幸兵衛の小言

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MOX燃料が、フランスから高浜に到着した。
「時事ドットコム」サイトの該当記事

MOX燃料、高浜に到着=仏から、福島事故後初−関電

 関西電力高浜原発3号機(福井県高浜町)のプルサーマル発電用に、フランスで製造されたウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料を積んだ輸送船「パシフィック・イーグレット」が27日朝、高浜原発の専用港に到着した。関電は燃料集合体の陸上搬送に向けた作業を始めた。2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、MOX燃料が海外から日本に輸送されるのは初めて。
 関電は、原発の新規制基準が7月8日に施行されるのに合わせ、MOX燃料を使用するプルサーマル発電を念頭に高浜3、4号機の再稼働審査を申請する方針。ただ、再稼働時に実際にプルサーマル発電を行うかについては、原子力規制委員会の審査や地元自治体の意向を踏まえて判断する考えだ。(2013/06/27-12:45)


 
 美浜の会とグリーン・アクションも連名で抗議しているが、原子力資料情報室の声明を紹介したい。
「原子力資料情報室」サイトの該当ページ

MOX燃料は装荷せず、そのまま廃棄物とするべき
2013.6.26

NPO法人 原子力資料情報室
共同代表 山口幸夫、西尾漠、伴英幸


 関西電力のMOX燃料輸送に抗議する。関電は、国内での再処理-プルトニウム利用から撤退し、すでに抽出されたプルトニウムについてはプルサーマル以外の処分策、すなわち廃棄物としての処理・処分策を追求するべきである。


今回のMOX燃料輸送は「東北地方太平洋沖地震後の状況を踏まえ、延期」(関電プレスリリース)されていたものである。それを、この時期に実施することは、原子力規制委員会による新規制基準が7月から発効するのを睨んでのもので、高浜原発の運転再開を強引に迫る意味合いではないか。しかし、高浜原発の運転再開へ向けた合意は全くない。大飯原発の断層問題に示されたように、なりふり構わぬ強引さで運転再開を強行することは言語道断で、とうてい認められない。

過去のプルサーマルの安全審査や地元合意は、福島第一原発事故によって、とうに吹き飛んでしまっている。私たちは原発の再稼働を行うべきではなく、ましてやプルサーマルを行うべきでもないと考える。しかし、それでも関電が実施を推し進めようとするのであれば、まずは、改めて審査のやり直しを求め、その結果に基づく地元合意を取り直さなくてはならない。福島原発事故を受けての安全対策強化の中にプルサーマルをきちんと位置づけ、プルサーマル燃料を考慮した過酷事故対策を明らかにすべきである。

関電はこうした対応すら行おうとせず、従来通りの対応で終始するのは、福島原発事故を対岸の火事にしかとらえておらず、なんら反省していない証左であり、蛮行と言わざるを得ない。

加えて、プルサーマル後の使用済みMOX燃料をどう処理・処分するのか、六ヶ所再処理工場に続く第二再処理工場の建設などは到底考えられず、結局、直接処分をするしかない。使用済みMOX燃料は使用済みウラン燃料よりもはるかに長い期間管理し続けなければならないし、処分するにしてもさらに厄介である。関西電力は発生者として、責任をもってこの厄介な使用済みMOX燃料に対応しなければならないが、そのような姿勢を全く示さないばかりか、国へ押し付けようとさえしている。実に無責任な対応の繰り返しである。

2011年3月の未曾有の原発事故を真摯に捉え、プルサーマル炉心の過酷事故時の対応と責任を冷静に推し量るなら、明らかにMOX利用に合理性がないと理解するはずだ。燃料使用などあり得ないはずである。


 まさに“蛮行”という表現が相応しい。

“使用済みMOX燃料は使用済みウラン燃料よりもはるかに長い期間管理し続けなければならないし、処分するにしてもさらに厄介である”のに、“関西電力は発生者として、責任をもってこの厄介な使用済みMOX燃料に対応しなければならないが、そのような姿勢を全く示さないばかりか、国へ押し付けようとさえしている。実に無責任な対応の繰り返し”を、安倍政権は庇護するだろう。

 美浜の会とグリーン・アクション連名の抗議文には、次のようにある。「グリーン・アクション」サイトの該当ページ

“使用済みMOX燃料の処理の方法は全く決まっていない。現状では、高浜原発の使用済み燃料プールに半永久的に貯蔵することになる。使用済みウラン燃料の最終処分も決まっていない中、行き場のないやっかいな核のゴミをこれ以上作り出すべきではない”

 “行き場のないやっかいな核のゴミ”について、以前にも紹介した本から、少し専門的な説明を引用したい。

 「MOX」は、プルトニウムそのものを燃料に使うことにより、例えば原子炉のブレーキに相当する制御棒が効きにくいなど原発稼動中の危険性も大きいが、その燃料を作る過程や再処理まで危険がいっぱいであることを、『新装版 反原発、出前します-高木仁三郎講義録-』(反原発出前のお店編、高木仁三郎監修、七つ森書館)から再度引用したい。どれほどMOX燃料を使うと“やっかい”なのか、重要部分を太字にする。
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『新装版 反原発、出前します』(七つ森書館)

 MOX燃料を使うためには、ウラン濃縮度がいろいろ違った燃料を作らなくてはなりません。さらにプルトニウムの冨化度(濃度)もいろいろと違ったものを作らなくてはいけないのです。仮にそれを再処理するとなるとどういうことになるかを考えると、頭が混乱してきます。同じ組成のものは一度に再処理できますが、違った組成のものは一度に再処理できないので、原子炉からでてきた使用済み燃料を何通りにも分けなくてはなりません。このように核燃料サイクルがきわめて複雑になるのです。
 もう一つ、MOX燃料加工の場合に問題になるのは、プルトニウムn半減期の問題です。プルトニウム-239の半減期は2万4000年ですが、プルトニウム-240の半減期は6600年です。それからプルトニウム-241の半減期は14年で、プルトニウム-242の半減期は37万年です。このような放射能ができるのです。これが原子炉ごとに違ってくるのですが、問題はプルトニウム-241です。この半減期が短いので早く崩壊していって、アメリシウム-241になります。半減期が14年ですから、一年もすればけっこうたまってきます。アメリシウム-241はガンマ線を強く出しますので、取り扱いが面倒な上に核特性が違ってきます。燃料としては品質が劣化します。このアメリシウム-241がMOX燃料の加工をやっているうちに、たまってきてしまうと、強いガンマ線のために工場に立ち入れなくなることもあります。ですから、「プルトニウムを長い間置いておくな!」「プルトニウムは取り出したらすぐ使え!」といわれています。



 通常のウラン燃料さえ原発のゴミはやっかいなのに、MOX燃料の原発でできるゴミは、もっとやっかいだし、危険性が増すばかりなのだ。

 高木さんの別の本からも、引用したい。
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高木仁三郎著『原子力神話からの解放』

 初版が光文社カッパ・ブックスから亡くなる直前2000年8月に発行され、講談社+α文庫で再刊された『原子力神話からの解放』の「第9章 『核燃料はリサイクルできる』という神話」から。すでに紹介した内容を、もっと平易な言葉で説明している部分を含め、MOX燃料が危険なだけでなく、経済性の面でもメリットがないことが分かる。

リサイクルで放射能が増える!

 MOX燃料は私の専門分野ですから、大きな国際研究もやりましたし、いろいろなレポートも書いています。ここではくわしく述べませんが、プルサーマル計画、つまりMOC燃料をやると、どのくらいエネルギー的に得をするのか研究したことがあります。たとえ1パーセント以下とはいえ、本来なら捨ててしまうプルトニウムをまた使うわけですから、それによる燃料節約の効果も一定程度はあるだろうと、計算上は考えられるわけです。そこで、私たちの国際研究であるIMAプロジェクトのなかで、このメリットについて研究してみました。
 IMA研究の正式な名前は「MOX燃料の軽水炉利用の社会的影響に関する包括的評価」というものです。私たちがこの研究をやって明らかにした一つの重要な点は、プルトニウムを取り出して燃やすことは、安全性の問題は別にしても、燃料資源上のメリットはまったくないということです。とくに、リサイクルによって環境の負荷を少なくするといったメリットは、まったくありません。
 ウランが原発の燃料となるプロセスは、非常に長い道のりだという話はすでにしましたけれども、使用済み燃料を再処理して取り出すことは、それをさらに複雑にした流れとなります。プルトニウムをあちこちに動かし、いろいろな工程を経てプルサーマルという名の再利用を行なうと、その過程でいろいろな廃棄物が出てくるうえに、そうやって燃やしたプルトニウム自体が結局、最終的には使用済みのMOX燃料というゴミとなって残ってしまいます。ゴミを減らすことになるどころか、この計画はかえってゴミを増やすことになるのです。


 “リサイクル”などと言う言葉に誤魔化されてはいけない。通常のウラン燃料より放射能のゴミが増えるし、稼動後の危険性も増すのに、経済的な効果もないMOX燃料など、原子力資料情報室の声明にあるように、フランスから届いたそのままで廃棄物とすべきだ。


 安倍右傾化政権が、「原子力規制委員会」をダシにして、強引にMOX燃料を使用する原発までも再稼動を進めようとするのなら、それは何十万年にも渡って放射能のゴミの処理を先延ばしにする“蛮行”としか言えない。

 なぜ、日本の国のリーダーたるべき人々はフクシマから学べないのか、不思議でならない。

 地震大国日本が、フクシマの後も原発を推進することは、遠い未来の地球の存在さえも左右しかねない“愚行”である。「その時は、私はとうにこの世にいない」とばかりに、問題を先送りすることは、決して許されないはずだ。
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by koubeinokogoto | 2013-06-27 19:49 | 原発はいらない | Comments(0)
大震災とフクシマから二年余り経っても、政府は何もしていないに等しいのではなかろうか。東京新聞の記事をご紹介。
東京新聞サイトの該当記事

何も進まぬ1年 政府に怒り 方針出して
2013年6月22日 07時46分

 東京電力福島第一原発事故の被災者を救うはずの「子ども・被災者支援法」が無力のまま、二十一日で成立してちょうど一年を迎えた。超党派の議員提出で、衆院、参院とも全会一致で可決したのに、政府は具体化のための基本方針さえ作らない。今月には復興庁担当者のツイッターでの暴言も明らかになった。同日、東京・永田町の参院議員会館に集まった被災者や支援者は、怒りと落胆の声を上げた。 (柏崎智子)

 「成立した日は、革命が起きたかと思うほどうれしかった。これで私たちの生活が少しでも楽になる、苦しみがなくなると期待したが、変わらなかった」。福島県郡山市から札幌市へ自主避難している宍戸慈(ちか)さんは振り返った。

 災害救助法の住宅支援があるだけで、生活は苦しい。その支援さえ、来年三月には打ち切られるかもしれない。

 福島市から東京都練馬区へ母子避難している二瓶和子さんは、二人の子どもを別々の保育所へ預け、高い保育料を払いながら日中働き、夜も子どもたちが寝静まると内職する。支援法に期待し、国会議員や担当職員のいる集会で発言してきた。「何が大変ですかと聞かれ続けたが、大変さは改善しなかった」

 浴びた放射線が将来どう影響するのか、未知の部分が多い。だからこそ、子ども・被災者支援法は、被災地にとどまることも、避難することも、避難先から再び帰ることも、すべて被災者自身の決定を尊重し、必要な支援をすると決めた。特に、経済的な苦しさの上、古里を捨てるような後ろめたさを抱えがちな自主避難者に希望を与えたが、一年かけて落胆に変わった。

 宍戸さんは「もう期待していない、という声を聞く。とても気持ちは分かる。事故から二年たつ間に被災者の状況はどんどん変わる」と話す。

 この日の集会には復興庁の担当者も出席したが、基本方針の決め方の見通しが語られることはなかった。

 それでも「前に進むしかないと思っている」。郡山市から静岡県掛川市へ自主避難した長谷川克己さん(46)は、声を絞り出すように話した。身ごもった妻や子どもを守るために、仕事も地域の役員もやめて避難した。「被災当事者を交え、基本方針を協議する場を、定例でつくってほしい。今更だが、話を進めてほしい。それが私たちの希望であり、復興庁の誠意だ」

(東京新聞)



“超党派の議員提出で、衆院、参院とも全会一致で可決”した法律である以上、安倍自民党も、あれは民主党が、などと逃げることはできない。

 昨日国会参院議員会館に集まった市民の方を含む「原発事故 子ども・被災者支援法 市民会議」のサイトに、この件が詳しく書かれている。
「原発事故 子ども・被災者支援法 市民会議」サイト
 このサイトからもリンクされているが、この支援法成立後に政府がまったくのサボータージュをしていることは、国連の勧告を無視するものでもある。

「F to E Japan」の該当ページ

【共同アピール】
私たちは国連「健康に生きる権利」特別報告者の勧告を歓迎します
日本政府は勧告を受け入れてください
原発被害者の「生きる権利」を保障してください
抜本的な政策の見直しを行ってください

原発事故は終わっていません。多くの原発事故被害者が、故郷を奪われ、放射能 被ばくによる健康への不安の中での生活が強いられています。多くの避難者が、避難先での生活の再建ができずに苦しんでいます。

日本政府は「年20mSv」を基準とした避難政策を採用しました。これにより、多くの被害者が、「自主的避難」の名のもとに、賠償のあてもない避難を強いられました。さまざまな事情から避難したくても避難できずに高い汚染地域での生活を強いられている方々もたくさんいます。

現在、年20mSvを下回ると判断された地域は避難解除が進められています。

たとえば伊達小国地区の特定避難勧奨地域は昨年12月に、住民に何ら説明がなく、いきなり指定が打ち切りになり、その3か月後には賠償も打切りになりました。避難住民たちは「兵糧ぜめ」により、帰還を迫られている状況なのです。この点は、国連特別報告者の報告の通りです。

また、福島県県民健康管理調査に対しては、調査の対象が狭く、内容も不十分で、情報開示にも問題があることを多くの住民、専門家や弁護士が指摘してきました。これらの点の多くは、国連特別報告者の報告に含まれています。

さらに、昨年6月に制定された原発事故子ども・被災者支援法の基本方針は未だ策定されておらず、実施されていないことは国連特別報告者による報告の通りです。

今回の国連特別報告者アナンド・グローバー氏がまとめた報告書は、原発被害に苦しむ多くの人々と、多くの支援者の声をもとに作成したものです。

私たちはこれを支持し、歓迎します。

私たちは、日本政府がこの報告に真摯に耳を傾け、現在までの避難、賠償、健康対応に係る政策を抜本的に見直すことを求めます。とりわけ、この勧告に従い、追加被ばく線量1mSvを下回るまで、帰還が強制されないこと、賠償を継続すること、少なくとも追加被ばく線量1mSv以上の人々を対象とした健康調査を行うことを求めます。

また、原発事故子ども・被災者支援法の基本方針を速やかに策定すること、追加被ばく量1mSv以上の地域を支援対象に含めること、実施に当たって事故被害者の意見を真摯に聞き、取り入れることを求めます。
さらに、原発事故の収束作業員および除染作業員の長期的な健康管理に関して、被ばく量によらず国が責任をもって取り組むことを求めます。

2013年5月29日
「緊急集会 原発事故後の人権状況」参加者一同



 一部太字で再度確認。

“現在、年20mSvを下回ると判断された地域は避難解除が進められています。

たとえば伊達小国地区の特定避難勧奨地域は昨年12月に、住民に何ら説明がなく、いきなり指定が打ち切りになり、その3か月後には賠償も打切りになりました。避難住民たちは「兵糧ぜめ」により、帰還を迫られている状況なのです。この点は、国連特別報告者の報告の通りです。”


“今回の国連特別報告者アナンド・グローバー氏がまとめた報告書は、原発被害に苦しむ多くの人々と、多くの支援者の声をもとに作成したものです。

私たちはこれを支持し、歓迎します。”


 国連の勧告を無視、あるいは拒否ということでは、先日韓国の新聞報道で紹介した、従軍慰安婦についての橋下発言に関する国連拷問禁止委の勧告を無視したことを思い出す。

 日本が国連に反発する構図は、まさにあの戦争の前夜と同じではないか・・・・・・。


 あの3.11からしばらくして、私はブログにこのようなことを書いた。
2011年4月19日のブログ

 二週間ほど前の週末、連れ合いと二人で我が家の犬二匹と散歩に行った。いつもの散歩コースで、見慣れない子供たちが四人、男の子が二人と女の子が二人、我が家の犬を見て、「可愛いい!」と寄って来た。抱いて遊んで、普通ならそれで、「またね、バイバイ」なのだが、「一緒に行っていいですか?」と尋ねられ、その熱意(?)に負けてご一行様で町内の散歩をひと周り。
 途中で連れ合いが子供たちの言葉に気づき会話をするうちに、実は福島から地震のために親戚を頼って避難して来た子供たちだった。アパートは我が家のすぐ近くということも分かった。近くの小学校に転校したらしい。
我が家の前まで着て、犬たちとの別れを惜しむようにして帰って行った。

 そして、つい最近のこと。連れ合いが犬の散歩をしていた時。近所の顔見知りの子がいつものように犬を可愛がってくれたので、「最近、福島から転校した子がいるでしょう?」と聞いたら、その反応が不自然だったらしい。ある意味で、学校の“タブー”になっているような印象を受けたようだ。近づかないように言われているような気がした、と連れ合いは言う。

 ここからは推測も含めて書く。もしかすると、福島から避難して子供たちの級友たちが、誤った知識をもった親によって「あの子たちに近づかないほうがいい。放射能が移る」と言われている可能性がある。そうだとすれば、これは新たな“フクシマ差別”が起こっているわけで、由々しきことだ。



 あの子たちは、その後、いわき市にいると風の便りで聞いた。

 あの時は、被災者の方の避難先における差別について書いたのだが、今日では、政府から明らかに被災者の方が差別されているのだ。

 そして、安倍右傾化政府は、新たな公約で原発推進をあからさまにし、海外への輸出にも首相自ら乗り出している。

 目前に控えた参院選、大震災もフクシマも、重要な争点であるはずだ。なぜなら、3.11によって故郷を失い、仕事を失い、そして肉親を失った方々は、未だにこの国から真っ当な扱いを受けていない。


 今でも、犬の散歩の途中、あの子たちが避難していた近所の親戚の方のアパート近くに行くと、我が家の二匹は、しばし足を止める。アパートから歓声を上げてあの子たちが出てくるのを、しばらく待っているような素振りをする。彼らは、あの子たちが遊んでくれたことを、しっかり覚えているのだ。

 3.11のことを永田町はまるで忘れたようだが、その点に関しては、我が家の犬たちのほうが政治家より記憶力がいいと、私は思っている。


 現在の政府は、「成らぬもの」を成そうとし、「成すべきこと」を成そうとしていない。

 夏の参院選は、3.11の被害に今も心身ともに苦しむ市民の声を聞き行動できそうな政治家を支持しようと思う。
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by koubeinokogoto | 2013-06-22 09:04 | 原発はいらない | Comments(1)
韓国の主要新聞は、日本語版のサイトがある。中央日報の最近の記事では、原発納入業者による試験データ改ざん事件のことが興味を引く。
「中央日報」(日本語版)サイトの該当記事

書類偽造部品使用の韓国原発16カ所、追加で確認
2013年06月15日10時20分
中央日報/中央日報日本語版

検証書類が偽造された部品が原発16カ所に追加で供給されていたことが確認された。このうち現在稼働中の原発は9基。これを受け、これまで検証書類が偽造された部品が納品された原発(先月確認された2カ所含む)は計18カ所に増えた。

原子力安全委員会(原安委)は原発部品検証会社セハンTEPが発行した狭帯域水位測定器など5種類の部品検証書が偽造され、原発16カ所に納品されたことを確認したと14日、明らかにした。

原安委は「稼働中の原発9カ所に使用された部品は必須安全施設を補助する設備で、原発の安全性には影響がない」とし「原発の稼働を続けながら部品を試験する計画」と説明した。

しかし今回の原安委の措置は一貫性を欠いているという指摘が出ている。新古里(シンゴリ)2号機と新月城(シンウォルソン)1号機は先月末、書類偽造の制御ケーブルが供給されたことが確認された後、稼働を中断した。しかし今回は稼働を中断しなかった。

ソウル大原子核工学科のソ・ギュンリョル教授は「制御ケーブルは事故が発生した場合にのみ使用される装備。同じ論理ならば、先月末に新古里2号機と新月城1号機の稼働を中断するべきではなかった」とし「原安委が安全の問題より(原発稼働の中断による)電力難を意識したようだ」と述べた。

この日、追加で検証書類の偽造が確認された部品は狭帯域水位測定器・水素除去装置・放射能感知センサー・ケーブルアセンブリー・600Vケーブルの5種類。こらら部品は実際に原発で使用されるホウ酸水を使用し、冷却材喪失事故(LOCA)試験をすることになっている。しかしセハンTEPは一般水を使って試験した結果を提出した。こうした事実は原発不正を捜査中の釜山(プサン)地検東部支庁捜査団が関係者の供述を確保し、原安委に知らせたことで明らかになった。

原安委によると、冷却材を再使用するために貯めておく貯蔵槽の水位を測定する狭帯域水位測定器は古里4号機(稼働中)に納品された。狭帯域水位測定器は原発の運転に必須の広域水位測定機を補助する機能をする。

格納建物内で発生する水素を除去する水素除去装置は、現在稼働中の古里3・4号機、月城4号機、ハンビット2・3・6号機、ハンウル2・3・6号機と、整備中のハンウル4・5号機に使用されたことが確認された。東日本大震災当時に事故が発生した福島原発は、津波で発電機が浸水し、水素除去装置の稼働が停止したため爆発が起きた。

福島原発事故以降、韓国の原発には従来の水素除去装置のほか、電気供給が途絶えても作動する装備が設置されている。現在計18基に設置が終わったが、うち11基に書類が偽造された部品が使用された。原安委はこれら部品に対し、規定に基づきホウ酸水を使用した再試験を実施する方針だ。

このほか、放射能感知センサー(新古里1・2号機、新月城1・2号機)、ケーブルアセンブリー(新古里3・4号機)、600Vケーブル(古里1号機)は現在整備中または稼働が中断した原発に納品された。

一方、検察はこの日、08年に新古里1・2号機などに納品した原発制御ケーブルの試験成績書偽造を共謀した疑いで、セハンTEPのオ代表(50)と韓国電力技術のキム部長(53)を拘束した。オ代表は制御ケーブルの試験成績書を偽造し、会社から数千万ウォンを流用した容疑を受けている。キム部長は原発部品製造会社JS電線とセハンTEPの役職員とともに制御ケーブル試験成績書偽造を共謀した疑い。



 発電所の設計・エンジニアリング・調達・建設に関わる企業である韓国電力技術(韓電技術)の幹部が、この事件の真因は政府にある、と発言したようだ。
「中央日報}(日本語版)サイトの該当記事

韓国電力技術監査「原発不正は政策失敗のせい」
2013年06月18日10時40分
中央日報/中央日報日本語版

韓国電力技術の常任監査が原子力発電所の不正に対する政府の対策を正面から批判し、産業通商資源部を相手に監査を請求すると明らかにして波紋を呼んでいる。

韓電技術のキム・ジャンス常任監査は17日、「安全性より経済性を追求した原発政策、監督・承認機関のけん制装置が働かないようにした単一構造などが不正まん延の背景だ。政府の政策失敗が原発不正の原因」と主張した。彼は「1級以上の職員の辞表を強要するなど不当な圧力を加え韓電技術と職員の名誉を毀損した産業通商資源部のハン・ジンヒョン産業部第2次官らに対し監査院監査を請求する」と明らかにした。

キム監査は、「原発不正の構造的原因と再発防止対策」という文書も公開した。この文書は試験成績書偽造と関連し、韓電技術、JS電線、検収機関の3機関すべてが韓国水力原子力の下請けという単一構造になっており、牽制と均衡が深刻に毀損されたと指摘した。特に新古里(シンゴリ)1・2号機の制御ケーブル調達業務進行表を提示し、「韓電技術が試験成績書の検討要請を受けた時点が2008年1月22日で、最終納期日(1月30日)まで10日も残っていない時だった。韓電技術が『失敗』と判定すれば深刻な事態が起きる可能性があり、韓国水力原子力がこのような全体状況を知らずにいた可能性は全くない」と主張した。



 そして今日の記事。
「中央日報」(日本語版)サイトの該当記事

部品成績書偽造で韓国水力原子力幹部2人を逮捕
2013年06月19日10時52分
中央日報/中央日報日本語版

釜山(プサン)地検東部支庁原子力発電所不正捜査団は18日、JS電線が2008年に新古里(シンゴリ)原発1・2号機などに納品した制御ケーブルの試験成績書偽造に関与した容疑で韓国水力原子力の部長と課長を逮捕し取り調べていると明らかにした。

彼らは2008年1月に新古里1・2号機などに原発制御ケーブルの納品を9日後に控え、試験成績書承認機関である韓国電力技術の担当者から「セハンTEPが提出した試験成績書に問題がある」と報告を受け、「そのまま承認しろ」と指示した容疑を受けている。

検察は彼らを対象に、JS電線が1次試験で不合格判定を受けた2006年6月以後からセハンTEPなどと共謀して持続的に試験成績書を偽造した可能性があるとみて捜査中だ。検察はまた、彼らが部品の納品を受ける過程で韓国電力技術とセハンTEP関係者らに便宜を供与し金品を受け取ったかについても確認を進めている。

一方検察はセハンTEPの検証チーム長を私文書偽造と詐欺などの容疑でこの日拘束起訴した。検察はチーム長らを相手に試験成績書偽造過程で金品ロビーなどがあったのか確認するため口座追跡と会計帳簿分析に集中している。検察関係者は、「試験成績書偽造に産業資源部、韓国電力幹部が関与したのかも調査中だ」と話している。


 この件は、しばらく推移を見ていく必要があるが、原発を巡る不正に対しての調査体制、その後の言論の状況などは、韓国の方が日本よりずいぶんマシだと思う。

 日本的、韓国的、という言い方で済まされない問題が、日本のこれまでの原発を巡る不正への対処の仕方にはあった。
“私文書偽造と詐欺などの容疑”で拘束、という表現が紹介した記事中にあるが、日本では、同じようなデータ改ざんで、拘束や逮捕、そして立件されたことはあるのだろうか・・・・・・。


 これまでにも、原発を巡っては、数多くの事故隠しやデータ改ざんがあった。Wikipediaから一例を紹介する。
Wikipedia「原子力発電の事故隠し・データ改ざん一覧」

使用済み核燃料輸送容器データ改竄

1998年に、福島第二原発から六ヶ所再処理工場へ使用済み核燃料が運ばれたが、その際に使われた原燃輸送保有のNFT型輸送容器の中性子遮断財の分析データが捏造・改竄されていることが発覚した。改ざんは、発注側である原電工事がデータを分析した日本油脂に対して書き換えを指示して行われた。

科学技術庁は使用済燃料輸送容器調査検討委員会を設置して検討し、同年12月3日に報告書が発表された。報告書は改ざんを「許容し難い行為」「あってはならないこと」としたが、一方で「輸送容器全体としては、厳しめにみても遮断性能が安全の基準を満たすことが確認されている」とした。



 この事件(間違いなく事件だ)に関し、誰かが私文書偽造や詐欺容疑で逮捕された、という報道はない。

 韓国でのデータ改ざんは、 “釜山(プサン)地検東部支庁原子力発電所不正捜査団”という検察による調査、紹介した事例は、ご覧のように“科学技術庁使用済燃料輸送容器調査検討委員会”であり、明らかに同じ原子力ムラの組織による調査であって、検察は関わっていない。

 私は、日本の原発を取り巻く不正、そしてフクシマに関する事故原因調査に、なぜ検察が関わらないかが、素朴な疑問を感じている。

 フクシマに関しては、刑事告訴されてから検察が動いたが、立件しそうな成り行きではない。自民党広報誌の産経から引用。
産経新聞サイトの該当記事

原発事故、立件見送り視野 東電幹部ら「大津波想定せず」
2013.5.6 07:52 (1/2ページ)[原発]

 東京電力福島第1原発事故をめぐり、当時の東電幹部らが業務上過失致死傷罪などで告訴・告発された問題で、複数の同社幹部らが検察当局の任意の事情聴取に「実際に大津波が起きることは想定しておらず、事故は予見できなかった」などと、過失を否定する趣旨の説明をしていることが5日、関係者への取材で分かった。

 これまでの捜査で過失を裏付ける明確な証拠はなく、検察当局は対象者の立件見送りを視野に入れている。刑事処分は早ければ夏にも行う見通しだ。

 告訴・告発の大半は過失罪で「事故が起きる可能性を予見できたか」「事故を回避できる可能性があったか」の2点が重視される。

 関係者によると、検察当局の聴取に当時の東電幹部らは、津波対策の必要性について認識がなかったことを証言。事前の試算で15メートル超の津波が襲うことも想定されていたが、「あくまで試算で、実際に起きるとは考えていなかった」とし、事故は予見できていなかったとの見方を示した。



 東電が「事故を予見できた」として立件されたら、もちろん国の責任も問われることになる。検察がそこまで踏み込めそうにないのは、昨今の検察の不祥事や失態から、残念ながら予測できる。

 さて、韓国の主要新聞の日本語サイトには、下記からリンク可能。
日本語で読める韓国の新聞リンクサイト

 せっかくなので、リンクサイトに書かれた内容をご紹介。

日本語版の韓国新聞
 日本語で読める韓国新聞社のサイトへのリンク集です。

韓国の情報や韓国側からの日本の見方などが理解出来ます。
韓国の「三大紙」サイトの日本語ページをご覧になることができます。


中央日報
  財閥系の新聞社で、発行部数の首位をつねに争っています。

朝鮮日報
  植民時代からの歴史をもつ新聞社です。毎日新聞と提携しています。

東亜日報
  植民地時代からの歴史をもつ新聞社です。朝日新聞と提携しています。



 最後に、朝鮮日報の今日の記事からご紹介。「朝鮮日報」(日本語版)サイトの該当記事

記事入力 : 2013/06/19 09:33
慰安婦:日本政府、国連拷問禁止委の勧告を無視
「法的拘束力がなく、勧告に従う義務はない」


 旧日本軍による慰安婦の強制動員をめぐり、政治家たちの問題発言が続いているのに対し、積極的に反論してきた国連拷問禁止委員会(CAT)の勧告について、日本政府は無視する決定を下した。

 日本政府は18日の閣議で、CATによる勧告の受け入れについて問う議員の質問書に対し「CATの勧告には法的な拘束力がなく、当該勧告に従う義務があるわけではないと理解している」という内容の答弁書を採択した。CATは先月末、慰安婦問題をめぐる橋下徹・大阪市長(日本維新の会共同代表)の問題発言について「政府の当局者や公人が(慰安婦の強制動員に関する)事実を繰り返し否定していることは、被害者たちに再び精神的な傷を負わせる行為であるだけに、日本政府はこれに対し積極的に反論し、関連する事実を徹底的に調査すべきだ」と勧告した。

 これに対し、日本の市民団体「強制動員真相究明ネットワーク」は「国連や歴史的な事実を無視する恥ずかしい答弁書だ。政府が慰安婦の強制動員を証明するさまざまな資料を持っていながらも、これを隠している」と批判した。同団体は今月、衆議院議員会館でセミナーを行い「日本政府は旧日本軍の慰安婦強制動員を認め、被害者に対し賠償を行うべきだ」と求めていた。

東京= 車学峰(チャ・ハクポン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版



この件、日本の新聞は、まったく取り上げていない。

 ジュネーブで5月に開かれた国連拷問禁止委員会で、人権人道担当大使が「シャラップ(黙れ)!」と発言したり、橋下の発言について国としての潔い対応ができない日本は、人権を大事にしているとは、見なされていない。国民として大いに恥ずかしい、そして情けないことだ。

 テレビでの橋下とのやりとりをきっかけに、ギャグなのか本気で切れたのか知らないが退席して戻らなかった某タレントが、番組を辞めるとか辞めなとかいうことに時間やスペースを割くより、日本のメディアは伝えるべきことがあるはずだ。
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by koubeinokogoto | 2013-06-19 12:04 | 原発はいらない | Comments(0)
原子力ムラが、日本国民の血税をムダ使いしている記事を紹介。
朝日新聞サイトの該当記事

2013年6月17日5時46分
国の原発広報、事故後25億円 天下り・電力系7割受注

【大谷聡】東京電力福島第一原発事故後の2年間に24億8千万円分の原発の広報事業を国が行い、その7割近い16億3千万円分を受注したのは、経済産業・文部科学両省のOBや電力会社の幹部らが役員として在籍する法人だった。朝日新聞の調べでわかった。

天下り先に二重委託
 原発広報の事業費は電気料金をもとにした税金で賄われている。福島事故前と比べると総額は半分程度になったが、事故後も国が原発関係の宣伝をし、担当省庁の官僚OBや電力会社関係者がその利益を得るという構図が続いていた。

 この事業は、経産省の「原子力広聴・広報等事業」や文科省の「原子力教育支援事業」など。

 目的は「放射線の理解促進や原子力政策の情報提供で国民の信頼回復を図る」などとされる。経産省の事業は市民や原発立地地域が対象で、原子力研究者らの講演や放射性廃棄物のワークショップなどを開催。文科省の場合は放射線測定器の貸し出しや教職員への放射線セミナーのほか、新聞・テレビ広告などを行う。

 朝日新聞は両省の発注状況の資料を入手し、受注した法人側へも取材して分析した。それによると、2011、12年度に発注した原発広報事業は、経産省が49件計14億8千万円で、文科省は18件計10億円。民間企業や財団・社団法人など計34の組織が受注した。

 受注した組織の内訳を調べたところ、(1)両省のOBが理事に就任している6法人(2)現在は官僚の天下りはいないが、電力会社の役員や元役員が理事・監事にいる4法人——の計10法人が、事業費の66%にあたる33件計16億3千万円分を受注していた。残りは広告会社などだった。

 10法人の中で、両省OBが常勤役員で在籍し、報酬を公開している日本科学技術振興財団と原子力環境整備促進・資金管理センター、つくば科学万博記念財団の場合、常勤理事の報酬は年間1600万円程度という。



“10法人の中で、両省OBが常勤役員で在籍し、報酬を公開している日本科学技術振興財団と原子力環境整備促進・資金管理センター、つくば科学万博記念財団の場合、常勤理事の報酬は年間1600万円程度という”とあるが、役所からの天下り人物に1600万円という高額な報酬を支払う原資として、国民の血税が使われており、その内容がフクシマ後においても続けられている「原子力安全神話」づくりの「原発広報」なのである。

 記事には、国の原発広報活動に関する予算を受注していた主な法人の表があるが、朝日さんは「無断転載・複製禁止」と言っているので、もっとも多額の受注をしていた団体のみ、記すことにする。

 それは日本原子力文化振興財団である。
 二年間で計14件、五億五千万の受注。その組織には、もちろん電力会社や関係業界から天下りがある。

 ちなみに、現在の理事長である伊藤隆彦は、元中部電力株式会社代表取締役副社長、同社顧問。同財団のサイトから、この理事長さんのご挨拶を紹介する。日本原子力文化振興財団のサイト

日本原子力文化振興財団 理事長
伊藤 隆彦(いとう たかひこ)


 今から満43年前の1969年に「日本原子力文化振興財団」は設立され、この7月21日に創立44周年を迎えました。

 1950年代から60年代にかけて日本原子力研究所、大学などで多くの研究炉が臨界を迎え、1969年には、日本初の商業用原子力発電所東海1号機が操業開始し、また原子力船「むつ」が進水しました。

 まさに原子力平和利用の黎明期で、今後の原子力の平和利用には大きな期待がかけられていました。

 一方放射線は人間の五感では感知出来ません。さらに核分裂は従来の化石燃料の燃焼に比べ、桁違いに大きいエネルギーを生み出します。

 原子力に期待される便益は大きいものの、使い方を誤ると大きなリスクを顕在化させる可能性のあることを片時も忘れず、常に安全に対する備えを見直してゆかねばならないということです。 原子力を単に技術として取り組むのではなく、このような信念を持って取り組まねばならないということです。今から43年前、この概念を「原子力文化」と定義し、この「原子力文化」の社会への浸透・定着を目的として、「日本原子力文化振興財団」が設立されました。

 以来43年、日本の原子力利用は、医療、工業分野などでは、診断、治療、分析などの放射線利用分野で飛躍的発展を遂げ、エネルギー利用でも原子力発電が日本の電力供給の約3割を担うまでになりました。

 しかし、原子力の持つリスクの制御に失敗した、今回の東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だに大勢の地元の方々が避難先から帰れないでいる上、発電所の後始末がつくまでにはさらに30年から40年かかるといった深刻な事態を作り出しました。

 さらに、放射線の健康影響に対する不安も広く国民の間に広がりました。
 その結果、社会には、原子力の安全に対する大きな不信が生まれました。

 この原子力発電の持つリスクについては、東京電力福島事故の徹底的な原因の調査・検証を踏まえて、安全強化を図ることで、極力ゼロに近づけることがまず求められるのは言うまでもありません。

 そして、如何に安全を強化しても絶対安全はあり得ないことも、原子力発電を利用しないリスクとの比較で、国民に受け入れられるかどうかに原子力発電の今後がかかっているのではないかと思います。
 
 今後とも原子力を利用してゆくなら、「原子力文化」、つまり放射線の健康影響に対する正しい認識も含めて、原子力の持つ便益とリスクについての正しい認識が広く社会に浸透し定着することが欠かせないことを、今回の東京電力福島事故は改めて示したのではないでしょうか。

 東京電力福島事故を間近に見ながら、満44周年を迎えた「日本原子力文化振興財団」は、改めて設立の原点に返って、「原子力文化」の社会への浸透、定着を目指して努力して参ります。



 気になる部分を太字で再度確認。

“一方放射線は人間の五感では感知出来ません。さらに核分裂は従来の化石燃料の燃焼に比べ、桁違いに大きいエネルギーを生み出します”という文章、前半と後半の関係、理解できます?
 五感で感知できないから、怖いのだ。感知できないことが、桁違いのエネルギーと同様に、原子力の効用だ、と言いたいのだろうか。

“今後とも原子力を利用してゆくなら、「原子力文化」、つまり放射線の健康影響に対する正しい認識も含めて、原子力の持つ便益とリスクについての正しい認識が広く社会に浸透し定着することが欠かせないことを、今回の東京電力福島事故は改めて示したのではないでしょうか”という文章も、相当苦しい言訳だ。

 そもそも「原子力文化」って何?
 「文化」という言葉と、「原子力」とは、どう考えても相性が良さそうに思えない。

 司馬遼太郎は『アメリカ素描』の中で、“文明とは「誰もが参加できる普遍的なもの・合理的なもの」であり、文化とは「むしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもの」”と表現した。

 また、司馬遼太郎と林家辰三郎との対談集『歴史の夜咄』には、次のような会話がある。
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司馬 ともかく日本は、大思想や、普遍的な大文明を起こそうなんて考えずに、世界の文化の事務局として世界に貢献し、人類に貢献すればいい。
林屋 そうですね。そうなんだけれども、実はこれ、たいへんなことですね。世界の文化の事務局というのは、人種や宗教や文化に、偏見が少ない日本にしてはじめてできることでしょう。
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 “誰もが参加”できるかどうかは別として、「原子力」を「蒸気機関」や「化石燃料」などと同じ文脈での“動力源”として捉えるなら、「文化」よりは「文明」という言葉の方に該当するのではなかろうか。

 「文化」という言葉は、不合理とはいえ、女性が襖を開ける時に両膝を畳について両手で開けるほうが“美しい”と思ったり、「江戸しぐさ」として伝わる、“傘かしげ”“肩引き”“こぶし腰浮かせ”などに見出す、日本人の美意識について語られる時にこそふさわしいように思う。もちろん、こういった文化は、どんどん色あせているのだが・・・・・・。

 私が落語や江戸文化が好きなのは、先週土曜日の桂米二の落語会について書いたような、羅宇屋や歯入屋など、物を大事にリサイクルして使う日本人の生活の知恵や文化が、そこに現れているからでもある。
 たとえば、「もったいない」という言葉は、世界共通言語として普及する可能性がある。ノーベル平和賞受賞者のケニア出身の環境保護活動家ワンガリ・マータイさんは、「もったいない」という日本語を知り、その精神に同調して、『MOTTAINAI』という言葉を世界語にしようと呼びかけている。

 だから、紹介した対談にもあるように、日本は、「原子力」という「文明」などで世界に伍していくことより、“人種や宗教や文化に、偏見のない”数少ない国として、世界の中で存在感を示すことが大事ではないかと思う。
 過去の歴史的な積み重ねにより、たとえばイスラム文化圏においても、日本は結構尊敬と信頼を得ているように思う。しかし、安倍自民党が今進めようとしているシリア反政府組織への支援や、原発の海外への輸出促進は、その行為が人命や環境に悪影響を及ぼすことが必然であるがために、長い歴史の中で培ってきた他国からの日本への信頼を毀損するに違いない。


 さて、少し話が拡散しそうなので、あらためて日本原子力文化振興財団のことに戻ろう。
 この財団の他の役員と評議員の名簿を財団のサイトからダウンロードできるので、ご紹介。日本原子力文化振興財団サイトの該当ページ

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 理事の奈良林直については、以前に書いたことがある。2011年7月11日のブログ
 2011年の7月9日の夜、NHKスペシャルでは、“シリーズ「原発危機」の第三回”が放送されたが、彼はパネリストの一人として出演していた。その番組で奈良林直は、日本をジャンボジェット機に例え、「一億三千万人が乗っているジェット機のエンジンの30%は原発。原発を動かさないと、エンジンを失った一億三千万人が乗っているジェット機は失速して墜落してしまう」とか、「原発という55基すべてのエンジンが止まったら、ジェット機が失速して大きなリスクに晒される」などと発言したが、どこからそういう発想が生まれるのだろう。他の番組でもプルトニウムの危険性を塩と同じように語ったものである。
 あんな御用学者が理事の組織である、自ずとその正体が知れる。

 評議員名簿にも懐かしい(?)名前を発見した。鈴木篤之だ。“もんじゅ”を所轄する日本原子力研究開発機構の理事長を務めていたが、1万近くの点検漏れが発覚して原子力規制委員会から機構の責任を明確化するよう求められ、5月に理事長を辞任したばかりである。日本原子力文化振興財団は、役員や評議員の報酬を公開していないようだが、さて鈴木篤之に、間接的とは言え我々国民の税金を使って、いかほどの報酬が支払われているのだろう。
 1992年11月号の『世界』に掲載されたこの人と高木仁三郎との対談を紹介したことがある。
2011年4月14日のブログ
 あらためて一部引用したい。
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高木 十数年の歴史があるというけれども、それは全然安心するに足るような歴史ではない。原子力の場合には、環境に著しい影響を与えるようなことがあってはいけない、それは当たり前のことです。しかし、それが破れるケースが往々にして現実にある。
鈴木 だけど日本の場合はなかった。
高木 たまたまいままで日本の場合にはなかったですけどね。
鈴木 たまたまというより、外国と比べた場合その考え方が徹底しているのだと思う。
高木 それはどこの国だってみんなそのつもりでやっている。ところがそれがいったん破綻すると、その破綻した段階でその国の技術や考え方が駄目だったということになる。しかし、東欧や旧ソ連を除いたとしても、西側の国でいえばみんな同じレベルだと思う。それでもアメリカでは高速増殖炉のフェルミ炉(閉鎖)の事故があったし、再処理工場に関しては、イギリスのセラフィールドでたびたび事故を起こし、環境をひどく汚染している。アメリカの軍事用再処理工場などの稼動後の汚染状況もさんたんたるものだ。
 日本はまだそんなに長い経験があるわけではないし、外部に重大な放射能こそ漏れなかったけれども、再処理工場はいままでの過程で随分トラブルがあり、稼働率だって高くない。いい実績と言えるものではない。ましてや高速増殖炉に関しては、発電炉という意味では「もんじゅ」(原型炉・28万kw)が最初で、「常陽」と比べてシステムも格段に大きくなる。しかも、「もんじゅ」は運転開始に至る過程で幾つかのトラブルをすでに起こしていて、運転開始が遅れている。この実績では、かえって逆に不安になりますね。
鈴木 私は実績があるから即安全だと言っているのではなくて、逆なんです。安全のために実績をできるだけ生かすことが重要なんだと言っているのです。
 たとえば東海村の再処理工場のトラブルの話をおっしゃいましたが、確かにそういう故障がありました。おそらく設計したときにはあんなにすぐ材料が腐食すると思っていなかったでしょう。ところが、ではそれが環境に著しい影響を及ぼしたかというと、及ぼしていない。だから、そういう想定できなかったようなことが仮に起きたとしても、大きな事故にならない。そこが大事だ。
「もんじゅ」についてですが、現在の軽水炉と比べた場合、ナトリウムを使うという点が安全性の面では最も重要ですから、その点では、「常陽」の経験を生かすことができますと、そう申し上げたのです。
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 スリーマイル、そしてチェルノブイリを経た時期の原発の安全性に関する対談で、鈴木篤之は高木仁三郎に、このように発言していた。「もんじゅ」について、過去の経験を活かすことができていたら、彼は日本原子力研究開発機構の理事長を辞任することはなかったろう。しかし、その鈴木篤之は、日本原子力文化振興財団という「原子力神話」「国民洗脳」を担当する組織に席を置き、あらためて国民をだますことに加担しようとするのだろうか。

 この財団や他の天下り組織の悪事については、大震災とフクシマのあった2011年にも書いたことがある。
2011年12月8日のブログ
2011年7月26日のブログ

 これらの過去のブログで、この財団が、過去に「国民洗脳マニュアル」をつくっていたことを暴いた、講談社の「現代ビジネス」サイト内の記事も紹介したが、その内容をあらためて引用したい。
「現代ビジネス」サイトの該当記事


2011年07月26日(火) 週刊現代
税金で「国民洗脳マニュアル」を作っていた
呆れてものが言えない「原発推進」行政


史上最大規模の事故が起きたというのに、お構いなしに原発推進を叫ぶ人々がいる。原発がなければ経済が成り立たない。電気が足りなくなる・・・。ちょっと待って欲しい。それ本当に自分自身の考えですか? 誰かに「洗脳」されてませんか?

事故は原発推進のチャンス

〈停電は困るが、原子力はいやだ、という虫のいいことをいっているのが大衆である〉

〈不美人でも長所をほめ続ければ、美人になる。原子力はもともと美人なのだから、その美しさ、よさを嫌味なく引き立てる努力がいる〉

〈繰り返し繰り返し広報が必要である。新聞記事も、読者は三日すれば忘れる。繰り返し書くことによって、刷り込み効果が出る〉

〈原子力がなければどんなことになるか、例をあげて説明するのがよい〉

 文面から溢れる傲慢、不遜、〝上から目線〟に、開いた口が塞がらない。同時に、3月11日以降、我々がずっと違和感を持ってきた、「原発擁護論」の不可解さに通じるものがあることに気付く。

 実はこれは、「日本原子力文化振興財団」がかつてまとめた、原発推進のための〝国民洗脳マニュアル〟の一部である。

 同財団は、文部科学省、経済産業省という、国の原子力推進のツートップ官庁から業務委託を受け、「原子力への国民の理解増進に寄与するため、様々な広報活動を展開」(同財団事業報告書)する組織だ。


 役員名簿には、電気事業連合会の幹部の他、東京電力の清水正孝前社長、関西電力の八木誠社長、佃和夫・三菱重工会長、西田厚聰・東芝会長など、電力・メーカー幹部の名前がずらり。東京大、大阪大などの名誉教授クラスも、理事に名を連ねている。

 その運営の元手となる事業活動収入は、こうした会員企業・団体からの賛助金のほか、文科省、経産省からの受託事業による。'09年度の決算ベースで、そうした受託事業収入の総額は約3億2300万円に達し、同財団の年間収入の34.1%を占めている。

 つまり、この財団は〝原子力村〟からの上納金と、「税金」によって運営されているわけだ。そのカネを使って何をしていたのか。冒頭で紹介した「洗脳マニュアル」のようなものを作成し、原子力の〝安全神話〟を撒き散らしていたのである。

 問題の文書は、'91年に旧科学技術庁の委託を受け、同財団がまとめた『原子力PA方策の考え方』。PAとはパブリック・アクセプタンスの略で、「社会的受容性」などと訳される。簡単に言えば、「原子力への理解を一般大衆に広めよう」という目的で作成された文書、ということだ。

 検討委員会に参加していたのは、当時の財団幹部、科学技術庁の原子力推進担当者に加え、読売新聞の論説委員、電気事業連合会の広報部長、メーカーの宣伝担当、シンクタンク研究員ら。議論は20年前のものだが、原子力村の国民を愚弄した思考法、手口がよく分かる資料だ。



 役員の顔ぶれが替わろうと、この財団が「原子力神話」を普及させるために税金が使われてきた構造は、フクシマの後でも、まったく変わっていないということである。

 同財団のサイトには事業活動が次のように記されている。
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主な事業活動

● 内外情勢の調査研究
● 報道関係者を対象とする情報資料の作成、原子力講座の開催、取材協力
● 中学・高校の生徒や教育関係者を対象とする啓発普及活動の実施
(高校生対象の放射線実習セミナー、教育関係者対象の原子力講座等の開催)
● 地方自治体職員や議会関係者を対象とする原子力講座等の開催
● 一般市民との懇談会や原子力に関する情報資料の提供、質疑応答
● 科学技術週間や原子力の日記念行事の開催
● 国際交流の促進
● 原子力関係VTR、写真等資料の提供、貸出
● 各種広報素材(出版物、VTR)の作成、頒布
● 原子力施設見学会
● 放射線実習セミナー
● 講演会
● 講座・研修会
● 懇談会
-----------------------------------------------------------

 フクシマの後で、この財団の上記のような「国民洗脳」のための活動に、国民の税金が使われていることを許すことはできない。そして、その収益から、原子力ムラのOBたちに高額な報酬が支払われていることに、納税者は明確に抗議するべきだと思う。

 最後に、なぜ過去のブログからの引用やリンクをしているかというと、大震災やフクシマが風化されようとしている危機感を覚えるからだ。ちっぽけなブログながらも、私自身が3.11の後に書いてきた内容を再検討し、もう一度明るみに出す価値がありそうなネタを含めて、政府とマスメディアの3.11風化作戦に対抗したい、そんな気持ちなのである。
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by koubeinokogoto | 2013-06-17 07:39 | 原発はいらない | Comments(2)
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 最終回は、少し復習から。

 ユタ大学のジョゼフ・ライオン博士らが、“ユタ州の小児ガン”に関する調査をした際、その期間を次の3つの区分で行ったことはすでに紹介した通り。

 Aは、1944~50年の七年間
 Bは、1951~58年の八年間
 Cは、1959~75年の十七年間

 そして、このB期間での小児ガンの発生が、他の期間の3倍だったとの調査結果が報告された。

 このB期間には次のように、約百回近くの核実験がユタ州のお隣ネバダで行われていた。

〔ネバダでおこなわれた大気中の核実験〕(公表されたもの)
 1951年  11回
 1952年   8回
 1953年  11回
 1955年  16回
 1956年   1回
 1957年  26回
 1958年  24回 合計97回


 しかし、B期間を過ぎても発生された“死の灰”は残るし、その後の地下実験においても、いわゆる“ウェスタン3州”は大きな被害を受けていた。

 ジョン・ウェインではなく、スティーヴ・マックィーンの登場。

 スティーヴ・マックィーンの場合はどうであろう。
 彼は世代が若く、デビュー作の『傷だらけの栄光』が1958年に公開されているほどだから、核実験の影響はほとんど受けていないと考えられる。この年を最後に、大気中の核実験はおこなわれなくなったのである。
 三州に関係の深い彼の出演作品として、その名もズバリ『ネバダ・スミス』があるが、この映画がつくられたのは1966年である。B期間が終って八年を経た当時すでに、放射能の汚染はネバダの砂漠からあとかたもなく消え、ロケ地は綺麗(クリーン)だったのか。
 核関係の書物をひもとけば、
 —B期間完了後、ネバダでは大気中のテストが一発もおこなわれず今日に至っている—
 と書かれている。しかし、いま手許にある核実験の記録文書(アメリカ合衆国エネルギー省ネバダ作戦事務所、1980年作成)には、『ネバダ・スミス』のわずか4年前(1962年)の7月7日・14日・17日の3回にわたって、“リトル・フェラーリ”、“スモール・ボーイ”、再び“リトル・フェラーリ”が大気中で実験されたと記録されている。



 「アメリカ合衆国エネルギー省」の“ネバダ作戦事務所”が作成した資料は次のURLからダウンロードできる。
「アメリカ合衆国・エネルギー省」サイトの該当ページ
 本書で述べられているよりも新しい、2000年に作成された資料「DOENV_209_REV15」にも、“Small Boy”と“Little Feller”(フェラーリではなくフェラー、意味は“きこり”)のことが、しっかり“above ground”(地上)と記録されている。
 しかし、“Little Feller Ⅰ”が7月17日で、“Little Feller Ⅱ”が7月7日、と記載されているのかが、疑問。単純な記載ミスかもしれない。
 いずれにしても、“Slightly”(わずかに)とは書いているが“above ground”、地上(=大気中)実験と記されている。

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 では、大気中ではなく、地下での核実験なら安全なのか・・・・・・。決してそんなことはなかった、ということをご紹介。

 また、最近の地下(モグラ)核実験が死の灰をまき散らさないと考えるのは、早計である。地下テストでは、ヒロシマ型の何十倍、何百倍という巨大な規模の原水爆も使われている。地上で爆発させれば、火の玉一個がさしわたし五キロメートといった、想像もできない巨大なものになる。五キロにおよぶ火の玉とは、どのようなものであろうか。それをわずか地下一キロの位置で爆発させると、その巨大なエネルギーは最も弱い方向、つまり上に向かって集中する。大地を吹き飛ばして死の灰が大量に外にあふれることは、容易に想像がつく。それは、空高く吹きあげる。
 1980年になって、ネバダ実験場作戦事務所のマーロン・ゲイツ将軍がウェスタン3州の住民をはじめとする被害者の公聴会に臨んでついに証言したのは、
「これまでの地下テストで、40回にわたって死の灰が外に噴出している」
 という恐怖の事実だったのである。


 B期間の後にも、ウェスタン3州は汚染され続けたのだ。地下一キロで、ヒロシマやナガサキよりも何倍も強力な核爆弾を爆発させていた実験で、空中に放出された死の灰は、あのハリウッド・スターの身にも降りかかった。

 マーロン・ゲイツ将軍への質問部分から。

「確かに40回なのか」と詰問された将軍は、口ごもりながら、
「色々な実験があって、実のところ自分にもよく分かっていない」と答えた。
 環境モニター研究所のリチャード・レスター博士も、
「“レッド・ホット”というテストでは、地上で死の灰を測定しても大したことはなかったのだが、上空のサンプルの中から死の灰が検出された」と奇妙な証言をおこなった。
 この“レッド・ホット”が炸裂したのは、『ネバダ・スミス』と同じ年である。スティーヴ・マックィーンはその時、どこに居たか。実は、『ネバダ・スミス』が撮影されたのいは、ネバダ州ではない。実験場“ヤッカ台地”から目と鼻の位置にあるカリフォルニア州の森林公園と峡谷が、ロケ地として使われたのだった。
 (中 略)
 もうひとつ、スティーヴ・マックィーンにとって不幸があった。地下テストに入ってから、軍部は必ずしもセント・ジョーズ方面を風下に選ばなくなっていた。彼らが望んだのは、風による因果関係ができるだけアイマイになる実験だった。
 1970年の“スナパー”というテストでは、噴出した放射能雲が空高く昇ってゆき、北東に向かう風に乗ってソルトレイク・シティーの方角へ走りはじめた。これを飛行機が追跡した行ったところ、140キロばかりのところで見失ってしまったのである。なぜ見失ったか。
 飛行機はその位置でストームに出会ったのだった。放射能雲も、そこで乱れてしまったからパイロットを責められない。これは不可抗力による止むを得ない結果だった。だが、なぜストームに出会ったか。
 軍部はストームの発生を知り、わざわざその日を実験日に選んでいたからである。死の灰を散らし、問題をアイマイにしようとする意図がわかる。 
 これが近年の核実験の常套手段になりつつある。

説明するまでもないだろうが、ストーム(storm)とは“嵐”のこと。

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 砂漠を背景にスティーヴ・マックィーンの写真を配したポスター。この砂漠はカリフォルニア州の森林公園と峡谷で、撮影中には、地下核実験で空中高く舞い上がった死の灰が、風やストームに乗って俳優たちに降り注いでいたのである。

 1980年11月7日に、満50歳の生涯を終えたマックィーンの死因については、『トム・ホーン』撮影中に中皮腫が見つかっており、その原因として海兵隊時代に乗務した戦艦の船室の内装や、趣味のカー・レースの耐火服などに使われていたアスベストの存在が指摘されている。しかし、映画撮影中に降り注いだ死の灰の影響も、決して否定はできないだろう。

 あくまで偶然だが、昨日、スティーヴ・マックィーンの映画の吹き替え役であった内海賢二さんが、癌で亡くなったなぁ・・・・・・。


 さて、そろそろこのシリーズもエンディングが近づいてきた。

 ジョン・ウェインの『征服者』のことに話は戻る。この映画のロケ隊は、ロケ地で災難にあったばかりではなく、ハリウッドに災難をもたらす“お土産”を持ち帰っていた。

 『征服者』のロケ隊は、60トンにものぼる土砂を、スノウ・キャニオンからハリウッドのスタジオに持ち帰った。これは単なる土砂ではなく、3年間におこなわれた30発の原爆実験が降らせた、死の灰のエッセンスだった。『征服者』の追加撮影が終ったあと、その土砂はどこへ行ったのだろうか。
 土砂はハリウッド一帯に、適当に散布されたのだった。当然のことながら、現在でもその一帯から放射能が検出されている。
 そこには華やかな映画スターでけではなく、彼らの家族、名作を生み出してきた名高いプロデューサー、シナリオ・ライター、編集者、デザイナー、作曲家たちが住んでいる。彼らは、あついはロケの現地まで映画スターと行を共にし、あるいはハリウッドのスタジオで、現場をあやつってきた。
 この人たちは何も影響を受けなかったのか。
 『征服者』が持ち帰った“死の灰”には、プルトニウムやストロンチウムのように、さまざまな発癌物質がまざり合っていただろう。
 このうち、プルトニウムは特異な性質がある。プルトニウムから出る放射能は、生体の細胞に作用して、そこから癌細胞を増殖させる力がとび抜けて大きい。
 ハリウッドにばらまかれた土砂のなかには、このプルトニウムが大量に入っていた。
 それから1984年までに、30年の歳月が流れた。しかし1994年になっても、ロケ時代から四十年である。プルトニウムは、2万4千年経っても半分にしか減らないから、30年後や40年後では、当時から一パーセントも欠けないことになる。99.9パーセント以上が、『征服者』ロケの時代から引き継がれたまま、ハリウッドの大地にあるに違いない。



この文章の後に、癌や腫瘍、白血病で亡くなったハリウッドの映画関係者の名がしばらく続く。

1957年 
ハンフリー・ボガート(喉頭癌)—ウラン採掘の物語『悪魔をやっつけろ』に出演した。『カサブランカ』の名優
1960年 
ダドリー・ニコルズ(癌)—『駅馬車』以来フォード監督と組み、B期間中に数々のウェスタンを生み出した脚本家
1961年 
フランク・ボーサージ(癌)—ユタ州ソルトレイク・シティー生まれの名匠
1962年 
チャールズ・ロートン(腎臓癌)—英国の俳優だが、ハリウッドに招かれて数多くの作品に出演した。『情婦』の名優
1963年 
ジャック・カーソン(癌)—B期間中に活躍したコメディアン
ザス・ピッツ(癌)—『おかしな・おかしな・おかしな世界』の出演女優
1965年 
ジュディー・ハリデイ(癌)—レビューのダンサーとして有名なオスカー女優
1966年 
バスター・キートン(肺癌)—チャンプリン、ロイドと並ぶ喜劇王。『おかしな・おかしな・おかしな世界』にも出演
エド・ウィン(頸部腫瘍)—『偉大な生涯の物語』に出演した男優
ウォルト・ディズニー(肺腫瘍)—前記3州ロケ作品のほか、『幌馬車隊西へ!』など数多の西部劇を製作した漫画王
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 では、ジョン・ウェイン本人のことについて。

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 『征服者』の三年後に公開された『リオ・ブラボー』は、史上最も面白い西部劇の一本に数えられている。
 「ヘイ・チャンス!」とリッキー・ネルソンが声をかけながら、ライフルをほうり投げる。それを見事に受け取りざま連射したジョン・ウェインの姿は、この映画全体に使われているさまざまの愉快なトリックと共に、忘れ難いものである。
 監督のハワード・ホークスは、ゲイリー・クーパーが最初にアカデミー賞を受けた『ヨーク軍曹』、マリリン・モンローの『紳氏は金髪がお好き』といった映画も手がけている。
『リオ・ブラボー』の面白さは、単なる人殺しではなかった。
 数々のシナリオ・トリックといずれも忘れられぬ三つの曲、加えて助演者ディーン・マーティンの与太者ぶりとウォルター・ブレナンのユーモアが図抜けていた。この作品でブレナン爺さんがなぜアカデミー賞を受けないのかと残念に思って人もあろう。しかし彼は、すでに『大自然の凱歌』でアカデミー協会に“助演賞”を新設させる名演技を示し、そのあと一年おきに、合計三回も助演男優賞を受賞している。
 この『リオ・ブラボー』が撮影されたのも、西部三州のひとつ、アリゾナである。『征服者』のロケと同様、ここでもはげしい砂塵が吹き荒れ、馬が咳きこんでジョン・ウェインの声が聞きとれないほどだった。

 『リオ・ブラボー』公開の翌年(1960年)、ニュー・フロンティア精神をキャッチ・フレーズに、大統領選挙でケネディーが劇的にデビューした。
 しかしジョン・ウェインはオールド・フロンティア精神を愛し続け、その年、超大作『アラモ』を自ら製作した。
 (中 略)
 彼がロケ中に『リオ・ブラボー』の馬と同じように烈しく咳きこんだのは、ケネディー大統領が暗殺された翌年(1964年)のことである。しかもその症状は、馬に飲ませたような咳どめでは効かない種類のものだった。


 核実験による放射能にまみれたウェスタン三州での撮影で、ジョン・ウェインの体が次第に蝕まれていった。

 そして、彼の晩年の姿について。

 すでに1964年に肺ガンの切除手術を受けていたジョン・ウェインが、今度は胆のうの手術中に胃ガンを発見され、ほとんど半日近い大手術の末にその胃を切除されたのは、『ラスト・シューティスト』から三年後の、1979年一月十二日のことである。現職のカーター大統領に対して、ジョン・ウェインの支持をバックにレーガン候補が強烈な選挙戦をくり広げている最中だった。
 ともかく一応の手術は終り、三カ月後にジョン・ウェインは、アカデミー賞の授賞式にプレゼンターとして姿を見せた。だが、その時、ワイシャツのカラーから出ている首は鶴のように細く、これがあのタフ・ガイであるとは信じられないほどだった。

(中 略)
 授賞式の四月九日からひと月も経たない五月一日、腸閉塞のため入院し、今度は腸が切除された。しかしその時、癌細胞が腸に広く転移していることがわかり、さらに大掛りな切除をしなければならないことが明らかになったが、医師はそれ以上の手術を危険と判断した。その結果、ジョン・ウェインの生命は、きわめて深刻な事態となったのである。
 五月四日、表面的には、かなり体調の回復はみられたが、ここで彼は死を覚悟したのか、実験的な治療法を試みることに同意した。
 翌五日には、カーター大統領が病室を見舞い、九日には、廊下を歩くほどに回復した。
 五月の末には、同じガン病棟に暮らしている仲間たちの救済について家族と語り、ガン基金設立を真剣に論じ合った。
 だが六月九日、容態が悪化し、翌十日には、昏睡状態と激痛の発作がくり返された。このときジョン・ウェインは、痛みどめの注射をことわった。
 注射をすれば、痛みはおさまるが、同時に意識を失うことも知っていたからだ。ベッドのまわりには七人の子供たちが見守っている。
 自分には、残された時間があるのだろうか。
 プロテスタントからカトリックに改宗し、カトリックの神父を呼んだ。
 
 だが、翌日・・・・・・1979年六月十一日、夕刻五時二十三分、ジョン・ウェインはこの世を去った。



 ジョン・ウェインが死の二か月前にプレゼンターとして出演した第51回のアカデミー賞で、彼がオスカーを渡した作品賞受賞作は、あのベトナム戦争を扱った傑作『ディア・ハンター』だった。ベトナム戦争を支持してきたジョン・ウェインは、無言でオスカー像を渡したらしい。

 ジョン・ウェインの最後を紹介し、命日から書き始めたシリーズも、これで締めたいと思う。

 数多くのハリウッド・スターが癌や白血病で亡くなったことを、ネバダ砂漠での核実験が原因であると科学的に証明することは、非常に難しい。この本をはじめ広瀬隆の著作を“トンデモ本”として非難する声もないではない。“原子力ムラ”から蛇笏のように扱われてもいる。

 たしかに核実験は、あくまで“状況証拠”なのかもしれない。しかし、少なくとも、核実験によって死の灰が巻き散らされた空気や砂塵を吸うことは、決して“普通”の状態とは言えないだろう。

 憲法改正に関連し、“普通の国”という表現を改憲派は口にするが、“普通”とはいったい何なのか。

 本来地球上に存在しなかった放射性元素を核分裂を人工的に起こして作り出し、その莫大なエネルギーを戦争や電力に使うことで、多数の犠牲者を出したり、地震や津波という天災による巨大システムの暴走に怯えて生活することを、私は“普通”とは思わない。

 その“普通ではない”状況をしっかり確認していくことは、非常に大事なことだと思う。

 つい長くなった今回のシリーズ、お付き合いいただいた方に、深く感謝申し上げます。
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by koubeinokogoto | 2013-06-14 00:50 | 原発はいらない | Comments(2)
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 さぁ、シリーズ三回目。

 1957年のネバダの核実験に参加したのが自分の白血病の原因だ、と公表したポール・クーパーの勇気ある行動は、当時のアメリカの政治状況をも味方にして波紋を広げた。

 ポール・クーパーに続く者が全米でつぎつぎに名乗りをあげはじめ、モヤモヤしていたものが一挙に吹き飛ばされた。
 ポール・クーパーは、かつてベトナムの戦線で“グリーン・ベレー”として活躍した。格別優秀な落下傘部隊の軍曹だった。このグリーン・ベレー隊員が、正義の国アメリカを敵にまわして戦いを挑むには、世論の助けが必要でもあった。
 クーパーが立ちあがった行動は、ビートルズのジョン・レノン、女優のジェーン・フォンダ、フォーク歌手のジェーン・バエズらをひとつのシンボルとして、大衆が反戦デモをくり広げ、戦場から帰還した兵士がベトナムでの戦争犯罪を告発したあと、ウォーターゲート事件によるホワイトハウス威信の失墜からサイゴン陥落へとつながる、時代の流れの線上にあった。
 (中 略)
 さらに皮肉なことには、ウォーターゲート事件で“人の秘密を盗みとる”スキャンダルを露見されたニクソン本人が、大統領就任二年目(1970年)に、それまでは最高機密扱いにしてきた原水爆関係の国家資料を、かなりの範囲にわたって公開できるようにしていた。


  
 このポール・クーパーの勇気がもたらしたものの一つが、すでに紹介した、次の情報である。

〔ネバダでおこなわれた大気中の核実験〕(公表されたもの)
 1951年  十一回
 1952年   八回
 1953年  十一回
 1955年  十六回
 1956年   一回
 1957年 二十六回
 1958年 二十四回 合計九十七回


 ポール・クーパーの体を張った行動もあって、やっとネバダでの核実験の真実が暴かれた。

 その元軍曹、元グリーンベレーのポール・クーパーの最後はどうだったのか。二年あまりの間に三度の危篤状態を乗り越えたポールも、最後の時を迎えた。

 葬儀の時、トランペットが吹奏された。そのメロディーは、『地上(ここ)より永遠(とわ)に』で、モンゴメリー・クリフトがラッパを口に当て、双の頬に涙をつたわせながら全部隊に聞かせた。あの物悲しい曲である。このあと、軍人が星条旗をおろし、四つに折り畳んでナンシー未亡人に手渡そうとした。だが彼女は、アメリカ合衆国の国旗を受け取ることを拒否したのである。その拒否は力強いものではなく、いまにも地面にくずれおれ、泣き伏してしまいそうな、悲しみに満ちた拒絶だった。


 ポール・クーパーの夫人ナンシーが星条旗を手渡されそうになった時の心境は、いったいどんなものだっただろう。
 夫が人生の大半を文字通り体を張って捧げてきたアメリカという国の象徴である星条旗を見ながら、彼女の脳裏には、「夫は、国のために尽くしてきたのに、その国に殺された・・・・・・」という思いがよぎったに違いない。

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 画像は、1954年に米空軍が作成したドキュメンタリーの中の一カット。核実験による最初の犠牲者は、「アトミック・ソルジャー」と呼ばれた彼ら兵士である。

 ネバダの核実験の11番目のシリーズとなる1953年の「アップショット・ノットホール作戦」については、wikipediaで下の写真を含め詳しい説明がある。
Wikipedia「アップショット・ノットホール作戦」

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 同作戦の中の1953年5月8日のアンコール実験で戦闘部隊本隊と連絡を取り合う陸軍通信部隊の写真である。実験場のすぐそばにいて、ほとんど防備していない様子がわかる。

 なお、アメリカのエネルギー省のサイトで、原爆実験の写真などのライブラリーを見ることができる。次のような写真(1958年の実験)が数多く掲載されているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
「アメリカ・エネルギー省」サイトの該当ページ
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 ポール・クーパーが参加した1957年の核実験では、防護マスクなども着用していただろうが、そんなものが、どれだけ役に立ったのだろうか。

 さぁ、ポール・クーパー達は核実験場の間近で放射能を浴びたわけだが、もちろん、その被害はその周辺にも広がった。放射能は風に乗って、州境だって国境だって超えるのだ。

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 あらためて、核実験のあったネバダ、ユタ州南西部のモルモン教徒の町セント・ジョージ、ジョン・フォードがロケ地として好み、ジョン・ウェインも『征服者』のみならず数多くの撮影で訪れたユタ州南部からアリゾナに広がる“モニュメントバレー”などの位置を確認。

 この地図を見て、きっと次のようなことに気付くだろう。

 「おっ、これじゃ、東や北の風が吹いたら、死の灰はロサンゼルスなどにも撒き散らされるではないか!?」

 もちろん、その通り。では、核実験はどのような条件を元に行なわれたのか。

 ネバタでおこなわれた大気中の核実験はきわめて広い範囲に死の灰を降らせた。
 原爆が爆発すると発ガン性を持った死の灰が降ることを、1950年代のはじめに当局は知っていた。この死の灰を浴びると、人間の体にさまざまな障害が出るという危険性はすでに数多くの調査実験によって明らかにされていた。ニューメキシコ州で、広島で、長崎で、ビキニで、人類の今まで知らなかった死の灰が与えるおそろしい影響が克明に観察され、それが放射能という単位で測定される“特殊なエネルギー”によるものであることがすでに突きとめられていた。
 そこで軍部、原子力エネルギー委員会、大統領たちは、人口が密集している地域に死の灰が降らないように配慮した。ネバタに隣接する州のなかでも、特にハリウッドを含むロサンジェルスなどの大都市を避けるため、カリフォルニア州に向かって風が吹いている時は、一度たりとも実験をおこなわなかった。
 この法則はまた、ネバダ州内で最も南のほうにあるギャンブルの街、ラス・ヴェガスに対しても適用された。たくさんの人間が集まるその街に、死の灰が降ってはならなかったのである。ラス・ヴェガスは、今でこそギャンブルの町として悪名を轟かせているが、もともとはモルモン教徒が布教センターとして設立した最も神聖な町であった。この聖地が俗悪な賭博場の町に変ったために死の灰を受けなくなったのは、ソドムとゴモラが繁栄する現代に、いかにも象徴的な史実である。



 ビバリーヒルズに住むお金持ちを含め、ロサンジェルスやラス・ヴェガスのような人口密集都市への被害を防ぐため、核実験は風向きを相談しながら行われたわけである。


 さて、もう“ジョン・ウェインはなぜ死んだか”という疑問については、ほとんど答えが出ているようにも思うが、彼のみならず、どれだけのハリウッド・スターが、大気中の原爆実験において風向きを考慮しハリウッドに死の灰が降るのを避けたにも関わらず、癌や白血病で亡くなったのか、などについては最終第四回で書くことにしよう。
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by koubeinokogoto | 2013-06-13 00:27 | 原発はいらない | Comments(0)
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 昨日の命日に書いた内容の締めに“序”と書いたが、どうも二回程度では終わらなさそうなので、番号をつけてシリーズ化していくことにする。三回、あるいは四回に分けて書こうと思う。では、その二回目。

 第一回のユタ大学ライオン教授の調査に関する文章の中で“セント・ジョージ”という地名があった。この町で起こった異変についてご紹介。

 セント・ジョージの葬儀屋エルマー・ピケットは、町の異常に気づいていた。それは、『征服者』が公開された1956年のことだった。それまで、癌による死亡はごく稀だったが、その年になって突然、癌で死亡する人が増えはじめた。それがただ増えはじめただけでなく、彼の手で埋葬される人がほとんご癌死者になってしまうという、驚くべき変化が起こってきた。まったく信じ難い事態だった。
 葬儀屋としては、これに対して何らかの方策をはからなければならなかった。というのは、癌で死亡した場合、ほかの大多数の死因に比べて、遺体の様子が変ってくる。悲しいことながら、外見が悪くなる。
 (中 略)
 防腐処置は、死者に対して最低限の敬意を払う行為である。米国では、南北戦争のあと死骸に防処置をほどこす習慣が普及したが、これは古代エジプトのミイラ製造技術からさして進歩したものではなく、塩化亜鉛と砒素を用いておこなわれてきた。そのほか、ワックス、着色料、詰め綿、焼き石膏といった新しい材料を用いながら、工夫をこらして死化粧をほどこす。
 しかしながら、エルマー・ピケットにとって問題は、やがて“防腐処置”などではなくなってきた。
 翌1957年になっても、癌死者の洪水は止まらなかった。
 —セント・ジョージの町に、なにかが起こっているのではないか。
 1958、1959、1960年—おそるべき事態は続いた。セント・ジョージでの癌死亡率は、同じユタ州でのほかの地域に比べて、はるかに高くなっていた。
 ついに、自分の妻が癌にかかり、やがて死んで行った時、エルマー・ピケットは、町の悪夢について理由を突きとめずにはいられないい気持に駆られた。



 『征服者』(原題:The Conqueror)は、ジョン・ウェインを主役にジンギス・カンをモデルとした映画。監督は、ディック・パウェル。パウェルの夫人が『グレン・ミラー物語』のジューン・アリスン。助演は蒙古人を愛する敵方タタールの王女にスーザン・ヘイワード。他にテレビ「奥様は魔女」の奥様サマンサの母親役で日本では有名だが、『市民ケーン』でケーンの母親役だったアグネス・ムーアヘッドが、ジョン・ウェイン扮するジンギス・カンの母親役で出演していた。
 この映画は1954年にユタ州の砂漠で撮影された。同映画にご興味のある方は、日本の映画データベースのサイトでは情報が少ないので、下記のアメリカのサイトで出演者などをご確認のほどを。少なくとも日本では、この映画のソフトはVHSもDVDも発売されていないようだ。このへんも、何かあやしい。
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アメリカの映画データベースの該当ページ

 本書からも映画の概要を少しだけ紹介。この映画のことは、次の回で、もう少し詳しく書くつもり。

 スペクタクル映画の王様セシル・B・デミルであれば、映画の製作に蒙古まで出かけて行っただろうが、そこは西部劇スター、ジョン・ウェインのことだ。1954年六月から、彼らはユタの砂漠に機材をもち込み、莫大な金をかけて、熱風の吹き荒れるなかでロケーションを敢行していた。それはまさに、地に火が入ったような地獄の暑さと、大砂塵が舞いあがるなかでの重労働だった。



 ここで、ユタ州の位置について確認。カリフォルニアのお隣がご覧のように核実験のあったネバタ州。その東隣がユタ州。セント・ジョージは、ユタ州の南西にある。
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 そのセント・ジョージの町での異変について、あらためて引用。

 セント・ジョージの町には、住民怪死の続発に早くから気づいていた人間が、もうひとり居た。アーマ・トマス夫人である。
 エルマー・ピケットは職業柄、自分の葬儀屋に運びこまれる死骸の山に異常を覚えたが、アーマ・トマス夫人の場合は逆に、自分の家から外へ出ることによって、この異常をいち早く悟ったのだった。しかもその外出は、ほんの何メートルも歩かないうちにすむ。町の一画、ほんのひとにぎりの住民を調べてみればすむことだった。
 通りを一本へだてた家では、カールとエルニーが癌で死に、カールの妻が発癌していた。
 その隣の家では、まだ小さな子供が白血病で死んでいた。
 その並びには、トマス夫人の妹が住んでいたが、彼女も乳癌で死に、その夫が発癌している。
 ウィルフォードも癌になっていれば、妻のヘレンも胃癌で死んでいるのだ。
 彼女の家の周囲わずか一区画だけで、三十人が癌にかかり、そのうち十人が死亡していた。


 アーマ・トマス夫人が、忍耐強く、不幸な人々のことを書き記したノートがこれである。そこには、癌で亡くなった方や発癌した方のいる家の印と、名前が書かれている。

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 こうしてトマス夫人が今日まで自分のノートに記録し続けてきたセント・ジョージの癌患者は、二〇〇人にものぼる。この二〇〇人がすべて、トマス夫人の知人だった。なお悲惨なことに、この“不幸なリスト”に書きこまれた名前のうちの半分に、赤いチェックの印が付してある。エルマー・ピケットの手に委ねられ、すでに埋葬された人びとの名前だった。


 セント・ジョージはモルモン教徒の町。だから信徒である住民は、禁酒、禁煙を守り続けている。この町で他の地域と比べて高い癌発生率は、個人的な要因に帰すことはできようにない。

 では、なぜセント・ジョージで異変が起こったのか・・・・・・。

 そのパズルを解こうとした男がいる。

 1976年(スーザン・ヘイワードが死んだ翌年)、ソルトレイク・シティにある退役軍人を扱う病院が、ポール・クーパー元軍曹の白血病を知り、ひとつの疑いを抱いた。
 女優アグネス・ムーアヘッドが『征服者』の一集団について疑念を抱いたと同時に、すでにユタ州の人びとが口にしていた噂から、この軍人病院の医師が“退役軍人”の一集団に不審を感じ、疫学者グリン・コードウェルに連絡したのだった。
 ここで重要なことは、アグネス・ムーアヘッドとエルマー・ピケットが、実は無関係の巻き添えを食った被害者だったのに対し、軍人病院の場合には彼ら自身がこの問題の当事者だった、という点にある。
 答を明かせば、軍人が加害者だった。その加害者自身のなかに、ポール・クーパーという被害者が出はじめたことによって、ようやく、軍人が自分たちの過去を洗い出してみようという気になったのだった。
 反骨精神を持ったポール・クーパー元軍曹が、ユタ州ソルテレイク・シティーの病院で診察を受けたことも、パズルを解く鍵となった。
 これによって、やがてのちにユタ州セント・ジョージの被害が、別の被害(つまりクーパーらの軍人が受けた被害)と結びつけられるようになったからである。実は、クーパーが登場するずっと以前から、あちこちで結びつきが語られ、被害者は確信をつかんでいた。
 ポール・ジェイコブスという一匹狼のジャーナリストは、B期間中に自分の足でユタ州南部を歩きまわり、住民と起居をもとにしながら、子供たちの白血病をはじめとするさまざまの被害を調べあげた。それを“ザ・リポーター”という雑誌(1957年5月16日号)にくわしく報告し、のちに彼自身も体をおかされ、五十九歳で死んで行った。1957年という早い時期にポール・ジェイコブスが伝えた事実は、エルマー・ピケットやアーマ・トマス夫人がのちにくわしく知った出来事を、すべて予言したものでもあった。
 だがそれらはどれも、公式の手続きにかけられると、“噂にすぎない”と一蹴され、涙を呑んでいた。
 ポール・クーパーは立ち上がり、遂にマスコミに対して宣言した。

「私は、1957年のネバダの核実験に参加したために、白血病になったのだ。間違いない」

 1977年4月のことだった。
 パズルは解かれはじめた。



 1950年代後半におけるユタ州南西部の小さな町セント・ジョージでの、癌患者の急増。

 ネバダで核実験が行われていたその頃、ユタ州南部を取材してレポートを発表しながらも、報われないままに病に散ったジャーナリスト。

 そして、セント・ジョージにもほど近いソルトレイク・シティーの軍人病院で白血病で入院していた元軍曹。
 ネバダの核実験が自らの病の原因であると思った彼は、遂に沈黙を破った。

 さぁ、これから事態はどうなるのか。

 残念ながらお時間。この続きは、次回!
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by koubeinokogoto | 2013-06-12 00:23 | 原発はいらない | Comments(0)
6月11日は、ジョン・ウェインの命日。1907年5月26日生まれで、1979年6月11日に満72歳で亡くなっている。本名マリオン・ロバート・モリソン。『駅馬車』など多数の映画に出演したアメリカの代表的な映画スターの死因は胃癌。彼の病については、ネバタ砂漠での核実験の影響が指摘されている。

 広瀬隆著『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』から引用したい。

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 文芸春秋で単行本が1982年発行され、1986年に文春文庫より発行、1988年には単行本改訂(新訂)版が発行されているが、いずれも重版されていない。
 私は二年前に古書店で単行本の新訂版を入手して読んだ。本書から引用を含め内部被曝のことに関して書いたことがある。
2011年4月24日のブログ

 その後、この本のことについて書こうと思いながら、つい時間が経過していた。ジョン・ウェインの命日に、あらためて紹介することも何らかの供養になるような、そんな気がする。

 広瀬隆は、フクシマの前から原発の危険性を指摘し続け、いわゆる“原子力ムラ”からは蛇笏のように嫌われ妨害を受けてきた人だ。その広瀬が、アメリカではメディアに乗りそうもないストーリー、ジョン・ウェインや他の俳優、映画関係者が、アメリカの原爆実験による放射能の影響で癌になり死んだ可能性がある、という仮説を元に書いたのが、この本である。 

 アメリカにおいても、原爆実験による被害を科学的な見地で解き明かそうをした人がいたことから紹介したい。

 ソルトレイク・シティーのユタ大学医学部では、ジョゼフ・ライオン博士らが、調査を続けていた。
 その調査内容は、ジョン・ウェインが死亡する四カ月前、“ユタ州の小児ガン”に関する一論文として、ボストン発行の医学誌(The New England Journal of Medicine,1979年2月12日号)に発表された。
 ライオン博士らは、顕著な被害の出ているユタ州南西部を中心とする十七の郡と。州内のほかの郡について、実に三十二年間という長い歳月を対象として、十五歳以下の小児ガンの発生状態を調べたのである。
 この連続した三十二年間を、A、B,Cの三つの期間に分けてみた。
 Aは、1944~50年の七年間
 Bは、1951~58年の八年間
 Cは、1959~75年の十七年間
 という具合にである。
 このように分けたのは、真ん中のBの期間に、ライオン博士らの予測する“不幸の原因”が潜んでいると考えられたからだった。


 三十二年間の調査結果は、ライオン博士の想像の通りの結果になっていた。

 白血病をはじめとする小児ガンの発生率は、一年あたりの平均値に換算してA、B、Cの三期間を比較してみた場合、ユタ州南西部(セント・ジョージを含む地域)では、AとCを100パーセントとした時、B期間中にちょうど300パーセントの高い率になる。



このB期間に、何があったのか・・・・・・。

〔ネバダでおこなわれた大気中の核実験〕(公表されたもの)
 1951年  十一回
 1952年   八回
 1953年  十一回
 1955年  十六回
 1956年   一回
 1957年 二十六回
 1958年 二十四回 合計九十七回

 これで明らかな通り、さきほど述べたユタ大学医学部のジョゼフ・ライオン博士らが設定したB期間とは、この1951~58年にわたる八年間であった。



 ジョン・ウェインの死因と核実験との関係について、まず、その“序”である。


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by koubeinokogoto | 2013-06-11 19:16 | 原発はいらない | Comments(0)
今月六日に、なだいなだが亡くなっていたとのニュースを目にした。
 *当ブログは、基本的に敬称略であることを、お断りしておきます。
朝日新聞サイトの該当記事

2013年6月9日15時18分
作家・精神科医のなだいなださん死去 「権威と権力」

 小説、評論、エッセーなど幅広い文筆活動で知られた作家・精神科医のなだいなだ(本名・堀内秀=ほりうち・しげる)さんが死去したことが、9日分かった。83歳だった。

「権威と権力」 まず自由であること
 慶応大医学部卒。フランス留学後、精神科医としてアルコール依存症の治療などに取り組むかたわら、同人誌「文芸首都」に参加。スペイン語で「何もなくて何もない」を意味するペンネームで、文筆活動を続けた。

 小説に「帽子を…」「影の部分」「れとると」など。「海」などで6度、芥川賞候補になった。温かみのある筆致、ユニークな発想の文明批評でも人気を博し、娘にあてて書かれたエッセー「パパのおくりもの」や、ロングセラーの「権威と権力」、「人間、この非人間的なもの」など多数の著作がある。1970年「お医者さん」で毎日出版文化賞受賞。

 晩年は神奈川県鎌倉市で執筆活動に専念する一方、2003年にインターネット上の仮想政党「老人党」を立ち上げ、ホームページで弱者が暮らしやすい社会づくりや平和を訴えた。

 本人のブログによるとがんで闘病中で、5月末には「がんとの付き合いで、なんとか頑張っていますが、白状すると、ちょっときつい」と記していた。



“2003年にインターネット上の仮想政党「老人党」を立ち上げ、ホームページで弱者が暮らしやすい社会づくりや平和を訴えた”、という「老人党」のサイトには、その目的が次のように記されている。「老人党」のサイト

■老人党の目的は?

 老人党は、老人のためだけにではなく、この国を改革するために、老人たちに何が出来るか、を考える党です。老人党は、つぎのように目的を掲げます。

 1.老人を含む、いま弱い立場にいる人の暮らしやすい社会をつくる
 2.世界の平和をめざし、日本を戦争をしない国とする
 3.平和と基本的人権を保障する日本国憲法を護る
 4.政治や司法が誠実・有効に機能しているか、積極的に意見を発信する
 5.老人と未来の老人が協力して現政権に市民の声を届け、より良い社会を目指す



 もしかすると今こそ、「老人党」を“仮想政党”ではなく“現実”の政党として、現政権の不穏な右傾化路線をけん制する力とすべき時なのかもしれない。ますます日本は老人が多数を占める国になりつつあるし、私も数年後には年金受給対象者になるが、まだまだ機会があれば仕事をしたいし、この国の行方に鈍感でいるわけにもいかない。

 内閣府のサイトに、「平成24年高齢社会白書」が掲載されている。その中にある「高齢化の推移と将来推計」のグラフを念のためご覧のほどを。(クリックすると大きくなります)
内閣府サイト内の「平成24年高齢社会白書」のページ
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 この推計では、2025年に65歳以上の高齢者が、全人口の三割を超えると予測されている。もちろん、私もその三割に入って、相変わらず小言を言っている予定。団塊の世代の先輩達だって、その頃はまだ七十歳代後半で、多くの方がピンピンしているだろう。戦前生まれの方にしても八十代、九十代で元気な方が今以上にいらっっしゃるに違いない。高齢者がモノを言う、あるいはモノを言わなければならない時代が目前にきていると思う。


 なだいなだは、紹介した新聞記事にあるように晩年は戦後早く平和都市宣言をした鎌倉に住み、「鎌倉・九条の会」のよびかけ人でもあった。同会のホームページから引用したい。
「鎌倉・九条の会」ホームページ

鎌倉市民のみなさま

 9条を標的に、日本国憲法を「改正」使用とする動きが、すでに、政治日程にのぼるほど身近にせまってきました。戦後60年、現憲法のもとに、この国は、一人の戦死者も出していません。そこで、9条に手をつけようという動きに、いいしれぬ不安を覚える市民も多いと存じます。戦争経験者は、再びあの時代に近づいているという不安、
戦後、「平和」しか知らずに育ったものは、子どもたちがこの先、生きる未来に不安を。

 昨年6月10日、井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周−、
澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の9氏により、「9条の会」が結成されました。

 その結成アピールは、「アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々、明らかにしています。何より武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません」「20世紀の教訓をふまえ、21世紀の進路が問われているいま、改めて憲法9条を外交の基本にすることの大切さがはっきりしてきています」とのべたあと、「日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという−点で手をつなぎ、『改憲』のくわだてを阻むため、
一人ひとりができるあらゆる努力を、いますぐ始めること」を訴えています。

 鎌倉市は、戦後、全国にさきがけていち早く平和都市宣言をした自治体です。そして、平和都市としての平和市民憲章をもつています。

 戦争を拒否し、平和をもとめるというこのあたりまえのことばを、ことさら声高に叫ばなければならない時代になってしまいました。

 私たちは、「鎌倉・九条の会」の発足を呼びかけます。

 平和都市の名にふさわしく、憲法9条を守るためあらゆる努力を、この町のすみずみにまきおこしていくことを、鎌倉市民のみなさまに訴えます。

    2005年2月
    よびかけ人:   井上ひさし   内橋克人   なだいなだ


 三人のよびかけ人のうちお二人が鬼籍に入られたわけだ・・・・・・。

 
 なだいなだは、麻布中学で小沢昭一と同期。昨年小沢昭一が旅立った際のコメントが、次のように掲載されていた。日刊スポーツの該当記事

なだいなださん「一番活躍してた」/悼む

 個性的な脇役として活躍し、民衆芸能の研究でも知られた俳優の小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日、死去した。83歳。

 精神科医で作家のなだいなださんの話 同じ中学の出身です。私たちの年になると、親しい友人がどんどん去っていく。われわれの世代で、一番活躍していたのではないか。あのにこにこ顔に人柄が表れていました。怒った顔を見たことがなかった。彼のエッセーは、ラジオでしゃべっているのと同じトーンで、語るように書かれていて、私も大いに参考にしていました。寂しいです。[2012年12月10日20時29分]


 小沢昭一と同期、ということはフランキー堺や加藤武とも同期ということである。きっと、彼らから“芸能”に関する刺激も受けたであろうと察する。

 私はなだいなだの本は数冊しか読んでいないので、その作品について詳しく書くだけの知識も資格もない。ただし、その中の『江戸狂歌』は愛読書の一つである。

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 1986年に岩波書店から初版が発行され、1997年に同書店の「同時代ライブラリー」の“古典を読む”シリーズの一冊として再刊された。しかし、現在は絶版状態のようなので、ぜひ重版を期待したい。

 この本の冒頭に「笑いを忘れた時代」と題して、次のようなことが書かれている。

 日本に、笑いが忘れられていた時代があった。ついこの間のように思えるのだが、計算してみると、いつの間にか、かなり以前のことになっている。
 そのころは、「まじめ」「いっしょうけんめい」という言葉が、もてはやされていて、陽気にほほえめば、すぐに「ニヤニヤするな」とどなられ、笑い声をあげれば、直ぐに、どこからか、「コラッ」というこわい声が飛んできた。その声を聞くと、他のものは肝が縮むといった。ぼくの場合は、肝など縮まなかった。肝はおなかの中に入っている。たとえ縮んだとしても、どうして見ることができよう。そのかわり、別のものは縮んだ。これは見えるところにあったから、縮んだのを確実に知ることができた。しかし、そんなことはどうでもいい。
 ぼくは笑い上戸の子供であったので、その時代を生きるため、とても辛い思いを味わわされた。笑いたくとも笑えないのは、拷問にかけられたようで苦しいものだ。
 (中 略)
 ほかの人たちは、どうやら、笑うかわりによく泣いて、その時代を乗り越えてきたようだ。ともかくそのころの人は、よく泣いていた。悲しいことが多かったせいもあるが、それだけではなく、うれしいといっても泣いた。子供ばかりでなく、大人までが、大きな声を出して泣いた。男泣きというのだそうだが、ぼくには、その泣きかたは、男とは少しも関係ないように思われた。むしろ声からは、牛を連想させられた。

 戦争が終わった日は、ことにひどかった。男も女も、大人も子供も、みんな泣いた。正直なところ「戦争が終わって、助かった。やれやれ、これで死なずにすむ」と思った人だって、けっこうな数いたのではないかと思うのだが、笑っている人を見かけなかった。あの人たちは、もしかしたら、心でほっとしているのに、泣かないと申し訳ないような気がして、泣いていたのではないかと思う。
 しかし、それは推測にすぎない。ぼくは泣かなかったし、泣けなかったので、泣いた彼らが、どんな気持ちだったか、説明することができない。ほんとうに残念である。

 ぼくは、そのころを、ずっと笑いたいと思って過ごした。思いっきり笑えるような日が来ることを、待ちわびていた。まだ、平和主義だとか、ファシズムだとか、難しいことは分からなかった。戦争が終わった時、十六歳だったから、けっこう年はとっていたが、精神的にはまだまだ幼かった。しかし、少年の単純なこころにも、ハッキリと分かったことがあった。笑いたいのに笑えない時代が、けっして、よい時代とはいえないということである。


 この後に続く文章で、戦後になっても笑いが戻らない日本社会を見て、日本人とは元々笑うことがない民族なのかと思っていた著者が、ケストナーのエッセイ『一眼の文学』に触発されて過去の日本の“笑い”の文化を辿った結果、実はそうではないことを発見した喜びが記されている。

 日本の中世にも、豪快な笑いを持った民話が、いくつもあった。また、狂言という舞台芸術もあった。そして江戸時代には、狂歌が、満開の花のように咲き狂っていたのである。
 明治から現代にかけての、勤勉と生まじめさを売り物とする日本は、決して日本的な日本ではなかった。上から見下ろすだけで、下から上を見あげる民衆の目を欠いた、一眼の日本に過ぎなかったのである。


 私も、この本などで知った狂歌、そして川柳などに日本人が本来持っていたユーモア精神を知り、ある意味で日本人として生まれた誇りのようなものを感じることができた。笑いは、大事だ。

 なだいなだは、昭和四(1929)年六月八日生れなので、紹介した内容にもあるように敗戦時は十六歳。親の負担を減らすため、麻布中学を中退して陸軍幼年学校に入学し、仙台陸軍幼年学校に配属されていたらしい。
 昭和二十年八月十五日は、先輩からいじめられて「笑い」を奪われた日々を含め、牛のように泣く男たちの記憶とともに、強烈に脳裏に焼き付いていたのだろう。

 “笑いたいのに笑えない時代が、けっして、よい時代とはいえない”、という言葉は、なかなかに重いものがある。
 「憲法・九条」への執着、そして「老人党」の立ち上げは、「笑いを忘れた時代」に戻ることへの強い抵抗感が背景にあったのだろうと思う。

 安倍右傾化政府がやろうとしていることは、間違いなく我々の生活から「笑い」を奪う方向に進めることである。そんな世の中は、まっぴらごめんだ。

 遅ればせながら、なだいなだの作品をもっと読もうと思う。なだいなだの「笑い」を尊ぶ柔軟な思想、そして、幼年兵としての経験を踏まえた骨太の反戦への姿勢を、遺された者たちはしっかり受け止めなければならないように思う。
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by koubeinokogoto | 2013-06-10 19:25 | 戦争反対 | Comments(2)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛