幸兵衛の小言

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読売新聞が、原発擁護の正体を露骨に現している。4月30日の社説。
読売新聞サイトの該当記事

核燃料サイクル プルトニウムの確実な利用を(4月30日付・読売社説)

 福井県の関西電力高浜原子力発電所3号機で使うウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料がフランスから海路、日本に向かっている。6月にも到着する。

 東京電力福島第一原発の事故後、初めての輸送だ。

 日本は、エネルギー政策の一環として、核燃料サイクル計画を進めてきた。原発の使用済み核燃料から取り出したプルトニウムやウランを再利用するものだ。その柱がMOX燃料の利用である。

 核燃料サイクルは、ウラン資源の有効活用や放射性廃棄物量の軽減といった利点がある。

 プルトニウムは核兵器の材料にもなる。利用されないままでは、国内外で無用な疑念を引き起こしかねない。

 関電は、輸送されたMOX燃料を確実に利用する必要がある。

 日本には大規模な再処理施設がないため、使用済み核燃料の再処理をフランスや英国に委託してきた。すでに取り出されたプルトニウム量は20トンを超える。

 仏英とも預かったままにできない。引き取りは国際的な信義にかかわる問題だ。プルトニウム利用は、日本の責務と言えよう。

 福島第一原発の事故後、民主党政権はほとんどの原発を停止させ、展望がないまま「脱原発」の方針を打ち出すなど混乱を拡大させた。核燃料サイクル計画も抜本的な見直しの対象とした。

 安倍政権でも議論は進んでいない。このままではプルトニウム利用の見通しが立たない。

 青森県六ヶ所村では日本原燃の再処理工場が完成間近だが、その利用計画も定まっていない。政府は早急に検討すべきだ。

 核兵器を保有せずに、高度な再処理技術を確立する国は、日本以外にない。これまで積み上げてきた技術を簡単に捨てられまい。

 まずは、何基の原発が安全に再稼働できるのか、割り出す必要がある。原子力規制委員会は、安全確認を急がねばならない。

 再処理工場に対する規制委の姿勢にも問題がある。

 この工場で安全確認が済んでいないのは、放射能が高い廃液をガラスに固める工程だけだ。

 試験過程で発生し、タンクに保管中の廃液は固めた方が格段に安全だが、規制委は、工場そのものを当面動かす必要がないとして確認作業を後回しにしている。

 規制委は自らの役割や責任を十分認識していないのではないか。安全性の向上を着実に進めることが規制委の職務である。

(2013年4月30日01時17分 読売新聞)



“プルトニウムは核兵器の材料にもなる。利用されないままでは、国内外で無用な疑念を引き起こしかねない。関電は、輸送されたMOX燃料を確実に利用する必要がある”という主張には、開いた口がふさがらない。「無用な疑念」を消すには、原発を含む核の廃絶しかありえない、という社説を書くわけがないのが、よく分かる短絡的な論調だ。
 
“核兵器を保有せずに、高度な再処理技術を確立する国は、日本以外にない。これまで積み上げてきた技術を簡単に捨てられまい”という論旨には、危険性など省みず、「ここまで来てしまったんだから、行くしなかいでしょう」と言っているようだ。積み上げてきた技術は、廃炉や放射性廃棄物の処理にこそ使われるべきであり、再処理に使われてはならない。

“まずは、何基の原発が安全に再稼働できるのか、割り出す必要がある。原子力規制委員会は、安全確認を急がねばならない”という主張は、とても、フクシマを経た社説とは信じられない内容である。ほとぼりが冷めるのを待っての、本音が現れた。

“この工場で安全確認が済んでいないのは、放射能が高い廃液をガラスに固める工程だけだ”という指摘は、この文章を書いた論説委員の勉強不足を露呈している。高濃度の放射性廃棄物を安全にガラスに固定する技術も、それを将来にわたって安全に保管する場所もないから、核燃料サイクル、いやリサイクルという発想は、とうに破綻している。

 こんな新聞が日本でもっとも売れているのだ・・・・・・。

 こんな馬鹿な新聞は、スポーツ覧だけ頑張っていればいい。間違った主張を何百万人の読者に撒き散らしているのは、犯罪に近い。

 では、真っ当な主張をご紹介。MOX燃料輸送に関する、美浜の会とグリーン・アクション連名の抗議文である。
「グリーン・アクション」サイトの該当記事

抗議声明
関西電力の高浜3号用MOX燃料輸送強行に抗議する

2013年4月18日

関西電力は本日(4月18日)、MOX燃料の輸送を強行した。私たちはこれに強く抗議する。関電は、福島原発事故によって延期されていた高浜3号機用MOX燃料がフランスを出航し、輸送ルートは喜望峰/南西太平洋ルートで日本到着は6月後半とだけ発表し、MOX燃料の総量や品質等の情報は全て非公開のままだ。

今回の輸送に対し、既に反対抗議が起こっている。フランスではパリにあるアレバ社の周辺で日本の市民が抗議のビラを配り、輸送船が出航したシェルブールでは、地元住民を含む市民、環境団体、反原発団体が輸送に抗議した。

これまで70カ国以上にものぼる国からこのような日本の核輸送に対し、抗議声明や輸送船の近海通過拒否等の強い抗議が示されており、その中に今回選ばれた輸送ルートの沿線諸国が多くある。今まで南アフリカ共和国、南大平洋フォーラム、フィージー、バヌアツ、ニュージーランド、ミクロネシア連邦、ソロモン諸島などの国々、また議員、市議会などが繰り返し強く抗議してきた。「南太平洋諸国の人々は日本のMOX燃料輸送に反対し続けてきた。これらの船舶もしくは貨物がいかなる事故に遭遇しても、輸送ルート近隣諸国の環境と住民に壊滅的な結果をもたらしえる」と抗議を表明してきた。

日本政府と電力会社は、これら沿線諸国に対して、一度も誠実な対応を示したことはない。輸送ルート諸国から事前了解を得ることもせず、核輸送の安全性を確認するための環境アセスメント等も行っていない。危険で傲慢なプルトニウム輸送(今回はプルトニウム900kg以上が入っているMOX燃料)をまたも強行した。

関電は、MOX燃料に関する品質データを一切公開していない。私たちが求めた、ペレット寸法、プルトニウム含有率、核分裂性プルトニウム富化度、不純物含有率などの情報を公開しないまま輸送に踏み切った。1999年の英国BNFL社製MOX燃料データねつ造事件、2009年にはアレバ社製MOX燃料4体の廃棄処分など、これら過去の不正事件等を反省するのであれば、今回のMOX燃料について、十分な情報が公開されてしかるべきだが、これも行っていない。

福島原発は、手の着けようのない汚染水処理の解決に見込みもない状況にある。このような中で、MOX燃料輸送を行うとは、あまりにも福島原発事故を軽視するものだ。ましてやMOX燃料の使用に関して、関係自治体・市民の納得はない。MOX輸送を開始することは、高浜原発防災区域内にいる市民を始めとする福井・関西、全国の市民の安全を軽視することである。核燃料製造事業者アレバ社の要求と救済、そして関電自らの都合を最優先にしたものである。福島原発事故後の民意は脱原発であり、プルトニウム利用などもってのほかだ。

高浜3号の再稼働の目処はまったくたっていない。まさに、使い道のないMOX燃料の輸送である。このような状況でのMOX輸送は、福島原発事故の被災者の気持ちを踏みにじるものであり、福井と関西の人々の安全を脅かすものだ。このMOX燃料輸送の強行に強く抗議する。

2013年4月18日

グリーン・アクション info@greenaction-japan.org
京都市左京区田中関田町22-75-103
TEL: 075-701-7223 FAX: 075-702-1952
美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会) mihama@jca.apc.org
大阪市北区西天満4-3-3 星光ビル3階
TEL:06-6367-6580 FAX:06-6367-6581


 実に真っ当な主張、抗議である。関電を含む「原子力ムラ」の秘密主義はまったく変っていない。

 以前にも紹介したが「MOX」は、プルトニウムそのものを燃料に使うことにより、例えば原子炉のブレーキに相当する制御棒が効きにくいなど原発稼動中の危険性も大きいが、その燃料を作る過程や再処理まで危険がいっぱいであることを、『新装版 反原発、出前します-高木仁三郎講義録-』(反原発出前のお店編、高木仁三郎監修、七つ森書館)から再度引用したい。
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『新装版 反原発、出前します』(七つ森書館)

 MOX燃料を使うためには、ウラン濃縮度がいろいろ違った燃料を作らなくてはなりません。さらにプルトニウムの冨化度(濃度)もいろいろと違ったものを作らなくてはいけないのです。仮にそれを再処理するとなるとどういうことになるかを考えると、頭が混乱してきます。同じ組成のものは一度に再処理できますが、違った組成のものは一度に再処理できないので、原子炉からでてきた使用済み燃料を何通りにも分けなくてはなりません。このように核燃料サイクルがきわめて複雑になるのです。
 もう一つ、MOX燃料加工の場合に問題になるのは、プルトニウムn半減期の問題です。プルトニウム-239の半減期は2万4000年ですが、プルトニウム-240の半減期は6600年です。それからプルトニウム-241の半減期は14年で、プルトニウム-242の半減期は37万年です。このような放射能ができるのです。これが原子炉ごとに違ってくるのですが、問題はプルトニウム-241です。この半減期が短いので早く崩壊していって、アメリシウム-241になります。半減期が14年ですから、一年もすればけっこうたまってきます。アメリシウム-241はガンマ線を強く出しますので、取り扱いが面倒な上に核特性が違ってきます。燃料としては品質が劣化します。このアメリシウム-241がMOX燃料の加工をやっているうちに、たまってきてしまうと、強いガンマ線のために工場に立ち入れなくなることもあります。ですから、「プルトニウムを長い間置いておくな!」「プルトニウムは取り出したらすぐ使え!」といわれています。


 MOXの危険性が分かろうと言うものだ。高木仁三郎さんの本からの紹介を続ける。
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高木仁三郎著『原子力神話からの解放』

 初版が光文社カッパ・ブックスから、亡くなる直前2000年8月に発行され、講談社+α文庫で再刊されて『原子力神話からの解放』の「第9章 『核燃料はリサイクルできる』という神話」から。「原子力ムラ」が“核燃料リサイクル”、という発想を持ち出した背景について語っている部分から。どれだけ、プルサーマルが、どれだけ効率の悪いものか、指摘もされている。

 もう少し別の狙いとしては、従来のウランを使った原子力産業では、ちょっと先が見えてきたという事情があると思います。新しい仕事がほとんどなくなって、原子炉も建たなくなってきました。そういうなか、プルサーマルをやることで、プルトニウムを中心とした新しい産業を興していこうという狙いがあって、そのためにリサイクルという神話を持ち出してきたいきさつもあるのでしょう。
 しかし、考えてもらえばわかることですが、もともと使用済み燃料のなかのプルトニウムをリサイクルするといっても、リサイクルされるのはごくわずかです。100万キロワット級原発ですと、ウラン燃料は一年分でおよそ27~30トンくらいですから、使用済み燃料もそれくらい出てきます。それに対して、使用済み燃料から再処理したときに取り出されるプルトニウムの量は、全体として250キログラムから多くて300キログラムくらいになります。そのうちの燃える成分、つまり核分裂性の成分は、具体的に言うとプルトニウム239と241というアイソトープになりますが、これは百数十キログラムからせいぜい200キログラム程度です。これは原子燃料の燃やし方によっても違ってきますが、だいたいそのくたいの量になります。ということは、もとになる使用済み燃料に対して1パーセントにも満たない量です。リサイクルしてもそのくらいの量しか、またもとの原子炉の燃料として戻すことはできません。こういうのはふつう、リサイクルとは言わないでしょう。
 (中 略)
 ウランが原発の燃料となるプロセスは、非常に長い道のりだという話はすでにしましたけれども、使用済み燃料を再処理して取り出すことは、それをさらに複雑にした流れとなります。プルトニウムをあちこち動かし、いろいろな工程を経てプルサーマルという名の再利用を行なうと、その過程でいろいろな廃棄物が出てくるうえに、そうやって燃やしたプルトニウム自体が結局、最終的には使用済みMOX燃料というゴミとなって残ってしまいます。


 MOX燃料を使った原子炉の危険性は、フクシマの第3号機を見れば一目瞭然である。そして、MOX燃料を使用する核燃料リサイクルは、リサイクルどころか、核廃棄物を増やすだけの暴挙である。

 しかし、日本で一番売れている新聞が、それを露骨に推進しようとしている。とても許せることではない。もはや、ジャーナリズムは期待していないが、フクシマの反省も検証も無視した社説の掲載は、犯罪的と言ってよいだろう。
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by koubeinokogoto | 2013-04-30 22:45 | 原発はいらない | Comments(2)
ある文章を、まず紹介。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。



 「杖るは信に如くは莫し」(よるは しんに しくはなし)とは、『春秋左氏伝』の言葉で、信義に勝る頼れるものはなし、の意。何事にもまして信義、誠意が肝要ということである。

 これは、いわゆる「村山談話」の後半部分である。全文は外務省のホームページで読むことができる。
外務省HPの該当ページ

 私は、敗戦から50年を契機に、当時の村山首相から発信されたこの談話を、基本的には強く支持する。日本という国は、あの戦争による日本国民とアジアの隣人を中心とする被害者に、まず心から謝ることなしに、次の一歩は進めない。
 また、この言葉を踏まえれば、先日の「核の不使用」共同声明には積極的に署名することになるはずだ。

 「村山談話」と言ったって、村山首相の個人的所信ではなく、平成7(1995)年当時連立内閣をつくっていた自民党、社会党、新党さきがけ(自社さ連合)政権の閣僚全員が署名した閣議決定によって発表されたものだ。
 
 その後の首相は「村山談話」を継承した。しかし、「核の不使用」共同宣言への対応などを含め、安倍政権は違うようだ。非常に危険な兆候である。

 さて、中国側の、“あの戦争”への公式見解は、いわゆる「周恩来テーゼ」である。
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東郷和彦著『歴史認識を問い直す-靖国、慰安婦、領土問題』(角川ワンテーマ21)

東郷和彦著『歴史認識を問い直す-靖国、慰安婦、領土問題』(角川ワンテーマ21、2013年4月10日初版発行)から引用したい。

 日本人一般がこのテーゼを一番初めに広く耳にしたのは、1972年9月25日、日中国交正常化の調印のために田中角栄首相一行が北京についた夜の歓迎夕食会で行われた周演説のようである。
「1894年から半生記にわたり、日本の軍国主義者による中国侵略によって、中国人民は重大な災害をうけ、日本国民もまた、大きな損害をうけました。
 先に起きたことを忘れず、後に起こることの手本とするという言葉がありますが、このような経験を我々はしっかりと覚えておかねばなりません。
 中国人民は、毛沢東主席の考えに従い、ごく少数の軍国主義者と日本国民を厳格に区別します」(『中国語ジャーナル』2002年9月・10月号)
 事柄の重要性にくらべ、この演説の存在はあまり知られていないようである。この夕食会で、田中首相が日中戦争に関して「迷惑をかけた」という表現を使ったことが中国側の不興を買い、翌日の公式会談で問題提起がなされる事態に大方の関心がいってしまったことによるかもしれない。
 しかしながら、この演説に出てきた考え方は、遡ること20年に及ぶことが解った。ノンフィクション作家の保阪正康氏が、2005年雑誌『現代』において、次のような指摘をしている。
「52年、中国ハルビンで日本のスケート選手を招待しようという計画が持ち上がった際、戦争で傷つけられた人たちの怒りが激しく、招待計画が中止になった事件が起きた。これを契機に周首相は、『こうした状態が続けば将来大変なことになると考え、そういう人たちに、日本人兵士もまたひとにぎりの軍事指導者に騙されていた犠牲者だと説得した』という」(『現代』「周恩来の『遺訓』を無視する首相の靖国参拝」2005年7月号、84~93ページ)
 (中略)
 結局中国の考え方は、①靖国神社には、日中人民の共通の敵である日本軍国主義者の代表たるA級戦犯が祀られている、②靖国神社に参拝するのは、A級戦犯に参拝することになる、③だから、靖国神社の参拝は許せないということになる。



 中国政府が、周恩来テーゼを継承しているなら、現在の日本人に戦争責任を求めることはない。あくまで、過去の“軍国主義者”によって、日中両国の国民が犠牲になったのである。

 安倍政権が好きな言葉、“グローバル”な視点とは、地球的視野で未来志向で考えるということだとするなら、実はこういう中国側の、あの戦争への“けじめ”のつけ方にこそ“グローバル”という言葉があてはまるのではなかろうか。

 せっかく、「過去のことは水に流そう」と言ってくれているのに、安倍は「村山語録」を見直そうとしたり、憲法改正を言い出し、靖国参拝を擁護する。せっかく“けじめ”をつけて前に進もうとする中国にとって、安倍政権の態度は、歴史を逆行させようとする行為としか映らない。

 これでは、まったく“グローバル”な視野に立つ政権などとは言えない。日中関係や日韓関係が悪化し、日本経済や国民生活に悪影響が出たとしたなら、それは“平成の軍国主義者”による被害と言ってよいだろう。
 
 安倍“右傾化”政権の、優先順位の分からない、あまりに狭い視野に立つ独りよがりの失政で、国民がとばっちりを受けるのは真っ平御免である。
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by koubeinokogoto | 2013-04-29 16:26 | 戦争反対 | Comments(2)
「昭和の日」は、昭和を振り返るための祝日らしいので、靖国について昭和天皇がどう思っていたか、を振り返りたい。そして、中国や韓国を無駄に刺激している閣僚や議員の先日の参拝の無謀と無策について考えたい。

 昭和天皇は、戦後は数年置きに計八度靖国神社に親拝したが、昭和50(1975)年11月21日を最後に、親拝を行っていない。 この理由については、「富田メモ」により明らかである。

 宮内庁長官であった富田朝彦による「富田メモ」は、2006年に日本経済新聞が遺族から受け取り、その後複数の人間によってその信憑性につい検証され、歴史の貴重な証言としてお墨付きを得たものだ。このメモについての靖国支持派からの批判や無視する動きはあるが、私はこのメモに、明確に昭和天皇の靖国への思いが表現されていると思う。

「富田メモ」は、さまざまな書籍で引用されているが、Wikipediaから引用する。
「富田メモ」Wikipedia

公開された富田メモの一部は以下の通りである。靖国神社についての発言は1988年4月28日(昭和天皇の誕生日の前日)のメモにあった。一連のメモは4枚あったとされ、そのうちの4枚目にあたる。

 前にもあったが どうしたのだろう
 中曽根の靖国参拝もあったが
 藤尾(文相)の発言。
 =奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、
  単純な復古ではないとも。

 私は或る時に、A級が合祀され
 その上 松岡、白取までもが
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか
 易々と
 松平は平和に強い考えがあったと思うのに
 親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない
 それが私の心だ

※「易々と」の左側の位置から「そうですがが多い」「全く関係者も知らず」の2行が縦書きで書かれている。

メモは、「私は或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記している。松岡は日独伊三国同盟を締結し、A級戦犯で合祀されている元外務大臣の松岡洋右、白取はこれもA級戦犯で合祀されている元駐イタリア大使の白鳥敏夫、筑波は1966年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら合祀しなかった靖国神社宮司の筑波藤麿とみられる。昭和天皇は、筑波宮司がA級戦犯合祀に慎重であったのに対し、筑波が退任後、A級戦犯が合祀されたことに懸念を表明し、その中でも松岡洋右と白鳥敏夫までもが合祀されたことに強い不快感を表明した。

メモは、さらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか」「松平は平和に強い考があったと思うのに」と記している。「松平」は終戦直後の最後の宮内相の松平慶民。「松平の子」は、長男で1978年にA級戦犯を合祀した当時の靖国神社宮司・松平永芳とみられる。「親の心子知らずと思っている」として、松平慶民は合祀に慎重であったのに、その子供である松平永芳が、「易々と」合祀してしまったことに対して昭和天皇は強い不快感を表明した。末尾には「だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」と記述されている。


 麻生をはじめとする閣僚や議員の参拝は、まったく愚かな行為である。その行為への海外からの批判に対し、まるで開き直るかのような抗弁をした安倍は、まったく馬鹿である。

 昨日の「主権回復」式典では、国内の沖縄や奄美、小笠原の市民の気持を逆撫でした。
 そして、靖国問題は、あの戦争で大きな犠牲を払ったアジアの隣人の心を痛ませている。日本は、「戦争好きな国」「反省しない国」という印象を強く与え、予定されていた外交上のコミュニケーションの機会をことごとく失うことになっている。
 「ドイツを見習え」という声も今後は強くなるだろう。戦争責任者をいまだに追及し処罰することを徹底しているドイツと、戦犯が祀られている靖国を閣僚が参拝する日本。海外からは、その違いがあまりにも明白に映るだろう。
 安倍が今後、まかり間違って、「東京裁判は間違いだ」とか「戦勝国の暴力だ」などといっても、個人的な思いならともかく、政治の“グローバル”な舞台においては、何ら通用しない“負け犬の遠吠え”なのである。


 昭和の日に、昭和天皇が靖国に対して抱いていた“不快感”を真摯に受け止め、考えることで、靖国問題解決の鍵が見えてくるはずだが、安倍や側近には、この“不快感”を思うことが“不快”らしい。しかし、安倍らの“不快”は、中国や韓国、そして昨日の式典による沖縄や奄美、小笠原の人々の“不快”から思えば、まったく取るに足らないものだ。
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by koubeinokogoto | 2013-04-29 10:41 | 戦争反対 | Comments(2)
核不使用共同声明に署名しなかった日本政府に対し、社説で批判していた新聞が、もう一つ見つかった。中国新聞である。まっさきに確認するべきだった。全文引用する。
中国新聞のサイトの該当記事

核不使用に賛同せず 「被爆国」名乗る資格ない
'13/4/26

 耳を疑うとは、このことだろう。核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会に出された「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に、日本政府は賛同しなかった。

 70カ国以上が賛同した。なのに日本政府は「いかなる状況下でも核兵器が再び使用されないことが人類生存に寄与する」とのくだりに引っかかった。

 こんな至極当然の論理を拒否するとは、理解に苦しむ。

 ▽「核の傘」の矛盾

 これまで不十分ながらも非核外交を貫いてきたのは、ヒロシマ、ナガサキを繰り返してはならないという使命感からではなかったのか。口先だけで核兵器廃絶を唱えても行動が伴わなければ、全てが台無しになってしまう。

 準備委が開かれているスイスで早速、日本政府に抗議するデモがあった。被爆者は落胆した。国際的な批判と失望も、これからさらに強まるだろう。

 現地で天野万利軍縮大使は、松井一実広島市長らに「段階的に廃絶に向けた手続きを重ねる日本政府の方針とは違った」と釈明したという。一気に廃絶したくないのが本音なのだろう。

 米国の「核の傘」に自国の安全保障を依存しているからだ。しかし、そもそも「核の傘」に頼りながら廃絶を訴えること自体が自己矛盾を来している。

 声明を発表した南アフリカ代表団などによると、当初案には核兵器を「非合法」と断じる文言もあったが、被爆国の賛同を期待して削られた。

 ▽核武装するのか

 ところが日本政府はさらに、「いかなる状況下でも」の部分に抵抗し、削除を求めたために折り合わなかったようだ。

 外務省はこう強弁している。これまでだったら、はなから声明を丸ごと拒否していた。それが今回は、ぎりぎりまで文言の調整で粘る努力をした。これまでとは違うし、次の機会には賛同する可能性がある、と。

 自己弁護としか思えない。何より「いかなる状況下でも」に反発することは、状況次第では核の使用を認めることと同義ではないか。

 非核外交は破綻したといっても大げさではなかろう。これでは被爆国の発言に、米国以外は誰も耳を貸さなくなる。

 何かと米国寄りへと傾斜する安倍晋三首相にとって、重要視する「核の傘」に比べれば、被爆者や国際社会の批判など取るに足らないのかもしれない。

 あるいは、日本の核武装という選択肢を温存しておきたい思惑が顔をのぞかせたのだろうか。このところ首相や自民党議員に目立つ強硬発言も重ね合わせれば、勘ぐりたくもなる。

 確かに中国の海軍増強や北朝鮮の核開発などによって東アジアの情勢は緊迫し、日本の安全保障環境が揺らいでいるタイミングではある。

 とはいえ視点を変えれば、米国のあまりに強大な核戦力が中国や北朝鮮を軍拡へと突き動かしてきたのは紛れもない事実である。そして「核の傘」は、これらを抑止できていない。

 いま安倍政権がなすべきは、周辺国と「脅し、脅され」の関係を築くことではなかろう。緊張を解きほぐすには、原点に立ち戻って考えるしかあるまい。

 ほかの誰にも、あの苦しみを体験させてはならない—。あれだけの人間が悲惨を見た被爆地は、人類の未来に警告を発してきた。だからこそ為政者は核兵器の使用をためらってきた。

 それはヒロシマ、ナガサキこそが抑止力といわれ、もはや核は使えない兵器とみなされるゆえんでもある。

 ▽人道への裏切り

 「核兵器を使わない唯一の方法は完全に廃絶すること」。今回の声明に、ごく当たり前のことが書いてある。賛同しないことは被爆者、さらには人道への裏切りだとの認識が政府になかったとすれば、極めて残念だ。

 「核の傘」に頼らず、東アジアの平和をどう構築するか。真の非核外交への転換と模索を始める機会を安倍政権は自ら遠ざけるばかり。本当にこれが被爆国なのか。もはや政府には、そう名乗ってもらいたくはない。



 肝腎と思われる部分を、太字で再度ご紹介。

“米国のあまりに強大な核戦力が中国や北朝鮮を軍拡へと突き動かしてきたのは紛れもない事実である。そして「核の傘」は、これらを抑止できていない”

 アメリカが「核抑止力」を増強すれば、それだけ地球の危機は高まるだけである。


“「核兵器を使わない唯一の方法は完全に廃絶すること」。今回の声明に、ごく当たり前のことが書いてある。賛同しないことは被爆者、さらには人道への裏切りだとの認識が政府になかったとすれば、極めて残念だ”


 安倍の夢の中に、全ての被爆犠牲者の嘆きや悲鳴が届くことを祈っている。ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマを経験した国家として国民への裏切りでしかない。

“「核の傘」に頼らず、東アジアの平和をどう構築するか。真の非核外交への転換と模索を始める機会を安倍政権は自ら遠ざけるばかり。本当にこれが被爆国なのか。もはや政府には、そう名乗ってもらいたくはない”
 
 ここは、ちょっと私の主張とニュアンスが違うが、本質的な部分は一緒かと思う。被爆国としての決断、行動をしないのなら、もはや被爆国とは言えない、という意味であろう。

 ことごとく、真っ当な主張であり批判である。

 ちなみに長崎新聞には社説がないようで、ニュースの中にも本件に関する批判的な記事はなかった。同じ九州の西日本新聞の社説にも、今日は本件のことは書いていない。

 大手新聞が“沈黙”する中、中国新聞と高知新聞のみが、被爆国日本の政府の誤った行動を批判した。ぎりぎり、まだ新聞も捨てたものではない、という見方もできるが、広島や高知からの声が、全国に届くのは難しいという思いも強い。

 読売や産経にはもともと期待などしていないが、朝日の最近の腰抜けぶりには失望する。安倍の「会食作戦」が効いたのだろう。「プロメテウスの罠」は、「安倍の罠」に弱かったということか。


 さて、すでに「今日の社説大賞」を高知新聞に授与してしまったが、広島や長崎の地元ではない地域の新聞が主張したということを、あえて評価してそのままにしよう。地方紙だって、「負けたらいかんぜよ!」
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by koubeinokogoto | 2013-04-26 19:27 | 原発はいらない | Comments(2)
昨日、2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた準備委員会で、日本政府は核兵器の不使用を訴える共同声明に署名しなかったことについて書いた。

 今日の新聞で、社説でこの問題を批判しているのは、今のところ高知新聞しか見当たらない。せっかくなので、全文引用する。
高知新聞サイトの該当記事

【核不使用声明】被爆国がなぜ賛同できぬ
2013年04月26日08時03分

 核廃絶へ地道に取り組む広島、長崎の被爆者らの思いを踏みにじるものではないか。
 ジュネーブで開かれている2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた準備委員会で、日本政府は核兵器の不使用を訴える共同声明に賛同しなかった。
 米国が提供する「核の傘」への影響や、核使用をちらつかせる北朝鮮への抑止力低下を懸念したためとされる。だが、同じく米国の核抑止力に依存する北大西洋条約機構(NATO)加盟国は名を連ねている。唯一の被爆国の姿勢が問われる事態だ。
 共同声明は核兵器の非人道性を強調し、「いかなる状況下でも核が再び使用されないことが人類の生存に利益となる」とする。ごく当然の内容であり70カ国以上が賛同した。
 日本は「いかなる状況下でも」の文言削除を求めたが、受け入れられなかったため賛同しなかった。これを裏返せば、日本は場合によっては核使用を認めるということだ。しかし、そんなことがあっていいのだろうか。
 今年3月、オスロで開かれた「核兵器の非人道性に関する国際会議」で、日赤長崎原爆病院の朝長万左男院長は爆心地などでは2千度の熱線、毎秒80㍍の爆風、高線量の放射線で多数が殺された実態を訴えた。その上、68年前に受けた遺伝子の損傷は被爆者を生涯苦しめる。核は「遺伝子標的兵器」という朝長さんの指摘は重い。
 日本政府の姿勢は、被爆の実相を伝えようとしてきた広島、長崎の努力とは相いれないものだ。
 日本は昨年秋の国連総会でも「核兵器を非合法化する努力」を促した共同声明への賛同を求められたが、今回と同様の理由で拒否している。
 被爆国として率先して主張すべきテーマにもかかわらず立て続けに拒否したことで、核廃絶に向けて努力する国際社会の足を日本が引っ張っているとも受け取られかねない。
 現実に核兵器が存在する限り核抑止力は必要というのも、日本政府の基本的な立場だ。だが、現実論にとどまっているだけではいつまでたっても「核なき世界」は訪れない。
 核不使用声明にあるように、核兵器が再び使われないことを保証する唯一の手段は核廃絶である。究極の目標に少しでも近づくためのリーダーシップを、日本はもっと発揮すべきだ。


“日本は「いかなる状況下でも」の文言削除を求めたが、受け入れられなかったため賛同しなかった。これを裏返せば、日本は場合によっては核使用を認めるということだ。しかし、そんなことがあっていいのだろうか”、という問いかけは、非常に真っ当なものだ。
 最後の、“核不使用声明にあるように、核兵器が再び使われないことを保証する唯一の手段は核廃絶である。究極の目標に少しでも近づくためのリーダーシップを、日本はもっと発揮すべきだ”、という主張も、まったく道理である。

ちなみに、朝日、読売、毎日の今日の社説のタイトルを並べてみる。

朝日新聞(4月26日の社説)
・靖国と政治—静かな参拝のためには
・豪雨避難勧告—命守りぬく判断能力を

読売新聞(4月26日の社説)
・B787再開へ 安全最優先で世界の空を飛べ
・非核化拒む「北」 警戒も制裁も緩めてはならぬ

毎日新聞(4月26日の社説)
・村山談話の評価 首相の歴史認識を疑う
・還元セール規制 消費喚起の工夫こらせ

 チェルノブイリから27年、という一つの節目の時期に、日本政府がとった「核」使用を認める行為に、この三紙は、まったく言及していない。

 安倍自民党政権の広報紙、産経もついでに。
産経新聞(4月26日の主張)
・本紙「国民の憲法」要綱 戦後体制との決別を急げ

 日経はこうだった。
日本経済新聞(4月26日の社説)
・米欧企業に影落とす新興国景気の減速
・歴史問題を過熱させるな


 この大手メディアの、この度の日本政府の行動に対する“沈黙”が、今日の日本におけるジャーナリズム不在を物語っている。「ジャーナリズム不在症候群」とでも言おうか、それとも「新聞政府広報紙化症候群」と言ってもいいかもしれない。この病巣は深くて広い。相当末期的な症状を呈している。そのうち「ジャーナリズム」と「ジャーナリスト」という言葉は、死語になるだろう。

 坂本龍馬の故郷高知の新聞人は、さすがに太平洋をまじかに眺め、“グローバル”な視点でものごとを考えている、ということか。私から「本日の社説大賞」を授与させていただく。
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by koubeinokogoto | 2013-04-26 12:00 | 原発はいらない | Comments(0)
世界の70カ国以上が賛同した「核の不使用」共同声明に、世界で唯一の原爆犠牲国が、なぜ賛同できないのか。
朝日新聞サイトの該当記事

「核の不使用」共同声明、日本署名せず NPT準備委
2013年4月25日15時2分

【ジュネーブ=斎藤靖史】2015年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向け、スイス・ジュネーブで開かれている第2回準備委員会で、核兵器の非人道性を訴えて24日に発表された共同声明に、日本政府は署名しなかった。米国の「核の傘」に頼る安全保障政策と整合性がとれない、と判断した。

 共同声明は、核が使われると人道上、破滅的な結果を招くとして、「二度と使われないことを保証する唯一の手段は完全な(核)廃絶だ」とする内容。南アフリカやスイスなど70カ国以上が賛同した。

 昨年5月の第1回準備委では、スイスなど16カ国が同様の共同声明を発表したが、日本は「事前の打診がなかった」として参加しなかった。また、昨年10月の国連総会第一委員会でも34カ国が同様の共同声明を発表したが、日本は「核兵器の非合法化」を求める内容が米国の核抑止力に依存する政策と合わないとして、賛同しなかった。



 米国の「核の傘」があるから、北朝鮮も、イランも、「なぜ一部の国だけ核の保有が認められ、我々は認められないのか」という、もっともな理屈をこねるのである。

 核も、核爆弾の製造につながるプルトニウムを生成する原発もやめる覚悟、そして米国にも核保有をさせない強い意思表示をしない限り、日本は世界で尊敬される国にはなれないし、「靖国」問題も含め、海外諸国には「戦争好き」「原子力好き」な国としてイメージされるだろう。

 安倍政権は、産業競争力会議や教育再生実行会議を通して、やたらと「グローバル化」を唱える。

 「グローブ」とは、「地球」である。真に“グローバル”な人間とは、地球的視野でものごとを考えることのできる人のことだ。これまで、核実験、イラクで多くの人間の生命を奪った劣化ウラン弾、そしてヒロシマとナガサキに投下された原爆、加えて原発事故といった直接的な被害はもとより、「核の脅威」を前面に出し「恐怖」を外交取引きの道具にする国から受ける精神的な被害。人命、環境、健全な国際関係のあらゆる局面で、「核」は廃絶すべきであることは、“グローバル”な観点で明白である。放射能被害は、地球には引かれていない国境を超える。「インターナショナル」は国と国との関係性を表す言葉であり、イメージするのは、平面的な地図で、そこには国境が引かれている。しかし、「グローバル」は、立体的な地球を連想させる。そこには山や海、大陸、平野や川や湖などはあるが、どこにも国境はない。放射能の被害だけでなく、その対策も「グローバル」な問題である。

 米国という特定の国との関係のみ重視する余り、地球儀で見ればすぐお隣のアジア諸国の、たとえば米国の前には「四書五経」などを学ぶ先生であった中国、明治維新で文明開化の先生であったイギリスやフランスやドイツなどの欧州諸国との関係を忘れ、“グローブ”で唯一原爆の被害を受けた国が、なぜ「核に反対」を唱えることができないのか。他の全ての国が賛同しなくても核使用に反対すべきなのが、日本ではないのか。

 くどいようだが、“地球”で唯一の被爆国として『核の不使用』を訴えてこそ、地球村の一員としての存在意義があるはずだ。

 その日本が共同声明に署名できないようでは、とても“グローバル”な観点で、尊敬される国などにはなれない。
 いっそアメリカの51番目の州にでもなりますか、安倍さん。そうすれば、いきなり英語が国語になって教育のグローバル化が進むことでしょう。
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by koubeinokogoto | 2013-04-25 19:58 | 原発はいらない | Comments(2)
 過去の過ちを何ら反省することなく、国を誤った道に誘導しようとしている竹中平蔵。

 東谷暁著『郵政崩壊とTPP』(文春新書、2012年4月初版発行)から引用。
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東谷暁著『郵政崩壊とTPP』(文春新書)

 「かんぽの宿」を当時の“仲間”である西川郵政から宮内オリックスに格安で売却させようとして、鳩山総務相から批判された時の竹中の発言を引用したい。

 竹中氏は、2009年1月19日付の産経新聞一面コラムで、「かんぽの宿は、“不良債権”」と題し、<(かんぽ生命保険の施設である)かんぽの宿は、今でも年間約50億円の赤字を計上している。民営化に当たって、これを廃止・売却するのは当然のことである>と論じた。
 安い価格で急いで売却するには適切ではないという鳩山総務相の発言に対しても、<この議論は、経済学の初歩的な概念である『機会費用』というものを無視した、誤った認識>などと、久しぶりに経済学者らしい言葉を使って憤ってみせたものだ。つまり、不況時にすべて安くなるので、安く売っても他のものを安く買えるというわけだ。
 しかし、そもそも「かんぽの宿」は、かんぽ生命の主管から、すでに日本郵政に移されてしまっている。しかも、この民営化のさいの措置については、「かんぽの宿」を安く売り叩くためだったという指摘もある。竹中氏はこの点について何か疚しいものがあるから、こんな「初歩的な」間違いをしたのではないかと勘ぐりたくもなる。そういえば、民営化の「かんぽの宿」売却を強引に五年以内に決めたのも竹中総務相だったではないか。
 また、「かんぽの宿」は不良債権だというが、日本郵政は継続的な事業として認識し、M&Aで売ろうとしていたのだから不良債権などではないことになる。そもそもM&Aでは一円でも高く売るのが経営陣の任務だ。その意味で竹中氏の発言は、意図的に流した風説による資産の価値毀損行為であり、日本郵政の西川社長は竹中氏を訴えるべきだった。
 さらに、「機会費用」だから安くてもいいと述べたが、日本郵政が算出した「かんぽの宿」および社宅の「簿価」が、意図的に安くした疑いがきわめて濃厚になった以上、この「機会費用」の議論など成り立ちようがない。
 竹中氏にとって、郵貯を使ってアメリカのご機嫌をうかがい簡保市場を譲渡してしまえば、日本郵政はただの「抜け殻」であり、「かんぽの宿」などは不良債権として叩き売ることしか念頭になかったのではないのか。



 アメリカのご機嫌をうかがっていたことは、民間人となって油断した竹中の本音が物語る。

 郵政民営化が推進される中で、この民営化はアメリカ金融界の強い要求に下に行なわれていて、このままでは日本の金融資産がアメリカに流れてしまうという指摘もあった。竹中総務相はそのたびごとに反論したが、すでに「民間人」に戻った2008年4月、BS朝日で放映された番組で次のような発言をして、視聴者を愕然とさせた。
<実は日本には、海外のこうしたSWF(政府系ファンド)よりも、もっと巨大な規模のSWFを持っているのです。それが日本郵政です。いや、厳密に言えば、もうSWFではありません。なぜなら、日本郵政は完全に民営化されたからです。だから、米国の側からすれば、政府の資金ではないので安心して投資を受け入れることができるはずです>(『竹中平蔵・上田晋也のニッポンの作り方』朝日新聞出版)
 なんのことはない、「アメリカの金融が危機になったから、日本の郵政がもっている金融資産を融通しろ。もう民営化してあるから文句は出ない」ということなのである。この後、アメリカの金融界はさらに下落して混迷を深めていったから、竹中氏のいう通りにしていたら、日本郵政は虎の子の資金をドブに捨てていただろう。郵政民営化とは、やはり郵政の資金をアメリカに捧げるものだったと思われてもしかたのない発言だった。



“米国の側からすれば、政府の資金ではないので安心して投資を受け入れることができるはずです”といった内容は、とても閣僚時代には言えない発言だ。アメリカの影を精一杯隠し、追及されても誤魔化しながら進めてきたのが、郵政民営化なのだから。つい気を許したのだろうが、これが本音なのだ。こういうのを“確信犯”と言う。

 当時のアメリカ合衆国通商代表部のロバート・ゼーリックなどの意向を最大限反映しながら、郵政の資産をアメリカのために提供しようとしたのが、竹中の仕事であったのだ。

 郵政民営化という愚行を演じた役者の中で主演男優であった小泉純一郎は、失政の反省をしたのか否かは別として、政治の舞台から去った。しかし、助演男優とでも言うべき竹中平蔵は、舞台裏とはいえ政治の世界に帰ってきた。

 今や、郵政民営化が、当時340兆円という郵政グループの資産を、アメリカに差し出そうとした売国行為であったことは明白だろう。当時イギリスのフィナンシャルタイムズなどは「日本から3兆ドルのプレゼント」という表現を使っていた。


 安倍がその“犯人”竹中を生き返らせ、ゾンビ平蔵は、懲りずに「規制緩和」「自由競争」「官から民へ」を標榜している。産業競争力会議の他の民間メンバーも、新自由主義派・競争至上主義派が多いため竹中へのブレーキ役にはなりえない。逆に竹中暴走のアクセルを吹かすメンバーもいるかもしれない。
 あえてブレーキ役を期待するなら、議長代理を務める麻生太郎だろう。麻生が竹中に好意的とは思えない。2005年、郵政民営化を巡り小泉に忠実に仕えた竹中と、郵政事業を所管する総務相だった麻生は鋭く対立していた。小泉は“郵政解散”後の衆院選で圧勝すると竹中を総務相にし、麻生は外相に横滑りさせて、早い話が事実上更迭したのだ。この度の産業競争力会議メンバー入りにも、麻生は抵抗していたと言われている。だから、竹中の暴走を阻止できるのは麻生くらいかもしれない・・・が、安倍が竹中を買っている以上は、安倍に憎まれてはならないから、面と向かっての竹中批判は難しかろう。

 何度も書こう。竹中平蔵は売国奴である。安倍は二度目の政権のアキレス腱が何か分かっているのだろうか。何よりも竹中平蔵という男が、アベノミクス、そして日本の将来を危うくさせている。
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by koubeinokogoto | 2013-04-18 08:21 | 責任者出て来い! | Comments(0)
周知のように、TPP参加に向けて日米の事前協議が終わった。この件について、大手新聞の中では、日経が意外と真っ当な指摘をしていた。
日経サイトの該当記事

TPP日米合意 本交渉へ見えた課題
2013/4/13 2:14

 日本の環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加に向けた日米の事前協議がようやく決着した。しかし目立つのはコメなど農産品を守ろうとするあまり、譲歩を重ねた日本の姿だ。TPP交渉と並行して続ける日米交渉では米国が長年訴え続けてきた自動車や保険の市場開放要求が再び突きつけられた。結果次第ではTPP交渉参加への高い代償を払わされることにもなりかねない。

 「農業を守るために自動車のカードを切った。一切の譲歩はしていない」。外務省幹部らは12日午後、自民党幹部にこう説明して回った。日米合意では「農産品など貿易上のセンシティビティ(強い関心事項)が両国にある」と確認。日本は農産品関税、米国は自動車関税を互いに維持できるようにすることで折り合ったという理屈だ。


「農業を守るために自動車のカードを切った。一切の譲歩はしていない」、と外務省幹部は言っているようだが、決して自動車業界のみが“我慢”をするわけではない。
 日経のサイトでは、珍しく画像もJPEG形式でペーストできたので、日米合意をまとめた表もご紹介。

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 私が、この中でもっとも危惧するのは、「食の安全」だ。日経の記事も、次のように締めている。

 自動車と並んで日米交渉の焦点となる「非関税措置」ではかんぽ生命保険の新商品凍結や「食の安全」に関して日本に食品添加物や残留農薬の認可範囲を広げるように求めている。日本が認める食品添加物は約800種類。米国は3000種類ある。添加物の規制が緩和されれば米国の輸出増につながるとみている。

 食品の安全面からTPP参加に反対する生活協同組合では「一部の農薬では日本の方が米国などより残留基準が厳格なものもあり、海外の低い食品安全基準にあわせることになりかねない」(首都圏の生協関係者)と危惧している。



“日本が認める食品添加物は約800種類。米国は3000種類ある。添加物の規制が緩和されれば米国の輸出増につながる”ことと、生協関係者が指摘する通り、「一部の農薬では日本の方が米国などより残留基準が厳格なものもあり、海外の低い食品安全基準にあわせることになりかねない」ことを、十分に注意しないといけないだろう。

 フクシマ以降、放射能汚染による食物不足の日本にとって、アメリカの穀物(グレイン)メジャーや食品会社、そして薬品や農薬会社などが、絶好のチャンスと日本市場を狙っていることが背景にある。

 あらためて書くが、自民党のTPP参加は、明らかに選挙公約破りである。それは、昨年12月の衆院選で農村を含む全国あちこちに貼られたこのポスターが動かぬ証拠だ。

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 “ウソ”をついて“ブレ”た自民党が“耕す”のは、TPP参加で潤うごく少数の日本の新自由主義企業とアメリカの数多くの企業のための日本市場であって、日本の農業従事者や安全な食を求める国民のための土壌ではない。

 今回の日米協議に関して明らかになったことのどこに、日本の農業や製造業を守り、国民の安全な生活を担保する内容が含まれているのだろうか。何ら国家戦略もないまま闇雲にTPP参加を進める安倍自民党と官僚は、当初から危惧した通り、アメリカの手の平で踊らされて国民生活をますます苦しくさせるだけではないのか。
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by koubeinokogoto | 2013-04-15 19:33 | TPP反対 | Comments(2)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛