「ほっ」と。キャンペーン

<   2014年 08月 ( 10 )   > この月の画像一覧

ヘイトスピーチは、規制されるべきだ。国連人種差別撤廃委員会から法律で規制するよう勧告されるまでもなく、明らかな人種差別、民族排外主義だからやめさせるべきであった。
 しかし、この勧告に便乗して真っ当なデモ行為まで規制しようとする自民党の暴挙は許されない。
 東京新聞の社説をご紹介。
東京新聞の該当社説

【社説】
「ヘイト」規制 国会デモにも広げる愚
2014年8月30日

 政権批判は耳が痛くても、民の声に耳を傾けることこそ政治家の仕事ではないのか。人種差別的な「ヘイトスピーチ」規制に便乗した国会周辺のデモ活動への規制強化は、民主主義を危うくする。

 国会周辺のデモに対する規制強化を検討し始めたのは自民党のプロジェクトチーム(PT)だ。

 もともと、ヘイトスピーチ(憎悪表現)への対応を検討するために置かれたが、高市早苗政調会長は二十八日の初会合で、国会周辺の大音量のデモや街頭宣伝活動についても「仕事にならない」として、規制強化を検討するよう求めたのだ。

 国会周辺では毎週金曜日、複数の市民グループによる「首都圏反原発連合」が活動している。原発再稼働や特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認などへの反対を訴えてきた。

 政権側には耳障りだろうが、デモは有権者にとって意思表示の重要な手段だ。集会、結社や言論、出版などの表現の自由は憲法で認められた国民の権利でもある。侵すことは断じて許されない。

 そもそも国会周辺のデモは「国会議事堂・外国公館等周辺地域の静穏保持法」や東京都の条例で規制されている。厳重な警備の中でも行われているのは、法律や条例に違反していないからだろう。

 実際、警察庁も自民党に対し、静穏保持法による摘発は年間一件程度と説明した、という。

 そのデモ活動と、国連人権規約委員会が日本政府に差別をあおる全ての宣伝活動の禁止を勧告したヘイトスピーチとを同列で議論することが認められるはずがない。

 ヘイトスピーチの放置は許されないが、法規制には慎重であるべきだ。治安維持を名目に、表現の自由など人権が著しく蹂躙(じゅうりん)された歴史的経緯があるからだ。

 自民党の石破茂幹事長はかつて国会周辺でのデモ活動をテロ行為と同一視する発言をして陳謝した経緯がある。同党の憲法改正草案には表現の自由よりも公益や公の秩序を優先する規定まである。

 表現の自由に枠をはめたいというのが自民党の本音なのだろう。在日外国人の人権を守るという理由で、政権批判まで封じ込めようとしているのなら、悪乗りがすぎる。

 差別的な言論や表現をなくし、在日外国人らの人権を守り抜くために、品位ある国民としての英知を集めたい。指導者たる者が国家や民族間の対立をあおる言動を慎むべきことは、言うまでもない。



 “高市早苗政調会長は二十八日の初会合で、国会周辺の大音量のデモや街頭宣伝活動についても「仕事にならない」として、規制強化を検討するよう求めた”らしいが、この人の「仕事」って何なの?

 「政調」会長だろうが、おしなべて国会議員は国民の多様な声を「静聴」することこそ仕事ではないのか。その基本を忘れているから、国民が伝えようとしているのである。

 ヘイトスピーチをする人達も、高市のような国会議員も、人間は平等である、ということが考え方の根本に存在していないことがさまざまな問題を引き起こしているように思う。

 最近読んだ本の印象的な文章を思い出した。

e0337865_16403672.jpg

渡辺京二著『無名の人生』(文春新書)

 『逝きし世の面影』や『江戸という幻影』『北一輝』などの著者である渡辺京二へのインタビューを元にした本。『無名の人生』には、いろいろと示唆される言葉がある。

 第六章の「無名のままに生きたい」の中の「われわれは地球に一時滞在を許された旅人」から引用したい。

 みんな一皮むいてみればただの人間だとは、仏法が説く世界であり、キリスト教が教える世界です。それは、古代インドにみられた一種の共和国「サンガ」の世界でもあって、そこで人間は一人ひとりが独立した存在です。集団のなかの地位であるとか、業績であるとか、権力であるとかは消え去って、宇宙の光が注いでいるだけ。そういう世界こそが真実の世界であることを、昔の人はみんな知っていたのではないか。
 そうであれば、誰もが誇りをもって生きられたでしょう。渡し守で一生を終えても、なんの悔いもなかったでしょう。そして、そういう人は今もいるのです。
  (中 略)
 職業に貴賎なしというものの、われわれは、実際には貴賎の区別はしています。それでも、昔の人間は誇りをもって仕事をしていました。自分の職業に「気位」を持っていたのです。それは、世の中である一定の役割を果たしているという自負であったのかもしれない。しかし同時に、この現世での地位や身分は「仮のもの」であるという考え方もおそらく身についていた。
 われわれは、みな旅人であり、この地球は旅宿(りょしゅく)です。われわれはみな、地球に一時滞在することを許された旅人であることにおいて、平等なのです。
 娑婆でいかに栄えようと虚しい。すべてが塵となるのですから。金儲けができなくても、名が世間にゆき渡らなくても、わずか数十年の期間だけこの地上に滞在しながら、この世の光を受けたと思えること。それがその人の「気位」だと思う。



 “この地球は旅宿”“われわれはみな、地球に一時滞在することを許された旅人であることにおいて、平等”という思いがあれば、他国の人を差別したり、デモの声などに煩わされることはないはずだ。みな同じ旅人なのである。

 そして、「気位」という言葉。今のままでは死語になりそうだが、胸に刻むべき言葉のように思う。

 ヘイトスピーチをしている人に、そして国政を担う議員たちに、あなたたちは一人の旅人としての「気位」がありますか、と問いたい。
[PR]
e0337865_16403517.jpg

鈴木篤著『わたくしは日本国憲法です。』(朗文堂)

 本書に関する第四回目は教育がテーマなのだが、その前に、本書巻末にも青空文庫からの引用として憲法全文が紹介されているが、その中の憲法13条を確認したい。憲法を語る上で非常にに重要な内容である。

第十三条
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 
 国政上でも「個人」が最大に尊重されなければならない、のである。
 「個人」という言葉、しっかり覚えておこう。

 次に、自民党の改正(改悪)案で第十三条は、こうなっている。

第十三条 
 すべて国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。



 違うのだ、まったく。
 さて、この自民党案について、憲法さんはこう言っている。。

憲法を改正してわざわざ「個人」を「人(ヒト)」といいかえようとしているのは、国民を「臣民」「天皇の赤子」として、没個性的に「国家の駒」のように位置づけた戦前の憲法の考え方に戻そうというもので、それは国民ひとりひとりを個性を持ったひととして尊重する基本的人権の思想を否定する考え方を、こっそり憲法の中に持ち込もうとするものなのだ。


 「人」と変えることが、「人でなし」になるということ・・・・・・。 

 なお、自民党案については、昨年の憲法記念日に記事を書いたので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2013年5月3日の「幸兵衛の小言」

 もちろん、教育においても、「個人」が尊重されなければならない。その主役がどの「個人」かが問題なのである。
 それでは、『わたくしは日本国憲法です。』の「教育の重要性」からの引用。

(1)「義務教育」についての誤解
 さてここで、これからしばらくは教育について話をさせて貰おう。
 教育を考える上でまず君たちが持っている根本的な誤解について触れておく必要がある。それは義務教育に関する誤解についてだ。義務教育ということで、君たちの多くは子どもには教育を受ける義務があると考えている。
 「学校に行くのは子どもの義務だ」、「勉強しなさい」、「まじめに授業を聞きなさい」等々、これらはすべて子どもには教育を受ける義務があるという考え方を結びついている。
 しかしわたくしは、決して子どもには教育を受ける義務があるなどとはいっていない。わたくしは26条で、
 「全て国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」
 と、はっきり「権利」といっているのだよ。26条でわたくしがいっているのは、すべての子どもたちには自分の能力を最大限に活かし、引き出すために学ぶ権利があり、大人社会は子どもの学ぶ権利を保障する義務を負っているということなのだ。


 この「義務教育」に関する誤解は根強い。そもそも、欧州を中心に、年少児童を不当に労働させていた悪習を正すための制度として義務教育は始まっている。
 産業革命期に、年少児童が工場などでの重要な労働力として、劣悪な環境下で酷使された。労働者階級の親も、食べるめには子どもを一人の稼ぎ手として期待せざるを得なかった。そこに、子どもに教育を受けさせようとする余裕はない。
 そういう状況にこそ、政治の本来の存在意義がある。イギリスにおいて、まず19世紀前半に工場法などによって年少児童の工場雇用が禁止され、19世紀後半には義務教育制度が施行されるようになったのである。

 あくまで、子どもに教育を受ける「権利」があり、親は国(政府)が子どもに教育を受けさせる「義務」を負うのだ。

 憲法さん、次にこの誤解によって本来のあるべき教育の姿が歪められていると指摘する。

(2)教育についてのふたつの根本的に異なる立場
 教育についてのこの誤解の持つ意味は極めて重大だ。
 教育にはふるくから大きく分けるとふたつの根本的に異なる立場がある。
 ひとつは、子どもの外にある知識や価値観を子どもに教えるのが教育だと言う立場である。
 もうひとつは、子どもの内にある可能性を引き出し、子どもが自ら学び、学んだことを礎に行動する(生きる)ことができるように援助するのが教育だという立場だ。
 前者は子どもとは教えられるべき立場にあるわけだから、必然的に教育は子どもの義務という考え方と結びつき、後者は、子どもは自らが主体となって学ぶという立場にあるわけだから、必然的に教育(学習)は子どもの権利という考え方と結びつくことになる。
 そうすると既にこのこと自体で、前者の立場の教育論は教育(学ぶこと)とは子どもの権利であるとしている私に反する考え方だということになる・。つまり憲法違反の教育輪なのだ。



 すでに二回目で紹介したように、憲法の精神、理想が反映されていた「旧教育基本法」が葬り去られ、なおかつ、義務教育に関する大きな誤解をよいことに、子どもの権利が義務とすり替えられた結果、今日の教育の現場がさまざまな問題を抱えるようになったと言ってよいだろう。

 では、憲法さんは、どんな教育を望んでいるのか。

(3) 真の教育は、子どもたち自身の中の「問い」を育て深めるために手助けすることにある。
 教育の重要な目的のひとつは、世の中の様々な問題についての「なぜ?」、「どうして?」についての回答を、子どもたち自身が自分の力で見つけていくことができるように援助することにある。知識を学ぶこともそうした回答を得るためにその知識を持っていることが必要だからにほかならない。



 憲法13条にある「個人の尊重」の精神からも、教育における主役が誰かは明らかだろう。あくまで子どもが主役、先生、教育委員会、ましてや都道府県や国などは、あくまで子どもの学びのための援助をする“黒子”である。

 ところが、実態が乖離していることを、憲法さんも嘆く。

 たとえば日本の科学教育(理科)では、あらかじめひとつの結果が予定されている実験をさせ、その結果を出さないと減点されることがおこなわれる。そこでは、教師があらかじめ予定した思考経路を辿らない生徒は教師によって否定される。それは教師にとっても生徒にとっても感動も発見も無い授業であり、そこにあるのは、科学技術は教えるが科学精神を持つことは認められない教育にほかならない。



 こういった状況なので、教科書を巡る騒動が起こることを憲法さんは指摘する。

(4)教科書について
 このように子どもたちの学習の内容は、子どもたちの外から学校や教師が与えるという教育神観に立っているから、教科書になにを記載しなにを記載しないかを巡る争いが、教科書検定とそれにたいする家永裁判、「新しい教科書を創る会」等々、大きな争いになっていくのだ。それはいいかえれば「教科書を教えるのが教育」だという考え方が土台にあっての争いなのだ。
 しかし教科書は、本当は子どもたちの学習のひとつの参考書にしか過ぎない。



 そして、憲法さんは、こう言う。

 真の教育はこの後に触れる長野小学校の総合学習がそうであるように、「教科書を子どもが創る」教育にほかならない。

(5)総合学習について
 教育は、子どもの学習権を保証するために組織されるものだという立場に立つならあ、「授業がどう組織されているか」ということがないよりも重要な問題となり、そこに「子どもが主体となる授業」と、「教師が主体となる授業」との鋭い対立が生じることになる。
 数年前「総合学習」というものが取り入れられたことがある。総合学習とは、もともとは信州大学付属長野小学校が戦前から取り組んできた「子どもが主体となる授業」のひとつの優れた実践例につけられた名前である。そこでは文字通り、子どもたち自身がこれからの一年間にどんなことについて自分たちが学んでいくかを決め、その課題を子どもたちの持つ興味や疑問、関心などを基に徹底的に追いつめていくという授業が組織されている。
 たとえば、年の初めに「蛇を飼う」ことを決めた学級がある。当初は蛇への嫌悪感からそうした方針を決めることに子どもたちの中にも抵抗が大きかったが、実際に飼いはじめて行く中で次第に蛇にたいする嫌悪感が薄れていき、むしろ可愛いと感じるようになっていく。
 そうなって子どもたちは、なぜ自分たちはあれほど蛇を嫌ったのだろうかを考えるようになり、そこからその答えを求めて町に出て、様々なひとたちにたいするアンケート調査を実施するのだ。
 そうした調査を通して、子どもたちは嫌悪感の根っこには「知らない」ということがあることに気づいていく。ここで子どもたちは、嫌悪感=差別の根には、相手を良く知らないということ=無知・無理解があるという重要なことを自ら掴みとるのだ。


 長野小学校の総合学習は、この後、蛇の餌であるカエルを巡っても、かんかんがくがくの議論が交わされる。
 蛇が餌を食べられないとかわいそうだが、食べられるカエルはかわいそうじゃないのか・・・・・・。

 答えに窮した子どもたちは、またもや町に出て行き、様々なひと(その中には善光寺の住職も含まれている)に質問して答えを求めていく。そうした行動を通して、子どもたちはついに、
 「すべての生命は、ほかの生命を取り込んで成り立っている。その中でも人間は、植物、魚、動物など数え切れないほどたくさんの生命を取り込んで成り立っている」
 という事実に自ら気づいていく。重要なのはそこで子どもたちが気づいた、人間が自分の内に取り込んでいる「生命」は、もはや単なることばとしての「生命」ではなく、自分たちが可愛いと感じている蛇や、自分たちが生きたまま餌にして良いのかとおもいを寄せたカエルにつながる「生命」としての実感を伴ったものだということだ。


 これこそが、あるべき教育の姿、という例が紹介されているではないか。

 しかし、この総合学習も、文科省によって「子どもたちの頭越しに、上から」カリキュラム化を強制した結果、教師も、そのほとんどが総合学習の神髄を理解せず失敗に陥った、と憲法さんは嘆く。

 ビジネスでもそうだが、総合学習の失敗は、日本語で言えば「仏つくって魂入れず」である。
 少し英語を交えて考えるなら、「どう行うか」(How)は、「何を」(What)を、形だけでなぞっても十分ではない。「なぜ?」(Why)と、「何のために」(Object)をしっかり理解していないと、上手くいかない、と言うことだろう。
 
 なお、信州大学教育学部附属長野小学校のサイトには、総合学習についての説明もある。この学校、歴史の重みを感じるなぁ。信州大学附属長野小学校サイトの該当ページ

 この章の締めをご紹介。
 (6)において、模範授業などで、「先生の問いに、子どもたちが自分の知識の引き出しから答えを探して、手を挙げて発言する」見た目活発な授業が模範的な授業なはずがない、「そこにいるのは教師から教え込まれたことを反射的に答えているパブロフの犬のようなもの」「そうした授業で主人公となっているのは有能な調教師となった教師にほかならない」と斬り捨てた後の言葉だ。

 つまりこの国では、まだ民主主義が子どもたちの血となり、肉となるような教育がおこなわれていないことにほかならない。その結果世界には選挙の投票率が80%を超えるような国があるのに、わが国では50%を超えるにが精一杯となっていることに端的に表れているように、国民の民主主義意識は低いままになっているのである。


 残念ながら、まったくその通り。

 なお、投票率の低さに関して、このままなら投票の義務化を検討すべきではないか、ということを書いたことがあるので、ご関心のある方はご覧のほどを。
2013年7月22日のブログ 
 本来「権利」であるものを「義務」にすることの問題はあるが、これだけ投票率が低い状態は民主主義の危機である。
 本書で憲法さんが小選挙区制と比例代表制の問題について指摘する通り、結果として有権者のうちわずかの投票が、多数決原理を支配する与党の横暴を生み出している。


 憲法さんの、憲法が掲げる精神、理想に反するわが国の現状への怒りは激しく、嘆きは深い。

 他にも紹介したい内容は山ほどあるが、あとはぜひ実際にお読みいただきたい。
 次の目次のように、私が紹介したのは、ほんのごく一部なのだ。
 全体で200ページに満たないが、分かりやすくて、内容は濃いよ。

----------------目  次----------------
○はじめに
○わたくしは日本国憲法です
◯押しつけ憲法
◯多数決は民主主義の原則?
◯小選挙区制について
◯民主主義・・・・・・個人の尊厳と基本的人権
◯再び多数決原理について
◯教育の重要性
◯思想教育
◯ヘイト・スピーチ、極右・ネトウヨについて
◯もう一度「押しつけ憲法」について
◯民主主義政党の不在
◯わたくしの「前文」
◯集団的自衛権
◯国民自身の中にある民主主義的で無いものについて
◯本音と建て前
◯地方自治の本旨と道州制、あるいは大阪府・市一体化構想
◯特定秘密保護法
◯護憲派はオオカミ少年なのか
◯生活保護法の改悪
◯最後に・・・・・・
◯参考資料 日本国憲法全文
--------------------------------------------------

 本書の読者が増え、日本国憲法の本来の精神や理想に基づく国に少しでも近づけるよう、そして、憲法精神に反する政府の暴挙を止めるために、国民の声が日々高まっていくことを祈って、本シリーズお開きとします。

 最後に、本書でも巻末で引用している青空文庫の「日本国憲法」から、「前文」を掲載したい。ここに、憲法の精神、理想がしっかりと記されている。
青空文庫「日本国憲法」

前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。



 ここに書かれた日本国憲法の精神と理想を大事にしたいと思います。
 本シリーズへの長々のお付き合い、誠にありがとうございました。
[PR]
e0337865_16403517.jpg

鈴木篤著『わたくしは日本国憲法です。』(朗文堂)

 三回目のご紹介は、「多数決は民主主義の原則?」の章から。
 憲法さんは、怒っているぞ。

 「多数決は民主主義の原則」という考え方は国民の中に深く浸透しているようにおもえる。
 実は、わたくしが長年の間「違う!違う!そうじゃない!」とおもってきたことのひとつが、この考え方なのだ。
 戦後の教育の中でも、あるいは新聞や雑誌や出版物などの中でも、当然のように多数決は民主主義の原理と教え、語られてきている。
 ではみなさんにひとつ質問したい。多数決が民主主義の原理であるというなら、そのことと民主主義の根本は、ひとりひとりの個人をかけがえのないものとして尊重すること、つまり個人の尊厳を認めることにあるということとは矛盾しないのか?多数決とは少数意見の切り捨てではないのか?それは結局のところ、国民の中の少数者の権利や利益の制限や抑圧につながるのではないのか?



 憲法さんは、憲法13条の「すべて国民は、個人として尊重される」という民主主義の基本となる精神と、多数決の矛盾に関し、ある有名な詩を題材として主張を続ける。

 多数決を民主主義の原則だというのは根本的に間違っているのだ。本当は、多数決は民主主義の本来の原則を守り抜いた後の問題解決の方法として、民主主義とは異質な原則を例外的に制度として取り込んだものなのだ。ことばを替えていえば民主主義の限界を示すものなのだ。そのことをしっかり理解しておかないと大きな間違いを犯すことになる。
 少し前に「もし世界が100人の村だったら」という詩がインターネットを通して全世界に広がったことを覚えているひともいるだろう。その一部を抜粋するとこんなくだりがある。

 もし世界が100人の村だったら
 ・・・・・・
 6人が全世界の富の59%を所有し
 ・・・・・・
 80人は標準以下の居住環境に住み
 70人は文字が読めません
 50人は栄養失調に苦しみ
 1人が瀕死の状態にあり
 1人は(そうたったの1人)大学の教育を受け
 そして1人だけがコンピューターを所有しています
 ・・・・・・

 さて、これを見て素朴な疑問を持たないなだろうか。
 「6人が全世界の富の59%を所有している」ということは、全世界の94%のひとが所有する富は41%でしかないということだ。
 同様に、全世界の80%のひとは標準以下の居住環境に住み、70%のひとは文字も読めず、50%のひとが栄養失調に苦しんでいるということだ。
 このように、世界の中の富める者はごく僅かで、貧しくて十分な栄養も取れないというひとびとの方が圧倒的に多いというのに、なぜその多数のひとたちの願いが政治の基本に据えられず、いつまでも貧しいままになっているのか、そこには民主主義は無いのかという素朴な疑問である。


 多数決は、民主主義の原則ではなく、あくまで便法であるということを示した後で、“本当に多数決でものごとが決まるのなら、この実態をどう考えるのか”と、象徴的な詩が紹介された。
 この詩は、実はもっと長い。詩の全文は、最初に英文を訳した方による、こちらのサイトをご参照のほどを。
中野裕弓オフィシャルサイト「もしも世界が100人の村ならば」
 この詩は、NGOの開発教育協会では、国際理解のための教材として使っている。
開発教育協会のサイト

 安倍晋三は、“グローバル”という言葉が好きなようだが、この詩で語られている地球(グローブ)の実態については、知っているのかどうか。もし知っていても、彼の会食やゴルフの常連のお相手の顔ぶれを見ると、富める6人だけのための政治をしているように思えてならない。

 “世界の中の富める者はごく僅かで、貧しくて十分な栄養も取れないというひとびとの方が圧倒的に多いというのに、なぜその多数のひとたちの願いが政治の基本に据えられず、いつまでも貧しいままになっているのか、そこには民主主義は無いのかという素朴な疑問”について、憲法さんは、こう続けている。

 こうしたことは、なにも一部の「後進」国や非民主的な独裁国家に限ったことではなく、民主主義国家だと自他共に認められているいわゆる先進諸国にも共通する問題なのだ。この日本だったその例外ではない。一方に何千万円あるいは何億円もの年収を得ている一握りのひとがいて、他方では家族を抱え年収300万円以下という膨大な数のひとがいるのだから。
 民主主義がきちんと機能しているのなら、こんな不公平な状態は直ぐに解消されるはずではないか。-
 おかしいではないか。-
 こんなことがまかり通っている背後には、なんらかのトリックや秘密が隠されているのではないのか。


 まさに、民主主義が働いているなら、100人のうち、たった6人が冨の6割を所有し、80人は標準以下の居住環境に住み、70人は文字が読めず、50人は栄養失調に苦しむ、なんてことにはならないはずだ。
 憲法さんご指摘の通り、なんらかのトリックか秘密がない限り、世界中の不公平は説明できそうにない。
 では、民主主義を機能させないトリックとは何か。

 かつてこの秘密の正体は「数千の網の目」であり、トリックの正体はそれを背景にした「多数決原理」だとl喝破したひとがいた。
 どういうことかというと、権力を握っている側は、まるで数千もの網の目でからめ取るように、ありとあらゆる手づるによって国民を組織し取り込んでいて、そのため、普通に多数決を取れば自分たちに都合の悪い結論などは決してでないようになっているというのだ。そして国民の側は自分たちがそのようにからめ取られ、操作されているということに決して気づかず、自分たちは民主主義の権利を行使しているとおもいこんでいるのだ。
 今の日本でいうなら国民のひとりひとりは、学校教育や、新聞、テレビ(テレビから流れるコマーシャルも含めて)、週刊誌、雑誌、小説、音楽、演劇、映画はいうまでもなく、会社の人間関係、地域の人間関係等々、更にはこうした物に取り囲まれてその影響をどっぷりと受けている親とその子との関係、友人との関係など、それこそ文字通り「数千」どころか「数万の網の目」によって知らず知らずのうちに影響を受け、ひとつの方向に誘導されているのだ。
 この「網の目」の一端を示しているのが、最近出版された『原発ホワイトアウト』の中で紹介されている、原発から生じる膨大な余剰利潤を原資とするモンスターシステムにほかならない。この本の最後にしるされている柏崎原発のメルトダウンのシーンはフィクションだが、そこまでの部分はまさに今君たちの目の前で進行している事実そのままなのだ。
 つまり3.11大災害の直後にも、経済産業省内では原発推進を前提とした計画が策定されていたという事実、原発再稼動に向けて着々と手順を踏んでいる原子力規制委員会の動き、エネルギー基本計画での原発ゼロ方針の撤回、福島の子どもたちの健康調査の結果についての「原発事故による放射線と福島で発見されている子どもたちの甲状腺癌との間には、因果関係は無い」という発言、いつのまにかテレビやマスコミに原発反対派の学者や識者が登場しなくなっていること、政府がセールスマンとなって原発輸出を進めていることなどなど。


 『原発ホワイトアウト』は、経産省の現役官僚が仮名で内部情報を元に原子力村の実態を交えて書いた本。

 憲法さんの、民主主義を阻むものが、「数千の網の目」と「多数決原理」であるという指摘は、非常に重要だ。
 数千、数万の網の目が、100人のうち圧倒的多数の貧しい人々の姿を隠し、ほんの一部の富める者の有利な多数決原理が支えている、という現実を、私も日々感じないわけにはいかない。
 憲法さんの指摘するモンスターシステムは、時間の経過と、忘れっぽい国民性を味方につけて、今まさに活発に稼動してている。

 何度か書いてきたが、今やジャーナリズムという言葉が死語になりつつある。マスコミの世界にいる多くの人は、単なるサラリーマンであり、企業の論理、経営者の意向に従うばかり。加えて、勉強不足だ。
 憲法さんも、こんな事例を書かれている。

 池上彰というひとが新聞に書いていたことによると、自分の知っているテレビのディレクターに、秘密保護法の問題を取り上げようと提案したところ、そのディレクターから「なに?それ?知らない」という対応をされたそうだが、池上彰と一緒にニュース解説の番組をつくっている担当ディレクターにしてこうなのだから、多くの国民は秘密保護法について新聞に記事が載っても、テレビでそれについて報道や解説があっても、そうしたものを見ようともせずにスルーしてしまっているということだ。

 
 テレビマンたちは、ここまで落ちたということだ。それにしても、いつまでたっても池上彰にしか教わる人がいない、というのも、彼なら視聴率が稼げるという商売の論理が背景にある。そろそろ別な論客の登場を期待したいが、そういう人はマスコミには出ないだろうことを、憲法さんは、次のように表現している。

 国民の中で本当の意味で民主主義を身につけて、真実を語ろうとするひとびとは、いつまで経っても「変わり者」で、「少数者」にしかならない。


 私も頑張って「変わり者」のブロガーを続けようと思う^^

 さて、この章の最後は次のように締めくくられている。

 多数決がこういうトリックとして効力を維持するためには、国民が目覚めてもらっては困るから、教育を変え、報道を変え、不都合な情報が国民に知られないように秘密保護法をつくる等々のことにあんなにも必死になるのだ。
 このように見てくると、多数決の原理といのは、民主主義の原理であるどころか、多くの場合、民主主義を否定し民主主義を骨抜きにする側面を持っていることに気づくはずだ。
 つまり、多数決原理は民主主義を効果的に活かすための原理という側面と同時に、その理解と使い方を間違えると民主主義を骨抜きにしかねないという側面の、二律背反する性質を持っているのだ。そのことをしっかりと理解しないで、多数決=民主主義などと安易に考えていると、とんでもない間違いを起こすことになるのだ。


 
 国民が目覚めてもらっては困る、というモンスターシステムの思いのままになっては、民主主義も憲法の精神も滅びてしまう。
 しかし、希望はある。福島地裁の判決なども含め、国民は寝ているのではない、実は寝ているフリをしていただけであり、モンスターシステムに反撃するのが、まさに今なのだと思う。

 次回は、教育の重要性について、憲法さんが具体的事例も交えて主張しているので、ご紹介したい。
[PR]
e0337865_16403517.jpg

鈴木篤著『わたくしは日本国憲法です。』(朗文堂)

 さて、『わたくしは日本国憲法です。』の内容についてだが、前半でもっとも勉強になったのが、「旧教育基本法」についての記述である。
 「押しつけ憲法」の章から紹介する。
 ここでは、まず最初に、憲法押しつけ論争の不毛について“憲法さん”が指摘する。

 わたくしを嫌うひとたちは、わたくしがアメリカ軍によって押しつけられた憲法だといって攻撃してきた。それにたいして、わたくしを守ろうとするひとたちは、わたくしは決して押しつけられた憲法ではないといって、当時この国にもあった、民主主義的な憲法の制定を目指す様々な試みの例を挙げて反論している。最近では美智子妃が、五日市憲法のことに触れたことで話題になったりもしている。
 だけどわたくしからいわせると、そうした議論は少し焦点からずれているようにおもわれる。確かに「護憲派」のひとがいうように、この国にも民主主義的な憲法の制定を求めるひとがいたことは事実だし、そうしたひとがいたということは、わたくしもとても嬉しくおもう。それでも残念ながら、そうしたひとは、わたくしが生まれた時にはこの国ではきわめて少数でしかなかったということもまた事実なのだ。
 (中 略)
 「押しつけられた憲法だから、そんな憲法は無くしてしまえ」
 という改憲派の考え方に対置すべき考え方は、
 「いや、決して押しつけ憲法ではない」
 ということではなく、
 「確かに押しつけという側面があったことは事実だ。だからといって、そのことはこの憲法のなかみが持っている価値とは別の問題だ。この憲法の中身は決して否定されるようなものではない。むしろ問題は、押しつけであったがために、憲法の持っている本当の価値が、その後のこの国の生活や政治の中で十分理解されず、活かされてこなかったことにこそあるのだ」
 ということにあるはずだ。


 この部分を読んで、私も反省した。以前に“押しつけ”という改憲派の主張に対し、“押しつけではない”と反論してきたからだ。
 そうなのだ。問題は、その中身、日本国憲法の精神であり思想なのである。

 この後、次のように、葬り去られた「旧教育基本法」のことが語られる。

 わたくしが生まれて間もない頃のことだから、今ではもうほとんどの国民が知らないだろうが、旧教育基本法とそれを受けた教育委員会法は、田中耕太郎(1890-1974)が文部大臣を務めていた時期に制定された法律なのだ。田中耕太郎は、戦前の教育への反省から、戦後の日本国憲法の下での教育の在り方についてこんなことを書いていた。

 1 国家も真理及び道義に奉仕すべきものなるを明瞭にすること。国家が
   正邪善悪の尺度を規定し、国家に有用なるもの即ち正且つ善なりとの
   思想を排撃すること。
 2 教育を政治より分離し、教育制度を政党政派の対立及び勢力関係の
   影響外に置くこと-このために教育に憲法上司法権に与えられる独立
   の地位を保証する取り扱いをすること。
 3 文部省の存在理由及び機能を再検討し、これを存置するとせば、その
   活動を原則として教育の内容に干渉せざる純粋なる事務的方面に
   限局すること。

 ちょっとばかり難しかったかな。なんせ60年以上も前のひと、しまものちに最高裁判所の長官にもなったひとの文章だからね。

 

 ここで念押ししておくが、著者は「日本国憲法」として、書いているのである。しかし、その文体は非常に分かりやすい。だから、“憲法さん”と、たまに書かせてもらう。続ける。

 最初の文章がいっていることをわかりやすくいうと、真理とか道義というのは国が決めるものではない、なにが正しくて、なにが間違っているかを決めるのも国ではない。それは国の判断や思惑とは別に、客観的なものとしてあるものだからだ。
 だから「国とって有利だ」とか、「国にとって有益だ」からといって、それが正しいとか善だということには決してならないし、国にとって不利だとか不都合だからといって、それが真理や道義ではないということにもならないのだということ。
 たとえば戦前は戦争に反対し、天皇の神格化に反対する思想や意見は、当時の国にとっては不都合な思想だったから、誤った思想や意見とされて弾圧の対象となっていたが、本当の真理や道義は、弾圧された側にあったことは今では明らかになっている。
 国の役割は、そうした真理とか道義にしたがって、国民に奉仕することにあるのであって、真理や道義が自分(国家)にとって都合が悪いからといって、それをねじ曲げて、自分に都合の良い「真理」や「道義」をつくり出して、それを「これが真理だ」とか、「これが道義だ」などと国民に押しつけ、まして真理や道義を語ろうとする国民を弾圧するようなことを二度と繰り返してはならないということだ。
 その点で、最近NHKの会長に就任したひとが、
 「政府が右といっているのに、左というわけにはいかない」 などと発言していたが、この発言は事実や真理や道義を報道するジャーナリズムの使命を公然と投げ捨て、NHKは政府の宣伝機関になると宣言したようなもので、正に戦前の大本営発表を垂れ流す国営放送への回帰ということになる。こうした発言が公然となされるようになっていること自体、今この国がどれほど危い状態にあるかを如実に物語っている。


 このあたりの文章を読みながら、私は何度、「そうだ、その通り!」と頷いたことか。
 憲法さんの言い分にはすべからく同意できるし、その危機感にも共感する。

 旧教育基本法そのものについても、しっかり説明されている。

 田中耕太郎のこの三つ目の文章の考え方は、旧教育基本法の10条1項の、
 「教育は、不当なる支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」
 という条文、そして同条2項の、
 「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」
 という条文に表現されている。
 1項の「国民全体に対し直接責任を負う」は、文部省の役人や政府などによる官僚的な統制に服するものではない、教育はまっすぐに国民(子どもたち)を見て、その国民の利益のためだけにおこわまれるんべきものだといっているわけだ。
 そして2項は、文部省の仕事は教師と子どもたちが自主的に伸び伸びと学習していくために必要な条件を整えるという教育の環境整備だけに限定し、教育内容には一切口を出すなといっているわけだ。
 この教育基本法にはわたくしと同様に前文があり、そこには、
 「日本国憲法・・・・・・の理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。・・・・・・個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育の基本を確立するため、この法律を制定する」
 と記されていた。この考え方は当時のわたくしの考えをそのまま表現するものだ。



 「旧教育基本法」の精神と、現在の教育のあり様の、なんとも乖離していることか。

 本書の注から、日本国憲法が、「わたくしの考えそのまま」と振り返った「旧教育基本法」が捨て去られた経緯をご紹介。

 旧教育基本法は、憲法の施行(昭和22年5月3日)に先立つ昭和22年3月31日施行された。それを全面改正した現教育基本法が成立したのは平成18年12月15日である。本文で触れた旧教育基本法の第10条(教育行政)は、この改正によって、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところによりおこなわれるべきものである」と変えられ、旧法が目指した「教育の独立」という考え方は完全に投げ捨てられている。最近の、首長の教育への支配介入の権利の承認・拡大は、このことの直接の結果といえる。



 たった八年前に、日本国憲法の精神をしっかり踏襲していた教育基本法は、“旧”という肩書きに追いやられた。
 しかし、改正(もちろん、実態は“改悪”であるが)されるその前から、憲法の精神を反映したこの法律を葬る動きがあり、それを阻止できなかった歴史がある。そのことについて、本書では次のように書かれている。

 だが残念ながらこの教育基本法の理想は、法律ができるのとほとんど同時に、文部官僚によってこっそりと棚の奥にしまい込まれてしまった。
 いやいや、そういうと不正確になる。旧教育基本法の理想を棚の奥にしまい込んだのは文部官僚だけではない。教育を担っていた全国の教師たち、そして子どもを抱える親たちも、そのほとんどは旧教育基本法のこの理想を十分に理解できず、戦前の思想と感覚を色濃く残したまま教育に当たり、子育てをしてきたのだ。
 つまり、一方では文部官僚が意図的・意識的に旧教育基本法の精神を骨抜きにしようとし、他方では全国の教師や親(つまりは国民)は、そうした文部官僚の動きの重大性を十分に理解できずに見逃してしまい、さらには自らも民主主義を本当には理解していないまま、子どもたちを育て教育してきたということによって、そうとは自覚しないまま旧教育基本法の骨抜きに手を貸してきてしまったのだ。



 本書でも指摘されている通り、憲法制定、施行の時期、ほとんどの国民は食べるだけで精一杯だった。押しつけの側面があろうと、国民を主役とする素晴らしい「日本国憲法」を持つことができたのだが、それを十分に自分たちのものとして咀嚼する余裕などなかった。だからこそ、その精神や理想を肉体化するには、教育が必要だったのだ。
 ところが、その憲法の精神や理想を国民の武器とするための重要な教育を骨抜きにする官僚の暴挙を、教育者や親を含む国民も許してしまった。これが、紛れもない歴史の事実であろう。

 しかし、まだ日本国憲法そのものを失ったわけではない。

 本書について憲法さん(著者)は、「遺言」という表現を使っているが、それは特定秘密保護法や集団的自衛権など憲法の精神と真っ向から反する安倍政権の暴挙に、「今、言わねば」という強い危機感を抱くからの言葉である。
 
 この国民の宝であり、武器を失うわけにはいかない。

 次回は、本来の“民主主義”とは何か、について紹介したい。「多数決が民主主義・・・冗談じゃない」と憲法さんは怒っている。
[PR]
落語愛好家仲間であり、ブロガーとしても人生の先輩としても尊敬しているのが、我らが居残り会のリーダーである佐平次さん。
 その佐平次さんの弟さんで弁護士をされている鈴木篤さんが本を出されたことを、佐平次さんのブログ「梟通信」で知った。『わたくしは日本国憲法です。』という本だ。
「梟通信」の2014年8月21日の記事
 出版社の朗文堂さんのサイトを拝見すると、なかなかユニークな会社のようだった。
 佐平次さんのブログでは、本書希望の場合に著者鈴木篤さんの江戸川法律事務所に連絡する手はずが書かれていたのだが、少しでも早く読みたいこともあるし、三田落語会は夜席でその前に神保町の古書店巡りをするつもりだったから、直接出版元に行ってみようと思い金曜日にメールで訪問の件をご連絡したところ、本来は定休日だが出社される方がいるので来店可能とのこと。
 
 そういうことで、土曜の午後、新宿二丁目交差点近くの朗文堂さんに立ち寄らせていただいた。

 ビルの四階に上がると、扉のガラスにこんな風に表示があった。

e0337865_16403509.jpg

 ビルの外には看板など一切ないので、「ここで間違いないのか?」と不安気に上がって行ったのだ^^

 中に伺うと、出社されているとメールで返事をいただいた大石さんだけでなく、社長の片塩さんもいらっしゃった。

 つい、この本を知ったいきさつなどをご説明していると、大石さんがお茶を出してくださり、少しお話をさせていただくことになった。

 片塩さんは、著者である鈴木篤さんとは長野高校の同級生で、顧問弁護士もしていただいている古くからの友人ということから、今回出版を請け負われたようだ。以前は近くの末広亭で落語もよく聴かれたらしい。先代小さんがお好きだとのこと。
 同じ信州から大都会に出てきた友人鈴木篤さんのことは、人権派弁護士としての活動やご苦労もよくご存知なのだろう。言葉数は多くないが、片塩さんとの会話から、お二人の友情の厚さが伝わった。

 事務所には、今では貴重な活版印刷の機械があり、壁際には活字が棚に収まっている。学生時代に新聞社でアルバイトをしていたことがあるので、非常に懐かしい空間だ。

 朗文堂さんは、「タイポグラフィ」に関する書籍の出版が多く、「タイポグラフィ」を学ぶ「新宿私塾」も開催されている。
 片塩さんによると、日本は明治になって一気に活版印刷が産業として入り込んだが、ヨーロッパでは古くから学問としての歴史を持っている、とのこと。
 サイトにある「新宿私塾」の紹介ページには、冒頭、次のように記されている。
朗文堂サイトの「新宿私塾」のページ

「新宿私塾」はタイポグラフィをまなぶための、ちいさな教育機関です。 
 書物と活字づくり、すなわち「タイポグラフィ」の 550 年におよぶ魅力的な歴史をまなび、本格的なタイポグラフィの教育と演習を通じて、あたらしい時代の要請に柔軟に対処する能力を身につけた、タイポグラフィの前衛を養成します。


 少数しか塾生を募集していないので、いつもすぐ定員になるようだ。ご興味のある方は、朗文堂さんにご連絡ください。

朗文堂 タイポグラフィ・スクール 新宿私塾
〒160-0022 東京都新宿区新宿 2-4-9 中江ビル 4F
telephone 03-3352-5070 , facsimile 03-3352-5160



 さて、片塩さん、大石さんとの楽しい会話の後、事務所を辞して持ち帰った本を、近くの喫茶店に入りさっそく読み始めた。

e0337865_16403517.jpg

鈴木篤著『わたくしは日本国憲法です。』(朗文堂)

 しばらくして、「その通り!」と何度も頷く自分がいた。

 朗文堂さんの本書紹介ページにある、下図のチラシ(フライヤー)の冒頭には次のように書かれている。
e0337865_16403562.jpg

  

 わたくしは日本国憲法です。

  あなたがた日本国民が、
  平和のうちに幸せな生活を送れるように、
  あなたがたを守るために生まれてきました。
  わたくしを手放さないでください。
  わたくしを葬らないでください。



 朗文堂さんの紹介ページから「はじめに」の一部も引用。
 なぜ、著者鈴木篤さんが、「日本国憲法」の立場で本書を執筆したか明かされている。

 現実には戦後の六八年間、この国に民主主義や民主主義を守り育てようとするひとびとがいなかったわけでは決して無い。
それどころか、戦後の歴史は、民主主義を踏みにじろうとする勢力と、平和と民主主義と基本的人権を守ろうとする勢力との闘いであったといっても過言ではない。

 そして、憲法をないがしろにしようとする勢力が政権を握り続けてきたにもかかわらず、そうした多くの先達による、粘りつよくて勇敢な闘いがあったからこそ、平和が守られ、根本のところで民主主義と基本的人権が守られてきたことは紛れもない事実なのだ。

 そうした力は、いまも特定秘密保護法成立を阻止しようとして、官邸や国会前に集まったひとびとや、日に日に強くなっている、集団的自衛権行使容認に反対する国民各層の声としてあらわれている。

 しかしそうした悲鳴にも似た反対の声にも関わらず、安倍政権は、国民はおろか国会をも無視して、ついに集団的自衛権の行使容認を閣議決定という形で押し通してしまった。
それを許してしまったことの背後にあるのは、「ながいものにまかれ」、「みんなが望んだからわたしもと成り行きに身を任せ」、「どこからどうしてこうなったのかには責任を負わず、それを追求しようともしない」という、いわゆる「無関心層」の存在ではないのか。

 一個人に過ぎない者が憲法に成り代わって、憲法を一人称とするこのような本を発行することについては、「僭越だ」とか、「おこがましい」等の批判も多々あることだろうが、それはほかでもない、そうしたひとびとに、憲法自身が語りかけるという形を取りたかったからである。

 憲法は、憲法に関心を持たないあなたにとっても、かけがえのない味方なのだ、それを失うことは、あなたにとって取り返しがつかないことだということを、なんとしてもわかってほしいというおもいからこのような文体を採用したのだ。



 新宿の喫茶店を出て、神保町に移動して目当ての本を見つけてから、あらためて喫茶店で続きを読んだ。

 ほぼ2ページに一度位、「その通り!」と心の中で叫び続けながら半分ほど読んだところで、落語会のある三田に移動。
 好みのラーメン屋でも食べながら読んでいたが、読み進むうちに、この本は全国民の必読者であり、中学の副読本とすべき、などという思いが強くなる。
 しかし、本書にも現在の教育現場の問題が指摘されているが、まったく憲法の精神に反する実態となっているから、ほとんどの教師や教育委員会が、本書を選ぶことはないだろう。
 本書で著者が丸山真男の言葉から指摘するように、教育者の多くも「既成事実への屈服」「権限への逃避」をし、ながいものにまかれているからだ。

 まずは、この本とのありがたい出会いのことで第一章(?)とするが、次回は、「旧教育基本法」について記載されている部分を中心に紹介したい。この前半の教育問題をはじめ、この本の内容は、目から鱗の連続である。
[PR]
広島の土砂災害の捜索はまだ続いている。
 亡くなられた方のご冥福をお祈りします。また、遺族の方や被害に遭われた方には、心よりお見舞い申し上げます。そして、行方不明の方々の一人でも多くの無事確認をお祈りいたします。

 この災害について、消防局の幹部が避難勧告の遅れを認めているのに、松井という市長が反論している。
朝日新聞の該当記事

広島市長「防災計画通り対応した」 避難勧告遅れに反論
2014年8月22日11時52分

 豪雨災害の対応について、広島市の松井一実市長は22日、記者会見を開いた。消防局幹部が避難勧告の遅れを認めるなか、「ただちに勧告を出すように見直す必要があるかもしれない」としながらも、一連の対応について「防災計画のマニュアルに基づいてしっかり対応した」と述べた。

 今回、避難勧告が出たのは土砂崩れなどが相次いだ後だった。防災計画上では勧告を出すのは原則市長だが区長らが発令していた。「何でも私がするのがリーダーシップとは思っていない。それぞれの区で判断できるという計画になっている。判断をしている時に私の所に情報が入ったという状況ではない」と述べた。

 松井市長は災害があった20日未明、午前3時に対策本部の立ち上げなどについて報告を受けた後、午前7時に登庁するまで自宅にいたと説明している。「寝たり休んだりしながら情報を聞き、対策会議を開くと言うことで関係者を招集した」。今回の対応について、「私も職員も計画に基づいて対応したと思っている」と述べた。



 “マニュアルに基づいてしっかり対応”“計画に基づいて対応”・・・・・・ファストフードの店員じゃあるまいし、これだけ被害が拡大している状態において、私には血の通った人間の言葉として伝わらない

 この市長、8月6日の平和宣言で、集団的自衛権にまったくふれなかったのはご存知の通り。
 
 起こってからの問題もあるが、この災害そのものが、天災とは言い切れない。

 専門家による見解が掲載されている京都新聞から引用したい。京都新聞の該当記事

広島土砂災害、宅地開発が一因 京都・滋賀でも可能性

 広島市の土砂災害について京都大の専門家らは、崩れやすい地質や谷筋を造成した宅地開発が、大規模な土石流につながったと分析する。京滋で同様の災害が起きる可能性もあるとして、注意を呼びかけている。

 国際斜面災害研究機構理事長の佐々恭二京都大名誉教授(地滑り学)は、1999年に広島市北部の土石流などで死者・行方不明者32人を出した広島豪雨災害の緊急調査団長だった。「あの時と同じく、花こう岩が風化した『まさ土』というもろい地質が被害を拡大させた」と指摘する。

 「まさ土」は、いったん崩れ始めると摩擦抵抗が非常に少ないため、高速で流出して大きな被害をもたらす。小規模な土石流が、谷に堆積していた土砂を巻き込み、雪だるま式に拡大した面があると分析する。

 佐々名誉教授によると、京都市左京区の比叡山西側斜面や滋賀県の比良山系は、同じような花こう岩の地質で、土砂崩れが起こりやすいという。16日の大雨で土中に水分を含んでおり、「今週末にかけて、少量の雨でも土砂災害に警戒が必要」と呼び掛けている。

 京都大防災研究所斜面災害研究センター長の釜井俊孝教授(応用地質学)は、宅地開発のあり方が大被害を招いたと指摘した。「広島市の被災地は谷筋の奥まで宅地化されている。谷筋はもともと土石流の通り道で、地盤の流動性が高い」と説明する。

 特に被害が大きかった安佐南区の山本地区では、切り開いた斜面の直下に家が建てられ、土砂崩れの跡をコンクリートで補修したとみられる場所もあったといい、「自然が危険性を教えてくれていたのに」と悔やむ。逆に無事だった地域は、尾根筋を切り開いた宅地だという。

 釜井教授は「激しい雨に加え、社会的な要因が重なり、大規模な土砂災害になってしまった」と話した。

 近年は、温暖化によって「観測史上最大」というような豪雨の頻度が増え、災害のリスクが高まっている。両氏は自分が暮らす地域の地形を知るとともに、自治体から出される土砂災害警戒情報を確認し、「早めの避難で命を守ってほしい」と話している。
【 2014年08月21日 08時38分 】



 “崩れやすい地質や谷筋を造成した宅地開発が、大規模な土石流につながった”“宅地開発のあり方が大被害を招いた”という専門家の指摘の通りなら、明らかに人災である。

 広島市のサイトにある、「宅地開発許可の手引き」を紹介したい。広島市サイトの該当ページ

宅地開発許可の手引き

 都市計画法に基づく開発許可制度は、都市の無秩序な市街化を防止し、基盤整備の伴った健全な市街地の発展を図るため創設された制度です。また、宅地造成等規制法に基づく許可制度は、宅地造成に伴うがけ崩れや土砂の流出等による災害を防止するために設けられた制度です。
 これらの制度が相まって、公共公益施設の整備された安全で良好な宅地が供給されることは、本市のまちづくりにとって重要な役割を果たしており、開発事業者等の皆様をはじめ、関係機関のご理解を賜りながら、官民一体となって、よりよい都市づくりの実現を図っていく必要があるものと考えております。
 しかし、開発許可等の事務は手続や基準が複雑で多岐にわたることから、スムーズな許可制度の運用の一助となるよう、「宅地開発許可の手引き」を掲載します。
 開発事業者等の皆様におかれましては、都市計画法等の制度についてご理解をいただき、活力と調和のある都市づくりへ向けて、より一層のご協力を賜りますようお願い申し上げます。



 冒頭に、“宅地造成等規制法に基づく許可制度は、宅地造成に伴うがけ崩れや土砂の流出等による災害を防止するために設けられた制度”と書かれているのだが、なぜ、広島市は被害が発生した地域の宅地造成を許可したのか。

 もちろん現在の市長だけに責任を押し付けることはできない。しかし、マニュアルや計画に基づいて行動するのがお好きな現市長も、肝腎なところで法制度に基づく業務を怠っていたとは言えないだろうか。

 住んでいる人の自己責任とは言えないのだ。そこに公的に建設を認可された住居があるのだから。

 そして、市を統括する役割を持つ県は、するべきことをしてきたのか、その県の行動を管理するはずの国は、果たして何をしてきた、あるいはしてこなかったのか。

 広島や京都のみならず、全国に同様の危険な地域にある住居は多いことだろう。地震や台風、そしてここ数年の集中豪雨という自然の驚異を考慮し、国が率先して早急に調査と対策を推進すべきだと思う。

 安倍晋三は、“美しい国”がお好きなようだが、土砂崩れによる被害が、尊い生命を奪い、自然を破壊している状況は、とても“美しい”とは言えない。

 憲法を“解釈”することより、カジノを東京につくることより、五輪のために建設という名の破壊を進めることより、安倍政権が優先すべきことは、いくらでもある。
[PR]
原発にしても、TPPにしても、そして集団的自衛権にしても、経済団体が安倍政権を擁護する姿勢には、強く疑問と不満を持っている。

 8月19日の東京新聞の社説は、集団的自衛権について、「経済団体」ではなく、一人の「経済人」に問いかける内容で、なかなか良い切り口だと思う。(太字は管理人)
東京新聞の該当社説

【社説】
集団的自衛権 経済人の声が聞きたい
2014年8月19日

 この国の行方を左右する集団的自衛権の行使容認問題で経済人の発言が聞こえない。閣議決定はされたものの、法案審議はこれから。経済人は最後まで沈黙を続けるのだろうか。

 安倍内閣が七月一日、集団的自衛権の行使を認めるために憲法解釈を変える閣議決定をした後、国民の不安や反発は強まっている。

 閣議決定を受けて実施された新聞各社の世論調査をみると、「憲法解釈の変更」という方法で集団的自衛権の行使を認めたことを「評価しない」が五割を超え、「評価する」は三割台にとどまった。

 政府の説明が「不十分だ」とする答えは八割を超えた。

 世論調査だけではない。閣議決定に対する全国の新聞社の社論をみると、全国紙は賛否が相半ばしたが、ブロック紙・地方紙では三紙を除く三十九紙が反対を表明している。こうして、多くの国民が強い懸念を抱いているにもかかわらず、経済人は沈黙している。

 経団連、経済同友会、日本商工会議所は経済団体として行使容認を支持している。しかし、聞きたいのは一人の経営者、経済人、一主権者としての意見や考えだ。

 閣議決定は海外での武力行使を禁じた憲法九条を事実上、破棄することにならないのか。憲法改正の手続きを取らず一内閣の判断で憲法解釈を変えていいのか…。

 経済団体としてはともかく、経済人一人一人の心中は決して一様ではないはずだ。過去、戦争体験のあるダイエーの故中内功氏や、同友会の故品川正治氏は平和憲法の大切さを訴えている。

 実は同友会も二〇〇六年五月、当時の小泉純一郎首相の靖国神社参拝について、反対の提言を発表し世論を喚起している。小泉首相は「財界人から商売のことを考えて行ってくれるなという声もたくさんあったが、それと政治は別だ」と、同友会の提言を銭金(ぜにかね)の問題に矮小(わいしょう)化した。しかし、提言が目先の企業の利益を求めたものでないことは一読すればわかる。

 世論の反発で支持率が下がった安倍政権は、関連法案の提出を秋の臨時国会から、来年の通常国会に先送りした。その一方で、法人税減税や株価対策などで経済界の取り込みを図っている。

 戦争への反省、財閥解体を柱にした経済の民主化と平和憲法を土台に、強い決意で戦後日本の繁栄の一翼を担った経済人は、この国の節目の時に沈黙を続けるのか。ほんとうの声が聞きたい。


 品川正治について、Wikipediaから、どんな方だったのかを確認したい。Wikipedia「品川正治」

品川 正治(しながわ まさじ、1924年7月26日 - 2013年8月29日)は、元・日本火災海上保険(現日本興亜損害保険)会長で、経済同友会終身幹事、財団法人国際開発センター会長。新自由主義的な経済政策への批判、平和主義・護憲の立場から発言や運動を行っていた。「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会」(全国革新懇)の代表世話人。

経歴・人物
兵庫県神戸市出身。第二次世界大戦中の1944年12月、旧制神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)卒、旧制第三高等学校在学中に大日本帝国陸軍に召集され、中国戦線に出兵する。戦闘で負傷し、散弾の破片を体内に残していた。中国で二等兵のまま終戦を迎え、抑留の後、1946年に復員。帰国の復員船で日本国憲法草案を伝える新聞を読み、強い感動を覚えたと語っている。

1949年、東京大学法学部政治学科卒業。同年日本火災海上保険(現日本興亜損保)に入社。同社社長(1984-1989年)、会長(1989-1991年)を歴任。1991年より相談役。

1993年から1997年まで経済同友会副代表幹事・専務理事を歴任。その後同終身幹事に就任する。2004年、財団法人国際開発センター理事・会長に就任。

実業界、経済同友会での経歴から財界人との人的つながりを持つとされる。新自由主義的への批判と護憲という共通点から日本共産党が主催する赤旗まつりへの参加や、同党と共闘する政治運動「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会」(全国革新懇)の代表世話人の一員を務めた。

2013年8月29日、食道癌のため死去。89歳没。岩波書店の『世界』に回顧録「戦後歴程」を連載していたが、絶筆となった。


 こういう経済人も、かつては存在したのだ。

 経団連には、会長が1人と副会長が18人いる。経団連サイトの会長・副会長一覧のページ

 この顔ぶれの中で、品川と同じ損保業界からの理事は東京海上日動火災保険相談役の石原邦夫。彼は会長の榊原定征と同じ昭和18年生れだが、生まれた場所は満州。二歳では引き揚げの際の記憶はないだろうが、満州鉱山に勤務していた父親の記憶などを含め、石原は戦争について、どんな思いがあるのだろう。そして、業界の大先輩である品川正治にについては、どう考えているのだろうか。

 石原に限らず経済団体の役員を務める人たちは、いわば企業人として成功した人であり、それぞれの企業の発展は、大なり小なり戦後の高度成長の恩恵を受けているだろうし、平和であればこそ、彼らの今があるはずだ。

 法人税減税や株価対策において、アベノミクスの恩恵を被りたい、安倍政権に睨まれてはまずい、という企業人としての思惑があるのは分からないでもない。しかし、それはあまりにも近視眼的な発想にすぎないのではないか。
 
 「名言データベース」というサイトに、品川正治の名言として、次のような言葉があった。
「名言データベース」サイトの該当ページ

経済大国になろうとは、戦後あの廃墟の中、よくも壮大な誓いを立てたものです。それをまた私たちは見事に実現した。大いに誇っていい達成ではありませんか。にもかかわらず、もっと大きくしなければ幸せな国民生活が作れないかに思い込んでいるから、そこに焦燥が生まれるのです。何が一番大切か、考えるゆとりが失われるのです。


 企業として大きくなるばかりを考えてきたかもしれない経済人にとって、まさにこの言葉は重要な示唆を与えてくれるだろう。

 経済人の一人一人に、自分の孫やひ孫が戦場に行くかもしれないという仮説を含め、戦争と平和のことを考えるゆとりを持って欲しい。もし団体とは別に個人として戦争への危惧があるのであれば、ぜひ発言をして欲しい。それによって経済団体の役員から除外されても、彼らは食べるには困らないはずだ。
 経済団体の一員として、原発再稼動、TPP参加、集団的自衛権賛成、と言うことが国のために奉仕することになるのか、そうじゃないのか。冷静に考えれば分かるだけの優秀な頭脳を持った人たちのはずなのだが。
[PR]
8月6日、広島に原爆が投下されて69年になる。

 芸人の中にも、あの時、あの場所にいた人がいる。

e0337865_16403430.jpg

小島貞二著『こんな落語家がいた-戦中・戦後の演芸視-』(うなぎ書房)

 小島貞二著『こんな落語家がいた-戦中・戦後の演芸視-』は以前にも、“わらわし隊”のことや、バシー海峡、昔々亭桃太郎のことなどについてこの本から紹介したことがある。
2010年8月17日のブログ
2012年11月5日のブログ
 
 昭和二十年八月六日に日本軍の一兵士として広島にいた芸人について、本書から紹介したい。

猫八と原爆

 落語家ではないが、声色の江戸家猫八(三代目・岡田六郎)も出征芸人であった。
 それもヒロシマで原爆に遭っている。
 父が初代の猫八だから根っからの芸人であるが、二代目ではなく三代目。中に一人、二代目がいるのである。あとで書く。
 昭和十六年に古川ロッパ一座に入り、役者を演っているとき、赤紙が来る。骨と皮の体だから、召集など無縁と思っているところへ来たのだから、本人もおどろいたが、ロッパもあわてた。
 当時、満二十歳になる男子は、徴兵検査の義務があった。検査は甲種、第一乙、第二乙、丙種とあり、甲種は文句なしの壮丁だった。戦争末期には丙種だった歌笑にまで赤紙が来たのだから、仲間たちは「歌笑が兵隊じゃァ、日本も勝てないよな」と、小さな声でつぶやき合った。猫八はその第二乙だった。
 新潟の部隊に入り、南方だ北方だとあちこちを引っ張り廻されるうち、ようやく兵隊らしい体格になる。そして広島県宇品で終戦を迎える。
 根が芸能人だけに、部隊では重宝がられ、演芸大会にはいつも主役をつとめ、ロッパからの手紙も励みになる。東京大空襲(二十年三月十日)のあと、許可が出て東京に帰り、浜町の自宅の焼け跡を呆然と見る。
 あのヒロシマの日(二十年八月六日)のことは、猫八が自伝の中で書いている。その一冊『兵隊ぐらしとピカドン』(ポプラ社刊)によると、

  (中略)市内にはいると死体が横たわっている。トラックに何台ものせて
  太田川の土手へはこぶ。路上には、電信柱をささえるワイヤーロープに
  つかまったままで死んでいる人、川の中から上半身を水の上にだして
  虚空をつかむようにしてこう直している死者。水死体となって、川にうい
  ている男、女、そのなかには、牛や馬もまじっていた。
   キノコ雲はまだきえない。
   広島の上空のはんぶんに大雨がふったかと思えば、その反対側
  が晴れてお日さまが見える青空。気象の変化もともなった、まるで、
  キツネの嫁入りのアレである。

 そして、広島市内を歩く。
 その朝、猫八は宇品の兵舎にいた。爆音が響き、小さな落下傘が降った瞬間、ピカーッと光ってドーン。すぐ防空壕に飛び込み、五体満足を確認する。
「街の様子を見てこい!」
 という班長命令で飛び出したのが、前記のスケッチである。
 これがのち猫八の売りものの「原爆体験記」になる。芸術祭公演にも、テレビの演芸にもなり、多くの人に感動を与えた。



 本書以外にも、猫八の原爆体験を知ることのできる媒体がある。
 前日八月五日の夜、猫八は演芸大会で優勝していたことなどを含め「ヒロシマ新聞」の記事に掲載されている。「ヒロシマ新聞」の該当記事
 「ヒロシマ新聞」とは何か。同サイトから引用。

このサイトは被爆五十年目の年に制作されたヒロシマ新聞に、二〇〇五年に新たな情報を加え再構成したものです。ヒロシマ新聞とは、原爆投下で発行できなかった一九四五年八月七日付けの新聞を、現在の視点で取材、編集したものです。一日も早い核兵器廃絶を願って…。


 同サイトには、文章・写真の無断転載を禁止すると書かれているので転載はしないが、ぜひご覧のほどを。演芸大会の優勝賞品である酒を抱えた猫八の写真も掲載されている。

 演芸大会の賞品の酒に酔って点呼に遅れたことが、もしかすると原爆の被害を少しは抑えることになったのかもしれないが、放射能が残る市内を歩いたことで、猫八は原爆症になっている。

 そして、あの日、ラバウルや北千島での恐怖体験をも上回る原爆被害の地獄絵を、猫八は目の当たりにしたのだ。

 三代目猫八は当代の父で、初代の六男(だから本名が六郎)。私と同世代以上の方は、「お笑い三人組」の八ちゃんを思い出すだろうし、「鬼平犯科帳」の相模の彦十役の渋い演技に思いが至る方もいるだろう。

 大正十(1921)年十月一日生まれの岡田六郎は、あの時、宇品に駐屯する暁部隊の兵長として軍務に従事していた。満23歳の時だ。なお、暁部隊には丸山真男も所属していた。

 岡田六郎は戦後、原爆症に苦しんだ。そして、原爆投下直後の広島の惨状の記憶が、猫八のトラウマになっていたようだ。
 彼が意を決して戦争のこと原爆体験のことを語り出した(正式には「従軍被曝体験記」)のは昭和五十六(1981)年のことであり、『兵隊ぐらしとピカドン』が上梓されたのは昭和五十八年になってからである。

 2010年8月のNHKの戦争特集の中で放送された「戦場の漫才師たち~わらわし隊の戦争~」を見て記事を書いたことがあるが、あの映像の中で戦争の悲惨さを語っていた森光子さん、玉川スミさん、喜味こいしさんは、みな旅立った。
2010年8月11日のブログ
 
 先代猫八、かつての岡田六郎兵長も平成13(2001)年に八十歳の生涯を閉じた。

 広島平和記念資料館のサイトに、以前に開催された企画展の紹介ページが残っており、昭和二十一年頃の猫八が奥さんと一緒に移っている下の写真が掲載されている。このページには、喜味こいしさんの戦争体験も掲載されている。
広島平和記念資料館サイトの該当ページ

e0337865_16403464.jpg

八重子夫人と猫八さん 1946年 (昭和21年) 頃ころ
猫八さんは、この頃、髪の毛が抜ぬけ落ち、
白血球は減へり続けていました。
提供/四代目江戸家猫八氏

*広島平和記念資料館のサイトより

 明治、大正生れの方から戦争体験をお聴きする機会が次第に失われていく。
 先月下旬、広島に原爆を投下したB29爆撃機“エノラ・ゲイ”の12人の搭乗者のうち最後の生存者が亡くなったというニュースを目にした。93歳だったようだから、原爆投下時点で、猫八とほぼ同じ年齢だったことになる。
 二十代前半の若者が、一人は空から原爆を投下する役目を持ち、もう一人は投下後の悲惨な光景を目にすることになったわけだ。
 
 広島では、核兵器のない世界を訴えても戦争について語らない首相が式典に並んでいた。
 本当に核兵器のない世界を望むなら、その材料となるプルトニウムを算出する原発の存在も否定すべきだろうと思うが、日本の首相にはそのような想像力はないようだ。彼の信条は一つ。アメリカが喜ぶことをすること。広島と長崎に原爆を投下したアメリカにヨイショする幇間なのである。原爆を含む戦争の被害者の方々は、今の日本の首相をどう見ているだろうか。

 “わらわし隊”の人気者であったミス・ワナカは、敗戦の翌年に心臓発作で三十六歳の若さで亡くなった。ヒロポンで命を縮めたと言われる。私は、戦時中の大陸慰問の際にワカナの漫才で大笑いしていた数多くの兵士が、戦争の犠牲者になったことと、ワカナの戦後の早逝を、分けて考えることができない。

 戦争で亡くなった方も、肉体は生き残ったものの心の病に悩んだ人も、同じ戦争の犠牲者だと思う。

 イラク戦争に関連して中東に配備されていた自衛官の自殺者が非常に多いという統計がある。湾岸戦争、イラク戦争から帰還した米兵に自殺者が多いのは周知の事実である。私は、それらの人も広義の戦争犠牲者だと思っている。

 猫八は、貴重な映像を遺してくれた。昭和六十三年、六十七歳の時の収録である。
 広島平和資料館サイトの「平和データベース」の「被爆者証言ビデオ」で“岡田六郎”と検索してもらえれば、猫八の証言ビデオを見ることができる。広島平和記念資料館・平和データベース

 三代目の江戸家猫八は、通常の高座やテレビで戦争の影を一切見せることはなかった。しかし、原爆症での苦しみは後々の人生まで残ったらしい。映像にあるように、ほんのちょっとの運命のすれ違いで、あの時に広島にはいなかったかもしれない。それでも、幸運にも芸人として生き残る道を歩むことができたことに感謝の思いがあったからこそ、敗戦後三十年以上も過ぎてから、戦争体験を伝えようとしたのだと思う。被爆者手帳を受けとったのは、昭和五十九年のことだった。

 戦争への記憶が薄れることを利用するかのように、日本が戦争のできる国になる準備を進める為政者がいる今だからこそ、反戦、非戦の声を絶やしてはならないだろう。猫八が伝えようとした記録も、貴重なものだと思う。
[PR]
学校が夏休みを迎えると、毎年、海や山での事故のニュースに心が痛む。

 先週末も丹沢で痛ましい事故があった。毎日新聞の該当記事

丹沢母子水難:売店で「危ないので避難を」…3人遺体確認
毎日新聞 2014年08月02日 13時25分(最終更新 08月02日 22時08分)

◇父親「車が横転、水が入ってきた。窓ガラス割って…」

 神奈川県山北町中川のキャンプ場「ウェルキャンプ西丹沢」の河内(こうち)川で1日夜、同県藤沢市片瀬山の会社経営、大森慎也さん(43)一家の車が川に流された事故で、行方不明になっていた大森さんの妻ルミさん(42)▽長女で小学3年の舞奈(まな)さん(9)▽長男で小学2年の凱風(がいふう)君(7)−−の3人が、1日夜から2日午前にかけ、相次いで遺体で見つかった。激しい雨によって川が急激に増水し、鉄砲水のような状態になり避難が間に合わなかったとみられるが、キャンプ場から避難の呼びかけなどはなかったとみられる。県警松田署は、安全管理に問題がなかったか、キャンプ場関係者から話を聴く方針だ。

 同署などによると、大森さんはこの日、家族4人で同キャンプ場に遊びに来ていた。一家は管理棟などがあるメインキャンプ場から河内川を渡った場所に位置する四輪駆動車専用のキャンプサイト「アドベンチャーゾーン」におり、そこでテントを張っていた。

 同川は普段、足首程度の深さの浅瀬で車や徒歩で対岸に渡ることができるが、この日は午後7時半ごろから激しい雨が降り、事故当時は約1メートルまで水位が上がっていたとみられる。

 松田署によると、大森さんは事故の直前、メインキャンプ場にある売店に1人で買い物に出かけていたが、売店の従業員に「危ないので避難した方がいい」と言われたという。テントに戻った大森さんは、家族を乗せて車で避難しようとしたが、急な増水で移動が間に合わなかったとみられる。大森さんは「車が横転し、水が入ってきた。窓ガラスを割って子供を外に出し、自分も脱出した」と話しているという。

 大森さんは自力で岸にはい上がったが、ルミさんは1日午後11時半ごろ、車が横転した現場から約2キロ下流で遺体で見つかった。さらに2日午前、ルミさんの遺体発見現場からさらに約1キロ下流で凱風君が、そこからさらに約1.5キロ下流で舞奈さんが、それぞれ遺体で発見された。車は30メートル下流に流されているのが見つかり、テントはそのままの状態で残っていた。



 この家族を奪った事故、これは天災ではなく人災であるという神奈川新聞の記事を紹介したい。(太字は管理人)
神奈川新聞の該当記事

事故の山北キャンプ場 中州は違法造成か「事故でなく人災」
2014.08.03 03:00:00
 
 母子3人が川に流され死亡したキャンプ場「ウェルキャンプ西丹沢」にある中州を、経営する業者が再三にわたり河川法に違反し人工的に造った可能性があることが2日、分かった。工事を目撃していた近隣住民は「危険性とともに違法性を県に何度も指摘してきた。事故はもはや人災だ」と話す。河川を管轄する県の県西土木事務所(開成町吉田島)は「刑事告訴も視野に調査する」としている。

◇県「刑事告訴視野に調査」
 「これは自然災害なんかじゃない」。近くでキャンプ場を営む男性(57)は中州を造成したキャンプ場管理者や、違法な造成を放置していた県への憤りをあらわにした。

 男性によると、大森さん一家がキャンプしていた中州はもともと、現在よりも小さかったが、キャンプ場が砂利を盛って拡大させた「人工の中州」といい、周囲のキャンプサイトよりも地盤面が低い。川の増水で中州が削られると、重機で再び砂利を盛って修復していたという。増水に弱い中州という危険性を常にはらむが、四輪駆動車で浅瀬から入れるキャンプサイト「アドベンチャーゾーン」として開設されていた。

 河川法では、河川区域内での掘削や盛り土など、土地形状を変更する行為には許可が必要と規定。無許可で形状変更した場合には1年以下の懲役または50万円以下の罰金と定めている。

 男性は度々、県に危険性と違法性を伝えていただけに、「管理者の危険性への認識が低かったのだろうが、行政にも早く対応してもらいたかった。事故は起こるべくして起きた」と残念がる。

 現場の河川を管理する同事務所によると、この中州をめぐり、業者は2008年4月以降、繰り返し許可を得ずに土砂を搬入。川の流れを変えるなどし、11年8月までに少なくとも延べ6回の是正指導を受けていた。

 このほかにも、中州周辺のキャンプサイトに許可を得ずに設置してあるトイレや浄化槽、自動販売機、洗い場なども無許可の工作物設置を禁じる河川法に違反するという。12年3月には同事務所から是正指導より重い行政命令を受けているが、業者はこれに従わず取り消し請求を行い、現在は法廷係争に発展している。

 同事務所は、「重大な事故が発生し、結果的に指導が甘かったと認識している。河川法を厳密に適用し刑事手続きも視野に入れ検証、調査する」としている。
【神奈川新聞】


 土木事務所の対応が、結果として後手に回ったのが残念だ。しかし、行政命令を無視し、キャンプ場を運営したウェルキャンプ西丹沢が、もっとも責められてしかるべきである。

 このニュースの通りであれば、間違いなく人災だ。

 このキャンプ場を運営するウェルキャンプ西丹沢のサイトがまだ閉じられていなかったので、同キャンプ場の地図をコピーした。
「ウェルキャンプ西丹沢」のサイト

e0337865_16403469.jpg


 地図の「アドベンチャーゾーン」の場所をクリックすると、今回の事件現場をアピールするページに飛ぶ。
ウェルキャンプ西丹沢サイトの該当ページ
 
 四輪駆動による中州でのキャンプを奨励する写真が数枚ある。無断掲載を禁止するとしているので、コピーした写真は現段階で掲載しないが、この会社の悪事が明白になった時に、もしサイトを閉じているなら、私はブログで掲載するつもりだ。

 中州は川が増水した場合は川底になる危険地帯。アドベンチャーゾーンではなくデンジャーゾーンなのである。
 
 金儲けのために、法令を無視して自然災害の配慮を怠ったキャンプ場を運営している会社は、人命と子どもたちの夢をも壊す、明らかにブラックな企業である。まさに人災だ。

 早急に、この組織の罪悪が裁かれる必要があると思う。
[PR]
東京新聞の該当記事

大津波の恐れ報告 東電元会長出席の会議
2014年8月1日 07時09分

 東京電力福島第一原発の事故が発生する約三年前、東電の勝俣恒久元会長(74)が出席した社内の会議で、高さ一四メートルの大津波が福島第一を襲う可能性があると報告されていたことが、三十一日に公表された東京第五検察審査会の議決で分かった。これまでの東電の説明では、勝俣氏は大津波の可能性を知らないとされ、本人も検察に同趣旨の供述をしていたが、検審は「信用できない」と否定、起訴相当と判断した。東京地検は同日、議決を受け、再捜査することを決めた。 (加藤裕治、加藤益丈)

e0337865_16403420.jpg




 議決によると、この会議は二〇〇七年七月の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発(新潟県)が被災したのを受け、〇八年二月に開かれ、福島第一の津波想定を七・七メートル以上に変更する資料が配布された。出席した社員から「一四メートル程度の津波が来る可能性があるという人もいて、考える必要がある」との発言もあった。

 検察側の捜査資料にあった会議のメモなどから、検審はより詳しい報告や議論もあったと判断。出席していた勝俣氏は大津波の可能性を知りうる立場にあり、「東電の最高責任者として各部署に適切な対応策を取らせることも可能な地位にあった」と結論付けた。

 これまでの東電の説明では、大津波の可能性は原子力部門で試算され、武黒一郎元副社長(68)でとどまり、勝俣氏や他部門の幹部には知らされなかった、としていた。

 この会議には武黒元副社長も出席。報告を聞き「(東北電力)女川(原発)や(日本原子力発電)東海(第二原発)はどうなっている」と尋ねていたことが議決から明らかになった。

 東海第二原発は〇七年に茨城県が公表した津波想定に基づき、ポンプ室の側壁の高さを四・九メートルから六・一メートルにかさ上げ。東日本大震災で五・四メートルの津波が襲ったが、冷却に必要な電源を確保でき、福島第一と明暗を分けた。

 歴代幹部のうち勝俣、武黒両氏と、武藤栄元副社長(64)の三人が起訴相当と議決された。津波の情報を知っても、判断する立場にない二人は不起訴相当、対策を決める権限がない一人は不起訴不当と議決された。

 起訴相当の三人については、仮に地検が再び不起訴としても、別の市民による検審が起訴議決すれば、強制起訴される。(東京新聞)



 この件、東京新聞は社説でも扱っている。一部引用する。ちなみに、朝日、毎日も社説はこの件だったが、当然のように読売は違うネタ。
東京新聞の該当社説

 東北電力の女川原発(宮城)は津波に備えて、三十メートル近くに「壁」をかさ上げしたのとは好対照だ。東電が対策を怠ったのはなぜなのか。市民はこう考えた。

 「原発の運転停止のリスクが生じると考えたとうかがわれる」「東電は対策にかかる費用や時間の観点から、津波高の数値をできるだけ下げたいという意向もうかがわれる」−。この推察は、国会事故調査委員会が「シビアアクシデント(過酷事故)対策を経営上のリスクとしてとらえていた」と指摘したこととも響き合う。

 東電は〇六年段階でも、津波によって非常用海水ポンプが機能を失い、炉心損傷に至る危険性があることや、全電源喪失の危険性があることも分かっていた。それを市民は議決文に書き込んだ。

 東電幹部六人のうち、津波の情報に接していても、判断できない立場の二人は「不起訴相当」にし、一人は「対策の決定権がなかった」とし、「不起訴不当」にとどめた。冷静さが感じられる。「起訴相当」としたのは、情報を知りつつ、判断できる立場の幹部に絞り込んだわけだ。

 業務上過失致死傷罪での刑事責任を問うテーマをふたたび検察が負うことになった。東電を強制捜査もせずに、「想定外だから罪は問えない」と一蹴した判断をそのまま維持するのか。被災者らは注視している。「人災」なのか、その真相に肉薄してほしい。


 ようやく、責任を明確にするための動きが出てきた。
 福島第一原発事故は、紛れもなく、“人災”であった。
 もちろん、大地震、大津波という自然災害が関係はしているが、地震大国日本で原発を稼動させる以上、その対策を講じるのは当然の企業責任であり、東電はそれを怠った。

 経営者として、責任取るべき人物は、今はどうしているのか。

 勝俣恒久元会長は、日本原子力発電の社外取締役に天下って、現在家族と共に海外在住との情報がある。
 武藤栄元副社長、武黒一郎元副社長は、ともに原発を海外に輸出するための組織である国際原子力開発の役員に天下っている。あの時、官邸にいて現場に的確な指示が出来なかった武黒は、社長である。

 いくら海外に逃げようが、その責任は追及されなければならない。放射能のように、その罪の追求は国境を超える。
[PR]