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カテゴリ:市場原理主義、新自由主義に反対!( 7 )


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ロバート・B・ライシュ著『最後の資本主義』
 ライシュの『最後の資本主義』からの三回目。

 今回は、大企業やウォール街がロビー活動や政治献金をテコに、政治的、経済的な支配力を強化し、所得や富の「事前配分」をしている仕組みを、どう変えるかということについて。

 「第二十一章 企業を改革する」から、引用。

 市場に埋め込まれた所得と富の下位層から上位層への事前配分を終焉させるのと同時に、拮抗勢力が市場における配分が「より公正に」なるよう求めることで、課税や社会保障給付も抑えることができる。それには、現代の資本主義の中心組織である大企業を再構築することが必要となる。
 すでに述べてきたように、この30年間、企業を動かす誘因のほぼすべてが、一般労働者の賃金を引き上げ、CEOをはじめとする取締役らの報酬を引き上げる結果につながった。問題はそうした誘因をいかに反転させるかだ。
 一つの可能性としては、法人税率を決める際に、その企業の平均的労働者の賃金に対するCEOの報酬の比率と連動させる方法が考えられる。この比率が低い企業には低い法人税率を、比率が高い企業には高い法人税率を適用するということだ。一例としてカリフォルニア州議会が2014年に導入した法律が挙げられる。
 本書で紹介されるカリフォルニア州の法律では、CEOの報酬とその会社の平均的労働者の賃金の比率で、法人税が次のように定められている。

 CEO報酬が平均的労働者賃金の100倍-->法人税は8%
 CEO報酬が平均的労働者賃金の25倍 -->法人税は7%
 もし、
 CEO報酬が平均的労働者賃金の200倍-->法人税は9.5%
 CEO報酬が平均的労働者賃金の400倍-->法人税は13%

 これは、CEO及び経営者の報酬への抑止力となる。

 ウォルシュは、「会社は誰のものか」という根源的な問いを提示する。

 1980年代に定着した株主資本主義が何をもたらしたかを精査してみると、大多数のアメリカ人の賃金が停滞するか減少し、仕事のアウトソーシングが進み、地域社会が荒廃し、CEOの報酬は天文学的数字に達し、四半期の収益ばかりが近視眼的に注目され、カジノの様相を呈した金融セクターが2008年に破綻しかけて大多数のアメリカ人を巻き添えにするなどの負の遺産ばかりだった。
 いわゆる「ステークホルダー(利害関係者)」は、株主だけではない。
米国経済のステークホルダーは私たち全員であり、そのステークホルダーの大多数は潤っていないのだ。おそらくより必要とされているのはステークホルダー資本主義であり、株主資本主義の類ではないだろう。
 ドイツの企業のガバナンスに関する法律や規制は、このアプローチが取られている。
企業規模にもよるが、監査役会の半数までが従業員の代表者で構成される。さらに、店舗で働く販売員は「事業所委員会」と呼ばれる労働者協議会によって代表される。
 労働組合をはじめ、拮抗勢力の弱体化は、米国のみならず、日本でも顕著だ。
 いかに働く人々が、企業運営にかかわっていくべきか、ドイツに見習うべきことは多い。
 引用を続ける。
 有効な拮抗勢力が存在すれば、米国企業を再構成し改革することができる。法律によって、従業員を代表する組織の設置だけでなく、利害に比例した投票権を従業員に与えることが義務づけられ、一個人や一人の株主が投票権の大半を独占するという事態を防げるだろう。さらに、米国の法人が持つ法的特権の数々、例えば、有限責任や企業永続性、契約締結のための法人格、憲法で定められた権利の享受といった特権は、成長による利益を労働者と共有しつつ、地域社会や環境の利害を考慮する主体にのみ認められることとなろう。

 ウォルシュが提示する案は、民主主義に裏付けされた本来の資本主義への回帰を指向するものと言えるだろう。

 ウォルシュは、富の集中が、現行のルールでは永続性を持つことの問題も指摘する。
 「第二十三章 市民の遺産」から。

政治経済学者ピーター・バーンズによると、アメリカ人が手にする所得の三分の一は利子や配当、キャピタルゲイン、相続財産が占めている。そしてその大部分が上位1%に集中している。他方、遺産税は夫婦の遺産が1068万ドルを超えない限りは課税されず、法律の中には、抜け目のない遺産相続専門の弁護士がさらなる遺残を信託ファンドに隠しておく余地が十分にある。また、住宅、株式、債券、宝石、絵画、骨董品、土地など、一生の間に価値が上がる試算は、相続人が含み益に対してキャピタルゲイン税を払うことなく相続されていく。相続人は自分の一生の間にそうした資産から収入を得て、さらに次の世代の相続人に資産を引き継ぐ。この間、誰もキャピタルゲイン税を払うことはないのだ。

 知的財産の早期のパブリック・ドメイン化などのルールの変更、それを実現するためにも中間層が拮抗勢力となって復活することが求められている。

 トランプ大統領を生んだ大きな要因の一つは、ウォルシュがデータや法律の実態で明らかにする格差社会を生み出す構造的な問題だ。

 しかし、彼がその問題を真剣に解決しようとしない場合、ラストベルトを中心とする貧しい人々は、期待が大きかっただけ、その反作用が大きくなるだろう。

 トランプも確実に富裕層の代表なのである。

 安倍晋三と自らが所有するゴルフ場で遊んでいる様子をツィッターで見る人々は、いったい何を思っているのか、そういった国民の視点に立てるどうかが、今後のアメリカ政権の課題だろう。

 彼のツイッターによる発言は、首尾一貫性を欠いている。
 飽きっぽい性格が反映していると察する。
 いつ、「辞~めた」と言い出しかねないのではなかろうか。

 今のアメリカの病理を根治しようと思うのなら、もっと腹を据えてかからねばならないはずだ。

 大企業やウォール街からの圧力に、トランプは勝てるのかどうか。
 ツイッターで呟くくらいでは、なかなか勝てそうな相手ではないのだ。

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ロバート・B・ライシュ著『最後の資本主義』
 ロバート・B・ライシュの『最後の資本主義』からの二回目。

 ヒラリー・クリントンが大統領選で敗れたのは、彼女がウォール街の金持ちの仲間とみられてきたことが要因の一つだろう。

 富の二極分化の事例として、本書「第十二章 ウォール街の高額報酬のカラクリ」から引用する。
 ウォール街の金融機関で働く人々が、2013年に267億ドルもの賞与を得ることができたのは、彼らが他の大多数のアメリカ人よりも一生懸命働いたわけでも、彼らが優秀だったからとか洞察力があったからというわけでもない。彼らが賞与をもらうことができたのは、たまたま米国の政財界において特権的な立場にある企業で働いていたからだ。

この年、ヘッジファンド・マネージャーの所得番付上位25人の報酬は平均で10億ドル。大手ヘッジファンドのごく普通のポートフォリオ・マネージャーでさえ平均220万ドル。

 なぜ、大多数のアメリカ人が、所得減少のなかで、いわゆるワーキング・プア化しているのに、生産性のない、株の売買のみで利益を得るウォール街の人間が、こんな高額な富を得ることができるのか。
 経済学者エリック・フォルケンスタインは「ポートフォリオ・マネージャーは一番よい価格を知っている。部外者はそれを知らない。それだからこそ彼らは高い報酬を得ているのである。流動性にある市場と流動性に乏しい証券(例えば、不動産担保証券)の世界では、実際にどの程度のお金が手元に残っているのか正確にはわからない。だが、個人のレベルで、眼前にニンジンがぶら下げられればみな自らの利益のために行動するのである」と述べた。

 まさに、「インサイダー」なのである。
 では、なぜインサイダー取引が許されているのか。
 アンソニー・チアソン(彼はSACキャピタルの元社員)の弁護士が2014年、チアソンが別のインサイダー取引で起訴されたとき(控訴裁判所は一審の有罪判決を覆して無罪とすることに同意した)に主張したように、ウォール街では極秘情報は「法貨」であるというなら、SACの行為が特段異常というわけではない。
 ヘッジファンド・ビジネスの下で大量の資金が流動していること、そこに極秘情報があること、そしてそれらの情報を活用した取引で莫大な利益がもたらされていることから、この業界はすべてとは言わないが、極秘情報を前提にしているとみなしても過言ではないだろう。
ヘッジファンド・マネージャーはこのような法貨を容易に入手し、それを堂々と現金に換えることが可能な立場にある。
彼らの巨額の報酬は、異なる二種類の大金を反映することになる。
一つは、投資家がだまされないことを願って払う合法的な賄賂、もう一つは極秘情報を利用した取引を通して投資家からもらう非合法な(百歩譲って法的に問題のある)手数料だ。
彼らはまた、これまで述べたように、他の人々には使えない税制の抜け穴も活用できる。ヘッジファンド・マネージャーやプライベート・エクイティ投資のマネージャーは自らの所得を、通常の所得税よりも税率が低いキャピタルゲイン課税を使って納税できる。

 現在のアメリカで、インサイダー取引による法律や規制は、政治、経済において影響力を持つウォール街人脈たちにより、自分たちに有利な方向にねじ曲がられている。

 国民は、こういったウォール街にごく近い人物としてヒラリー・クリントンをみなしている。

 いわば二極化した富の象徴なのだ。

 では、トランプは金持ちじゃないのか・・・・・・。

 彼は、ある意味でアメリカン・ドリームの象徴でもあり、少なくとも“実業家”として受け入れる有権者が多かった、ということだろう。


 政治的、経済的支配力を持ち、何ら汗をかかずに巨額の富を得るウォール街と蜜月関係にあるヒラリーは、ラストベルトの人々に象徴される、職を失ったり薄給によって日々の生活もままならない大多数の国民の支持を得ることはできなかった。

 トランプ大統領が誕生した背景には、二人の候補者の比較において、「ウォール街とつながっているヒラリーでは、何も変わらない」という思いが、叩き上げ実業家という像を持つトランプへの支持の力となったということだろう。

 ライシュは、大企業や金融業界により、所得と富の「事前配分」を是正しない限り、アメリカの明日はない、と主張する。

 トランプの政策は、果たしてこの事前配分をなくしていけるのか・・・・・・。

 イスラム七か国からの入国禁止、メキシコ国境へ壁の構築などは、彼が世界の反応を見るための“ブラフ”かもしれない。

 もしそうなら、それはポーカーでのそれより、あまりにも人騒がせすぎる。

 すべからく“大統領令”で物事を進めようとする姿は、まさに独裁者ではないのか。

 米国の不幸は、これから本格的に始まろうとしているのかもしれないが、そんな人間のご機嫌をとるリーダーは、我々の国にいることも、これまら不幸だ。

 しかし、希望を捨てては、辺野古の人々に申し訳ない。

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 トランプ大統領誕生の理由として、よく、「ラストベルト」という言葉が登場する。

 'Rust Belt'(さびついた地帯)と形容される地域の貧しい人々が、トランプを支持した、という説明だ。

 ミシガン州、オハイオ州、ペンシルベニア州など、かつて鉄鋼、石炭、自動車産業などの「オールドインダストリー」で栄え、その後衰退した地域の、「忘れられた人々」と呼ばれる労働者たちの多くが、トランプを支持したのは事実だ。

 しかし、ラストベルトの有権者だけが投票したわけではない。

 トランプ大統領を誕生させたアメリカ全体に渡る問題を、見逃すことはできないだろう。
 
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ロバート・B・ライシュ著『最後の資本主義』
 ビル・クリントン政権で労働長官を務め、オバマのアドバイザーでもあったロバート・B・ライシュの『最後の資本主義』は、なかなか興味深い本だった。

 自分が政権に関与しながら実現できなかったことへの自責の念も、この本からは伝わってくる。

 たとえば、このようなことが書かれている。

経済史学者カール・ポランニーも指摘するように、「より小さな政府」を提唱する人々は、実際には「別の政府」(自らやそのパトロンに都合のよい政府であることが多い)を提唱しているのである。

「自由市場」という神話は、私たちがこれらのルール変更の実態を精査したり、そうしたルール変更が誰を有利にしたのか問いかけようとするのを妨害する。
 だからこの神話は、精査されることを望まない人々にとってはとても便利な存在だ。

 ライシュが一貫して主張するアメリカの問題は、富が富裕層に集中し、その富を利用して、ごく少数の金持ちが、政治に関与して自分たちの都合が良いようにルールを作ってきたこと、その結果、経済面で相対的に下位の国民が、ますます貧しくなっていること。
 また、かつては、労働組合や在郷軍人会、農協など、会員の声が下から上へ伝わり、少数の権力者への拮抗力のあった組織が衰退しているということ、など。

 富の富裕層の集中に関しては、次のような図をもとに説明がある。

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 図は第二次世界大戦以降に生じた景気拡大期に現在を加え、上位10%と下位90%の世帯収入の成長率を示したものだ。この図から三つのことがわかる。
 第一に、下位90%の数値が1982年から1990年の間に大幅に下落したこと。
 第二に、景気拡大期のたびごとに経済的利益が富裕層に移ったこと。
 第三に、下位90%の実質所得が2009年から始まった景気回復期に初めて減少に転じたことだ。それまでは世帯収入の中央値が景気回復期に減少したことはなかった。

 富裕層の政治への関与について、象徴的なのは、彼等のとんでもない額の政治献金だ。

 2012年の二大献金者はシェルドン・アデルソンとミリアム・アデルソンで、それぞれ5680万ドルと4660万ドルだった。
 アデルソンは、ラスベガスのカジノ・ホテルのオーナーとして有名。
 ソフトバンクが、アデルソンの「コムデックス」というイベント会社を傘下におさめたことで、アデルソンと孫社長は交流があり、今回、安倍晋三がトランプに面会できた背景には、孫-アデルソン-トランプという人脈があったとも言われている。

 だが、アデルソン夫妻は超富裕層による政治献金という巨大な氷山の一角に過ぎない。
『フォーブス』誌による米国の富豪トップ400人の中で、実に388人がこの年に政治献金を行なっていた。
 『フォーチュン500』にランキングされた企業の取締役とCEO4493人の中で、五人中四人以上が献金した(献金しなかった人の大半は外国人で、政治献金が禁止されている)

2016年大統領選に向けた準備段階で、億万長者のチャールズ・コークとデビッド・コーク兄弟は裕福な友人らと協力して、10億ドル近い資金を集めた。
 コーク兄弟は、今や、アメリカを蔭から動かす大富豪として有名だ。

 彼らの政治献金は、いまや、共和党のみならず、民主党にも同じように“投資”されている。

 その結果、独占禁止法は骨抜きにされ、かつて存在した貧しい人々を保護する法令は廃止され、富裕層への規制がどんどん取り除かれている。

 こういった、富の極端な二極化が、アメリカの最大の病理と言ってよいだろう。

 ラストベルトという一部の地域に限らず、多くのアメリカ人が、既成の政治家では何も変わらないという思いを抱き、ヒラリーではなく、自らも富裕層の一人であるがために、他人の政治献金に頼り、その言いなりにならないであろうトランプを支持した、ということだろう。

 しかし、本当に貧しい人に職が戻り、富裕層に集中している富が再配分されるのだろうか・・・・・・。

 トランプの保護主義政策が、「自由市場」や「小さな政府」という言葉でごまかし、富裕層がつくったきた病根を直撃し、アメリカの病を治す特効薬になり得るのか・・・・・・。


 この本については、もう少し紹介したい。

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 アメリカ大統領選は、いわば規模の大きな“劣等比較”だったように思う。

 あそこまで、ヒラリーが嫌われているとは思わなかなった、というのが私の正直な印象。

 木村太郎じゃないが、トランプもあるかな・・・位のことは思っていた。
 それは、投票前にNH総合やBSなどで放送していたトランプ支持者の姿を観たことで感じたことだ。
 
 いわゆるグローバリズム、自由主義、市場原理主義により、職を失った労働者たちの多くがトランプを支持していた。

 また、隠れトランプ支持者が多いことも、指摘されていた。
 隠れたいた人たちの意思が、数字となって公になった、ということか。

 日本のメディアの一部は、選挙戦でのトランプの発言や彼の政策(と思しきもの)について、過敏な反応を示している。

 今日の朝日新聞の社説を引用する。

朝日新聞の該当社説

「トランプ大統領」の衝撃 保護主義に利はない
2016年11月11日(金)付

 米大統領選に勝利したドナルド・トランプ氏は「米国第一主義」を掲げており、政策面で内向き志向を強めそうだ。

 通商政策では自由貿易の推進に否定的で、保護主義へかじを切ることが懸念される。だが、世界第一の大国が自国の目先の利益にとらわれた行動をとれば、世界経済の足を引っ張り、米国の利益にもならない。

 大統領就任後100日間で実施する政策をまとめた「有権者との契約」では、環太平洋経済連携協定(TPP)について「離脱を表明する」と明記した。カナダやメキシコとの北米自由貿易協定の再交渉や中国製品への関税強化なども訴える。

 12カ国が加わるTPPは、日米両国が国内手続きを終えないと発効しない仕組みだ。日本ではTPP承認案が衆議院を通り、国会での手続きが進んだが、発効は困難な情勢だ。

 トランプ氏の主張は、自由貿易を重視する共和党主流派の伝統的な政策と相いれない。上下両院で共和党が多数を握ることになっただけに、トランプ氏の訴えがどこまで具体化するかは不透明ではある。

 だが、世界経済は低成長に陥り、国際的な経済摩擦が相次ぐ。英国の欧州連合(EU)離脱決定に続き、トランプ氏の言動と政策が反グローバル化をあおることになれば、世界経済は本格的な停滞に陥りかねない。

 ある国が輸入品への関税を引き上げ、相手国も高関税で対抗する。貿易が滞って景気は冷え込み、失業者も増える。そうした悪循環が世界大戦まで引き起こしたことへの反省から、戦後の自由貿易体制は出発した。

 今世紀に入って世界貿易機関(WTO)での多国間交渉が行き詰まるなか、自由化の原動力は二国間や地域内の自由貿易協定(FTA)に移った。とくに規模が大きい「メガFTA」が注目され、その先陣を切ると見られてきたのがTPPだった。

 貿易や投資の自由化には、競争に敗れた産業の衰退や海外移転による失業など、負の側面がともなう。恩恵を受ける人と取り残される人との格差拡大への不満と怒りが世界中に広がる。

 だからといって、自由化に背を向けても解決にはならない。

 新たな産業の振興と就労支援など社会保障のてこ入れ、教育の強化と課題は山積する。大企業や富裕層による国際的な税逃れへの対応も待ったなしだ。

 自由化で成長を促し、経済の規模を大きくする。同時にその果実の公平な分配を強める。トランプ氏を含む各国の指導者はその基本に立ち返るべきだ。

 いろいろ、突っ込みどころがある。

 太字が、私のツッコミだ。

“12カ国が加わるTPPは、日米両国が国内手続きを終えないと発効しない仕組みだ。日本ではTPP承認案が衆議院を通り、国会での手続きが進んだが、発効は困難な情勢だ”
→ 早い話、朝日はTPPについて賛成なのか否か?

 “貿易や投資の自由化には、競争に敗れた産業の衰退や海外移転による失業など、負の側面がともなう。恩恵を受ける人と取り残される人との格差拡大への不満と怒りが世界中に広がる”
→ まさに「負の側面」「格差拡大」への不満が、今回のトランプ勝利の背景にある

“だからといって、自由化に背を向けても解決にはならない”
→ 本当に、そうなのか?
  行き過ぎた「自由化」を、今は是正すべき時期かもしれないではないか


“自由化で成長を促し、経済の規模を大きくする。同時にその果実の公平な分配を強める。トランプ氏を含む各国の指導者はその基本に立ち返るべきだ”
→ 本当に、「自由化」が「成長」を促すことになるのか?
  経済規模を大きくし、「公平な分配」を強めることなど、可能なのか?
  それが「基本」とは、誰がそう思っているのか?

 トランプ勝利が意味するものは、実に深い。

 グローバリズム、自由主義、市場原理主義が招いた現状に、アメリカの労働者の多くが「ノー!」を突きつけたのだと思う。

 彼は、選挙戦における戦略、戦術のために、過激な発言、態度をしてきたが、実は、頭の良いビジネスマンとして、これからは、慎重にコトを進める可能性もあるだろう。

 彼に「表」と「裏」があるのは当たり前だ。
 「トランプ」なのだから^^

 まずは、お手並み拝見・・・それ位の了見でなければ、何かと騒々しい世の中、とても落ち着いてはいられない。

 それにしても、安倍首相は、拙速にTPPを国会に通して、トランプを説得するなどと言っているが、何を言っているのか、この男は。

 もしかすると、現在、自由主義、市場原理主義を世界でもっとも進めようとしている男は、安倍晋三かもしれない。とても、許すことはできない。

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 また、悲惨なバスの事故が発生した。

 バス事故、となると、やはりあの事故のことを思い出す。
 2012年のゴールデンウィークに起こった関越事故だ。
 あの事故の反省から、高速ツアーバスは廃止され、新高速乗合バスに集約されることになった。
 走行キロ数における運転手の人数配置基準などに改善はあったものの、「格安バスツアー」の競争状態という構造的問題の本質は、改善されていないということだと思う。

 兄弟ブログ「噺の話」で、2012年5月7日に、4月29日の関越事故に関し、運転手個人を攻撃する新聞(読売)の論調などについて小言を書いたことがある。

 新聞記事は、すでにリンク切れ。

 あえて、三年半前の記事だが、再掲載した。
 
----------「噺の話」2012年5月7日の記事-------------------------
 関越自動車道のバス事故に関するマスコミの報道内容が、その出身であるとか個人営業の実態であるとか、次第に明るみに出てきた運転手個人のことが増えてきた。たとえば、今日の大新聞のほとんどは、このネタである。YOMIURI ONLINEの該当記事

河野容疑者、休息のホテルで「バス修理を手配」

 関越自動車道で乗客7人が死亡したツアーバス事故で、自動車運転過失致死傷容疑で逮捕された運転手河野化山かざん容疑者(43)が、運行前に休息のために入った石川県白山市のホテルで、「(自分が)使っていたバスの修理を手配していた」と供述していることが捜査関係者への取材で分かった。

 事故は、居眠り運転が原因とみられているが、群馬県警はこの手配などで十分な睡眠を取らなかった可能性もあるとみて調べている。

 河野容疑者は、ホテルで中国人向けツアーの手配をしていたことも判明しているが、4月28日午後4時半頃にホテルをチェックアウトした以降は、ショッピングモールで食事をした以外には「ずっとバスの中で休んでいた」と話していることも新たに判明した。「夜間運行の経験はほとんどない」とも供述しているという。県警は今後、裏付けを進める。(2012年5月7日14時34分 読売新聞)



 「事実」は報道するに値するのかもしれない。運転手も、運行会社も、ツアーを企画した旅行会社も責任は大きい。しかし、今回の事故を引き起こした個別の当事者達のニュースに終始して、この事件の背後にある「本質的な問題」が追及されない限り、同様の事故、事件が再発するように思う。

 そういう意味では、マスコミの一つには違いないが、大新聞よりも、次の「日刊ゲンダイ」の記事のほうが、「問題の本質」に少しは迫っているように、私は思う。ゲンダイネットの該当記事
バス衝突事故の元凶 小泉純一郎を国会招致しろ
2012年5月1日 掲載

小沢喚問より優先すべき市場万能主義の清算

 小泉政治の「負の遺産」が再び大惨事を招いた。乗員乗客46人とその親族のGWを暗転させた関越道の格安ツアーバス激突事故。7人の命を奪った悪夢は、本をただせば小泉の無軌道な規制緩和路線にたどり着く。
 今回の事故は格安ツアーバスの過当競争が遠因である。旅行会社のムチャなダンピングを断れず、安全面をおろそかにする貸し切りバス業者を放置してきたツケだ。
 安全度外視の競争激化は規制緩和が生んだ弊害である。特にこの流れを決定づけたのが、小泉政権下の02年の道路運送法の改定だった。
 ツアーバス事業を旅行会社に全面解禁。路線バスと違って、料金や運行区間も自由に設定できるようになった。その結果、格安ツアーが急増し、旅行会社からの運行依頼を狙って、新規参入の貸し切りバス業者も爆発的に増えていった。
「貸し切りバス業者は緩和前の99年度の2336社から10年度の4499社へ倍増。その分、安全面の行政監査が行き届かなくなっています。緩和後に監査員を増やしたとはいえ、いまだ1人につき、20社を担当するような状況です。加えてタクシーや長距離輸送など陸上交通全般の監査を掛け持ちしており、これらの総数は8万社近く。とても全ての貸し切りバス業者まで手は回りません」(国交省関係者)
 だから、今回の事故を起こした会社の社長のように、「白バス」営業で警視庁に摘発された過去を持つ人物の新規参入まで許してしまうのだ。投資顧問業を許可制から登録制に緩和し、業者急増に監督官庁のチェックが追いつかない——企業年金1500億円を消失させたAIJ事件と同じ構図である。

「小泉・竹中流の規制緩和とは、市場万能の論理でした。市場に任せれば、悪い企業は淘汰され、良い企業だけが残り、すべてがうまくいくという発想。現実は真逆です。経済効率化の大波は交通サービスなど公共性の高い分野までのみ込んだ。その代償が過酷な労働であり、多くの人命を奪った大事故なのです。もはや今回のような惨事は業種を問わず、いつ、いかなる場所でも起こりえます。小泉政治の本質は人間軽視。国民に綱渡りのような危険な社会を押し付けたのです」(筑波大名誉教授・小林弥六氏=経済学)
 小泉進次郎衆院議員は小沢の無罪判決を受け、「政界の霧は深くなった」と証人喚問を求めていたが、冗談じゃない。まず親父を国会に招致し、小泉政治の負の遺産を徹底追及すべきだ。


 「公共性」が高い教育の現場に「競争の原理」を持ち込もうとするのが、橋下大阪市長の大きな過ちの一つだと思っているが、その悪しき先例は小泉、竹中の時代の自民党にあったと言えるだろう。もちろん、本来「緩和すべき規制」も存在する。小泉構造改革による成果がゼロとは言わない。しかし、「聖域なき構造改革」は、ともすれば「公共性」の高い分野にも誤った「市場原理」と「競争」をもたらすことになった。その“負の遺産”は、残されたままではないのか。橋下などは、同じ過ちを繰り返そうとしている。そこに問題がある。

 小沢一郎潰しに躍起になっているマスコミが支持し、国民の“人気”を背景に推進した小泉時代の「規制緩和」は、いったい何を導いたのか。
 大震災、そしてフクシマにより「公共」的な基盤が損なわれている今こそ、やみくもな「規制緩和」によって失われてきたものが何かを検証すべきだろう。「官から民へ」というキャッチフレーズは耳障りがいいかもしれないが、その実態が国の責任放棄による市場混乱になってはいないのか・・・・・・。

 もちろんあの頃だって、「規制緩和による暴走」への危惧は指摘された。しかし、その際に言われてきたのが、「チェック&バランス」が働くとか、モラルが歯止めになるとか、「セーフティーネット」がある、ということだった。

 しかし、格安バスツァーの競争のどこに「チェック&バランス」が働いていたのか。

 また、「格安バスツアー」を煽り続けたたテレビ局に責任を求める声も、もちろんない。なぜなら、テレビ局の多くが新聞社の資本の入ったメディアである以上、自分たちの首を絞めるような報道をするわけがない。

 しかし、安い制作費の割に視聴率を稼ぐことができる「旅行&グルメ」番組が、バスツアー競争激化→安売り競争→安全性度外視、といった流れを誘導してきたことは、誰も否めない事実なのではないか。

 もちろん、格安ツアーから豪華ツアーまで、数多くの選択肢があることは悪いことではないのだろう。その中から何を選択するかは、その本人の責任でもあるだろう。
 しかし、旅行や食べ物の事故は、生命の危険をもたらすことがある。「安さ」ばかりを求めたり、メディアが過度に「安さ」を強調することには大いに疑問を感じる。
 
 大震災とフクシマを経験した後の日本には「経済の論理」優先は、そぐわない。「高くても安全」、あるいは「安全のために妥当なコスト」という視点が必要ではないのか。

 原発再稼動の問題が再燃することで、また「コスト」問題もテーマになるだろう。しかし、「安い方法を優先する」ではなく、「生命にとって安全な方法を優先する」という主張を、果たしてどのメディアが唱えるか、しっかり見ていきたいと思う。

 バス事故も、年金問題も、事件の背景にあるものを明らかにしないままでは、決して問題解決には至らないはずだ。「公共性」という言葉が、もっと真剣に語られるべき時ではなかろうか。「競争こそが大事」という論理は、「安さこそが大事」という流れを加速する。そして、必然的に「安全」という言葉が隅に追いやられる。そんなことを、バス事故のニュースを見て強く感じる。

---------「噺の話」2012年5月7日の記事、ここまで-------------------------

 問題の本質は、まったく変わっていない。

 公共性の高い分野に、市場原理主義を導入すること、そして、新自由主義をいう名の国家の問題の放任、ほったらかし、が根本原因である。

 運行会社が「運行指示書」なしで走らせていた、ということも判明したようだが、この会社のみの責任ではない。
47NEWSの該当記事

 東京新聞は、運転手への聞き込みを含む記事を掲載している。
 その中で、「規制緩和」以降の実態について記された部分を引用する。
東京新聞の該当記事

◆過酷労働離職率高く

 国土交通省によると、ツアーバスなど貸し切りバスの事業者数は、ここ十五年で一・五倍に。事業を免許制から許可制に規制緩和した二〇〇〇年を境に新規参入が急増した。運転手の採用も増えているが、一社あたりの運転手は一四・三人から一〇・五人へと大幅に減った。

 運転手(乗り合いバスを含む)の平均年収は下がる一方。五十代では〇一年に六百十九万円あったのが、一三年には四百八十八万円に。正社員も九割から七割にまで落ち込んだ。乗客七人が死亡した一二年の関越自動車道の事故の後も低賃金、長時間労働の傾向は止まらず、若い人が業界を敬遠。六人に一人の運転手が六十歳以上だ。

 一四年の同省の調査では、入社一年以内に29%が、四年以内に48%が退職。外国人観光客の増加への対応も求められる中、バス会社三十五社のうち三十四社が「運転手不足による悪影響が出ている」と回答した。 (皆川剛)

 市場原理主義、新自由主義による公共性の高い分野に「競争」の原理が導入され、コストダウンを追求せざるを得ない状況下で、運転手の生活も生命も危機的な状況にある。そして、乗客の生命も危険に晒される。

 このような状況を放置しておいて、どこが「一億総活躍」なのか。
 活躍できにくい状況ばかりを作り出しているのが、自民党政権ではないか。

 もちろん、今回の事故において運行会社の責任は大きいが、運行会社にばかり非を求めてはならないだろう。競争の激化により、間違いなく旅行代理店からの有形無形のコストダウン要求を受けていただろうし、無理な無茶な工程や人事管理が行われていたわけで、真因は規制緩和という名の悪政にたどり着く。

 規制緩和により業者の数が急増し、国交省の担当者のチェックが十分にできない状況を、どう改善すべきかは、彼ら霞が関の優秀な頭脳の持ち主なら分かるはずだ。

 それは、本末転倒し役人の人数を増やすことではなく、チェックの効かない人命がかかわる領域を、適確に管理、統制できる状態に戻すことであり、あらためて必要な規制をすべきなのである。

 国交省は、事故が起こらないように、チェックすべきであり、事故が起こってから行政処分をすることは、誰でもできる。
 「公僕」という言葉が、死語になりつつあるなぁ。

 今日、「自由」とか「競争」という言葉が肯定的なイメージを与え、「規制」「統制」という言葉が否定的なイメージを抱かせるように思うが、それは危険な兆候だ。
 公共性の高い分野、宇沢弘文さんが「社会的共通資本」と呼ぶ領域は、「自由に競争」させてはいけないのだ。

 「社会的共通資本」については、一昨年9月に宇沢さんが亡くなった後に書いた記事から、兄弟ブログ「噺の話」で書いた複数の記事にリンクをしてあるので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2014年9月28日のブログ

 安倍内閣も、今回のバス事故の責任から、逃れることはできない。
 なぜなら、それが、かつての小泉政権下であろうが、依然として改善されない規制緩和の弊害、同じ自民党の愚策が今につながっているのである。
 いや、小泉政権時代より、市場原理主義と新自由主義による悪政の被害はもっと甚大になっていると言えるだろう。

 「アホノミクス」の仮面は、もはや剥がされている。

 こんな馬鹿な政府によって、国民の犠牲をこれ以上増やしてはならないと思う。

 若者も、女性も、熟年も、誰もが、今年の選挙で歴史を変えねばならないし、それは、可能だと信じている。
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少し古くなりが、10月21日の「内田樹の研究室」に、朝日新聞に掲載された「カジノについて」という記事があるので、引用したい。
「内田樹の研究室」の該当記事

カジノについて

朝日新聞にカジノ法案についての意見を聴かれましたので、こんなことをお話ししました。
2014年10月21日の朝刊に掲載されたものです。 

「実は、身内にかなりのギャンブル依存症がいます。優れたビジネスマンですし、他の面ではいたってノーマルな人物なのですが、ことギャンブルとなると熱くなる。若いころは給料日に競馬場へ行って1日でボーナスをすってしまうというようなこともありました。海外出張の時はカジノに通っていました。なぜそんなふうにお金を無駄に使うのか聞いたことがあります。これで負けたら全財産を失うという時のヒリヒリする感じが『たまらない』のだということでした」
 ——依存症は青少年や地域社会、治安への悪影響と並んで反対派、慎重派が最も懸念する点です。やはりカジノはやめたほうがいい、と。
 「僕は別に賭博をやめろというような青臭いことは言いません。ただ、なぜ人は賭博に時に破滅的にまで淫するのか、その人間の本性に対する省察が伴っていなければならないと思います。賭博欲は人間の抑止しがたい本性のひとつです。法的に抑圧すれば地下に潜るだけです。米国の禁酒法時代を見ても分かるように法的に禁圧すれば、逆にアルコール依存症は増え、マフィアが肥え太り、賄賂が横行して警察や司法が腐敗する。禁止する方が社会的コストが高くつく。だったら限定的に容認した方が『まし』だ。先人たちはそういうふうに考えた。酒も賭博も売春も『よくないもの』です。だからと言って全面的に禁圧すれば、抑圧された欲望はより危険なかたちをとる。公許で賭博をするというのは、計量的な知性がはじき出したクールな結論です」
 ——カジノ法案は、政府内に管理委員会を置いて、不正や犯罪に厳しく対処するよう求めています。推進派の議員らは、十分な依存症対策も取る方針を明確にしています。それなら賛成できますか。
 「賛成できません。法案は賭博を『日の当たる場所』に持ち出そうとしている。パチンコが路地裏で景品を換金するのを『欺瞞だ』という人がいるかもしれませんけれど、あれはあれで必要な儀礼なんです。そうすることで、パチンコで金を稼ぐのは『日の当たる場所』でできることではなく、やむをえず限定的に許容されているのだということを利用者たちにそのつど確認しているのです。競馬の出走表を使って高校生に確率論を教える先生はいない。そういうことは『何となくはばかられる』という常識が賭博の蔓延を抑制している。賭博はあくまでグレーゾーンに留め置くべきものであって、白昼堂々、市民が生業としてやるものじゃない。法案は賭博をただのビジネスとして扱おうとしている点で、賭博が分泌する毒性についてあまりに無自覚だと思います」
 ——安倍晋三首相は、シンガポールでカジノを視察して、日本の経済成長に資すると発言しました。経済を活性化する良策ではないですか。
 「賭博は何も生み出しません。何も価値あるものを作り出さない。借金しても、家族を犠牲にしても、人から金を盗んででも、それを『する』人が増えるほど胴元の収益は増える。一獲千金の夢に迷って市民生活ができなくなる人間が増えるほど儲かるというビジネスモデルです。不幸になる人々が増えるほど収益が上がるビジネスである以上、そのビジネスで受益する人たちは『賭博に淫して身を滅ぼす人』が増大することを祈ることを止められない。国民が不幸になることで受益するビジネスを国が率先して行うという発想が、僕には信じられません」



 印象的な部分を、太字で再確認。

‘賭博は何も生み出しません。何も価値あるものを作り出さない’

‘法案は賭博を『日の当たる場所』に持ち出そうとしている。パチンコが路地裏で景品を換金するのを『欺瞞だ』という人がいるかもしれませんけれど、あれはあれで必要な儀礼なんです。そうすることで、パチンコで金を稼ぐのは『日の当たる場所』でできることではなく、やむをえず限定的に許容されているのだということを利用者たちにそのつど確認しているのです’

‘そのビジネスで受益する人たちは『賭博に淫して身を滅ぼす人』が増大することを祈ることを止められない。国民が不幸になることで受益するビジネスを国が率先して行うという発想’

 ごくごく、真っ当な意見だと思う。

 やむをえず、限定的に許容されている世界を、なぜ表舞台に安部政権は引き上げようとしているのか。

 それは、そうすることで儲かる奴がいて、そういった輩と安部がつながっているからである。市場原理主義、新自由主義大好きな安部にとっては、支援者が儲かって、その金が還流してくるのなら、博打だって売春だって利用するだろう。

 昔の人は、寄席に行くのにも、後ろめたい思いを抱いていた、ということを本などで読むことがある。
 悪場所、悪所、という表現もある。

 さすがに、今日の寄席通いには、そういった心情と縁遠くなってきたが、賭場に行く場合は、この‘後ろめたさ’を感じることが、結構大事なのではなかろうか。

 あえて言うなら、地下に潜る意識が、楽しみを倍加させる効果もあるだろう。本来、そこは秘密の場所なのである。

 落語で博打をしている場面で、「大きな声を出すな。俺たちゃ親孝行してるんじゃねえんだ」という科白を挟むことが多いが、この感覚である。
 『文七元結』で、吉原の大店、佐野槌の女将は左官の長兵衛に小言を言う際、「博打ってのはねぇ、場で朽ちる、ということなんだ」と言う。

 濡れ手で粟か、その場で朽ちるか、という世界は、決して真っ当な場所とは言えまい。

 落語だから、左官の長兵衛が博打で首が回らなくなっても、吉原に沈んでくれようとする娘のお久がいて、五十両貸してくれる佐野槌の女将がいる。そして、長兵衛がその五十両を初対面の文七に恵んでくれたことに感謝し、お久を請け出してくれる鼈甲問屋、近江屋卯兵衛がいるのだ。現実の世界なら、長兵衛一家には悲惨な末路が待っているのである。

 ‘カジノ’などとカタカナで書くから誤魔化しやすくもなる。

 安部政権は‘博打’を奨励し、‘賭場’を運営する胴元とグルになって、儲けようとしているのである。オリンピックとも安部ノミクスとも何ら関係のない、安部にとっての儲け話にすぎない。
 こういう男こそ、その場で朽ちてもらいたいものだ。

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安倍政権は、産業競争力会議という首相のお友達による機関を利用して、市場原理主義、新自由主義を日本で広めようとしている。まったくの、暴挙である。
 そして、本来、企業の給与制度は、それぞれの産業や企業が決めるべきことなのに、「年功賃金の見直し」などと、まったく余計な口出しをしている。毎日の社説から紹介。
毎日新聞の該当社説

社説:
年功賃金見直し 政府が口を出すことか
毎日新聞 2014年10月06日 02時40分

 政府と経営者・労働組合による「政労使会議」で安倍晋三首相は「年功序列の賃金体系を見直し、労働生産性に見合った賃金体系に移行することが大切」と訴えた。年齢や勤続年数とともに賃金が上がる年功賃金は日本特有の制度で、最近はグローバル企業を中心に見直す動きが広がっている。だが、新卒一括採用や終身雇用など他の制度や慣行と密接に連動しており、年功賃金だけ変えることはできない。そもそも政府が口を出すことなのだろうか。

 日立製作所は管理職の給与で年功序列をやめ、成果主義にすると発表したが、連結売上高に占める海外の比率は45%、グループ会社を含めて社員の約4割が海外採用だ。国際競争に負けないための人材確保を考えれば、賃金体系の変更は理解できる。ただ、国内市場で活動する企業で働く人の方がはるかに多く、年功賃金が成り立っている背景を考慮せずに見直しを急ぐと、雇用現場に深刻なひずみを生む恐れがある。

 諸外国では具体的な職務内容が雇用契約で決められ、職務ごとに賃金が定められる「同一労働・同一賃金」が一般的だ。一方、日本は雇用契約では職務が決まっておらず、経営者に社員の転勤や異動を命ずる権限が認められ、その代わり賃金は年齢や勤続年数によって決まる。年功賃金を廃止するのであれば、同一労働・同一賃金の実現に向けた制度改革も行わなければならない。

 一方、職務内容で賃金が決まる制度では、知識や技術の水準が低い新規学卒者より即戦力の労働者が有利になる。実際、欧米諸国では若年層の失業率が著しく高い。日本型雇用は新卒者を一括採用し、社内教育で高い生産性を身につけさせるのが特徴だ。若い時は給料を抑え、勤続年数を積んで生産性が高まるにつれて賃金を上昇させる一方、教育コストをかけて育てた社員が転職しないよう多額の退職金で終身雇用を維持してきた。これらの連動する慣行・制度をどう変えるかを示さず、政府が年功賃金の見直しを要求しても雇用現場は混乱するだけではないか。

 政府に言われるまでもなく、年功賃金の上昇率を緩める企業の動きも見られる。夫婦共働きが増え、正社員の夫が家族全員の生活費を担う割合は減ってきた。定年延長や定年を廃止して65歳までの雇用継続を経営者は求められている。最も高い中高年の賃金を減らし、その分を若年・高齢社員や女性の雇用確保、賃上げに回すことを模索しているのだ。

 やはり個々の雇用現場の実情に基づいた労使の自主的取り組みを尊重すべきだ。公共職業訓練や職業紹介、非正規雇用の改善など、政府が本来やるべきことはたくさんある。



 私は、実際に、新しい給与制度を構築するプロジェクトに携わった経験がある。外資系コンサルティング会社に高い費用を払って、いかに、年功型の賃金を替えるか、一年間にわたり、毎月合宿も行い検討した。
 目標管理制度とか成果主義、ジョブサイズなどというアメリカ型の概念が流行った時期だった。
 
 しかし、たとえば、それぞれの職務を数値化し、その数値によって賃金を決めるというジョブサイズ方式は、私の会社には馴染まなかった。たとえば、その職務に就く「人」によって、その仕事の大きさが違ってくるのである。
 人が先か、職務が先か、という課題は、このプロジェクトで毎回議論されたことだった。

 仕事は、生きた人間が行うということを、アメリカの仕組みは根底に置いていない、という疑問を感じたものだ。
 だから、いかにして、自社の企業文化を踏まえ、強みを失わずにとアメリカ型の良さを融合するか、本当に苦労した。
 結果として導入した新制度も、その後、何度も改訂(改悪?)がされ今に至っているが、果たして年功賃金カーブを緩める以外の何ができたのだろうという疑問は、いまだに消えない。

 アメリカ流の職務定義や給与体系は、本来、日本の大多数の会社に、あてはまらないのだ。

 なぜなら、新卒採用を行い、段階的に教育研修を施し、職場でもOJTを継続し、「人」を育てるという日本型の文化、強みと、静的な特定職務という鋳型に人をあてはめる雇用流動性の高いアメリカ型の文化は、まったく違うのである。

 しかし、多くの企業は、アメリカ流を社内に持ち込んだ。そして、不況期、アメリカ型の成果主義、目標管理、静的な職務記述書などを盾に、リストラを行った。それは、会社側にとって都合の良い道具だったのだが、しばらくして、そのしっぺ返しを喰うことになった。

 日本の製造業に極端に現れたことだが、優秀な人材から先に流出し、教える先生がいないから若手社員の教育もままならず、企業の競争力が急激に衰退した。

 年功賃金が良い、と言っているのではない。

 その産業により、その企業の文化により、給与体系は100社あれば100通りあって不思議がないのである。

 もちろん、給与体系の基本や福利厚生に関して法に準拠するには、当り前。その基盤の上に、どうやって、社員が生き生きと働き、活気に満ちた職場をつくっていけるか。いかにその成果に報いるか、を悩みに悩んでいる企業もあることを、政府は認識すべきだ。
 かつて、ブラックと言われる企業の経営者を政府関連会議のメンバーに入れていた安倍には、そういった基本が分かっていないのだろうが、それこそ、役人がいるではないか。何のための、霞ヶ関なのか・・・・・・。

 毎日の社説の主張の通りで、年功賃金をやめよ、などと政府が言う筋合いのものではない。

 市場原理主義と新自由主義が好きで、アメリカ流が「グローバル」だと勘違いしている政府が、馬鹿なことを言うのは、勘弁願いたい。

 そもそも「年功」があったら、報いるべきなのである。「年々序列」だから、まずいのだ。
 これは、言葉遊びではない。
 日本の製造業やサービス業、医療などの給与体系について真剣に考えたなら、いかに「年功」に報いるべきか、という課題が出てくるはずなのである。
 よく言われることだが、日本は稲作文化があり、農業における共同作業を基盤とする、日本人の「強み」がある。それは、先輩から脈々と技術の伝承を行うことで、発揮される強みだ。あえて言うが、中国人は、共同作業には向かない。
 日本の製造業の強みであったQC活動など、言葉そのものが死語になりつつある・・・・・・。
 成果主義だ、職務記述書だ、などとアメリカの狩猟型文化に基づく方式を真似て取り入れようとすることは、日本の強みを失うことにつながる。

 アメリカ流=グローバル、という幻想により、成果主義などの人事制度を導入しようとして失敗した経験を踏まえて、多くの企業がいかに制度を改善していこうか、必死に考え続けているのである。
 そういう実態を知らずして、安倍政権が企業に押しつけようとしていることは、学習効果がなく、過去の失敗の歴史を繰り返させようとする行為である。

 それは、戦争、原発問題とまったく同根の、政府の過ちだ。
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