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幸兵衛の小言

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あれから二年、各紙の社説を読む。

あれから二年・・・・・・。

 メディアでの大震災とフクシマに関する特集がここのところ増えている。実は、昨夜から当ブログのアクセスが異常に増えているのだが、どうも、私も見た「NHKスペシャル 3.11 あの日から2年 メルトダウン 原子炉"冷却"の死角」をご覧になった方が、「非常用復水器(イソコン)」で検索されて訪問された方が多いようだ。NHKサイト「NHKスペシャル」内の該当ページ

 他の番組でも登場しているのかもしれないが、たしかに「イソコン」で検索すると、結構上位に私が2011年12月18日の「NHKスペシャル」を見て書いた記事が並んでいる。2011年12月19日のブログ 
 この記事は、どちらかと言うと、その番組がフクシマを「人災」として誘導するような危険な香りを感じたので書いた。たしかに、イソコンが正常に稼働していれば、という歴史の「IF」は問われて良いかもしれないし、事実として人的ミスを含めて期待する機能は発揮されなかったが、そもそも、そういった装置が必要な巨大システム自体が問題なのである。決して、現場作業員の方の人的なミスが、問題の本質ではない。
 そういう意味では、見続けるのが辛くなってほんの少ししか見なかったが、あの時にヘリコプターで空から、給水車で地上から水をかけた人たちの英雄譚をドラマ化した番組が土曜にあったが、私には解せなかった。まだまだ、フクシマの英雄を語る時期ではないと思うし、もしドラマ化するにしても、違った視点が必要な気がした。特定の人や組織を過度に英雄扱いするのは、逆に特定の人や組織をスケープゴートにするのと同様、危険だと思う。


 二年の月日と、アベノミクスとやらによる景気上昇期待で、大震災からの復興がまったく停滞していること、フクシマは決して収束のメドが立っていないこと、などの危機感が薄くなっているように思う。

 新聞各社の今日の社説を眺めてみた。どの新聞が、この“記念日”に、本来忘れてはいけないことを指摘するのメディアなのか、あるいは風化の片棒を担ぐメディアなのかを、読み取りたいと思ったからだ。

 まず、東京新聞から。東京新聞の3月11日の社説

フィンランド「オンカロ」訪問のことから書き出されている。

 ことし一月、フィンランドのオンカロ(隠し場所)を取材した。使用済み核燃料を地中深くに埋設する世界初の最終処分場である。

 オンカロを運営するポシバ社の地質学者のトーマス・ペレさんが、その巨大な洞窟の道案内を務めてくれた。

 二〇二〇年ごろから核のごみを搬入し始め、八十年で処分と管理を終えて埋め戻し、入り口はコンクリートで固く閉ざして、元の自然に返すという。

◆ゼロベースで見直すと

 「地上には何の印も残さない。そこに何かがあるとは、誰も気付かないように。ここは忘れるための施設なんだよ」

 ペレさんのこの言葉こそ、忘れられるものではない。

 あれから二年、安倍政権には後戻りの風が吹いている。

 首相は一月の国会答弁で「前政権が掲げた『二〇三〇年代に原発ゼロ』の方針は具体的根拠を伴っていない。ゼロベースで見直す」と、脱原発の方針をあっさり打ち消した。

 先月末の訪米時には、ゼロ戦略の見直しと原発維持を、オバマ大統領に告げている。

 また施政方針演説では「妥協することなく安全性を高める新たな安全文化を創り上げます。その上で、安全が確認された原発は再稼働します」と、早期再稼働に意欲を見せた。

 安倍首相の発言に呼応して、霞が関も回帰を急ぐ。エネルギー基本計画を話し合う有識者会議から、脱原発派を一度に五人も追い出した。

 核のごみでは、前政権が打ち出した直接処分の検討を撤回し、使用済み燃料からプルトニウムなどを取り出して再び使う再処理を維持しようという動きもある。再処理を維持するということは、トラブルだらけの核燃料サイクル計画を続けていくということだ。


 最後は、オンカロの後で訪ねたデンマークの風力発電の取材記事を少しからめて、次のように締めている。

 オンカロを見学したあと、デンマーク南部のロラン島を訪れた。沖縄本島とほぼ同じ広さ、人口六万五千人の風の島では、至る所で個人所有の風車が回り、「エネルギー自給率500%の島」とも呼ばれている。

 デンマークは原発をやめて、自然エネルギーを選んだ国である。ロラン島では、かつて栄えた造船業が衰退したあと、前世紀の末、造船所の跡地に風力発電機のブレード(羽根)を造る工場を誘致したのが転機になった。

◆福島の今を忘れずに

 当時市の職員として新産業の育成に奔走した現市議のレオ・クリステンセンさんは「ひとつの時代が終わり、新しい時代への一歩を踏み出した」と振り返る。

 二度目の春、福島や東北だけでなく、私たちみんなが持続可能な未来に向けて、もう一歩、踏み出そう。そのためにも福島の今を正視し、決して忘れないでいよう。


 安倍政権による歴史の逆回転を牽制する点で、主張に正当性を感じる。

 さて、お次は「プロメテウスの罠」の朝日。朝日新聞の3月11日の社説
 フクシマの現場取材の件から書き始めている。

 記者を乗せたバスが東京電力福島第一原発の構内へ入る。

 周辺のがれきは片付き、新たな設備や機器が並ぶ。一見、ふつうの工事現場だ。

 ところが、海沿いの原子炉建屋に近づくと状況は一変する。

 水素爆発の衝撃で折れ曲がった巨大な鉄骨、ひっくり返った車——。1~3号機の周辺で測った放射線量は、毎時1ミリシーベルトを超えた。まだ人が入っての作業はできない。

 炉内は冷却を保っている。だが、建屋には毎日400トンの地下水が流入し、その分、汚染水が増え続ける。貯水タンクの増設でしのいでいるが、2年後には限界がくる。「収束」とはほど遠い現実がそこにある。

 防護服と全面マスクに身を包んだ人たちが黙々と働く。多くは、東電以外の協力会社や下請け企業の作業員だ。

 事故直後、命がけで対応にあたった人たちは「フクシマ50(フィフティー)」と世界から称賛された。

 いま、線量計をつけて働く作業員は1日約3500人。6割以上が地元・福島県の人たちだという。「フクシマ3500」の努力があって、私たちは日常の生活を送っている。



 この後、次のように続く。

■広がる孤立感

 原発周辺の町は先が見えず、苦しんでいる。

 浪江町復興推進課の玉川啓(あきら)さん(41)は、町の人と話す時、安易に「復興」という言葉を使わないようにしている。会話が進まなくなるからだ。

 「復興」には、災害そのものは終わったという語感がある。「しかし、避難している人たちにとって事故はまだ現在進行形なんです」。住民は今、約600の自治体に分散する。

 被災者には孤立感が広がる。

 福島市内の仮設住宅に移った双葉町の60代の男性。東京に住む娘に近い埼玉県に戸建てを買い、終(つい)の住み家にしたいと思うが、東電が提示する賠償金ではまったく足りない。

 福島県内とされる「仮の町」にも行くつもりはない。「放射能を気にして孫も来ないようなところでは意味がない」

 新しい町長にも、議会にも期待はしていない。「誰を選んでも何を訴えても、そこから先に届かないもの」

 原発が立地する他の自治体との距離も開くばかりだ。

 自民党本部で2月15日、原発のある道県の議会議長を招いた調査会が開かれた。相次ぐ「原発の早期再稼働を」の声に、福島県の斎藤健治議長は「これ以上、一緒に議論できない」と途中で席を立った。

 大震災の前までは、福島第一に原子炉の増設を求めるなどバリバリの原発推進派だった。

 「『原発は必要』という人ほど事故後の福島を見に来ない。会合の場でも言ったよ、自分で3号機の前に立ってみろって。そしたら再稼働なんて簡単に言えなくなる」



 福島県議会斎藤議長の次のコメントは、なかなか結構だった。
「『原発は必要』という人ほど事故後の福島を見に来ない。会合の場でも言ったよ、自分で3号機の前に立ってみろって。そしたら再稼働なんて簡単に言えなくなる」
 まず、自民党の全大臣は、フクシマの現場に行き、自分達が進めてきた人間の管理能力を超えた巨大システムの末路を、よく見るべきだろう。
 朝日には「プロメテウスの罠」も、しっかり続けてもらいたい。

 次は毎日。毎日新聞の3月11日の社説
 書き出しは、朝日と同じような、現在のフクシマの現場に関した内容。その後に、こう続く。

 安倍晋三首相は、民主党政権が掲げた「2030年代に原発ゼロ」という目標を見直すという。経済界を中心に早期の原発稼働を望む声も強まる。しかし、「原発ゼロ」からの後退は認められない。再出発する原子力政策の起点は、あの事故であることを忘れてはならない。 未来にツケを回すな 福島第1原発では、溶け落ちた核燃料を冷やすための注水が続く。建屋からは放射能に汚染された水が毎時30~40トンも排出される。汚染水は敷地内のタンクに貯蔵される。東電はタンク増設を計画しているが、それもあと2年あまりで満杯になる。

 水素爆発で建屋の上部が吹き飛んだ4号機は、1500本余りの使用済み核燃料を入れたプールが露出している。プールから燃料を取り出す作業は11月にも始まるが、敷地内に一時貯蔵した後の処分方法は決まっていない。

 こうした問題は、原発が抱える矛盾そのものだ。原発を稼働させるのであれば、放射性廃棄物の処分問題は避けて通れないはずだ。

 安倍政権は、使用済み核燃料の再処理を国策として継続するという。しかし、再処理して原発の燃料にする「核燃料サイクル」は行き詰まっている。

 日本原燃が青森県六ケ所村に建設中の再処理工場は、10月に完成予定だが、トラブル続きで工期は19回も延期されてきた。再処理で取り出したプルトニウムを使うはずの高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)も、トラブルで止まっている。技術や安全性、コストを考えれば核燃サイクルには幕を引くべきだ。

 高レベル放射性廃棄物は、地下数百メートルの安定した地層に埋める考えだ。しかし、放射能が十分に下がるまでの数万年間、地層の安定が保たれるかは分からない。原子力発電環境整備機構が最終処分地を公募しているが、応じた自治体はない。

 その結果、全国の原発には行き場のない使用済み核燃料がたまり続けている。未来にこれ以上「核のごみ」というツケを回さないためにも、できるだけ速やかな「脱原発依存」を目指すべきだ。


 意外、と言えば毎日に失礼だが、実に真っ当な主張だ。

 次は、読売。読売新聞の3月11日の社説

 前半は、避難生活者の数字的な実態を並べ、復興が進んでいないことを指摘。その後、このように続いている。

◆復興庁の責任は重大だ

 巨額の復興費の消化率が低い実態は看過できない。岩手、宮城、福島の3県と34市町村で、約1・4兆円が今年度中に予算執行できず、新年度に繰り越される。

 復興住宅などの事業用地買収が難航したり、利益の薄い工事を業者が敬遠して入札が不調だったりしているためだという。

 岩手、宮城両県の沿岸部では、がれきの撤去は進んだものの、津波で地盤沈下した土地のかさ上げや防潮堤建設などの工事に着手できていない地域が多い。

 この上、時間を浪費すれば、被災地の再生は遅れるばかりだ。

 司令塔機能を発揮すべき復興庁の責任は重い。各自治体との連携を一層強化し、被災地対策を主導する必要がある。

 復興庁が最近、復興交付金の使途を広げ、漁業集落の跡地のかさ上げなどにも使えるようにしたのは妥当だ。工事の停滞を解消し、復興予算執行のスピードを上げなければならない。

 被災地には、過疎の市町村が多く、その場所にすぐに活気を取り戻すのは容易ではない。

 かつて大地震と津波で被災した北海道奥尻島では、住民の高台移転などで多額の復興費が投じられた。しかし、その後は人口の減少に直面している。

 東北の被災地も、奥尻の教訓を生かす必要があろう。

 青森市、富山市などでは、住民を一つの地域に集め、病院や学校、郵便局も整備して利便性を高める事業を進めている。「コンパクトシティー」と呼ばれる。

 被災地の過疎対策への応用も検討に値するのではないか。

 安倍首相は、「復興は日本経済再生と並ぶ最重要課題だ。一日も早く結果を出すことで信頼を得たい」と強調している。復興なくして、首相が掲げる「強い経済」は実現できないだろう。

 ◆問われる具体的成果

 政府は今月6日、復興策を点検し、首相に改善を提言する有識者会議「復興推進委員会」のメンバーを大幅に入れ替えた。6月をめどに中間報告をまとめる。

 民主党政権が策定した現行の国の復興計画には、被災地の実情に照らすと、見直すべき点が多々あるだろう。復興の遅れは何が原因か。新たにどのような施策が必要か。東北の再生につながる提言をまとめてもらいたい。

 大震災から3年目に入り、求められているのは、具体的な行動と成果である。

 首相の決意通り、復興を加速させることが政府の使命だ。


 原発のことを触れずに書くには、「復興」しかなかったのかもしれない。冒頭に

 亡くなった人は1万5881人、行方不明は2668人に上る。

 避難生活を送る被災者は31万5000人を下らない。うち約16万人が、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きた福島県の避難者である。


 と書いておきながら、福島県の16万人の避難者の方にとって、この社説が心に響くものがあるとは、到底思えない。なぜ避難者の半数の方が福島県の方か、ということを辿る上で必然的な言葉である原発の「げ」の字も、後半には登場しない。この新聞の原発推進・擁護の姿勢は不変だ。

 産経は、社説ではなく「主張」。さすが、安倍自民党の機関紙的な始まり方である。
産経新聞の3月11日の「主張」

 この2年、復興の歩みはあまりに遅すぎた。

 民主党政権のもと、政治家は保身と権力争いに奔走し、官僚組織の硬直化を招いた。それが被災自治体の手足を縛り、初動を遅らせた。発災当時の首相を起点とする「負の連鎖」といえるだろう。

 昨年末の政権交代後、安倍晋三首相は、強い権限を持つ「福島復興再生総局」を新設した。

 復興庁の司令塔機能の強化、現地采配の効果が表れるのはこれからだが、復興に取り組む意思と実行力を示し、被災者が前を向く環境に変えた。ようやく「原点」に立った感がある。



 次の「主張」は風評被害。

岩手、宮城、福島の東北3県の自治体では仙台市などを除いて人口減少に歯止めがかからない。仮設や民間の賃貸住宅で避難生活を送る人も31万人以上いて、1年前(約34万人)からそれほど減っていない。原発周辺の福島の被災者は、住み慣れた土地に帰還することすら、まだかなわない。

 こうした人々を支えるために、実践すべきことがある。まず風評被害の根絶だ。福島の農水産物は厳格な安全基準と検査を経て、市場に流通している。だが、売れない。放射線に対する拒絶反応が肥大しているからだ。さらに国は、年間1ミリシーベルトまで除染するという非現実的な目標も掲げている。

 風評の範囲は東北全県や茨城にも及ぶ。震災がれきの受け入れ拒否も、根っこは同じだ。過剰な自己防衛が被災者を傷つけていることを認識すべきだろう。



 締めでは、「教訓」を学び、正しく「継承」することを訴えている。

 気象庁は今月7日から、新しい津波警報の運用を始めた。大震災を教訓に、津波の規模が過小評価にならないよう改善し、避難行動を強く促すこととした。

 しかし住民の避難意識が低下すると、命を守るための警報が「オオカミ少年」的な情報になる恐れがある。システムやマニュアルは、いずれ形骸化する。

 今世紀前半に発生する可能性が高い南海トラフ(浅い海溝)の巨大地震は最悪の場合、「東日本大震災を上回る被害が発生し、国難ともいえる巨大災害になる」(中央防災会議)とされる。東日本と同じ海溝型地震で、最大級でなくても津波は起こる。首都直下地震にも備えなくてはならない。

 「3・11」の記憶は、列島を今後襲う巨大地震、津波を乗り切るために不可欠な日本の財産だ。一人一人が重い教訓に学び、正しく継承したい。


 自民党機関誌が、反原発、脱原発を語るわけもないが、見出しを含め「風評被害」を主役にするという点、最後の精神論的な締めくくり方が、ある意味この新聞の特徴とも言えるのだろう。

 日経は昨日と今日、上下に分けて社説を掲載しているが、その11日の内容から引用。
日経の3月11日の社説

廃炉へ次の目標示せ

 前政権が「原発敷地内で事故は収束した」と宣言してから1年3カ月。福島原発の状況に大きな進展はなく、むしろ廃炉への道のりの険しさを浮き彫りにした。

 原子炉を冷やし続けるには大量の水を循環させる必要があり、毎日400トンもの汚染水が生じる。それをためるタンクが林立し、大雨などで敷地外に漏れる懸念も消えない。溶けた核燃料や建屋に残る使用済み核燃料を安全に取り出す技術の開発も手探りが続く。

 廃炉は40年間に及ぶ長期戦になり、炉の冷却が不要になる時期も見通せない。それだけに、2~3年先に達成可能な目標が要る。それがないと、避難を強いられた住民は将来への不安を拭えない。被曝(ひばく)と闘いながら懸命に働く3千人の原発作業員の士気を保つためにも、政府と東電は新たな目標を示すべきだ。

 汚染水対策では放射能をできるだけ除いて量を減らす。核燃料の取り出しでは遠隔操作やロボットを最大限活用する。これらの技術の確立に全力を挙げるときだ。国産技術にこだわらず、海外の知恵ももっと活用すべきだろう。

 廃炉の費用も数兆円規模に膨らむとみられ、東電にとって負担は重い。福島で培った技術を国内外の他の原発の廃炉にも活用することを考え、政府と東電で費用の分担を真剣に探ってほしい。

 周辺地域の除染も、現実を踏まえた計画の練り直しが必要だ。

 原発から20~30キロメートル圏の田村市や楢葉町などでは昨年4月以降、警戒区域が順次解除された。住民は一時的に帰れるようになったが、除染が本格化しているのは一部の地域にとどまる。

 最初に警戒区域が解かれ、村民の4割が戻った川内村は「2年間で住民の被曝量を半減(子どもは6割減)する」との目標を掲げ、独自の除染計画を作った。まず居住地とそれに近い森林、農地の順に除染し、学校や病院など施設ごとに優先順位もつけた。

 こうした例は他の自治体にも参考になる。国は除染の目標として「(他の地域と同じ)放射線量年1ミリシーベルトに下げる」としたが、目標が高すぎて逆に足かせになっている面がある。段階的な目標を立て、達成状況を点検しながら除染できるよう、国が定期的な放射線計測の体制を整えるべきだ。


 基本的には産業界応援団的な新聞だろから、原発のことは避けるかと思っていたが、廃炉についての主張は、意外だった。しかし、避難地域の放射線量については、あくまで傍観者的なスタンスでの記事で、決して年間1ミリシーベルト堅持、を主張しているわけではない。
 しかし、それを言ったら、東京も朝日も、20ミリシーベルトという避難基準について、今日の社説では触れていないなぁ。「1ミリシーベルトでは避難地域が拡大するから20ミリシーベルト」という政治的な論理は、間違っていると言うべきだろう。ロシア・ウクライナ・ベラルーシといったチェルノブイリを経験した国の基準を踏まえることが優先されなければ、大事故からなんら教訓を得ていないということだ。

 あらためて書くが、チェルノブイリ事故後にソ連(正確にはロシア・ウクライナ・ベラルーシ)で設定された避難基準には2段階あって、一つは公衆被曝の1mSv/年を超えると「移住権利」が発生する。もう一つ5mSv/年を超える場合、「移住義務」になる。 
 原子力規制委員会が通そうとしている避難基準は、政府が定めた20mSv/年であり、チェルノブイリ地域の「移住権利」の20倍、「移住義務」の4倍だ。。

 「故郷に帰りたい」という思いに、「ここは帰れます」と国がお墨付きを与えれば帰る人は多いだろう。しかし、帰った子供達が将来被るかも知れない放射線被害について、チェルノブイリの尊い犠牲を生かさなかった現政権の為政者たちやマスコミ、本来責任を取る者達は、その時にはそこにいない。

 問われているのは、将来を見越した現在の政治とメディアである。常に、あの大震災とフクシマを風化させようとする動きに注意をしていきたい。それが、今生きている日本人の責務でもあると思う。
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by koubeinokogoto | 2013-03-11 19:14 | 原発はいらない | Comments(0)

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by 小言幸兵衛