私は、ほぼ同世代の百田尚樹という作家の本を読んだこともないし、今後も読むことはないだろう。学生時代からの身のこなし方を、ネットで観たことがあるが、どうもこの人の了見は疑わざるを得ないし、品性が実に下劣であると思っているからだ。
同じ方角を向いている安倍のお気に入りでNHKの経営委員になったらしいが、先日の新会長のトンデモ発言と同様、好き勝手なことを都知事選の応援演説で並べているようだ。
「時事ドットコム」の該当記事百田氏、放送法に反せず=菅官房長官
菅義偉官房長官は4日午前の記者会見で、作家でNHK経営委員の百田尚樹氏が東京都知事選候補者の応援のため街頭演説したことについて、「個人の候補者を応援することは放送法に違反するものではない。百田氏が個人的に行ったことだ」と述べ、問題はないとの認識を示した。
百田氏は3日に都内で演説し、特定の候補者に支持を訴えた。この際、極東国際軍事裁判について「東京大空襲、広島・長崎の悲惨な状況をごまかすための裁判だった」と主張、「蒋介石は南京大虐殺を宣伝したが世界は無視した。そんなことはなかったからだ」などと語った。
菅長官は会見で、百田氏のこうした持論と経営委員起用の関わりを問われ、「評論活動や小説家として国民からも理解されている点を踏まえ推薦した」と説明した。 (2014/02/04-11:56)
朝日に、もう少し詳しく彼の応援演説の内容が書かれていた。
朝日新聞サイトの該当記事 朝一番の新宿駅西口では米軍による東京大空襲や原爆投下を「悲惨な大虐殺」と話し、東京裁判について「これをごまかすための裁判だった」と自身の歴史観を披露。「1938年に蔣介石が日本が南京大虐殺をしたとやたら宣伝したが、世界の国は無視した。なぜか。そんなことはなかったからです」「極東軍事裁判で亡霊のごとく南京大虐殺が出て来たのはアメリカ軍が自分たちの罪を相殺するため」と持論を展開した。
また、第2次世界大戦での日本の真珠湾攻撃に触れ、「宣戦布告なしに戦争したと日本は責められますが、20世紀においての戦争で、宣戦布告があってなされた戦争はほとんどない」と話し、「(米軍の)ベトナム戦争の時も湾岸戦争の時もイラク戦争もそうです。一つも宣戦布告なしに戦争が行われた」「第2次世界大戦でイギリス軍とフランス軍がドイツに宣戦布告しましたが形だけのもんで宣戦布告しながら半年間まったく戦争しなかった」と主張した。
憲法についても言及。「憲法改正派です。今の憲法は戦争は起こってほしくないなあと願っているだけの憲法だと、私は作家としてそう解釈します」「絶対に戦争を起こさせない。そういう憲法に変えるべきだと僕は思っています」と述べた。
午後5時、秋葉原駅前。「戦争では恐らく一部軍人で残虐行為がありました。でもそれは日本人だけじゃない。アメリカ軍もやったし、中国軍もやったし、ソ連軍もありました。でもそれは歴史の裏面です。こういうことを義務教育の子どもたち、少年少女に教える理由はどこにもない。それはもっと大きくなってから教えれば良い。子どもたちにはまず日本人に生まれたこと、日本は素晴らしい国家であること、これを教えたい。何も知らない子どもたちに自虐史観を与える必要はどこにもない」と訴えた。
「戦争」そのものへの賛成、反対という「What」のテーマではなく、宣戦布告の有無「How」の方がこの人には大事なのだろうか。早い話が、戦争に反対していない。
改憲についても「絶対に戦争を起こさせない」ために、どんな改正をすべきなのかが、これでは分からない。
自虐史観を与えることはないかもしれないが、戦争の悲惨さは伝えるべきだろう。しかし、この人には、そんな考えはなさそうだ。フィクションの零戦英雄物語をつくる位だから。
百田尚樹という人には、歴史を見る真っ当な常識があるように思えない。
同じ零戦を扱った対照的な人物が宮崎駿である。
宮崎は、ほぼ明確に百田の作品を批判している。昨年の引退表明直後の発言である。
「ビジネス・ジャーナル」の該当記事宮崎駿、『風立ちぬ』と同じ百田尚樹の零戦映画を酷評「嘘八百」「神話捏造」
2013.09.25
9月6日、引退会見を行ったアニメ界の巨匠・宮崎駿監督。引退作となった『風立ちぬ』(東宝)は興行収入100億円を超え、「最後の作品はスクリーンで」という人も多く、観客動員数は1000万人を突破すると見られている。
そんな映画人生の有終の美を飾ろうとしている宮崎だが、ここにきて『風立ちぬ』と同じ“零戦”をテーマにした“あの作品”を猛批判しているのをご存じだろうか。
宮崎が“あの作品”の批判を展開しているのは、「CUT」(ロッキング・オン/9月号)のロングインタビューでのこと。その箇所を引用しよう。
「今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記を基にして、零戦の物語をつくろうとしてるんです。神話の捏造をまだ続けようとしている。『零戦で誇りを持とう』とかね。それが僕は頭にきてたんです。子供の頃からずーっと!」
「相変わらずバカがいっぱい出てきて、零戦がどうのこうのって幻影を撒き散らしたりね。戦艦大和もそうです。負けた戦争なのに」
「相変わらずバカがいっぱい」のリストに、安倍、石原、橋下、百田などの名を並べても、宮崎は否定しないだろう。
戦争責任を誤魔化したり、美化することから、何ら生産的な未来は展望できない。
宮崎の批判は続く。
戦争を美化する作品を糾弾する構えの宮崎
宮崎がここで挙げている「零戦の物語」というのは、どう考えても人気作家・百田尚樹の原作で、12月に映画が公開される『永遠の0』(東宝)のこと。よほど腹に据えかねているのか、このインタビューで宮崎は“零戦神話”を徹底的に糾弾。
「戦後アメリカの議会で、零戦が話題に出たっていうことが漏れきこえてきて、コンプレックスの塊だった連中の一部が、『零戦はすごかったんだ』って話をしはじめたんです。そして、いろんな人間が戦記ものを書くようになるんですけど、これはほとんどが嘘の塊です」と、『永遠の0』をはじめとする零戦を賛美する作品をこき下ろしている。
もちろん、自身が『風立ちぬ』で基にした零戦設計者・堀越二郎の戦争責任についても言及。堀越の著書である『零戦』は共著であり、もう一人の執筆者が太平洋戦争で航空参謀だった奥宮正武だったことから「堀越さんは、自分ではそういうものを書くつもりはなかったけど、説得されて、歴史的な資料として残しておいたほうがいいんじゃないかっていうことで、書いたんだと思うんですけど」と前置きし、「堀越さんの書いた文章っていうのは、いろんなとこに配慮しなきゃいけないから、本当のことは書かないんだけど、戦争責任はあるようだけれども自分にはないと思うって書いています。面白いでしょう? 僕はこの人は本当にそういうふうに思った人だと思います」と弁護。
さらに、「僕は思春期の頃、親父と戦争協力者じゃないかってもめた経験があるんですけど。そうやって断罪していくと、ほとんどの人が戦争協力者だと言わざるをえない。隣の韓国とか北朝鮮とか中国とかフィリピンとかインドネシアとかね、そういう側から考えると、それは加害者であるという」と話し、「職業をもつということは、どうしても加担するという側面を持っている。それはもうモダニズムそのものの中に入ってるんだと思ってるんです」と、到底美談では語れない戦争の加害性について論及している。
対照的な立場の宮崎と百田
確かに同じ零戦をテーマとして扱っているとはいえ、宮崎と百田とはその政治的スタンスもまったく真逆だ。宮崎は憲法改正反対論者で、かたや百田はほとんど“右派論客”といってもいい活躍を見せている。
百田は今年6月、朝日新聞で自身の作品が「右傾エンタメ」「愛国エンタメ」と評されたことに激怒し、苛烈に反論していたが、一方で首相再任前の安倍晋三との対談では「もう一度、自民党総裁選に出馬して総理を目指してもらいたい」と背中を押し、保守系論壇人である渡部昇一との対談でも「安倍政権では、もっとも大きな政策課題として憲法改正に取り組み、軍隊創設への道筋をつくっていかねばなりません」と語るなど、政治的発言を連発。朝日批判の際も「自虐史観とは大東亜戦争にまつわるすべてを『とにかく日本が悪かった』とする歴史観です」とネトウヨ(ネット右翼)が大喜びしそうなツイートをしていた。
宮崎があえてインタビューで『永遠の0』批判を繰り出したのは、戦争を肯定する百田と一緒にされるのが耐えられなかったのかもしれない。
しかし、一方の百田は、「先日、アニメ『風立ちぬ』の試写を観た。ラストで零戦が現れたとき、思わず声が出てしまった。そのあとの主人公のセリフに涙が出た。素晴らしいアニメだった」と同作を大絶賛。反戦主義の宮崎が零戦映画の製作をしたことで、方向転換したと勘違いして思わずはしゃいでしまったのかもしれないが、今回の宮崎の発言で見事にはね返された格好だ。
歯に衣着せぬ言動や論争好きで知られる百田だが、果たして世界の巨匠・宮崎にはどのように反論するのか。大いに見ものである。(文=エンジョウトオル)
宮崎駿が、これ以上は百田など相手に発言する必要はないと思う。宮崎から見れば、右寄りの“子供”である。
以前にスタジオジブリが発行している小冊子『熱風』が、「憲法」を特集したことを紹介した。
2013年7月19日のブログ 参院選を前にしたサイトからのダウンロードサービスは終了したので、再度、以前の記事から引用したい。
「スタジオジブリ」サイトの該当ページ まず、ダウンロードサービスについて、次のような説明があった。
『熱風』7月号の特集は「憲法改正」です。
この問題に対する意識の高さを反映したためか、7月号は多くのメディアで紹介され、編集部には「読んでみたい」というたくさんの問い合わせがありました。
しかし取扱書店では品切れのところが多く、入手は難しいようです。今回編集部では、このような状況を鑑みて、インターネットで、特集の原稿4本を全文緊急配信することに決定しました。
ダウンロードは無料、配信期間は8月20日18時までです。
上図が表紙。
宮崎駿のメッセージが熱い。まさに“熱風”である。
すでにダウンロードサービスが終ったので、前回より多めに引用したい。(
太字は管理人)
父は戦時中飛行機の部品を作っていた
そんな子ども時代の戦争の記憶ですが、世の中の様相が、いわゆる戦時下のような状態になるのは、昭和19年(1944年)以降、国全体がヒステリックになってからです。ただ、うちの親父は現実主義で、ニヒリストで「天下国家、俺は知らん」というような人物でしたから、親父の話だけを聞いてると、また全然違いました。
親父は関東大震災の時に、墨田区にあった陸軍被服廠跡という、人がいちばん死んだところを逃げ回って生き残った人間なんです。まだ9歳だったのに妹の手を引いて逃げたというのが自慢でした。戦時中は東京大空襲の翌日に、親戚の安否を尋ねて東京に入ってるんです。だから、二度の死屍累々を見ています。
学生時代の思い出を聞くと、小津安二郎の戦前の映画の「青春の夢いまいづこ」にそっくりで、徹底した刹那主義者。
戦時中は病気の伯父貴に代わって、飛行機の部品を作るような軍需工場の工場長をしていました。知り合いがみんな「もうこの戦争は負けるんだからやめろ」って言うのに、昭和20年(1945年)になっても銀行からカネ借りて投資したりして。話を聞いていると、親父は世界情勢がどうこうということを認めたくなかったんですね。「戦争は俺がやってることじゃない。商売としては今、客がいて注文があるんだから、それに応えて作れば儲かる」ということでやったんだと。だから全然、後悔もしてないですよ。大局観なし。
宮崎駿にとって、父親の戦時中の行動は、戦争のもたらす悲劇の、非常に身近な実例だったのだろう。
だから、宮崎の父親を視る目に、家族だから、という甘えはない。父親への客観的な視線にこそ、彼の反戦論の原点があるように思う。
そんな親父が戦争について何と言ったと思いますか。「スターリンは日本の人民には罪はないと言った」それでおしまいです。僕は「親父にも戦争責任はあるはずだ」と言って、喧嘩しましたけど、親父はそんなものを背負う気は全然なかったようです。戦後もすぐアメリカ人と友人になって「家に遊びに来い」と言うような人でしたから。「アメリカのほうがずっといい。ソ連は嫌いだ」って言ってました。何でソ連が嫌いなんだと言ったのかは知らないけど、自由がないのが嫌だったのだと思います。本人は自由にやってましたから(笑)。
この「スターリンは日本の人民には罪はないと言った」という父親の発言、百田の発言と相通ずるものがある。
僕が日本を見直したのは、30代になってから
今、半藤一利さんの『昭和史』を読んでいるんですけどもう辛くて。読めば読むほど日本はひどいことやってるわけですから。何でよその国に行ってそんな戦争をしたのかと思います。他の道はなかったのか、満州事変を起こさずに済んでいたら、何か変わったんだろうかと思います。日露戦争が終わった時に、日本は遼東半島についても「これはやっぱり中国のものですから返しますよ」と言わなきゃいけなかったんです。そういう発想は日本の中に欠片(かけら)もなかった。帝国主義の時代ですから世界にもなかったと思いますが。
中国の周りには、ソ連もいたけど、イギリスはいる、ちょっと離れりゃフランスもオランダもアメリカもいて、世界中が集まっていた。そういう歴史を人間が踏んできた、ということを抜きにして、日本だけが悪人ということではないと思いますけど、そうかといって「最後に入っただけなのに、俺はなぜ捕まるんだ?」と言うのもおかしい。「おまえは強盗だったんだよ」ということですから。満州に行った知人たちが、どういうことをやって、どういう風に威張りくさってたかという話もおふくろから随分聞きました。そういう話を聞く度に、本当に日本人はダメだと思いました。
「日本だけが悪いのではない」という主張は、戦争には相手がある以上、部分的には正しい。しかし、「日本も悪い」という発想がないことには、次の展望は開けない。
さて、昨年も紹介した、憲法についての宮崎の見解を再度ご紹介。
憲法を変えることについては、反対に決まっています。選挙をやれば得票率も投票率も低い、そういう政府がどさくさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えようなんて、もってのほかです。本当にそう思います。
法的には96条の条項を変えて、その後にどうこうするというのでも成り立つのかもしれないけれど、それは詐欺です。やってはいけないことです。国の将来を決定していくことですから、できるだけ多数の人間たちの意見を反映したものにしなきゃいけない。多数であれば正しいなんてことは全然思っていないけれど、変えるためにはちゃんとした論議をしなければいけない。
それなのに今は、ちょっと本音を漏らして大騒ぎを起こすと、うやむやに誤魔化して「いや、そういう意味じゃないんだ」みたいなことを言っている。それを見るにつけ、政府のトップや政党のトップたちの歴史感覚のなさや定見のなさには、呆れるばかりです。考えの足りない人間が憲法なんかいじらないほうがいい。本当に勉強しないで、ちょこちょこっと考えて思いついたことや、耳に心地よいことしか言わない奴の話だけを聞いて方針を決めているんですから。それで国際的な舞台に出してみたら、総スカンを食って慌てて「村山談話を基本的には尊重する」みたいなことを言う、まったく。「基本的に」って何でしょうか。「おまえはそれを全否定してたんじゃないのか?」と思います。きっとアベノミクスも早晩ダメになりますから。
百田には、これを読ませればいいのであるが、彼には猫に小判だろうなぁ。限りなく「常識0」の男のようだから。
年齢や経験も影響はしているだろうが、それにもまして百田の好戦的な姿勢は特筆すべきものがある。百田と宮崎との間には、何万光年もの距離がるように思えてならない。しかし、人気作家の言うことだから、と付和雷同したり、「ゼロ戦、かっこいい!」と安易に戦争を美化する若者も増える恐れはある。
あまり、「絶対」という言葉は使いたくない。しかし、戦争は、絶対にいけない。
百田の発想は強い軍隊を持つことで戦争をなくそう、ということのようだが、軍隊を持てば、つい戦争をしたくなるのだ。軍備の競争の行きつく先には、核のボタンを誤って押してしまう狂った独裁者の姿だってイメージできる。
百田の「0」か、宮崎の「零」か、これは疑いようのない選択なのである。