幸兵衛の小言

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タイトルが駄洒落のようで申し訳ないが、決してふざけているわけではない。

 大震災とフクシマからの復興のために仕事をしない政治家や官僚が、オリンピック招致などで浮かれている場合ではないのだ。

 東京新聞から引用。「東京新聞」サイトの該当記事

原発事故避難者ら 支援いつまで待てば… 「新法放置」国を提訴
2013年8月23日 朝刊

 東京電力福島第一原発事故を受けた「原発事故子ども・被災者支援法」の成立から一年以上たつのに、国が基本方針を策定しないのは違法だとして、福島県などの住民や自主避難者計十九人が二十二日、国を相手取り、基本方針の早期策定などを求めて東京地裁に提訴した。 

 原告は、放射線量が国の避難指示区域(年間被ばく線量二〇ミリシーベルト超)外の福島市や郡山市、福島県外で線量が比較的高い栃木県那須塩原市や宮城県丸森町で暮らす七人と、全国各地に自主避難する十二人。

 訴えでは、昨年六月に議員立法で支援法が成立したのに、支援対象地域や生活支援策を定める基本方針を理由なく策定しないのは、国の不作為で違法だと指摘。支援対象となる「放射線量が一定の基準を上回る地域」は、年間被ばく線量一ミリシーベルト超が目安だと主張し、事故当時、福島県外で暮らしていた原告も対象になるとしている。

 原告一人につき一円の損害賠償も請求。原告弁護団代表の福田健治弁護士は記者会見で「支援策を実施するよう求める裁判で、原告の個人的利益のためではないことを示すため」と意図を説明した。

 復興庁は「提訴が確認できないので、コメントを差し控えたい。子ども・被災者支援法の基本方針で定めることとされる(放射線量の)一定の基準の検討を進めており、できるだけ早く策定できるよう努めたい」としている。

◆「子どもの健康向き合って」
 「ほとんどの方が声を上げずにじっと我慢している。早くこの法律を具体化してください」。提訴後、会見した原告の小林賢泰(たかひろ)さん(40)は、支援の基本方針を定めようとしない国の姿勢を批判した。

 「四人の子どもを豊かな自然の中で育てたい」と福島県いわき市で林業を営んでいたが、原発事故で生活は一変。放射線量の下がらない古里を去り、山梨県を経て岐阜県内に家族と避難している。

 今の科学では、長期間低線量被ばくした時の健康被害は分かっていない。小林さんのように、自身や子どもの健康を心配し、避難指示区域以外から避難している多くの自主避難者には、国の支援はほとんどない。経済的、精神的に苦しい状況に置かれている。

 支援法の成立により、国の責任で健康や生活が守られるはずだった。一年以上たっても何も変わらない現状に、「国は事故の責任を取らず、被災者救済もしないのに、原発を再稼働し、海外に輸出しようとしている」と失望を隠さない。

 栃木県那須塩原市の伊藤芳保(よしやす)さん(50)は、原発事故から半年後、専門家に測定してもらった自宅の線量の高さにがくぜんとした。妻子は市外に引っ越し、自身は仕事のため自宅にとどまる二重生活を送る。「福島との県境で汚染は区切れない。健康調査など福島と同等の対応をしてほしい」

 福島市から岡山市へ自主避難している丹治泰弘(たんじやすひろ)さん(36)も「一人の不安はみんなの不安につながると思い、提訴した。国は、未来の子どもの健康に真剣に向き合ってほしい」と訴えた。

 <原発事故子ども・被災者支援法> 東京電力福島第一原発事故の被災者の避難生活や健康管理を支援するため、医療や就学・就業、住宅確保などの生活支援を定め、定期的な健康診断や被災した子どもや妊婦の医療費減免も国に義務づけた。支援対象は、放射線量が国の避難指示基準(年間被ばく線量20ミリシーベルト)以下だが、一定の基準を上回る地域の住民ら。自主避難者、避難からの帰還者いずれにも必要な支援を行うとしている。



 この問題については以前にも書いた。2013年6月22日のブログ
太字で一部再度強調。
“原告は、放射線量が国の避難指示区域(年間被ばく線量二〇ミリシーベルト超)外の福島市や郡山市、福島県外で線量が比較的高い栃木県那須塩原市や宮城県丸森町で暮らす七人と、全国各地に自主避難する十二人。

訴えでは、昨年六月に議員立法で支援法が成立したのに、支援対象地域や生活支援策を定める基本方針を理由なく策定しないのは、国の不作為で違法だと指摘。支援対象となる「放射線量が一定の基準を上回る地域」は、年間被ばく線量一ミリシーベルト超が目安だと主張し、事故当時、福島県外で暮らしていた原告も対象になるとしている”


 まったく妥当な主張だと思う。

 20ミリシーベルトという基準の問題は何度もこのブログで書いている。 
 その中から2011年12月16日のブログの内容を元に、放射能と政治について、問題を指摘したい。2011年12月16日のブログ
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肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』
 
 2011年5月28日のブログでも、ヒロシマで自らも軍医としてその日を迎え、その後、数多くの内部被曝患者の診断を経験した肥田舜太郎さんと、湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾の内部被曝によるイラクの人々の被害を明らかにしたドキュメンタリー映画「ヒバクシャ」を制作した鎌仲ひとみさんの共著、『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』を紹介した。2011年5月28日のブログ
 同書「第4章 被ばくは私たちに何をもたらすか」から再び引用。

 人類史上、最大の人体実験ともいわれる広島・長崎への原爆投下があっても、内部被曝そのものに関しては長い間、言及されることはなかった。近年、ようやく内部被曝の存在が注目され、国際放射線防護委員会(ICRP)の見解とヨーロッパの科学者グループ、欧州放射線リスク委員会(ECRR)が出した見解がはっきりと二つに分かれるようになった。前者は内部被曝も体外被曝と同様に許容量を定め、後者は内部被曝の許容量をゼロ以外は安全ではないとしている。
 たとえば、たった一粒のプルトニウムが体内に入った場合、ECRRは体内で放出されるアルファ放射線がその人間に癌を発症させる可能性は十分にある、というのだ。ちなみに、この一粒はたばこの煙の粒子の20分の1の大きさしかない。
 ヨーロッパの科学者グループであるECRRが2003年に公表した報告によると、1945年から89年までに放射線被ばくで亡くなった人の数は6160万人になる。ICRPのこれまでの計算では117万人ということになっている。ECRRは現行の国際放射線防護委員会が設定する一般人の許容限度、1ミリシーベルト/年を0,1ミリシーベルト/年以下に、労働者の限度も50ミリシーベルト/年から0.5ミリシーベルト/年に引き下げるべきだと主張している。もし、これが実現すれば、原発の労働者だけでも100倍の人員が必要になる計算だ。これによって増加する人件費が原子力産業にとって経済的に見合わないことは明白だろう。
 だからこそ、ICRPは「合理的に達成できる限り低く保つ」と許容限度を勧告しているのだ。


 “6160万人 対 117万人”の差は、いったい何を意味するのか。ECRRとICRPと、どちらの主張を信じるかは人それぞれだろうが、もちろん私はECRRに軍配を上げる。ECRRの試算について、本書は次のように指摘している。
 

 内部被曝を再評価したECRRの新たな考え方に基づいた計算によると、死亡者数は6160万人に跳ね上がり、そのうち子供が160万人、胎児が190万人となる。これは本当に私たちにとって「容認」できる許容量なのだろうか?このことこそが今問われているのだ。
 内部被曝に関するしきい値を死守することは、アメリカ政府にとって重要な課題であったことは簡単に想像できる。もし、内部被曝の人体に与える影響が明らかになれば、あらゆる核開発の障害になることは確実だった。内部被曝はアメリカ国家の最重要機密になり意図的で巧妙な隠蔽工作が続いてきた理由がここにある。
 広島・長崎における原爆の影響は局所的であり、放射能汚染は問題にならない、放射線そのもので死んだ人間の数は少なく、投下後、三、四週間で死ぬべき者は全て死んだなどとアメリカ政府は喧伝し、放射能の長期にわたる影響を完全にそして公式に否定した。


 ここで指摘されている通り、アメリカ政府は、ヒロシマもナガサキも、あくまで投下直後の体外被曝による被害しか認めず、アメリカにおける内部被曝被害についての数々の指摘についても、「科学的な根拠」がない、とか「統計的に誤りがある」などという理由で、私が何度か取り上げた「マンクーゾ報告」も認めるはずはなかった。ちなみに、本書ではマンクーゾが調査したハンフォードでの内部被曝被害についても取り上げている。その中で、1987年にアメリカ政府が公開した19000ページに及ぶ機密文書によって明らかになった驚くべき事実として、ハンフォードにある9つの原子炉が日々の操業のなかで放出した放射性物質の総量が、スリーマイル島の事故の1万倍にも相当していたことが紹介されている。データは公開しても、アメリカ政府は、その放射性物質と、この地域での白血病やガンの高い発症率との因果関係は、決して認めようとしない。

 アメリカ政府がやってきたことと、日本政府がやっていることは、本質的に変らない。あくまで「政治」的な判断によって、もっと言えば自己の保身のために、数年後数十年後に起こりえる発症で国民が蒙る被害を犠牲にしようとしている。もちろん、問題が発覚した“その時”には、現在の政府関係者も官僚も、政治の表舞台には存在しないだろう。無責任な問題の先送りにしか過ぎない。

 そして、この「政治的な基準」の問題に目をつぶったまま、国民が「自助」努力で避難をし、心身ともに疲弊しているのに、安倍政権はいったい何をしているのか。

 大震災やフクシマのために、「健康」で「安全」な生活を奪われた国民のことに目を向けない国にオリンピックなど招致する資格はあるのか。

 そして、世界で真っ当な判断のできる方は、放射能で地球を汚染するにまかせている極東の島国で、世界大運動会などしようとはしないだろう。しかし、あのイベントも今では政治と経済、金にまみれたものなので、東京に決まるのかもしれない。経済効果はあるかもしれないが、それは先のことだ。
 今、いや3.11からずっと今までほとんど見放されている人達のことに、政府も東京都も、しっかり目を向けるべきだろう。

 何度も書いているが、憲法改正、TPP参加、社会保障制度の改悪などで国民を不幸にしようとばかりする安倍政権は、すでにもっとも国民として不幸な境遇にいる大震災とフクシマの被害者の救済を最優先課題とすべきである。それができないようなら、政治家と官僚には、年間“20ミリシーベルト”を少し下回る地域に、首相官邸、議員宿舎、官庁の施設、そして国会議事堂もつくって仕事をしてもらいたいものだ。そこは彼らが“安全”と主張しているのだから。
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by koubeinokogoto | 2013-08-23 22:54 | 原発はいらない | Comments(0)
最近は、大手新聞のニュースをほとんど信用せず、ブログや週刊誌のWebニュースを読むことが多いが、福島第一の汚染水漏洩問題について、「日刊ゲンダイ」のGendai.Netから引用したい。
「Gendai.Net」の該当記事

福島第1原発 汚染水タンク350個が全滅危機
【政治・経済】2013年8月21日 掲載


東電の安普請・ドロナワ作業で最悪事態


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東京電力提供


 どうしたらこうなるのか。東京電力は福島第1原発のタンクから漏れた放射能汚染水の量を当初「少なくとも120リットル」と推定していたのに、20日になって「300トンに達する」と変更した。一気に2500倍に増えたことに絶句だが、汚染水の漏出量はこんなものでは済まない。

 東電はダダ漏れになっていた地下貯水槽の汚染水を、6月上旬までに地上タンクに移し替えた。タンクは直径12メートル、高さ11メートルの円柱状で、容量は約1000トン。漏れた300トンは大体、25メートルプール1つ分だ。

 実はこのタンクは当初から“ヤバイ”と指摘されていた。部材を溶接ではなく、ボルトでつないで組み立てる構造のため、ボルトが緩んだり、止水用パッキンが劣化すると、汚染水が漏洩するんじゃないかと懸念されていたのだ。

「過去に4回、タンクから汚染水漏れが起きていて、いずれもつなぎ目部分から見つかっています。今回はまだどこから漏れたか分かりませんが、恐らく、つなぎ目に原因があるのでしょう」(ジャーナリスト・横田一氏)

 東電によると、パッキンの耐用年数は5年ほど。交換するにはタンクそのものを解体しなければならないが、漏洩が見つかるたびに解体するのは非現実的だ。外側から止水材を塗るなど、その場しのぎの対応に追われることになりそうだ。

 問題はボルトとパッキンだけではない。タンクが“鋼鉄製”なのも大きな懸念材料という。日本環境学会顧問・元会長で元大阪市立大学大学院教授(環境政策論)の畑明郎氏が言う。

「汚染水は原子炉冷却に使われた水で、当初の海水冷却により塩分を含むものです。鋼鉄製のタンクは錆びやすく、腐食して穴が開き、漏れた可能性があります。安全性を考えるのであれば、東電は鋼鉄製ではなくステンレス製のタンクにすべきでした」

<錆びて腐食、止水用パッキンの寿命はたった5年>

 東電がそうしなかったのは、鋼鉄製の方がコストがかからないからだ。さらに言うと、溶接型ではなくボルト型にしたのも、短時間で増設できるから。いかにも東電らしいドロナワ対応といえるが、このボルト式の同型のタンクは敷地内に350個もある。もし、今回と同じ300トンの汚染水がすべてのタンクから漏れ始めたら、10万トンではきかない計算になるから、考えるだけでもゾッとする。

 しかも、汚染水は1日400トンのペースで増え続けていて、東電は現在貯蔵可能な約39万トン分のタンクの容量を2016年度までに80万トン分まで増やす計画だ。
 一方で安普請のタンクからの汚染水漏れの手当ても同時にやらなければならない。

 今回の汚染水からは、法令で放出が認められる基準(1リットルあたり30ベクレル)の数百万倍に達する8000万ベクレルの放射性ストロンチウムが検出された。300トン分で約24兆ベクレルである。

 はっきり言って東電は終わっている。



 いつものように、強調したい部分を太字で再度。
“鋼鉄製の方がコストがかからないからだ。さらに言うと、溶接型ではなくボルト型にしたのも、短時間で増設できるから。いかにも東電らしいドロナワ対応といえるが、このボルト式の同型のタンクは敷地内に350個もある。もし、今回と同じ300トンの汚染水がすべてのタンクから漏れ始めたら、10万トンではきかない計算になるから、考えるだけでもゾッとする”

 地下水汚染のことや原発によってどれほどの放射性物質が出来てしまうのかは先月も書いたので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2013年7月13日のブログ

 東電の、あくまでも「経済性」を優先する姿勢には呆れるばかりだ。これは一企業の問題ではない。地下水やタンクから漏れた放射能汚染水は「公共」の海に流れ出る。

 海に「国境」はない。

 日本の漁業への影響や人体への影響も問題だが、この汚染水は近隣諸国のみならず、地球全体を汚染しているのだ。

 もはや東電には期待できない。規制委員会が強いリーダーシップを発揮するとは、誰も思っていないだろう。

 やたら、憲法改正やTPP参加には、強いリーダーシップを発揮しようとする安倍首相と政府が、この問題にもっとコミットしないでは、解決しようがないだろう。

 日本政府は、TPP参加、憲法改正、そして社会保障制度の改悪、年金の減額など国民を不幸にさせることに熱心なようだが、少しは国民のために仕事をしてもらいたい。
 
 人の「生命」に関わり、人類が住む「地球」に直接影響するこの問題の解決を何よりも優先すべきである。

 韓国や中国沿岸、そして太平洋を渡って北米沿岸まで汚染が広がるのは目に見えている。もう政治の駆け引きなどしている時ではないのだ。

 日本政府は、日本国民の安全のためのみならず、それこそ“グローバル”な視点でこの問題の解決に注力すべきだ。
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by koubeinokogoto | 2013-08-22 12:10 | 原発はいらない | Comments(0)
オリバー・ストーンとピーター・カズニックが、この時期に来日して広島や長崎を勢力的に訪れて取材していることはNHKのニュースなどで知っていた。
 
 昨日の琉球新報の記事は、今ほど、越後から自宅に帰ってから気がついた。
「琉球新報」サイトの該当記事

ストーン氏会見 「日本が米国の属国のようで残念」
2013年8月16日

 13日から沖縄を訪れ、米軍基地や名護市辺野古などを巡った米映画監督のオリバー・ストーン氏、米アメリカン大のピーター・カズニック教授、ピース・フィロソフィーセンターの乗松聡子代表は15日、那覇市天久の琉球新報社で記者会見を開いた。ストーン氏は「一番印象に残ったのは、米国権力のすさまじさだ」「日本が米国の属国のように付き従っている姿は非常に残念だ」などと米軍基地の現状を批判した。さらに「普天間飛行場の移設問題によって、地域の緊張が高まっていることを実感した」と強調した。
 ストーン氏は14日に会談した稲嶺進名護市長についても触れ、「権力に対して厳しい闘いを続けている」とたたえた。

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「戦争終わってない」の見出しで講演会を報じる15日付本紙
について語るオリバー・ストーン監督(左)とピーター・カズニック教授
=15日午前、那覇市天久の琉球新報社


 広島、長崎、東京も含めた今回の日本訪問については「第2次世界大戦の歴史をはじめ、日本人は自分たちの歴史をほとんど理解していないと感じた」と、視察の感想を述べた。
 カズニック氏は、南京大虐殺について「愛国心に基づいて歴史を語るのではなく、より批判的に語ることが私の立場だ。日本で虐殺事件がどのような文脈の中で理解されているのか非常に関心がある」と述べた。



 印象的な部分を太字で再度紹介。

まず、「日本が米国の属国のように付き従っている姿は非常に残念だ」という表現を、ワシントンポストやニューヨークタイムズの記事から発見するのは難しい。オリバー・ストーンならではの言葉を日本人は、深く読み取る必要があるだろう。

 ストーンの言葉の背景には、アメリカがこれまで行なってきたことへの彼の痛烈な批判精神がある。

“広島、長崎、東京も含めた今回の日本訪問については「第2次世界大戦の歴史をはじめ、日本人は自分たちの歴史をほとんど理解していないと感じた」と、視察の感想を述べた。
 カズニック氏は、南京大虐殺について「愛国心に基づいて歴史を語るのではなく、より批判的に語ることが私の立場だ。日本で虐殺事件がどのような文脈の中で理解されているのか非常に関心がある」と述べた”

 
 この言葉も重い。“日本人は自分たちの歴史をほとんど理解してない”と、オリバー・ストーンが指摘していることを、残念ながら安倍も、その取り巻きも分かっていないだろうし、分かろうとしないだろう。

 そして、政治家のみならず、ストーンほどの感受性と批判精神をもった日本人は果たしてどれほどいるのだろうか、とも思う。もちろん私自身も含め、“より批判的に”歴史を語る姿勢には欠けている。どうしても、過去を美化し、見たくない語りたくない歴史から目をそらそうとしている自分が、間違いなく存在する。

 さて、あえて自分を棚に上げて、政治家のこと。
 安倍はストーンの行動や発言に、「他の国のことに、余計なことをするな!」と言いたいかもしれない。
 しかし、オリバー・ストーンは『プラトーン』のみならず、「自分の国」について、統治者からすれば「余計なこと」を続けてきた。
 BS NHKにおいて放送されてきた、ストーンやトム・ハンクスによるドキュメンタリー的ドラマ『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』は、非常に優れたジャーナリスティックな作品だと思う。
 近いところで19日にも再放送がある。「BS NHK」サイトの該当ページ

 オリバー・ストーンの言葉との共通性のようなものを、別な新聞記事から感じた。それは、アジアの隣国のこと。遅ればせながら、安倍の8月15日の発言についての、韓国「中央日報」の記事を紹介。
「中央日報」日本語版サイトの該当記事

安倍首相、8・15記念演説で挑発…「隣国に反省」初の削除
2013年08月16日09時01分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] 

 日本の安倍晋三首相が、光復節であり日本の敗戦日である15日、胸に秘めていた“本心”を露骨にあらわした。

彼はこの日午前、天皇が列席した「全国戦没者追悼式」の記念演説で意図的に挑発した。1993年に細川護煕首相以降一人の首相も8月15日の記念演説で抜かさなかった韓国など近隣諸国に対する反省と哀悼の表現を、丸ごと削除してしまったのだ。

当時の細川首相は、同年8月4日に慰安婦の犠牲者に対して謝罪した「河野談話」が発表されて以後、初めて近隣諸国に対する反省を表明した。さらに侵略戦争と植民地支配を反省して謝罪した村山談話(95年8月15日)が出てきて以降、歴代首相は例外なく「アジア諸国の国民に多大な損害と苦痛を与えたことへの深い反省と共に、犠牲になった方々に謹んで哀悼の意をあらわす」という表現を記念演説の核心として位置づけ固定してきた。安倍氏自身も首相として在任した2007年8月15日の記念演説ではこの表現を使った。

安倍首相はまた、戦後の歴代首相が必ず使ってきた「不戦の誓い」という単語もこの日の記念演説から除外した。

韓国などアジア諸国に対する反省と哀悼が消えた代わりに、記念演説には「日本美化」があふれていた。安倍首相は例年にはなかった「戦後、我が国はひたすらに平和の道をまい進してきた。今日よりも明日、世界をより良い場に変えるために戦後間もない頃から各国、各地域に支援の手を差し伸べてきた」という部分を挿入した。20年ぶりに「歴史に対する反省」ではない「歴史に対する自負心」に記念演説を変身させたのだ。



 「歴史に対する反省」ではない「歴史に対する自負心」への変身こそ、ストーンの“日本人は自分たちの歴史をほとんど理解してない”ことを裏付けるものはない、と思う。

 あえて、日本の政治家に問いたい。
 
 安倍がよく使う言葉の、“歴史家の判断に委ねる”には、将来の歴史家は、「太平洋戦争での、天皇を含む日本の戦争指導者たちの行動の妥当性を評価するだろう」という甘え、というか傲慢さが隠れている。いや、日本以外の国民から見れば、そういった欺瞞性がミエミエであろう。

 では、ドイツの政治家が、将来の政治家は、「第二次大戦での、ヒットラーを含む戦争当事者たちの行動の妥当性を評価するだろう」と、暗に臭わすような発言をするだろうか・・・・・・。事実は、まったく逆であり、ドイツは、徹底的にヒットラーとナチスの過ちへの贖罪を行なっている。

 「ヒットラーと天皇は違う!」と主張する人もいるかもしれない。しかし、あの“国家的規模”での“集団ヒステリー”状態の中で、ドイツ国民にとってのヒットラー、日本国民にとっての昭和天皇の象徴するものの共通性は少なくないだろう。

 オリバー・ストーンやトム・ハンクスによる『もうひとつのアメリカ史』では、アメリカの指導者達が、ベトナム戦争や中東戦争の過ちを反省することも謝罪することもなく、オバマに至るまで同じ過ちを繰り返している、と主張する。
 
 今の日本に政治的指導者は、どう行動していると他国は見ているのか。

 アジアの隣人との協力関係を構築することよりも、アメリカの“属国”として、ベトナム戦争や中東戦争について何ら反省をしないアメリカの悪いところばかり真似をしている日本、として受け取られているのではないか。

 私は、オリバー・ストーンの言葉からは、彼のそんな思いを強く感じる。同じ日本人のしかるべき言論人からは、なかなか聞けない言葉を、ストーンは明確に私たちに提供してくれる。

 自分のことは自分自身より、他人の方がよく分かる、という格言(?)を踏まえれば、オリバー・ストーンの行動や言葉から自分の国のことを教わることも、悪くないかもしれない・・・・・・。

 しかし、いわゆる“自浄能力”が必要なのではないだろうか。

 憲法改正、TPP参加、防衛力強化、などなど、“集団ヒステリー”へ逆行する兆候を目にすると、とても他人からの刺激のみに頼ってはいられない気がする。
 15日のNHKの特別番組で、私はその“兆候”をまざまざと感じた。「中国に負けないように防衛力を強くしないといけない」と語る小中学生が、尖閣問題以降間違いなく増えているように思う。「防衛力」という言葉に誤魔化され、“強い軍隊”を持とうとする発想は、際限のない軍備拡張競争につながり、それは「核兵器所有につながる危険な発想」であることを、周囲の“日本人”の“大人”が諭さなければならないのであって、“外人”に教わることではないだろう。

 本来は、「オリバー、君に言われなくても分かっているよ。君は、もっと自国アメリカを良くすることに集中してくれ!」と言える状況でなくてはならないのではなかろうか。

 そう思うと、素直に「オリバー、ありがとう」とは言えない、そんな気がするのである。
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by koubeinokogoto | 2013-08-17 18:56 | 戦争反対 | Comments(2)
この時期のNHK特集には、あの戦争に関する好企画が少なくない。

 三年前の『戦場の漫才師たち~わらわし隊の戦争~』についてはブログにも書いたが、回想場面で登場した方々が皆さん故人となられたことも考えると、保存版として価値のある番組だったと思う。
2010年8月11日のブログ
2012年11月15日のブログ

 火野葦平を中心に、作家たちの戦争美化、軍隊の広報活動の実態と、作家であり兵士であった彼らが見て経験した戦争の残虐性を描いたこの番組もなかなか考えさせられるものがあった。

NHKサイトの同番組のページから、まず引用。
NHKサイトの該当ページ

日中戦争の時代、『麦と兵隊』で国民的作家になった火野葦平が克明に記した20冊もの従軍手帳が北九州・若松に遺されている。この程、全貌が明らかにされ、陸軍報道部を中心としたメディア戦略が浮かび上がってきた。当時、中国の蒋介石政権は日本軍の残虐行為を国際社会に訴えていた。のちに陸軍報道部長となる馬淵逸雄は、これに対抗するため、火野を報道班に抜擢。徐州作戦に従軍させ、「兵隊3部作」はベストセラーとなり、映画化もされ、戦意高揚に貢献する。さらにペン部隊が組織され、菊池寛、林芙美子ら流行作家が参加していく。
太平洋戦争が始まると、火野はフィリピンで宣撫工作に従事し、大東亜文学者会議をリードしていく。しかし、実際に火野が目にしたのは過酷な戦場の現実だった。戦後、戦争協力で批判された火野は、自ら命を断った。作家を戦争に動員した軍のメディア戦略と火野葦平の軌跡を初公開の従軍手帳や関係者の証言から描く。



 この概要説明の中で、“戦後、戦争協力で批判された火野は、自ら命を断った”という文章は誤解を招きかねない。火野が亡くなったのは昭和35(1960)年、安保の年であって敗戦後すぐの行動ではない。

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*火野葦平(左)と陸軍報道部長の馬淵逸雄(NHKのサイトから)

 この番組で、やはり強く印象に残るのは、『麦と兵隊』原稿における、火野が父親に送った「未発表」部分のことだろう。そこには、従軍手帳に書き残された、彼にとっての戦争の真実が書かれていた。

 戦争のネガティブな実態を隠そうとする陸軍報道部の方針から日の目を見ることがなかった部分にこそ、彼の後半の人生に重くのしかかっていた戦争の残酷性があった。
 死にかけて苦しむ中国人が火野に自分の胸を指差しているのを見て、「楽にしてくれ」と哀願していると確信した火野が引き金を引いた事実を補完することで、「決定稿」とする、と表現した火野。
 彼は、兵隊三部作の大ヒットで家を建てることもできた人気戦争作家としての事実、戦争に利用されてはいたが、結果として自分も利用したのだという事実を、周囲の批判も甘んじ真摯に見つめていたのはなかろうか。

 この番組では、あの南京事件後に石川達三が現地を取材して書かれた『生きてゐる兵隊』が、当時の日本では伏字だらけで発行されたが、全文を掘り起こした中国政府は、日本の非道残虐ぶりを全世界に印象づけるものとして利用していたことも紹介されていた。

 番組ではふれていなかったが、石川達三は晩年に同書の信憑性を自ら否定するような発言をしていた。本人の意思からの行動なのか、あるいはその背後に何らかの力が働いていたのか・・・・・・。

 大東亜文学者会議に参加した(動員された)数多くの作家について、後世に彼ら個人を非難することは簡単だ。戦争を肯定する作品で財をなした火野や、石川の南京に関する自著の内容の否定などについて、その姿勢や態度を糾弾することも決して間違いではないかもしれない。しかし、戦争を知らない子供たちは、当時戦争に巻き込まれていった個人を戦争への協力者として看做すことには、もっと慎重になるべきだと思う。

 あの“わらわし隊”と“従軍作家”たちとの間に共通する重要なことは、戦争そのものが憎まれるべきであって、いったん始まった国家規模での狂気の沙汰の中、その渦に巻き込まれた漫才師も作家も、どちらも戦争の被害者ではあっても加害者ではない、ということだ。

 この番組を見ながら、エジプトのニュースのことにも思いを馳せていた。
 内乱にせよ戦争にせよ、人間同士の争いは、将来存在したかもしれない実りある人生を踏みにじられた同胞を増やし、悲しい物語の数を重ねるだけである。
 戦争においては、長い目で見た場合、勝利者などいない。だから、その時に戦争に加担していたり、礼賛しているように見える個々の被害者の姿も見据えた上で、戦争そのものを否定すべきであって、肯定できる理由などはひとつもありはしない。それは、その戦争の道具やきっかけになりえる核兵器や原発についても同様である。

 人間は弱い。ついその弱さが武器を持たせるのであって、その武器自体をなくすことが重要なのだ。それこそが過去に学ぶことのできる人間の知性を発揮させる対象ではないだろうか。

 もし、あえて個人に焦点を当てるならば、核兵器を廃絶することへの署名を拒否するような人間こそが、危険なのである。そして、それは特定の個人の問題とともに、その間違った選択をさせる国の「空気」も問題だと思う。

 8月15日には、また安部の行動が各国で論議を呼ぶだろう。参拝をしないから、個人の寄付だから問題ない、という空気をつくってはならないと思う。その発言や行動に“集団的狂気”が蘇りそうな「空気」を感じたら、それを防げるのは、「これはおかしいぞ!」という感受性を持ち、その空気をまっとうなものに戻そうとする国民一人一人の強い意識だけではなかろうか。そういう一人一人の冷静さ、過去を学ぶ力がなければ、自分たちの子孫たちが、また戦場で人殺しをする時代に逆戻りする。

 火野葦平は、生涯、引き金を引いた瞬間を忘れなかった、忘れることができなかったはずだ。この番組でもっとも感じたのは、彼が背負い続けたであろう贖罪の念の重みである。
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by koubeinokogoto | 2013-08-14 22:08 | 戦争反対 | Comments(0)
今日の田上長崎市長の平和宣言は、高く評価すべきだと思う。一部引用したい。
「朝日新聞」サイトの該当記事

日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。

 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80カ国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。

 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。

 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。

 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。

 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。

 非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

 核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。

 2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。

 しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。



重要な指摘を太字で再引用する。
“日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80カ国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。

 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。

 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります”


 ちなみに朝日には安倍の挨拶文も掲載されているので少しだけ紹介。
安倍首相の挨拶

 私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります。そのような者として、我々には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。
 昨年、我が国が国連総会に提出した核軍縮決議は、米国並びに英国を含む、史上最多の99カ国を共同提案国として巻き込み、圧倒的な賛成多数で採択されました。



 問題は、昨年の国連総会のことより今年のNPTはどうだったのか、ということだ。

“我々には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります”と本気で思っているのなら田上市長の主張に答えなければならない。

 “例外なく”「核兵器使用を禁止」するため、唯一の被爆国の首相としての判断と行動が求められる。

 そして、その存在自体が「核兵器」使用につながる危険性を持つ「原発」も、廃止しなくてはならない。少なくとも、原発施設におけるテロ阻止の仕組みを構築する必要がある。結果として、その対策があればフクシマは防げた可能性が高い。

 田上市長の宣言の全文は長崎市のサイトで確認できる。朝日の記事は時間がたてばリンク切れもありうるのでね。
「長崎市」サイトの該当ページ

 私は、核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に署名しなかったことや、そのことについての数少な新聞の社説での批判を以前に記事に書いた。
2013年4月25日のブログ
2013年4月26日のブログ(高知新聞の社説)
2013年4月26日のブログ(中国新聞の社説)

 6日、広島の松井市長はNPTについてはふれたが、田上市長のようにインドへの原発輸出の批判まで突っ込んだ政府批判はしなかった。「絶対悪」という表現がメディアで妙に取り上げられていたが、今一つ広島の市長としては、国の姿勢の問題点を指摘する強さに欠けていたのではないだろうか。

 そういった意味でも、長崎市の田上市長の明確な主張は評価できると思う。核兵器も原発も、地球上からなくすべきだ。それを世界に主張すべきなのが、ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマを経験した日本ではないのか。
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by koubeinokogoto | 2013-08-09 12:43 | 原発はいらない | Comments(4)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛