戦闘機は、回避動作をとることがでいなかったのである。
 日本で米軍機が低空飛行訓練をするルートの下に、も、たくさんのスキー場がある。オスプレイは高速な性能を誇っている。人ごとではない。
 イタリア政府は、このような事故が起こらないよう、自国で10本のルートを設定し、そのルート下にある障害物を明記した地図を作成して米軍に提供していた。事故の直前、飛行高度の制限を300メートルから600メートルに上げて、それを米軍に通知していた。ところが米軍は、その地図を使っていなかったし、飛行高度の変更をパイロットに伝えていなかったのである。他国の防衛のために駐留してやっているという自負のある米軍は他国の主権に無関心なのである。
 ところが日本の場合、イタリアの事情とも比べられないほど、主権はさらに無視されている。そもそも日本にある七本の低空飛行訓練ルートは、日本政府が知らぬ間に米運が勝手に設定したものである。だから日本側は地図など作成しようがない。それどころか日本政府は、この程度の訓練なら(爆弾を落とすような訓練でないなら)、七本のルート以外のどこで訓練してもいいという態度だ。米軍機の飛行高度についても、日本側に決める権限はなく、アメリカが150メートルだとか60メートルだとかを決定し、日本に通告しているだけである。


 重要部分を太字で再確認。

“日本にある七本の低空飛行訓練ルートは、日本政府が知らぬ間に米運が勝手に設定したものである。だから日本側は地図など作成しようがない。それどころか日本政府は、この程度の訓練なら(爆弾を落とすような訓練でないなら)、七本のルート以外のどこで訓練してもいいという態度だ。米軍機の飛行高度についても、日本側に決める権限はなく、アメリカが150メートルだとか60メートルだとかを決定し、日本に通告しているだけである”

 安全性について国民が不安を抱いていたのに、その飛行ルートについての主体性を日本政府は持っていなかった。

 その状況は、今回の一歩間違えば国民の犠牲を強いた墜落事故の後も変わらない。

 政府は「安全性の確保を米軍に求める」と、今回も繰り返している。
 しかし、それは嘘なのである。
 なぜなら、今回の事故に関して、明確な原因追求とその問題への対処方法などの解答がないままに、再飛行を認めているではないか。

 果たしてそんな政府に、国民の大事な生命、生活を委ねることなどできないことは明白だ。

 沖縄は、いまだに戦争の犠牲を強いられている。

 多くの県民が暮らす町の空を、いつまた落ちても不思議のない危険な武器が飛んでいる。
 しかし、オスプレイ墜落の危険は、沖縄だけではない。

 日本側の意向などを最初から無視した飛行ルートを今日も飛んでいるのだ。
 
 今こそ、墜落事故という紛れもない事実を突きつけて、オスプレイの配備撤回につなげるべき時なのだ。

 今回の事故を、大きな転換点とすべきだ。

 トランプ新大統領がどう思おうかは、問題ではない。

 逆に、トランプの大統領選挙中の言い分が変わらず、アジアの平和を守るためのアメリカの国費投入を削減しようとしているのが本当なら、「あんな危険なものは飛ばさないでくれ」と、安倍晋三は直接トランプに掛け合ってもいいではないか。
 トランプも、公約を守る良い口実ができようと言うものだ。

 しかし、もうアメリカは日本を守るどころではないのが実態だ。

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 果たして、今の状況は、憲法に照らしてどうなのか。

 日本は、一つの法治国家として、多くの国民の生命に危険を及ぼす空飛ぶ危険物体の存在を払拭すべきなのである。

 
[PR]
 今の政府、安倍を筆頭に多くの人間が、まちがいなく病に冒されている。

 その病気は、いわば「数の暴力依存症候群」だ。

 とんでもない法案を、ろくに論議をせず、野党の言い分など知ったこっちゃないとばかり、与党の数の暴力で決めてしまう、という怖〜い病気だ。

 もちろん、国民の思いなどは、認識の外。

 この病気に効く合い薬はただ一つ、納税者である国民からの批判、である。

 まさに、民主主義崩壊の危機、だ。

 「主」たる、国民は、もっと政府に対して怒りをふつけよう。

 いわゆるカジノ法案が可決した。

 メディアもいろいろと取り上げている。
「カジノ解禁 いいの?」と題した、今日の毎日の「論点」から、ギャンブル依存症問題を考える会、田中代表の主張を引用したい。
毎日新聞の該当記事

骨太の依存症対策法を 田中紀子・ギャンブル依存症問題を考える会代表

 成立したIR整備推進法(カジノ法)に対策強化が盛り込まれたギャンブル依存症は世界保健機関(WHO)でも認定されている精神疾患だ。自分や夫の回復体験を生かし、相談に来た主に依存者の家族を支援している。依存者本人が追い詰められ自殺してしまうケースがつらい。多重債務、家庭崩壊、貧困、児童虐待−−などの弊害に加え窃盗や殺人事件も引き起こす。対策なしでは深刻さは増すばかりだが、これまで行政に無視されてきた。今後は実施法案の審議でも取り上げられることになるだろう。だから、カジノ法を骨太の依存症対策法を実現させるために切り込む刀にしたい。その際、カジノにとどまらず既存ギャンブルも含めてメスを入れないと対策にならない。

 ギャンブル対策がない要因は縦割り行政にある。公営ギャンブルの競馬は農水省、競艇は国土交通省、競輪は経済産業省−−などと所管が違う。また「規制」「振興」という相反する役割を同じ官庁が担う。その結果、産業側とのなれ合いが生じ「依存症はない」という立場だ。それどころか売り上げが減れば深夜に開場し、インターネット投票を充実させるなど依存者を増やす方向に向かう。民間のカジノやパチンコ店は赤字ならつぶれるが、公営は公金が投入され閉鎖しにくい。規制を容認する声はある。だが足並みがそろわないと依存者は他のギャンブルに流れる。だからこそ公営や民間のギャンブルについて省庁を横断して一元管理する包括的な仕組みが必要だ。その際、公営ギャンブルに加え、換金が常態化しているパチンコ、宝くじなども含めないと意味はない。

 今、パチンコ店には、偶数月の15日過ぎに、多くの高齢者が訪れているらしい。
 年金が、どんどん、パチンコという博打に流れ込んでいる。
 ほどほどの娯楽、気分転換ならば良いが、ついついのめり込んで、ギャンブル症候群になる高齢者も増えているようだ。

 もちろん、高齢者に限らず、ギャンブル依存症患者が増加している。

 新自由主義、市場原理主義者は、あくまで優先するのは「経済」という言葉で誤魔化す「金儲け」であり、「健康」や「環境」などの言葉は、忘れられている。

 メディアは、新たなカジノという賭博場にばかり目を向けるのではなく、すでに多くのギャンブル依存症患者を生み出しているパチンコの問題も指摘すべきだろう。

 スポーツ選手がギャンブル依存症で問題を起こすとメディアは騒ぐが、日常の無名の国民の問題には、目をつぶっている。

 パチンコ店を定点観測で覗いてみればいい。

 たとえば、高齢者で毎日のようにパチンコ店に通う人の家族のことを思えば、問題がどこにあるか分かるはずだ。

 カジノが出来て、不幸な国民が増えようが、永田町や霞が関の住人は、あくまで、その個人の問題として切り捨てるのだろう。

 違うのだ。

 疾病の原因をつくっているのが、彼等なのであり、それを指摘しないメディアなのである。



[PR]
 五輪の名を借りた破壊が、進んでいる。

 「日刊ゲンダイ」から引用。
「日刊ゲンダイ」の該当記事

東京都が街路樹伐採で踏みにじる IOC理念と五輪レガシー
2016年11月30日

 東京五輪は3会場の計画見直しだけにかまけてはいられない。花形競技のマラソンコースも、IOCから大ひんしゅくを買いそうなのだ。

 予定コースの一部である千代田区の神保町交差点から水道橋駅までの都道「白山通り」。この700メートルの区間に並ぶ推定樹齢50~100年のイチョウの樹木約130本のうち、すでに24本が切られ、12月には27本が伐採される予定だ。東京都はこう説明する。

「該当区間は無電柱化のために、地上の機器設置や地下の空間確保のため、街路樹を切る必要がある。設計を工夫して、最小限の本数の伐採とした」(道路管理部安全施設課)

 電柱ゼロを公約に掲げた小池知事就任前の今年3月から、この区間は約10億円を投じて、無電柱化が進められている。

「防災が主目的ですが、2~3年前から当該工事区間が五輪のマラソンコースの候補ということは周知されている。五輪のためという一面もあります」(第1建設事務所)

■ IOC「アジェンダ21」に違反

 ここは予定コースの中で唯一電柱が残るエリア。都は小池知事の公約も手伝って、是が非でも無電柱化を進めたい。最小限の樹木の犠牲はやむを得ないと言いたげだが、実はその発想が五輪の理念に反する恐れがある。

 IOCが定める「オリンピックムーブメンツ アジェンダ21」には「スポーツ活動、施設やイベントは、環境保全地域、地方、文化遺産、天然資源など全体を保護しなければならない」とハッキリ書かれてある。樹齢50~100年のイチョウの木は、貴重な文化遺産ないし天然資源ではないのか。


 無電柱化のために街路樹を伐採では、まさに本末転倒だ。

 逆に、海外からの多くの観光客の憩いのために、街路樹や公園などをもっと増やすことを優先すべきだと思うが、お上のやることは相変わらずである。

e0337777_11115493.jpg

池波正太郎著『江戸切絵図散歩』(新潮文庫)

 開発の名を借りた伝統や街の破壊については、兄弟ブログ「噺の話」で、池波正太郎の『江戸切絵図散歩』の引用を含め書いたことがある。
「噺の話」の該当記事

 その中で、次の文章を引用した。
 いまは、隙間もなく、ビルディングに埋めつくされていて、旧江戸城の外堀内は各種のビル群に占領されてしまった。
 それでも、外濠のかたちは、太平洋戦争が終わったころまで、どうにか残っていたのである。
 それが、例のごとく、意味もなく埋めたてられ、そのビルの上が高速道路となり、外濠に架けられた多くの橋が消えた。現在の東京の道は、住民のためではなく、すべて車輪のために存在するといってよいのだ。
 常盤橋、呉服橋、八重洲橋、鍛冶橋、有楽橋、数奇屋橋、山下橋などがそれで、この外濠と各橋の消滅は、皇居前面の町の様相を全く変えてしまった。
 橋や川ばかりではなく、むかしの町名も消えてしまった。戦後の町名改変の流行は、昭和十年代まで辛うじて残っていた町名を、ほとんど抹殺してしまったのだ。

 日本橋の上に高速が走った「建設という名の破壊」は、前回、昭和39年のオリンピックのため、という名目だった。

 物理的な文化遺産の破壊のみならず、町名などの改悪は、池波が本書で指摘したにも関わらず、悪化の一途。

 そして、五輪の名を借りた破壊は、今後一層行われるのだろう。
 もちろん、全国の納税者も、怒っていいだろう。

 なぜなら、我々の血税が湯水のように投入され、挙句の果てに環境が、伝統が破壊されるのだから。

 良い、先例がある。

 かつて、市民の反対で、いったん決まった五輪開催を返上した都市があるのだ。

 1976年の冬季大会開催予定だった、デンバーだ。

 「NO OLYMPICS 2020>反五輪の会(HANGORIN NO KAI)」のサイトから、英文記事の翻訳部分を引用する。
「反五輪の会」サイトの該当記事

1970年の5月に、IOCが1976年の冬季五輪をデンバーに決めて、(そのときの競争相手は、スイスのシオン、フィンランドのタンペレ、カナダのバンクーバーだった)、地元メディアは大喜びだった。オリンピックが決定して、宝くじに当たったような騒ぎだった。なんせ、コロラド(デンバーのある州)は、20年ちかくも夢の冬季オリンピックをその手でつかもうとしてきたから。

<反対>

ところが、デンバー市民と、その同郷のコロラド州民は、恐怖に震えた。

デンバー市民たちが気づいたのは、町でオリンピックをすることが、ほんとうにむちゃくちゃ金がかかる投機だってことと、オリンピックのインフラを整備するための金は、市民の懐から出て行くってことの二つ。その上、環境問題について意識的な市民は、環境についての影響を心配した。なぜなら、オリンピック会場はデンバーからスチームボートの町まで150 マイル(200kmくらい)にわたるよう計画されてて、そこに何千人もの人が集まることになるからね。

1972年には、ディック・ラムというカリスマ的な若い政治家が、デンバーでのオリンピックにはっきりとした反対を表明する。ラムは、すぐに「デンバーでのオリンピックはおことわり the no-Olympics-in-Denver movement」運動の指導者的立場となった。この反対運動は、デンバーのオリンピック組織委員会を微妙な立場に追い込んだ。IOCは、「デンバーが開催資金を税金から出さないなら、オリンピックはナシ。」とはっきり言ってきたから。ということは、コロラドの人たちが心を変えないなら、オリンピックはどこかほかの土地にいくことになる。

今から考えると、大した額の金とは思えないのだが、デンバーは500万ドル(5億円)のために、オリンピックを逃すことになった。1972年の11月、コロラド州の有権者は、オリンピックの財政のため500万ドルの債権を発行するかどうかについて議論していた。問題は、500万ドルという額にあった。つまり、たぶん、実際にかかる金は、それよりずっと巨額だ。そのころでも、オリンピックにかかる金額は控えめに言って巨額だったし、それまでにオリンピックをした町では、予想よりもずっと多額の金がかかるってことになり、何度も追加の金を払わされてきてた。

それでなにがおこったかというと、有権者はオリンピックの債権発行を否決した。しかも、60:40くらいの圧倒的な票差で。その投票の一週間後、デンバーは公式にオリンピック開催地の資格を放棄した。

 税金と環境破壊が、デンバー市民やコロラド州の有権者が反対した大きな理由だった。

 2020年の東京五輪・・・同じ問題を抱えているではないか。

 今からでも遅くない、都民も国民も、血税を無駄遣いし、環境や伝統を破壊する五輪など、返上しようじゃないか。


[PR]

e0337865_13365347.jpg

[PR]
 豊洲の問題については、兄弟ブログの「噺の話」で、落語的に八五郎とご隠居の会話風にした記事を書いた。
2016年9月14日の「噺の話」

 八五郎は石原慎太郎の無責任な言葉に腹を立てていたのだが、その石原が報道関係者向けに謝罪(?)文書を出した。

 朝日に全文が載っていたので、引用する。
朝日新聞の該当記事

 この度は、私の東京都知事在任中の件で、皆様に多大な混乱やご懸念を生じさせるなどしておりまして、まことに申し訳なく思っております。

 このところ、多くの報道機関の皆様から取材の依頼を受けておりますので、私の心境を以下のとおり明らかにさせていただきます。

 今般の件は十数年というかなりの時間が経過している上、当時さまざまな重大案件を抱えていたことや、間もなく84歳になる年齢の影響もあって、たとえ重大な事柄であっても記憶が薄れたり、勘違いをしたりすることも考えられますので、今後、報道機関の皆様の個別のお問い合わせにその都度お答えすることは、無用な混乱を招くおそれがあることから、控えさせていただくこととしました。

 ただ、今般の件については、当時、卸売市場、建築、交通、土壌汚染、予算等のさまざまな観点で、専門家や関係者の意見を聞きながら、副知事以下の幹部職員や、実務に長けた関係部署の多くの職員たちと協議を重ね、事業の計画を進めていたもので、この事業はとても私個人が自分の知見のみで部下に指示して事に当たることはできない、専門的かつ複雑な問題でありました。それだけに、経過の詳細を思い出してご説明することは難しいものがありますが、幹部職員や担当職員からも事情を聞いていただければ、自ずから何があったのかは明らかになるものと思っております。もとより、私自身も今後事実関係を明らかにする検証を行う場合には全面的に協力するつもりでおります。

 ところで、一部報道によれば、私が土壌汚染を無視して予算と完成時期だけにこだわり強引に今回問題になっている構造にさせたといった指摘がなされているようですが、そのような事実は断じてありません。そもそも、多数の専門家や担当部署職員が関与し、また議会も審議する案件でそのようなことが出来るわけがありません。

 ともあれ、私の都知事在任中の件に端を発してこのような事態になっていることについては責任を痛感いたしております。

 この文書の目的は何だったのか・・・・・・。
 一つは、もうメディアの取材を受けないため。
 理由は、年齢。
 文書そのものは、「ところで」以下を言いたかっただけか、と思わせる。

 あの盛り土案以外の考えを語った会見の映像が流れる前は、年齢を感じさせない勢いで取材やテレビ番組で語っていた石原は、急にふけこんだのだろうか。

小池都知事以前の三人の都知事の任期は、次のようだった。

石原慎太郎
第一期 1999年4月23日~2003年4月22日
第二期 2003年4月23日~2007年4月22日
第三期 2007年4月23日~2011年4月22日
第四期 2011年4月23日~2012年10月31日

猪瀬直樹
第一期 2012年12月18日 2013年12月24日

舛添要一
第一期 2014年2月11日 2016年6月21日

 “犯人捜し”で、いろんな名前が挙がるのだろうが、都の責任者は、この三人だったのだ。

 都議会の“どん”とか、その側近とか、取り巻きとかがからんでいるのは明白だろうが、豊洲を危険きわまりない場所にしておいて、築地からの移転を急ぐ計画の最高責任者は、この三人の都知事であったのだ。

 都民、いや国民の食の安全を無視した計画を進めた知事も、その暴走を止めなかった知事も、責任は免れない。


[PR]
 昨夜は、NHK BS1の「ドキュメンタリーWAVE」で「ジャカルタ・パンク インドネシア抑圧された人々の叫び」を見た。

 久しぶりに、強い刺激を受けた番組だ。NHKのサイトから引用。
NHKサイトの該当ページ
9月11日 日曜 BS1 午後10時00分~ 午後10時50分
ドキュメンタリーWAVE▽ジャカルタ・パンク インドネシア抑圧された人々の叫び

いまパンク・ミュージックがインドネシアの若者を熱狂させている。経済成長の陰で広がる貧困、押し寄せる開発の波。パンクがかき鳴らすのは、抑圧された人々の魂の叫びだ。

モヒカン刈りにタトゥーの男たちが奏でる音楽が、いまインドネシアの若者を熱狂させている。伝説のパンク・バンド「マージナル」だ。20年前、スハルト独裁政権に反対の声を上げようと結成。以来、弱い立場に置かれた人々のために歌い続けている。経済成長の陰で広がる貧富の格差、開発の波に翻弄される農民…。結成20年の今年、抑圧される人々の魂の叫びを歌にした。新曲が披露される夏のコンサートに向けた活動に密着した。

 今の日本の音楽家や芸能人が、時事問題には、せいぜい「つぶやく」程度で、確固とした政治的な主張をしない状況とは、好対照。

 結成20周年を迎えるパンク・バンド「Marginal」は、まさに生き方そのものが、パンクだ。

 彼らは、若者たちが自由に訪れることの出来るコミュニティを作っている。
 たとえば、日給90円で配送の仕事をして家族を支えてきた若者が、リストラに遭い、彼らのコミュニティを訪れた。
 一歩間違えば、いや、あの地なら、結構高い確率で犯罪の道に足を踏み入れても不思議のない若者だ。
 「Marginal」メンバーは、彼のような若者にウクレレを教え、ストリート・ミュージシャンとして食べていくための技術を伝授したり、Tシャツにデザインする版画の作り方、印刷の方法などを指導する。すべては、若者たちが自立するためだ。
 また、ルンバンという村に国営企業が十分な調査をせずセメント工場を建設しようとすることに反対する農民たちが、大統領宮殿前で座り込みを始めるのだが、バンドは、彼等を元気づけるために、路上でミニ・ライブを行う。
 暑さをしのぐためにテントの設営をしようとすると、柱を立てるのを禁じられたため、人が交代で横木を持つことになった。そのテントに農民たちが座り込んで一週間、なんと大統領と農民たちのの面会が実現した。大統領はセメント工場に対し改めて環境調査を行なうように指示、結果が出るまで建設を中断させる大統領令を下した。
 2年間訴え続けた農民たちの声がようやく国に伝わったのは、それを支援する「Marginal」の活動や、彼らを取材する国内外メディアのことも影響しているのだろう。その数日前に、政府広報官が農民たちに歩み寄り、「大統領に伝える」と約束していた。

 日本政府と沖縄を考えると、インドネシア政府の方が、まだ、まともではないか、と一瞬思ったぞ。

 マイクは言う。「皆それぞれ問題や悩みを抱えながら生きている。音楽を通じて人々はひとつになることができる。私たちができるのはきっかけになること。私たちの音楽が少しでも誰かの役に立つ限りこれからも歌い続ける」と。

 この放送を見て、「Marginal」というバンドとメンバーたちは、“本物”だと思った。

 再放送が9月26日にあるようだ。NHKのサイトから引用。
「NHK ドキュメンタリー WAVE」サイトの該当ページ

ドキュメンタリーWAVE▽ジャカルタ・パンク インドネシア抑圧された人々の叫び

9月26日月曜
NHKBS1
午後5時00分~ 午後5時50分


 調べたら、2年前、フォトジャーナリストの中西あゆみさんによる彼等のドキュメンタリー映画が上映されていた。
 「WEB DICE」に、当時、中西あゆみさんにインタビューした記事があったので、引用したい。
「WEB DICE」の該当ページ

──ジャカルタ・パンクの数あるバンドの中からなぜマージナルを追いかけようと決めたんですか?

ジャカルタ・パンクにはたくさんコミュニティがあって、いろいろなバンドに出会って取材してきたんですが、いまいちピンと来ていないところがあって。彼らがパンクになる理由は分かるんです。貧困や地域間格差が問題となっている国だし。でも自分がもっと突き詰めたところまでいけるんじゃないかと思っていたんです。その頃に「ほんとにジャカルタ・パンクを知りたいならやっぱりマージナルに会わないとダメじゃない?」と言ってくれた人がいたんです。

──それは現地の方ですか?

はい。現地ですごく仲良くなったスキンヘッドの軍団がいるんですけど。その人たちがマージナルを紹介してくれて、初めてマイクと会って話してみたら、ものすごいことを言う人だったので、衝撃を受けて。

──いままで出会ってきたパンクの人たちとは違う印象だったんですか?

まったくもう、天地の差でした。人格者としてもそうですけど、こんなことを言う人たちがいるんだ!という衝撃を受けて。もしかしたらこの人たちに出会うために私はインドネシアに来たのかもしれないという勝手な使命感が生まれて、そこからですね。

e0337865_14552106.jpg

 同記事にある写真を借用(『マージナル=ジャカルタ・パンク』より © AYUMI NAKANISHI)

 同映画上映に合わせて、「Marginal」のメンバーであるマイクへの取材などを含めて「8bit.news」サイトに記事が載っていた。こちらも引用。
「8bit.news」の該当記事
大衆と共にある音楽パンク ジャカルタから来日したマージナルと日本のパンクシーン

「パンク」な生き方とはなんだろうか?現在来日中のインドネシアのパンクバンドマージナルは、スハルト軍事独裁政権の抑圧的な政治環境の元結成され、大衆から爆発的な支持を得ている。政権のもたらした恐怖や貧困や理不尽の真っただ中で彼らは自由や子供達や大衆の為に、生きてゆくための手段としてパンクを始めた。彼らは場所を選ばず無料でコンサートをやり、子供達がストリートで演奏してお金を稼げるようにウクレレの弾き方を教え、バンドのグッズなどを売って得た収入は共に生活する身寄りのない子供達と自分たちの生活を支えるのに足りるか足りないかいつもギリギリのライン。

そんなマージナルの活動を追い続けている写真家の中西あゆみさんによるマージナルのドキュメンタリーが5月から渋谷アップリンクで公開されている。残すところ上映は6月11、12、13日の3日間。上映後には中西さんのトークと、マージナルのアコースティックライブがある。

映画館でもライブハウスでも、来日して以来マージナルは日本で熱烈に歓迎されている。映画館やライブハウスにマージナルを見にくる日本の人々は、独裁と貧困の中で勇気と愛を持ってまさにパンクに生きている彼らに対して、極めて好意的で、ある種の特別な感情や期待を持っているようにも見える。マージナルはとても暖かく、真っ直ぐでポジティブで親密な空気をつくり出す。
 あら、二年前、このバンドのことや映画のことなど、まったく知らなかったなぁ。

 引用を続ける。
マージナルのマイクにインタビューをした際に、彼が繰り返し言ったのは、重要なのは情報をシェアしたりメッセージを伝えたり、お互いから何かを学ぶことだということ。例えばどういった場所でライブをやるかとか、そういったことは全く重要ではない、と彼は言った。

マージナルの持つ真っ直ぐさに対して、ひょっとすると日本のオーディエンスは憧れの感情も持っているのではないだろうか。インドネシアにはあからさまで厳しい貧困や独裁があり、反逆するいくつもの明らかな理由がある。日本はどうだろうか?表面的には非常に豊かな日本だが、日本にも貧困や差別や現政権の嘘や横暴があり、決して健康な状態ではなく、反逆するに値する物事は実際多く存在する。

都内のライブハウスでのマージナルのライブ後、その晩ライブハウスにいた人々に安倍政権についての意見を求めた。

あるバンドのメンバーの男性は「ちゃんと人のことを考えてくれ。守るって言うなら、守って。福島のこととか、被災者のことをとにかくちゃんと考えて」と穏やかな口調で話しだした。彼は日本の政治家や他の国でも政治家は国民のことを考えていない。今までもずっと政治はひどかったけど、安倍総理は頭が悪いし坊ちゃんだから、今はそれがわかりやすく露骨に出ているだけで、それでも事態の深刻さに気づかない国民だって悪いと彼は言う。オリンピックに大金を使うよりも、仮設住宅で孤独死するような人々のことを考えるべきだと言う。彼はデモに行って捕まった経験もあり、今デモに行っている人達は、「反体制」というよりかは、本当に国を愛しているから安倍政権に文句を言ったりデモをしているのだと思うと彼は言う。暴走する安倍政権に対して反応の無い日本には何が足りないのか?と聞くと「死ぬ覚悟が足りないんじゃない。死なないと思っているんじゃない?人間は死ぬんだということがわかってない」と彼は言う。

 この記事で指摘しているように、インドネシアのような、あからさまで厳しい貧困や独裁など、反逆するいくつもの明らかな理由がなくても、日本にも、貧困や差別や政権の嘘や横暴がある。そして、その横暴は激しさを増すばかりではないか。

 ゲームアプリに興じているより、もっとやるべきことがあることを、「Marginal」から学んだ若者がいると信じたい。

 SEALD'Sの活動は、いったん休憩のようだ。
 しかし、彼らは、また呼びかければすぐ集まれるだけの、「発言し行動する若者」の土台をつくったのではなかろうか。

 ジャパン・パンクが、そういった若者の活動への“きっかけ”になったり、あるいは、その活動の中心的存在になっても、決して不思議のない政治状況にあると思う。
 
 日本の「Marginal」よ、出でよ!

 ご興味のある方、ぜひ再放送をご覧のほどを。もう一度確認の意味で。
--------------------------------------------------------------------------
ドキュメンタリーWAVE▽ジャカルタ・パンク インドネシア抑圧された人々の叫び

9月26日月曜
NHKBS1
午後5時00分~ 午後5時50分
--------------------------------------------------------------------------

 昨夜、そろそろ寝ようかと思っていた私だったが、この番組を見入っていて、「目を開け!」と叫ぶ彼等の歌で、眠気が吹き飛んだのだった。


[PR]
 私はリオ五輪の開会式も閉会式も見ていない。
 どうも、それらのセレモニーに、興味が湧かないのだ。

 閉会式の内容はニュースなどで見て知ったのだが、安倍晋三による五輪の政治利用には、怒りを覚えていた。
 しかし、ほとんどのメディアは、2020年東京に関する閉会式の映像なども含めていたって肯定的で、小池都知事の着物の着付けなどにダメ出しするメディアはあっても、安倍マリオについて否定的な論調は、少なかった。

 その中でも、いくつかのメディアが批判的記事を掲載している。
 
 まずは、「HUNTER」だ。
 私の思いを代弁してくれているかのような記事、画像以外の全文を引用する。(太字は管理人)
「HUNTER」の該当記事

汚れた五輪 ― 安倍マリオはプロパガンダ
2016年8月29日 09:20

 南米初開催となったリオデジャネイロオリンピックが幕を閉じた。日本選手のメダルラュシュに沸いた17日間だったが、最後にあれほど不愉快な場面を見せられようとは思ってもみなかった。
 閉会式恒例の五輪旗引き継ぎの後、繰り広げられたパフォーマンス。登場したのはゲームキャラクターの「マリオ」に扮した安倍晋三首相だった。
 独裁政治家による五輪の政治利用――。あってはならない暴挙である。

五輪の政治利用はヒトラー以来 

 リオ五輪の閉会式。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会によるパフォーマンスは、アニメと実写、会場の現実が融合した素晴らしいものだった。だが、最後に主役として現れたのは、マリオの格好をした安倍首相。背広の襟には議員バッジを着けていた。一人の政治家がオリンピックを政治利用したという点では史上二度目。一人目がナチスドイツを率いたアドルフ・ヒトラーであったことは周知の事実である。

 オリンピックが、国威発揚やナショナリズムの高揚に利用されてきたことは確かだ。1936年にはドイツで冬季(ガルミッシュ・パルテンキルヒェンオリンピック)・夏季の五輪が開催されたが、後に「ヒトラーの五輪」と呼ばれたベルリンオリンピックは、ナチスがプロパガンダの一環に利用したことで知られている。

 1980年には、ソ連のアフガニスタン侵攻を受けてアメリカ、日本、カナダ、中国、韓国など30か国以上がモスクワオリンピック参加をボイコット。政治と五輪の不可分が現実となった出来事として歴史に記されている。

 五輪に暗い影を落としてきたのは、その時々の世界情勢を乱した「国家」。しかし、一人の政治家が閉会式のパフォーマンスで主役となったケースは五輪史上皆無である。国威発揚を狙ったヒトラーが登場したのは、開会宣言の時だけ。アスリートを差し置き、閉会式ではしゃぐようなマネはやっていない。開会宣言を行うのは国家元首であることが普通。日本なら、天皇陛下であり、1964年(昭和39年)の東京五輪でも昭和天皇が開会宣言を行っている。一方、閉会式に登場するのは開催地と次回開催地の首長。五輪旗を引き継ぐためで、ブラジルではリオの市長、日本側は小池百合子東京都知事が登場した。本来、日本の首相がしゃしゃり出る場面はない。

五輪使って安倍の宣伝

 閉会式パフォーマンスが、安倍個人の宣伝であったことは確かだろう。出演したアスリートたちの名前は紹介されなかったが、安倍だけは特別扱い。下の画面(五輪閉会式の模様を伝えるテレビの画面より)を見れば一目瞭然だ。

 「PRIME MINISTER」(首相)「SHINZО ABE」――。わざわざ、肩書や名前を表記した上、ストーリーの主役に仕立てている。まるで自民党の選挙CM。安倍の宣伝以外の何ものでもあるまい。五輪を政治利用したことは明らかであり、公費を使った分、悪質と言わざるを得ない。

「復興」置き去り

 安倍の五輪政治利用は今回のリオ五輪閉会式だけではない。東京オリンピック・パラリンピックの招致にあたっては、原発推進のため世界に向かって平然と嘘をついた。
 
 オリンピック招致の最終プレゼンテーション。安倍は福島第一原発の影響について次のように明言している。「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」。直後の各国メディアとの質疑では、汚染水漏れについて聞かれ、こうも言った。「結論から申し上げればまったく問題ない。新聞のヘッドラインでなく、事実を見て下さい。汚染水の影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートルの範囲内に完全にブロックされています」。

 現実はどうか。福島第一の汚染水は現在も制御不能。港湾の外にまで、大量の放射性物質が垂れ流されている。安倍の発言は、なんの根拠もない口からのでまかせだったということだ。節目ごとに五輪を利用する安倍晋三。戦争への道をひた走る姿に、ヒトラーを重ねて見ているのは筆者だけではあるまい。

 最後にもう一言。テレビのワイドショーなどでは、リオ五輪閉会式の東京パフォーマンスを絶賛していた。だが、東北や復興といったキーワードが出てこなかったのは何故か?復興五輪と銘打ちながら、開発が進むのは東京ばかり。東日本大震災の発生から5年半経った今も、被災地の復興は進んでいない

 実態は国家レベルの開催だが、建て前は、あくまで「都市」の開催なので、小池都知事が出向くことは、当然。
 国の首長が、観客席ではなく、次回開催地の案内コーナーで、主役に近い役柄を演じるのは、本来、批判されることはあっても褒められることではない。

 2020年にも日本国首相でいるための、個人的政治活動の一環だ。

 なお、「LITERA」も、安倍マリオを批判していて、安倍登場の背景について、次のように記している。
「LITERA」の該当記事

「目玉のサプライズキャストについては、当初、アスリートを起用する案の他に、ゲームやアニメキャラでいくという案が出ていると聞いていた。それが、いつのまにか安倍首相がマリオをやることになったんです。そんなところから五輪組織委と電通が裏でプッシュしたんじゃないかと言われています」(JOC関係者)

 五輪組織委は、安倍首相の元ボスである森喜朗元首相が会長として君臨しており、役員や理事にも、御手洗冨士夫経団連名誉会長やプロデューサーの秋元康など、安倍応援団がずらりと名を連ねている。しかし、今回、安倍首相の出演の仕掛人は、側近の組織委理事に送り込まれた安倍首相の側近中の側近、萩生田光一内閣官房副長官ではないかといわれている。

 スポーツの祭典は、実にむごたらしい政治ショーに堕落した。

 実は、朝日も28日付けの「天声人語」で次の内容を掲載していた。
朝日新聞サイトの該当「天声人語」
選手たちの目はすでに2020年に向いている。卓球女子団体で銅メダルだった伊藤美誠(みま)さんが、東京五輪ではもっといい色のメダルをと語った。体操男子団体で金の白井健三さんは、東京に向けていい弾みになったと言う。選手ではないが、もう一人いたような……▼マリオに扮した御仁である。リオ五輪の閉会式に安倍晋三首相が突然登場して、「4年後の東京」をもり立てる輪に入った。自民党の総裁任期は18年に満了し、そのときはもう首相ではないのだが▼あるいは党則を変えて続投したいとのメッセージかもしれぬ。自民党の二階俊博幹事長は、首相が五輪を自分の手で成功させたいという意欲の表れではないかと聞かれ、「それはそうだ。意欲がなければ行かない」と述べた。だとすれば、五輪の政治利用ではないか。しかも内向きの▼どこかで見たような光景だ。G7伊勢志摩サミットで安倍首相は「世界経済のリスク」を強調、リーマン・ショックの轍(てつ)を踏むなと訴えた。突然の危機説にみんな驚いたが、どうも消費増税延期の口実だったようだ▼「立っている者は親でも使え」とのことわざがある。用を頼むときの言い訳である。安倍首相流は「そこにあるなら国際舞台も使え」だろうか。ある種の合理主義かもしれぬ▼ロンドン五輪への引き継ぎでは、サッカー選手のベッカム氏が登場した。リオはサッカーの英雄のペレ氏。そんなスーパースターのように首相が思われていると、世界に誤解されなければいいが。

 この内容に噛みついた人がいる。花田紀凱だ。
 Yahooニュースから引用する。
Yahooニュースの該当記事

そしてあのパフォーマンスは〈五輪の政治利用ではないか〉とか〈党則を変えて続投したいとのメッセージかもしれぬ〉〈安倍首相流は「そこにあるなら国際舞台も使え」だろうか〉と続く。

なんでもかんでもケチをつければいいってもんじゃない。なぜ素直に「おもしろかった」とか「驚いた」とか書けないのか。

 花田という人は、文春から朝日、WACから飛鳥と、とにかく居場所が落ちつかないが、政治的な保守的スタンスは、概ね一貫としているのかもしれない。

 あの閉会式を、「素晴らしい」とか、少なくとも「おもしろかった」で済ましたい人が多いようだが、とてもそうはいかない。

 「復興五輪」の旗は、今どこに掲げているのか。

 マリオは、その旗を持って、台風の影響で流出している放射能汚染水を止めに行かなければならないのではないのか。



[PR]
 都知事選は、宇都宮さんが出馬辞退した時点で、興味を失っていた。

 それにしても、「週刊文春」といい「週刊新潮」といい、そして、自ら調査することもなく週刊誌報道を拡散するだけのテレビなども含め、揃って鳥越叩きである。

 調査報道を主体とする、数少ない真っ当なメディアHUNTERが、まさに真っ当な疑問を呈しているので、引用する。
HUNTERの該当記事

東京都知事選 文春スキャンダル報道への疑問
2016年7月22日 09:50

 週刊誌に事を公にする場合の基準なり内規なりがあるのかどうか分からないが、“話題になって売れればいい”というのが本音だろう。
 21日発売の「週刊文春」が打ち上げた鳥越俊太郎氏の女性スキャンダルは、東京都知事選挙に立候補している同氏に“裏の顔”があり、大学生(当時)への淫行に及んでいたというもの。「疑惑」と断りながら、選挙期間中、しかも鳥越氏を含む主要候補が接戦を演じていることが報じられている中での記事は、なんと14年前の出来事を掘り返したものだった。
 鳥越陣営ならずとも、「選挙妨害」を疑わざるを得ない内容。問題の記事を子細に見てみると、いくつもの疑問点が浮かび上がってくる。


当事者の証言なし 補強は「関係者の話」

 問題の記事は、14年前の2002年、鳥越氏が私立大学の女子学生を別荘に連れて行き、みだらな行為に及んだというもの。タイトルに「疑惑」とあるが、記事の内容は鳥越氏をクロと断定した形となっている。文春に告発したのは、女子学生の元恋人で、現在は夫となっている男性ということになっている。

 一読して感じるのは、断定的に書きながら確かな裏付けがないということ。元女子大生の肉声は一度も出てこず、顛末を語っているが夫だという男性だけなのだ。文春側が元女子大生に会って話を聞いた形跡もなく、“裏をとった”と胸を張れる内容ではない。

 記事の補強材料として使っているのが、告発者が鳥越氏に出したというメールの画面と元女子大生が通っていたという「私立大の関係者」。さらに、鳥越氏の人格を否定するために、同氏の古巣である「毎日新聞OB」と「テレビ朝日関係者」の話を紹介している。週刊誌の記事に信頼がおけないのは、この「関係者」という表現を多用すること。情報源の秘匿だという言い訳が聞こえてきそうだが、告発者は別として文春報道に実名で登場するのは鳥越氏本人だけ。あとは、存在さえ怪しいというのがこの記事の実態だ。

 「テレビ朝日関係者」の話の前振りに≪こんな声も少なくない≫とあるが、「少なくない」とは「多い」と同義。しかし、テレビ朝日の内部で、鳥越氏は女好きなどという話など聞いたことがない。淫行疑惑報道の発端であるかのように書かれている「私立大関係者」のコメントにしても、この関係者がどのような立場で、いかにして鳥越氏と元女子大生の話を確認したのか不明。“関係者の話”で逃げを打つのは週刊誌の常套手段だが、捏造だとすれば極めてタチが悪い。


証拠のメール画面に強要の疑いも

 補強材料の無理は、本筋の話が弱いことを意味している。元女子大生本人が出てこないのだから、“淫行”前後の話はほとんど伝聞に基づくもの。『……という。』表現ばかりが続く内容だ。力強く描かれているのは、告発者の男性が鳥越氏と会ったという場面だけ。甘利明元経済再生担当相を追い込んだ記事のような「動かぬ証拠」は皆無である。

 唯一の証拠というのが前述の告発者が鳥越氏に出したというメールの画面。告発男性は、2014年に自分が関わったイベントに鳥越氏が出演することがわかり、出演をキャンセルするようメールで頼んだというのである。不可解というしかない。12年前の出来事。しかも、鳥越氏はテレビ出演の機会が多く、顔を見ない時期は少なかったはず。告発男性は≪自分にとって大事なイベントを汚される気がした≫(文春の記事より)としているが、相手を困らせイベント出演を止めさせたとすれば、強要ととられてもおかしくない行為であろう。

 この記事でも指摘される「関係者」には、いろんな人が含まれていそうだ。
 
 昨今の「文春」としては、伝聞情報ばかりで信憑性に欠ける、何とも切れ味の悪い記事。

 なぜ、こんな記事が出たのか・・・何らかの力が背後で働いたと思うのが普通だろう。

 「日刊ゲンダイ」は、「小沢潰し」と同じ構造であると指摘している。

「日刊ゲンダイ」の該当記事

小沢事件と同じ構図…大メディア横並び“鳥越叩き”の異常
2016年7月25日

 ちょっとどころじゃない。かなり異常な事態だろう。都知事選に出馬している野党統一候補のジャーナリスト、鳥越俊太郎氏(76)に対する週刊誌スキャンダルで、一部を除く新聞・テレビが「疑惑」と称し、横並びで鳥越氏をガンガン叩きまくっていることである。

 候補者とはいえ、選挙に出馬表明し、“公人”となった以上、法令違反などが確認されれば批判にさらされるのはやむを得ない。辞職した舛添要一前都知事が連日、新聞・テレビにぶっ叩かれたのも、公用車の私的利用や、多額の政治資金の身内企業への還流――といった具体的な事実が確認されたためだ。

 しかし、今回の鳥越氏のケースは果たして舛添氏と同じなのか。腑に落ちないのは、そろって「根拠」は週刊誌報道だけという点だ。百歩譲ってメディアが都知事としての「資質を問う」意味で、鳥越氏を叩いているのであれば、日刊ゲンダイが繰り返し取り上げている小池百合子氏の不可解な政治資金の流れもキッチリ調べて報じるべきだろう。2代続けて都知事が「政治とカネ」問題で辞職したのだ。これ以上、同じ轍を踏まないためにも徹底的に追及するべきだし、フワフワした「疑惑」よりもよっぽど取り上げる意味がある。

 まったくゲンダイの指摘の通りだ。
 「生活の小沢一郎代表を叩きまくった『小沢事件』と同じ構図です。当時もメディアは検察リークに乗って小沢代表を犯人扱いして大々的に『疑惑』報道したが、結果、小沢代表は無罪でした。今回だって鳥越候補は事実無根と強調しているのに、構わず袋叩き。選挙期間中だけにイメージ低下は避けられないでしょう。鳥越氏側は東京地検に公選法違反の疑いなどで刑事告訴しましたが、結論が出るときには選挙は終わっている。これで本当に事実無根となったら、メディアはどう責任を取るつもりなのか」(司法ジャーナリスト)

 「デ・ジャブ」、なのだ。
 小沢の次は、鳥越なのである。

 「小沢潰し」については、2012年の4月に、兄弟ブログ「噺の話」において、カレル・ヴァン・ウォルフレンの『誰が小沢一郎を殺すのか?』文庫版から小沢一郎との公開対談の引用を含む記事を書いた。
「噺の話」の該当記事

 「週刊文春」2012年6月14日号で、小沢一郎が放射能が怖くて逃亡した、などという記事が載った。
 今ではほとんどすべてが嘘っぱちだったことが明らかになっているが、あの当時のイメージダウンは大きかった。
 いまだに、あの記事を信じている人さえいる。
 当時、小沢が東京にいて、ご本人はすぐにでも被災地に行きたがったが、現地の混乱を避けることと、周囲の反対で現地入りしなかったことが、多数の方から裏付けされている。小沢は達増岩手県知事と電話で話をして、被災地対策に関する彼の考えを伝えている。

 小沢一郎は、あの馬鹿げた週刊誌報道に、いちいち食ってかかる愚を避けて沈黙を守ったのだが、今や日本のメディアは週刊誌を中心に動いている、という認識が薄かったと言えるだろう。
 今の世の中、沈黙は金ではなくなった。言った者が勝ち、という風潮が蔓延っている。

 それにしても、この国のメディアは、誰の味方なのか・・・・・・。

 そして、今回の鳥越の記事を含め、その背後にあるのはいったい何か・・・・・・。

 小池の政治資金規正法違反の疑いのみならず、増田寛也にしても、県知事時代に財政を大幅に悪化させたという、本来の首長としての評価の低さのみならず、探ればいくらでも追及すべきネタはある。

 たとえば、「ビジネス・ジャーナル」には、次のような記事がある。
「ビジネス・ジャーナル」の該当記事

 岩手県知事を務めた3期12年の間に、就任前に6000億円余りだった岩手県の公債費を1兆2000億円強にほぼ倍増させた挙句、低迷した財政の再建策を打ち出すこともなく東京に戻ったことから、「岩手を捨てて逃げた」と批判する声も多い。
 本来は、自治体の首長の選挙なのだから、同じような経験をしている増田について、過去の実績を確認するのは当然だと思うが、大手メディアでこのようなことは、まったく報じられない。

 もっと、問題なのは、次のことだ。
 増田氏は2010年11月に 内閣府原子力委員会新大綱策定会議構成員に就任し、福島第一原子力発電所事故発生後、被害者への損害賠償や廃炉を支援する「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」の運営委員を務めた。そしてその後、東電の社外取締役となった。東電は告示の前日である13日に、増田氏は7月8日付で辞任したと公表した。
 つい今月の8日まで東電の社外取締役だった男が、都知事になったら、果たしてどのような電力政策を立てるのか。
 
 脱原発とは、正反対の位置に彼は存在すると思われてならない。

 橋下が、やたらと鳥越に噛みついているツイッターでの単なる“つぶやき”を、産経が盛んに垂れ流しているが、もはや新聞とはいえない。

 確信犯とも言える産経、読売に限らず、「週刊文春」であれ「週刊新潮」であれ、もはや、国民の味方ではない。
 
 彼らは自分たちの雑誌が売れることが第一、そして同じ位に重要なこととが、お上に睨まれないことなのだ。
 産経、読売はもちろんのこと、文春や新潮だって、すでに、国家の犬に成り下がりかねない状況にある。

 歴史は繰り返す。小沢一郎を潰したことを考えれば、鳥越などは簡単、というのが、権力者の思いに違いない。

 そして、その策略は実りつつある。

 実に恐ろしい時代になったものだ。

 2012年4月27日の「噺の話」の記事を、私は次のように締めくくった。 
 これからの日本がどうなるのか、それは消されかけていた小沢一郎が政治の舞台で再生できるかどうかにかかっていると思う。大震災の被災地出身の小沢なら、今の日本における課題の優先順位を間違えることはないように思うが、まだまだ「画策者なき陰謀」は続くのだろうか。特に“ベテラン”と言われるマスコミ人に小沢は評判が悪い。それは、彼らが小沢一郎のダーティイメージをこれまで目一杯発信し続け、たとえば小泉を持ち上げてきたのだから当然とも言える。

 国民の“支持”と“人気”の、ビミョウな違いを峻別し、あくまで誰に任せたら日本が世界の中で馬鹿にされず、尊敬される国になるのかを、今こそ自分自身で考える、それが一人一人に求められているのではなかろうか。いざとなれば、自分の生命を国のために預ける、そんな了見を持った政治家が必要なのだ。

 小沢一郎が復権することはなかった。
 それは、彼の政治家としての実力がなかったからではない。
 私は、誰か一人、日本の将来を託したい政治家を選ぶなら、いまも小沢一郎を選ぶ。
 しかし、見事にメディアが団結(?)した“小沢潰し”が成功してしまった。 

 イメージの時代は、メディアによって特定の人物の虚像を作ることのできる時代、ということでもある。

 ニュースに対する審美眼、いわゆる、メディアリテラシーが国民にこれだけ求められている時代はないかもしれない。なぜなら、ほとんどのメディアの立ち位置は、庶民の側ではないのだから。
 

[PR]