幸兵衛の小言

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肥田舜太郎の訃報を目にした。
 毎日新聞から引用。
毎日新聞の該当記事

肥田舜太郎さん100歳=広島原爆で被爆の医師
毎日新聞2017年3月20日 20時49分(最終更新 3月20日 22時10分)

 広島原爆で被爆し、医師として被爆者医療に尽力した肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)さんが20日、肺炎のため亡くなった。100歳。葬儀は26日午前10時半、さいたま市浦和区瀬ケ崎3の16の10のさがみ典礼北浦和葬斎センターで営まれる。喪主は元全日本民医連会長の長男泰(ゆたか)さん。

 軍医として広島陸軍病院在勤中の1945年8月6日に被爆し、直後から被災者救護にあたった。戦後、東京や埼玉で低所得者向けの診療所を開設し被爆者を診察。30年にわたって日本被団協原爆被爆者中央相談所(既に解散)の理事長を務め、全国の被爆者への医療相談に取り組んだ。医師の立場から原爆被害の実態を伝えるため、欧米など海外約30カ国も訪問。各国の反核団体と連携して核兵器廃絶を訴えた。

 2000年代の原爆症認定集団訴訟では証人として出廷し、長年の臨床経験と海外の文献研究を基に証言。原爆投下後に広島・長崎に入った「入市被爆者」が、飛散した放射性物質を呼吸や飲食で体内に摂取し、「内部被ばく」を起こしてがんなどの原因になったと訴えた。国の認定手法の問題点を突き、原告勝訴の判決を引き出す力になった。

 09年に医療の第一線から退いた後も、各地で精力的に講演活動を展開。毎日新聞が06年から続けている記録報道「ヒバクシャ」でも反核や平和への思いを語っていた。

 百歳での大往生。

 その長寿を天が肥田さんに与えたのは、原爆の悲惨さ、内部被曝の実態を世に知らしめるという仕事をしてもらうためではなかっただろうか。

 肥田さんは、まさに、「被爆」と「被曝」の恐怖を伝えてきた“語り部”と言えるだろう。

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肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』

 肥田舜太郎さんと鎌仲ひとみさんの共著『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』から、あらためて引用したい。

 本書は2005年に刊行されたものだが、私は3.11の後で読み、何度か拙ブログで紹介している。

 肥田さんが執筆担当の「第2章 爆心地からもういちど考える」より。

 ここでは被曝から60年後の時点での状況が書かれているが、さて、どれほど事態は改善されているのか、大いに疑問だ。

 引用文の最期の部分で、肥田さんは、国の対応を「差別」と糾弾する。
2000年代の被ばく者 
 中級の建設会社の社長で根っからの酒好き、じっとしていることが嫌いでいつも忙しく何か活動しているという友人がいる。定年で会社を退いてから町内会の役員を引き受けて、祭りの準備から消毒の世話まで目まぐるしく動きまわっているうちに、健康診断で血小板減少を指摘された。
 気になることがあって無理やり精密検査をすすめたところ、骨髄異型性症候群という厄介な病気のあることが分かった。専門学校時代、原爆投下の広島に何日かたって入市したと聞いたことを思い出し、確かめたところ1945年の8月9日に五人の級友と海軍のトラックで広島に入市し、海田市からは徒歩で千田町の県立広島工業学校まで行き、誰もいない崩れた校舎に入って散乱している機械器具を片付けたり防水布を掛けたり、三時間くらい作業をした。近辺は学校ばかりが集まっている地域で人は一人も見かけず、日が暮れたので呉へ帰ったという。
 彼らは1944年秋から呉の海軍施設に勤労動員で派遣されていたのである。明らかに入市被ばく者なので、早速、被ばく者健康手帳交付の申請を勧めたが、億劫なのか、なかなか手続きをしないでいるうち、今度は大腸癌が見つかって入院手術となり、観念して手帳を申請、証人の依頼に手間取って、数カ月かかってやっと広島の被ばく者と認められた。
 現在、血色素の一定数を目安に輸血を繰り返しているが治癒の見込みはなかなかむずかしい。厚生大臣の認める認定患者認定を申請したが四月末、永眠した。

被ばく者の六十年 
 2005年の今年、生き残っている約二十七万人の被ばく者の多くは二つ、三つの病気を持ちながら、様々な不安や悩みを抱えて生き続けている。
 彼らの多くは被ばくの前は病気を知らず、健康優良児として表彰までされたのが、被ばく後はからだがすっかり変わり、病気がちで思うように働けず、少し動くとからだがだるくて根気が続かずに仕事を休みがちになった。医師に相談していろいろ検査を受けても、どこも異常がないと診断され、当時、よく使われたぶらぶら病の状態が続き、仲間や家族からは怠け者というレッテルを貼られたつらい記憶を持つものが少なくない。事実、「からだがこんなになったのは原爆のせい」とひそかに思いながら被ばく事実を隠し続け、誰からも理解されずに社会の底辺で不本意な人生を歩いた被ばく者を私は何人も診ている。

占領米軍による被ばく者の敵視と差別 
 被ばく者は敗戦直後から米占領軍総司令官の命令で広島・長崎で見、聞き、体験した被ばくの実相を語ること、書くことの一切を禁止された。違反者を取り締まるため、日本の警察に言動を監視された経験のある被ばく者は少なくない。また、1956年に日本核団協(各都道府県にある被ばく者の団体の協議会)が結成された前後は、被ばく者は反米活動の危険があるとして警戒され、各地で監視体制が強められた。1957年、埼玉県で被ばく者の会を結成した小笹寿会長の回顧録のなかに、当時の執拗な埼玉県警の干渉があったことを書き残している。私自身も1950年から数年間、東京の杉並区でひそかに広島の被ばく体験を語り歩いたとき、米軍憲兵のしつこい監視と威嚇を受けた覚えがある。

日本政府による差別 
 敗戦後、辛うじて死を免れた被ばく者は家族、住居、財産、仕事の全てを失った絶望的な状態のなかから廃墟に掘っ立て小屋を建てて生き延びる努力をはじめた。故郷のある者は故郷に、ない者は遠縁や知人を頼って全国へ散って行った。被ばく地に残った者にも、去った者にも餓死寸前の過酷な日々が続いた。政府は1957年に医療法を制定し、被ばく者健康手帳を交付するまでの十二年間、被ばく者に何の援護もせず、地獄のなかに放置した。
 なお、被ばく者手帳を発行して被ばく者を登録したとき、政府は被ばく者を①爆心地近くの直下で被ばくした者、②爆発後二週間以内に入市した者および所定の区域外の遠距離で被ばくした者、③多数の被ばく者を治療・介護した者、④当時、上記の被ばく者の胎内にあった者に区分して被ばく者のなかに差別を持ち込んだ。

 肥田さんの指摘するごとく、これは「差別」である。

 戦後70年経っても、被爆者の苦しみは終わっていない。
 
 永田町や霞が関は、「新たな被爆者」を増やそうとはしないし、内部被曝の脅威を正しく評価しようとしない。

 年間20ミリシーベルトなどという基準を変えようとせず、自主避難する人々への支援を放棄しようとしていることに、肥田さんはどんな思いを抱いていたのだろうか。
 
 
 貴重な著作や記録、記憶を残してくれた肥田さんのご冥福を心よりお祈りする。

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# by koubeinokogoto | 2017-03-21 17:46 | 原発はいらない | Comments(0)


 森友問題で、さかんに「教育勅語」が話題になる。
 稲田という極右大臣も、賛美するが、その内容についてしっかり解説するメディアは少ない。

 何が問題なのか。

 正確には「教育ニ関スル勅語」。

 明治天皇の勅語として、明治23年10月30日に発布された。
 ちなみに明治23年は西暦1890年で、古今亭志ん生が生まれた年だ。
 忠君愛国を国民道徳として強調しており、天皇制を精神的に支える存在だった。
 戦後、昭和23(1948)年、国会の各議院による決議により廃止されている。

 勅語は12の「徳目」を謳っている。

 次が、原文から抜粋した内容だ。

12の徳目

1 父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
2 兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
3 夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
4 朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
5 恭倹己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
6 博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
7 学ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
8 以テ智能ヲ啓発シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
9 徳器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
10 進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
11 常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ (法令を守り国の秩序に遵いましょう)
12 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)

 問題は明白だ。
 12番目である。

 「お国のために、死になさい」と言っているようなものだ。

 発令後、日本は日清、日露の戦争に勝利することになるが、その後、太平洋戦争で多くの国民が犠牲になった。
 その「愚」を繰り返さないためにも、昭和23年に、勅語を廃止したにもかかわらず、それを復活させようとするのが安倍政権である。

 12のうち、1から11までは、まだ許せる。
 しかし、12番目は決して許されない。

 そういうことを、メディアは明確に指摘すべきだ。

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# by koubeinokogoto | 2017-03-13 12:27 | 責任者出て来い! | Comments(0)
 朝日新聞の記事を引用する。
朝日新聞の該当記事

原発周辺、「故郷に戻らない」が大幅増
大月規義
2017年3月8日06時54分

 復興庁は7日、東京電力福島第一原発事故で避難指示を受けた世帯に対する今年度の意向調査を発表した。2014年度調査と比較可能な5町村で「故郷に戻らない」と答えた世帯が大幅に増加。原発に近いほど、故郷に帰らずに移住を決める世帯が増える傾向だ。

 16年度調査では、14年度調査に比べて「戻るかまだ判断がつかない」とした世帯が減り、「戻らない」が4~9ポイント増加した。原発が立地する双葉町で「戻らない」は62%(14年度は56%)だった。次いで原発に近い浪江町は53%(同48%)、富岡町58%(同49%)。原発から40キロ前後離れた飯舘村と川俣町では、「戻らない」がいずれも31%だった。14年度調査は飯舘が27%、川俣が23%だった。

 今回の調査対象ではないが、大熊町は15年度調査で64%(同58%)だった。

 一方、「戻りたい」とした世帯は14年度調査とほぼ同じ水準で、原発近辺の町では1割台。飯舘と川俣はそれぞれ34%と44%だった。また、すでに避難指示が解除された自治体の中には、川内村で41%が「元の家に住んでいる」と答えた。

 これは、妥当な住民の皆さんの判断の結果である。

 楢葉町の町長の無謀な発言を昨日の記事で紹介したが、国の出鱈目な基準で「帰れ」と言われても、とても帰れる場所ではないのだ。


 日本とチェルノブイリの避難地域の基準を並べてみる。
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 20ミリシーベルトを少し下回ったところで、チェルノブイリなら「強制避難地域」であるし、5ミリシーベルト以上なら、移住の「義務」がある。

 20ミリシーベルト未満なら安全、などという日本の基準は、まったく国民の生命をないがしろにするものである。

 日本の政府や官庁は、この六年何を学んだのだろうか。

 20ミリシーベルトなんて基準はありえない。

 事故から五年後に制定されたチェルノブイリ基準に照らして再考すべきだ。

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# by koubeinokogoto | 2017-03-08 21:57 | 原発はいらない | Comments(0)
 あれから6年が経とうとしている。

 問題が風化しつつあることの象徴が「年間20ミリシーベルト以下なら安全」という新たな「神話」づくりだろう。

 国の避難区域の設定は、次のようになっている。
 (1)50ミリシーベルトを超え、自由に立ち入りできない「帰還困難(きかんこんなん)区域」
 (2)20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下で、日中の出入りは自由にできるが宿泊はできない「居住制限区域」
 (3)20ミリシーベルト以下だがインフラの未整備などの理由で宿泊ができない「避難指示解除準備区域」

 (3)は、裏返すとインフラが整えば避難解除する、ということになる。
 そして、国はそのインフラ整備を、地元に押し付けようとしている。

 こんな出鱈目な基準を元に、もう戻れると国が言ったところで、危険性や生活基盤を考え、旧ふるさとへ帰るかどうか決めるのは、一人一人の人間であるべきだ。

 そんなまだ危険な場所に戻ることを強制するようなことを言っている主長がいる。
 楢葉町の町長だ。
 河北新報から引用する。
河北新報の該当記事

<避難解除>帰町しない職員 昇格させない
河北新報 3/7(火) 11:19配信


 東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が2015年9月に解除され、今春を「帰町目標」に掲げる福島県楢葉町の松本幸英町長が、町職員への対応で「帰町しない場合、昇格・昇給させないようにしたい」との趣旨の発言をしていたことが6日、分かった。
.
 町議会一般質問で松本清恵議員が「町民から(発言への)問い合わせがあった。職員も避難者。行き過ぎではないか」と指摘。松本町長は「オフィシャルな席で、ある意味、伝わるように話をした」と認めた。

 同議員によると、発言があったのは2月の町長の私的新年会。別の議員らによると、昨秋の庁議などでも同様の考えを示し、「辞めてもらっても構わない」とも話しているという。

 松本町長は答弁で(1)環境がある程度整い、帰町目標を掲げた(2)昨年11月の地震の際、職員がすぐに集まれなかった(3)町民から職員が戻っていないとの声がある-などと説明。「守るべき責任の重さがある。やり過ぎとの声はあろうと思うが、基本的考え方として行政執行に当たっている」と強調した。

 人事への影響について大和田賢司副町長は取材に「町に住まないと支障が出る職場もあり配置で考慮することもあり得るが、昇格も含め人事は適材適所で判断する」と説明した。

 町によると、本庁舎の職員約100人のうち帰町者は35人で、今月末には43人に増える見込み。町は職員が業務外扱いで、輪番で町内に宿泊している態勢を終えたい考えを示した。

 自治労県本部は「職員が町内に居住しないことが公共の福祉に反していると言えず、居住の自由は認められる。居住地を人事の評価対象にするのは問題がある」と指摘した。

 とんでもない町長だ。

 国が避難解除の基準としているのは、国際放射線防護委員会(ICRP)が、原発事故からの復旧期には年1〜20ミリシーベルトを「許容範囲」としていることに頼っている。
 これは、とんでもないことだ。
 1ミリシーベルトより少ない被曝量でさえ、内部被曝には危険性がある。

 2011年5月28日の記事は、これまで何度か引用してきた本『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』を元に書いたものだが、久しぶりにその内容を再度紹介したい。
2011年5月28日のブログ

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肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』
 
 20ミリどころか、1ミリシーベルトでも安全とは言えず、正解に近い答えは、「内部被曝は、ごく低線量の放射線でも危険性はある。放射能は浴びないにこしたことはない」ということになるのである。

 まるで、20ミリシーベルトが国民のコンセンサスも得ているようなメディアの論調だが、とんでもないことである。

 ちくま新書から2005年6月に初版が発行された本書は、ヒロシマで自らも軍医としてその日を迎え、その後、数多くの内部被曝患者の診療を経験した肥田舜太郎さんと、湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾の内部被曝によるイラクの人々の被害を明らかにしたドキュメンタリー映画「ヒバクシャ」を制作した鎌仲ひとみさんの共著。内部被曝に関して数々の有益な情報を提供してくれる。「第4章 被ばくは私たちに何をもたらすか」からの引用。

 人類史上、最大の人体実験ともいわれる広島・長崎への原爆投下があっても、内部被曝そのものに関しては長い間、言及されることはなかった。近年、ようやく内部被曝の存在が注目され、国際放射線防護委員会(ICRP)の見解とヨーロッパの科学者グループ、欧州放射線リスク委員会(ECRR)が出した見解がはっきりと二つに分かれるようになった。前者は内部被曝も体外被曝と同様に許容量を定め、後者は内部被曝の許容量をゼロ以外は安全ではないとしている。
 たとえば、たった一粒のプルトニウムが体内に入った場合、ECRRは体内で放出されるアルファ放射線がその人間に癌を発症させる可能性は十分にある、というのだ。ちなみに、この一粒はたばこの煙の粒子の20分の1の大きさしかない。
 ヨーロッパの科学者グループであるECRRが2003年に公表した報告によると、1945年から89年までに放射線被ばくで亡くなった人の数は6160万人になる。ICRPのこれまでの計算では117万人ということになっている。ECRRは現行の国際放射線防護委員会が設定する一般人の許容限度、1ミリシーベルト/年を0,1ミリシーベルト/年以下に、労働者の限度も50ミリシーベルト/年から0.5ミリシーベルト/年に引き下げるべきだと主張している。もし、これが実現すれば、原発の労働者だけでも100倍の人員が必要になる計算だ。これによって増加する人件費が原子力産業にとって経済的に見合わないことは明白だろう。
 だからこそ、ICRPは「合理的に達成できる限り低く保つ」と許容限度を勧告しているのだ。


 “6160万人 対 117万人”の差は、あまりにも大きい。

 ECRRとICRPと、どちらの主張を信じるかは人それぞれだろうが、もちろん私はECRRに軍配を上げる。

 3.11以降、市民や企業で、子どもから放射能を守ろうとして地道に活動を続けている組織がある。
 その中の一つが「ほうきネット」だ。
 サイトから、引用する。
ほうきネットについて

放射能から子どもを守る企業と市民のネットワーク(通称:ほうきネット)は、原発事故で放出された放射性物質による被ばくから子どもたちや若い世代の健康を守ること及び放射能から子どもを守るために脱原発に取り組むことに賛同・協力する企業と市民のネットワークです。

【活動内容】

1.医療支援と被ばく軽減の支援

●検診の拡充
・福島県外の放射能汚染地(年1ミリシーベルト以上の汚染地)でも、事故当時19歳以上の人も、甲状腺検査の実施。
・移動検診のためのポータブルエコー(超音波診断装置)の購入。検診を受けやすいように医師がエコーを持って動きます。

●被ばくを減らす活動
・保養の拡充(現在、夏休みや春休みに全国で行われている取り組みですが、多くの団体が資金不足に苦しんでいます)
・子ども留学・疎開(家族みんなで避難はできない、子どもだけでも避難させたい方を対象に) まつもと子ども留学など。
・移住のサポート(移住を希望される方のサポート)。

●子どもたちを放射能から守るために重要な情報の収集と発信

・マスコミの問題でもありますが、重要な情報が一般に知られていないことが多いので、メディアの役割も担っていきます。

・独立系メディアの支援。

2.企業と市民のネットワークで基金を創設

上記活動が拡充していくために多額の資金が必要です。少しでも多くの企業や市民の方々が参加する基金の創設を目指していきます。

その他、必要な支援を行っていきます。

 その「ほうきネット」では、福島における、今もそこにある被害について報告している。

 「ほうきネット」の該当ページ


 この記事でも紹介されている内容で、国連人権理事会で健康問題を担当する弁護士のアナンド・グローバーの指摘を掲載した毎日新聞の記事を引用する。

 報告書は、県民健康管理調査で子供の甲状腺検査以外に内部被ばく検査をしていない点を問題視。白血病などの発症も想定して尿検査や血液検査を実施するよう求めた。甲状腺検査についても、画像データやリポートを保護者に渡さず、煩雑な情報開示請求を要求している現状を改めるよう求めている。また、一般住民の被ばく基準について、現在の法令が定める年間1ミリシーベルトの限度を守り、それ以上の被ばくをする可能性がある地域では住民の健康調査をするよう政府に要求。国が年間20ミリシーベルトを避難基準としている点に触れ、「人権に基づき1ミリシーベルト以下に抑えるべきだ」と指摘した。


 本来この20ミリシーベルト基準を問題にすべきなのだ。

 チェルノブイリ事故から五年後1991年に、ソ連(正確にはロシア・ウクライナ・ベラルーシ)で設定された避難基準には2段階あって、一つは公衆被曝の1mSv/年を超えると「移住権利」が発生する。もう一つ5mSv/年を超える場合、「移住義務」になる。

 20ミリシーベルトで安全、などという基準は、チェルノブイリから何も学んでいない、ということだ。

 南相馬では、この基準を撤回すべく訴訟を起こしている人々がいる。
「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟支援の会」のサイト

 六年の月日の中で風化しつつある20ミリシーベルトの問題は、もっともっと論議されて然るべきだ。

 あれから六年経っても、福島原発事故から日本は復興などしていないし、事態は決して好転していない。

 国家や市町村が、内部被曝の危険性のある場所に人々を戻そうとしている。

 とんでもない暴挙だ。



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# by koubeinokogoto | 2017-03-07 21:31 | 原発はいらない | Comments(0)
 鴻池の行動を、親分の麻生が弁護していたが、代議士の“口入れ”を正当化する内容に、なぜ、メディアは追及しないのだろうか。

 国民の陳情->代議士->口入->官公庁、という構図が、本当に民主主義の姿なのか、議論を高めるチャンスだと思うのだが、安倍晋三に懐柔されているメディアは、そんなことは問題にしようとしない。 

 その森友事件を上回る金額が安倍晋三による不正で動いている問題について、LITERAがスクープしている。
LITERAの該当記事

安倍首相に“第二の森友学園”疑惑! 親友が経営、昭恵夫人が名誉園長の学校法人に特区指定、37億の土地がタダに
2017.03.02

 自民党の大物政治家である鴻池祥肇氏への口利き依頼が発覚した学校法人森友学園をめぐる国有地売却問題。国民の関心は安倍首相と政権幹部の関与の実態に集まっているが、じつはもうひとつ、森友学園と似た構図の疑惑が安倍首相にもちあがっている。

 昭恵夫人が名誉園長を務め、自分の親友が経営する学校法人のために規制緩和をして、結果、この学校法人が経営する大学に約17万平方メートル、開発費も含めると37億円におよぶ土地が無償譲渡される予定になっているというのだ。

 この学校法人というのは、岡山県に本拠を置く加計学園グループ。岡山理科大のほか、倉敷芸術科学大、千葉科学大など岡山県内外の5つの大学をはじめ、6つの専門学校、さらには高校、中学、幼稚園、保育園までを擁する一大教育グループだ。

 加計学園を率い、ここまでの規模にしたのは、二代目で現理事長の加計孝太郎氏だが、この加計氏は、安倍総理が若手議員の頃、一緒にアメリカ留学をした親友なのだという。たしかに首相動静を確認すると、昨年だけでも12月24日、10月2日、3月18日に加計氏と会食したとあり、7月22日にはゴルフを楽しんでいる。また、夏休み中の8月10日には安倍首相の別荘がある山梨県の居酒屋で秘書官を交えて食事をし、翌日にはやはりゴルフを一緒にプレー。よほどの仲であることが窺える。

 また、加計学園が運営する千葉科学大学が2014年に開学10周年を迎えた際の記念式典に安倍首相が来賓として出席。祝辞でこう述べている。

「どんな時も心の奥でつながっている友人、私と加計さんもまさに腹心の友だ」(千葉日報14年5月26日付)

 しかも、この加計学園には、森友学園同様、昭恵夫人も関わっていた。神戸市東灘区に加計学園が運営する「御影インターナショナルこども園」という認可外保育施設があるのだが、昭恵夫人はそこの「名誉園長」を務めているのである。

 まさに、第二の森友、とも言えそうな安倍夫婦の加計学園への関わり方だ。

 しかし、その背後に動いた金額の多寡で言えば、こっちの方が第一の疑獄とも言えるだろう。

 四国を舞台にした疑惑の構造について、引用する。

舞台になったのは、愛媛県今治市の郊外にある今治新都市第2地区。この今治新都市というのは愛媛県と今治市、都市再生機構が用地整備を進めてきたニュータウンで、今治市は街づくりの一環として大学誘致を目玉にしていた。

 そんななかで、名乗りを上げたのが安倍首相の「腹心の友」が経営する加計学園で、同法人が運営する岡山理科大に獣医学部を新設、そのキャンパスを今治新都市第二地区に置く計画を2007年1月に申請したという。

 だが、文科省は獣医師養成学部・学科の入学定員を獣医師の質の確保を理由に制限していた。そこで、今治市は獣医学部誘致のために入学定員の地域解除を求める構造改革特区を国に申請したのだが、あっさりはねつけられた。

 読売新聞2008年4月28日付(大阪版)の記事によると、日本獣医師会が「現状で充足されている以上、定員を堅持すべき」と今治市の大学誘致に反対、2008年3月には国も「獣医師の供給不足は起きていない」として申請を却下したという。同市はその後も構造改革特区を利用した獣医学部誘致を15回にわたって提案したが、ことごとく却下されている。つまり、今治市と加計学園にとって入学定員制限は大きな壁として立ちはだかっていたのだ。


 この件、犬が家族の一員である私としては、実感として分かる。

 その質、獣医師としての技量はともかくとして、とにかく動物病院が多いこと。
 きっと、全国的に、数だけは充足しているということだろう。

 しかし、今治における状況は一変した。

 ところが、安倍首相が政権に返り咲くと、その状況は一転してしまう。2015年12月に安倍首相は国家戦略特区諮問会議において、今治市を全国10番目の特区にすることを決定。さらに2016年11月9日には、安倍首相が獣医学部の新設に向けて制度を見直すことを表明。「広域的に獣医師を養成する大学の存在しない地域に限り、獣医学部の設置を可能とするための関係制度の改正を、直ちに行う」としたのだ。これはどう見ても今治市と加計学園ありきの進め方だ。

 そして、今治市はこれを受けて、今治新都市第二地区(同市いこいの丘)の市が所有する約17万平方メートルを加計学園に無償譲渡することを決定したのだ。

 今治市議会では明日からこの土地の無償譲渡に関する補正予算関連法案の審議が始まるが、今治市はこの土地について、土地代、開発費合わせて36億7500万円を計上している。

 国が認めてこなかった10年がまるで嘘のように、安倍首相の決定によってあまりにも順調に進んでいった加計学園の新学部開設。そして、安倍首相の「腹心の友」の経営する学園はその結果、37億円もの値段の土地をタダで手に入れた。

 この経緯を見ていると、一国の総理大臣が自分のオトモダチのために「規制緩和」という錦の御旗を利用して便宜供与をはかった──そうとしか思えないのだ。森友学園の問題に直面しているいま、そう考えてしまうのは当然だろう。

 森友学園については、今後もどんどん疑惑が出てくるであろうが、この加計学園の問題についても、マスコミと野党は徹底追及すべきだろう。(編集部)


 森友問題に比べ、桁が違うのだ。

 LITERAの記事を信じるとして、これは国民として見過ごせない。

 森友に関しては、これまで報道してこなかったメディアも、赤信号みんなで渡れば怖くない、とばかりバスに乗り遅れまいと報道し始めた。

 今治の問題も取り上げるべきだろう。

 こっちは、鴻池や大阪府議の関与ではなく、安倍の関与が明確である。


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# by koubeinokogoto | 2017-03-03 20:46 | 責任者出て来い! | Comments(0)

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ロバート・B・ライシュ著『最後の資本主義』
 ライシュの『最後の資本主義』からの三回目。

 今回は、大企業やウォール街がロビー活動や政治献金をテコに、政治的、経済的な支配力を強化し、所得や富の「事前配分」をしている仕組みを、どう変えるかということについて。

 「第二十一章 企業を改革する」から、引用。

 市場に埋め込まれた所得と富の下位層から上位層への事前配分を終焉させるのと同時に、拮抗勢力が市場における配分が「より公正に」なるよう求めることで、課税や社会保障給付も抑えることができる。それには、現代の資本主義の中心組織である大企業を再構築することが必要となる。
 すでに述べてきたように、この30年間、企業を動かす誘因のほぼすべてが、一般労働者の賃金を引き上げ、CEOをはじめとする取締役らの報酬を引き上げる結果につながった。問題はそうした誘因をいかに反転させるかだ。
 一つの可能性としては、法人税率を決める際に、その企業の平均的労働者の賃金に対するCEOの報酬の比率と連動させる方法が考えられる。この比率が低い企業には低い法人税率を、比率が高い企業には高い法人税率を適用するということだ。一例としてカリフォルニア州議会が2014年に導入した法律が挙げられる。
 本書で紹介されるカリフォルニア州の法律では、CEOの報酬とその会社の平均的労働者の賃金の比率で、法人税が次のように定められている。

 CEO報酬が平均的労働者賃金の100倍-->法人税は8%
 CEO報酬が平均的労働者賃金の25倍 -->法人税は7%
 もし、
 CEO報酬が平均的労働者賃金の200倍-->法人税は9.5%
 CEO報酬が平均的労働者賃金の400倍-->法人税は13%

 これは、CEO及び経営者の報酬への抑止力となる。

 ウォルシュは、「会社は誰のものか」という根源的な問いを提示する。

 1980年代に定着した株主資本主義が何をもたらしたかを精査してみると、大多数のアメリカ人の賃金が停滞するか減少し、仕事のアウトソーシングが進み、地域社会が荒廃し、CEOの報酬は天文学的数字に達し、四半期の収益ばかりが近視眼的に注目され、カジノの様相を呈した金融セクターが2008年に破綻しかけて大多数のアメリカ人を巻き添えにするなどの負の遺産ばかりだった。
 いわゆる「ステークホルダー(利害関係者)」は、株主だけではない。
米国経済のステークホルダーは私たち全員であり、そのステークホルダーの大多数は潤っていないのだ。おそらくより必要とされているのはステークホルダー資本主義であり、株主資本主義の類ではないだろう。
 ドイツの企業のガバナンスに関する法律や規制は、このアプローチが取られている。
企業規模にもよるが、監査役会の半数までが従業員の代表者で構成される。さらに、店舗で働く販売員は「事業所委員会」と呼ばれる労働者協議会によって代表される。
 労働組合をはじめ、拮抗勢力の弱体化は、米国のみならず、日本でも顕著だ。
 いかに働く人々が、企業運営にかかわっていくべきか、ドイツに見習うべきことは多い。
 引用を続ける。
 有効な拮抗勢力が存在すれば、米国企業を再構成し改革することができる。法律によって、従業員を代表する組織の設置だけでなく、利害に比例した投票権を従業員に与えることが義務づけられ、一個人や一人の株主が投票権の大半を独占するという事態を防げるだろう。さらに、米国の法人が持つ法的特権の数々、例えば、有限責任や企業永続性、契約締結のための法人格、憲法で定められた権利の享受といった特権は、成長による利益を労働者と共有しつつ、地域社会や環境の利害を考慮する主体にのみ認められることとなろう。

 ウォルシュが提示する案は、民主主義に裏付けされた本来の資本主義への回帰を指向するものと言えるだろう。

 ウォルシュは、富の集中が、現行のルールでは永続性を持つことの問題も指摘する。
 「第二十三章 市民の遺産」から。

政治経済学者ピーター・バーンズによると、アメリカ人が手にする所得の三分の一は利子や配当、キャピタルゲイン、相続財産が占めている。そしてその大部分が上位1%に集中している。他方、遺産税は夫婦の遺産が1068万ドルを超えない限りは課税されず、法律の中には、抜け目のない遺産相続専門の弁護士がさらなる遺残を信託ファンドに隠しておく余地が十分にある。また、住宅、株式、債券、宝石、絵画、骨董品、土地など、一生の間に価値が上がる試算は、相続人が含み益に対してキャピタルゲイン税を払うことなく相続されていく。相続人は自分の一生の間にそうした資産から収入を得て、さらに次の世代の相続人に資産を引き継ぐ。この間、誰もキャピタルゲイン税を払うことはないのだ。

 知的財産の早期のパブリック・ドメイン化などのルールの変更、それを実現するためにも中間層が拮抗勢力となって復活することが求められている。

 トランプ大統領を生んだ大きな要因の一つは、ウォルシュがデータや法律の実態で明らかにする格差社会を生み出す構造的な問題だ。

 しかし、彼がその問題を真剣に解決しようとしない場合、ラストベルトを中心とする貧しい人々は、期待が大きかっただけ、その反作用が大きくなるだろう。

 トランプも確実に富裕層の代表なのである。

 安倍晋三と自らが所有するゴルフ場で遊んでいる様子をツィッターで見る人々は、いったい何を思っているのか、そういった国民の視点に立てるどうかが、今後のアメリカ政権の課題だろう。

 彼のツイッターによる発言は、首尾一貫性を欠いている。
 飽きっぽい性格が反映していると察する。
 いつ、「辞~めた」と言い出しかねないのではなかろうか。

 今のアメリカの病理を根治しようと思うのなら、もっと腹を据えてかからねばならないはずだ。

 大企業やウォール街からの圧力に、トランプは勝てるのかどうか。
 ツイッターで呟くくらいでは、なかなか勝てそうな相手ではないのだ。

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# by koubeinokogoto | 2017-02-13 12:47 | 市場原理主義、新自由主義に反対! | Comments(0)
 PKOの南スーダン派遣部隊における「戦闘」と記された日報を隠匿しようとしていた防衛省は、まるで大本営ではないか、と思っていたら、東京新聞の今日のコラム「筆洗」が、私の思いを代弁してくれていた。

 引用する。
東京新聞の該当コラム


筆洗
2017年2月9日

 日米開戦から二年がたった一九四三年十二月八日、大本営は戦果を発表した。二年間で米英の戦艦十八隻、空母二十六隻を撃沈、日本軍の損害は戦艦一隻に空母二隻。連戦連勝を思わせる戦果である▼では実際のところはどうだったのか。近現代史研究家の辻田真佐憲(まさのり)さんの『大本営発表』(幻冬舎)によると、米英軍の損失は戦艦四隻、空母六隻。対する日本軍は戦艦三隻、空母七隻を失っていた▼数字の操作だけではない。大本営は「全滅」を「玉砕」と言い、「撤退」を「転進」と言い換えた。情報を軽んじ、都合のいいように変える。それが、どんな悲劇をこの国にもたらしたか。現代史の常識なのだが、どうもそういう歴史に疎いのだろう▼国連の平和維持活動に陸上自衛隊が参加している南スーダンで昨夏、何が起きていたのか。防衛相らは「戦闘行為は発生していない」と言っていた▼しかし、二百人もが命を落とした緊迫した日々を、現地の陸自部隊は、「戦闘」という言葉を何度も使って日報に記録していた。この大切な日報を防衛省は「廃棄した」と説明していたのだが、追及されると、「実は、ありました」▼辻田さんの著書によると、大本営は、偽りの真実に自ら縛られていったという。そうして、非現実的な策が現場に押し付けられていった。そんな自縄自縛の罠(わな)が、防衛相には見えていないのだろうか。


 結局公開された日報には、生々しい「戦闘」そして「戦争」が刻まれていた。
 時事新報サイト「JIJI.COM」から引用する。
時事新報「JIJI.COM」の該当記事

突発的戦闘やPKO停止も=南スーダン派遣部隊の日報公開-政府説明とずれ・防衛省

 防衛省は7日、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊部隊が昨年7月に作成した日報などを公開した。同国の首都ジュバでは同月、大規模な武力衝突が発生しており、日報には「激しい銃撃戦」「突発的な戦闘への巻き込まれに注意」などという記載のほか、「国連活動の停止」もあり得るとの指摘もあった。

 「戦闘」という表記が複数あり、これまで政府が否定してきた「戦闘行為」が起きていたことを裏付ける内容。当初は日報を破棄したと説明していた同省の姿勢が厳しく問われることになりそうだ。
 公開された文書は、現地部隊が作成した昨年7月11~12日付の日報と、日報に基づき陸自中央即応集団が作成した「モーニングレポート」。
 日報には、同月11日午後、ジュバ市内の宿営地周辺で「激しい銃撃戦」や「砲弾落下」があったなどと記載。「(大統領派と前副大統領派)両勢力による戦闘が確認されている」と明記し、「宿営地周辺における流れ弾や突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要」としていた。
 さらに、今後想定されるシナリオとして「ジュバでの衝突激化に伴う国連活動の停止」とあり、PKO活動が停止する可能性も指摘していた。
 政府はこれまで、300人超が死亡したとされる昨年7月の武力衝突について、「武器を使っての殺傷や物を破壊する行為はあった」としながらも、「戦闘行為ではなかった」と説明。菅義偉官房長官は7日の会見で「文書を隠蔽(いんぺい)する意図は全くなかった」述べた。(2017/02/07-22:34)


 政府が、「武器を使っての殺傷や物を破壊する行為はあった」としながらも、「戦闘行為ではなかった」という苦しい弁明こそが、「隠蔽」しようとした確信犯であることを物語る。

 まさに、大本営の姿と変わらない。

 朝日の今日の社説に、昨年の安倍晋三の嘘や、稲田防衛相の発言を含め掲載されている。
朝日新聞の該当社説
 一部、太字にする。

社説
PKO日報 国民に隠された「戦闘」
2017年2月9日(木)付

 これまでの政府の説明は何だったのか。現場とのあまりの落差にあぜんとする。

 昨年7月の南スーダンの状況を記録した、国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報などの文書を防衛省が公表した。

 この当時、政府軍と反政府勢力の大規模な戦闘が起きた。文書には、部隊が派遣された首都ジュバの、生々しい状況が記録されている。

 「宿営地5、6時方向で激しい銃撃戦」「戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘」。事態が悪化すれば、PKOが継続不能になる可能性にも言及している。

 こうした状況について、政府はどう説明していたか。

 昨年7月12日、当時の中谷元防衛相は「散発的に発砲事案が生じている」と述べた。安倍首相は10月に「戦闘行為ではなかった。衝突、いわば勢力と勢力がぶつかったという表現を使っている」と国会答弁した。

 ジュバの状況を、政府はなぜ「戦闘」と認めないのか。

 稲田防衛相はきのうの衆院予算委員会でこう説明した。

 「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」

 政府は「戦闘行為」について「国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺傷し、または物を破壊する行為」と定義する。こうした「戦闘」が起きていると認めれば、憲法やPKO参加5原則に抵触し、自衛隊はPKOからの撤退を迫られる。

 稲田氏は「国際的な武力紛争の一環とは評価できない」とするが、派遣継続ありきで「戦闘」と認めないとも取れる。

 「戦闘」が記された文書は、昨年9月に情報公開請求され、防衛省は文書を「廃棄した」として不開示とした。ところが、自民党の河野太郎衆院議員に再調査を求められ、範囲を広げて調べ直すと別の部署で見つかったとして一転、公開された。

 この間、政府は10月に南スーダンPKOの派遣を延長し、11月以降、安全保障関連法に基づく「駆けつけ警護」が初めて付与された部隊が出発した。

 こうした政府の決定は結果として、国民にも、国会にも重要な判断材料を隠したままで行われた。駆けつけ警護の付与、さらにはPKO派遣継続自体の正当性が疑われる事態だ。

 そもそも、このような重要な記録を「廃棄した」で済ませていいはずがない。不都合な文書を恣意(しい)的に隠したと疑われても仕方がない。安倍政権は厳しく襟を正すべきだ。

 稲田の、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている、という発言は、戦地と認めれば国民を派遣できないので嘘をついている、ということを自供しているようなものだ。

 PKOは、弾の届かない安全な地帯への派遣である、などという嘘は、もはや通じない。

 自国のためといえども、日本は戦争を放棄したはずだ。
 それなのに、海外の戦地に、なぜ日本国民が生命の危険を賭して行かねばならないのか。

 自衛隊員、そして家族の皆さんも、当事者として発言して欲しい。

 戦争はまっぴらだ、と。


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# by koubeinokogoto | 2017-02-09 21:14 | 戦争反対 | Comments(0)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛