幸兵衛の小言

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 一昨日の土曜に、兄弟ブログ「噺の話」で、もうじき終了するNHKの朝の連続ドラマ「とと姉ちゃん」について書いた。
「噺の話」2016年9月24日の記事

 モデルの一人である花森安治の薫陶を受けた「暮しの手帖」の元編集者が、あの番組では花森安治の真の姿は表現されていない、と批判していることも、LITERAの記事(および同記事で引用されている「週刊朝日」の記事)で紹介した。

 花森安治という人は、どんな思想、信条を抱いていた人なのか。

 「とと姉ちゃん」でも、その様子が一部紹介されていたが、花森は敗戦まで、大政翼賛会の外郭団体に籍を置いて国策広告に携わっていた。有名な「欲しがりません 勝つまでは」は花森が考案したと言われることがあるが、事実ではない。大政翼賛会と新聞社による標語募集に応募しされたものを花森が採用したのだった。しかし、この点について花森は一切弁明しなかったという。
 あの標語が自作ではないにせよ、自分が国策広告に携わっていた事実への自責の念が、そうさせたのだろう。

 彼が語らなかったことの意味を慮ることも大事だが、花森が書き残した言葉を読むことができる。

 その中の一つが、日本ペンクラブの「電子文藝館」のサイトにある、「見よぼくら一銭五厘の旗」だ。
「日本ペンクラブ 電子文藝館」の該当ページ
 作者と掲載された内容の説明を含む部分を、先にご紹介する。
花森 安治
ハナモリ ヤスジ
はなもり やすじ 編集者 1911・10・25~1978・1・14 兵庫県神戸市に生まれる。東大在学中、扇谷正造、杉浦明平らと帝大新聞の編集に携わり、戦後1948(昭和23)年、「暮しの手帖」を創刊、雑誌の全面に花森の手と息吹がかかっていた。

掲載作は1970(昭和45)年10月、「暮しの手帖」第2世紀8号に掲げた胸にしみるマニフェストである。なお、改行の仕方について今や筆者に確認をとれない微妙な点があり、雑誌初出時の改行(組体裁)のママに従っている。

 「マニフェスト」という言葉には、少し違和感があるが、花森安治というジャーナリストの意図を示す「声明文」あるいは「誓約書」という意味では、間違いではないのだろう。

 本文を、まず冒頭から引用する。
見よぼくら一銭五厘の旗

美しい夜であった
もう 二度と 誰も あんな夜に会う
ことは ないのではないか
空は よくみがいたガラスのように
透きとおっていた
空気は なにかが焼けているような
香ばしいにおいがしていた
どの家も どの建物も
つけられるだけの電灯をつけていた
それが 焼け跡をとおして
一面にちりばめられていた
昭和20年8月15日
あの夜
もう空襲はなかった
もう戦争は すんだ
まるで うそみたいだった
なんだか ばかみたいだった
へらへらとわらうと 涙がでてきた

どの夜も 着のみ着のままで眠った
枕許には 靴と 雑のうと 防空頭巾を
並べておいた
靴は 底がへって 雨がふると水がしみ
こんだが ほかに靴はなかった
雑のうの中には すこしのいり豆と
三角巾とヨードチンキが入っていた
夜が明けると 靴をはいて 雑のうを
肩からかけて 出かけた
そのうち 電車も汽車も 動かなくなっ

何時間も歩いて 職場へいった
そして また何時間も歩いて
家に帰ってきた
家に近づくと くじびきのくじをひらく
ときのように すこし心がさわいだ
召集令状が 来ている
でなければ
その夜 家が空襲で焼ける
どちらでもなく また夜が明けると
また何時間も歩いて 職場へいった
死ぬような気はしなかった
しかし いつまで生きるのか
見当はつかなかった
確実に夜が明け 確実に日が沈んだ
じぶんの生涯のなかで いつか
戦争が終るかもしれない などとは
夢にも考えなかった

その戦争が すんだ
戦争がない ということは
それは ほんのちょっとしたことだった
たとえば 夜になると 電灯のスイッチ
をひねる ということだった
たとえば ねるときには ねまきに着か
えて眠るということだった
生きるということは 生きて暮すという
ことは そんなことだったのだ
戦争には敗けた しかし
戦争のないことは すばらしかった
 
軍隊というところは ものごとを
おそろしく はっきりさせるところだ
星一つの二等兵のころ 教育掛りの軍曹
が 突如として どなった
貴様らの代りは 一銭五厘で来る
軍馬は そうはいかんぞ
聞いたとたん あっ気にとられた
しばらくして むらむらと腹が立った
そのころ 葉書は一銭五厘だった
兵隊は 一銭五厘の葉書で いくらでも
召集できる という意味だった
(じっさいには一銭五厘もかからなか
ったが……)
しかし いくら腹が立っても どうする
こともできなかった
そうか ぼくらは一銭五厘か
そうだったのか
〈草莽そうもうの臣〉
〈陛下の赤子せきし〉
〈醜しこの御楯みたて〉
つまりは
〈一銭五厘〉
ということだったのか
そういえば どなっている軍曹も 一銭
五厘なのだ 一銭五厘が 一銭五厘を
どなったり なぐったりしている
もちろん この一銭五厘は この軍曹の
発明ではない
軍隊というところは 北海道の部隊も
鹿児島の部隊も おなじ冗談を おなじ
アクセントで 言い合っているところだ
星二つの一等兵になって前線へ送りださ
れたら 着いたその日に 聞かされたの
が きさまら一銭五厘 だった
陸軍病院へ入ったら こんどは各国おく
になまりの一銭五厘を聞かされた


 「とと姉ちゃん」には、この「一銭五厘」のことは、一切登場しない。

 実際には存在しなかった、安かろう悪かろうという製品を作っていた電気メーカーとの戦いは描かれた。
 
 しかし、花森安治が戦ってきた相手は、違うのである。

 この文章の中盤には、公害問題に対する花森の強い思いが綴られている。
 
 なぜ、政府が自動車を規制しないのか、なども書かれている。
 ぜひ、全文を読んでいただきたい。

 後半から最後の部分を、引用したい。

さて ぼくらは もう一度
倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている〈民主々義〉を 探しだ
してきて 錆びをおとし 部品を集め
しっかり 組みたてる
民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にする
ということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
かったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
かったら 政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ
政府が 本当であろうとなかろうと
今度また ぼくらが うじゃじゃけて
見ているだけだったら
七十年代も また〈幻覚の時代〉になっ
てしまう
そうなったら 今度はもう おしまいだ

今度は どんなことがあっても
ぼくらは言う
困まることを はっきり言う
人間が 集まって暮すための ぎりぎり
の限界というものがある
ぼくらは 最近それを越えてしまった
それは テレビができた頃からか
新幹線が できた頃からか
電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか
とにかく 限界をこえてしまった
ひとまず その限界まで戻ろう
戻らなければ 人間全体が おしまいだ
企業よ そんなにゼニをもうけて
どうしようというのだ
なんのために 生きているのだ

今度こそ ぼくらは言う
困まることを 困まるとはっきり言う
葉書だ 七円だ
ぼくらの代りは 一銭五厘のハガキで
来るのだそうだ
よろしい 一銭五厘が今は七円だ
七円のハガキに 困まることをはっきり
書いて出す 何通でも じぶんの言葉で
はっきり書く
お仕着せの言葉を 口うつしにくり返し
て ゾロゾロ歩くのは もうけっこう
ぼくらは 下手でも まずい字でも
じぶんの言葉で 困まります やめて下
さい とはっきり書く
七円のハガキに 何通でも書く

ぽくらは ぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗のいろは
赤ではない 黒ではない もちろん
白ではない 黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布はぎれをつなぎ合せた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し
台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後あとへひかない
(8号・第2世紀 昭和45年10月)


 前回の「噺の話」の記事で引用したが、「とと姉ちゃん」のプロデューサーが、素顔の花森安治のことを描くにあたっての「ハードル」があると発言している。

 それは、たとえば、引用した次のような言葉に象徴されているだろう。

 ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
 かったら 企業を倒す ということだ
 ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
 かったら 政府を倒す ということだ
 それが ほんとうの〈民主々義〉だ


 「企業を倒す」も「政府を倒す」も、あくまで「ぼくらの暮し」とぶつかったら、という条件だ。
 そして、公害や粗悪な製品開発などは、花森にとっては「ぼくらの暮し」とぶつかることなのである。
 「ぼくら」という立ち位置を描くために、プロデューサーは、なんとかその“ハードル”を乗り越える努力をしたのだろうか。
 もっと言えば、プロデューサーの立ち位置は、果たして「ぼくら」の側にあったのか。

 「企業批判」は、民放では難しいかもしれない。
 しかし、広告のないNHKは、もっと花森安治の真実に迫ることができたのではなかろうか。
 「暮しの手帖」が広告を掲載しないからこそできた、「ぼくらの暮し」を守る活動を、なぜ、広告収入に依存しないNHKは、同じように、「ぼくら」の立場で描かないのか。

 それは、了見の違い、なのだと思うし、経営管理層の問題なのだろう。

 「とと姉ちゃん」では割愛(?)された花森安治という一人のジャーナリストの真の姿は、あの番組が終わるからこそ、もっと振り返られて良いように思う。

 
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by koubeinokogoto | 2016-09-26 22:47 | 戦争反対 | Comments(0)
 豊洲の問題については、兄弟ブログの「噺の話」で、落語的に八五郎とご隠居の会話風にした記事を書いた。
2016年9月14日の「噺の話」

 八五郎は石原慎太郎の無責任な言葉に腹を立てていたのだが、その石原が報道関係者向けに謝罪(?)文書を出した。

 朝日に全文が載っていたので、引用する。
朝日新聞の該当記事

 この度は、私の東京都知事在任中の件で、皆様に多大な混乱やご懸念を生じさせるなどしておりまして、まことに申し訳なく思っております。

 このところ、多くの報道機関の皆様から取材の依頼を受けておりますので、私の心境を以下のとおり明らかにさせていただきます。

 今般の件は十数年というかなりの時間が経過している上、当時さまざまな重大案件を抱えていたことや、間もなく84歳になる年齢の影響もあって、たとえ重大な事柄であっても記憶が薄れたり、勘違いをしたりすることも考えられますので、今後、報道機関の皆様の個別のお問い合わせにその都度お答えすることは、無用な混乱を招くおそれがあることから、控えさせていただくこととしました。

 ただ、今般の件については、当時、卸売市場、建築、交通、土壌汚染、予算等のさまざまな観点で、専門家や関係者の意見を聞きながら、副知事以下の幹部職員や、実務に長けた関係部署の多くの職員たちと協議を重ね、事業の計画を進めていたもので、この事業はとても私個人が自分の知見のみで部下に指示して事に当たることはできない、専門的かつ複雑な問題でありました。それだけに、経過の詳細を思い出してご説明することは難しいものがありますが、幹部職員や担当職員からも事情を聞いていただければ、自ずから何があったのかは明らかになるものと思っております。もとより、私自身も今後事実関係を明らかにする検証を行う場合には全面的に協力するつもりでおります。

 ところで、一部報道によれば、私が土壌汚染を無視して予算と完成時期だけにこだわり強引に今回問題になっている構造にさせたといった指摘がなされているようですが、そのような事実は断じてありません。そもそも、多数の専門家や担当部署職員が関与し、また議会も審議する案件でそのようなことが出来るわけがありません。

 ともあれ、私の都知事在任中の件に端を発してこのような事態になっていることについては責任を痛感いたしております。

 この文書の目的は何だったのか・・・・・・。
 一つは、もうメディアの取材を受けないため。
 理由は、年齢。
 文書そのものは、「ところで」以下を言いたかっただけか、と思わせる。

 あの盛り土案以外の考えを語った会見の映像が流れる前は、年齢を感じさせない勢いで取材やテレビ番組で語っていた石原は、急にふけこんだのだろうか。

小池都知事以前の三人の都知事の任期は、次のようだった。

石原慎太郎
第一期 1999年4月23日~2003年4月22日
第二期 2003年4月23日~2007年4月22日
第三期 2007年4月23日~2011年4月22日
第四期 2011年4月23日~2012年10月31日

猪瀬直樹
第一期 2012年12月18日 2013年12月24日

舛添要一
第一期 2014年2月11日 2016年6月21日

 “犯人捜し”で、いろんな名前が挙がるのだろうが、都の責任者は、この三人だったのだ。

 都議会の“どん”とか、その側近とか、取り巻きとかがからんでいるのは明白だろうが、豊洲を危険きわまりない場所にしておいて、築地からの移転を急ぐ計画の最高責任者は、この三人の都知事であったのだ。

 都民、いや国民の食の安全を無視した計画を進めた知事も、その暴走を止めなかった知事も、責任は免れない。


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by koubeinokogoto | 2016-09-24 14:34 | 責任者出て来い! | Comments(0)
 昨夜は、NHK BS1の「ドキュメンタリーWAVE」で「ジャカルタ・パンク インドネシア抑圧された人々の叫び」を見た。

 久しぶりに、強い刺激を受けた番組だ。NHKのサイトから引用。
NHKサイトの該当ページ
9月11日 日曜 BS1 午後10時00分~ 午後10時50分
ドキュメンタリーWAVE▽ジャカルタ・パンク インドネシア抑圧された人々の叫び

いまパンク・ミュージックがインドネシアの若者を熱狂させている。経済成長の陰で広がる貧困、押し寄せる開発の波。パンクがかき鳴らすのは、抑圧された人々の魂の叫びだ。

モヒカン刈りにタトゥーの男たちが奏でる音楽が、いまインドネシアの若者を熱狂させている。伝説のパンク・バンド「マージナル」だ。20年前、スハルト独裁政権に反対の声を上げようと結成。以来、弱い立場に置かれた人々のために歌い続けている。経済成長の陰で広がる貧富の格差、開発の波に翻弄される農民…。結成20年の今年、抑圧される人々の魂の叫びを歌にした。新曲が披露される夏のコンサートに向けた活動に密着した。

 今の日本の音楽家や芸能人が、時事問題には、せいぜい「つぶやく」程度で、確固とした政治的な主張をしない状況とは、好対照。

 結成20周年を迎えるパンク・バンド「Marginal」は、まさに生き方そのものが、パンクだ。

 彼らは、若者たちが自由に訪れることの出来るコミュニティを作っている。
 たとえば、日給90円で配送の仕事をして家族を支えてきた若者が、リストラに遭い、彼らのコミュニティを訪れた。
 一歩間違えば、いや、あの地なら、結構高い確率で犯罪の道に足を踏み入れても不思議のない若者だ。
 「Marginal」メンバーは、彼のような若者にウクレレを教え、ストリート・ミュージシャンとして食べていくための技術を伝授したり、Tシャツにデザインする版画の作り方、印刷の方法などを指導する。すべては、若者たちが自立するためだ。
 また、ルンバンという村に国営企業が十分な調査をせずセメント工場を建設しようとすることに反対する農民たちが、大統領宮殿前で座り込みを始めるのだが、バンドは、彼等を元気づけるために、路上でミニ・ライブを行う。
 暑さをしのぐためにテントの設営をしようとすると、柱を立てるのを禁じられたため、人が交代で横木を持つことになった。そのテントに農民たちが座り込んで一週間、なんと大統領と農民たちのの面会が実現した。大統領はセメント工場に対し改めて環境調査を行なうように指示、結果が出るまで建設を中断させる大統領令を下した。
 2年間訴え続けた農民たちの声がようやく国に伝わったのは、それを支援する「Marginal」の活動や、彼らを取材する国内外メディアのことも影響しているのだろう。その数日前に、政府広報官が農民たちに歩み寄り、「大統領に伝える」と約束していた。

 日本政府と沖縄を考えると、インドネシア政府の方が、まだ、まともではないか、と一瞬思ったぞ。

 マイクは言う。「皆それぞれ問題や悩みを抱えながら生きている。音楽を通じて人々はひとつになることができる。私たちができるのはきっかけになること。私たちの音楽が少しでも誰かの役に立つ限りこれからも歌い続ける」と。

 この放送を見て、「Marginal」というバンドとメンバーたちは、“本物”だと思った。

 再放送が9月26日にあるようだ。NHKのサイトから引用。
「NHK ドキュメンタリー WAVE」サイトの該当ページ

ドキュメンタリーWAVE▽ジャカルタ・パンク インドネシア抑圧された人々の叫び

9月26日月曜
NHKBS1
午後5時00分~ 午後5時50分


 調べたら、2年前、フォトジャーナリストの中西あゆみさんによる彼等のドキュメンタリー映画が上映されていた。
 「WEB DICE」に、当時、中西あゆみさんにインタビューした記事があったので、引用したい。
「WEB DICE」の該当ページ

──ジャカルタ・パンクの数あるバンドの中からなぜマージナルを追いかけようと決めたんですか?

ジャカルタ・パンクにはたくさんコミュニティがあって、いろいろなバンドに出会って取材してきたんですが、いまいちピンと来ていないところがあって。彼らがパンクになる理由は分かるんです。貧困や地域間格差が問題となっている国だし。でも自分がもっと突き詰めたところまでいけるんじゃないかと思っていたんです。その頃に「ほんとにジャカルタ・パンクを知りたいならやっぱりマージナルに会わないとダメじゃない?」と言ってくれた人がいたんです。

──それは現地の方ですか?

はい。現地ですごく仲良くなったスキンヘッドの軍団がいるんですけど。その人たちがマージナルを紹介してくれて、初めてマイクと会って話してみたら、ものすごいことを言う人だったので、衝撃を受けて。

──いままで出会ってきたパンクの人たちとは違う印象だったんですか?

まったくもう、天地の差でした。人格者としてもそうですけど、こんなことを言う人たちがいるんだ!という衝撃を受けて。もしかしたらこの人たちに出会うために私はインドネシアに来たのかもしれないという勝手な使命感が生まれて、そこからですね。

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 同記事にある写真を借用(『マージナル=ジャカルタ・パンク』より © AYUMI NAKANISHI)

 同映画上映に合わせて、「Marginal」のメンバーであるマイクへの取材などを含めて「8bit.news」サイトに記事が載っていた。こちらも引用。
「8bit.news」の該当記事
大衆と共にある音楽パンク ジャカルタから来日したマージナルと日本のパンクシーン

「パンク」な生き方とはなんだろうか?現在来日中のインドネシアのパンクバンドマージナルは、スハルト軍事独裁政権の抑圧的な政治環境の元結成され、大衆から爆発的な支持を得ている。政権のもたらした恐怖や貧困や理不尽の真っただ中で彼らは自由や子供達や大衆の為に、生きてゆくための手段としてパンクを始めた。彼らは場所を選ばず無料でコンサートをやり、子供達がストリートで演奏してお金を稼げるようにウクレレの弾き方を教え、バンドのグッズなどを売って得た収入は共に生活する身寄りのない子供達と自分たちの生活を支えるのに足りるか足りないかいつもギリギリのライン。

そんなマージナルの活動を追い続けている写真家の中西あゆみさんによるマージナルのドキュメンタリーが5月から渋谷アップリンクで公開されている。残すところ上映は6月11、12、13日の3日間。上映後には中西さんのトークと、マージナルのアコースティックライブがある。

映画館でもライブハウスでも、来日して以来マージナルは日本で熱烈に歓迎されている。映画館やライブハウスにマージナルを見にくる日本の人々は、独裁と貧困の中で勇気と愛を持ってまさにパンクに生きている彼らに対して、極めて好意的で、ある種の特別な感情や期待を持っているようにも見える。マージナルはとても暖かく、真っ直ぐでポジティブで親密な空気をつくり出す。
 あら、二年前、このバンドのことや映画のことなど、まったく知らなかったなぁ。

 引用を続ける。
マージナルのマイクにインタビューをした際に、彼が繰り返し言ったのは、重要なのは情報をシェアしたりメッセージを伝えたり、お互いから何かを学ぶことだということ。例えばどういった場所でライブをやるかとか、そういったことは全く重要ではない、と彼は言った。

マージナルの持つ真っ直ぐさに対して、ひょっとすると日本のオーディエンスは憧れの感情も持っているのではないだろうか。インドネシアにはあからさまで厳しい貧困や独裁があり、反逆するいくつもの明らかな理由がある。日本はどうだろうか?表面的には非常に豊かな日本だが、日本にも貧困や差別や現政権の嘘や横暴があり、決して健康な状態ではなく、反逆するに値する物事は実際多く存在する。

都内のライブハウスでのマージナルのライブ後、その晩ライブハウスにいた人々に安倍政権についての意見を求めた。

あるバンドのメンバーの男性は「ちゃんと人のことを考えてくれ。守るって言うなら、守って。福島のこととか、被災者のことをとにかくちゃんと考えて」と穏やかな口調で話しだした。彼は日本の政治家や他の国でも政治家は国民のことを考えていない。今までもずっと政治はひどかったけど、安倍総理は頭が悪いし坊ちゃんだから、今はそれがわかりやすく露骨に出ているだけで、それでも事態の深刻さに気づかない国民だって悪いと彼は言う。オリンピックに大金を使うよりも、仮設住宅で孤独死するような人々のことを考えるべきだと言う。彼はデモに行って捕まった経験もあり、今デモに行っている人達は、「反体制」というよりかは、本当に国を愛しているから安倍政権に文句を言ったりデモをしているのだと思うと彼は言う。暴走する安倍政権に対して反応の無い日本には何が足りないのか?と聞くと「死ぬ覚悟が足りないんじゃない。死なないと思っているんじゃない?人間は死ぬんだということがわかってない」と彼は言う。

 この記事で指摘しているように、インドネシアのような、あからさまで厳しい貧困や独裁など、反逆するいくつもの明らかな理由がなくても、日本にも、貧困や差別や政権の嘘や横暴がある。そして、その横暴は激しさを増すばかりではないか。

 ゲームアプリに興じているより、もっとやるべきことがあることを、「Marginal」から学んだ若者がいると信じたい。

 SEALD'Sの活動は、いったん休憩のようだ。
 しかし、彼らは、また呼びかければすぐ集まれるだけの、「発言し行動する若者」の土台をつくったのではなかろうか。

 ジャパン・パンクが、そういった若者の活動への“きっかけ”になったり、あるいは、その活動の中心的存在になっても、決して不思議のない政治状況にあると思う。
 
 日本の「Marginal」よ、出でよ!

 ご興味のある方、ぜひ再放送をご覧のほどを。もう一度確認の意味で。
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ドキュメンタリーWAVE▽ジャカルタ・パンク インドネシア抑圧された人々の叫び

9月26日月曜
NHKBS1
午後5時00分~ 午後5時50分
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 昨夜、そろそろ寝ようかと思っていた私だったが、この番組を見入っていて、「目を開け!」と叫ぶ彼等の歌で、眠気が吹き飛んだのだった。


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by koubeinokogoto | 2016-09-12 22:55 | 責任者出て来い! | Comments(2)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛