幸兵衛の小言

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 私はリオ五輪の開会式も閉会式も見ていない。
 どうも、それらのセレモニーに、興味が湧かないのだ。

 閉会式の内容はニュースなどで見て知ったのだが、安倍晋三による五輪の政治利用には、怒りを覚えていた。
 しかし、ほとんどのメディアは、2020年東京に関する閉会式の映像なども含めていたって肯定的で、小池都知事の着物の着付けなどにダメ出しするメディアはあっても、安倍マリオについて否定的な論調は、少なかった。

 その中でも、いくつかのメディアが批判的記事を掲載している。
 
 まずは、「HUNTER」だ。
 私の思いを代弁してくれているかのような記事、画像以外の全文を引用する。(太字は管理人)
「HUNTER」の該当記事

汚れた五輪 ― 安倍マリオはプロパガンダ
2016年8月29日 09:20

 南米初開催となったリオデジャネイロオリンピックが幕を閉じた。日本選手のメダルラュシュに沸いた17日間だったが、最後にあれほど不愉快な場面を見せられようとは思ってもみなかった。
 閉会式恒例の五輪旗引き継ぎの後、繰り広げられたパフォーマンス。登場したのはゲームキャラクターの「マリオ」に扮した安倍晋三首相だった。
 独裁政治家による五輪の政治利用――。あってはならない暴挙である。

五輪の政治利用はヒトラー以来 

 リオ五輪の閉会式。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会によるパフォーマンスは、アニメと実写、会場の現実が融合した素晴らしいものだった。だが、最後に主役として現れたのは、マリオの格好をした安倍首相。背広の襟には議員バッジを着けていた。一人の政治家がオリンピックを政治利用したという点では史上二度目。一人目がナチスドイツを率いたアドルフ・ヒトラーであったことは周知の事実である。

 オリンピックが、国威発揚やナショナリズムの高揚に利用されてきたことは確かだ。1936年にはドイツで冬季(ガルミッシュ・パルテンキルヒェンオリンピック)・夏季の五輪が開催されたが、後に「ヒトラーの五輪」と呼ばれたベルリンオリンピックは、ナチスがプロパガンダの一環に利用したことで知られている。

 1980年には、ソ連のアフガニスタン侵攻を受けてアメリカ、日本、カナダ、中国、韓国など30か国以上がモスクワオリンピック参加をボイコット。政治と五輪の不可分が現実となった出来事として歴史に記されている。

 五輪に暗い影を落としてきたのは、その時々の世界情勢を乱した「国家」。しかし、一人の政治家が閉会式のパフォーマンスで主役となったケースは五輪史上皆無である。国威発揚を狙ったヒトラーが登場したのは、開会宣言の時だけ。アスリートを差し置き、閉会式ではしゃぐようなマネはやっていない。開会宣言を行うのは国家元首であることが普通。日本なら、天皇陛下であり、1964年(昭和39年)の東京五輪でも昭和天皇が開会宣言を行っている。一方、閉会式に登場するのは開催地と次回開催地の首長。五輪旗を引き継ぐためで、ブラジルではリオの市長、日本側は小池百合子東京都知事が登場した。本来、日本の首相がしゃしゃり出る場面はない。

五輪使って安倍の宣伝

 閉会式パフォーマンスが、安倍個人の宣伝であったことは確かだろう。出演したアスリートたちの名前は紹介されなかったが、安倍だけは特別扱い。下の画面(五輪閉会式の模様を伝えるテレビの画面より)を見れば一目瞭然だ。

 「PRIME MINISTER」(首相)「SHINZО ABE」――。わざわざ、肩書や名前を表記した上、ストーリーの主役に仕立てている。まるで自民党の選挙CM。安倍の宣伝以外の何ものでもあるまい。五輪を政治利用したことは明らかであり、公費を使った分、悪質と言わざるを得ない。

「復興」置き去り

 安倍の五輪政治利用は今回のリオ五輪閉会式だけではない。東京オリンピック・パラリンピックの招致にあたっては、原発推進のため世界に向かって平然と嘘をついた。
 
 オリンピック招致の最終プレゼンテーション。安倍は福島第一原発の影響について次のように明言している。「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」。直後の各国メディアとの質疑では、汚染水漏れについて聞かれ、こうも言った。「結論から申し上げればまったく問題ない。新聞のヘッドラインでなく、事実を見て下さい。汚染水の影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートルの範囲内に完全にブロックされています」。

 現実はどうか。福島第一の汚染水は現在も制御不能。港湾の外にまで、大量の放射性物質が垂れ流されている。安倍の発言は、なんの根拠もない口からのでまかせだったということだ。節目ごとに五輪を利用する安倍晋三。戦争への道をひた走る姿に、ヒトラーを重ねて見ているのは筆者だけではあるまい。

 最後にもう一言。テレビのワイドショーなどでは、リオ五輪閉会式の東京パフォーマンスを絶賛していた。だが、東北や復興といったキーワードが出てこなかったのは何故か?復興五輪と銘打ちながら、開発が進むのは東京ばかり。東日本大震災の発生から5年半経った今も、被災地の復興は進んでいない

 実態は国家レベルの開催だが、建て前は、あくまで「都市」の開催なので、小池都知事が出向くことは、当然。
 国の首長が、観客席ではなく、次回開催地の案内コーナーで、主役に近い役柄を演じるのは、本来、批判されることはあっても褒められることではない。

 2020年にも日本国首相でいるための、個人的政治活動の一環だ。

 なお、「LITERA」も、安倍マリオを批判していて、安倍登場の背景について、次のように記している。
「LITERA」の該当記事

「目玉のサプライズキャストについては、当初、アスリートを起用する案の他に、ゲームやアニメキャラでいくという案が出ていると聞いていた。それが、いつのまにか安倍首相がマリオをやることになったんです。そんなところから五輪組織委と電通が裏でプッシュしたんじゃないかと言われています」(JOC関係者)

 五輪組織委は、安倍首相の元ボスである森喜朗元首相が会長として君臨しており、役員や理事にも、御手洗冨士夫経団連名誉会長やプロデューサーの秋元康など、安倍応援団がずらりと名を連ねている。しかし、今回、安倍首相の出演の仕掛人は、側近の組織委理事に送り込まれた安倍首相の側近中の側近、萩生田光一内閣官房副長官ではないかといわれている。

 スポーツの祭典は、実にむごたらしい政治ショーに堕落した。

 実は、朝日も28日付けの「天声人語」で次の内容を掲載していた。
朝日新聞サイトの該当「天声人語」
選手たちの目はすでに2020年に向いている。卓球女子団体で銅メダルだった伊藤美誠(みま)さんが、東京五輪ではもっといい色のメダルをと語った。体操男子団体で金の白井健三さんは、東京に向けていい弾みになったと言う。選手ではないが、もう一人いたような……▼マリオに扮した御仁である。リオ五輪の閉会式に安倍晋三首相が突然登場して、「4年後の東京」をもり立てる輪に入った。自民党の総裁任期は18年に満了し、そのときはもう首相ではないのだが▼あるいは党則を変えて続投したいとのメッセージかもしれぬ。自民党の二階俊博幹事長は、首相が五輪を自分の手で成功させたいという意欲の表れではないかと聞かれ、「それはそうだ。意欲がなければ行かない」と述べた。だとすれば、五輪の政治利用ではないか。しかも内向きの▼どこかで見たような光景だ。G7伊勢志摩サミットで安倍首相は「世界経済のリスク」を強調、リーマン・ショックの轍(てつ)を踏むなと訴えた。突然の危機説にみんな驚いたが、どうも消費増税延期の口実だったようだ▼「立っている者は親でも使え」とのことわざがある。用を頼むときの言い訳である。安倍首相流は「そこにあるなら国際舞台も使え」だろうか。ある種の合理主義かもしれぬ▼ロンドン五輪への引き継ぎでは、サッカー選手のベッカム氏が登場した。リオはサッカーの英雄のペレ氏。そんなスーパースターのように首相が思われていると、世界に誤解されなければいいが。

 この内容に噛みついた人がいる。花田紀凱だ。
 Yahooニュースから引用する。
Yahooニュースの該当記事

そしてあのパフォーマンスは〈五輪の政治利用ではないか〉とか〈党則を変えて続投したいとのメッセージかもしれぬ〉〈安倍首相流は「そこにあるなら国際舞台も使え」だろうか〉と続く。

なんでもかんでもケチをつければいいってもんじゃない。なぜ素直に「おもしろかった」とか「驚いた」とか書けないのか。

 花田という人は、文春から朝日、WACから飛鳥と、とにかく居場所が落ちつかないが、政治的な保守的スタンスは、概ね一貫としているのかもしれない。

 あの閉会式を、「素晴らしい」とか、少なくとも「おもしろかった」で済ましたい人が多いようだが、とてもそうはいかない。

 「復興五輪」の旗は、今どこに掲げているのか。

 マリオは、その旗を持って、台風の影響で流出している放射能汚染水を止めに行かなければならないのではないのか。



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by koubeinokogoto | 2016-08-31 21:39 | 責任者出て来い! | Comments(0)
 むのたけじさんが、21日に101歳の天寿を全うされた。

 以前に黒岩比佐子さんの聞き書きによる本『戦争絶滅へ 人間復活へ』から、むのさんが五代目柳家小さんについて語られた内容を紹介した。
2013年10月20日のブログ

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むのたけじ『99歳一日一言』(岩波新書)

 2013年11月に、同じ岩波新書で発行された『99歳一日一言』という本の成り立ちについて、巻末にご子息の武野大策さんが、次のように書かれている。

この本作りにつながって

 この本を作る直接のきかっけは、父、むのたけじが眼底出血を患い、その治療を終えて、横手の実家に送っていった2008年8月31日に、長いいわれを付けて渡された100枚近い色紙にあります。その力強い字体に驚いて、その中の36枚を取り出して、これをこのまま複写して本にできるのではないかと提案しました。私は、10歳くらいですでに父親とは別の道を行くと決めていたこともあり、それまで父親の著作を読むこともほとんどなかったから、父親はそうした提案に驚いたかもしれません。その話はすぐに実現されることはありませんでしたが、こうすれば息子に自分の考えを伝えられると思ってか、折に触れて父は色紙を私に渡すようになりました。その様子の典型的なものを紹介します。
 私は、日ごろの運動不足を解消させるために、隣町にある川越の喜多院というお寺に月に1~2回くらい自転車で行っていました。そのようなサイクリングをしたある日の夕方に、この本で一月一日に紹介した「拝むなら自分を拝め。賽銭出すなら自分に渡せ・・・・・・」という色紙が何枚かのものと合わせて渡されたのです。私のお参りは人並みで特に信心が深いから行くのではないとわかっていながらこのような色紙を渡すかと、それを見た瞬間は反発を覚えましたが、それでもていねいにそれを袋に入れて保存しました。
 こうしたことで保存がしっかりしていると思ったのか、その後渡されるものが増え、「語録」と書かれた大判のノートも加わりました。色紙も増え、渡されるようになって5年近く経過した2013年2月には確実に1100枚を超えましたが、ただこのまま保存しておくのでは埋没させるだけのような気がしました。
 (中 略)
 私はいままで、生物が行っている一つか二つの生理現象を科学的に説明する研究に従事してきました。それは、人間をはじめとする生物の内部で行われていることを明らかにすることで、とりわけ20世紀になって飛躍的に躍進し、細部にわたってまで解明されました。ただ、いまだに「いのち」とは何かは解明されているわけではありません。こうした知識で、人間生活の便利さを増やすことはあっても、本質的な生き方を問うことはほとんどありませんでした。この本作りにかかわって、私はこうした科学研究で得られた知識が人間の生き方そのものを考えさせることに結びつく必要性を痛切に感じたことを話しました。それに対して、父が私に言ったことは、「生命科学のその『いのち』とは何かを問え」です。
 私の子ども時代には家庭生活を顧みることもなく社会活動だと言って外に出ていた父・むのたけじと、この本作りにつながって、そのことの親父の年を超えてから親子の会話・交流が出来たように思います。いずれにしろ、先の世代が後の世代にその経験をキチンとした情報として残すことができるのは、あらゆる生き物でおそらく人間だけが持っている能力です。だから、この能力を存分に利用することが大切です。この本がそうしたものとして受けとめてもらえることを願っています。

 私と年齢の近い大策さんは、次の埼玉新聞の記事にあるように、お父上の最後を看取られた方。
埼玉新聞の該当記事

 色紙や大学ノートでご子息に渡された言葉は、大策さんのおかげで、広く日本国民にとって有益な、硬骨のジャーナリストむのたけじさんの遺言集という財産となった。

 大策さんは、残された数多くの言葉から感じる季節感に従って、365の珠玉の言葉を並べてくれた。
 それらは、「人間がどのような生き方をすればよいか、問うているように思いました」と大策さんは記している。

 本書から、命日となった8月21日の「一日一言」を紹介したい。

八月二十一日

 戦時中、軍の輸送船でボルネオ海を渡ったとき、ひどい嵐にぶつかった。泳げない私は死ぬしかないと腹を決めたら、不思議と心は落ち着いていた。けれど最後に残った残念・無念は、この私が、いつ、どこで、何ゆえ、どんな有り様で死んでいくか。それを妻と子らに知らせる術がないことだった。戦場で死んだ多くの人たちは同じ思いでなかったろうか。

 幸運にも、むのたけじさんはボルネオ海に沈むことなはく、天寿を全うされ、ご家族に見守られて天国へ旅立たれた。
 そのおかげで、残された著作や珠玉の言葉を、大切にしたいと思う。

 合掌
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by koubeinokogoto | 2016-08-22 12:52 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

 昨夜は、テレビ朝日で昨年制作の映画「日本のいちばん長い日」を観た。

 1967年版は、劇場で観た。

 映画の出来栄えとしては、1967年版に軍配を上げる。

 観た環境の違いもあるのだが、やはり、役者の違いが大きい。
 
 阿南陸軍大臣 1967年 三船敏郎 1995年 役所広司
 畑中健二少佐 1967年 黒沢年男 1995年 松坂桃李

 1967年版における黒沢年男の演技は、彼の最高傑作ではないかと私は思っている。
 狂気が伝わった。
 比較するのは松坂には酷かな。
 それは、役所と三船にも言えるだろう。
 山本五十六でもそう感じたのだが、役所は、どんな人間を演じても、ただの“良い人”になってしまうような気がする。

 私が狂気を十分に感じた黒沢の演技を観た畑中健二の故郷園部の人々は、畑中はもっと温厚な性格で、黒沢が描く畑中は本当の畑中ではない、と抗議があったらしい。

 この影響が1995年版の松坂の演技に影響しているようなのだ。

 あの日の畑中の実態は、分からない。

 しかし、普通の人、あるいは好人物に、今となってはどうしても狂気としか思えない、あるいは異常としか見えない行動や発言をさせたり、文章を書かせたりするのが戦争の一面なのであろうということを、畑中に関する映画の逸話は考えさせる。

 
 71年前の8月15日、その一日だけでも確かにさまざまなドラマがあったとは思うが、戦争は、もっと長く人々の心身を疲弊させていた。


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ドナルド・キーン著『日本人の戦争』

 ドナルド・キーンの『日本人の戦争ー作家の日記を読むー』は、初出が「文学界」の2009年二月号で、その年の七月に単行本が発行され、私が呼んだ文春文庫版は2011年の12月発行。

 本当は、高見順、永井荷風、山田風太郎など、本書で扱っている日記そのものを読むべきなのだろうが、それぞれ、決して生半可な文章量ではない。

 つい、ドナルド・キーンの労作に頼ってしまった次第だ。

 まず、序章から引用。
 わたしが日記に興味を持ち始めたのは太平洋戦争のさなかで、(アメリカ海軍の情報将校としての)三年間の主な仕事は、押収された文書を読むことだった。その中に、日本の兵士や水平の日記があった。おそらく最後の一行を書いた後に太平洋の環礁の上か海の中で死んだに違いない人々の苦難を綴った感動的な日記を読んで、わたしはどんな学術書や一般書を読んだ時よりも日本人に近づいたおいう気がした。
 この本に登場する作家の中で伊藤整、高見順とわたしはかなり親しかったし、永井荷風と平林たい子には短時間だが会ったことがある。山田風太郎には会ったことがないが、同じ年に生まれて同じ本をたくさん読んでいることで、二人の間には絆のようなものを感じた。知り合っておけばよかったと思うのは渡辺一夫で、これは東大仏文科の学生たちに数世代にわたって崇拝された学者である。

 ドナルド・キーンが会ったことがないが、同じ年に生まれて同じ本をたくさん読んでいることで、親近感を持っていた山田風太郎は、戦争当時は、まだ作家デビューをしていない一医学生の、山田誠也青年だ。
 
 旧制高校の受験に失敗し家出同然で上京した山田誠也は、肋膜炎の影響で徴兵検査は丙種合格で入隊することはなかった。
 昭和19(1944)年、22歳だった彼は旧制東京医学専門学校(後の東京医科大学)に合格して医学生となった。
 昭和20(1945)年5月の空襲で焼け出され山形に避難、その後は学校ごと長野県の飯田に疎開。
 敗戦の前日には異常な精神状態となったと伝えられている。

 8月15日、玉音放送があることを知った時を回想した山田の日記を引用する。
 
 その朝、友人から天皇が放送することを聞いた山田風太郎は、次のように書いている。

   その刹那、「降伏?」という考えが僕の胸をひらめき過ぎた。しかしすぐに
  烈しく打ち消した。日本はこの通り静かだ。空さえあんなに美しくかがやいて
  いるではないか。
  だから丸山国民学校の教場で、広田教授の皮膚科の講義をきいている間に、
  「休戦?
   降伏?
   宣戦布告?」
   と、三つの単語を並べた紙片がそっと回って来たときには躊躇なく
  「宣戦布告」の上に円印をつけた。(中略)
   これは大変なことだ。開闢以来のことだ。そう思うと同時に、これは
  いよいよソ連に対する宣戦の大詔であると確信した。いまや米英との激闘惨烈を
  極める上に、新しく強大ソ連をも敵に迎えるのである。まさに表現を絶する国難
  であり、これより国民の耐ゆべき苦痛は今までに百倍するであろう。このときに
  当って陛下自ら国民に一層の努力を命じられるのは決して意外の珍事ではない。
 「最後の一兵まで戦え」
  陛下のこのお言葉あれば、まさに全日本人は歓喜の叫びを発しつつ、その通り
  最後の一兵まで戦うであろう。

 山田は、「教授も学生もことごとくソビエトに対する宣戦の大詔だと信じて疑わなかったのである」と付け加えている。

 山田風太郎の「戦中派不戦日記」からの引用だ。
 
 「日本のいちばん長い日」で、陸軍軍人が「2000万人が玉砕すれば日本の国体は護持される」と語るのを聞いて、あれは軍人だから、と特別視しては、戦争を見誤るのだろう。
 
 多くの国民が、いわば、“狂気”の中にいたのだ。

 しかし、その狂気から脱したい、と願う心情を日記に吐露していた作家のことを本書から引用する。
 八月十日、各新聞がソ連の宣戦布告を伝えた後のことだ。

 夕方、高見が鎌倉文庫に行くと、ついさっき中年の客が文庫に来て、御前会議で政府は休戦の申し入れをすることに決定したそうだ、と言ったという。

   あんなに戦争終結を望んでいたのに、いざとなると、なんだかポカンと
  した気持だった。どんなに嬉しいだろうとかねて思っていたのに、別に
  沸き立つ感情はなかった。その中年の客の言葉というのを、信用しない
  からだろうか。ーでも、おっつけ、戦争は終結するのだ。惨めな敗戦で
  終結ーというので、心が沈んでいるのだろうか。

 ラジオでは、阿南惟幾陸軍大臣が徹底抗戦を宣言したと報じたという。「そういう場合は、みんな駆り出されて、死ぬのである。国も人民も、滅びるのである」と、高見は書いている。
 そのあと、文庫から家に帰る電車の車中の様子が日記に出てくる。

   車中でも歩廊でも、人々はみな平静である。真に平静なのか。それとも、
  どうともなれといった自棄なのか。戦争の成行について多少なりとも絶望的
  なのは確かだ。
   ソ連の宣戦について誰ひとり話をしている者はない。興奮している者は
  ない。驚嘆している者はない。憤激している者はない。
   だが、人に聞かれる心配のない家のなかでは、大いに話しあっているの
  だろう。私たちが第一そうだ。外では話をしない。下手なことをうっかり
  喋って、検挙されたりしたら大変だ。その顧慮から黙っている。全く恐怖
  政治だ。(中略)そういう沈黙だとすると、これでは戦いには勝てない。
  こういう状態に人々を追いやったのは誰か。

 八月十一日の読売、毎日両紙ともトップは皇太子の写真を掲げ、皇太子の美徳を称えている。また情報局総裁が、政府が国体護持の決意を表明したことを伝えている。

 高見順が日記に書いた、“こういう状態に人々を追いやったのは誰か”ということを、敗戦後71年の今、あらためて問い直すべきだろう。

 「国のために死ぬのが国民」と言って憚らない人物が、防衛大臣になったのである。

 この本から、まだまだ引用したい内容がある。
 少しづつ、紹介するつもりだ。


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by koubeinokogoto | 2016-08-15 20:54 | 今週の一冊、あるいは二冊 | Comments(0)
 内田樹の研究室の8月5日の記事は、ル・モンドによる、日本の新防衛大臣に関する記事の翻訳。
 引用する。
「内田樹の研究室」の該当記事

ルモンドの記事から

日本政府、ナショナリストを防衛相に任命
『ルモンド』8月3日
Philippe Mesmer (東京特派員)

日本の首相安倍晋三は側近を彼の政府に登用したが、とりわけナショナリスト的立場で知られる女性を防衛相に任命することによって彼の権力掌握を一層強化しようとしている。

新内閣は8月3日水曜日に明らかにされたが、彼のスポークスマンである菅義偉、副総理兼財務相の麻生太郎、外相岸田文雄は留任した。

「アベノミクス(安倍の経済政策)を一層加速する」ための布陣と首相によって公式に紹介されている新内閣は参院選における自民党の大勝の三週間後に任命された。参院選によって自民党とその同盟者たちは両院で3分の2を制し、これによって安倍氏が憲法改定という彼の年来の野心を実現する可能が高まっている。
彼は防衛相に稲田朋美を任命した。このポジションを女性が占めるのは2007年第一次安倍政権の小池百合子以来である。稲田氏にはこの分野での経験がないが、自衛隊の海外派遣についての新しい枠組みを定めた2015年採択の安全保障関連法を運用するというデリケートな仕事を委ねられることになる。経験不足にもかかわらず稲田氏が登用されたのは、彼女が首相の側近であり、「お気に入り」だからである。安倍氏は彼女を後継者候補とみなしているようであるが、それは二人のイデオロギー的な近接性による。彼は稲田氏を自民党の政調会長に2014年に任命した。通常経験豊かな議員が任ぜられるこのポストに、稲田氏は2012年から14年まで行政改革担当相を勤めたあとに就いた。

 安倍の「お気に入り」であり、イデオロギー的な近接性により、通常ではありえない昇進を遂げている人物であることを、まず、指摘している。 

 そして、その人物の危険性を、次のように明らかにしている。
2005年に福井県から初当選したこの57歳の弁護士は安倍氏に近いそのナショナリスト的立場によって知られている。政界に入る前、彼女は1945年の沖縄戦の間の日本兵士のふるまいについての作家大江健三郎の著書によって名誉を毀損されたと感じた日本軍将校たちの弁護活動をしていた。
議員になってからは歴史修正主義の立場を繰り返し表明し、1937年の日本軍による南京大虐殺や、『慰安婦』の存在を否定している。2015年、終戦70年に際しては、謝罪しないと繰り返しアピールした。
ウルトラナショナリストの組織である日本会議のメンバーであり、日本のアジアでの行動を「侵略」とすることを否定しており、戦争犯罪人を含む戦死者を祀っているために当否について議論の多い靖国参拝を擁護している。稲田氏はまた憲法改定についても意欲的である。こういった言動は中国、韓国との外交関係を必ずや紛糾させるであろう。


 稲田朋美という新防衛大臣の危険性は、他の海外メディアも取り上げている。
 「LITERA」から引用する。(太字は管理人)
「LITERA」の該当記事
稲田朋美防衛相の軍国主義思想にロイター、
APなど海外メディアが一斉に警戒感! でも日本のマスコミは沈黙

2016.08.05

 第三次安倍改造内閣で安倍首相が防衛相に任命した自民党・稲田朋美衆議院議員。8月4日、就任後初の会見で、日中戦争などが日本の侵略戦争だとの認識があるか質問され、こう答えた。

「侵略か侵略でないかは評価の問題であって、一概には言えない」
「私の個人的な見解をここで述べるべきではないと思います」

 曖昧な回答で明言を避けたのは、本音では日本の侵略や戦争責任を否定したい歴史修正主義者だからに他ならない。実際、稲田氏は自民党きっての極右タカ派で、安倍政権による戦前回帰の旗振り役。本サイトではこれまで、稲田氏の経済的徴兵制推進など、その軍国主義丸出しの発言の数々を伝えてきた。

 ところが、こうした稲田氏の極右政治家としての本質を、日本のマスコミ、とくにテレビメディアはほとんど触れようとせずに、ただ“将来の総理候補”ともてはやすばかりだ。

 しかし、そんな国内マスコミとは対照的に、世界のメディアはその危険性を盛んに報道している。

 たとえば、英タイムズ紙は3日付電子版で、「戦中日本の残虐行為否定論者が防衛トップに」(Atrocity denier set to be Japan’s defence chief)との見出しで、冒頭から稲田氏について「第二次世界大戦中の日本が数々の残虐行為を犯したという認識に異議を唱え、日本の核武装をも検討すべきとする女性」と紹介した。

 また英ロイター通信も3日付の「日本の首相は経済回復を誓いながらも、新たな内閣にタカ派防衛相を迎える」(Japan's PM picks hawkish defense minister for new cabinet, vows economic recover)という記事で、稲田氏の写真を冒頭に掲載し、大きく取り上げている。

「新たに防衛相に就任する稲田朋美(前・自民党政調会長)は、日本の戦後や平和憲法、日本の保守派が第二次世界大戦の屈辱的な敗戦の象徴として捉えている平和憲法や戦後を改めるという安倍首相の目標をかねてより共有している」

 さらに米AP通信は3日付で「日本が戦争の過去を軽視する防衛トップを据える」(Japan picks defense chief who downplays wartime past)という記事を配信し、ワシントンポスト紙などがこれを報じている。記事のなかでは稲田氏を「戦中日本の行いを軽視し、極右思想(far-right views)で知られる女性」「国防についての経験はほとんどないが、安倍首相のお気に入りの一人」と紹介。そして「慰安婦問題など戦中日本の残虐行為の数々を擁護し、連合国による軍事裁判を見直す党の委員会を牽引してきた」と書いたうえで、在特会などヘイト勢力との“蜜月”についてもこのように伝える

稲田氏の悪名高い反韓団体とのつながりについて、今年、裁判所は稲田氏の主張を退けて事実と認めた。また2014年には、稲田氏が2011年にネオナチ団体トップとのツーショット写真を納めていたと見られることも表沙汰となった

 稲田と高市のネオナチ団体トップとのツーショットの件は、以前拙ブログの記事で紹介した。
2014年9月11日のブログ
 毎日の記事はリンク切れになっているが、The Gardianの記事はリンクできており、写真を確認できる。

 日本のメディアが、政府の広報紙に成り下がったり、恫喝に恐れて批判的なことがほとんど書けない状況において、真っ当なジャーナリズムはミニメディアやSNS、そして紹介したような海外メディアに頼るしかないのだろう。

 オリンピック報道に隠れて、為政者たちがどんな悪さをしようとしているか、しっかり監視しなくてはならないと思う。

 平気で「国民は国のために死ね」と言うような人物が防衛相に就いたのだ。
 本来なら、日本のメディアは、もっと批判精神を発揮すべき、とんでもな人事。

 まったく専門知識も経験もない極右政治家の防衛大臣就任は、まさに“馬鹿に刃物”なのである。

 
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by koubeinokogoto | 2016-08-10 12:27 | 戦争反対 | Comments(2)
 リオデジャネイロ・オリンピックには、難民選手団が初めて参加している。

 その10人の選手の中の一人が、シリア難民のユスラ・マルディニだ。

 彼女は、日本時間の今朝決勝が行われた競泳女子100メートル・バタフライの予選に出場した。
 
 決勝ではスウェーデンのの選手が55秒48の世界新で優勝した。

 ユスラでの予選タイム1分9秒21は、優勝タイムから14秒近い差がある。

 しかし、重要なのは、ユスラが“生きて”オリンピックに参加できたこと、そして、無事100メートルを泳ぎ切ったことだと思う。

 
 ユスラは、一年前、プールではなく、地中海にいて、死を覚悟した時がある。

 「HUFFINGTONPOST」から引用する。

「HUFFINGTONPOST」の該当記事

ユスラ・マルディニ、夢をかなえる。エーゲ海を泳いで渡った難民少女
【リオオリンピック】
The Huffington Post | 執筆者: Emma Batha
投稿日: 2016年08月07日 15時57分 JST 更新: 2016年08月07日 15時58分 JST

2015年8月、シリア人難民のユスラ・マルディニは命をかけて泳がなくてはならなかった。彼女が乗っていた救命ボートが故障したのだ。彼女はヨーロッパを目指していた。

2016年8月、10代の彼女はリオデジャネイロ五輪で泳いでいる。

8月6日、彼女は女子100mバタフライ予選に出場し、1分9秒21で41位という結果に終わり、残念ながら予選落ちとなった。試合後、ユスラは「オリンピックの舞台で泳ぐことをずっと夢見ていた。とても気持ちよかった」と語った。11日には、100メートル自由形に出場する。

ユスラは五輪史上初の難民選手団の一員で、姉のサラと2人で感じた恐怖を語った。地中海を渡ってギリシャに向かう途中で、すし詰めの救命ボートが水上に降ろされた瞬間に、ボートが沈んでしまうのではないかと恐れたという。

もう1人の難民と一緒に、彼女たちは海に飛び込み、3時間にわたってボートを引っ張り続けた。そして、19人の命を救った。

「海の中にいた時は怖かったです。生きるのか、死ぬのか、わかりませんでした」と、国際移住機関 (IOM) が公開した動画取材で18歳の彼女は語る。

 振返って、ボートに乗り込んだ時のことを、ユスラはこう回想してる。
ある夜、他の20人と一緒にトルコの海岸からボートに乗りこんだ。定員のおよそ3倍だった。

「ボートに乗る前、死ぬことになると言われるんです」と、サラは語る。

「ですから、ボートに乗った時にまず考えることは死ぬことです。他のことは考えません」

 これは、たった一年前のことだ。

 姉サラの教えについて、こう語る。
数多くの難民がトルコからヨーロッパを目指して地中海を渡ろうとして命を落としてきた。彼らは中東の紛争や政治的な混乱を逃れて、トルコに来ていた。

同じく水泳選手のサラは、ボートが航海中に転覆した場合には、自分たちの命だけを助けようとしないといけないと妹に伝えた。他の人を助けるのはおそらく不可能だし、みんな覚悟はできていた。

しかし、エンジンが停止しボートが縮み始めた時、彼女たちは他の人が溺れるのを見捨てられないと気づいた。

「ボートにかかっている重量を減らす必要がありましたが、私たち以外に泳げる人はほとんどいませんでした。海中に飛び込んだ時、体全体が競技直前のように震えていました」と、ユスラは言う。

「その瞬間、みんなの命が自分自身のもの以上に思えたのです。ボートに乗っている人たち全員が私の一部のように思えました」

「水に飛び込むのが自分の使命だと思いました。もし、彼らを見捨てていれば、生きている間ずっと後悔していたことでしょう」

彼女は、父親の友人が海の中で彼女のズボンの脚を切り落とし、彼女の衣類が負荷をかけないようにしてくれた。

2時間後、彼女は極限の疲労と戦うようになる。眠ってしまって溺れてしまう危険があった。

「暗く、寒くなっていました。風が吹いて、凍えていました。海水が目に入ってきて、開け続けられなくなったんです」と、ユスラは振り返る。

夜中になってようやく、彼女たちはギリシャのレスボス島にたどり着いた。

 クーベルタンが提唱したと言われる「参加することに意義がある」という言葉は、実は、聖公会のペンシルベニア大主教であるエセルバート・タルボットが、1908年のロンドンオリンピックの際に、当時米英関係が良くなかったため、開催地イギリスでさまざまな嫌がらせを受けたアメリカ選手たちに対して語った言葉らしい。
 しかし、クーベルタンはその言葉に感銘を受け、この言葉を多くの方に伝えたため、後にクーベルタンの言葉と伝わるようになったようだ。

 そのいきさつはともかく、参加することに意義がある、という言葉は、リオ五輪の難民選手団にとって相応しい言葉だと思う。
 そして、そのことを、もっと多くの人が感じるべきではなかろうか。

 あらゆる種目の金メダルにもひけととらないメダルを、ユスラは受け取るだけの資格がある。

 難民選手団の言葉を伝えることは、決してオリンピックの政治利用ではなく、その逆である。

 戦争という究極の政治的手段に抗議するためにも、ユスラ達のことを世界中のメディアは取り上げるべきではなかろうか。

 勝った、負けただけではない、オリンピック報道のあり方を、2020年に向けて日本のメディアは考えるべきだ。

 もちろん、3.11の被災者や被災地のことも、覆い隠さず伝えなければならないはずだ。
 なぜなら、「復興五輪」という言葉を招致活動で語ったのだから。

 「復興」した姿を世界に示すためにやるべきことを国はやっているのか・・・・・・。

 間違っても、東京五輪のために被災地の復興が遅れている、などということは、本末転倒で許されないはずだ。

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by koubeinokogoto | 2016-08-08 20:53 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 参院選、都知事選に関する、芸能ゴシップまがいの内容を含むメディアの喧噪は、これからリオ五輪報道に替わっていくのだろう。

 しかし、前回の記事で紹介したような、シリア難民のことや、ISの実態などの報道は、ほとんどテレビや全国紙で時間やスペースを割かれることはないに違いない。

 バングラデシュの首都ダッカのレストランで日本人を含む犠牲者を出したテロ事件が起こったのは、たった一ヶ月前のことなのだが、見事に参院選と都知事選のニュースで、“暗い”テロ事件のことは覆い隠された。

 とはいえ、テロ事件は、その被害の大きさに応じてニュースが報じられる。

 それらは、決して「線」でも「面」でもなく、「点」の事件としてのみ扱われる。

 なぜ、日本人までがISやIS信奉者によるテロに巻き込まれるのだろうか。
 
 テロリストであろうと、イスラム圏の国・地域の人々からは、「日本人は逃げなさい!」と言われることはあり得ても、「日本人か、そこに座れ!」と攻撃されることは、長い歴史の中では、基本的にはなかったはずだ。

 後藤健二さんが亡くなったのとされる時期とほぼ同じ頃の雑誌「SAPIO」に、内田樹の記事が載っているので「NEWSポストセブン」から引用する。
NEWSポストセブンの該当記事

米の従属国・日本がイスラム圏から敵視されてこなかった理由
2015.01.28 16:00

 シリアやイラクを中心に勢力を拡大するイスラム国に、世界中が頭を悩ませている。日本とて決して“対岸の火事”ではないイスラム国に対し、日本は何ができるのか? 思想家・武道家の内田樹氏が解説する。

 * * *
 イスラム共同体は北アフリカのモロッコから東南アジアのインドネシアまで、領域国家を超えて結ばれた人口16億人の巨大なグローバル共同体であり、宗教、言語、食文化、服装などにおいて高い同一性を持っている。これほど広い範囲に、これだけ多数の、同質性の高い信者を擁する宗教は他に存在しない。

 加えて、イスラム共同体の構成員の平均年齢は29歳と若い。欧米先進国も中国もこれから急激に少子高齢化の時代に突入する中で、イスラム圏の若さは異例である。ここが21世紀の政治経済文化活動のすべてについて重要な拠点となることは趨勢としてとどめがたい。

 アメリカ主導のグローバリズムとイスラムのグローバル共同体はいずれもクロスボーダーな集団であるが、支配的な理念が全く異なる。イスラム社会の基本理念は相互援助と喜捨である。それは何よりも「孤児、寡婦、異邦人」を歓待せねばならないという荒野の遊牧民の倫理から発している。

 アメリカ型グローバリズムには相互扶助も喜捨の精神もない。「勝者が総取りし、敗者は自己責任で飢える」ことがフェアネスだというルールを採用している。この二つのグローバル共同体が一つの原理のうちにまとまるということはありえない。かといって相手を滅ぼすこともできない。隣人として共生する他に手立てはない。

 日本はアメリカの従属国でありながら、幸い平和憲法のおかげで今日にいたるまでイスラム圏から敵視されていない。それは日本の宗教的寛容の伝統もかかわっているだろう。ムスリムもキリスト教徒も仏教徒も平和的に共生できる精神的な基盤が日本にはある。

 この「ゆるさ」は日本の外交的なアドバンテージと評価してよいと思う。この宗教的寛容に基づいて二つのグローバル共同体を架橋する「仲介者」となることこそ、日本が国際社会に対してなしうる最大の貢献だと私は思っている。

※SAPIO2015年2月号

 内田樹が説明するように、イスラム圏において日本は決して敵視される国民、民族ではなかった。

 しかし、今や、テロリストのブラックリストの中に日本は加わったと見るべきだろう。

 何が変わったのか・・・・・・。

 内田樹が指摘する、 “相互扶助と喜捨”の精神、そして、“宗教的寛容の伝統”は、今どうなっているのだろう。

 日本人一般においては、長い歴史を背景にした、文化基盤として変わることはないと思う。

 問題は、体外的に国の顔である政府やその首長たちだ。

 後藤さん、湯川さんの殺害や、先日のダッカでの日本人も巻き込むテロ事件の要因には、間違いなく、安倍首相のカイロでの演説が影響している。

 そして、次なる安倍内閣には、ますます、憲法を改悪し、堂々と戦争ができる国となることを推し進めようとする人材が増えている。

 彼や彼女には、 “相互扶助と喜捨”の精神などは、からっきしも存在しない。
 
 日本国民の敵は、イスラム圏の人々ではない。

 国のために命を投げ出せ、と平気で口走る政治家こそが敵である。
 
 アジアの隣国やテロリストと戦うのではなく、戦わない道を探ること、あるいは、戦おうとする両者の仲介役を果たすことのほうが、どれほど日本的であるだろうか。


 相互扶助と喜捨の精神は、日本人に馴染む。

 紛争の「当事者」になるのではなく、「仲介者」としての役割こそ、日本と日本人にとって相応しい道である。


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by koubeinokogoto | 2016-08-03 21:34 | 戦争反対 | Comments(4)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛