幸兵衛の小言



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集団的自衛権、メディアは閣議決定という暴挙に抗議すべきだ!

安倍政権は、集団的自衛権に関する、まったく誤魔化しの議論が“熟してきた”などとうそぶいて、閣議決定を急いでいる。

 72年見解のどこをとっても集団的自衛権を容認するものではないのは、先日書いた通り。
2014年6月10日のブログ

 今では数少ない真っ当な主張をするメディア「日刊ゲンダイ」の記事を全文引用する。
日刊ゲンダイの該当記事

「集団的自衛権」1日閣議決定 国民は黙って見過ごすのか?
2014年6月30日

やめろと言わないのは“許した”のと同意

 安倍政権が1日、集団的自衛権の行使を認める閣議決定を強行する意向を固めた。菅官房長官が会見で明らかにした。この日程も安倍首相の外遊優先。豪州に出発する前の4日までに決めてしまおうというハラで、こんな乱暴な発想で平和憲法のもとで徹してきた「専守防衛」の看板を外すなんてムチャクチャ。憲法学界の重鎮は「国民は恥辱を受けたままでいいのか」と怒りの声を上げている——。

■戦争屋の“手品”にはめられ恥辱を受けたままでいいのか

「メンバーの中では議論が熟してきた」

 27日に行われた与党協議の後、自民党の高村副総裁がヌケヌケとこう言った。これまでに行った与党協議の回数はわずか10回。それも1回が2、3時間程度のもの。しかも、この数週間で論点はあちこちに飛び、収拾がつかない状態だった。

 これには専門家の間からも、「手品を見せられているようだ」と戸惑いの声が出ている。憲法学者・小林節氏(慶大名誉教授)はこう言う。

「本来は、集団的自衛権の議論だったはずが、いつの間にか、『集団的』も『個別的』も区別できていない15事例の検討に移り、それが終了していない段階で、自衛権行使の新3要件の議論になった。さらにそれも決着しないうちに、国連軍や多国籍軍の戦争にも参加させろという集団安全保障の話にすり替わった。あまりに論点がコロコロ変わるので、多くの国民には理解できなかったはず。うっかりしていると、専門家である我々でさえ、これが憲法議論であったことさえ忘れるほどでした」

 論点のすり替えは、与党協議に“正義”がないためだ。安倍首相は、他国の戦争で母と子が逃げ遅れ、アメリカの艦船に助けられた場合……といった机上の空論を持ち出して議論を混乱させたばかりか、新3要件では、集団的自衛権を否定した1972年の政府見解をねじ曲げた。
 公明党も、国民の生命、自由に「明白な危険がある場合」は集団的自衛権を発動、つまり“戦争をしていい”と追認したが、何が明白な危険であるかは時の政権の考え方次第だ。逆にどの場合に行使が認められないかについては、何ひとつ具体例を出さない。そもそも国民の生命に「明白な危険」があるなら、現行の個別的自衛権で十分である。

 30日、小林節氏も名を連ねる「国民安保法制懇」が、「集団的自衛権行使は立憲主義の否定である」という緊急声明を発表する。

「今さら解釈変更に反対しても遅いという人もいますが、追いはぎや強盗に遭っているのに声を上げないのは、“許した”のと同意になります。黙って見過ごすのと、声を上げたけど、張り倒されてとられちゃったというのでは、やっぱり意味が違う。多勢に無勢で、恥辱を受けて押し切られたという状況をつくる。そうすることで歯止めにもなるし、解釈改憲論者たちは言い訳を始め、ボロを出すのです」(小林節氏)

 1日の閣議決定で「戦争できる国」へ一気に加速する。国民は恥辱を受けても最後まで嫌だと抵抗すべきなのだ。



 「国民安保法制懇」については、次の神奈川新聞の記事が詳しいので紹介したい。
神奈川新聞の該当記事

集団的自衛権を考える(10) 国民安保法制懇メンバーは語る(上)
2014.05.31 10:52:00

 憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に反対する憲法学者や元政府関係者ら12人が「国民安保法制懇」を立ち上げた。安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)に対抗し、今夏にも報告書をまとめる。28日の結成会見に出席したメンバー6人の発言を2回にわたり紹介する。



 メンバーの一人、伊藤真弁護士の主張と、この組織のメンバー紹介は下記の通り。(太字は管理人)

■憲法の枠組み無視 伊藤真・弁護士

 いまほど憲法と国民がないがしろにされている時代はない。安全保障の政策論が憲法論に勝ってしまっている。

 安倍首相の理屈は「国民の安全が害されることになるから、今までの解釈の枠組みなんか守ってられないよ」というものだが、国が国民の生命と財産を守らなければいけないのは当然のことだ。

 どのような方法で守るのかという枠組みを憲法は示している。不都合があった場合、国民が憲法を変えて新たな枠組みを提示する。その中で国民を守るのが国の仕事であり、首相の仕事だ。なのに、自分たちが考える安全保障政策が常に正しいという前提に立ち、憲法の枠組みを無視した政策を押しつけようとしている。

 影響を受けるのは国民だ。テロの標的になるかもしれない。海外で活躍している企業人がどんな思いをするか。自衛官の一人一人がどういう生き方をしなければならなくなるのか。主権者である国民が自分たちのこととして考えなければならない問題を、民主的正当性のない私的な懇談会の報告書を基に政府が勝手に決めようとしている。

 法によって縛られる側の人が「ちょっと縛りきついから緩やかにしてよ」と解釈を変えるなんて、あり得ない話だ。刑法という法律で縛られている泥棒が「軽い空き巣ぐらいならいいんじゃないの」と言って、泥棒の解釈が通ってしまうのと同じだ。

 国民一人一人が個人として尊重されるため、憲法が国家権力を拘束するという立憲主義がこの国の根本のありようだ。その土台だけでなく、平和主義、国民主権、基本的人権の尊重というこの国の基本原理も破壊されようとしている。国民の意思がないがしろにされた形で平和主義が変えられ、最大の人権侵害である戦争をどうするかという部分も大きく変わってしまう。

◆安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会 集団的自衛権の行使容認に向け、安倍晋三首相が第1次政権時に設置した私的諮問機関。公海上の米艦船防護などを憲法解釈変更により実現すべきだとの報告書を安倍氏退陣後の2008年6月にまとめたが、実現しなかった。第2次安倍政権発足に伴い、13年2月に活動を再開。検討対象を日本の安全保障に必要な法整備の在り方に広げた。官僚OBや学者ら有識者14人で構成し、座長は柳井俊二元駐米大使。14年5月15日に報告書を安倍首相に提出し、憲法解釈を見直し9条が認める「必要最小限度の自衛措置」として集団的自衛権の行使を認めるよう提言した。

◆国民安保法制懇のメンバー ※敬称略、五十音順
愛敬浩二(名古屋大教授、憲法)/青井未帆(学習院大教授、憲法)/伊勢崎賢治(東京外国語大教授、平和構築・紛争予防)/伊藤真(弁護士)/大森政輔(元内閣法制局長官)/小林節(慶応大名誉教授、憲法)/阪田雅裕(元内閣法制局長官)/長谷部恭男(早稲田大教授、憲法)/樋口陽一(東大名誉教授、憲法)/孫崎享(元外務省国際情報局長)/最上敏樹(早稲田大教授、国際法)/柳沢協二(元内閣官房副長官補)



 ここ最近、大手メディアのこの問題についての論評には鋭さがなくなってきたような気がする。

 日刊ゲンダイの記事の見出しにある「国民は黙って見過ごすのか?」という言葉を、私はメディアに対して言いたい。
 
  「集団的自衛権」1日閣議決定 日本のメディアは、この暴挙を黙って見過ごすのか?
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by koubeinokogoto | 2014-06-30 19:41 | 戦争反対 | Comments(0)

沖縄慰霊の日に、“歴史のイフ(IF)”について思うこと。

6月23日は、沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされ、沖縄県は「慰霊の日」と定めている。

 安倍首相も糸満に行くようだが、犠牲者やその家族たちが彼によって癒されることはないだろう。

 東京新聞は、独特な視点で社説を掲載した。(太字は管理人)
東京新聞の該当社説

沖縄慰霊の日に考える アーニーが見た戦場
2014年6月23日

 きょうは沖縄慰霊の日です。先の大戦では本土防衛の捨て石とされ、戦後も過重な米軍基地負担を強いられる。沖縄県民を犠牲にする変わらぬ構図です。

 日本国内で唯一、住民を巻き込んだ大規模な地上戦の戦場となった沖縄県。激戦は一九四五年四月一日、米軍の沖縄本島上陸で始まり、日本軍が組織的戦闘を終える六月二十三日まで続きました。

 この戦闘に従軍して沖縄の地を踏んだ米国人ジャーナリストがいました。第二次世界大戦の戦場から新聞にコラムを送り続けたアーニー・パイルです。

◆仏から太平洋戦線へ

 この人の名を聞いて戦後の一時期、東京・有楽町にあった占領軍専用の「アーニー・パイル劇場」を思い出す方がいるかもしれません。まさにその人です。占領軍が接収した東京宝塚劇場をアーニーにちなんで改名したのです。

 アーニーは沖縄戦の前、欧州戦線にいました。四四年には、その戦争報道によって、米ジャーナリズム界で最も権威のあるピュリツァー賞を受賞しています。

 アーニーはこの年、ノルマンディー上陸作戦にも従軍します。今年七十周年の記念式典が行われ、ドイツ敗北の転機となった「史上最大の作戦」です。米軍とともに上陸し、激戦の舞台となったフランス大西洋岸の様子を、次のようなコラムに書きました。

 「私は上陸第一日にぬれた砂浜を歩き回っていたところ、流木のような物が二本突き出しているのをよけた。だが流木ではなかった。それらは兵隊の両足だった。両足を除いて完全に砂をかぶっていたのだ。爪先が向いていた方向は、彼がはるばる見に来て、つかの間しか見なかった土地だった」(デービッド・ニコルズ編著、関元訳「アーニーの戦争」、JICC出版局)

◆戦争への冷徹な視点

 彼の文章からは戦争に対する冷徹な視点がうかがえます。戦争を称賛するわけでもなく、時には厭戦(えんせん)気分も書き記します。伝えようとしたのは戦争の現実、兵士の素顔でした。戦闘と向き合う一人の人間としての恐怖や苦悩。それが読者の共感を呼んだのです。

 欧州戦線から太平洋戦線に転じたアーニーは、沖縄の上陸作戦でも、ノルマンディーと同じような凄惨(せいさん)な戦闘が繰り返されると恐れていました。それは杞憂(きゆう)に終わります。兵力温存を図った日本軍が水際作戦を放棄したからです。

 しかし、その後の地上戦は激烈を極めました。生活の場で行われた戦闘で当時六十万県民の四分の一が亡くなったといわれます。

 ただ、アーニーは沖縄戦の様子を多く書き残すことはありませんでした。本島上陸から十七日後の四月十八日、転戦した本島近くの伊江島で狙撃され、亡くなったからです。四十四歳でした。

 アーニーなら、凄惨な地上戦をどのような記事にして送ったのでしょうか。苦難を強いられた沖縄県民の様子も米国本土に伝わっていたら、その後の米軍による沖縄統治も、違っていたかもしれません。アーニーの記事には、それほど影響力があったのです。

 亡くなったアーニーのポケットからはドイツ降伏に備えて事前に書いた原稿が見つかりました。

 「大量生産される死者−この国で、あの国で、毎月、毎年、冬にも夏にも。どこを向いても見慣れた死者だらけで、退屈になる。どこまで行っても、退屈な死者だらけで、いやになる。こんなことを故国の皆さんは理解しようと試みる必要すらない。彼らは故国の皆さんにとっては数字の羅列、ないしは近所のだれかが、遠くへ行ったまま帰って来ないだけ、にすぎない」(同)

 アーニーが感じていたのは、戦争という現実に向き合わざるを得ない戦場と、戦場から遠く離れ、戦争への想像力を欠く本国との落差かもしれません。

 ドイツ降伏はアーニー戦死のわずか二十日後、その一カ月半後には沖縄での戦闘も終わります。

 激戦地跡に造られた糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園ではきょう、沖縄全戦没者追悼式が行われ、安倍晋三首相らも参列します。

◆集団的自衛権に異議

 慰霊の日を前に、県都那覇市や米軍基地を抱える読谷(よみたん)、北中城(きたなかぐすく)両村の議会では「集団的自衛権の行使」容認に反対したり、慎重審議を求める意見書を可決しました。

 かつて戦場となり、いざ戦争になれば攻撃対象となる米軍基地を多く抱える沖縄だからこそ、集団的自衛権の行使がもたらす危うさにも敏感なのでしょう。

 戦場に対する想像力を欠いた安全保障論議は空疎です。現実離れした事例を持ち出して、一内閣の判断で憲法の平和理念を骨抜きにする愚を犯してはなりません。首相は、沖縄という現実からも目を背けてはならないのです。



 アーニーは、間違いなく、戦場で死者を見ることに“麻痺”しつつあっただろう。それが、戦争の怖さでもある。そして、戦場から遠く離れた人たちには、死者の数、そう数字のみが意味を持つようになる恐ろしさを、アーニーは指摘したかったはずだ。それをジャーナリスティックな視線と言葉で表現しようとしたに違いない。

 琉球新報の23日の社説から、数字ではない戦場の光景について引用する。琉球新報の該当社説

 米軍が沖縄島に上陸した4月1日朝の光景について、こんな記録がある。
 「死臭で息がつまるようだ。鉄帽を射抜かれてたおれている兵隊、両足をふっとばされて頭と胴体だけであおむけに天をにらんでいるおじいさん。頭のない赤ん坊を背負ってあざみの葉をにぎりしめてうつ伏せている婦人の死体…」。米国統治と日米軍事同盟に抵抗した政治家瀬長亀次郎さんの未発表原稿だ。


 
 アーニー・パイルも、数字ではない、生の戦場であまりに多くの悲惨な光景を見ただろう。彼が沖縄をどう表現したかは、“歴史のイフ((IF)”の世界。

 東京宝塚劇場は進駐軍によって接収され,アーニー・パイル劇場と名を変え,以後約10年間日本人は立入禁止だった。
 それは、日本人にとっては、劇場を見る度に、「お前たちは偉大なジャーナリストを殺したのだ!」と思い知らせるためだったかもしれない。しかし、この劇場の客席に日本人はいなくても、舞台ではブロードウェイでも有名だった伊藤道郎が振付を担当しや日本人ダンサーや、多くの日本人のジャズミュージシャンが活躍していたのである。

 占領する側とされる側が明確に分かれていた劇場に、自らの名前を付けてもらうことが、アーニー本人にとって名誉なことと感じたのかどうか・・・・・・。これまた“歴史のイフ(IF)”である。

 アーニー・パイルも、そして沖縄の犠牲者の方も、その唯一の望みは、安倍政権が考えていることとは逆であることは明確だ。

 平成26年を思い起こす“歴史のイフ(IF)”は、「ああしていれば良かった」ではなく、「ああならなくて良かった」と語りたい。

 戦争やそれにつながるあらゆることに反対である。
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by koubeinokogoto | 2014-06-23 20:25 | 戦争反対 | Comments(0)

元アフガン武装解除日本政府特別代表、伊勢崎賢治へのインタビュー。

「日刊ゲンダイ」の東京外語大の伊勢崎賢治教授へのインタビュー記事が興味深い。いかに安倍政権がやっていることが暴挙であるかが浮かび上がる。(太字は管理人)
「日刊ゲンダイ」サイトの該当記事

伊勢崎賢治氏が断言「首相が出したパネルは国を辱めている」
2014年6月16日

平和国家だからできる国際貢献

 安倍首相が集団的自衛権の説明で使った「駆けつけ警護」のパネル。PKOに参加している他国の部隊や日本人NPOを守らなくていいのか、と訴えていたが、東京外語大の伊勢崎賢治教授は「本当に不謹慎」「国を辱めていると思う」と切り捨てた。元国連職員。アフガン武装解除日本政府特別代表。東ティモールやアフガン、シエラレオネなどの紛争地に乗り込み、DDR(武装解除、動員解除、社会復帰)を指揮してきた。危険な現場を知り尽くしている学者はこう言っている。

大事なのは日本=非武装国家というイメージだ」

自衛隊に武力行使の道を開くことは、そのイメージをぶっ壊してしまうのだ。

日本だからこそできたことが、できなくなる

——なぜ、駆けつけ警護のパネルが屈辱だと?

国連PKO部隊は日本人だから助けるとか助けないとか区別しないんですよ。絶対に。自衛隊がいないところで活動している日本人NGOも大勢います。武装勢力が襲ってくれば、国連軍は国籍に関係なく絶対に助ける。そういう感覚なのに、ああいうパネルを持ち出して、集団的自衛権が必要であるという法的議論をすること自体が不謹慎だと思いましたね。


 いかに安倍が、姑息な手法で国民を騙そうとしているのかが分かる。

——アフガンの武装解除などを経験されて、やはり、自衛隊は他国で武力行使できるようにした方がいいと思いますか?

 思いません。自衛隊が武力行使できるようになれば、日本がつくり上げてきたイメージが壊れてしまう。そんなことをしたら、日本だからこそ、できてきたことができなくなる。それは非常にもったいないことです。

——日本は平和国家であるというイメージですよね。このブランドが紛争地域でも役に立つと?

 世界はいま、とんでもない危機に立っているんです。米国は今年、アフガンから逃げ帰る。撤退じゃありませんよ。14年間もやって、疲れたから帰るんです。しかし、テロとの戦いはこれからも続く、増殖していく。同じような問題を中国もロシアも抱えている。どうするんですか。いくらテロ掃討作戦をやっても、テロリストは民衆の中にいるんです。とことんやれば、民族浄化になってしまう。軍事力を行使すればするほど、抵抗は増える。テロは拡大する。その悪循環を断ち切るには相手の懐に飛び込んで人心掌握するしかないのです。健全な社会と政府をつくり、その政府と国際社会が仲良くできるようにする。米国もペトレイアス将軍(のちにCIA長官)を中心に2006年、こうした新しい軍事ドクトリンを打ち出しています。もちろん、アフガンでもやってきた。でも、なかなか人心掌握ができない。なぜだか、わかりますか? 米国がやっているからです。


 米国がやることは信じないが、日本がやるなら信じる、という心理の根拠は明らかである。

——そこを日本が担えると?

 私は日本政府代表として、アフガンの武装解除、国づくりに携わってきました。群雄割拠していた軍閥の武装を解除し、新しい国防省をつくり、人事もやった。シャッフルせよ、と命じたんです。

——日本人にそんなことができるんですか?

 内政干渉じゃないか、どうせ資源が欲しいんだろ、と言われるわけです、他国は。でも、日本はそう見られなかった。

——なぜですか?

 こういう交渉をするんですよ。まず、アフガン周辺国を外交交渉で一枚岩にする。そのうえで、軍閥のトップに武装解除すれば、アフガンにはこれだけの金を出しますよ、と言う。ただし、この中には日本人の血税が含まれている、平和のための金である。だから軍事組織である軍閥には出しませんよ、金が欲しいのであれば、武装解除せよと。

——タフな交渉ですね。

 軍閥のトップは政治家です。ここでのまなければ、あなたの政治生命はないよ、と迫る。日本人は尊敬されているんです。米国にひどい目に遭わされた国というイメージもある。

——プラス平和国家であるというイメージですね。それなのに、米国と一緒になって、戦争できる国になってもしょうがない?

 我々はアフガンにうまく入れました。でも、一歩誤ると不信の塊になってしまう。主権侵害であると言われてしまう。そうなると、過激派が付け込んでくるのです。人間社会では絶えず、いさかいが起こる。それをいさめ、沙汰をするのが国家ですが、警察などの国家権力が機能しなければ、戦後日本のヤクザのような人間が仕切ることになる。自分たちの教義を押し付け、逆らうやつは簀巻(すま)きにし、恐怖政治を行うようになる。ここをなんとかしないと、テロとの戦いはどうしようもないのです。


 テロのの戦いは、武力行使をすることで解決しないのである。

——ただし、そんなタフな交渉は誰でもできるわけではないでしょう。防衛省や外務省の役人は何をやっているんですか。

 外務省の官僚は優秀ですが、会議屋さんなんで、こうした交渉はできません。自衛隊には幹部学校で今、私が教えています。戦争じゃない戦争に自衛官は何をなすべきか、と問うている。

——それは「日本国民は国際平和を誠実に希求し、武力による国際紛争を解決する手段を放棄する」という9条の理念にも合致していますね。

 前文の理念とも一致します。現行憲法でもこういう貢献はできるのです。ただし、私は集団的自衛権は行使すべきだと思います。非武装という条件で。


 
 戦争を徹底的に放棄し平和を志向する国であるからこそ、日本が可能な国際貢献の道がある。

 そんな大前提を忘れ、与党内で妙な取引をしたり、国会で空虚な議論を繰り返していても、何も生まれてこない。

 アフガンでの実体験を踏まえた伊勢崎教授の声は貴重だ。

 彼の意見に共鳴できる自衛隊幹部は、有事の場合の当事者として、安倍政権に対して意見を表明すべきではないだろうか。彼らの部下たちを無駄に戦地に赴かせないためにも、自衛隊幹部が今すべきことがあるような気がする。

 伊勢崎教授の発言が説得力を持つのは、危険な紛争地域の現場を経験しているからである。それならば、PKOなどで危険な現場を経験してきた自衛隊幹部もいるはずだ。彼等こそ、安倍政権の危うさに警鐘を鳴らすことができるように思うが、なかなか声は聞こえてこない。大新聞やテレビ局は、もはや剣と闘うペンを捨ててしまっているようだ。今後も日刊ゲンダイなどに期待するしかないかなぁ。
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by koubeinokogoto | 2014-06-16 12:01 | 戦争反対 | Comments(2)

72年見解は、どう“研究”しても集団的自衛権の行使を肯定しない!

集団的自衛権について、安倍政権の国民無視の姿勢はまったく変わらない。

 まず今日の朝日の記事から。(太字は管理人)
朝日新聞サイトの該当記事

集団的自衛権、72年見解と結論矛盾 閣議決定案が判明
2014年6月10日05時53分

 他国を武力で守る集団的自衛権について、政府が閣議決定しようとする案の骨格が分かった。1972年に出された政府見解を根拠に、歴代政権が使えないと禁じてきた憲法解釈を変えて、集団的自衛権の一部を使えるように理屈づけしている。しかし、その理屈は、見解の一部を切り取って読み替えたもので「行使は憲法上許されない」とした結論と論理矛盾をきたしている。

 政府は今回の閣議決定案で、72年に田中内閣が示した「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置」を認めるという政府見解を根拠にする考えだ。

 政府は今回、この見解が日本の防衛に関係する集団的自衛権の行使は否定していないと解釈。閣議決定案では、この見解を使って「我が国の存立を全うするために必要な自衛のための措置」に限って集団的自衛権を行使できると明記する考えだ。

 安倍晋三首相は9日の参院決算委員会で、この見解に触れ、「この中に個別的自衛権は入るが、集団的自衛権は丸ごと入らないということだった。しかし果たしてそれがすべて入らないのかについて研究している」と語った。

 また、政府関係者によると、集団的自衛権の行使は「自国防衛」に関係することを強調するため、閣議決定とは別に「指針」を設ける。どういう事態が起きたら集団的自衛権を使うかの要件や、使う場合でも「原則として他国の領域には派遣しない」などの歯止めを記すことも検討している。



 どこまでも、姑息な手段で国家的な問題を非民主主義的暴力で進めようとしている。

 東京新聞は5月23日の記事で、図をまじえて記事を掲載していたので、図も含めて引用したい。
東京新聞サイトの該当記事

72年見解 「容認」と曲解 集団的自衛権は禁止、結論
2014年5月23日 朝刊

 憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認を目指す安倍政権は、限定的に行使が認められると主張する根拠として「必要最小限度」の自衛の措置を説明した一九七二年の政府見解を持ち出している。しかし、七二年見解は、日本が武力攻撃された場合の自衛権を認め、集団的自衛権の行使を禁じると結論づけた。政権は「必要最小限度」に集団的自衛権の一部が含まれるとみなして、日本が武力攻撃されなくても武力を使えると解釈し、結論をひっくり返そうとしている。 

 安倍晋三首相は十五日、自らの有識者懇談会から集団的自衛権の行使容認を提言する報告書を受け、容認を検討する考えを表明。報告書が七二年見解を引用し「『必要最小限度』の中に集団的自衛権も含まれる」と提言したことに「検討を進める」と解釈改憲への意欲を示した。

 だが、七二年見解の「必要最小限度」は全く違う意味で使われている。

 七二年見解は、憲法は武力行使を禁じた九条の下でも、自衛の措置は禁じていないことを打ち出した。「外国の武力攻撃で国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される」事態になった場合に、必要最小限度の範囲で認めることを明記している。

 つまり、武力行使は日本が攻撃を受けて、初めて必要最小限度で認められるという意味だ。自国が攻撃されなくても武力を使う集団的自衛権は「憲法上許されないといわざるを得ない」と結論づけている。

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 安倍政権は「必要最小限度」に集団的自衛権の一部も含まれると解釈し「憲法上許されない」との結論も「認めるべきだ」に変えようとしている。だが「外国の武力攻撃」という前提が抜け落ち「必要最小限度」の意味は変質する。

 首相や自民党幹部は、七二年見解を持ち出す前には、最高裁が「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置は禁じられていない」との判断を示した五九年の砂川事件判決を行使容認の根拠にしようとした。

 しかし、公明党が「判決は個別的自衛権を認めたものだ」と反発したため、七二年見解を持ち出した。

 弁護士の阪田雅裕・元内閣法制局長官は「七二年見解の『必要最小限度』は、集団的自衛権の行使とは前提が全く違う。『必要最小限度』という言葉がたまたま使いやすいので曲解しているが、論理が全く通らない」と批判している。

 <1972年の政府見解> 政府が「集団的自衛権と憲法との関係」と題し、72年10月14日に国会提出した資料。行使は憲法上禁じられているとの解釈が確立された文書と位置づけられている。72年見解を簡略化した形で81年には「許容される自衛権の行使は、わが国を防衛する必要最小限度の範囲にとどまるべきで、集団的自衛権の行使はその範囲を超え許されない」との政府答弁書もつくられた。



 砂川がだめなら72年、そんな“研究”をするよりも、もっと重要な研究はあるはずだ。

 国立国会図書館サイトに、2011年11月に掲載された資料、国会図書館政治議会課憲法室の鈴木尊紘による「憲法第9 条と集団的自衛権—国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る—」の中から、実際に1972年にどんな“見解”があって、どう解釈できるのかについて引用する。(太字は管理人)国立国会図書館サイトの該当ページ

 1972 年から田中角栄政権となる。この時期において重要なのは、第69 回国会に提出された決算委員会資料である。当該資料は、次のように説明している。「政府は、従来から一貫して、我が国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っている。(中略)我が憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」(第69 回国会参議院決算委員会提出資料 昭和47 年10 月14 日)。この資料は、安保条約前文の集団的自衛権規定と集団的自衛権の政府解釈の関係に関する質疑(同年9 月14 日)に対して、政府が提出した資料である。
 この資料のポイントは、第1 に、政府が集団的自衛権は国際法上我が国も有するが、憲法のレベルではそれを実際に行使することはできないことを明示したこと、第2に、集団的自衛権を「海外派遣」だけでなく、包括的かつ一般的な武力行使の態様であると捉えていること第3に、集団的自衛権を保有はするがその行使は禁止されるという後の政府見解の嚆矢となる表現を用いていることである。この答弁は、1981 年の明確な政府公式見解につながっていくものである。



 どこをどう“研究”しても、72年見解は集団的自衛権の行使を認めるものではない。

 安倍政権の歴史を歪曲する行為は、国家の犯罪とも言えるものだ。
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by koubeinokogoto | 2014-06-10 07:20 | 戦争反対 | Comments(0)

環境省がやるべきことは、アロハシャツ以外にもあるだろう!

クールビズは、さらに、スーパークールビズになるらしい。
47NEWSの該当記事

スーパークールビズ、本格始動 節電狙い、アロハもOK

 暑い日が続く中、職場での軽装を促すクールビズをさらに強化した「スーパークールビズ」が2日、中央省庁などで本格的に始まった。温暖化対策の一環として過度な冷房を控え、節電に取り組むのが狙いで、期間は1日から9月30日まで。

 強い日差しが照りつけた東京・霞が関の環境省では、5月に始まったクールビズで認めているノーネクタイや半袖シャツに加え、ポロシャツやアロハシャツ、スニーカーも“解禁”となった。

 クリームをベースに色とりどりの模様のアロハを着た女性職員(34)は「シャツをスカートやズボンの中に入れなくていいので楽だし、いろんなデザインが楽しめる」と話した。

2014/06/02 11:10 【共同通信】



 環境省では、5月に始まったクールビズで認めているノーネクタイや半袖シャツに加え、ポロシャツやアロハシャツ、スニーカーも“解禁”・・・・・・。

 私は大いに疑問を感じる。アロハとスニーカーの職員のいる役所には、あまり行きたくない。旅行代理店の窓口にいる社員がアロハシャツを着ているのは、業務上の演出だろう。役所がなぜ“アロハ!”なのか。

 私は、クールビズが最初に提唱された時は、結構好意的に考えていた。しかし、ここまでくると“やりすぎ”“行き過ぎ”の感が強い。

 ちなみに、私は仕事場ではクールビズを言われても、カジュアルウェアで仕事はしない。あくまで自分の精神衛生上の理由。そもそもスーツの方が選ぶ手間がなくて楽だ。元来ファッションに興味がなく、同じシャツやズホンを十年以上愛用(?)するのが平気な男なのだ。
 また、いわゆる“OnとOff”の切り替えが大事だと思っている。家に帰って着替えた時や、仕事が終り、さぁこれから落語会と言う時にネクタイをはずすと、気持ちもくつろぎモードになれる。だから、同じカジュアルウェアで職場でも家でも通す人は、気持ちの切り替えがよく出来るものだと感心する。

 節電対策が、どうしてアロハシャツにつながるのか。

 節電対策や、地球環境を考慮した将来のエネルギー政策などについて、環境省がすべき重要な仕事は、他にあるだろうと思う。

 環境省の外局として、本来は中立的な組織として再組織化された原子力規制委員会の人事が、異様な動きを見せている。東京新聞の社説から抜粋する。(太字は管理人)東京新聞の該当社説

規制委の人事 中立性が疑われては
2014年6月2日

 独立性と中立性は、原子力規制委員会の生命線だ。その委員に、原発推進派といわれるような人物を送り込む人事には、やはり疑問がぬぐえない。住民、国民はその判断に納得できるのだろうか。

 規制委は、福島第一原発事故の教訓を基に、環境省の外局として一昨年の九月に発足した。

 首相が任命する委員長と四人の委員で構成され、任期は五年。現在、九州電力川内原発1、2号機など十一原発十八基が、事故後新たに定められた規制基準に適合しているかどうかの審査を申請中だ。

 事実上、原発再稼働の可否を決める機関であり、専門性だけでなく、高度な独立性と透明性が要求される。

 島崎邦彦委員長代理は、発足時の特例で任期二年。九月に退任する見込みとなった。日本地震学会の会長などを務めた“揺れ”の専門家。再稼働の審査に当たっては福島原発事故の深い反省に立ち、原発直下の活断層を厳しく調べ、より強い地震に原子炉が耐え得るように電力会社に要求するなど、厳格さで知られてきた。

 そのため、最優先で審査が進む川内原発さえ、この夏の再稼働に間に合わなかったと、九州や関西の経済界から不評を買っている。

 公然と更迭を求めた自民党幹部もいるという。

 一方、新たに任命される予定の田中知(さとる)・東大大学院教授は、“原子力ムラ”の中心に位置した日本原子力学会の元会長だ。原発メーカーから寄付を受け、業界団体の役員を務めた過去もある。

 福井地裁が関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを認め、再稼働を急ぐ電力会社に焦りが見える時期だけに、人事の公正さを疑う声も高まっている。

 原発再稼働に前のめりな安倍政権が、NHKの経営委員会や安保法制懇のような“安倍カラー人事”をまたやったと見られても仕方ないだろう。


 環境省の石原という責任者には、あまり多くを期待できないのかもしれない。しかし、原子力規制委員会を、“寄生”委員会にしないための、重要な局面を迎えているように思う。

 環境省の職員には、憂国の士は、すでに存在しないのか。

 あの故吉田所長が残した遺産を含め、原発事故の真相究明を優先させ、再稼動という暴挙について、経産省と闘う気概のある者はいないのか。

 今日6月2日は、旧暦の5月5日、菖蒲の節句だ。この節句は、先人たちが菖蒲の根を煎じて飲んで健康を維持することを伝える節句でもある。
 環境省は、外局である原子力規制委員会を原子力村の言いなりにしようとする今回の人事を見過ごしてはならない。あなた達は税金から給与をいただいているのだ。その国民の声を真摯に聞いて欲しい。

 スーパークールビズなんてことより、菖蒲の根でも煎じて飲んで、原子力村の横暴に、ぜひ“勝負”して欲しい。
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by koubeinokogoto | 2014-06-02 12:09 | 原発はいらない | Comments(2)


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