幸兵衛の小言

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調査が進むうちにいろいろなことが分かる訳だが、ここ数日のフクシマを巡る報道には、危険な香りを感じる。18日夜のNHKスペシャル(「シリーズ原発危機 メルトダウン~福島第一原発 あのとき何が~」)NHKスペシャル シリーズ原発危機 メルトダウン~福島第一原発 あのとき何が~でもそうだったが、「非常用復水器」(IC、通称イソコン)のオペレーションのミスは、確かに大きいかもしれない。しかし、NHK他のテレビ報道や、下記のような新聞報道を目にすると、現場作業員や管理者、東電幹部の“人的ミス”を強調することで、その根本的問題が“原発の存在”自体にあることを、“人災”に誘導しようという意図を強く感じるのだ。asahi.comの該当記事

原発幹部、非常用冷却装置作動と誤解 福島第一1号機

 東京電力福島第一原発の事故で最初に炉心溶融した1号機の冷却装置「非常用復水器」について、電源が失われると弁が閉じて機能しなくなる構造を原発幹部らが知らなかったことが、政府の事故調査・検証委員会(畑村洋太郎委員長)の調べで分かった。委員会は、機能していると思い込んでいた幹部らの認識不足を問題視している。また、その結果、炉心溶融を早めた可能性があるとみて調べている。

 このほか3号機について、委員会は、緊急時に炉心を冷やすための注水装置を3月13日に停止させたことが事故拡大につながった可能性があるとみている。こうした点をまとめた中間報告を26日に公表する。

 非常用復水器は、外部電源や非常用発電機などの交流電源を使う通常のポンプを動かせなくなった時に炉心を冷やす手段。原子炉圧力容器内の蒸気を冷やして水に戻し、再び炉心に入れるのに使う。装置は2系統あり、水を満たしたタンク内に通した配管に蒸気を送る。直流電源(蓄電池)を失うと、操作不能になって外へ蒸気とともに放射性物質が漏れるのを防ぐため、蒸気を送る配管の弁のうち格納容器の内側の弁が自動的に閉じ、蒸気が通らなくなる設定になっていた。


 昨夜のNHKスペシャルでは、海外の原発では「非常用復水器」(イソコン)の弁を開ける訓練を行っているが、福島第一原発では、その訓練は行われなかった、とか、事故後いったん弁が閉じているにも関わらず、現場も幹部も「イソコン」は稼動していると思っていた、とか、弁が閉じられていることが判明した後に正しく稼動させたにも関わらず、水蒸気を発生しなくなったため危険を感じてまた弁を閉じてしまった、と振り返っていた。また、水位計データへの判断ミスも指摘されていた。

 調査の結果こういう実態が分かったのでレポートする、ということなのだろうが、ちょっと演出としては適切ではなかったと思う。「イソコン」や「水位計」、そして「人的ミス」が“主役”であることに、私は違和感を拭えない。なぜ「津波や地震対策の不備」という本質的な問題にもっと論及しないのか・・・・・・。もっと言えば、地震国日本にこれだけの原発をつくることになった、その原子力村にメスを入れることが、広告主を気にすることのないはずのNHKならできるのではないのか・・・・・・。NHKや大手新聞社の報道の背後に、どうしても政府を含めた原子力村の存在を感じる。

 もし、“「イソコン」の正常な稼動をできなかったことがメルトダウンの大きな原因だ”というロジックが受け入れられれば、原子力村には都合がいい。その当時の東電幹部や現場の管理者、作業員をスケープゴートにすることで、東電は新たな顔ぶれで、「今後は安全対策に十分留意し、万が一の場合の非常用復水器の稼動訓練を行います。」とかなんとか言ってお茶を濁そうとしているのだ。

 「イソコン」の稼動など必要としない状態をつくることこそ重要なはずだ。たしかに、「イソコン」が真っ当に機能していれば、被害はより小さくなっていたかもしれない。水位計の状態への適正な判断があったなら、同様に被害を減少させることはできたかもしれない。しかし、スリーマイル島もチェルノブイリもそうだが、あれだけのパニック状態で、人間がミスを起さないほうが不思議なのである。全電源喪失で、被害状況を確認しようにもすでに放射能が蔓延しつつある現場である。そういった現場をつくりだす「原発」そのものの存在にこそ問題があるのだ。

 もし、“人災”を指摘したいのなら、その相手は“現場”ではないはずだ。
 たとえば、震災翌日3月12日に、次のように、「正しく」メルトダウンを指摘した人物がいたにも関わらず、“縁起でもない”とか“国民に不安を与える”などという“感情”のままに当の中村審議官を広報担当から左遷し、その後も枝野にウソの発表を続けさせた菅の「罪」こそ問うべきであろう。日経のサイトの記事がかろうじて残っていたので、今のうちに文章のみ全文引用しておく。nikkei.comの該当記事

福島第1原発「炉心溶融が進んでいる可能性」 保安院
2011/3/12 15:30

 経済産業省の原子力安全・保安院は12日午後2時、東京電力の福島第一原発1号機で原子炉の心臓部が損なわれる「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発表した。発電所の周辺地域から、燃料の核分裂に伴うセシウムやヨウ素が検出されたという。燃料が溶けて漏れ出たと考えられる。炉心溶融が事実だとすれば、最悪の原子力事故が起きたことになる。炉心溶融の現象が日本で確認されたのは初めて。

*写真(動画)のキャプション:記者会見する経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官(12日午後)

 保安院は同日午後3時半、圧力が高まって爆発による放射性物質の大量放出を防ぐため、格納容器内の減圧作業を実施した。圧力が「午後2時を境に急激に下がりはじめた」(保安院)という。

 周辺地域から検出された種類は、いずれも本来は金属容器で封じ込めている物質。炉心溶融で大量に放射性物質が出れば、被曝(ひばく)の被害が広がる恐れもある。

 保安院は今回の炉心溶融について「放射性物質の広がりを計算した結果、現時点では半径10キロを対象とする住民避難の範囲を変更する必要はないだろう」と話している。

 震災にあった1号機は、核燃料棒を冷やしていた水位が下がり、露出していたとの報告もあった。

 燃料を包む金属容器は高温に耐えるとされる。溶けたとなれば、燃料周辺が相当の高温にさらされたとみられる。金属容器ばかりか原発の圧力容器や格納容器を溶かせば、放射性物質が外に漏れ出す。

 原発の運転中は、炉心で核燃料が核分裂を起こしている。発熱反応が連鎖し、冷却水を蒸気に変えてタービンを回し、発電している。

 冷却水があるうちは熱が一定に保たれるが、本来の水位が下がると燃料が生む熱の行き場が無くなる。最悪の事態では、原子炉の心臓部である炉心溶融が起きる。

 この事態を受け、保安院は自衛隊に給水支援を要請した。大量の水を使って熱を冷ますためだ。

 過去の大きな原子力災害も、炉心溶融が原因のものがあった。1979年には、米ペンシルベニア州のスリーマイルアイランド原発にトラブルが発生。緊急炉心冷却装置が働かず、高温になった燃料が炉心を溶かす大事故につながった。


 さすがに、もう動画を見ることはできないが、3月12日のこの報告を正しく受け止めた上で、その後の対策を施していたら、それこそ被害を大幅に減らすことができたはずだ。
 しかし、何度も言うが、原発そのものが存在しないにこしたことはない。地震大国日本で原発の安全性はどうしたって確保できないはずだし、もし目一杯の対策をしようと思えば、経済的に原発は算盤の合わないエネルギーになるはずだ。

 18日のNHKスペシャルは、現場の“人災”への誘導を感じる点では大いに疑問があるが、メルトダウンのシミュレーションについては、見るべきものはある。再放送は12月22日の午前0:15~1:04(12月21日の夜)なので、興味のある方はご覧のほどを。

 「冷温停止(状態?)宣言」「20ミリシーベルトで安全」という一連の政府のキャンペーンの片棒を、マスコミはかつごうとしているようだが、国民はそう馬鹿ではないよ。
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by koubeinokogoto | 2011-12-19 09:11 | 原発はいらない | Comments(4)
野田“どじょう”の「冷温停止宣言」を支持するのはアメリカとIAEA位。海外のメディアがどんな論調か毎日が次のように紹介している。毎日JPの該当記事

東日本大震災:福島第1原発事故 「冷温停止状態」宣言 海外メディア、懐疑的
 東京電力福島第1原発の「冷温停止状態」宣言について、国際原子力機関(IAEA)や米国は「復興への重要なステップ」(ナイズ米国務副長官)などと評価した。その一方、海外メディアは「安全が確保されたわけではない」などと原発の安全性について懐疑的な見方を伝えた。
 IAEAは日本政府と東電が工程表のステップ2を「計画通り年内に終えた」と評価する声明を発表した。来日中のナイズ副長官も「非常に喜ばしい」と歓迎し、次の課題となる周辺地域の除染に米国企業が参加を望んでいると述べた。
 仏AFP通信は冷温停止状態で「安全が確保されたという意味ではない」と解説し、米CNNテレビ(電子版)も「日本政府は画期的な出来事に仕立てようとしているが、原発の安全性に関する状況は変わっていない」と批判的に分析した。
 独DPA通信は「安全な状態には程遠く、これで冷温停止を宣言するのは意図的なウソと紙一重だ」と批判する専門家の見方を紹介した。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)も宣言について、原子炉に残る危険から「注意がそらされる恐れがある」との専門家の懸念を伝えた。
 韓国の聯合ニュースは宣言に「事故の収拾作業が峠を越えたことを内外に示す意図がある」と分析。中国国営通信新華社は「炉内がどれほど安定しているか断定できない」との専門家の見方を伝える一方、日本メディアの見方として「広範囲の除染や被災者の帰宅」など日本政府が直面する課題を報じた。
 ルモンド紙(電子版)は「原子炉解体、環境の回復には時間を要する」と長期の取り組みの必要性を強調した。
毎日新聞 2011年12月17日 東京朝刊



 さて日本の新聞の社説で確認すると、朝日は「冷温停止宣言」に否定的、読売は肯定的、毎日は17日の社説では、この件を取り上げていない。

 国際原子力機関(IAEA)が、これから日本政府や原子力村を支援することは目に見えている。

 この組織がチェルノブイリの後でやったことを、七沢潔著『原発事故を問う-チェルノブイリから、もんじゅへ-』から紹介したい。
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七沢潔著『原発事故を問う-チェルノブイリから、もんじゅへ-』

IAEAへの不信感
 事故から三年たった89年の春、グラスノスチの進展とともに高まる、情報公開を求める住民の声に推され、ソ連政府が新聞紙上で国内の放射能汚染地図を初めて公開すると、白ロシア共和国のゴメリ州の人々は、原発から百五十キロ以上離れた自分たちの居住地域のなかに、原発周辺にも匹敵する濃厚な汚染地が存在することを知らされることになった。それは、原発の西に80キロ離れたウクライナ共和国ジトーミル州の人々にとっても同じだった。そのころには、子どもたちのあいだに甲状腺傷害が出始めるなど、汚染地帯に暮らす人々の健康への影響があらわれ始めていた。やがてそれは、政府に対して、正当なる補償と医療、そして新たな避難措置を講じるように要求する運動に発展してゆく。各地で数万人規模の集会が開かれ、ソ連人民代議員大会の選挙では、汚染地帯出身の候補者が、共産党の候補を破り当選する。
 そのころ、まだ事故処理対策の最高責任者の地位にあったルイシコフ・ソ連首相は、住民が避難する必要があるのは一平方キロ当たり40キュリー以上の汚染地帯であると主張して、住民たちの不安を打ち消そうとした。その根拠となったのは、イリイン・ソ連医学アカデミー副総裁が唱えた「生涯七十年間に35レムまでの被曝は許容される」という説であった。イリインは放射線医学の専門家としてこのころ、「汚染地帯の住民は避難しなくても十分に安全である」と説明していた。
 だが<チェルノブイリ>の政治潮流は、すでに手がつけられないほど加速していた。白ロシア、ウクライナの学者たちのあいだや、共和国政府、ソ連最高会議でも、ソ連政府や、イリイン、イズラエリなど、これまで事故処理を指導してきた人々への批判の声が高まっていたのである。対応に窮したルイシコフ・ソ連首相が相談した相手がIAEAであった。ソ連の専門家が信用できないという国民世論に対抗するために、国際的な学者グループをIAEAによって派遣してもらい、チェルノブイリ事故による住民の健康への影響を調査し、報告してもらおうと考えたのである。こうして、86年のウィーン国際検討会議で一度は成功した。ソ連とIAEAのタッグマッチの第二ラウンドが始まった。


 イリインが唱えた「35レム」。1シーベルト=100レムなので、35レムは0.35シーベルト=350ミリシーベルトである。「放射線医学の専門家」は、昔からこのように原子力村に味方する。この時、IAEAが行った調査結果も、もちろんソ連政府の意向に沿ったものになる。

 その内容を簡略化して言えば、「汚染地域の住民のあいだに、チェルノブイリ事故による放射線の影響は認められない。ソ連政府の出したデータはおおむね正しく、とられた汚染対策も妥当である。ただし、避難と食物制限については、放射線防護の観点から必要な範囲を超えており、もう少し緩和すべきである」というものであった。汚染地帯の住民が陥っているのは「放射能恐怖症」という心理的な病であり、ルイシコフ首相のソ連政府がとる「一平方キロメートル当たり40キューリー以上の汚染地帯」という避難基準ですら厳しすぎる、と指摘したのである。


 ちなみに、40キュリー/km2=148万ベクレル/m2である。この数値については、別途書くことにして、さて、このIAEAの調査報告はどう受け取られたか、ということについて七沢さんはこう記している。

IAEAがひとたび「チェルノブイリ事故による住民の健康への影響は見られない」と発表すれば、それは世界の人々にとっては、事故全体の影響がそれほどでもなかったと、受け取られかねなかった。学術的調査としてはきわめて限定的な性格の調査を、「原子力推進」という基本姿勢を持つ政治的な組織であるIAEAが宣伝として利用した、つまり「事故の影響を過小評価しようとした」と批判されたのである。



 たまたま現在日本人がその責任者の職にある「原子力推進」という基本姿勢を持つ政治的な組織であるIAEAと日本政府の行動については、今後も注意深く見ていく必要がある。また、彼らもそろそろ学習してもよさそうにと思うのは、簡単に彼らの誤魔化しに騙されるような国民は、そう多くはないということだ。
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by koubeinokogoto | 2011-12-17 19:34 | 原発はいらない | Comments(0)
“20ミリシーベルト”が、復活してきた。時事ドットコムの該当記事

被ばく年20ミリ「適切」=発がんリスク「低い」−子どもに配慮を・政府作業部会
 東京電力福島第1原発事故で、放射性物質による低線量被ばくのリスク管理について議論する政府の作業部会の第8回会合が15日、内閣府で開かれ、政府が設定した被ばく線量の上限年間20ミリシーベルトという数値について、「健康リスクは他の発がん要因に比べても十分低い水準で、スタートラインとしては適切」との報告書をまとめた。
 子どもや妊婦についても、同100ミリシーベルト以下の被ばくであれば、発がんリスクは小さいと指摘。ただ、住民の不安を考慮し、同100ミリシーベルト以下でも、子どもに対し優先的に放射線防護のための措置を取るべきだとした。
 その上で、住民に規制数値の意味合いを理解してもらうことが重要だと強調。政府や専門家は、住民目線で分かりやすく情報を提供する必要があるとも指摘した。(2011/12/15-23:17)


「健康リスクは他の発がん要因に比べても十分低い水準で、スタートラインとしては適切」という言葉は、あくまで「政治的」なものである。年間20ミリシーベルトや累積100ミリシーベルトは、内部被曝を考慮すると大いに問題視されるべき数値であって、“スタートライン”であっても「適切」なはずがない。

 何度か書いてきたが、まず4月8日のブログで、高木仁三郎著『科学は変わる-巨大科学への批判-』(残念ながら古書店でしか入手できない本)から、高木さんが「マンクーゾ報告」を紹介した後で、次のようにに指摘している部分を引用した。2011年4月8日のブログ

 「許容量」の設定は、それがどんなレベルのものであれ、放射線の危険性をどのレベルに抑えることが望ましいか、という政治的な判断にかかわっています。それが、専門家による「科学的」な判断として、大衆的なチェックを受けずにまかり通っていることに、大きな問題があります。「大衆が、科学にかかわった問題を判断するだけの素地がない」というのが、専門家による判断がまかり通る根拠になっているわけですが、そのこと自身、今日の科学のあり方が、大衆的な意思統一を前提としないことからくる歪みを表わしてもいます。


 あくまで「政治的」な判断なのである。被曝は少ないにこしたことはなく、限りなくゼロに近づけることこそが求められる。しかし、それではフクシマの現場作業や除染費用など、いろいろと「政治」的に困るので、人命を度外視した誤魔化しを復活させようとしている。

 5月28日のブログでは、ヒロシマで自らも軍医としてその日を迎え、その後、数多くの内部被曝患者の診療を経験した肥田舜太郎さんと、湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾の内部被曝によるイラクの人々の被害を明らかにしたドキュメンタリー映画「ヒバクシャ」を制作した鎌仲ひとみさんの共著、『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』を紹介した。2011年5月28日のブログ「第4章 被ばくは私たちに何をもたらすか」から再び引用する。肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』

 人類史上、最大の人体実験ともいわれる広島・長崎への原爆投下があっても、内部被曝そのものに関しては長い間、言及されることはなかった。近年、ようやく内部被曝の存在が注目され、国際放射線防護委員会(ICRP)の見解とヨーロッパの科学者グループ、欧州放射線リスク委員会(ECRR)が出した見解がはっきりと二つに分かれるようになった。前者は内部被曝も体外被曝と同様に許容量を定め、後者は内部被曝の許容量をゼロ以外は安全ではないとしている。
 たとえば、たった一粒のプルトニウムが体内に入った場合、ECRRは体内で放出されるアルファ放射線がその人間に癌を発症させる可能性は十分にある、というのだ。ちなみに、この一粒はたばこの煙の粒子の20分の1の大きさしかない。
 ヨーロッパの科学者グループであるECRRが2003年に公表した報告によると、1945年から89年までに放射線被ばくで亡くなった人の数は6160万人になる。ICRPのこれまでの計算では117万人ということになっている。ECRRは現行の国際放射線防護委員会が設定する一般人の許容限度、1ミリシーベルト/年を0,1ミリシーベルト/年以下に、労働者の限度も50ミリシーベルト/年から0.5ミリシーベルト/年に引き下げるべきだと主張している。もし、これが実現すれば、原発の労働者だけでも100倍の人員が必要になる計算だ。これによって増加する人件費が原子力産業にとって経済的に見合わないことは明白だろう。
 だからこそ、ICRPは「合理的に達成できる限り低く保つ」と許容限度を勧告しているのだ。


 “6160万人 対 117万人”の差は、いったい何を意味するのか。ECRRとICRPと、どちらの主張を信じるかは人それぞれだろうが、もちろん私はECRRに軍配を上げる。ECRRの試算について、本書は次のように指摘している。
 

 内部被曝を再評価したECRRの新たな考え方に基づいた計算によると、死亡者数は6160万人に跳ね上がり、そのうち子供が160万人、胎児が190万人となる。これは本当に私たちにとって「容認」できる許容量なのだろうか?このことこそが今問われているのだ。
 内部被曝に関するしきい値を死守することは、アメリカ政府にとって重要な課題であったことは簡単に想像できる。もし、内部被曝の人体に与える影響が明らかになれば、あらゆる核開発の障害になることは確実だった。内部被曝はアメリカ国家の最重要機密になり意図的で巧妙な隠蔽工作が続いてきた理由がここにある。
 広島・長崎における原爆の影響は局所的であり、放射能汚染は問題にならない、放射線そのもので死んだ人間の数は少なく、投下後、三、四週間で死ぬべき者は全て死んだなどとアメリカ政府は喧伝し、放射能の長期にわたる影響を完全にそして公式に否定した。


 5月のブログで書いた内容を、あえて繰り返す。
 ここで指摘されている通り、アメリカ政府は、ヒロシマもナガサキも、あくまで投下直後の体外被曝による被害しか認めず、アメリカにおける内部被曝被害についての数々の指摘についても、「科学的な根拠」がない、とか「統計的に誤りがある」などという理由で、私が何度か取り上げた「マンクーゾ報告」も認めるはずはなかった。ちなみに、本書ではマンクーゾが調査したハンフォードでの内部被曝被害についても取り上げている。その中で、1987年にアメリカ政府が公開した19000ページに及ぶ機密文書によって明らかになった驚くべき事実として、ハンフォードにある9つの原子炉が日々の操業のなかで放出した放射性物質の総量が、スリーマイル島の事故の1万倍にも相当していたことが紹介されている。データは公開しても、アメリカ政府は、その放射性物質と、この地域での白血病やガンの高い発症率との因果関係は、決して認めようとしない。

 アメリカ政府がやってきたことと、これから日本政府がやろうとしていることは、本質的に変らない。あくまで「政治」的な判断によって、もっと言えば自己の保身のために、数年後数十年後に起こりえる発症で国民が蒙る被害を犠牲にしようとしている。もちろん、問題が発覚した“その時”には、現在の政府関係者も官僚も、政治の表舞台には存在しないだろう。無責任な問題の先送りにしか過ぎない。

 野田“どじょう”が、「冷温停止宣言」を急ぐのも、まったく同じ理由である。時事ドットコムの該当記事

野田首相、16日に冷温停止宣言=福島第1原発、「ステップ2」達成 
 野田佳彦首相は16日、首相官邸で記者会見し、東京電力福島第1原発の事故をめぐり、原子炉の冷温停止状態の達成を宣言する。これに先立ち、政府は同日、首相が本部長を務める原子力災害対策本部を開き、原子炉の冷温停止状態が達成できたとして、事故収束に向けた工程表「ステップ2」完了を決定する。
 政府は冷温停止状態の目標時期について当初は来年1月としていたが、その後、年内に前倒しした。
 冷温停止状態は、原子炉圧力容器底部の温度が100度以下であることと、放射性物質の放射抑制・管理ができていることが条件。東電は既に「目標を達成している」との見解を示していた。(2011/12/15-22:13)


 減少したとは言え今でもフクシマは放射性物質を発散し続けている。地下水がどうなっているかも、真っ当な調査ができる状態にないし、調べようともしていないように見える。まだフクシマは現在進行形なのだ。本来は、フクシマの状況を正しく知り対策を検討することに注力すべきなのに、とにかく「宣言」をして、早くフクシマを“終ったこと”にすることで、海外への原発輸出を進めたり、除染活動対象を出来る限り狭くしよう、といった「政治」的な動きが加速しようとしている。しかし、そんな原子力村の悪事を許すことはできない。「ただちに被害はない」と枝野が繰り返していた状況から、本質的に何も変っていないように思うのは私だけではないだろう。
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by koubeinokogoto | 2011-12-16 09:36 | 原発はいらない | Comments(0)
今日は、原発に関する複数の記事がニュースサイトに並んでいた。
 
 まず、「もんじゅ」関係。「仕分け」というコスト面を切り口にした決議なので、その危険性などからの論議ではないのだが、結果オーライな方向とは言えるかもしれない。とんでもない税金の無駄使いだ。時事ドットコムの該当記事

もんじゅ、予算縮減を=国会版仕分けで決議−衆院委
 衆院決算行政監視委員会は8日午前、国の予算の無駄遣いを洗い出す国会版「事業仕分け」の評価結果を決議した。原子力関連予算は、安全向上や放射性物質の最終処分に力点を置いた総組み替えを検討すべきだと指摘。高速増殖炉「もんじゅ」については「費用規模と技術的な実現性を国民に説明することは極めて困難」として、開発計画の妥当性の検証と予算縮減を求めた。
 決議は同委小委員会が先月16、17の両日、原子力関連予算など4事業を対象に実施した仕分け結果を基に行われた。評価結果を2012年度予算編成や執行に反映させるとともに、政府が取った措置を6カ月以内に同委員会に報告するよう要求している。(2011/12/08-13:45)



 一方、あまりよろしくないニュースとして「原子力協定」が参院外交防衛委員会で可決され、明日参院でも可決の見通し、とのこと。時事ドットコムの該当記事

原子力協定を可決=与党筆頭理事は退席−参院委
 参院外交防衛委員会は8日、ヨルダン、ロシア、ベトナム、韓国との原子力協定の承認案を民主、自民両党などの賛成多数で可決した。同案は9日の参院本会議でも可決される見通し。これにより承認手続きは終了し、4カ国との協定は来年1月にも発効する。与党筆頭理事を務める民主党の谷岡郁子氏は採決前に退席し棄権した。 
 野田佳彦首相は同委に出席し、「わが国の取り組み、教訓を踏まえてなお協力してほしいという国があるなら、できることをすることは国際的な原子力安全の向上に資する」と述べ、原発の海外輸出の必要性を強調した。
 谷岡氏は採決を棄権した理由について「党を裏切るか、福島の人々を裏切るかの問題だ」と記者団に語った。(2011/12/08-13:47)


 この協定は該当国への原発輸出の必要条件なので、今後輸出への動きが活発化することになる。誠に困ったものだ。

 他にも、汚染水の件、東電賠償支援の政府保証枠の件のニュースなどがあったが、文科省による腹立たしい“悪事”のニュースを紹介したい。毎日JPの該当記事

放射線教育:文科省、電力系財団に副読本委託
 文部科学省が日本原子力文化振興財団に作製を委託した放射線教育の副読本 文部科学省が、全国の小中高校生向けに新たに作った放射線教育の副読本を東京電力の西沢俊夫社長ら電力会社の経営陣らが役員を務める財団法人「日本原子力文化振興財団」(東京都港区)に作製の委託をしていたことが分かった。財団への委託は、東電福島第1原発事故前に入札で決定したが、同省は事故後も変更しなかった。電力業界とつながりの深い団体が教材作りに関与することに対し、識者からは「原発事故後の委託先としてふさわしくない」と批判の声が上がっている。

副読本の改訂事業は東日本大震災直前の3月9日に一般競争入札で行われ、同財団が約2100万円で落札した。従来の副読本には原発について「大きな地震や津波にも耐えられるよう設計されている」などの記述があったため、文科省は4月に使用を中止。新たな副読本を作製することにしたが、委託先は変更せず7月に契約内容を見直し、事業費も経費の増加に伴い約3700万円に増額した。

 同財団は原子力の平和利用の啓発普及を目的に掲げ、10年度は収入総額約12億円の約4割が経済産業省や文科省など国からの受託費だった。常勤の専務理事は関西電力出身で、非常勤の副理事長4人のうち、3人も元福島第1原発所長ら電力会社出身者が占める。非常勤理事には、西沢社長や関西電力の八木誠社長も名を連ねる。

 文科省の担当者は、事故後も委託先を変えなかった理由について「放射線の知見は変わらない」と説明。電力業界との関係についても同財団は「副読本の内容に影響はない」とコメントする。

 副読本は同財団が事務局を担い、放射線の専門家や教員ら13人による作成委員会が執筆・編集した。放射線の基礎知識や利便性に特化した内容となり、原発事故は前書きで触れただけだった。委員長の中村尚司・東北大名誉教授は「放射線について正しく知る観点で作った。内容は委員会が事務局から独立して学術的にチェックしている」と話す。

 これに対し、NPO法人「原子力資料情報室」の伴英幸共同代表は、副読本の内容について「放射線との共存が前面に出され、危険性への認識が甘い」とした上で、委託先についても「原発を推進するための組織が従来通り受託するのは、妥当とは思えない。原発事故への反省が足りない」と批判している。【木村健二】
毎日新聞 2011年12月8日 15時01分(最終更新 12月8日 15時46分)


 太字で、下記部分を再度引用する。
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「大きな地震や津波にも耐えられるよう設計されている」などの記述が
あったため、文科省は4月に使用を中止。新たな副読本を作製することに
したが、委託先は変更せず7月に契約内容を見直し、事業費も経費の増加に
伴い約3700万円に増額した。

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 こういう“感覚”は、正直なところ、我々市民には理解できないものだ。フクシマの後も、原発推進のための団体を外注先として、継続して「安全神話」づくりのための活動を行うため、我々の税金を上積みしていたのだ。
 そして、文科省の担当者が事故後も委託先を変えなかった理由として、「放射線の知見は変わらない」と言う説明には、呆れるばかり。「知見」を、“どう使うか”が、重要なのである。
 毎日が原子力資料情報室の伴さんのコメントを掲載したのは、なかなか良い選択だ。まったく伴さんの指摘の通りである。

 産官学の“原子力村”のやっていることの、ほんの一部であろうが、やはり“確信犯”として、それも国民の血税を使って彼らはこういった悪事を働いていることが分かる。だから、ほとぼりが冷めると、またぞろ理屈をつけて原発を擁護し、生き残らせようとするはずだ。

 この「日本原子力文化振興財団」のサイトで、「事業活動」は次のように記載されている。「日本原子力文化振興財団」のサイト

明るい文化社会の向上をめざし、幅広い事業活動をすすめています。
主な事業活動
● 内外情勢の調査研究
● 報道関係者を対象とする情報資料の作成、原子力講座の開催、取材協力
● 中学・高校の生徒や教育関係者を対象とする啓発普及活動の実施
(高校生対象の放射線実習セミナー、教育関係者対象の原子力講座等の開催)
● 地方自治体職員や議会関係者を対象とする原子力講座等の開催
● 一般市民との懇談会や原子力に関する情報資料の提供、質疑応答
● 科学技術週間や原子力の日記念行事の開催
● 国際交流の促進
● 原子力関係VTR、写真等資料の提供、貸出
● 各種広報素材(出版物、VTR)の作成、頒布
● 原子力施設見学会
● 放射線実習セミナー
● 講演会
● 講座・研修会
● 懇談会


 そもそも「原子力文化」って何?

 この財団は、その名も「原子力文化」という月刊誌を発行している。最新12月号に、10月21日に行われた「これからの原子力を考える」というシンポジウムの内容が掲載されていて、一部はサイトにも抜粋されている。

 パネリストは次の通り。
   

≪パネリスト≫
   ○石川 迪夫 氏 (日本原子力技術協会・最高顧問)
   ○吉岡 斉 氏 (九州大学副学長・教授)
   ○豊田 有恒 氏 (作家)   
   ○佐々木 康人 氏 (日本アイソトープ協会・常務理事)
   ○西尾 幹二 氏 (評論家)
   ○山名 元 氏 (京都大学原子炉実験所)
   ≪コーディネーター≫
   ○田原 総一朗 氏 (ジャーナリスト)


 ほとんど「朝まで生テレビ」もどき。このシンポジウムで、最近テレビで見かけなくなった石川迪夫が、とんでもない発言をしているのを紹介したい。同財団サイトの該当ページ

西尾 事故の1年前、原子力安全・保安院がすでに40年経過している福島第一原発に「さらに20年使えます」という保証を与えている。保証の中には電源の設置場所もあったはずです。電源が流されないように移動させろとか、津波の高さについてはすでに各方面から言われ、国会でも取り上げられていた。それにもかかわらず、原子力安全委員会も保証を与えている。
 この甘さは責任を追及されるべきではないか。誰がそんな保証を与えたのか。原子力安全・保安院の担当者と科学的保証を与えた学者は徹底的な責任追及がなされるべきです。日本のマスコミはどうして彼らを追及しないのか、と言いたいですね。
田原 なぜ40年からさらに、20年延ばしたのですか。
石川 原子力発電は、石炭、石油のように火で焚いて発電しませんから、傷み方が非常に少ない。そしてすべてのものを交換することができる。原子炉も交換することができる技術があります。技術的には100年と言ってもいい。
田原 60年どころか、100年でもいいと……。
石川 非常に古いタイプのものは、経済的な問題で代わっていくかもしれませんが、原子力発電所の機械設備全体を見た場合には、100年くらいはもつだろうと申し上げても間違いない。


 シンポジウムの体裁をとっていても、原発が「100年はもつ」などという石川迪夫の発言を掲載する雑誌や、副読本などの作成のために我々の血税が使われていると思うと、なんとも腹立たしいばかり。

 この「日本原子力文化振興財団」のことは、7月26日のブログの中でも少しふれたことがあるので、引用したい。2011年7月26日のブログ

 「原子力は安全」という、ほとんど宗教に近い刷り込みや洗脳が原子力村によって行われ、その安全神話に異を唱える者には攻撃や嫌がらせがあり、その者の周囲を金と権力で味方につけて、反原発を唱える人を“村八分”にしようとする。原子力村のメンバーである「日本原子力文化振興財団」で“洗脳マニュアル”を作成していたことも、週刊誌などで暴かれている。講談社「現代ビジネス」の該当ページ


 講談社の「現代ビジネス」の該当ページはまだ残っているので、興味のある方はご確認のほどを。

 「日本原子力文化振興財団」こそ、早急に“仕分け”されるべき組織であろう。
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by koubeinokogoto | 2011-12-08 16:01 | 原発はいらない | Comments(0)
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*画像はCNICサイトより拝借。

 帰宅したら『原子力資料情報室通信』第450号(2011/12/1付け)が届いていた。その内容の一部が原子力資料情報室(CNIC)のサイトに掲載されている。11月に行なわれた「原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会」での“事故リスク”のコストに関する議論の問題点などを伴英幸さんが報告している内容だ。原子力資料情報室サイトの該当ページ

 試算されたコストやその問題点などについてはニュースとして話題にもなったが、今回の通信での報告で、メンバーの役割を含め、どんな状況になっているかが分かった。CNIC共同代表の伴さんは、“原子力村”包囲網の中で奮闘しているようだ。

 この小委員会の委員(正確には“構成員”)の中には、原子力村のメンバーがしっかり残っていて、彼らは原発コストを安く見積もる努力を続けている。

 CNICサイトの伴さんの報告を、試算表以外の全文掲載したい。なお、私が強調したい部分は太字にした。

 原子力委員会が設置した原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会(以下、技術小委)が事故リスクのコストを算出した。これは、国家戦略室のコスト検証委員会の依頼によるものだ。依頼は、事故リスクと核燃料サイクルコストの二つであるが、ここでは事故リスクについて報告したい。

 結論からいうと事故リスクのコストは算出できなかった! 委員会の報告を見れば、確かに計算結果の表が掲げられているが、それは最小のものだ。今後増えていくとの注釈付き結論だ。これでは依頼にこたえたとは言えない。とはいえ、あたかも事故リスクのコストが計算されたかのような装いで、数値が一人歩きするとすれば(そうなりそうだが)、これは大きな誤解を招き、判断を誤ることになる。
 その可能性に対抗するために、筆者は独自の試算を行ない意見書として提出した。この意見書が出た事実が報告書まとめ案に書き込まれた。この試算はそれなりに大きく報道された。マスコミ各社が原子力委員会側の評価結果があまりにも現実離れしているとの印象を持ったからだろう。

 この試算は第17回原子力委員会に提出された日本経済研究センターの事故処理費用の推計の最大値20兆円(20㎞圏内の土地買い上げ費用+所得補償+廃炉費用)に広域除染費用を推定したものだ。広域除染費用は1ミリシーベルト以下にするという政府の方針を受けて、文科省が発表している汚染マップから除染すべきエリアを2,000km2とし、飯舘村の除染計画3224億円と同村の面積230km2から求めた。結果は48兆円となった。そうとう粗い見積もりだが、政府の方針通りに除染すれば広範囲になる、除染費用以外にも観光影響への補償や自主避難費用などなど算定するべき費用項目がまだまだあることから、不当に高いこともないだろうと推量した。現実に起きた事故を考える参考とする趣旨から地域特性は考えていない。

 事故リスクは損害額と事故確率の積で求められる。これまで原子力を推進している人たちは、事故リスクというと事故確率だけを問題にし、確率が極めて小さいとの評価のもと、損害額を含める議論を避けてきた。かつて、北海道庁が設置したプルサーマル計画に関する有識者検討会議に招かれたとき、事故リスクは損害額×事故確率だから、双方を評価して道民にはかるべきとの意見を述べた(2008年)が、確率が少ないということで損害額は検討されなかった。

 事故リスクのコストは、損害額×事故確率÷発電電力量で求められ、円/kWhという結果となる。120万キロワットの原発を建設した場合のコストになるので、発電電力量は単純に計算できる。コスト検証委員会からは、設備利用率を60%、70%、80%の3パターンで表記するように求められている。問題となるのは、損害額と事故確率だ。

 損害額は、公表された数値を参考することにし、含まれていない費用があることを明記することになった。具体的には「東京電力に関する経営・財務調査委員会」の報告書(2011年10月)に基づく5.7兆円が採用された。コスト等検証委員会からの依頼事項は、「将来顕在化する可能性のあるコストを算出する必要があります」となっているのに、正面からの回答を避けたことになる。依頼事項を意識して、費用が1兆円増すごとの追加コストを書くことで済ませた。このことに筆者は違和感を覚えたが、同時に将来費用の推定を、原子力を推進してきた人たちが行なうことへの疑問も強かった。あの手この手を使って、極力低く見積もろうとするからだ。

 この5.7兆円はいったん出力案分や福島県のケースを全国平均化する作業が行なわれたが、出力案分については、技術小委や新大綱策定会議で必ずしも出力案分は妥当でないとの意見が出た結果、一部だけを出力案分し、5兆円で評価することになった。

 事故確率は議論が激突したところだ。山名元委員はIAEAの安全目標をもとに10万分の1の確率を主張した。筆者は既存原発が運転継続されるとすれば、これは採用できないと反論し、現実に起きた福島原発事故を事例とするべきと主張した。500炉年に1回という結果である。山名元委員は、なおも運転再開する原発は安全対策が強化されているはずだから、強化されなければ動かないのだから、10万分の1で評価し、500炉年に1度は付記する事項とするべきと主張した。田中知委員からは世界の実績で評価する意見も出されたが、筆者はなおもこれらに抵抗した。松村敏弘委員は保険の観点から、500炉年に1度は決して高い数値ではないとの意見が出て、元の両論併記案が最終的に採用されて、11月10日の原子力委員会でこれが了承された。結果を表にまとめた。しかしあくまでもこれは最少のリスクであることを明記しておきたい。 
 後は、コスト等検証委員会での判断に委ねたい。ただ、東電が前年度の決算時までに支出した費用がどのような扱いになっているのか、チェックするべきことが残っているので、課題とし、今後の小委員会での話題にしていきたい。(伴英幸)


 伴さんが、徒手空拳、原子力村メンバーと戦っている様子が想像できる。

 内閣府原子力委員会のサイトに、この小委員会の資料が掲載されている。伴さんの意見や、小委員会メンバーである原発擁護派の山名元、又吉由香両氏の意見が「資料集3 原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会メンバーからの提出資料」で確認することができる。内閣府原子力委員会サイトの該当ページ

 同資料から、まず京都大学の山名元の意見を一部引用する。

 もともと、原子力発電は、国のエネルギー安全保障や炭素対策を重視して、国策(民営事業)として進めてきたものであり、今後もその視点から、ベストミックスの算定の一オプションとして検討されるべきものである。原子力の特殊性から見て社会的な影響も特殊である(風評被害、忌避感情、政治的側面を持つ事)ので、大きな天災地変等民間で責任を負いきれないような極めて大きなリスクについては、最終的に国がカバーする事は前提である。それであれば、ある程度の規模以下の事故に対しては、民間事業としての原子力発電コストに含める事は妥当としても、ある程度以上の事故に対しては、国のリスク対策費用、即ち、政策コスト側で見る事があっても良い。

 

 モルガン・スタンレーMUFG証券株式会社の又吉由香の意見も確認しよう。

■数字は世界に駆け巡る:第三回会合の際に申し上げさせていただきましたが、世界は今、日本が原子力発電所の事故発生頻度をどう考えるかに注目している可能性が高いと思っております。世界最高水準の原子力安全性の確保を目指そうとする日本が、「10年に1回」という高い確立で事故が起こるという「過度な」試算値を自国内のモデル・プラントに適用することは、冷静さを欠いているとの国際評価を受けかねないのではないかと思われます。

■「最大値」の数字が駆け巡るリスク:国内外から注目を集めるのは、事故発生確率および事故コストの「最大値」となることが推察されます。数字を一定の範囲として併記される場合には、その点についての十分な配慮が必要なのではないかと考えます。

*最初の項目の「確立」は、原文の通り。

 山名委員の文章の分かりにくさは別として、この人の主張を端的に言えば、「フクシマのような大きな事故は、国がコスト負担すべきであり、これは“政策コスト”として、原発のコスト計算からはずすべきだ」ということ。国の政策コストは我々国民の血税から支払われる。このコストを引き起こしたのは、フクシマ以外の何者でもない。いわゆる“シビア・アクシデント”のコストを原発コストから外そうという誤魔化しをしようとしているわけだ。冗談言っちゃいけない。

 又吉委員の言いたいことは、「世界が注目しているので、今後の事故の確率はできるだけ小さく見せましょう」ということでしかない。なぜそんなこと言うかというと、原発を維持したいし、海外にも日本から輸出させたいからなのだろう。この人の意見には、何ら論理的な裏づけがない。他の国地域と地震国日本の違いなど、この人には関係がないらしい。この人が原子力村のどれほど関わっているか、後で調べてみようと思う。

 この資料には、伴さんはしっかりと様々な裏づけと元に、今回の試算の問題点を指摘している。興味のある方はぜひ、同資料でご確認のほどを。

 さて、事故から9ヵ月が過ぎようとしている今、原子力村の村民は、あの手この手で原発の維持擁護、加えて海外への輸出を後押ししようとしているのだ。
 CNICの通信には、「新大綱策定会議奮闘記」が掲載されている。今回の号では10月26日に開かれた第8回会合のことが書かれている。興味深い部分を引用したい。
*この内容もCNICのサイトに掲載されました。原子力資料情報室サイトの該当ページ

 もう一つのテーマである安全に関して議論があった。事故原因が調査中であるのに、福島第一原発で「認識された安全確保上の課題と提言(案)」を議論しても大して意味があるとは思えない。筆者は言葉だけの提言を行っても安全文化は根付かないとの意見書をまとめて提出した。この中で藤原節男さんの事例を引いて訴えた。彼は原子力安全基盤機構(JNES)で検査員として全国の原発の安全点検を行ってきたが、泊3号炉の使用前検査で、項目の一つ「冷却材温度係数測定」の不合格データを記録するように上司に訴えたが聞き入れられず逆に差別を受け、再雇用されなかった。現在、裁判で係争中だ。公益通報者が保護されない事例のひとつだ。この事例を放置してどうして安全文化が語れるのか?


 まさに伴さんの指摘通りだろう。「将来の安全」を求めるのなら、危険という指摘をもみ消してきた過去を反省する必要があるだろうし、フクシマの現在をしっかり見極めないといけないはずだ。原子力村メンバーは、そのフクシマのような大きな事故を“例外”として原発コスト計算から除外しようとしている。また、今後の事故発生確率をできるだけ小さく見積もって、新たな「安全神話」をつくり、アジアなどに原発を輸出しようとしている。

 新大綱策定の過程では今後も原子力村の壁はあるだろうが、伴さんにはぜひ負けずに頑張って欲しい。私はせいぜい通信を送っていただく会費と少しのカンパ位でしか応援できないので、せめて時々はささやかながらブログでエールを送らせていただこうと思う。
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by koubeinokogoto | 2011-12-05 18:18 | 原発はいらない | Comments(2)
アメリカのカーク通商代表部が、TPP交渉について記者団の取材に答えた内容がニュースになっていた。時事ドットコムの該当記事

日本参加へ懸案解決に自信=TPP交渉、米にも転機−通商代表 

【ワシントン時事】カーク米通商代表部(USTR)代表は30日、米商工会議所での講演後、記者団の取材に応じ、日本の環太平洋連携協定(TPP)交渉への参加に向けた事前協議に関し、米国の業界団体などの関心事項や懸念は解決できるとの自信を示した。また、日本の参加に関する米議会などとの本格協議に向けて「所定の手続きを開始した」と明らかにした。
 同代表は、米議会の一部や自動車業界から、貿易障壁の存在などを理由に、日本のTPP交渉参加に反対意見が出ていることについて、「(来年1月1日にも発効する)米韓自由貿易協定(FTA)でも強く反対する団体はあった」と指摘。「韓国と成し遂げたのと同様のやり方で、あらゆる利害関係者の懸念をできる限り解決していく」と反対克服へ自信を示した。
 同代表は講演で、TPPは急速に拡大するアジア太平洋市場への本格参入を通じた米国の雇用と貿易拡大に向けて「試合の流れを変える重要な機会」になると重要性を強調、来年末までの妥結へ全力を挙げる考えを示した。
(2011/12/01-05:28)



“TPPは急速に拡大するアジア太平洋市場への本格参入を通じた米国の雇用と貿易拡大に向けて「試合の流れを変える重要な機会」になると重要性を強調”という表現に、TPPに対するアメリカの臨み方が明確に現れている。
 「試合」という非常に分かりやすい言葉が使われているのは、想像するに、なじみの記者とのやりとりということで、つい日常的な表現が口をついたのだろう。日本の誰かが、つい記者とのやりとりで(酔った勢いもあって)口にした、何とも品のない表現とは違うにしても、公的な会議などの場では使われないはずの表現ではなかろうか。

 要するに、アメリカはTPPに臨んで、明確に「勝ち」「負け」のゲームという認識をしているし、スポーツの試合のような感覚を持っていること、もっとエスカレーションして言うなら“戦闘”(Battle)のつもりでいることを、カークの言葉は物語っていると思う。

 では、なぜカークは、“あらゆる利害関係者の懸念をできる限り解決”してまで、TPPという“戦闘”にこだわるのか?

 そういった、アメリカの動機や心理について、どこかのマスコミが取り上げる場合は、特定産業分野での経済的勝利のため、というニュアンスで語られることがほんとんどだが、実は、彼らが「西へ」攻めてくる根源的な理由は、彼らの“病気”のためだ、という意見がある。

 「またか?!」の謗りを覚悟で内田樹の著作から引用したい。ちょうど読み終えたばかりの、『街場のアメリカ論』から。
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内田樹著『街場のアメリカ論』(文春文庫)

 著者内田樹がこの本で意識したのは、二世紀前にフランスからアメリカに渡って、『アメリカにおけるデモクラシーについて』を著したアレクシス・ド・トクヴィル。1831年に、25歳の若さでアメリカを訪れ、たった271日間の滞在でトクヴィルは同書を著した。

 内田は、現代にもあてはまるアメリカという国の本質を見抜いたトクヴィルを賞賛し、彼に読んでもらうことをイメージして本書を書いたと「あとがき」で明かしている。

 本書の「文庫のためのあとがき」から引用したい。

 この「文庫のためのあとがき」を書いているのは2010年の3月ですけれど、新聞は沖縄の普天間基地の移転問題を報じています。専門家たちは、県外がいいとか、グアムがいいとか、予定通りキャンプ・シュワブ沖じゃなくちゃダメだとか、それぞれ資料的根拠や、外交上の常識を示しつつ議論しています。でも、そこで語られていることをアレクシス・ド・トクヴィルが読んだら、どう思うだろう。ぼくはそんなことを想像してしまいます。
 たぶん、トクヴィルにはぜんぜん理解できないと思います。「この人たちは、いったい何について議論しているのか?」と当惑するのではないでしょうか。そして、「とにかく、どうしてアメリカが極東の日本列島に巨大な軍事基地を恒久的に建設することになったのか、その歴史的経緯を教えて欲しい」と言うのじゃないかと思います。
 さて、その問いに、トクヴィルにも「なるほど」と呑み込めるような説明をすぐにできるアメリカ問題専門家がいるでしょうか。
 ぼくはあまり楽観的にはなれません。
 現に、その問いについての答えは日本人全員が(その価値評価について異同があっても)、事実関係については合意していて然るべきであるにもかかわらず、ぼくたちはそのような国民的合意をいまだ有していません。
 それについて語らないから
「それについて語らないこと」について、国民的合意なんか形成できるはずがありません。
 ぼくはこの本のなかでアメリカの「西漸志向」について書いています。ですから、ぼくがトクヴィルに基地問題について説明しようとしたら、当然そこから話を始めると思います。それについてはトクヴィル自身がアメリカ人の病的傾向を指摘しているからです。
 開拓民たちは大西洋岸からスタートして、「いたたまれぬ情熱」に駆り立てられて、原生林を切り開き、大平原を踏破し、山脈を乗り越えました。移民たちの、このほとんんど病的な西漸志向についてトクヴィルはこう書いています。
「眼前にはほとんど無限の大陸がひろがっている。そこに自分の場所がなくなるのを恐れ、遅れはしないかと先を急ぐ(・・・・・・)この人々は幸福になろうとして第一の故国を去った。そしていまやいっそうのしあわせを求めて、第二の故国を去っていく。ほとんどどこにも繁栄はあるが、幸福には出会わない。彼らにとって、しあわせになりたいという望みは、一応満たされるとさらに大きくなり、じっとしてはいられないほどに強くなる。」
 トクヴィルはこのような行動は「精神の不安定、なみはずれた求富の欲望、独立に対する極端な愛着」の兆候であり、ヨーロッパにおいてなら「病」として診断されるだろうと述べています。
 ぼくはトクヴィルの意見に賛成です。アメリカの「西へ向かう情熱」はある種の国民的な病として、アメリカ人に取り憑いた一種のコスモロジーとして、解釈すべきものだとぼくも思います。

*太字部分は、本書の“傍点”部分

 私も、トクヴィルの意見、そして、トクヴィルに賛成する内田の解釈に同意する。

 アメリカの“病的”な「西へ」という志向は、カリフォルニアの後に太平洋を渡ってハワイ、グアムなどに至り、そして今日、太平洋の(アメリカから見た)“西部”地域への飽くなき開拓(占領?)への情熱が、日本や韓国、フィリピンに存在するアメリカ軍の基地となり、その延長戦上にTPPがあるように思う。

 アメリカは、TPPを間違いなく“バトル”の場と考え、そこに日本を巻き込みたいのである。そして、日本が参加した場合に勝つための戦略・戦術を、アメリカの“作戦本部”は日夜検討しているはずだ。
 だから、野田“どじょう”が、「言っていない」などと弁明しようが、アメリカは確信犯的に「あらゆる分野」で日本をTPPへ巻き込もうとしているのだろう。

 「西へ向かう」ことへの異常なまでのこだわりが、アメリカの今日までに至る“病気”であることは、確かにトクヴィルが180年前に感じたまま、今も変わらないのだろう。

 本書の「まえがき」から次に引用したい。アメリカにとって、東アジアがどういう状況であって欲しいか、ということに関する部分である。

「日中韓の接近を阻止する」というのがアメリカの極東戦略の要諦である。日本が中国や韓国と接近して、東アジア・ブロックを形成すること、アメリカがもっとも恐れているシナリオはそれである。そのとき、十九世紀末アメリカ・スペイン戦争以来のアメリカの極東における「権益」は消失し、アメリカは東アジアの政治にプレーヤーとしてコミットする機会を失う。
 アメリカが東アジ政局にコミットできるのは、日中韓三国(これに台湾、北朝鮮を加えて五国)の間に不協和音が響いている限りのことである。戦争にならない程度のフリクションがこの五国を互いに遠ざけており、トラブルがあるたびに「アメリカに中に入ってもらう」というかたちで調停役としての関与が要請されるというのがアメリカの望むベストの外交ポジションである。


 この後に、小泉首相の靖国参拝を、当時のブッシュ大統領が抗議しなかったか、それは、ブッシュが抗議することで小泉は参拝を取りやめたら、それがきっかけで日中・日韓の歴史問題という懸案がうっかりすると片付いてしまうから、抗議しなかった、と内田は書いている。

 私は内田樹の意見に賛成である。TPPには中国も韓国も含まれない。アメリカが日本を巻き込みたいのは、経済的な市場の対象であるとともに、東アジアで“不協和音”を鳴らし続けさせるためでもある。まさに一石二鳥の作戦なのだ。しかし、日本にとっては、どれだけのメリットとリスクがあるか、ほとんど見えていないし、論議もない。

 あの敗戦から64年。今の日本が考えるべきことは、実は次のようなことなのではないだろうか。

 アメリカは、今日でも“日本の重要なパートナー”なのか。TPP参加を含めて、アメリカとの「友好」的な関係は、そもそも築けるのか。それは、ほぼ一方的にアメリカに利用されるだけの関係ではないのか。中国や韓国など東アジアの同じ儒教圏の隣人と「友好」的になることよりも、アメリカとの関係が重要なことなのか。

 せっかく、議論が結構盛り上がってはきたのだ。この機会に、日本の行く末をしっかり考えることになるなら、TPP騒動も悪くはなかった、と将来言えるといいだろうと思う。

 今回はこの本のまえがき」と「あとがき」からの引用になってしまったが、中身も非常に興味深い内容なので、今後紹介したいと思っている。
 
 集中してこの人の著作を読んでいると、「内田樹教」の信者になりそうな自分がいるのが分かるので、できるだけ批判的な読み方をしているつもりなのだが、この人の書いている内容は、「そうそう、そうだよね!」と頷けることや、「あっ、そういう見方もあるのか!?」と“目から鱗”状態になることが多いのは事実だ。ブログ「内田樹の研究室」を元にした本も多い。まだブログをご存知ない方は、まず無料のブログから読まれることを推奨。11月25日の内容には、落語『百年目』が登場するなど、なかなか楽しい。ブログ「内田樹の研究室」
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by koubeinokogoto | 2011-12-01 10:58 | TPP反対 | Comments(0)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛