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『決定版 原発大論争!』(別冊宝島編集部編)
 
 なかなかユニークな反原発本。チェルノブイリから2年後の1988年9月に別冊宝島81号として発行され、その後、東海村のJCO臨界事故後1999年12月に文庫として第一刷発行。そしてフクシマの後の今年8月に文庫の第2刷が発行された。本書発行の背景を「まえがき」から引用。

 1986年に起きたチェルノブイリ原発事故以後、反原発の大きな流れの中で、原発推進派の総本山である電力会社の間でも、急速に不安や動揺が広まっていた。そうした状況に頭を痛めた電力業界が、反原発の批判に対する理論武装と一般社員の教育のために、社内の原子力関係の専門家、広報部門の幹部を集めて作成したのが、『内部資料・原子力発電に関する疑問に答えて』(以下「内部資料」と略)である。そこには原発の必要性・安全性・経済性をPRする電力会社の論理が実に明快に述べられていた。
 くだんの別冊宝島は、この電力会社の想定問答集というべき「内部資料」に対して、反原発派を代表する論客十五名が全面的に反論を展開したもので、発売時大きな反響を呼んだ。
(中略)
 なお、文庫版の改訂にあたっては、巻末に付いていた「反原発マニュアル」を割愛し、一部表現や事実関係の間違いを訂正したほかは、当時のまま復刻した。「内部資料」(Qと答)に対する批判という構成も変えてはいない。また、科学ジャーナリストの天笠啓祐氏による新たな論稿(「原子力事故はいつでも、どこでも起きる」)を付け加え、チェルノブイリ原発事故以後に発生した事故や今回の東海臨界事故について検証した。


 この「まえがき」の通りで、東海村JCO臨界事故後に発行された当時の内容のままの重版であり、フクシマ以後での新規追加はない。しかし、原子力村がチェルノブイリを契機に作成した、あくまで彼らの詭弁を弄した理論武装に対して反論する論客の顔ぶれは、それぞれ“ニン”であり、まさに絶妙のタイミングでの重版だと思うし、良い意味で宝島社らしい商売感覚の発揮とも思う。

 目次は次の通り。
 

【まえがき】再び原発を問う!

プロローグ 原子力事故はいつでも、どこでも起きる

第一部 安全性

電力会社 VS 久米三四郎
原発は絶対安全が保証されているか?
保険業界が見捨てた原発に「絶対安全」などあるわけがない!

電力会社 VS 久米三四郎
チェルノブイリとスリーマイル
二大原発事故を必死で批難する電力会社の破れかぶれの胸の内

電力会社 VS 小林圭二
出力調整運転は安全なのか?
安全無視の出力調整は“原発中毒”社会への第一歩だ!

電力会社 VS 生越忠
巨大地震が原発を襲ったら?
巨大地震を「想定しない」地震危険地帯の原発群

電力会社 VS 堀江邦夫
原発労働者の仕事にミスはないのか?
放射能に脅える原発労働者は勘だけが頼りの素人集団だった!

電力会社 VS 恩田勝亘
原発事故が起きたら誰が責任をとるのか?
ひとり二・五円の保険料で我われの命は担保にとられている!

電力会社 VS 西尾漠
日本以外の国は原発から撤退しているのではないか?
日本の電力会社も原発をもてあましている!


第二部 放射能

電力会社 VS 小出裕章
原発の放射能は危険ではないか?
有害な放射能を安全だと強弁する電力会社の狂気の論理

電力会社 VS 藤田祐幸
日本の食品も放射能に汚染されているのではないか?
死を上回る“国家的利益”を優先する厚生省の検査では生命の保証はない!

電力会社 VS 槌田敦
放射性廃棄物はどうやって処分するのか?
東京電力本社ビルに核廃棄物処分場をつくろう!


第三部 経済性

電力会社 VS 室田武
原発で石油は節約できるのか?
ボイラーの湯沸かししかできない原発がどうやって石油文明を変えるのか?

電力会社 VS 西尾漠
原発がなければ電気は足りないのか?
原発があるから電気が足りなくなる!

電力会社 VS 広岡公治
原発は本当に安いのか?
デッチアゲの発電原価を振り回してまで電力会社が原発をやめられない本当の理由

電力会社 VS 河田昌東
原発は経済性を優先しているのではないか?
傷だらけの原発たちが告発する電力会社のコストダウンと「金儲け」

電力会社 VS 小池浩一郎
石油代替エネルギーは原子力しかないのか?
八百長抜きで代替エネルギーと競争すれば電力会社はただの電線管理人

電力会社 VS 山口俊明+藤原一郎
事故を隠して原発のPRをしているのではないか?
ウソとデタラメしか言わない原発広報の「サイテーの男たち」

電力会社 VS 堀江邦夫
原発は地域を豊かにするか?
財政危機と原発ジプシーが増えただけ 「生き延びるために原発をもう一基」


第四部 再処理問題

電力会社 VS 高木仁三郎
再処理工場は本当に安全なのか?
年間数百万キュリーの放射能をたれ流す再処理工場の「多重防護」と「安全性」

電力会社 VS 高木仁三郎
プルトニウムは安全で有効なエネルギーなのか?
一回の事故で一億二千万人を死に追いやるプルトニウムの恐怖の中で生きる意味を問う!

著者紹介



 ご覧のように、なかなかの顔ぶれだと思う。

本書の「第一部 安全性」の、
電力会社 VS 堀江邦夫
原発労働者の仕事にミスはないのか?
放射能に脅える原発労働者は勘だけが頼りの素人集団だった!

から引用したい。あの『原発ジプシー』の堀江さんである。嘘八百の「内部資料」の想定問答は省く。堀江さんの反論部分からの抜粋。
  

96%と4%
 「内部資料」には、原発労働に関するもうひとつの記事が載っている。
 「危険な作業はすべて下請に出しているのではないか」
 これに対する解答が興味深い。その一部を次に引いておこう。
 「『危険』な」作業だけ協力業者に発注しているわけではありません。発電所内の作業は、危険性のない一般作業が殆どです。しかし何の防護もしなければ、多くの放射線を受ける作業も僅かですが含まれています」
 なんとも歯切れの悪い表現ながら、「危険」な作業が原発現場で行なわれている事実を電事連が認めている点は注目に値する。なにしろ彼らは、原発がいかに安全なものであるかを、詭弁・強弁を弄してまで、これまで一貫して唱え続けてきたのだから。
 (中 略)
 下請労働者たちがいかに危険な作業に追いやられているか、そのあたりの実態については、通産省が毎年公表している被曝データを見るだけでもよくわかる。
 86年度における日本国内の商業用原発の総被曝線量(1万198人・レム)のうち、約96%を下請労働者たちの被曝が占めている。電力会社社員のそれはわずか4%にすぎない。また同データは、被曝作業の下請化が年々活発になっている事実についても教えている。総被曝線量に占める下請労働者の割合は、76年度は88%だった。その五年後(81年度)には94%、さらにその五年後(86年度)には、先に紹介したように96%にまで増加している。

労働者の被曝線量は操作されている! 
 ところで、通産省発表の同データについては、若干補足説明の必要がある。このデータは、あくまでも被曝状況の概要を示しているにすぎない。使われている数値の信憑性に疑問があるからだ。
 「原子力発電所では・・・・・・放射線に関する安全管理を担当する部門があり、専門的に厳重な管理を行っています」
 放射線管理について「内部資料」が自信たっぷりにこう述べていることもあり、また被爆労働の一端を知っていただく意味からも、やや話は横道にそれるかもしれないが、ここでその管理実態について簡単に報告しておくことにしよう。
 通産省データは信憑性に欠ける、と先に述べた。理由は、被曝線量のごまかしが行われているからだ。
 原発内に立ち入る労働者は、放射線測定器の携帯を義務づけられている。その測定器を物陰に隠しておいたり他人に預けておき、自分は放射能の高い現場で長時間働くといったことが原発現場ではよくやられていた。私自身、幾度かその場面を実際に目撃してもいる。測定器を持たないで作業をするのだから、当然、測定器の値は、労働者が実際に被曝した量よりはるかに低い。そしてその低い数値が個人被曝線量としてそのまま会社のコンピュータに登録され、それがさらに例の通産省データの基礎となるのだった。
 では、なぜ、このようなごまかしが行なわれていうのか。
 いくつかの理由がある。労働者ひとりあたりの許容被曝線量は法によって定められている。放射線の強い区域で働く機会の多い者ほど、その許容量に早く達してしまう。彼らはその後、一定期間、原発内で働くことはできない。下請けによっては解雇してしまう会社もある。下請労働者のほとんどが日雇い契約者だ。解雇されてしまえば、翌日から収入は途絶えてしまう。そうしたことから労働者は、少しでも長く収入を得るために、自分の被曝線量を低くごまかす。また下請会社から線量のごまかしを直接命ぜられることもある。放射線の強い現場では、先に述べたように人海戦術がとられている。それには多数の労働者が必要になる。それだけ人件費がかかる。会社側としてはより少ない人員で作業をすませたい・・・・・・という理由によっている。
 いずれにせよ、《専門的》で《厳重》なはずの放射線管理のその裏では、こうした被曝線量操作がさかんに行なわれているのが実状だ。



 一つ前に書いた内容で、急性白血病によって亡くなった現場作業員の方の被曝線量“0.5ミリシーベルト”を私が疑うのは、こういった線量操作の実態があるからなのだ。

 コンピュータに入力されている数値が“0.5ミリシーベルト”だったとしても、実態はどうだったのか?

 あくまでも、下請会社が線量操作をしていたら、という仮説。下請会社は、その事実を元請や東電に明らかにすることはありえない。作業員の管理体制に問題あり、ということで仕事の発注が減るかもしれないから。そして、元請や東電は下請会社の線量操作を、うすうす分かっていても、その実態を掘り下げて調査するなんてことはしない。。なぜなら、それは自分達の首を絞めることになるから。もし、線量操作をしていなければ、現場作業に従事できる人数が激減するのかもしれない。

 事故を早急に収束することも重要だが、現場作業員の安全管理だって重要である。この二つは二者択一の問題ではありえない。しかし、東電が弱者である現場作業員の犠牲を強いているのなら、それは放置できない犯罪であろう。

 線量操作や、その背景にある問題への疑いがあまりに大きいので、この死亡事故の実態を掘り起こす必要があると思うのだ。結果として、急性白血病と原発作業との因果関係が本当になかったのかもしれないが、メディアが今の段階で引き下がるのでは、余りにも情けないと言わざるを得ない。あの記者会見だけで本件を終らせてならない。それでは、四十歳代で亡くなった被害者にも申し訳ないのではなかろうか。
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フクシマの現場で放射線管理の仕事をしていた男性作業員が急性白血病で亡くなった。47NEWSの該当記事

急性白血病で作業員死亡 福島第1原発に従事  「作業との因果関係なし」

 東京電力は30日、福島第1原発の復旧作業に当たっていた40代の男性作業員が急性白血病で死亡したと発表した。この作業員の被ばく線量は0・5ミリシーベルトで、東電は「医師の診断によると作業と死亡の因果関係はない」と説明している。

 東電によると、男性は8月上旬から1週間、放射線管理などの業務に従事。体調不良を訴え診察を受けたが、その後死亡した。内部被ばくはゼロだった。就労前の健康診断では問題がなかったという。16日に元請け企業から東電に連絡があった。

 東電によると、急性白血病に関する厚生労働省の労災認定基準は年間5ミリシーベルト以上の被ばく、1年間の潜伏期間などがある。この男性の福島第1原発での作業は、基準に達しないという。

 同原発の作業に従事する以前の職歴については分かっていないが、東電は「これ以上調査する予定はない」としている。
(共同通信)2011/08/30 14:14


 東電がこの死亡事故を早急に闇に葬ろうとしているのは明らかだが、果たしてそんなことが許されるのだろうyか。
 東電が「因果関係はない」→“逃げれる”と考えた根拠は、
「作業と死亡の因果関係はない」と言う医師の存在と、“年間5ミリシーベルト以上の被ばく”、“1年間の潜伏期間”などの厚生労働省の労災認定基準。

 “0.5ミリシーベルト”は、公式な記録なのかもしれない。しかし、メーターをはずして作業をしていたりする実態が明らかになっている以上、東電のこの態度には、大いに疑問が残る。“内部被曝ゼロ”だって、いつ、どんな検査をしたかを明らかにしない限り信用はできない。

 東電は「これ以上調査する予定はない」のではなく、「これ以上調査したくない」のだ。

 ちなみに、「年間5ミリシーベルト」以下での被害について、以前に広瀬隆著『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』から紹介したことがあるが、あらためてアメリカでの出来事を引用する。2011年4月24日のブログ
広瀬隆著『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』
*過去の原発関連本が続々復刊する中で、なぜかこの本が復刊されていない。過去に文庫も出ているのだ。ぜひ復刊、あるいは新装版を期待する。

 ボストン大学医学部トーマス・ナジャリアンのもとへ、六十三歳の男が訪れてきた。この患者は、あらゆる血球が減少し、脾臓に腫瘍ができていた。しかしさらに検査してみると、白血病であることが判明した。この患者の経歴を調べてみたところ、1963年に謎の沈没をとげた原子力潜水艦スレッシャー号が最後にオーバーホールを受けたポーツマスのドックで、原子力機器の溶接工をしていたという。
「六年間、ポーツマスで働きましたが、放射線の被バク量は、きわめて小さなものにすぎませんでした・・・・・・しかしそう言えば、仲間のなかに、歳にしては随分若いのに死んだ者が何人も居ました」
 ナジャリアンは、ダートマス医科大学で生物統計学をおこなっているセオドア・コルトンに相談し、二人でポーツマスの海軍ドック労働者を徹底的に洗ってみることにした。
 結果は、予想をはるかに上回るものだった。
 これまでのドック死亡者について、その病因を一人ずつ調べたところ、白血病死亡率が全米平均の562パーセントという、信じられないほど高い発生率になっていた。また、リンパ系や造血組織などの癌死亡率も226パーセント、それ以外のすべての癌死亡率も161パーセントと、どこを見ても異常ずくめだった。
 ナジャリアンとコルトンは、数字のあまりの大きさに、これら労働者がどれほど大量の放射線を浴びたかを調べたところ、(わが国で分かりやすい数字で示すと)日本の原子力発電所が一般大衆について定めている安全基準(500ミリレム)の半分にも満たない量(211ミリレム)であることが分かった。
 二人はこのデータを大急ぎでまとめ、医学誌(“Lauset”1978年5月13日号)を通じて全世界に警告を発したのだった。
 ナジャリアン博士がつきとめた異常もまた、計器で測定できない濃縮が、つぎつぎとドックの労働者にもたらした事実を、明らかにしている。


 
 100レム=1シーベルトなので、211ミリレムとは、2.11ミリシーベルトである。
 
 何度も書いてきたが、放射能に「安全な基準」もなければ、これ以上は安全、という「閾値」もない。極力被曝をゼロに近く抑えなくてはならないのが、放射能なのだ。どんなに低い被曝でも、個々人で発症する障害も違うし、何らかの疾病があったら、その疾病をさらに悪化させることもありえる。この作業員の方の死と原発作業の因果関係は、そんなに拙速に有無を判断できるようなものではないはずだ。

 フクシマの被害が甚大であることを物語るデータや履歴を、小出しで表に出しつつある東電にとって、今回の件は、できるだけマスコミに触れて欲しくないことなのだろうが、騙されてはならない。この現場作業員の方の死の真相を追究することで、東電によって隠された他の重要な事実が掘り起こせると私は思っている。同じようなことが起こらないためにも、メディアは本件の真相を追究すべきだと思う。
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現在の長野県松本市長である菅谷昭(すげのや あきら)さんは、五十歳台半ばにして信州大学医学部助教授の職を投げ打って、チェルノブイリ事故による甲状腺障害を受けた子ども達を救うために、被害の大きかったベラルーシに五年半単身で出向かれた医師である。ベラルーシ滞在中に書かれた本書は、1998年に晶文社から単行本で発行されたが、この7月に新潮文庫から新版として「福島原発事故への黙示」という副題を付けて再発行された。

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菅谷昭著『新版 チェルノブイリ診療記』(新潮文庫)

「第3章 事故10年目の春」から引用。

 「現時点で、この事故と因果関係が明らかであると特定される疾患は、小児の甲状腺ガンのみである」
 チェルノブイリ事故から10年目を迎えた1996年4月。WHO(世界保健機関)、IAEA(国際原子力機関)、EU(欧州連合)が共同で、これまでの研究成果を基盤に、この事故の健康や環境への影響に関する結論を出すための国際会議「チェルノブイリ事故から10年」を、オーストリアのウィーンで五日間にわたり開催した。世界各国の関係諸方面から、多数の政府関係者、原子力専門の科学者、基礎医学者や臨床系の医療従事者が、それぞれ強い関心を抱いて参加した。
 この合同会議の最終日に採択された、一連の要訳と結論を盛りこんだ総括文書の「汚染地域の一般住民における健康被害」の項目には、冒頭に述べた報告文が記載されている。
(中略)
 この合同国際会議開催の一ヵ月前にも、ベラルーシの首都ミンスクで、EUと3CISの共同開催による「チェルノブイリ事故後の放射線学的影響」という別の国際会議が開かれた。そして、この会議のハイライトでもあった甲状腺障害に関するシンポジウムでは、私が現在所属している国立甲状腺ガンセンターのデミチク教授が、ベラルーシ共和国における小児甲状腺ガンの実態について詳細な報告をおこなった。
 その発表データの要点は次のようなものだ。
 
 ベラルーシ共和国の小児(0歳~15歳)甲状腺ガンの患者数は、1976~1985年までの事故前10年間では、わずか7名であった。しかし、事故後の1986~1995年までの10年間では424名と、約60倍にも増加した。これは明らかに異常な現象である。成人についてみると、事故前の同じ10年間は1254名、事故後は3438名と、約3倍の増加傾向を認めている。しかしこの場合には、事故後から始まった集団検診によって、事故以前にも存在したガンの掘りおこしや、一般市民の甲状腺障害への関心の高まり、また診断技術の向上など、いくつかの要因で増加したことも考えられる。したがって、事故の影響による増加とは必ずしも断定できないので、今後さらに詳細な追跡調査を継続し、慎重に解析する必要がある。
 なお、事故以降に生れた子どもから発生した甲状腺ガンは、1996年末までにわずか4例にすぎない。つまりほぼすべての小児が事故前に生まれていた。
 小児甲状腺ガン患者424名の出身地(州)を分析すると、ウクライナ共和国に隣接するゴメリ州、およびブレスト州(ベラルーシ共和国は6州から構成されており、この2州は放射能汚染がとくに高いことが、国家の調査機関により明らかにされている)からガンセンターに紹介された子どもが圧倒的多数を占めるという地理的特異性を示した。
 ゴメリ州の出身者は225名、ブレスト州は97名。実に4人中3人の子どもは、広範かつ高度に汚染された州で生まれ、そこで幼児期を過ごしていたことになる。


 チェルノブイリ原発4号機が爆発した後に、飛散し高く舞い上がった放射性物質が風に流されて大量に地上に落ちた(フォールアウト)先が、ウクライナの隣りのベラルーシ、ゴメリ州でありブレスト州であった。
 菅谷さんは、この“高汚染地域”ベラルーシで甲状腺障害をもった子どもを診療する、ミンスクにある甲状腺ガンセンターに1996年から2001年まで勤務された。切れないメスを使い、壊れる手術台を使いながら、外から丸見えで衛生面でも十分に管理されているとは言えない手術室で、数多くの同僚のガン手術を補助し、甲状腺ガン手術の執刀を自らも行ってきた。

 菅谷さんは、松本に本部のある市民ボランティアグループ「日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)」による医療救援活動のニュースを目にすることで、1991年から何度か被災地を訪れて診療と調査をしていたが、ちょうど事故から10年目に、大学病院を辞職してベラルーシへ向かうことになる。ご家族の理解と支援がなければ到底無理なことだし、もちろん、昭和18年生まれの菅谷さんが五十代半ばでの決断力と行動力は、余人にはなかなか真似できないことだ。甲状腺ガンの医師として国際的に高いレベルにある菅谷さんがベラルーシの多くの子どもを救い、病院の若い医師や看護士に与えた影響は、決して小さくないだろう。帰国後松本市の衛生部長を経て、周囲に押され市長選に立候補することになり当選。2008年に再選されて二期目を迎えている。3.11の後に、福島の子どもたちにいち早く「ヨード剤」を投与することを訴えられていたが、当時の政府の対応は、皆さんご存知の通り。

 菅谷さんは本書の「新版によせて—福島とチェルノブイリ」で、こう書かれている。

放射能が奪った命
 20011年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所の事故から25年が経過した。
 ベラルーシ共和国の子どもたちの甲状腺ガンの多発は、事故後10年目のピークを過ぎて落ち着きをみせているものの、放射性物質で汚染された地域では早産や未熟児、さらには低出生体重児、あるいは異常分娩が増加しており、併せて子どもたちの免疫能力の低下のために、風邪をひくと治りにくいとか、繰り返しやすい、また原因不明の上気道感染といった様々な問題が今もなお続いている。原発史上、最悪の事故の影響は、四半世紀もの時を経ても決して消え去っていない。


 フクシマの被害との戦いは長期戦になる。未だに放射能は発生しており、福島県にかぎらず、チェルノブイリにおけるベラルーシ程ではないにせよ、幅広い汚染地域で子ども達の健康が脅かされている。これは、現在進行形の話だ。
 3月下旬に調査した福島の子ども達の45%から、甲状腺の被曝が確認されたことが、最近(8月17日)になって報道された。asahi.comの該当記事

福島の子ども、半数近くが甲状腺被曝 政府調査で判明
 東京電力福島第一原子力発電所事故をめぐり、政府の原子力災害対策本部は17日、福島県の子ども約1150人を対象にした甲状腺の内部被曝(ひばく)検査で、45%で被曝が確認されていたことを明らかにした。17日、同県いわき市で開かれた説明会で発表した。すぐに医療措置が必要な値ではないと判断されているが、低い線量の被曝は不明な点も多く、長期的に見守る必要がある。
 検査は3月24~30日、いわき市と川俣町、飯舘村で0~15歳の子どもを対象に実施した。原子力安全委員会が当時、精密検査が必要だと決めた基準は甲状腺被曝線量が毎時0.20マイクロシーベルト以上。1150人のうち、条件が整い測定できた1080人は全員、0.10マイクロシーベルト以下だった。

 この日、説明会には、検査を受けた子どもの保護者ら約50人が参加した。対策本部原子力被災者生活支援チームの福島靖正医療班長は「問題となるレベルではない」と説明した。

 全体の55%の子は検出限界も含み測定値が「0」だった。「0」超では、0.01マイクロシーベルトが26%いた。0.02マイクロシーベルトが11%で、最高は0.10マイクロシーベルトだった。

 3月の検査時に、その場で「健康に影響はない」とする結果が保護者らに伝えられた。ただし数値は通知されず、説明を求める声が上がっていた。

 対策本部は、当時18歳以下の県内の子ども36万人について、福島県が一生涯続ける予定の甲状腺の超音波検査への協力を呼びかけている。(林義則、大岩ゆり)



“3月の検査時に、その場で「健康に影響はない」とする結果が保護者らに伝えられた。ただし数値は通知されず、説明を求める声が上がっていた。”
 「数値」を公表せず、「健康に影響はない」などと言う対応こそ、改められなくてはならない。

“対策本部は、当時18歳以下の県内の子ども36万人について、福島県が一生涯続ける予定の甲状腺の超音波検査への協力を呼びかけている。”
 ぜひとも、「一生涯」検査を続けて欲しい。なぜなら、内部被曝は、いつ体内で放射能による被曝が危険な状態になるか、分からないからだ。本書の「新版によせて」から、ふたたび菅谷さんの警鐘を引用。

警戒すべきは「内部被曝」 
 これから日本全体が長期にわたって注視、そして警戒していかなければならないのは、「内部被曝」の問題だ。
 事故発生以来、福島第一原発から漏れた放射性物質の量を、レントゲン検査やCTスキャンを受けて浴びる放射線に比べて少ないから、「安心」だとか「安全」だとか語られているが、これは体の外から放射線を浴びる一過性の外部被曝の話。これに対して、塵のように浮遊する空気中の放射性物質(核分裂生成物)を吸い込んだり、露出した皮膚(粘膜や傷口)を介したり、汚染された食品を食べて体内に放射性物質が入って、細胞や組織単位で持続的に被曝するのが内部被曝。
 なかでも問題が多いのが、汚染食品からの被曝だ。放射性ヨウ素(ヨード)やセシウム、ストロンチウムなどといった放射性物質が付着したものを食べると、胃や腸から吸収されて血液中に入る。そして通常の場合は、放射性ヨウ素は甲状腺に、セシウムは全身の筋肉に、ストロンチウムは骨に入ってそこに溜まり、害を及ぼすことになる。
 何年か前に、こんなことがあった。私共のNPO(非営利団体)「チェルノブイリ医療基金」が、周産期医療の研修目的でベラルーシから招いた若い女性医師が、長崎を訪れた機会に体内の放射性物質を検査してもらった。チェルノブイリ原発事故が起きたのは、彼女が七歳か八歳の時のこと。以来、軽度の汚染地域で育った彼女は、医師でもあるので、汚染された食品をできるだけ口にしないよう注意深く生活してきたつもりだった。にもかかわらず、彼女の体からは高濃度のストロンチウムが検出された。
 放射性物質が体内に取り込まれると、核種により飛程の短いアルファ線やベータ線などによって、細胞は放射線を浴び続けることのなる。だから、たとえ微量の内部被曝であっても甚大な影響を受ける可能性は否定できない。その女性医師は、自らの体内の放射性物質の蓄積を知って強い衝撃を受けると同時に、将来の結婚や出産をどう考えるべきか、頭を抱えていたのを私は今も鮮明に記憶している。


 この女性医師のような苦悩を招かないためにも、恒常的な検査が不可欠だろう。 

 そして、以前にも書いた2011年7月21日のブログが、内部被曝を防ぐためにも、現行の食品に関する「暫定基準」は、ウクライナの現行規制を見習うなどして、より厳しい規制に修正することが急務だ。下表のように、ウクライナの規制値に比べると、日本の暫定基準は“ザル”と言っても過言ではない。ウクライナの「飲料水」の「2ベクレル/リットル」は、記入ミスではない。
-------------------------------------------------------------------------
■放射性セシウムに関する規制値比較(ベクレル/Kg、ベクレル/リットル)
           日本                    ウクライナ
飲料水        200                      2
牛乳・乳製品    200                     100
野菜類        500     ジャガイモ          60
                   野菜(根菜、葉菜)      40
穀類          500    パン・パン製品        20
                   パン・穀類製品       185 *ジトーミル州の管理基準値
肉・卵・魚・その他 500      肉・肉製品         200
                    魚・魚製品         150    
-------------------------------------------------------------------------

 さて、ポスト菅には、野田が就任するようだ。少なくとも、菅は“脱原発”を主張した。そこだけでもいいから引き継いで欲しいものだが野田には無理か。原発にまつわるいろいろな過去を思うと、決して油断のならない“親原発派”だと見ていいだろう。少なくとも震災復興、原発事故処理でチンタラしていたり、原発擁護の対応をするようなら、このブログで小言を書くことにしよう。

 願わくは菅谷昭さんに厚生労働大臣に就任してもらうか、福島県の副知事にでも就任してもらって、福島の子どもたちへの対策や、放射能規制値の改善などに陣頭指揮をとってもらいたいものだ・・・・・・。松本市だけで生かすには、余りにも惜しい人物だと思うが、皆さんはどう思われるだろうか。
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九電の名前がマスコミから消えかかったら、今度は北に「やらせ」の主役が大きく移ったようだ。北海道新聞 どうしんウェブの該当記事

北電やらせ指示 プルサーマル白紙も 道・道議会は態度硬化
(08/27 06:55、08/27 09:05 更新)

 北海道電力泊原発(後志管内泊村)3号機のプルサーマル計画に関する2008年10月のシンポジウムで、同社が社員に対し、会場で計画推進の意見を述べるよう促す「やらせ」をメールで指示していたことが発覚した。北電がプルサーマル実現のため世論を操作していたといえ、道などは態度を硬化。計画自体が宙に浮く可能性も出てきた。原発全体の信頼にもひびが入り、定期検査で停止中の1、2号機の再稼働にも大きな影響を与えそうだ。<北海道新聞8月27日朝刊掲載>


 あの高橋知事が今後どう判断するかについては楽観できないが、どうしても腑に落ちないのは、「プルサーマル」あるいは「MOX燃料」の本質的な“危険性”によって判断がされるのではなく、“やらせ発覚”が起点となる、という余りにも日本的な心情やマスコミの論法である。
(注)MOX:Mixed Oxide Fuelの略。混合酸化物燃料。ウランとプルトニウムを混ぜた燃料のこと。
 「MOX」は、プルトニウムそのものを燃料に使うことにより、例えば原子炉のブレーキに相当する制御棒が効きにくいなど原発稼動中の危険性も大きいが、その燃料を作る過程や再処理まで危険がいっぱいであることを、『新装版 反原発、出前します-高木仁三郎講義録-』(反原発出前のお店編、高木仁三郎監修、七つ森書館)から引用したい。
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『新装版 反原発、出前します』(七つ森書館)

 MOX燃料を使うためには、ウラン濃縮度がいろいろ違った燃料を作らなくてはなりません。さらにプルトニウムの冨化度(濃度)もいろいろと違ったものを作らなくてはいけないのです。仮にそれを再処理するとなるとどういうことになるかを考えると、頭が混乱してきます。同じ組成のものは一度に再処理できますが、違った組成のものは一度に再処理できないので、原子炉からでてきた使用済み燃料を何通りにも分けなくてはなりません。このように核燃料サイクルがきわめて複雑になるのです。
 もう一つ、MOX燃料加工の場合に問題になるのは、プルトニウムn半減期の問題です。プルトニウム-239の半減期は2万4000年ですが、プルトニウム-240の半減期は6600年です。それからプルトニウム-241の半減期は14年で、プルトニウム-242の半減期は37万年です。このような放射能ができるのです。これが原子炉ごとに違ってくるのですが、問題はプルトニウム-241です。この半減期が短いので早く崩壊していって、アメリシウム-241になります。半減期が14年ですから、一年もすればけっこうたまってきます。アメリシウム-241はガンマ線を強く出しますので、取り扱いが面倒な上に核特性が違ってきます。燃料としては品質が劣化します。このアメリシウム-241がMOX燃料の加工をやっているうちに、たまってきてしまうと、強いガンマ線のために工場に立ち入れなくなることもあります。ですから、「プルトニウムを長い間置いておくな!」「プルトニウムは取り出したらすぐ使え!」といわれています。


 ウランだけの燃料に比べ、MOXがどれほど危険か少しはお分かりいただけたかと思う。

 だから、「プルサーマル」「MOX」については、その“危険性”ということを理由として使用禁止すべきなのだが、日本では、“やらせ”という世論操作が発覚するという背景事情が、態度や判断の決め手になるのだろうか。
 もちろん“やらせ”や“世論操作”は良くないが、間違いなくこれまで水面下では行われてきたことの、ほんの一部が水面上に出ただけであり、文字通り“氷山の一角”である。そもそも実際に「世論」が操作されたのかどうかは何とも言えない。シンポジウムに反対派が出ることは稀であり、真っ当な議論なをはなく、ほとんど儀式とさえ言ってよい通過儀礼と言っても過言ではないだろう。
 あるいは、原発稼動において責任のある立場にある知事や地元自治体の長が、原子力村の“やらせ”で“操作された”とでも言いたいのか。冗談ではない。彼らはハナから態度は決まっていたのだ。

 この状況は、あまりにも日本的と言えるが、逆にその状況を利用することもできそうだ。あっちに負けずに、日本人の論理を活用して、反原発側からも“世論操作”しなくてはならないのかもしれない。
 東電、関電、そして原子力村で行われたもっと悪質な世論操作の実態を、マスコミはぜひ暴露し、また心ある方からの内部告発を期待したい。“世論操作”するための専門組織さえある原子力村である。そのこと自体でも糾弾できるのではないか。

 しかし本来は、どこにも捨て場もなく管理もできない放射性廃棄物の問題を隠すために、「核燃料は再処理して循環させることで、半永久的に使用できる夢の燃料」という幻想を植え付けようとする核燃料サイクルそのものを問題視しなくてはならないはずだ。
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東電の“ウソのためのウソ”が、非常に見苦しい。一度ウソをつくと、そのウソを肯定化するために、ウソをつき続けなければならない、という典型例である。時事ドットコムの該当記事

「想定外の津波」認識変えず=あくまで「試算」強調−福島第1原発

 東京電力が福島第1原発に最大15メートルを超える津波が来る可能性を試算していた問題で、東電の松本純一原子力・立地本部長代理は25日、「あくまで試算であり、設計上の想定を変更するものではなかった」と述べ、事故後の「想定外の津波」とするこれまでの同社の説明について、問題はないとの認識を示した。
 東電は、政府の地震調査研究推進本部が2002年7月に三陸沖から房総沖を震源とする地震の発生確率を発表したのを受け、明治三陸地震(1896年)と同規模の地震が福島県沖で起きたと仮定し、最大で15.7メートルの津波が押し寄せる恐れがあると試算。また、貞観地震(869年)を想定した試算でも、最大9.2メートルの津波が来る可能性があるとしていた。
 東電はこうした試算結果を受け、土木学会に津波評価基準の見直しを要請していたが、この際、当時の原子力担当役員ら経営陣は試算の存在を認識。清水正孝前社長も、遅くとも事故後には知っていたという。
(2011/08/25-13:32)



「明治三陸地震(1896年)と同規模の地震が福島県沖で起きたと仮定し、最大で15.7メートルの津波が押し寄せる恐れがあると試算。」 したのであれば、 「想定内」だった、ということだろう。そんなことは誰だって分かる。どんな思考回路があれば、「想定外」と認識できるのか不思議だ。

「想定外」の津波だから事故が起こった。もちろん、地震による事故ではない。 
 このロジックで貫かなければ、地震と津波の国ニッポンに原発は立地できないから、ウソにウソを重ねることになる。

 そして、「土木学会」の津波評価、という言葉には中立的な言葉の響きがあるが、騙されてはいけない。当の土木学会の「津波評価部会」のページにある委員の名簿を見れば、原子力村で固めた御用組織であることが明白だ。電力会社と明らかな原子力村所属のメンバーに色をつけたら、真っ赤になった。土木学会委員会サイトの「津波評価部会」のページ


原子力土木委員会 津波評価部会 委員名簿
平成23年3月現在

  氏名 所属
主査 首藤伸夫 東北大学名誉教授
委員 浅野 彰洋 四国電力(株) 土木建築部
委員 磯部雅彦 東京大学大学院 大学院新領域創成科学研究科
委員 今村文彦 東北大学大学院 工学研究科 附属災害制御研究センター
委員 蛯沢勝三 (独)原子力安全基盤機構 解析部
委員 大坪武弘 九州電力(株) 土木部
委員 河田恵昭 京都大学防災研究所 巨大災害研究センター
委員 北川 陽一 日本原子力発電(株) 開発計画室
委員 黒岡 浩平 中国電力(株) 電源事業本部(耐震土木)
委員 小林 正典 東北電力(株)土木建築部(火力原子力土木)
委員 佐竹健治 東京大学 地震研究所
委員 諏訪 義雄 国土交通省 国土技術政策総合研究所
委員 関島 正浩 電源開発(株)原子力事業本部原子力建設部
委員 高尾 誠 東京電力(株) 原子力設備管理部
委員 高橋 智幸 関西大学 社会安全学部
委員 田中 良仁 中部電力(株)発電本部土木建築部
委員 富田 孝史 (独)港湾空港技術研究所
委員 中嶋 光浩 北陸電力(株) 土木建築部
委員 能島暢呂 岐阜大学 工学部社会基盤工学科
委員 野中 則彦 経済産業省
委員 平田 賢治 気象庁 気象研究所
委員 藤間 功司 防衛大学校
委員 堀江 正人 関西電力(株) 土木建築室
委員 薮 正樹 北海道電力(株) 土木部
委員 山中佳子 名古屋大学地震火山・防災研究センター
委員兼幹事 榊山勉 (財)電力中央研究所 地球工学研究所 流体科学領域
幹事長 松山 昌史 (財)電力中央研究所 地球工学研究所 流体科学領域
幹事 安中正 東電設計(株) 技術開発本部

幹事 稲垣和男 (株)ユニック
幹事 池野正明 (財)電力中央研究所 環境科学研究所 環境科学領域
幹事 及川 兼司 東京電力(株) 原子力設備管理部
幹事 栗田 哲史 東電設計(株)
幹事 木場 正信 (株)エングローブコンサルタント
幹事 芝 良昭 (財)電力中央研究所 地球工学研究所 地震工学領域
幹事 藤井直樹 東電設計(株)港湾・海岸部
幹事 藤田 尚毅 (株) 三菱総合研究所
幹事 文屋 信太郎 (株) 三菱総合研究所
幹事 柳沢賢 東京電力(株) 原子力設備管理部
幹事 柳澤 英明 東電設計(株)港湾・海岸部
幹事 山木滋 (有)シーマス
オブザーバー 鈴木 義和 一般社団法人 日本原子力技術協会
...


 もちろんこの委員の方全員が議論に参加するわけでもなかろう。そして、大学の先生や電力会社所属の委員の中にも、「15メートルの津波」を想定すべきだ、と思っていた人はいたかもしれない。そういった議論も戦わされたこともあったのだろう、きっと。しかし、結果として「15メートルの津波を想定した対策」は行われなかった。大学の先生も人の子、電力会社の社員はサラリーマン。上司あるいは経営者の意向、そして国の決定には逆らえない。残念ながら、「試算」は「資産」にならなかった。

 果たして本当に「15メートルの津波」を想定した場合、現在稼働中の原発は何基安全と言えるのだろう。ぜひ、土木学会に限らず、本当の“第三者”である専門家に調査してもらいたいものだ。それこそ、「想定内」の災害への対策につながるはずだ。

 東電さんよ、そろそろウソにウソを重ねるのはやめよう!

 「想定される15メートルを超える津波への対策をすべきでしたが、できていませんでした。地震による原発施設内の建屋や配管の破損なども、事故の被害拡大につながりました。まだ、事態の収束には時間がかかりますし、未だに放射能は発生し続けており、近隣地域は危険ですから長期間の避難をお願いします。原子炉の冷温停止に向けて精一杯努めていますが、現場作業員の方々の被曝を極力抑えながらの作業となります。未だに致死量の放射能が測定される場所も残っていることもあり、収束には長い時間がかかることをご了承ください。誠に申し訳ありません。」と、国も東電も素直に事実を認めた上で、現状の問題点を全て明るみに出し、国内外の知見と技術を総動員して一日も早く収束の見通しをつけるべきだろう。

 その場しのぎのウソは、もはや国民には通じない。そして、一度ウソをつくと、そのウソのために次から次へとウソを重ねなければならない、とかワシントンと桜の木の逸話などは、子どもの頃に躾られることだと思うのだが、最高学府出身者が揃った東電の人たちは、難しい学問はできても、そういった人間教育は受けてこなかったらしい。
 「修身」とか「道徳」とか言うと、「右!」とか言われてしまいそうだが、今の日本人にもっとも欠けているものは、そのような人間修養によって培われる「料簡」とでも言うものであるような気がしてならない。
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ロシアとの交渉で北朝鮮が、核実験の一時凍結やウラン濃縮を中止することを“カード”としてちらつかせたようだ。
 核である以上、それが兵器用ではなくても、研究用だろうが原発用であっても管理を徹底しないと危険性があるし、もしテロリストの手に入れば大変なことになることは明白だ。犯罪者が放射性物質を手にしたら、使い方次第でとんでもない武器になりえるし、相手を意のままに操るための脅威を与えることができる。日本にはとんでもない量のプルトニウムがあるし、放射線治療用の放射性物質も病院などで保管されている。それらがどれほど厳重に管理されているのか、などということは、マスコミは一切突っ込んだ記事を書かないように思う。触れたくないのだ。
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マイクル・コナリー著『死角』(講談社文庫)

 なぜ「原発はいらない」というカテゴリーでマイクル・コナリーの最新邦訳『死角-Overlook-』を取り上げるかというと、「セシウム」が登場するからなのだ。
 
 実は、マイクル・コナリーの傑作である“ハリー・ボッシュ”シリーズでアメリカでは2008年、日本で昨年12月発行の本書は、“3.11”をはさんでしばらくツンドク状態だった。ようやく最近読んで、その題材に、ある意味で深い思いを抱いた次第。

 ハリー・ボッシュはベトナム戦争従軍時代の心の痛みを引きずるロサンゼルスの警官。『ナイト・ホークス』から始まるシリーズの13作目が本書。既刊の書はアメリカでは常にベストセラーとなり、日本でも当初の一部のミステリファンからの支持を超え、次第に人気が高まってきた。昨年発行された『エコー・パーク』は、数々のミステリーベストテンで第一位となっている。その『エコー・パーク』の次作が本書となる。
 引用する部分に登場者(名前だけの人も含む)のみ先に紹介しよう。

 ハリー・ボッシュ      ロス市警殺人事件特別捜査班の刑事 
 レイチェル・ウォリング   FBI戦術諜報課の特別捜査官
 スタンリー・ケント     医学物理士、殺人事件の被害者

 ロサンゼルスのマルホランド・ダムの上の展望台で一人の男の死体と乗り捨てられたポルシェが発見された。現場に駆けつけたボッシュは、そこでかつての恋人だったレイチェルと遭遇することになる。殺人事件として自分の領域の仕事と認識するボッシュに、なぜか被害者のことを知っており、単なる殺人事件ではないことを匂わせる発言をするレイチェルとの、ボッシュの車の中での会話。

 ボッシュは座席の上で座り直し、まっすぐレイチェルを見た。彼女が話をはじめるまで、車を動かすつもりはなかった。
「きみはスタンリー・ケントが何者であり、どこに住んでいるのか、明らかに知っていた」ボッシュは言った。「おれに嘘をついたわけだ。では、ケントはテロリストなのか、違うのか?」
「さっきも言ったように、テロリストじゃない。それは本当のことよ。一民間人にすぎない。職業は医学物理士。監視リストに載っていたのは、ケントが扱っている放射性物質が —間違った者の手に渡れば— 一般大衆を害するために用いられうるものだからよ」
「なんの話だ?どうすればそんなことが起こりうるんだ?」
「被曝によって。そしてそれはさまざまな形で起こりうるの。特定個人への攻撃—ロンドンでポロニウムを盛られたロシア人が去年の感謝祭にどうなったか覚えている?あのときは特定の標的だったわ。副次的な被害者が出たけれども。ケントがアクセスできる物質は、もっと大きな規模で用いることができるものなの—ショッピングセンターや地下鉄やいろんなものに。すべては使用される量と、そう、放出装置によるは」
「放出装置?爆弾のことを言っているのか?何者かがケントの扱っている物質で汚い爆弾(ダーティー・ボム)をこしらえかねないというのか?」
「なんらかの使用法でね、ええ」


 この後、二人はスタンリー・ケントの自宅へ向かうと、そこには裸にされ猿ぐつわをされ、両手を後ろに回されて両足と一緒に縛られていたケントの妻アリシアがいた。そして、机上のパソコンからアリシアのアドレスで夫に送られたメールがあるのが判明した。

 その電子メール本文には、アリシア・ケントがベッドの上で裸で手足を縛られている写真が埋めこまれていた。その写真の衝撃は、夫だけではなく、だれにとっても明白なものだろう。
 写真の下に、次のメッセージが書かれていた—
 われわれはおまえの妻をとらえている。おまえが手に入れることのできるセシウム放射性物質をすべてわれわれのために回収せよ。安全な容器に入れて八時までにおまえの家の近くのマルホランド展望台に持ってこい。われわれはおまえを見張っている。もしだれかに話したり、電話をかけたら、われわれはわかる。その結果、おまえの妻は犯され、拷問にあい、数えきれるほどばらばらにされるだろう。放射性物質をあつかう際にあらゆる防護策を講じろ。遅れるな。そうしないと、われわれは彼女を殺す。
 ボッシュはそのメッセージを二度読み、スタンリー・ケントが感じたはずの恐怖をわがことのように感じた。
 「『われわれは見張っている・・・・・・われわれにはわかる・・・・・・われわれは殺す』」レイチェルが言った。「くどいわね。『数えきれない』とすべきところを間違えているし、文章の組み立てにおかしなところもある。このメッセージは、英語が母国語の人間が書いたものじゃないわ」



 この後、ボッシュはケントの車に残ったIDカードをヒントに聖アガタ病院へ向かい、保管されていた放射線治療用のセシウムがそっくり丸ごと盗まれていたことを知ることになる。
 殺人事件として犯人を追おうとするボッシュ。国家安全保障の観点からセシウムを探し、併せてテロリスト逮捕を模索するレイチェル達FBI。緊迫した捜査活動が続き、警察とFBIとの牽制があり、ロサンゼルス市警内の足の引っ張り合いも、いつものごとく描かれていく中で、路上に倒れていた男が病院に運び込まれた。右腰と右足に酷い火傷のような症状があることに加え、急激に免疫能力を失って死にかけていく。さぁ、これから物語は意外な展開を見せるのだが・・・・・・ご興味のある方はぜひお読みください。

 マイクル・コナリーという当代きってのミステリ作家が、癌治療用に病院で保管されていたセシウムの盗難事件という題材を描いていたということを紹介したかった。ありえる話である。もし、これがプルトニウムならもっと酷い展開もありえる。プルトニウムがあれば、大学生くらいの科学知識で原爆が作れると言われている・・・・・・。

 せっかくなので(?)、ボッシュ・シリーズのことを。私は年代順に全て読んでいる。一冊を除き、シリーズ前半は扶桑社、後半は講談社の文庫。読み始めたのはそんなに昔ではなく、ほとんどは古書店で一冊100円、あるいは定価の半額で買った。紹介した『死角』は一冊ものだが、大半が上・下の二冊。それでも200円で買えることもある。もちろん図書館で借りて読むこともできるだろう。

 ご興味のある方は、ぜひ次の年代順にお読みいただきたい。

 『ナイト・ホークス』(扶桑社ミステリー)
 『ブラック・アイス』(扶桑社ミステリー)
 『ブラック・ハート』(扶桑社ミステリー)
 『ラスト・コヨーテ』(扶桑社ミステリー)
 『トランク・ミュージック』(扶桑社ミステリー)
 『エンジェルズ・フライト』(扶桑社ミステリー)
 『夜より深き闇』(講談社文庫)
 『シティ・オブ・ボーンズ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
 『暗く聖なる夜』(講談社文庫)
 『天使と罪の街』(講談社文庫)
 『終結者たち』(講談社文庫)
 『エコー・パーク』(講談社文庫)
 『死角』(講談社文庫)
 
 こうやって並べてみると、それぞれのストーリーが甦る。どれもワクワクして、あっと言う間に読んでしまったなぁ。
 なお、『天使と罪の街』は、クイント・イーストウッドで映画化された『わが心臓の痛み』(扶桑社ミステリー)の主人公テリー・マッケイレブも登場するので、できれば先に『わが~』を読まれることを推奨。ついでに言うと、コナリーの著作ではボッシュ・シリーズ以外にも『リンカーン弁護士』という大変楽しいシリーズが始まった。これまた、時間を忘れて読んでしまう傑作。


 しかし、原発関連本を読んだ後で、リフレッシュするつもりでようやく手にしたボッシュ・シリーズで、まさか“セシウム”に出会うとは・・・・・・。
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 高木仁三郎著『科学は変わる-巨大科学への批判-』は、1979年に東洋経済新報社の東経選書として発行された。本が書店に並んだ頃にスリーマイル島事故が起こり、事故を予言した書として話題になった。その後チェルノブイリの翌年1987年に社会思想社から現代教養文庫として発行。残念ながら現在は古書店で入手するしかないが、ぜひ再刊を望みたい好著である。私は、この本から「マンクーゾ報告」のことを以前に紹介した。2011年4月8日のブログ
 この本のことに関しては、NPO法人「高木仁三郎市民科学基金」サイトに掲載されている吉岡斉さんへのインタビューで取り上げられているので、そちらをご参照いただきたい。高木仁三郎市民科学基金のサイトの該当ページ
冒頭のQ&Aのみ紹介する。なお、ややおどろおどろしい表紙の写真も同ページからお借りした。

−まず、高木仁三郎さんとの出会い、関わりからお話を聞かせてください。
吉岡  1979年くらいだったと思いますが、高木さんが書かれた「科学は変わる」という本が東洋経済から出まして、それに感銘を受けました。高木さんは、今の科学が虚構の科学になっているということを、原子力という具体的な専門領域に即しつつ、科学論的な普遍性をもたせる形でに論じておられて、非常に印象的でした。


 「科学」という言葉には、どちらかと言うとポジティブなニュアンス、あるいはイメージがあるように思う。「非科学的」よりは「科学的」なほうが正しい、というような意味合いとして。先端的で論理的、合理性のあるような印象があるだろう。しかし、「科学」による成果や技術は、あくまでもその使われ方次第で人間や自然環境、社会にとって有益にもなるが、害にもなり得るという当り前のことが、そのポジティブなイメージで覆われる危険性もある。
 本書の「第Ⅰ章 科学の現在」の「1 科学を問うこと」から引用する。

 折りしも、ベトナム反戦や学生反乱によって世界は揺れ、日本でも公害問題が顕在化し、高度経済成長が明らかになってきた時です。おそらく、バナールの言ったのとは違った意味で、「評価の全面的なやり直し」が行われざるをえなくなったのです。
 特に私の関心からすれば、水俣病やイタイイタイ病といった公害問題、それも公害問題そのものというよりもそれに対して科学者たちの取った態度に深く考えさせられました。多くの科学者は、公害の犠牲者たちの痛みや苦しみから眼をそらし、企業の責任を否定する論理にくみしました。大多数の科学者は、それは自分には関係のないことで、そんなことによって、学問の発展に傷をつけられるには困る、という態度を示しました。
 そんな態度には憤りを覚えましたが、よく考えてみると、それは私自身の取っている態度にほかならなかったのです。私自身が、社会的に重要な問題から眼をそらし、そこから生じる困難を何とかすり抜けることにもっぱらの努力を費やし、そうすることによって、「学問」の立場、科学者としての利害を守ろうとしていたのです。つまり、「敵は内にいた」のです。この悪循環を断ち切ろうとすれば、「学問的」という言葉で表される価値観から、いったん離れて問題を考えてみる以外になさそうです。
 そう考えるようになって、自然に研究の現場からも離れ、やがて大学も辞めました。それから、原子力問題について考えるようになり、しばらくしてから原子力反対の市民運動に加わるようになりました。


 この「内なる敵」は、意識するか否かは別として誰にでも存在すると思う。夏目漱石が「無意識の偽善者(アンコンシャス・ヒポクリット)」というテーマを作品の下敷きにしていたことなどを思い出す。
 また、一人の人間の心の中の「ジキルとハイド」や、何か重大な決断をする時の「天使と悪魔」の存在なども思わざるを得ない。
 しかし、「内なる敵」に気づいて、かつ決断し行動に移す、という高木さんのような人には誰でもなれるわけではない。もちろん、科学者として頭も体も通じて原子力の危険性を十分に認識するだけの知見が高木さんにあったからこその決断と行動だろうとも思う。
 しかし、この度の大震災と原発事故は、一人一人の日本人に、その「内なる敵」との戦いを強いているような気がしてならない。「内なる敵」に勝つには、過去の自分自身のことをあえて否定、あるいは反省して、考え方を変えることが前提となるだろう。しかし、変えるにしても、その指針は必要だ。
 どんな方向性、基準を持ってあらたな自分になるべきか。本書の「第5章 新しい知の地平」の冒頭部分から引用したい。

 さて、これまで述べて来たような観点から、私は、これからの科学も含めた、私たちの知的努力の好ましい方向づけを次のように設定したいと思います。これらは、必ずしも、必要十分な条件といったほどに、よく整理され吟味されたものとはいえませんが、現代科学の抱える困難にかかわって、現在最も強調されなければならない問題点と私が考えることです。

 <不平等を減らすこと>
 <抑圧を減らすこと>
 <自然と人間の関係の総合化>
 <実践を媒介とした知の相対化>
 
 この四つの方向づけは、究極的には、自然との間に私たちがどのような関係を望もうとするのか、という問題と、人間相互の関係、いってみれば、どのような社会を望もうとするのか、という二つの問題にかかわっています。


 「内なる敵」に勝って、高木さんの示したような方向づけを元にこの国を変えるにはどうしなければならないのだろうか。「科学」を人間と自然、環境にとってより良き方向、あるべき姿を目指し、国を挙げて進むしかないのだろうと思う。政治や科学分野のリーダーはもちろん国民も含めて、「経済」の論理から「共生」の論理に考え方を改めない限り、また同じ過ちを繰り返すだけである。

 ポスト菅や大連立などの報道の背後には、とても政治家やマスコミが「内なる敵」と戦っている姿を見ることはできない。日本国民が変わらなければならないような国家存亡の危機であるという緊張感を、24時間テレビなどという、偽善的で表層的な電気の無駄使いとしか思えない番組からは、微塵も感じることはできない。誤解なきよう補足するが個々の番組内容のことではなく、「24時間テレビ」を放送すること自体が問題なのだ。「節電」を訴えてきたはずのテレビ局が、3.11後の夏にすべきことなのか、大いに疑問だ。

 「喉元過ぎれば熱さを忘るる」ような人が多すぎるような気がする。まだ、大震災とフクシマによる被害は現在進行形である。高木仁三郎さんがもがき苦しんだであろう「内なる戦い」に思いを馳せると、とても現状の日本について楽観的にはなれないのである。(最後は、やや暗いサゲになったが、今の正直な気持ちなのでお許しの程を。)
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3月下旬に1150人の福島の子ども達を調査した結果、その中の45%が甲状腺被曝していたことが分かった、と朝日新聞が昨日の一面トップで報じていた。政府担当官からは「問題ないレベル」という、いつもの信憑性のない発言。政府の事故後の災害対応のまずさによる被害以外のなにものでもない。
 
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七沢潔著『原発事故を問う』(岩波新書)
 フクシマとチェルノブイリとの被害の比較は、フクシマが未だ収束していないので、現時点でのフクシマとチェルノブイリとの比較でしかない。
 しかし、事故直後の対策に関しては、歴史的事実があるので対比して考えることはできるだろう。果たして、チェルノブイリで1986年4月26日の日が変わって間もなく1時23分に四号炉で起こった爆発の後、当時のソ連政府ではどんな対策をしたのか。七沢潔著『原発事故を問う-チェルノブイリから、もんじゅへ-』から引用したい。

待たされた1200台のバス 
 ルイシコフ・ソ連首相が、事故調査委員会の首班に指名したのは、エネルギー問題担当の副首相のボリス・シチェルビナだった。シチェルビナはルイシコフ首相から連絡を受けた時、南ウラルのオレンブルグにいたが、その日のうちにモスクワに飛び、先発した政府事故調査委員会の一行(電力電化省大臣や保健省次官、中規模機械製作省次官など)を追って、26日夕刻にはキエフに到着した。
 キエフのジウリヤヌイ空港でウクライナ共産党の幹部たちの歓迎を受けたシチェルビナは、ウクライナ共和国首相のアレクサンドル・リャシコから思わぬ報告を受ける。プリピャチ市民を避難させるために、バスの隊列をキエフから派遣したというのである。リャシコは、次のように語る。
 「シチェルビナ副首相に対し、私は当然のように、自分がした措置を伝えました。すると意外にもシチェルビナはみるみる形相を変えて烈火のごとく怒り始めました。『あなたは誰にも相談しないで何ということをしたんだ。そんなことをしたらパニックが始まるぞ。原発とは電話で連絡をとっているが、別にそこまでする危険性はない、と言っているのに』と」
 チェルノブイリ原発もプリピャチ市も、キエフを首都とするウクライナ共和国の領土にあったが、原発はソ連政府の直接管轄下にあり、事故後の連絡も、キエフ州の共産党第二書記を経由してモスクワに入っていた。地元ウクライナの行政府の長、リャシコは、事故後の情報の流れや指揮系統のなかでは、決定権を持たない政治家として重要視されていなかったのである。
 とはいえ、26日の朝、モスクワのルイシコフ・ソ連首相から一報をもらい、事故を知ったリャシコ首相は、何か自分にできることはないかと考え、ウクライナ共和国の民間防衛軍と内務省に命じて、プリピャチ市民の避難用のバスを集めたのである。
「実は、キエフでは事故の一年前に民間防衛軍による訓練をして、一つの地区の2万5千人を避難させる実地テストをしていました。事故の発生を聞いた時に、直感的にこの時の体験が活かせないかと想ったのです。しかし、その日はあいにく土曜日で、キエフ市内の路線バスを除いては、ほかの輸送手段の運転手は休んでいました。そこで警察と内務省の職員を動員して、休んでいた運転手たちを探し出したのです。午後2時半に1200台のバスと240台の自動車がそろったので、私はプリピャチに向けて出発させました」
 このリャシコ・ウクライナ共和国首相の機転も、ソ連政府事故調査委員会のシチェルビナ委員長によって一喝されてしまい、1200台ものバスの隊列は、夜にはプリピャチ市に着いたものの、町の郊外で待機する結果となった。


 少なくともキエフで避難訓練があったことが、フクシマ、そして今日の日本の原発立地地域との大きな差であろう。民間防衛軍は、あえて似た組織をイメージするなら武装化した消防団ということだろうか。
 
 政治体制、組織構造そして指揮命令系統などは違うにしても、まず“パニック”を恐れるあまり原発近隣住民の避難について後ろ向きだった点においては、菅とその側近、そしてソ連首脳の反応は似通っている。事故被害への誤った判断や楽観的な見通し、あるいは楽観的な願望はフクシマもチェルノブイリも、これまた共通しているようだ。
 さて、本書から引き続き、この後の顛末をご紹介。

「苦渋」の決断 
 シチェルビナの一行がプリピャチ市の共産党本部に着いたのは、4月26日の午後8時だった。そこにはすでに事故対策本部が設置されていた。
 シチェルビナは、先に現地入りして視察をしていた専門家や役人たちを集めて、早速報告をさせた。ソ連原子力生産公団の技師長とエネルギー技術研究所の技師が、その日の午後、損壊した原子炉の上空を民間防衛軍のヘリコプターで飛び、爆発で原子炉が破壊され、重量千トンの上部遮蔽体が横にずれて、原子炉の内部が丸見えになっているさまを確認したことを報告した。ポンプや主循環系、非常用注水系の配管も破壊され、気水分離機も補助タンクもめちゃめちゃとなり、炉心から出た黒鉛が燃え続けている・・・・・・。もはや水では消火できない。
 化学防護部隊のピカロフ司令官は、軍のヘリコプターを動員して測定活動をした結果、爆発した原子炉からのぼった放射能をふくむ蒸気が、上空で雲となって北北西へ流れ、正午には発電所から50キロ離れた地点で毎時39レントゲンが検出されていることを伝えた。
 これまで聞いていた情報とはまったく違い、事故は前例のない壊滅的な事態に進展していることは明白だった。
(中略)
 保健省の消極論に対し、物理学者たちは反対した。原子炉のなかで何が起こりつつあるか予断を許さない。核分裂反応の急増や炉心溶融などさらなる危険が襲来する可能性もある。安全第一に考えるべきだ・・・・・・。シチェルビナは決断をしかねた。避難をさせた場合、それが噂となって周辺の住民にパニックが起きないか。特にキエフの三百万人住民が集団脱出をしたらどうなるか。外国にも知られてしまい、国家の権威は失墜し、秩序は崩壊する。
 シチェルビナは、決断を翌朝の会議まで持ちこすことにした。
 シチェルビナはその後、ソ連科学アカデミー会員で、核化学者のワレリー・レガソフと、ソ連電力電化省次官ゲンナジー・シャシャーリンをともなってヘリコプターに乗り、4号炉の上空を飛んだ。黒鉛が燃え、原子炉の上部遮蔽体が灼熱して赤くなり、炉心が青い光に輝く光景は、まさに歴史的大災害のみがもつ壮絶さだった。
 レガソフはシチェルビナに、放っておけば黒鉛火災は二ヶ月も続き、そのあいだ放射能を大気中に放出し続けることを、また炉心の温度が上昇すればウラン燃料が溶融する危険性があることを説明した。そして、放射能の放出をとめ、火を消すために、ホウ素、ドロマイト、鉛などを混ぜた砂をヘリコプターで落下する作戦を提案した。シチェルビナは早速、若い空軍司令官に命じ、四千トン以上にのぼる砂の確保から始まる投下作戦を開始させた。
 そして4月27日午前7時、ソ連政府事故調査委員会は会議を再開し、ついに午前10時、プロピャチ市からの住民避難を決定した。風向が変わりつつあり市内の放射能レベルが徐々に増加していること、そして住民のうち1万7千人が子どもで、放射能のヨウ素を吸い込むことによる甲状腺への影響が懸念されることなど、危険な状況を委員会は実感し始めたのである。


 レガソフは原発推進の大物であるが、流石に優秀な科学者でもあったようだ。日本の御用学者とは、少しスケールが違いすぎて比較の対象にもならない。

 この後、チェルノブイリ近隣の町プリチャピ市民にはラウドスピーカーと有線ラジオで避難通知が出され、1200台のバスに、三日分の食料と衣類などを持参してさまざまな町に避難することになる。

 避難先においても医療検査も汚染チェックも行われなかったなどの問題はいくらでも指摘できるが、事故直後の市民への対応において、チェルノブイリ後のソ連の対応はフクシマよりは数段上回っていたと言えるように思う。
 プリチャピはチェルノブイリ原発から数キロという極めて近い町ということや、当時のソ連の政治体制があってこその対応、ということも言える。しかし、事故の翌日に実施した避難がなければ、被害がもっと拡大していたことは間違いがないだろう。

 フクシマの後で、事故の深刻性を正しく把握した科学者と政府中枢との会話は皆無だったろうし、東電における隠蔽体質を打破して事実を模索しようとする官僚もいたようには思えない。事故は初動対応が大きくその被害を左右することを考えると、チェルノブイリの対応は、決して遅かったとも言えないように思う。特にフクシマにおける政府の対応を考えると、そう思わざるを得ない。

 フクシマにおいては、残念ながらリャシコに相当する人物はいなかった。1200台のバスを調達するだけの権限を自治体の長に期待するのは、日本では難しいかもしれない。その時、正確な情報も皆無に近かっただろう。しかし、地元の自治体幹部に危機への感受性の高い人がいたのなら、別な展開もあり得たのではなかろうか。

 過去のことはもうこの位にしよう。フクシマはまだ終わっていない。
 
 いまだに「暫定」基準値を元に食品の安全性を語る政府に対し、自治体の目立った抗議の動きはない。ウクライナが現在採用している基準と日本の「暫定基準」の違いを、マスコミはほとんど取り上げない。2011年7月21日のブログ
 北海道知事は泊の稼動を認めた。まったく出来レースとしか思えない。私は北海道出身だが、この知事のことは適宜指弾していく。
 
 政府が言う「収束へのステップ」を疑い、まだ“そこにある危機”について、自治体の首長は、まだまだやるべきことがあるように思う。

 当時のウクライナ首相リャシコは、自分ができる最大限のことを考え、1200台のバスを手配した。彼は決して当時のソ連中枢にいたわけではない。このまま被災地の自治体が政府、そして原子力村の甘い言葉に惑わされないことを祈りたいが、大丈夫だろうか。彼らには県民、道民、そして市民の生命を守る責務がある。そして、ささやかなこのブログでも、ブログとしての責務があると思っている。まだ、3.11は続いている。
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石橋克彦編『原発を終わらせる』

 原発関連の本が書店に並ぶ中で、7月20日に発行された本書は、編者も執筆者も“ニン”で構成もまとまった好著として推薦したい。章構成と執筆者は次の通り。
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はじめに            石橋克彦
Ⅰ 福島第一原発事故
 1 原発で何が起きたのか  田中三彦
 2 事故はいつまで続くのか 後藤政志
 3 福島原発避難民を訪ねて 鎌田 遵
   
Ⅱ 原発の何が問題か-科学・技術的側面から-
 1 原発は不完全な技術     上澤千尋
 2 原発は先の見えない技術   井野博満
 3 原発事故の災害規模     今中哲二
 4 地震列島の原発       石橋克彦
   
Ⅲ 原発の何が問題か-社会的側面から-
 1 原子力安全規制を麻痺させた安全神話 吉岡 斉
 2 原発依存の地域社会        伊藤久雄
 3 原子力発電と兵器転用
   —増え続けるプルトニウムのゆくえ  田窪雅文

Ⅳ 原発をどう終わらせるか
 1 エネルギーシフトの戦略
   —原子力でもなく、火力でもなく    飯田哲也
 2 原発立地自治体の自立と再生    清水修二
 3 経済・産業構造をどう変えるか    諸富 徹
 4 原発のない新しい時代に踏みだそう 山口幸夫
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 “トリ”の山口幸夫“原発のない新しい時代に踏みだそう”から引用。すでにご存知の方も多い、あの映画のことが紹介されている。

10万年後の不安
 「オンカロ」(ONKALO)という聞きなれない言葉がある。フィンランドにつくられつつある地下岩盤特性調査施設のことだが、「隠された場所」という意味があるらしい。オンカロは首都ヘルシンキの北西250キロ、バルト海のボスニア湾沿岸に近いオルキルキト島にある。世界でただ一つの放射性廃棄物の地下処分場の予定地だ。工事は2004年に始まった。地下520メートルまで掘る計画で、2011年4月現在、440メートルに達した。操業開始は2020年、100年後の2120年まで使用する予定だ。その後、厳重に封鎖される。10万年後までの安全を見込んでいるという。
 明日のことも分からぬは人の世の常である。しかし、放射能は違う。放射能の半減期は放射性の核種に固有の値であり、その核種の放射能の量が半分になるまでの時間のことである。放射能は、時間とともに指数関数的に減ってはいくが、消え去ることはない。半減期の20倍の時間を、放射能の影響が実質的になくなる一応の目安にしてみよう。もちろん、放射能の量は放射性物質の総量によるので、それをもって、安全になるまでの時間とみなすわけにはいかない。ここでは、半減期の20倍を「待ち時間」と呼んでおこう。一半減期ごとに二分の一になるので、半減期の20倍の時間が過ぎると、1/2x1/2x・・・1/2と20回かけあわせて、放射能の量は、およそ100万分の1になる。
 福島第一原発から大量に放出されたヨウ素131の半減期は8.04日なので、その20倍は160日、およそ半年の「待ち時間」だ。セシウム137は、半減期30.1年の20倍の600年、プルトニウム239ならば、その半減期は2万4100年だから、ざっと50万年を待たなければならない。
 原発を運転すると、燃料のウランから、長短さまざまの半減期を持つ放射性物質がたくさんできてしまう。この後始末がじつに厄介なのである。原発で使い終わった燃料の中の放射能の害を無視してもよい状態になるまで、きちんと保管・管理しておかなければならない。ヨーロッパでは、この「待ち時間」を10万年とみなしているいる。オンカロはこの目的のためにつくられつつある。

絶対に触れないでください
 2009年に制作された国際共同ドキュメンタリー作品『100,000年後の安全』を見た。原題は、「Into Eternity」である。「永遠の中へ」という意味だろう。オルキルオト島の十八億年前に形成されたという頑丈な地層の中に、一大近代都市に似た、しかし殺伐とした地下構造物が建設されている現場が映し出される。地上では、雪の降り積もった針葉樹林の中をゆったりと歩むヘラジカが姿をみせる。絵に描いたような北欧の世界だ。まさか、その地下に、危険このうえもない放射性廃棄物が閉じ込められているとは、まさに「隠された場所」(オンカロ)である。10万年後までの安全を確保するというが、その頃、人類は存在しているにだろうか。仮に、人類が存在したとしても、標識に書かれた警告の言葉は通じるだろうか。ひょっとして、そのころの誰かが、ここを発掘するかもしれない。
 監督のマイケル・マドセンは、「未来のみなさんへ」と題するメッセージで映像をしめくくっている。

 未来のみなさんへ

ここは21世紀に処分された放射性廃棄物の埋蔵場所です。
決して入らないでください。
あなたを守るため、地中奥深くに埋めました。
放射性物質は大変危険です。透明で、においもありません。
絶対に触れないでください。
地上に戻って、我々より良い世界を作ってください。
幸運を。



 映画『100,000年後の安全』は未見だがぜひ近いうちに見るつもりだ。日本では当初今秋の公開予定だったが、公開が始まり、その反響も高い。各映画祭での受賞も多い好ドキュメンタリーなのだろう。
 公式サイトで予告編も見ることが出来るし、さまざなま関連情報も掲載されている。映画『100,000年後の安全』公式サイト

 もはや、言うまでもないだろう。「10万年後」にも不安を抱かざるを得ない原発が必要か否かは。しかし、ポスト菅の本命野田は、原発擁護派として旗色鮮明のようだ。海外への原発売り込みにも自ら出向いている。
 
 ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマを経ても原発に明確なノーと言えない国の国民であることが、なんともやるせない。“隠された場所 オンカロ”に、全世界の放射性廃棄物を収容する能力などはない。もちろん、オンカロに閉じ込められた廃棄物が10万年に渡って安全であるかも、今日の人類には知りえることではない。当座の問題の時間稼ぎをしているにすぎない。原発が稼動している間、日々放射性廃棄物は増える一方である。海外にまで原発を売り込もうとしている人間には、事故への対策という問題とともに、「放射性廃棄物をどうするのか?」という疑問に対し、明確に答えてもらわなければならない。「時間が解決する」などと答える政治家こそ、10万年間地下に隠れていてもらいたいものだ。
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太平洋戦争末期の大地震で、その記録が報道管制のため「幻」となっていた二つの地震の記録が見つかったらしい。毎日JPの該当記事

「隠された」地震:昭和東南海地震と三河地震の詳細記録
2011年8月13日 15時0分

 太平洋戦争末期に近畿・中部地方に大きな被害をもたらした昭和東南海地震(1944年12月7日)と三河地震(45年1月13日)の詳細な被災状況が、「帝国議会衆議院秘密会議事速記録集」に記載されていることが分かった。二つの地震は、報道管制によって「現存する資料がほとんどない隠された地震」とされており、速記録集を入手した兵庫県立大学の木村玲欧准教授(防災教育学)は「被害の全体像を把握できる唯一の資料ではないか」と評価している。

 45年2月9日に開かれた決算委員会秘密会で、木村准教授は政府関係者から速記録集を入手した。

 それによると、政務次官に次ぐ内務参与官が2地震の被害状況を報告。東南海地震の規模を「関東大震災より大きい」とし、静岡、愛知、三重、和歌山など2府14県で死者977人、負傷者1917人があったと明かした。橋梁(きょうりょう)172カ所、道路773カ所、堤防351カ所の損壊に加え、工場全壊1731棟、同半壊1281棟、流失81棟があったと報告。「重要軍需工場の被害が非常に多い」と懸念を示した。

 三河地震については死者2652人と報告。未明の発生で「人的被害が非常に大きかった」とした。

 報道管制のため、当時の大手新聞は昭和東南海地震を最終面などで小さく報じただけで、12月8日の太平洋戦争開戦記念日の記事を大々的に掲載した。被害を小さく見せて国民の戦意喪失を回避し、敵国への情報漏えいを防ぐ狙いがあったとみられる。

 木村准教授は「被害実態が公表されず、各県は適切な対応ができなかったのではないか。関東大震災と違って各地からの義援金も全く集まらず、結果的に被害の拡大を招いたと思う」と指摘している。

 2地震の被害について、これまでの研究では各地に残された記録などを集計し、東南海地震(マグニチュード7.9)の死者・行方不明者は計1223人、三河地震(同6.8)は死者2306人とされている。【山下貴史】



 最近見たテレビ番組で、三河地域の軍需工場に勤労学徒(学生、ではない)として動員された方が、三河地震で工場が倒壊し、多くの小学生が圧死したという辛い過去を回想している場面を見た。軍需工場の被害を敵国に知らせてはならない、という理由から、そういった記録も隠された。 

 “国策”であった戦争、そしてこれまでの原発政策。都合の悪い情報が隠匿されることは共通している。しかし、戦争には国家としての“勝ち負け”が背景にある。原発は、あくまで原子力村の利害しか背景には見えない。
 昭和東南海地震と三河地震のことが、もっと早く明るみに出ることで、もしかするとこの度の大震災への備えが強化された可能性だってある。情報は隠すものではなく明るみに出して生かすことが優先すべき時代のはずだ。

 今夜のTBS「報道特集」で、ベトナム戦争中に沖縄の米軍基地で「核兵器」の訓練が行われていて、海兵隊員が被曝していた事実が、本人へのインタビューやアメリカの公文書による裏づけなどで明らかにされていた。TBSサイト「報道特集」の該当ページ
 「核抜き、本土なみ」という、歌の文句のようなスローガンがさかんに言われていたあの時、こういった事実を暴露するメディアは皆無だったし、当時そういったメディアの動きには、国から大きな圧力もあっただろう。

 フクシマにおいても、数多くの事実が隠匿されているはずだ。それらの情報が、また数十年後にしか明らかにならないのであれば、この国の未来が明るいとは言えないだろう。まず最初は、心あるジャーナリストと草の根の活動の連携でもいいから、報道管制や情報操作の圧力に負けない覚悟が、今こそ必要な時なのだと思う。

 大地震の記録が自国の歴史から抹殺されてきたという事実を、この度の大震災やフクシマ後に生かさなければならない。戦争、核、原発-それらを考える時、それらによって生じた数多くの被害者の方のことを想うことから始めなければ、正しい将来の道を歩くことはできないと思う。
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