幸兵衛の小言

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 オスプレイについて、危ぶまれていたことが起こった。

 西日本新聞から引用。
西日本新聞の該当記事

県「頭越し」に困惑 大分空港にオスプレイ着陸 野党など飛行禁止要求 [大分県]
2017年08月31日 06時00分

 まさか大分でオスプレイとは-。墜落事故やトラブルが多発している米軍の新型輸送機オスプレイ1機の緊急着陸から一夜明けた30日、国東市の大分空港では近隣の住民や利用者が驚きと不安の声を上げた。この機体は米軍の岩国基地(山口県)から普天間飛行場(沖縄県)に向かう途中で、エンジルトラブルが原因とみられる。県に事前通告しないままの緊急着陸という事態に、困惑と憤りが広がった。

 空港の展望デッキには30日早朝から、オスプレイの機体を見ようと次々と人が集まった。デッキからは、岩国基地から来たとみられる米軍関係者が、機体の点検や整備にあたる様子がうかがえる。県は午後1時半ごろ、オスプレイの生映像を撮影するビデオカメラを空港近くに設置。県庁内の大型モニターで状況を監視したが、詳細な作業内容は伝えられない。担当者は「いつ離陸するのか、まったく見通しが立たない」と困惑の表情を浮かべた。

 オスプレイが緊急着陸したのは、29日午後6時34分ごろ。県は午後7時ごろ、消防車の出動要請を受けた国東市消防本部からの間接連絡で緊急着陸を知ったという。県は30日、九州防衛局に対して防災局長名で情報の速やかな提供、緊急着陸の原因説明を米軍に求めるよう要請した。

 地元の「頭越し」で進む事態に憤りも広がった。共産党県委員会などは30日、県庁を訪れてオスプレイの飛行禁止、民間専用の大分空港の軍事利用禁止などを求める4項目の申し入れをした。林田澄孝委員長は「事故の懸念がつきまとう欠陥機を飛行させてはいけない」。社民党県連合の守永信幸幹事長も「事故が多発している上、原因もきちんと説明されてない中で国が飛行再開を認めていることがおかしい」と批判。県平和運動センターの河野泰博事務局長は「オスプレイが欠陥機だということが、今回あらためて示された。直ちに飛行を停止させるべきだ」として、県や国に申し入れをする方針を示した。

=2017/08/31付 西日本新聞朝刊=

 オスプレイの飛行機とヘリコプターの長所を組み合わせた複雑なシステムは、操縦にも高度な技術が必要となる。
 
 開発段階で4回、正式配備後も重大事故を起こしており、「ウィドウ・メーカー」(未亡人製造器)と呼ばれているのがオスプレイなのである。

 米軍乗組員のみならず、日本国民の生命をも脅かす危険の乗り物。

 昨年末の沖縄での墜落事故の際に記事を書いた。
2016年12月19日のブログ

 その記事でも引用したのだが、三年ほど前には、自民党が自衛隊のオスプレイ導入を提言した記事の紹介と併せて、『憲法九条の軍事戦略』から、オスプレイの飛行ルートについて、米軍はまったく日本の意向などは意識せずに決めていることを紹介した。
2013年5月16日のブログ

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松竹伸幸著『憲法九条の軍事戦略』(平凡社新書)

 また重複するが、大事なことなので、松竹伸幸著『憲法九条の軍事戦略』(平凡社新書、2013年4月15日初版発行)からの引用したい。

 米軍は、日本のみならずイタリアでも、オスプレイの運行に関して、その国の意向などはまったく無視していたという実態も含めてご紹介。太字は管理人による。
安保のもとでは自主的な判断ができない

 日米安保条約が日本から自主的な判断を奪っていることは、さまざまな事例で論証できる。たちえば、オスプレイにかかわることで思い起こされるのは、98年2月、低空飛行訓練中の米軍機がイタリアで起こした事故をめぐる問題と、日本で米軍が事故を起こした場合との比較である。
 このとき、米軍機はアルプスの山中を飛んでいて、スキー客を乗せたゴンドラを運ぶケーブルを切断した。20人の乗客が落下して死亡したのである。高速で飛行する戦闘機だから、太さがわずか6センチのケーブルがパイロットの目にみえたのは200メートル手前で、その距離を進むのに一秒しかかからない戦闘機は、回避動作をとることがでいなかったのである。
 日本で米軍機が低空飛行訓練をするルートの下に、も、たくさんのスキー場がある。オスプレイは高速な性能を誇っている。人ごとではない。
 イタリア政府は、このような事故が起こらないよう、自国で10本のルートを設定し、そのルート下にある障害物を明記した地図を作成して米軍に提供していた。事故の直前、飛行高度の制限を300メートルから600メートルに上げて、それを米軍に通知していた。ところが米軍は、その地図を使っていなかったし、飛行高度の変更をパイロットに伝えていなかったのである。他国の防衛のために駐留してやっているという自負のある米軍は他国の主権に無関心なのである。
 ところが日本の場合、イタリアの事情とも比べられないほど、主権はさらに無視されている。そもそも日本にある七本の低空飛行訓練ルートは、日本政府が知らぬ間に米運が勝手に設定したものである。だから日本側は地図など作成しようがない。それどころか日本政府は、この程度の訓練なら(爆弾を落とすような訓練でないなら)、七本のルート以外のどこで訓練してもいいという態度だ。米軍機の飛行高度についても、日本側に決める権限はなく、アメリカが150メートルだとか60メートルだとかを決定し、日本に通告しているだけである。

 この度、事前告知なしで大分空港に不時着するなど、米軍にといってはいまだ“占領国”である日本だから、当たり前なのである。

 やはり、日本にはいまだ主権がないと言うべきか。

 安全性について国民が不安は今回の件で一層高まっている。

 政府は沖縄の事故の際と同じ「安全性の確保を米軍に求める」などと答弁したところで、結局は再飛行を黙認するのだろう。

 国民の生命の安全を確保しようとしない政府なんて、いりますか?


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# by koubeinokogoto | 2017-08-31 15:11 | 責任者出て来い! | Comments(0)
 兄弟ブログ「噺の話」で書いた記事なのだが、せっかくなので(?)こちらでも。

 寄席や落語会でのマクラで、人にもよるが、鋭い権力批判が、落語家らしい装飾もされて披露されるのを聴くのも楽しみの一つだ。
 
 もちろん、ほとんどが「テレビじゃ、無理だろうなぁ」と思われる内容で、そういうことも、生の寄席、落語会での一期一会の魅力なのだと思う。

 しかし、ふと、思うこともある。

 以前は、テレビでだってそういう批判精神に富んだ発言を、もっと聴くことができたのではないか、ということ。

 そんなことを考えていたら、興味深い記事を発見した。

 テレビに出るお笑い芸人たち、そして、メディアにおける権力批判の日米の違いに関し「LITERA」に載っていたのだ。
LITERAの該当記事
 主に町山智浩の指摘が中心。

 冒頭から、まず引用。

トランプ問題で鋭い論評連発の町山智浩がアメリカと比較し「日本のお笑い芸人が権力批判できない理由」を喝破
2017年8月27日

 シャーロッツビル事件をめぐる「どっちも悪い」発言で、アメリカではトランプ大統領への批判がかつてないくらい高まっているが、日本のメディアではむしろ、トランプ的な「どっちもどっち」論が幅を利かせている印象がある。

 ネットでは事件の発端となったリー将軍像の撤去をめぐって、ネトウヨや「中立厨」を中心にリー将軍擁護論が盛り上がり、テレビでも「白人至上主義も忌まわしいが、リベラル至上主義も問題」などというトンデモ発言をした有本香はじめ、複数のコメンテーター、番組がどっもどっち的な解説を垂れ流していた。

 そんななか、こうしたトランプ擁護論を徹底論破していたのが、現在アメリカ在住の映画評論家・町山智浩氏だ。町山氏はツイッターで、リー将軍像が白人至上主義という差別思想と不可分であること、南北戦争で「南部が自治権を守ろうとしただけ」などというのは戦争終結後の南部のプロパガンダであることを指摘。こんな鋭い分析まで披露していた。

〈南部の正当化の仕組みは日本における戦争の正当化のそれと非常によく似ていると思います。南部帝国を擁護する日本人には、意識的か無意識か、大日本帝国を投影している人が多いのではないでしょうか。〉

 まさに博覧強記の町山氏らしい鮮やかな切り返しだが、その町山氏が今度は、トランプを徹底批判するアメリカのニュースショーと比較する形で、権力批判ができない日本のメディア状況やお笑い芸人の問題に踏み込む発言をして、話題になっている。

 発言があったのは、8月22日放送の町山氏のレギュラー番組『たまむすび』(TBSラジオ)でのこと。町山氏はこの日、シャーロッツビル事件以後も予定されている右翼の大集会やトランプ大統領の動向について解説したあと、「いまアメリカのレイトショー、夜のトークショーの人たちは、もうずーっと、この事件があってからもそうなんですけども、トランプギャグでものすごく面白いことになっているんですよ」と切り出した。

アメリカでは毎晩、コメディアンたちがトランプをネタに

 そして、ABCテレビ『ジミー・キンメル・ライブ!』司会者のジミー・キンメルやCBS『ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア』で大人気を博しているスティーヴン・コルベアが毎日のように、トランプに対して苛烈なジョークやツッコミを浴びせていることを紹介した。

 たとえば、キンメルが「ドナルド・トランプをアメリカの王様にして、政治から手を引かせよう」という皮肉たっぷりの提案をしたことや、トランプが「両方とも悪い」と言ったことに対して、コルベアが「それは違うだろ、だって、あっちはナチだよ、こっち側はそのナチのカウンターだよ、ナチと戦う人たちだよ」「アメリカはナチと戦ったんじゃないの?」と厳しく突っ込んだことなど。

 しかも、町山氏が強調したのが、これらトランプ批判の多くがアメリカの「お笑いトークショー」を舞台に、コメディアンの口から発せられていることだった。

「アメリカのすごいところは、とにかくいちばん視聴率を取っていていちばん人気のあるコメディアンは政治ネタをやるっていうことなんですよ」
 芸人やメディアにおける「言論の自由」や「表現の自由」について、何とも日米の差は大きい、と感じさせる。

 アメリカ在住の映画評論家である町山智浩に関しては、2013年7月に、『9条どうでしょう』に関する記事で彼の文章を引用している。
2013年7月2日のブログ

 「噺の話」では、昨年7月に、ギャンブル依存症に関する記事を含め“コメンテーター”なるものについて書いた記事で、彼の言葉を引用したことがある。
2016年7月1日の「噺の話」
 また、2014年7月には、アメリカ大統領選の背景に見えるアメリカに関し、彼の著書を引用した。
 あの時紹介したウォールストリートジャーナルの共和党予定候補に関する記事には、トランプの名は、出てこなかったなぁ。
2014年7月17日の「噺の話」

 LITERAの記事はこの後、茂木健一郎が「空気を読んでいるお笑いばかりで権力に対して批評の目を向けたお笑いがない」」とツィートしたら“炎上”し、爆笑問題の太田や松本人志の反論にも遭って、結局茂木が松本に謝罪した、という話を紹介した後で、次のように続く。

 どうやら町山氏もこの本質が隠されしまった展開に違和感を抱いていたらしい。茂木氏に対して、「“日本のお笑いはだからダメだ”じゃなくて“なぜ、こういう政治的なお笑いをやる人がテレビに出ないのかな?”っていう話にすればよかった」と苦言を呈する一方、博多大吉の発言を引用するかたちで、日本のお笑い芸人が権力批判できない理由について、改めて言及したのだ。

「その時に(茂木氏に)反論した中で博多大吉さんが一番正直に言ったんだと思うんですね。博多さんが」
「それは『安倍総理を批判したらリスクが大きい』って言ったんですね。彼は(笑)。それが一番正直だなと思ったんですけど(笑)。だって、そのザ・ニュースペーパーっていうグループは森友事件を茶化すコントをテレビのために収録したら放送されなかったんですからね」
「だから『リスクが大きい』っていうのはやっぱりかなりストレートなものなのと、あとやっぱりスポンサーとかでコマーシャルに出れなくなっちゃうんですよね」

 そう、町山氏は日本のお笑いが権力批判できないのは、太田光の言うような「政治ネタをやってるヤツはいるけど、笑えない、浅い」とかそういうことではなく、芸人がつぶされるリスクを感じているからだ、と指摘したのである。

 爆笑問題の太田などは、あるタブー視されているキーワードを持ち出すが、その問題に本質的な批判を加えているわけではない。
 彼が、権力批判をしていると目されているなら、NHKを含めレギュラー番組を持つことはできないだろう。

 リスクは、確かにあるだろう。
 「あいつは、何を言い出すか分からない。はずそう」というメディア側の自主規制は、間違いなく存在するに違いない。
 
 さて、私が好きなザ・ニュースペーパーの、放送されなかった芸とは。
 政治風刺を入れ込んだコントを得意とするザ・ニュースペーパーのリーダーである渡部又兵衛は、2017年5月14日付しんぶん赤旗日曜版に掲載されたインタビューでこんな裏事情を暴露している。

「僕は最近コントで「カゴイケ前理事長」を演じています。そう、森友学園問題の。こんなコントもしました。
 アベシンゾウ首相(舞台袖から登場し)「どうも、カゴイケさん。お久しぶりです」
 カゴイケ「あ、首相。ごぶさたです。…『お久しぶり』って、やっぱり僕ら、知り合いですよね?」
 それから二人は「お互い、奥さんには苦労しますね」と嘆きあうといった内容です。
 見たテレビ局の人が「面白い!」といってコントを放送することになりました。収録までしたのに放送当日、「すみません。放送は見送りです」と電話がきました」

 これ以上の詳細な裏事情は詳らかにされていないが、おそらく、現場スタッフのなかで「是非放送したい」とされた内容が、放送前の上層部チェックで「自主規制」および「忖度」の対象となったのだろう。
 このネタ、ぜひ見たいじゃないか^^
 寄席でなんとか遭遇したいものだ。

 結局、テレビに出る(出たい?)お笑い芸人が自主規制(忖度?)するのは、次の鴻上尚史が指摘するように、メディア側の問題だ。

 劇作家の鴻上尚史氏は「SPA!」(扶桑社)17年6月20日号掲載の連載エッセイ「ドン・キホーテのピアス」のなかでこのように書いている。

〈地上波では、現在、まったく政治ネタの笑いがありません。かつてはありました。昭和のずいぶん前、テレビがまだいい加減さを持っていた頃、毎日、時事ネタを笑いにしていました。
 でも、今はありません。それは、お笑い芸人さんの責任ではありません。テレビが許さない。それだけの理由です〉

 この後、ウーマンラッシュアワーの村本大輔が、例外的に権力批判をしていると紹介されている。
 どこまで彼の批判精神が本物なのかは、しばらく様子を見る必要があるだろう。
 本当に、体を張っているのか、どうか。
 
 アメリカだって、かつては、なかなか芸人が権力批判ができにくい時代もあった。
 アンダーグラウンドでの芸だって、あのレニー・ブルースは、何度も逮捕されている。
 
 彼が舞台でこう言ったのは有名だ。

 “I'm not a comedian. I'm lenny bruce!”

 たしかに、仕事を失うリスクを考えると、なかなか、権力批判を口にすることはできないかもしれない。
 しかし、権力への不満を抱きながらも飲み込んでしまう芸人や、逆に権力へのヨイショを続ける芸人は、レニーの言葉を踏まえると、「自分自身が、存在しない」ということになりはしないだろうか。
 アメリカのメディアの「自由」を尊ぶ姿勢と、コメディアンの権力批判で笑いたい聴き手の存在は、単純に国民性の違い、と片付けられないような気がしてならない。

 自由に発言できにくい社会は、やはり、おかしいだろう。


 とはいえ、今、切れ味鋭く、洒落の聴いた警句は、寄席や落語会で楽しむしかないのだろうなぁ。

 むかし家今松、桂文我などの高座は、そういったマクラも大きな魅力なのである。

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# by koubeinokogoto | 2017-08-30 17:50 | 責任者出て来い! | Comments(0)
 9日の平和祈念式典で、田上長崎市長の「平和宣言」、そして被爆者代表深堀好敏さんの「平和への誓い」の間、カメラは安倍晋三の落ち着きのない表情を捉えていた。

 安倍は、頻繁に目を瞬かせて、心ここにない表情を見せていた。

 なんとも情けない、世界で唯一の被爆国の首相の態度であろうか。

 「ハフィントンポスト」から、まず、平和宣言の全文を引用する。

「ハフィントンポスト」の該当記事

「ノーモア ヒバクシャ」

この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

しかし、これはゴールではありません。今も世界には、1万5000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

日本政府に訴えます。

核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。

皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。

そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。

遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

2017年(平成29年)8月9日

長崎市長 田上富久

 「ヒロシマ」「ナガサキ」そして、「ヒバクシャ」というカタカタ文字の仲間に、「フクシマ」も加わっていると私は思う。

 なぜかメディアは「フクシマ」という表現を避けているように思うが、あえて「フクシマ」と書こう。

 これらの言葉が固有名詞化しているのか、その意味をもっとも考えなければならないのが、世界で唯一、原爆を投下された国の首相ではないのか。

 
 被爆者代表の深堀さんは、付き添いの方の手を借りて檀上に登り、「平和への誓い」をしっかりと述べられた。
 その中で、「フクシマ」のことにも触れられている。

 朝日から全文を引用する。
朝日新聞の該当記事


 原爆が投下された1945年8月9日、私は16歳。爆心地から3・6キロ離れた長崎県疎開事務所に学徒動員されていました。11時2分、白い閃光(せんこう)と爆発音を感じ慌てて机の下にもぐり込みました。夕方、帰宅命令が出て、私は学友と2人、金比羅山を越えて帰ろうと山の中腹まできたところ、山上から逃げてくる多くのけが人に「山の向こうは一面火の海だから…」と制止され、翌朝、電車の線路に沿って歩き始めました。長崎駅の駅舎は焼け落ち、見慣れた町並みは消えてなくなり、別世界に迷い込んだようでした。ようやく辿(たど)りついた山王神社近くの親せきの家は倒壊していました。その中で家の梁(はり)を右腕に抱きかかえるような姿で18歳の姉は息絶えていました。あの時、私が無理をしてでも家に帰っていれば、せめて最期に声をかけられたのではないかと、今でも悔やまれてなりません。そのあと大学病院へ向かい、さらに丘を越えると眼下に浦上天主堂が炎上していました。涙があふれ出るとともに怒りを覚え、「ああ、世界が終わる」と思いました。ここ平和公園の横を流れる川には折り重なって死体が浮いていました。私は、三ツ山に疎開していた両親に姉の死を報告し、8月12日、母と弟と3人で材木を井桁に組み、姉の遺体を荼毘(だび)に付しました。その日は晴天でした。頭上から真夏の太陽が照りつけ、顔の正面からは熱気と臭気がせまり目がくらみそうでした。母は少し離れた場所で地面を見つめたまま、ただ祈り続けていました。

 たった一発の原子爆弾は7万4千人の尊い命を奪い、7万5千人を傷つけました。あの日、爆心地周辺から運よく逃げ延びた人々の中には、助かった喜びも束(つか)の間、得体(えたい)のしれない病魔に襲われ多くが帰らぬ人となりました。なんと恐ろしいことでしょう。私は「核は人類と共存できない」と確信しています。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生し国内の原発は一斉に停止され、核の脅威に怯(おび)えました。しかし、リスクの巨大さに喘(あえ)いでいる最中、こともあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国のわが国にあって如何(いか)なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。戦後「平和憲法」を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬と信頼は決して失ってはなりません。また、唯一の戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはなりません。

 私は1979年、原爆で生き残った有志6人で原爆写真の収集を始め、これまでに様々な人たちが撮影した4千枚を超える写真を収集検証してきました。原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、世界の恒久平和と核廃絶のために微力をつくすことを亡くなられた御霊の前に誓います。

 2017年(平成29年)8月9日

 被爆者代表 深堀好敏


 平和宣言から、肝心な部分を太字で確認。

“核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません”

 平和への誓いからも。

“私は「核は人類と共存できない」と確信しています。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生し国内の原発は一斉に停止され、核の脅威に怯(おび)えました。しかし、リスクの巨大さに喘(あえ)いでいる最中、こともあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国のわが国にあって如何(いか)なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。戦後「平和憲法」を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬と信頼は決して失ってはなりません。また、唯一の戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはなりません”


 北朝鮮の行動に対し、アメリカと同調して強硬な姿勢を繰り返す日本政府の対応は、大きな間違いである。

 いつ、核弾頭を積んだミサイルがアメリカと同盟国である日本に落ちても、不思議のない実に危険な状況を、安倍政権は自ら招いている。

 核も原発も一切放棄し、九条を順守する非戦の決意をもってアジアの同胞に対話を続けてこそ、日本の存在意義があり、世界で尊敬される国になる可能性がある。

 核兵器禁止を明らかに訴え、憲法に則って反戦・非戦を明確に宣言できる、世界の誇れる国になる日が訪れることを、多くの国民が望んでいる。

 「平和」宣言、「平和」への誓い・・・この「平和」の意味するところを理解できない者が、この国のリーダーであるべきではない。

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# by koubeinokogoto | 2017-08-10 12:21 | 戦争反対 | Comments(0)
 まさに大往生だった日野原重明医師の話題がそろそろ少なくなってきたが、反戦、憲法九条支持、安倍政権による憲法改正(改悪)反対を明確に主張していてことは、忘れてはならないだろう。

 LITERAの記事から引用する。
LITERAの該当記事

日野原重明氏が遺した安倍政権の改憲に反対する言葉! 「押しつけ憲法論」も真っ向否定
2017.7.19

100歳を超えても現役医師として活躍した日野原重明・聖路加国際病院名誉院長が亡くなった。延命治療を施さず105才での逝去は、日野原氏らしい大往生と呼ぶにふさわしいだろう。

日野原氏といえば、日本初の人間ドッグを開設したり、終末期治療の充実を提唱するなどして、医学界に大きな貢献をしたことはもちろん、地下鉄サリン事件発生時には病院をすぐさま開放する迅速な対応で、被害を最小限に抑えるなど、常に患者の側に立った姿勢を持ち続けたことで知られている。


一方、晩年は自らの戦争体験を通して、平和へのメッセージもおくってきた。それらは、2015年に刊行された『戦争といのちと聖路加国際病院ものがたり』(小学館)に詳しいが、いのちと向き合うはずの病院の中で起きたこと――東京大空襲で収容した1000人の負傷者。救えなかったたくさんのいのち。特高警察による監視、取り調べ。病院ロビーで聞いた玉音放送。終戦直後のGHQによる病院建物の接収――を余すことなく伝えることで、戦争に翻弄されるいのちのはかなさを説いている。

そんな経験を持つ日野原氏だからこそ、改憲にひた走る最近の安倍政権の動向には強い危機感を抱いていた。14年の憲法記念日には、『十代のきみたちへ−ぜひ読んでほしい憲法の本』(冨山房インターナショナル)を刊行。「戦争をできるように憲法を変えるのは反対」と護憲の意志をはっきり表した。

さらに、その危機感が強く伝わってきたのが、朝日新聞の連載「104歳 私の証・あるがまま行く」(16年3月19日・26日)に掲載された一文だ。

「12年前の憲法調査会公聴会」というタイトルがついたこの文章の冒頭、日野原氏はまず、天皇皇后両陛下がフィリピン訪問の際に日本人戦死者、フィリピン人兵士双方の碑と墓を訪問したことに触れたうえで、こう宣言する。

〈現在、国会では憲法改正について議論になることも増えていますが、私は自らの経験から今後も一貫して日本国憲法の大切さを主張しつづけていきたいと思っています〉

そして、日野原氏は04年の憲法調査会公聴会に公述人として参加した際、「押しつけ憲法論」を否定し、制定からここまで、日本国民が日本国憲法をしっかりと守る努力をしてきたのか、と問いかけたことを明かしている。

〈憲法改正を訴える人たちは、この憲法をアメリカに押し付けられたものだと言うのですが、憲法は私たち国民の合意のもとで制定されたものです。その憲法を私たち国民はしっかり順守し、実践してきたと言えるのでしょうか〉

 日野原氏は、憲法前文にある「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」という文言を挙げ、こう訴えたという。

〈我が国は平和を目指す国際社会の中で、日本国憲法前文がうたう「名誉ある地位」を占めてきたとは到底、言えない。私たちはそれを強く反省しなければならないし、また何をもってそれを償うかを考えなければならない〉

しかし、こうした訴えにもかかわらず、その後、憲法軽視はどんどんエスカレートし、第二次安倍政権でとうとう改憲が政治日程にのぼることになった。こうした動きに抗するように日野原氏は、記事の中でこう訴えている。

〈名誉ある地位は形式的なことで手に入るものではなく、具体的な労力、行動、犠牲を伴います。人を愛するとき、相手のすべてを「ゆるす」という犠牲が伴うのと同じです。それにより争いは避けられ、全体の安全が保たれることがあるのです。そのリーダーシップをとれる人がもっと日本に出てこなければなりません。武力で武力を制することはできません。別の手段を考えるべきなのです〉
〈憲法の目的は、国民のいのちを安全に保つことであって、憲法に定められた主役は「日本国民」です。押しつけどころか、私たちのいのちを武力以外で守る賢い仕組みです〉

 この記事が、日野原氏の待望するリーダー像とは真逆の安倍晋三首相を意識しているのは明白だろう。

〈今この時期、どうしても皆さんに私の考えをお伝えしたくて、筆を執った次第です〉

こう結ばれているこの文章からは、日野原氏の切実な危機感が伝わってくるが、しかし、その思いは安倍政権にはもちろん、まったく届いていない。

菅義偉官房長官は、18日の会見で日野原氏の死についてコメントを発したが、例の“スガ語”と同じ感情などまったく感じないトーンで「100歳を超えてもなお生涯現役として、医学界の発展に尽くされた。心から敬意と感謝を表するとともに、ご冥福をお祈り申し上げる」と、通り一遍のおくやみコメントを出しただけだった。

日野原氏の遺志を継ぐためにも、安倍政権の改憲の動きはなんとしてでも止めなければならない。
(窪川 弓)

 
 肝腎な部分を太字で繰り返そう。

〈憲法改正を訴える人たちは、この憲法をアメリカに押し付けられたものだと言うのですが、憲法は私たち国民の合意のもとで制定されたものです。その憲法を私たち国民はしっかり順守し、実践してきたと言えるのでしょうか〉

〈名誉ある地位は形式的なことで手に入るものではなく、具体的な労力、行動、犠牲を伴います。人を愛するとき、相手のすべてを「ゆるす」という犠牲が伴うのと同じです。それにより争いは避けられ、全体の安全が保たれることがあるのです。そのリーダーシップをとれる人がもっと日本に出てこなければなりません。武力で武力を制することはできません。別の手段を考えるべきなのです〉


 〈今この時期、どうしても皆さんに私の考えをお伝えしたくて、筆を執った次第です〉という言葉には、いつ自分にその時が来るか分からない、という強い、そして熱い思いがあったことがひしひしと伝わる。

 大学在学中に結核でほぼ一年療養生活を送ったことも、日野原医師の死生観には影響しているかもしれない。

 1970年の「よど号ハイジャック」の乗客の一人だった。
 犯人たちが「ハイジャック」という言葉を口にしたのだが、その意味を知らない他の乗客に教えたとされる。
 また、犯人たちが持ち込んだ本の貸し出しをすると申し出たが、本を借りたのは日野原医師一人で、その本は『カラマーゾフの兄弟』だったとのこと。

 著作を含め、多くの言葉を遺してくれた。
 その中でも、反戦、憲法擁護の強い主張は、忘れてはならないと思う。

 日野原医師は、安倍政権という最悪の政治環境の中で、旅立った。

 その政権のリーダーには上に立つ資格がないことを明確に指摘していた日野原医師の思いをつなぐのは、生きている者たちの責務だろう。


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# by koubeinokogoto | 2017-07-31 19:53 | 戦争反対 | Comments(0)
 少し前に、MOX燃料が、また日本に運ばれてくることについて記事を書いた。
 高浜原発で使うつもりなのだ。

 福島第一原発の3号機もMOX燃料を使っていた。

 今回のロボットによる調査結果を、朝日新聞から引用する。
朝日新聞の該当記事

燃料デブリか、圧力容器下つらら状の塊 福島第一3号機
2017年7月21日15時01分

 東京電力福島第一原発3号機のロボット調査で、東電が21日、溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)とみられるものが、原子炉圧力容器の下につらら状に垂れ下がっているのを確認したことが、関係者への取材で分かった。3号機はこれまでの解析で、ほとんどの核燃料が圧力容器に開いた穴から溶け落ちたとみられる。デブリと確認されれば、事故の解明や今後の廃炉作業の貴重なデータとなる。

 東電はこの日早朝から、3号機の格納容器に水中ロボットを投入。19日に調査した圧力容器直下へとつながる開口部から中へと入り、崩落した構造物の状況などを調べていた。

 ロボットが圧力容器の直下にまで進んだところ、圧力容器に開いた穴からデブリとみられる物体が、つららのように垂れ下がっている様子がカメラに映ったという。

 19日の調査では、圧力容器の底にあった構造物などが崩落している様子が撮影されていた。溶けた燃料が周囲の構造物を巻き込みながら落下した可能性があるという。

 まだ、1号機、2号機の様子が分からない、私は3号機でとりわけ悲惨な状況を示していると察している。

 2011年5月17日の記事と重複するが、高木仁三郎さんの本の引用を含めて記したい。
2011年5月17日のブログ


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高木仁三郎著『プルトニウムの恐怖』

 まず、原子炉が停止した後、どんな放射性物質が原子炉にあるのかを知るために、高木仁三郎著『プルトニウムの恐怖』(岩波新書、1981年11月20日第1刷発行)の第3章「核燃料はめぐる」から引用したい。
下流の放射能
 原子炉で燃料が燃えると、燃えかすとしてさまざまな放射能が発生する。燃えかすの主な放射性物質の発生量とその毒性を、表3-1にまとめて掲げる。

表3-1 原子炉の内蔵放射能の目安(100万kw軽水炉停止後1日)
—————————————————————————————————
主な核種      半減期   およその放射能量  許容量*の何倍か
                (100万キューリー)
—————————————————————————————————
クリプトン-85     10.8年       1.1         —
他の希ガス       —         200         —
ストロンチウム-89   54日        70      175兆(骨)
ストロンチウム-90   28年         9       45兆(骨)
ジルコニウム-95    65日         140       70兆(全身)
ヨウ素-131       8日        50      710兆(甲状腺)
セシウム-137      30年        9       3兆(全身)
プルトニウム-238    87.7年        0.28    175兆(肺)
プルトニウム-239  24100年        0.033     20兆(肺)
—————————————————————————————————
 合  計              3500   1000-2000兆(全身)
—————————————————————————————————
*各決定臓器に対する最大許容負荷量の10分の1

 この表で、「許容量」とは、職業人の対する最大許容負荷量の十分の一を意味する。
 また、(肺)とか(骨)とかいうのは、その臓器に対する負荷量をもとに計算したことを示す。このように線量評価や規制をある臓器(組織)に着目して行う場合、それを決定臓器(組織)と呼んでいる。
 この表に掲げられた巨大な放射能が一つの原子炉で毎年生産されることが、いわば原子力問題のアルファでありオメガであるといってもよい。原子力発電所の最大の問題は、これだけの放射能を炉心に内蔵させながら運転しなければならない、ということであり、再処理工場はそれらの放射能を化学処理しなくてはならない、ということである。
 表3-1にみられるように、一つの炉心に一年間に生まれる放射能は、ひとりの人間の許容量にすればおよそ2000兆倍(2000兆人分)に相当する。もちろんこの放射能が、そのまま環境に漏れ出るわけではなく、環境に漏れたものがそのまま人体に入ってくるわけでもない。 しかし、かりにその1000万分の1が漏れ出ても、二億人の許容量にあたる量が環境を汚染する。閉じこめの信頼度を1000万分の1に保つことは、現在の技術では最高水準に属することだが、それでもなお膨大な放射能が環境に放出されることになる。実際、このレベルを上まわる環境放出が、核燃料サイクルのどこか(とくに再処理工場)で日常的に起こっている。
 そして仮に環境放出や事故などなくても、いったん閉じこめた放射能(放射性廃棄物)を最終的にどうするかが、核燃料サイクルが回転するためには大きな問題となる。

 原発の怖さを物語る内容だ。
 肝腎な部分を、再度太字で確認。

“かりにその1000万分の1が漏れ出ても、二億人の許容量にあたる量が環境を汚染する。閉じこめの信頼度を1000万分の1に保つことは、現在の技術では最高水準に属することだが、それでもなお膨大な放射能が環境に放出されることになる。実際、このレベルを上まわる環境放出が、核燃料サイクルのどこか(とくに再処理工場)で日常的に起こっている”

 見出しの「下流」について補足する。核燃料サイクルには、ウランの採掘から始まって、その燃料の加工、原子力発電での燃焼、さらに放射性廃棄物へと至る流れがあり、その中の“原子炉へ向かう”流れを「上流(アッパーストリーム)」と呼び、“原子炉から先”の流れが、「下流(ダウンストリーム)」と呼ばれる。

 福島第一原発は、1号機が46万kw、2号機が78.4万kw、3号機も78.4万kwなので発電量の合計は202.8万kw。高木さんの表は100万kwを想定しているから、ほぼこの倍の放射性物質が停止後の炉心にあったと想定できる。

 それに加えて3号機がプルトニウムそのものを燃料に含むMOX燃料なので、放射性物質はウランのみを燃料とする1号機、2号機より種類も量も多くなる。アクチノイド系の放射能が多く発生しているはずだ。加えて、MOX燃料は融点も低く溶融しやすい。

 福島第一の3号機の状況が明らかになろうとしているのに、いまだに、通常の原発のみならず、MOX燃料を使う原発まで再稼働させようとしている日本は、まったく学習効果のない国と言ってよいだろう。

 原発は稼働していなくても危険なのに、再稼働することで、全人類、そして地球破壊を招きかねない危機を増大させている。

 メディアは、3号機問題を機に、そのことを適切に指摘すべきだ。


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# by koubeinokogoto | 2017-07-21 19:01 | 原発はいらない | Comments(0)
 なんとも暑い日々が続く。

 三年後の東京五輪は、まさにこの暑い最中に開催される。
 
 個々の競技を含む日程は、「2020東京2020」というサイトに詳細が掲載されている。
「2020東京2020」サイトの該当ページ

 7月24日が開会式だが、サッカーは22日から始まる。
 8月9日が閉会式。
 ちなみに陸上のマラソン女子は8月2日で、男子は閉会式の8月9日。

 昭和39年の大会は、ご存じのように、10月10日が開会式。
 旧体育の日。

 なぜ、こんな暑い時期の開催なのか・・・・・・。

 IOCのお達しなのだが、それには多分に商売の論理が影響している。

 IOCは開催都市に立候補する大前提として、7月15日~8月31日で開催することを求めている。

 それは、欧米のテレビで五輪の放送時間を確保するためなのだ。
 9月に入るとサッカーの欧州チャンピオンズリーグの戦いがあり、米プロフットボールのNFLも開幕する。IOCが夏にこだわるのは、これらとの競合を避けるためなのである。

 要するに、魅力的なプログラムのない“夏枯れ”に、オリンピックを開催させるのであって、そこには、開催都市(国?)の意向などは入る余地がない。
 オリンピックという素材をメディアに高く売るための、猛暑での開催なのだ。

 biglobeの「ZenTech」という旅行に関するサイトに、リオデジャネイロと東京の気温などの比較グラフがあったので、お借りする。
ZenTechサイトの該当ページ

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 リオ五輪は、8月5日から21日に渡って開催された。

 ご覧のように、8月の平均最高気温は、リオの方が東京より大幅に低い。
 一年中で、温暖差が少ないとはいえ、リオは南半球にあるから、季節なら冬なのである。

 安倍が原発は「Under Control」という嘘までついて招致した五輪だが、果たして、暑さという自然を、どうコントロールしようとしているのか。

 とはいえ、自分の部下たちをコントロールできない安倍が、三年後に開催国の首相でいるはずもないか。

 人間的な、そして自然と融和した発想に基づくならば、「不要不急」な場合には外に出るな、と言われるような30度を超える猛暑の時期に五輪など開催するのは愚の骨頂であり、そのために歴史と文化に立脚する街を破壊することなど、暴挙としか言えない。

 新国立競技場も、まだまだ問題を抱えている。

 二度目の東京五輪など開催する必要はないのだが、もし、開催するなら、時期を開催する側が主体的に選べるようにすべきである。

 IOCの利益のために五輪が存在すること自体が、問題なのだ。

 IOCやFIFAの商売の論理の背景には、構造的に裏の経済が潜んでいることは明白である。

 百歩譲って夏に開催するならば、少なくとも、国民に熱中症などの被害が出ないように、最大の努力をする政治家と官僚がいる国であって欲しいものだ。

 しかし、それは、選手が金メダルを取ることより、難しいことかもしれないなぁ。

 
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# by koubeinokogoto | 2017-07-20 16:56 | 市場原理主義、新自由主義に反対! | Comments(0)
 ここ数日、四年ほど前に書いた記事へのアクセスが増えている。
2013年6月27日のブログ

 内容は、高浜原発で使用するMOX燃料がフランスから到着した、という記事に関するもの。
 いかにMOX燃料が危険きわまりないかを関連するサイトや本の引用を含め書いたのだが、アクセス急増は、四年ぶり、3.11以降二度目のMOX燃料輸送のため、船がフランスを出港したということがきっかけのようだ。

 NHK NEWS WEBから引用する。
NHK NEWS WEBの該当記事
日本の原発で使うMOX燃料 フランスを出発
7月6日 4時14分

ことし5月に再稼働した福井県の関西電力高浜原子力発電所4号機で発電に使われるMOX燃料を積んだ船が、日本時間の6日未明、フランスの港から日本へ向けて出発しました。

日本に輸送されるのは、原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出してウランと混ぜた「MOX燃料」で関西電力が高浜原発4号機の「プルサーマル」で使用するためフランスの原子力企業「アレバ」に製造を委託していました。

フランス北西部のシェルブール港では、MOX燃料が入った円筒形の容器2基が大型クレーンで専用の輸送船に積み込まれ、日本時間の6日未明、日本へ向けて出発しました。

アレバによりますと、日本へのMOX燃料の輸送はこれまでに5回行われ、東京電力福島第一原子力発電所の事故の後では2回目となります。

輸送には2か月から3か月かかる見通しだということで、安全を確保するため、輸送ルートについてはおよそ2週間後に公表するとしています。

福島第一原発の事故のあと、各国で原発の安全対策の強化が求められて原発の新規建設が難しくなるなか、アレバは厳しい経営状況が続いていて、広報担当者は「われわれは今後も日本にMOX燃料を提供し続けられると期待している」と話しています。

 東芝の足を引っ張ったウェスティングハウスの原発事業のみならず、世界的に原発というビジネスは経済的にも行き詰っている。
 アレバも、その影響を受けないはずがない。アレバにとって日本は、大事な顧客である。
 しかし、国のエネルギー政策は、海外の一企業の窮状を救うためにあるわけでは、もちろんありえない。

 四年前の記事と重複するが、いかにMOX燃料が危険かをあらためて確認したい。

 「MOX」は、プルトニウムそのものを燃料に使うことにより、例えば原子炉のブレーキに相当する制御棒が効きにくいなど原発稼動中の危険性も大きいが、その燃料を作る過程や再処理まで危険がいっぱいである。
 『新装版 反原発、出前します-高木仁三郎講義録-』(反原発出前のお店編、高木仁三郎監修、七つ森書館)から再度引用したい。どれほどMOX燃料を使うと“やっかい”なのか、重要部分を太字にする。
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『新装版 反原発、出前します』(七つ森書館)

 MOX燃料を使うためには、ウラン濃縮度がいろいろ違った燃料を作らなくてはなりません。さらにプルトニウムの冨化度(濃度)もいろいろと違ったものを作らなくてはいけないのです。仮にそれを再処理するとなるとどういうことになるかを考えると、頭が混乱してきます。同じ組成のものは一度に再処理できますが、違った組成のものは一度に再処理できないので、原子炉からでてきた使用済み燃料を何通りにも分けなくてはなりません。このように核燃料サイクルがきわめて複雑になるのです。
 もう一つ、MOX燃料加工の場合に問題になるのは、プルトニウムn半減期の問題です。プルトニウム-239の半減期は2万4000年ですが、プルトニウム-240の半減期は6600年です。それからプルトニウム-241の半減期は14年で、プルトニウム-242の半減期は37万年です。このような放射能ができるのです。これが原子炉ごとに違ってくるのですが、問題はプルトニウム-241です。この半減期が短いので早く崩壊していって、アメリシウム-241になります。半減期が14年ですから、一年もすればけっこうたまってきます。アメリシウム-241はガンマ線を強く出しますので、取り扱いが面倒な上に核特性が違ってきます。燃料としては品質が劣化します。このアメリシウム-241がMOX燃料の加工をやっているうちに、たまってきてしまうと、強いガンマ線のために工場に立ち入れなくなることもあります。ですから、「プルトニウムを長い間置いておくな!」「プルトニウムは取り出したらすぐ使え!」といわれています。

 このように、通常のウラン燃料さえ原発のゴミはやっかいなのに、MOX燃料の原発でできるゴミは、もっとやっかいだし、危険性が増すばかりなのだ。

 危険性の問題のみならず、経済性の面でも、MOX燃料は割に合わない。

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高木仁三郎著『原子力神話からの解放』

 高木仁三郎さんの『原子力神話からの解放』は、初版が光文社カッパ・ブックスから亡くなる直前2000年8月に発行され、講談社+α文庫で再刊された。
「第9章 『核燃料はリサイクルできる』という神話」から、MOX燃料が危険なだけでなく、経済性の面でもメリットがないことについて引用。

リサイクルで放射能が増える!

 MOX燃料は私の専門分野ですから、大きな国際研究もやりましたし、いろいろなレポートも書いています。ここではくわしく述べませんが、プルサーマル計画、つまりMOX燃料をやると、どのくらいエネルギー的に得をするのか研究したことがあります。たとえ1パーセント以下とはいえ、本来なら捨ててしまうプルトニウムをまた使うわけですから、それによる燃料節約の効果も一定程度はあるだろうと、計算上は考えられるわけです。そこで、私たちの国際研究であるIMAプロジェクトのなかで、このメリットについて研究してみました。
 IMA研究の正式な名前は「MOX燃料の軽水炉利用の社会的影響に関する包括的評価」というものです。私たちがこの研究をやって明らかにした一つの重要な点は、プルトニウムを取り出して燃やすことは、安全性の問題は別にしても、燃料資源上のメリットはまったくないということです。とくに、リサイクルによって環境の負荷を少なくするといったメリットは、まったくありません。
 ウランが原発の燃料となるプロセスは、非常に長い道のりだという話はすでにしましたけれども、使用済み燃料を再処理して取り出すことは、それをさらに複雑にした流れとなります。プルトニウムをあちこちに動かし、いろいろな工程を経てプルサーマルという名の再利用を行なうと、その過程でいろいろな廃棄物が出てくるうえに、そうやって燃やしたプルトニウム自体が結局、最終的には使用済みのMOX燃料というゴミとなって残ってしまいます。ゴミを減らすことになるどころか、この計画はかえってゴミを増やすことになるのです。

 “リサイクル”などと言う言葉に誤魔化されてはいけない。通常のウラン燃料より放射能のゴミが増えるし、稼動後の危険性も増すのに、経済的な効果もないMOX燃料など、フランスから届いたらそのままで廃棄物とすべきだ。

 世界の潮流は、脱原発であり、再生可能エネルギーの導入である。
 
 しかし、“フクシマ”を経験した日本が、なぜ、フランスの原発会社のためとも思われる狂気の沙汰に出るのか。
 ドイツは日本の原発事故を契機に、エネルギー政策で世界のリーダーたる存在になったが、本当は、日本がそうなるべきである。

 世界各国が核をなくそう、と叫んでいるのに、唯一の被爆国である日本は、アメリカに追随してその行動に参画しようとしない。

 原発再稼働も含め、今この国は、後年の歴史家が首をかしげるようなことしかしていない。
 
 モリやカケどころではない問題を、MOX燃料による原発の再稼働は孕んでいる。
 問題を何十万年後にまで残す、地球規模の環境問題であり、その地球を何度も壊すだけの危険性のあるゴミを増やし続けると言う蛮行。

 高浜原発の再稼働をもっとも喜んだのは、アレバだろう。
 もしかすると、フランスにも安倍のお友達がいるのかもしれない。

 しかし、そのお友達がもたらすのは、危険極まりない核のゴミだ。
 
 “お友達ファースト”の安倍晋三。
 そのお友達であるモリやカケ、未熟な国会議員の暴言などにメディアがスペースを割いているが、実は、安倍政権で最も危険な暴挙は、原発再稼働であることを、忘れてはならない。

 原発は稼働させればさせるほど、その処理方法が存在しないに等しい核のゴミを増やし続ける。
 そんな危険なゴミを増やしてはならないとともに、危険な政府は、一日も早くゴミとして廃棄すべきだろう。


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# by koubeinokogoto | 2017-07-08 14:26 | 原発はいらない | Comments(0)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛