幸兵衛の小言

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「虫ケラ」扱いされた“反原発科学者“ (『市民科学者として生きる』より)

高木仁三郎さんが反原発を提唱する“市民科学者”として活動していた時、原子力村が高木さんに対してとった姿勢、態度にはあきれる。反原発活動を、何ら肩書きも支援組織も持たない一科学者として展開することは、苦労の連続だったことが察せられる部分を『市民科学者として生きる』から紹介したい。高木仁三郎著『市民科学者として生きる』

無視と誘惑と
 反原発の活動によって自分が鍛えられたことの中に、長年にわたって国家官僚や電力会社によって、ほとんど人格的に抹殺ないし無視されてきたという事実がある。1、2のエピソードを紹介してみよう。
 1980年代の初期の頃だったろうか。科学技術庁に何かの申入れで、地域の住民団体に随行した時のことである。科学技術庁の玄関口で、もう何年も会っていなかったN大学のA教授にあった。私より一まわり年上だが、核化学をやっていた時の研究仲間で、親しかった人だ。彼は原発推進論者で、政府の委員会の委員をやったり、原発討論に推進側の立場で登場したりする人物だった。
 彼も私も「やあ、しばらく」と声をかけ合って、科学技術庁の玄関口で少しの時間、けっこう親しそうに世間話をやっていた。もちろん、お互いの立場はよく知っていたが、私も多分彼も、原発の推進、反対の意見の違いを唯一の基準にして、人との付き合い(といっても立話程度だが)を決める方ではないので、その場はそれで済んだ。
 それから一年程してだろうか。今度は北陸のある町での原発賛否討論の相手役として彼に再会した。その討論の終った後でお茶を飲みながら彼がした話だが、「あの時、科技庁の玄関口で高木君と親しそうに話し合っていたと言って、後から役人たちに相当の猜疑心で見られたよ。彼らにとって、高木君はウジ虫のような存在で、「昔、一緒に学問をやっていたよ」と言ったら、自分まで何かけがらわしい存在に見られてしまったよ。近寄ると黴菌に感染すると思ってるんだ、ほんと」。
 最近ではずい分変ったが、少なくともチェルノブイリ前までは、原発反対派はそんな風に扱われた。虫ケラ同然の扱い、ないしは、原発反対でメシを食っている政治ゴロ的な扱いは、人格をトータルに否定されたような感じで、ずい分プライドを傷つけられた。


 これが、あの頃の高木さんを取り巻く状況だったのだ。原子力村からの敵対的な扱いを考えながら、その頃の自分は何をしていたのか、と思わないわけにはいかない。この後、原発裁判での差別的な扱いが回顧した、次のような文章が続く。

 私の証言に対する追及があるのだが、ほとんどの場合、内容論に及ぶことはなかった。「原子力資料情報室とはどういう所か」「たった数人で、ビルの一フロアの小さな空間に存在するだけではないか」「実験設備はあるのか」「原発問題の他に、成田の反対派にも関わっているのではないか」等々が主たる質問で、これに私の基礎知識をテストするような馬鹿げた質問がいくつかあって、それで終わりである。私の調べたところ、同じ反対派の専門家でも大学や公的研究機関に属している人は、そんな風には扱われなかったようだ。肩書きがいかに重視され、権威につながるような肩書きのない私は、それだけで証人として欠格であることを、国側は主張、立証しようとしたわけで、裁判所側もかなりそのように私を扱った。
 これにも、それなりに傷つけられた。しかし、少し冷静に考えると、地域の住民たちは基本的に常にそのように、虫ケラ同然に扱われて来たわけで、私もそれと同じ扱いを受けただけである。「市民科学者」を標榜しようとするなら、当然、私もそこから出発しなければならなかった。しかし、自分の側にある種の思い上がり意識があったから、そのような扱いにとくに傷ついたように感じたのである。このこともまた、よい学習材料となった。


 高木さんは、自分が「虫ケラ」同然の扱いを受けても、原発立地地域の人々もそのような迫害を受けてきたことを思い、市民の立場で頑張り続けるために自分を奮い起こしたのだろう。
 この後に、「誘惑」の例も紹介されている。
 ある原子力の業界誌の編集兼発行人にあたる人から、「研究会」を主宰して欲しい、そのためにX社Y社長からあずかった三億円を一時金として自由に使って欲しい、という悪魔の囁きがあったらしい。

 当時の資料室は火の車で、30万円ですらとびつきたい状況だったから、「3億円あったら、一生資料室は金の苦労をしないで済むのではないか。Y氏も財界のリベラル派として知られる人だし」などと一分くらいのうちは頭を働かせた。しかし、その編集長の言う、研究会の性格とか「通産省や電力会社の若手」にリアリティーが感じられなかった。これは、彼らの側の私をとりこむための誘惑に違いなかった。それにしても、「一時金」が3億円とは!しばらく考えさせてくれと言って別れ、それ以上はもう会わずに、電話で断った。誰にも相談しなかった。

 
 「虫ケラ」同然の扱い、そして、金で横っ面をはたくような誘惑、また数々の嫌がらせを受けながらも、“市民科学者”である高木仁三郎さんと原子力資料情報室は負けずに活動を続けた。

 この「虫ケラ」の言葉で、あらためて今日の状況を考えざるを得ない。今の震災の被災地の人々やフクシマの被害者の方々は、果して人間らしい扱いを受けているのだろうか。結果として“虫ケラ”同様に扱われていないだろうか。もちろん、フクシマの現場で働く作業員の人たちも、人間らしく扱われているのか。東芝の4次下請けの配管工として現場で亡くなった大角信勝さんの奥さんは、本日労災を申請した。今後のプロセスをマスコミはしっかりフォローして欲しい。間違いなく、あの現場での非人間的な労働管理があったはずだ。

 あれから、4カ月が過ぎた。
  震災の被災者の方の苦労と苦悩は軽減されたのか。
  そして、フクシマ以降の国民の不安はどこまで解消されたのか。
  フクシマの現場で働く労働者の皆さんの環境は改善されたのか。

 たとえば、本来は国の責任で、大気中のみならず土壌、海水、そして野菜や肉、魚などの食物の放射能測定を継続的に行うべきであろう。ところが実際は、海外や日本の非政府組織、地元の住民や一部の科学者の努力で、本来国民の生命の安全を守るために国家として行うべき必要な調査と情報提供の一部が補われているというのが、今日の実態ではないか。

 国民の不満は、すでに我慢の基準値を超えていると思うべきだ。

 “菅ピューター”が独自の“首相の座しがみつきプログラム”で「脱原発」を唱えたことだけは、評価してもいい。しかし、彼の寿命は長くない。“ポスト菅”や原子力村の反撃は油断がならない。
 しかし、長期的なエネルギー政策問題も重要だが、「今そこにある危機」も忘れてはならない。

 マスコミも「政争」や「やらせメール」のことなどに過大に紙面や時間や労力を割かず、国民の視点でジャーナリストとしての矜持をもった報道や問題提起、主張をして欲しい。
 たまたま、数年ぶりに購入した「アエラ」に載っていたが、日本の放射能基準は、チェルノブイリ以降のロシアやウクライナが改訂してきた現在の基準よりあまりにも緩い。そういった問題点をメディアはもっと指摘すべきだし、上述したような、広範囲に渡る計画的な放射能測定を行うよう提言すべきである。

 高木さんの本の紹介から、やや現状への怒りで熱くなってしまった。
 高木さんがあれだけ問題を的確に指摘していながら、原子力村が「虫ケラ」同然の扱いをしたり、我々が聞く耳を持っていなかったためにフクシマが起こった。反原発は、思いつきで口にすれば出来るような生易しいことではないことも、高木さんの著者から分かる。だからこそ高木さんの苦労に報いるために、ささやかなブログながら、問題を指摘していきたい。
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Commented by ゆきりん at 2011-07-14 16:51 x
ご紹介ありがとうございます。
80年代当初は三里塚闘争に参加していたことでテロリスト扱いを
受けたり左翼活動の一つと思われたりさんざんな扱いだったよう
ですね。(科学史家の米本昌平さんも高木さんが偏見の目で見られた
あの時代の風潮にかなりお怒りでした。)宇井純さんによると本物の
左翼の親玉は環境問題なぞには全く興味が無かったようですが。
それにしてもその経験すら学びの場とする高木さんの精神の気高さは一体
どこから来るのか。「柳に雪折れ無し」とはこのような人を指すのでしょうね。

Commented by 小言幸兵衛 at 2011-07-14 18:47 x
当時の高木さんへの迫害、嫌がらせは相当ひどかったみたいですね。
しかし、原発立地地域の人々の苦悩を思い、周囲の圧力に屈指なかった。
その心の奥底には、ゆきりんさんご指摘の通り、“柔らよく剛を制す”という精神があったのかもしれません。
昨夜の“なでしこジャパン”に相通じるかな^^

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by koubeinokogoto | 2011-07-13 11:37 | 原発はいらない | Comments(2)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


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