「ほっ」と。キャンペーン
 内田樹の研究室の8月5日の記事は、ル・モンドによる、日本の新防衛大臣に関する記事の翻訳。
 引用する。
「内田樹の研究室」の該当記事

ルモンドの記事から

日本政府、ナショナリストを防衛相に任命
『ルモンド』8月3日
Philippe Mesmer (東京特派員)

日本の首相安倍晋三は側近を彼の政府に登用したが、とりわけナショナリスト的立場で知られる女性を防衛相に任命することによって彼の権力掌握を一層強化しようとしている。

新内閣は8月3日水曜日に明らかにされたが、彼のスポークスマンである菅義偉、副総理兼財務相の麻生太郎、外相岸田文雄は留任した。

「アベノミクス(安倍の経済政策)を一層加速する」ための布陣と首相によって公式に紹介されている新内閣は参院選における自民党の大勝の三週間後に任命された。参院選によって自民党とその同盟者たちは両院で3分の2を制し、これによって安倍氏が憲法改定という彼の年来の野心を実現する可能が高まっている。
彼は防衛相に稲田朋美を任命した。このポジションを女性が占めるのは2007年第一次安倍政権の小池百合子以来である。稲田氏にはこの分野での経験がないが、自衛隊の海外派遣についての新しい枠組みを定めた2015年採択の安全保障関連法を運用するというデリケートな仕事を委ねられることになる。経験不足にもかかわらず稲田氏が登用されたのは、彼女が首相の側近であり、「お気に入り」だからである。安倍氏は彼女を後継者候補とみなしているようであるが、それは二人のイデオロギー的な近接性による。彼は稲田氏を自民党の政調会長に2014年に任命した。通常経験豊かな議員が任ぜられるこのポストに、稲田氏は2012年から14年まで行政改革担当相を勤めたあとに就いた。

 安倍の「お気に入り」であり、イデオロギー的な近接性により、通常ではありえない昇進を遂げている人物であることを、まず、指摘している。 

 そして、その人物の危険性を、次のように明らかにしている。
2005年に福井県から初当選したこの57歳の弁護士は安倍氏に近いそのナショナリスト的立場によって知られている。政界に入る前、彼女は1945年の沖縄戦の間の日本兵士のふるまいについての作家大江健三郎の著書によって名誉を毀損されたと感じた日本軍将校たちの弁護活動をしていた。
議員になってからは歴史修正主義の立場を繰り返し表明し、1937年の日本軍による南京大虐殺や、『慰安婦』の存在を否定している。2015年、終戦70年に際しては、謝罪しないと繰り返しアピールした。
ウルトラナショナリストの組織である日本会議のメンバーであり、日本のアジアでの行動を「侵略」とすることを否定しており、戦争犯罪人を含む戦死者を祀っているために当否について議論の多い靖国参拝を擁護している。稲田氏はまた憲法改定についても意欲的である。こういった言動は中国、韓国との外交関係を必ずや紛糾させるであろう。


 稲田朋美という新防衛大臣の危険性は、他の海外メディアも取り上げている。
 「LITERA」から引用する。(太字は管理人)
「LITERA」の該当記事
稲田朋美防衛相の軍国主義思想にロイター、
APなど海外メディアが一斉に警戒感! でも日本のマスコミは沈黙

2016.08.05

 第三次安倍改造内閣で安倍首相が防衛相に任命した自民党・稲田朋美衆議院議員。8月4日、就任後初の会見で、日中戦争などが日本の侵略戦争だとの認識があるか質問され、こう答えた。

「侵略か侵略でないかは評価の問題であって、一概には言えない」
「私の個人的な見解をここで述べるべきではないと思います」

 曖昧な回答で明言を避けたのは、本音では日本の侵略や戦争責任を否定したい歴史修正主義者だからに他ならない。実際、稲田氏は自民党きっての極右タカ派で、安倍政権による戦前回帰の旗振り役。本サイトではこれまで、稲田氏の経済的徴兵制推進など、その軍国主義丸出しの発言の数々を伝えてきた。

 ところが、こうした稲田氏の極右政治家としての本質を、日本のマスコミ、とくにテレビメディアはほとんど触れようとせずに、ただ“将来の総理候補”ともてはやすばかりだ。

 しかし、そんな国内マスコミとは対照的に、世界のメディアはその危険性を盛んに報道している。

 たとえば、英タイムズ紙は3日付電子版で、「戦中日本の残虐行為否定論者が防衛トップに」(Atrocity denier set to be Japan’s defence chief)との見出しで、冒頭から稲田氏について「第二次世界大戦中の日本が数々の残虐行為を犯したという認識に異議を唱え、日本の核武装をも検討すべきとする女性」と紹介した。

 また英ロイター通信も3日付の「日本の首相は経済回復を誓いながらも、新たな内閣にタカ派防衛相を迎える」(Japan's PM picks hawkish defense minister for new cabinet, vows economic recover)という記事で、稲田氏の写真を冒頭に掲載し、大きく取り上げている。

「新たに防衛相に就任する稲田朋美(前・自民党政調会長)は、日本の戦後や平和憲法、日本の保守派が第二次世界大戦の屈辱的な敗戦の象徴として捉えている平和憲法や戦後を改めるという安倍首相の目標をかねてより共有している」

 さらに米AP通信は3日付で「日本が戦争の過去を軽視する防衛トップを据える」(Japan picks defense chief who downplays wartime past)という記事を配信し、ワシントンポスト紙などがこれを報じている。記事のなかでは稲田氏を「戦中日本の行いを軽視し、極右思想(far-right views)で知られる女性」「国防についての経験はほとんどないが、安倍首相のお気に入りの一人」と紹介。そして「慰安婦問題など戦中日本の残虐行為の数々を擁護し、連合国による軍事裁判を見直す党の委員会を牽引してきた」と書いたうえで、在特会などヘイト勢力との“蜜月”についてもこのように伝える

稲田氏の悪名高い反韓団体とのつながりについて、今年、裁判所は稲田氏の主張を退けて事実と認めた。また2014年には、稲田氏が2011年にネオナチ団体トップとのツーショット写真を納めていたと見られることも表沙汰となった

 稲田と高市のネオナチ団体トップとのツーショットの件は、以前拙ブログの記事で紹介した。
2014年9月11日のブログ
 毎日の記事はリンク切れになっているが、The Gardianの記事はリンクできており、写真を確認できる。

 日本のメディアが、政府の広報紙に成り下がったり、恫喝に恐れて批判的なことがほとんど書けない状況において、真っ当なジャーナリズムはミニメディアやSNS、そして紹介したような海外メディアに頼るしかないのだろう。

 オリンピック報道に隠れて、為政者たちがどんな悪さをしようとしているか、しっかり監視しなくてはならないと思う。

 平気で「国民は国のために死ね」と言うような人物が防衛相に就いたのだ。
 本来なら、日本のメディアは、もっと批判精神を発揮すべき、とんでもな人事。

 まったく専門知識も経験もない極右政治家の防衛大臣就任は、まさに“馬鹿に刃物”なのである。

 
[PR]
 リオデジャネイロ・オリンピックには、難民選手団が初めて参加している。

 その10人の選手の中の一人が、シリア難民のユスラ・マルディニだ。

 彼女は、日本時間の今朝決勝が行われた競泳女子100メートル・バタフライの予選に出場した。
 
 決勝ではスウェーデンのの選手が55秒48の世界新で優勝した。

 ユスラでの予選タイム1分9秒21は、優勝タイムから14秒近い差がある。

 しかし、重要なのは、ユスラが“生きて”オリンピックに参加できたこと、そして、無事100メートルを泳ぎ切ったことだと思う。

 
 ユスラは、一年前、プールではなく、地中海にいて、死を覚悟した時がある。

 「HUFFINGTONPOST」から引用する。

「HUFFINGTONPOST」の該当記事

ユスラ・マルディニ、夢をかなえる。エーゲ海を泳いで渡った難民少女
【リオオリンピック】
The Huffington Post | 執筆者: Emma Batha
投稿日: 2016年08月07日 15時57分 JST 更新: 2016年08月07日 15時58分 JST

2015年8月、シリア人難民のユスラ・マルディニは命をかけて泳がなくてはならなかった。彼女が乗っていた救命ボートが故障したのだ。彼女はヨーロッパを目指していた。

2016年8月、10代の彼女はリオデジャネイロ五輪で泳いでいる。

8月6日、彼女は女子100mバタフライ予選に出場し、1分9秒21で41位という結果に終わり、残念ながら予選落ちとなった。試合後、ユスラは「オリンピックの舞台で泳ぐことをずっと夢見ていた。とても気持ちよかった」と語った。11日には、100メートル自由形に出場する。

ユスラは五輪史上初の難民選手団の一員で、姉のサラと2人で感じた恐怖を語った。地中海を渡ってギリシャに向かう途中で、すし詰めの救命ボートが水上に降ろされた瞬間に、ボートが沈んでしまうのではないかと恐れたという。

もう1人の難民と一緒に、彼女たちは海に飛び込み、3時間にわたってボートを引っ張り続けた。そして、19人の命を救った。

「海の中にいた時は怖かったです。生きるのか、死ぬのか、わかりませんでした」と、国際移住機関 (IOM) が公開した動画取材で18歳の彼女は語る。

 振返って、ボートに乗り込んだ時のことを、ユスラはこう回想してる。
ある夜、他の20人と一緒にトルコの海岸からボートに乗りこんだ。定員のおよそ3倍だった。

「ボートに乗る前、死ぬことになると言われるんです」と、サラは語る。

「ですから、ボートに乗った時にまず考えることは死ぬことです。他のことは考えません」

 これは、たった一年前のことだ。

 姉サラの教えについて、こう語る。
数多くの難民がトルコからヨーロッパを目指して地中海を渡ろうとして命を落としてきた。彼らは中東の紛争や政治的な混乱を逃れて、トルコに来ていた。

同じく水泳選手のサラは、ボートが航海中に転覆した場合には、自分たちの命だけを助けようとしないといけないと妹に伝えた。他の人を助けるのはおそらく不可能だし、みんな覚悟はできていた。

しかし、エンジンが停止しボートが縮み始めた時、彼女たちは他の人が溺れるのを見捨てられないと気づいた。

「ボートにかかっている重量を減らす必要がありましたが、私たち以外に泳げる人はほとんどいませんでした。海中に飛び込んだ時、体全体が競技直前のように震えていました」と、ユスラは言う。

「その瞬間、みんなの命が自分自身のもの以上に思えたのです。ボートに乗っている人たち全員が私の一部のように思えました」

「水に飛び込むのが自分の使命だと思いました。もし、彼らを見捨てていれば、生きている間ずっと後悔していたことでしょう」

彼女は、父親の友人が海の中で彼女のズボンの脚を切り落とし、彼女の衣類が負荷をかけないようにしてくれた。

2時間後、彼女は極限の疲労と戦うようになる。眠ってしまって溺れてしまう危険があった。

「暗く、寒くなっていました。風が吹いて、凍えていました。海水が目に入ってきて、開け続けられなくなったんです」と、ユスラは振り返る。

夜中になってようやく、彼女たちはギリシャのレスボス島にたどり着いた。

 クーベルタンが提唱したと言われる「参加することに意義がある」という言葉は、実は、聖公会のペンシルベニア大主教であるエセルバート・タルボットが、1908年のロンドンオリンピックの際に、当時米英関係が良くなかったため、開催地イギリスでさまざまな嫌がらせを受けたアメリカ選手たちに対して語った言葉らしい。
 しかし、クーベルタンはその言葉に感銘を受け、この言葉を多くの方に伝えたため、後にクーベルタンの言葉と伝わるようになったようだ。

 そのいきさつはともかく、参加することに意義がある、という言葉は、リオ五輪の難民選手団にとって相応しい言葉だと思う。
 そして、そのことを、もっと多くの人が感じるべきではなかろうか。

 あらゆる種目の金メダルにもひけととらないメダルを、ユスラは受け取るだけの資格がある。

 難民選手団の言葉を伝えることは、決してオリンピックの政治利用ではなく、その逆である。

 戦争という究極の政治的手段に抗議するためにも、ユスラ達のことを世界中のメディアは取り上げるべきではなかろうか。

 勝った、負けただけではない、オリンピック報道のあり方を、2020年に向けて日本のメディアは考えるべきだ。

 もちろん、3.11の被災者や被災地のことも、覆い隠さず伝えなければならないはずだ。
 なぜなら、「復興五輪」という言葉を招致活動で語ったのだから。

 「復興」した姿を世界に示すためにやるべきことを国はやっているのか・・・・・・。

 間違っても、東京五輪のために被災地の復興が遅れている、などということは、本末転倒で許されないはずだ。

[PR]
 参院選、都知事選に関する、芸能ゴシップまがいの内容を含むメディアの喧噪は、これからリオ五輪報道に替わっていくのだろう。

 しかし、前回の記事で紹介したような、シリア難民のことや、ISの実態などの報道は、ほとんどテレビや全国紙で時間やスペースを割かれることはないに違いない。

 バングラデシュの首都ダッカのレストランで日本人を含む犠牲者を出したテロ事件が起こったのは、たった一ヶ月前のことなのだが、見事に参院選と都知事選のニュースで、“暗い”テロ事件のことは覆い隠された。

 とはいえ、テロ事件は、その被害の大きさに応じてニュースが報じられる。

 それらは、決して「線」でも「面」でもなく、「点」の事件としてのみ扱われる。

 なぜ、日本人までがISやIS信奉者によるテロに巻き込まれるのだろうか。
 
 テロリストであろうと、イスラム圏の国・地域の人々からは、「日本人は逃げなさい!」と言われることはあり得ても、「日本人か、そこに座れ!」と攻撃されることは、長い歴史の中では、基本的にはなかったはずだ。

 後藤健二さんが亡くなったのとされる時期とほぼ同じ頃の雑誌「SAPIO」に、内田樹の記事が載っているので「NEWSポストセブン」から引用する。
NEWSポストセブンの該当記事

米の従属国・日本がイスラム圏から敵視されてこなかった理由
2015.01.28 16:00

 シリアやイラクを中心に勢力を拡大するイスラム国に、世界中が頭を悩ませている。日本とて決して“対岸の火事”ではないイスラム国に対し、日本は何ができるのか? 思想家・武道家の内田樹氏が解説する。

 * * *
 イスラム共同体は北アフリカのモロッコから東南アジアのインドネシアまで、領域国家を超えて結ばれた人口16億人の巨大なグローバル共同体であり、宗教、言語、食文化、服装などにおいて高い同一性を持っている。これほど広い範囲に、これだけ多数の、同質性の高い信者を擁する宗教は他に存在しない。

 加えて、イスラム共同体の構成員の平均年齢は29歳と若い。欧米先進国も中国もこれから急激に少子高齢化の時代に突入する中で、イスラム圏の若さは異例である。ここが21世紀の政治経済文化活動のすべてについて重要な拠点となることは趨勢としてとどめがたい。

 アメリカ主導のグローバリズムとイスラムのグローバル共同体はいずれもクロスボーダーな集団であるが、支配的な理念が全く異なる。イスラム社会の基本理念は相互援助と喜捨である。それは何よりも「孤児、寡婦、異邦人」を歓待せねばならないという荒野の遊牧民の倫理から発している。

 アメリカ型グローバリズムには相互扶助も喜捨の精神もない。「勝者が総取りし、敗者は自己責任で飢える」ことがフェアネスだというルールを採用している。この二つのグローバル共同体が一つの原理のうちにまとまるということはありえない。かといって相手を滅ぼすこともできない。隣人として共生する他に手立てはない。

 日本はアメリカの従属国でありながら、幸い平和憲法のおかげで今日にいたるまでイスラム圏から敵視されていない。それは日本の宗教的寛容の伝統もかかわっているだろう。ムスリムもキリスト教徒も仏教徒も平和的に共生できる精神的な基盤が日本にはある。

 この「ゆるさ」は日本の外交的なアドバンテージと評価してよいと思う。この宗教的寛容に基づいて二つのグローバル共同体を架橋する「仲介者」となることこそ、日本が国際社会に対してなしうる最大の貢献だと私は思っている。

※SAPIO2015年2月号

 内田樹が説明するように、イスラム圏において日本は決して敵視される国民、民族ではなかった。

 しかし、今や、テロリストのブラックリストの中に日本は加わったと見るべきだろう。

 何が変わったのか・・・・・・。

 内田樹が指摘する、 “相互扶助と喜捨”の精神、そして、“宗教的寛容の伝統”は、今どうなっているのだろう。

 日本人一般においては、長い歴史を背景にした、文化基盤として変わることはないと思う。

 問題は、体外的に国の顔である政府やその首長たちだ。

 後藤さん、湯川さんの殺害や、先日のダッカでの日本人も巻き込むテロ事件の要因には、間違いなく、安倍首相のカイロでの演説が影響している。

 そして、次なる安倍内閣には、ますます、憲法を改悪し、堂々と戦争ができる国となることを推し進めようとする人材が増えている。

 彼や彼女には、 “相互扶助と喜捨”の精神などは、からっきしも存在しない。
 
 日本国民の敵は、イスラム圏の人々ではない。

 国のために命を投げ出せ、と平気で口走る政治家こそが敵である。
 
 アジアの隣国やテロリストと戦うのではなく、戦わない道を探ること、あるいは、戦おうとする両者の仲介役を果たすことのほうが、どれほど日本的であるだろうか。


 相互扶助と喜捨の精神は、日本人に馴染む。

 紛争の「当事者」になるのではなく、「仲介者」としての役割こそ、日本と日本人にとって相応しい道である。


[PR]
 今や、本当のこと、また、権力者が隠そうとしていることを知るには、特定のミニメディアかSNSしかなくなってきた。


 その貴重なメディアの一つと言ってよいだろう、LITERAの記事から。
LITERAの該当記事
 ポケモンGOを、政府与党が利用しようとしていることなどを指摘した後で、次のようなニュースを紹介している。
 先週、シリアで西側の支援を受ける活動家や反体制派の統一組織である「シリア国民連合」が、ポケモンのイラストを手に持った現地の子どもたちの写真を発表。可愛らしいピカチュウの絵の下には、「助けに来て」という叫びが刻まれていた。
 また、自身も難民であるシリア人グラフィックデザイナー、サイフ・ターハンさんは、ポケモンGOを模した架空のゲーム「シリアGO」の画面を作品として公開した。これは、先進国でポケモンを探す代わりに、衣料品や学習のための教科書など、いま実際にシリアで必要なものを紛争地で見つけ、モンスターボール(ポケモンを捕縛する玉)で捕まえるというゲームだ。

 これらはSNS で一気に拡散し、世界中で大きなニュースになった。欧米各国の主要メディアもこぞって、このメッセージを取り上げ、改めてシリアの子どもたちの惨状をクローズアップした。

 ところが、日本のテレビや新聞はこのメッセージをほとんど報じなかった。また、これらを取り上げたニュースも、多くは「シリアでもポケモン人気を使って子どもたちの惨状を訴える動きがあった」という表層的なものだった。

 しかし、シリアから発せられたメッセージは、たんなるポケモンを使ったPRなどではない。ポケモンGOブームへの批判的な意味合いも込められたものだ。たとえば、これを報じた英BBCは、ウェブサイトの日本向けの翻訳記事で、このように記している。

「ポケモンの絵を掲げた子どもたちの写真は、ソーシャル・メディアで多くの人が共有した。そこに込められたメッセージは次のようなものだろう。不思議な想像上の生き物を追いかける暇があるなら、なぜ、戦火の下で大きくなる子どもたちを助けに来ないのだと」

 このニュースは、BBCのNews Japanのページで日本語版を確認することができる。
BBCニュースの該当記事

「僕を助けに来て」 ポケモンGO人気をシリアの子供支援に
2016年07月22日
エド・メイン記者、BBCトレンディング
e0337865_14231434.jpg


内戦が5年以上続き、対立に終わりが見えないシリア。あらためて世界の関心を集めようとするのは至難の業だ。

たる爆弾や自爆攻撃、拷問や飢える市民についてのショッキングなニュースも、何度も繰り返されるうち、シリアから遠く離れた場所にいる多くの人の心を動かさなくなってしまう。

そんな状況を変えるため、シリアの活動家たちが取った手段は、ゲームアプリ「ポケモンGO」の世界的な大ブームを十二分に活用することだ。

拡張現実のゲームの中にいるピカチュウやゼニガメ、ビードルなどのモンスターたちが、戦争の残酷な現実を伝えるため、非公式に駆り出された。

「シリア革命軍(RFS)メディア・オフィス」という名の反体制派活動家たちは今週、ポケモンの絵を掲げるシリアの子どもたちの写真を発表している。

それぞれのポケモンの絵には短いキャプションが付けられ、絵を持つ子どもが、シリア北部の反体制派の支配地域にあるどの町や村にいるのかを教えてくれる。下の写真の絵には「イドリブ県のカフル・ナブルに住んでいます。助けに来て」と書いてある。
e0337865_14244783.jpg


 ポケモンGOの流行について、コメンテーターなる“にぎやかし”タレントの感想や、どうでもいいつぶやきのことなどで時間と空間を一杯にしている日本のメディアとは、まったく視点が違う。

 BBCの記事の引用を続ける。
シリア国外のアーティストたちも、ポケモンを使ってメッセージを伝えようとしている。記事冒頭の作品は、現在スウェーデンに住むシリア人のムスタファ・ジャノさんのものだ。ジャノさんがフェイスブックに投稿した作品群のひとつで、戦争を逃れた多くの難民が命の危険を冒して海を渡り、欧州での不確かな未来に向かっていく姿に、ポケモンたちが加えられている。

e0337865_14342579.jpg


ジャノさんのある投稿には、スウェーデンの小説家ヨナス・ガーデル氏の言葉が引用されている。「おじいちゃん、世界がひどいことになってた2016年の夏には何をしていたの? ああ、愛する孫たち、おじいちゃんたちは電話でポケモンを探していたんだよ」。

e0337865_13592065.jpg


デンマークでは、サイフ・ターハンという名前のシリア人グラフィック・デザイナーがポケモンGOの特徴的なインターフェースから着想を得て、現実には存在しないゲーム「シリアGO」をプレーしている様子を作品にした。ポケモンを探す代わりに、安全や教育、医療物資など、戦争に巻き込まれた市民たちに欠乏した生活必需品を探すゲームだ。

e0337865_13594096.jpg



 すべての文章と画像を引用しているのではないので、ぜひ、BBCの記事をご覧のほどを。

 SNSは、あくまで道具である。

 ポケモンGOに賛成だとか反対だとかつぶやいたりするのは、その人の自由だ。
 しかし、思いつきに近い舌足らずな発言をそのまま垂れ流したり、つぶやき同士で喧嘩を煽ったりするのは、メディアの仕事とは思えない。

 そのSNSという道具で、戦争の悲惨さを、ユーモア精神を失わずに伝えようとする人々が世界に存在する。
 そういう事実こそ、メディアは明らかにすべきではないのか。

 もし、日本の子供たちが、世界では自分と同じように遊ぶことができない子供が大勢いることを知ることができたら、それもポケモンGOを通じた効果なのかもしれない。

 “おじいちゃん、世界がひどいことになってた2016年の夏には何をしていたの? ああ、愛する孫たち、おじいちゃんたちは電話でポケモンを探していたんだよ”

 今、危険な街歩きに夢中になっている日本の若者が、将来、記事の中にあるこの会話を孫とすることになってもいいのか・・・・・・。

 まだ先のこと、なんて言っているうちに、そんな年齢には、すぐになってしまうんだよ、君たち。まさに、私がそうだったのだから。

[PR]
 都知事選は、宇都宮さんが出馬辞退した時点で、興味を失っていた。

 それにしても、「週刊文春」といい「週刊新潮」といい、そして、自ら調査することもなく週刊誌報道を拡散するだけのテレビなども含め、揃って鳥越叩きである。

 調査報道を主体とする、数少ない真っ当なメディアHUNTERが、まさに真っ当な疑問を呈しているので、引用する。
HUNTERの該当記事

東京都知事選 文春スキャンダル報道への疑問
2016年7月22日 09:50

 週刊誌に事を公にする場合の基準なり内規なりがあるのかどうか分からないが、“話題になって売れればいい”というのが本音だろう。
 21日発売の「週刊文春」が打ち上げた鳥越俊太郎氏の女性スキャンダルは、東京都知事選挙に立候補している同氏に“裏の顔”があり、大学生(当時)への淫行に及んでいたというもの。「疑惑」と断りながら、選挙期間中、しかも鳥越氏を含む主要候補が接戦を演じていることが報じられている中での記事は、なんと14年前の出来事を掘り返したものだった。
 鳥越陣営ならずとも、「選挙妨害」を疑わざるを得ない内容。問題の記事を子細に見てみると、いくつもの疑問点が浮かび上がってくる。


当事者の証言なし 補強は「関係者の話」

 問題の記事は、14年前の2002年、鳥越氏が私立大学の女子学生を別荘に連れて行き、みだらな行為に及んだというもの。タイトルに「疑惑」とあるが、記事の内容は鳥越氏をクロと断定した形となっている。文春に告発したのは、女子学生の元恋人で、現在は夫となっている男性ということになっている。

 一読して感じるのは、断定的に書きながら確かな裏付けがないということ。元女子大生の肉声は一度も出てこず、顛末を語っているが夫だという男性だけなのだ。文春側が元女子大生に会って話を聞いた形跡もなく、“裏をとった”と胸を張れる内容ではない。

 記事の補強材料として使っているのが、告発者が鳥越氏に出したというメールの画面と元女子大生が通っていたという「私立大の関係者」。さらに、鳥越氏の人格を否定するために、同氏の古巣である「毎日新聞OB」と「テレビ朝日関係者」の話を紹介している。週刊誌の記事に信頼がおけないのは、この「関係者」という表現を多用すること。情報源の秘匿だという言い訳が聞こえてきそうだが、告発者は別として文春報道に実名で登場するのは鳥越氏本人だけ。あとは、存在さえ怪しいというのがこの記事の実態だ。

 「テレビ朝日関係者」の話の前振りに≪こんな声も少なくない≫とあるが、「少なくない」とは「多い」と同義。しかし、テレビ朝日の内部で、鳥越氏は女好きなどという話など聞いたことがない。淫行疑惑報道の発端であるかのように書かれている「私立大関係者」のコメントにしても、この関係者がどのような立場で、いかにして鳥越氏と元女子大生の話を確認したのか不明。“関係者の話”で逃げを打つのは週刊誌の常套手段だが、捏造だとすれば極めてタチが悪い。


証拠のメール画面に強要の疑いも

 補強材料の無理は、本筋の話が弱いことを意味している。元女子大生本人が出てこないのだから、“淫行”前後の話はほとんど伝聞に基づくもの。『……という。』表現ばかりが続く内容だ。力強く描かれているのは、告発者の男性が鳥越氏と会ったという場面だけ。甘利明元経済再生担当相を追い込んだ記事のような「動かぬ証拠」は皆無である。

 唯一の証拠というのが前述の告発者が鳥越氏に出したというメールの画面。告発男性は、2014年に自分が関わったイベントに鳥越氏が出演することがわかり、出演をキャンセルするようメールで頼んだというのである。不可解というしかない。12年前の出来事。しかも、鳥越氏はテレビ出演の機会が多く、顔を見ない時期は少なかったはず。告発男性は≪自分にとって大事なイベントを汚される気がした≫(文春の記事より)としているが、相手を困らせイベント出演を止めさせたとすれば、強要ととられてもおかしくない行為であろう。

 この記事でも指摘される「関係者」には、いろんな人が含まれていそうだ。
 
 昨今の「文春」としては、伝聞情報ばかりで信憑性に欠ける、何とも切れ味の悪い記事。

 なぜ、こんな記事が出たのか・・・何らかの力が背後で働いたと思うのが普通だろう。

 「日刊ゲンダイ」は、「小沢潰し」と同じ構造であると指摘している。

「日刊ゲンダイ」の該当記事

小沢事件と同じ構図…大メディア横並び“鳥越叩き”の異常
2016年7月25日

 ちょっとどころじゃない。かなり異常な事態だろう。都知事選に出馬している野党統一候補のジャーナリスト、鳥越俊太郎氏(76)に対する週刊誌スキャンダルで、一部を除く新聞・テレビが「疑惑」と称し、横並びで鳥越氏をガンガン叩きまくっていることである。

 候補者とはいえ、選挙に出馬表明し、“公人”となった以上、法令違反などが確認されれば批判にさらされるのはやむを得ない。辞職した舛添要一前都知事が連日、新聞・テレビにぶっ叩かれたのも、公用車の私的利用や、多額の政治資金の身内企業への還流――といった具体的な事実が確認されたためだ。

 しかし、今回の鳥越氏のケースは果たして舛添氏と同じなのか。腑に落ちないのは、そろって「根拠」は週刊誌報道だけという点だ。百歩譲ってメディアが都知事としての「資質を問う」意味で、鳥越氏を叩いているのであれば、日刊ゲンダイが繰り返し取り上げている小池百合子氏の不可解な政治資金の流れもキッチリ調べて報じるべきだろう。2代続けて都知事が「政治とカネ」問題で辞職したのだ。これ以上、同じ轍を踏まないためにも徹底的に追及するべきだし、フワフワした「疑惑」よりもよっぽど取り上げる意味がある。

 まったくゲンダイの指摘の通りだ。
 「生活の小沢一郎代表を叩きまくった『小沢事件』と同じ構図です。当時もメディアは検察リークに乗って小沢代表を犯人扱いして大々的に『疑惑』報道したが、結果、小沢代表は無罪でした。今回だって鳥越候補は事実無根と強調しているのに、構わず袋叩き。選挙期間中だけにイメージ低下は避けられないでしょう。鳥越氏側は東京地検に公選法違反の疑いなどで刑事告訴しましたが、結論が出るときには選挙は終わっている。これで本当に事実無根となったら、メディアはどう責任を取るつもりなのか」(司法ジャーナリスト)

 「デ・ジャブ」、なのだ。
 小沢の次は、鳥越なのである。

 「小沢潰し」については、2012年の4月に、兄弟ブログ「噺の話」において、カレル・ヴァン・ウォルフレンの『誰が小沢一郎を殺すのか?』文庫版から小沢一郎との公開対談の引用を含む記事を書いた。
「噺の話」の該当記事

 「週刊文春」2012年6月14日号で、小沢一郎が放射能が怖くて逃亡した、などという記事が載った。
 今ではほとんどすべてが嘘っぱちだったことが明らかになっているが、あの当時のイメージダウンは大きかった。
 いまだに、あの記事を信じている人さえいる。
 当時、小沢が東京にいて、ご本人はすぐにでも被災地に行きたがったが、現地の混乱を避けることと、周囲の反対で現地入りしなかったことが、多数の方から裏付けされている。小沢は達増岩手県知事と電話で話をして、被災地対策に関する彼の考えを伝えている。

 小沢一郎は、あの馬鹿げた週刊誌報道に、いちいち食ってかかる愚を避けて沈黙を守ったのだが、今や日本のメディアは週刊誌を中心に動いている、という認識が薄かったと言えるだろう。
 今の世の中、沈黙は金ではなくなった。言った者が勝ち、という風潮が蔓延っている。

 それにしても、この国のメディアは、誰の味方なのか・・・・・・。

 そして、今回の鳥越の記事を含め、その背後にあるのはいったい何か・・・・・・。

 小池の政治資金規正法違反の疑いのみならず、増田寛也にしても、県知事時代に財政を大幅に悪化させたという、本来の首長としての評価の低さのみならず、探ればいくらでも追及すべきネタはある。

 たとえば、「ビジネス・ジャーナル」には、次のような記事がある。
「ビジネス・ジャーナル」の該当記事

 岩手県知事を務めた3期12年の間に、就任前に6000億円余りだった岩手県の公債費を1兆2000億円強にほぼ倍増させた挙句、低迷した財政の再建策を打ち出すこともなく東京に戻ったことから、「岩手を捨てて逃げた」と批判する声も多い。
 本来は、自治体の首長の選挙なのだから、同じような経験をしている増田について、過去の実績を確認するのは当然だと思うが、大手メディアでこのようなことは、まったく報じられない。

 もっと、問題なのは、次のことだ。
 増田氏は2010年11月に 内閣府原子力委員会新大綱策定会議構成員に就任し、福島第一原子力発電所事故発生後、被害者への損害賠償や廃炉を支援する「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」の運営委員を務めた。そしてその後、東電の社外取締役となった。東電は告示の前日である13日に、増田氏は7月8日付で辞任したと公表した。
 つい今月の8日まで東電の社外取締役だった男が、都知事になったら、果たしてどのような電力政策を立てるのか。
 
 脱原発とは、正反対の位置に彼は存在すると思われてならない。

 橋下が、やたらと鳥越に噛みついているツイッターでの単なる“つぶやき”を、産経が盛んに垂れ流しているが、もはや新聞とはいえない。

 確信犯とも言える産経、読売に限らず、「週刊文春」であれ「週刊新潮」であれ、もはや、国民の味方ではない。
 
 彼らは自分たちの雑誌が売れることが第一、そして同じ位に重要なこととが、お上に睨まれないことなのだ。
 産経、読売はもちろんのこと、文春や新潮だって、すでに、国家の犬に成り下がりかねない状況にある。

 歴史は繰り返す。小沢一郎を潰したことを考えれば、鳥越などは簡単、というのが、権力者の思いに違いない。

 そして、その策略は実りつつある。

 実に恐ろしい時代になったものだ。

 2012年4月27日の「噺の話」の記事を、私は次のように締めくくった。 
 これからの日本がどうなるのか、それは消されかけていた小沢一郎が政治の舞台で再生できるかどうかにかかっていると思う。大震災の被災地出身の小沢なら、今の日本における課題の優先順位を間違えることはないように思うが、まだまだ「画策者なき陰謀」は続くのだろうか。特に“ベテラン”と言われるマスコミ人に小沢は評判が悪い。それは、彼らが小沢一郎のダーティイメージをこれまで目一杯発信し続け、たとえば小泉を持ち上げてきたのだから当然とも言える。

 国民の“支持”と“人気”の、ビミョウな違いを峻別し、あくまで誰に任せたら日本が世界の中で馬鹿にされず、尊敬される国になるのかを、今こそ自分自身で考える、それが一人一人に求められているのではなかろうか。いざとなれば、自分の生命を国のために預ける、そんな了見を持った政治家が必要なのだ。

 小沢一郎が復権することはなかった。
 それは、彼の政治家としての実力がなかったからではない。
 私は、誰か一人、日本の将来を託したい政治家を選ぶなら、いまも小沢一郎を選ぶ。
 しかし、見事にメディアが団結(?)した“小沢潰し”が成功してしまった。 

 イメージの時代は、メディアによって特定の人物の虚像を作ることのできる時代、ということでもある。

 ニュースに対する審美眼、いわゆる、メディアリテラシーが国民にこれだけ求められている時代はないかもしれない。なぜなら、ほとんどのメディアの立ち位置は、庶民の側ではないのだから。
 

[PR]
 「LITERA」の記事で、亡くなった大橋巨泉さんが、「週刊現代」のコラム「今週の遺言」で、安倍首相批判を書いていたにも関わらず、大手メディアがほとんど無視していることを指摘している。

 一部引用する。
「LITERA」の該当記事

 本サイトでも以前、紹介したように、巨泉氏は「週刊現代」(講談社)7月9日号掲載の連載コラム「今週の遺言」最終回で、すでに病が身体を蝕んでいることを綴っていた。だが、それでも巨泉氏は〈このままでは死んでも死にきれない〉と綴り、直後に迫った参院選について、読者にメッセージを送っていた。

〈今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです〉

 まさに、このメッセージが巨泉氏にとってほんとうに最後の遺言となってしまったわけだが、しかし、ワイドショーやニュース番組はこの巨泉氏の遺言をことごとく無視。ベテラン司会者としての仕事を紹介するに留め、『報道ステーション』(テレビ朝日)でさえ最後のコラムの〈今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずなことが連日報道されている〉という部分までしか紹介しなかった。安倍首相について言及した部分まで報じたのは、『NEWS23』(TBS)だけだ。

 肝腎な部分を、太字で再度。

 “最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです”

 参院選の結果は、ご存じの通り。

 記事掲載が先だった「LITERA」を最初に紹介したのだが、“週刊”ではなく“日刊”のゲンダイも、もちろんこの巨泉さんの遺言のことをテレビで共演した岡崎有紀のコメントなどと一緒に記事にしている。
「日刊ゲンダイ」の該当記事

 重複部分を避け、同紙のインタビューで巨泉さんが語っていたことを引用。
 14年5月の本紙インタビューでは「僕は、ポピュリズムの権化のような安倍首相をまったく信用しない」「彼にとって、経済はムードをあおる手段に過ぎず、本当にやりたいのは憲法改正であり、日本を『戦争ができる国』に変えることでしょう。法衣の下に鎧を隠しているような男の言動にだまされてはいけません」「マトモな批判さえ許さない戦前みたいな“空気”を今の日本に感じる」と警鐘を鳴らしていたものだ。

 ブラウン管からのイメージとは違う、骨太のジャーナリストだったことが分かる。

 残念ながら、巨泉さんの遺言は、参院選で生かすことができなかった。

 野党が統一名簿を作ることができず、みすみす与党の独走を許してしまった。

 その責任は、もちろん民進党にある。

 三年前よりはマシ、などと言っている場合ではない。

 民進党に右派が残っている状況で、とても共産党と協調できるはずもない。

 都知事選に蓮舫が出馬しなかった(できなかった)のも、民進党右派が、自民党の手先となって画策したのではないかと思っている。


 こうなったら、蓮舫に民進党代表になってもらい、自民党の手先のような連中を、バッサリ切ってもらうのを期待するしかないかなぁ。

 その時は、彼女に「戦争しなきゃだめなんですか!」と、彼らに迫ってもらおう。

 あらためて、巨泉さんの遺言。

 メディアは、大先輩の言葉を無視するな。
 
 もし、巨泉さんなら、都知事選について、どうおっしゃっただろうか。
 少なくとも、安倍に近い人物への投票に反対するに違いない。
 
 最後まで日本の現状を憂いながら旅立った大橋巨泉さんのご冥福をお祈りする。

[PR]
 参院選の結果は、ある程度は予想していたものの、日本の将来を懸念させるのは事実だ。
 野党が統一名簿を作成できなかった時点で、結果は見えていたのだが、それにしても、民進党の体たらくぶりには、いらだつばかり。
 
 メディアも、ほとんど真っ当な選挙報道をしたと思えない。

 そのことについて、遅ればせながら、日刊ゲンダイに岸井成格へのインタビュー記事が載ったので、前半の一部を紹介。全文は9頁に及ぶ。
「日刊ゲンダイ」の該当記事

元NEWS23岸井成格氏 「このままだとメディアは窒息する」
2016年7月10日

選挙報道が減ったのはイチャモンが面倒くさいから

 改憲派が3分の2を制するのか。天下分け目の参院選を前にこの国の報道の静かなこと。まともに争点を報じず、アベノミクスの検証すらやらない。この国のテレビはどうなっているのか? さぁ、このテーマを聞くなら、この人。毎日新聞特別編集委員の岸井成格氏(71)しかいない。

――参院選の報道を見て、どう感じますか? 報道の量そのものが減ってしまったような気がします。

 その通りだと思いますね。集計していないのでハッキリわかりませんが、減っている印象です。2014年の衆院選の時も、テレビの選挙報道は減った。従来の衆院選の時に比べて半分くらいになった。そうした傾向が続いていますね。

――2014年の衆院選といえば、安倍首相が岸井さんの「ニュース23」に生出演して、文句を言った選挙ですね?

 アベノミクスについての街録で反対意見が多すぎる。局が恣意的に選んでいるんじゃないか。そういうことを言われたんですが、その2日後に自民党からテレビ各局に政治的に中立、公平な報道を求める文書が届いた。街録の人数とか時間とか具体的なことにまで踏み込んで要請文書が来たのは初めてでした。

――テレビ局がスクラムを組んで文句を言うかと思ったら、選挙報道そのものが減ってしまった。

 街録そのものもなくなっちゃった。

――なぜですか?

 イチャモンをつけられるのは嫌だからでしょう。それに現場は面倒くさい。街録でアベノミクスに5人が反対したら、賛成5人を集めなきゃいけない。面倒だから報道そのものが減ったんですが、今回は参院選の争点も番組で扱わなくなっている。だから、何が争点だか、ぼやけてしまっている。舛添問題や都知事選の報道ばかりで、参院選を真正面から取り上げている番組が少ない。今度の参院選が盛り上がらないのは、権力側が争点隠しをやっていて、メディア側も与野党の相違点をきちんと報じないからですよ。
 まだまだ、記事は続いているので、ご確認のほどを。

 この記事、もう少し早く掲載して欲しかったが、今回の選挙の大勢に影響はなかっただろう。
 
 改憲についてメディアの報道や、選挙結果に関する記事には、どうしても違和感を感じてきた。
 「改憲派」と言ったって、それぞれ政党の言い分は違っており、温度差もある。
 また、国民投票に至るまでには、いくつかステップがあるのに、そういった事実をほとんどスルーしているのは、報道機関としては片手落ちだ。

 「3分の2」を確保したら、何でも出来るようなイメージを作っているとしか思えない。

 選挙後の記事も、まるで、憲法改正(改悪)が既定路線のような印象を与えるではないか。

 そんな疑問を感じながら、いくつかネットで検索していて、あるサイトに巡り合った。

「GoHoo」という、マスコミ誤報検証・報道被害救済サイトである。
「GoHoo」サイト

 楊井人文(やないひとふみ)という人が代表を務める日本報道検証機構が管理している。
 楊井さんは、産経新聞の記者を経て弁護士になり、2012年に、同機構を立ち上げた。

 このサイトから、楊井さんが書いたYahooニュースの記事にリンクされていたので、紹介したい。(太字は記事原文のママ)
「Yahooニュース」の該当記事

参院選 「改憲勢力3分の2」が焦点? メディアが報じない5つのファクト、1つの視点
楊井人文|日本報道検証機構代表・弁護士
2016年7月8日 6時53分配信

 「改憲勢力が3分の2を上回るかが焦点」ー参院選でメディアがまた横並びで、こんな決まり文句を唱えている。

 たとえば、毎日新聞は7月6日付朝刊1面トップで、参院選終盤情勢として「改憲勢力2/3の勢い」と題した記事を掲載。記事の冒頭には「安倍晋三首相が目指す憲法改正に賛同する自民、公明両党、おおさか維新の会などの改憲勢力は・・・」と書かれていた。

 一体いつから、どんなファクトに基づいて、公明党が「安倍晋三首相が目指す憲法改正に賛同」したと報じているのだろうか。自民党とおおさか維新の改正草案を読み比べたことがあるのだろうか。

 記事を書いている記者たちも、4党を「改憲勢力」と書くときの枕言葉に一瞬窮しているはずだ。でも、みんな同じ橋を渡っているのだから、他紙の表現も参考に…という感覚かもしれない(例外的に、読売新聞は「3分の2」という切り口での報道に慎重であることは特記しておく)。

 こうした事実に基づかない報道から距離をおき、今回の選挙における憲法改正の位置づけについて冷静に考えたい人のために、基本的なファクト・視点をまとめておきたい。

1.公明のスタンスは民進に近い 生活の改憲案は具体的

 メディアが当たり前のように使っている「改憲勢力」という表現。自民党、公明党、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党(以下「こころ」)の4党を指しているが、それぞれ憲法改正に関する立場にはかなり違いがある。まず、各党が改憲に積極的かどうかは、参院選公約に限らず、党是や過去の発表も含め、具体的な改憲案を示しているかどうかを見なければならない。

 自民、こころ、おおさか維新の3党は、それぞれ具体的な改正案を提示しており、改憲に前向きな勢力といえよう。ただ、おおさか維新の改正案は、教育無償化、統治機構改革、憲法裁判所の設置の3項目であり(マニフェスト、憲法改正草案)、自民党の憲法改正草案とも、こころの憲法改正草案とも共通項がない

 公明党は、従来から「加憲」という立場だが、具体的な改正項目は示していない。むしろ「改正ありき」「期限ありき」ではないとわざわざ強調し、慎重なスタンスだ(参院選:憲法改正)。自民党よりむしろ民進党の立場に近いのではないか。

 民進党は、参院選の公約では「平和主義を脅かす9条改正に反対」と掲げているが、もともと基本政策合意で憲法改正を目指すと明記しており、公約でも「未来志向の憲法を国民とともに構想する」と言っている。具体的な改正項目には言及せず、早期の改憲に積極的でないとみられるが、「改憲自体に反対」の立場でないことも明らかだ。

 この後に他の政党のことも紹介されており、最後に次のように指摘している。
 こうしてみると、憲法改正に積極的といえるのは自民、こころ、おおさか維新の3党。具体案を出している勢力は生活を含めて4党。民進、公明、改革は、具体案は出していないが必要とあれば何らかの改憲を認める立場であり、これらを含めて広義の「改憲勢力」と呼べば、とっくに衆参両院で「3分の2」を超えている。改正項目や内容について一致点が見出されておらず、改正発議の前提条件が整っていない点では、広義の「改憲勢力」7党も、メディアが「改憲勢力」と称する4党も、同じなのである

 この後に、政党ごとの立ち位置が図で紹介されているので、ご参照のほどを。

 次に、国民投票で、自民党原案を一括で問うことなどできないということを、この記事から引用する。
2.国民投票法上、憲法の全面改正はできない

 自民党の憲法改正草案は、全面改正案である。明治憲法体制、戦後憲法体制に代わる、第3の新憲法体制を打ち立てようという発想(いわゆる自主憲法制定論)が基底にある。こころの改正草案も同様である。

 ところが、2007年に制定された国民投票法は、改正項目ごとに賛否を問う個別投票方式を採用したため、事実上、全面改正が不可能になった。(*3)かつて「改憲vs護憲」の対立は「自主憲法制定(全面改正)vs自主憲法反対・現憲法護持」の対立だったが、この不毛な対立軸は、現行の国民投票法のもとでは無意味化している。つまり、「自主憲法制定」を前提とした自民党やこころの改正草案は、そのままでは現行法上「原案」となる資格がないのである。

 もちろん一度の改正発議で複数の項目・条文を対象にすることは可能だが、個別に賛否を問わなければならない。一度に国民投票にかける項目数も事実上限定されている(国民投票法案の審議で、せいぜい3~5項目とされている)。したがって、自民党の憲法改正草案の一部分だけ取り出して「原案」として提出することは可能だが、草案全体をパッケージにして提案することはできない。

 こういうことを、全国紙では、ほとんど説明しない。
 記事の中からは、自民党サイトの憲法改正草案や国民投票に関する政府広報などへのリンクもあるので、ご確認のほどを。

 他にも、与野党が憲法審査会再開で合意していることや、憲法改正には「各議院の総議員の3分の2以上の賛成による発議」と「国民投票での過半数の賛成」以外にも、「審議する改正項目の確定」「改正案の作成、提出。発議」という4つのハードルがあるが、まだ、どれ一つのハードルも超えていないことや、憲法改正のための具体的なステップなども図示されていたりするが、それは実際に読んでいただくとして、この記事の最後にある<視点>を引用したい。

<視点>党議拘束を前提とした「数の論理」でよいのか

 憲法改正権力は国民にある。国会の勢力図によって決まるものではない。いくら国会で「3分の2」で改正の発議をしても「提案」できるにすぎず、国民投票で過半数が賛成しなければ実現しない(日本国憲法96条)。

 憲法改正問題は本来、超党派で議論すべき事柄であるのに、「改憲勢力が3分の2を取るか」にこだわってよいのか。党派的な「数の論理」を持ち込めば、党派を超えた議論の基盤を損なうのではないか。そのことをメディアは自覚しているだろうか。

 この点については、安倍晋三首相にも大きな責任がある。1月10日のNHK討論番組で、与党だけでなく、改憲に前向きな野党も含めて「未来に向かって責任感の強い人たちと3分の2を構成していきたい」と述べた(読売新聞ニュースサイト)。これでは、「改憲の中身」より「数の論理」を優先する本音が出てしまったと言われても仕方がない。しかし、野党側も「3分の2の阻止」と応じ、メディアも同じ土俵に乗って報道してしまっているのである。

 そもそも「3分の2を取る/取らせない」という発想は、政党の「党議拘束」を前提としている。本来超党派で議論すべき問題なら「党議拘束」を外して各議員の良心にしたがって採決すべき、という議論が出てきてもよい。「党議拘束なし」を前提とすれば「3分の2」を取ってから議論をスタートさせる、という発想は出てこないはずである。「3分の2」はあくまで超党派の審議、熟議の末のゴールにすぎなくなる。(*5)

 与野党ともに「党議拘束」を前提とした「数の論理」に拘泥すればするほど、「3分の2」vs「3分の1」の攻防が先鋭化し、再び不毛な論議に陥るおそれがある。そうした危険性に警鐘を鳴らすでもなく、むしろ率先して「数の論理」に加担するメディアの罪は、あまりにも大きい。

 まったく、本記事の指摘通りだと思う。

 言葉を大事にするはずのメディアに、「改憲派」とは何か、確認したいものだ。

 あまりにも多くの形容詞や注釈を省略して、言葉を使っているように思う。

 全国紙やテレビの「3分の2」に関するニュースには、十分に気を付けるべきだ。

[PR]