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幸兵衛の小言

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スリーマイル島事故から34年—教訓としていたらフクシマはなかった!

フクシマが起こる前に、自国の原発運営のため、あるいは原発の存続の有無の判断に関して、もっと深く検証すべき原発大事故事例は、言うまでもなくスリーマイル島とチェルノブイリだが、最初の「メルトダウン」事故のスリーマイルから、早や34年が経過した。

 京都大学原子炉実験所のサイトに「米国スリーマイル島原発事故の問題点-事実が示した原子力開発の欠陥-」というレポートが掲載されている。
京都大学原子炉実験所サイト内の該当資料

 事故が1979年3月28日、このレポートは6月に書かれている。

 レポートより、執筆者の顔ぶれを確認。
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 原子炉実験所のある大阪府泉南郡熊取町に由来した、“熊取六人衆”の名が並ぶ。

 しかし、フクシマが起こってから有名になどなりたくなかった、というのが小出さん達六人の本音に違いない。できるものなら、日本から原発がなくなる歴史の中で、さりげなく彼らの名前が残れば良かった、とご本人たちは思っているのではなかろうか。

 このレポートは、物理的な側面と人為的な面も含め、事故発生後三か月にしては、非常に適切な分析がされており、次のようにまとめられている。
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“新たな安全審査の体制が確立するまで停止するのが物事の順序”という提言は、自民政権を含む当時の原子力ムラからは、まったく無視された。

 もちろんスリーマイル島事故の検証はアメリカの然るべき組織であるNRC(アメリカ原子力規制委員会)でも行われ、改善命令も出されているのだが、当時のNRCはアメリカの原子力ムラの意向を元に、“人災”を強調し、人間の管理能力を超える巨大で危険なシステムそのものの問題を指摘することはなかった。

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 34年前のスリーマイル島事故に関し、当時の日本の原子力ムラは、「原発のタイプが違うから、日本は大丈夫」とか、「日本人スタッフは優秀で訓練されており、あのようなミスは起こさない」などと“安全神話”を上塗りしていた。

 しかし、真っ当な提言を無視したためにフクシマは起こった。

 さて、「熊取六人衆」と同様、いやそれ以上に、フクシマ後に自分の名が知れ渡った歴史の皮肉に、雲の上で心を痛めているだろうと察するのが、高木仁三郎さんだ。
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高木仁三郎著『原子力神話からの解放』

 以前にも紹介したが、高木仁三郎さんの『原子力安全神話からの解放-日本を滅ぼす九つの呪縛-』(講談社+アルファ文庫、初版は2000年発行の光文社カッパ・ブックス)から、引用したい。

「多重防護システム」で放射能は閉じ込められるのか
 原子力の安全神話を形成してきた考え方、いまだに言われるその基礎をなす考え方というのはどういうことなのか、また、原子力の安全とはどのように確保されているのかを、ここであらためて見ておきましょう。
 まず、注意が必要なのですが、原子力の安全という場合に問題となるのは、原子力システム全体というよりは、今まで、原子力発電所の安全性にほとんど問題がしぼられてきていた、ということです。しかも、工学的設計上の安全という点に問題がしぼられてきました。一連の動燃の事故とかJCO事故を踏まえて今日の実態を見ると、原子力発電所の中だけに目を向ける、しかも工学的システムの成り立ちだけに目を向ける安全の議論の仕方というのは、いかにも視野が狭いということがわかっていますけれども、とりあえずこの問題を考えてみます。
 ふつうに考えると、たしかに原子力発電所に最大の放射能が集中するわけですから、それが安全上のポイントであることは間違いありません。ただ、その安全性というんほは、多重防護という考え方によって担保されるんだ、と言われてきました。多重防護というのは、深層防護とも言われ、もともとは英語の“Defense in depth”という軍事的な観念からきています。


 この“Defense in Depth”という考え方が、今後の安全基準にも求められるはずなのだが、規制委員会は、どんどん本性を露呈しはじめ、まったく薄っぺらな規準や対策になる危険性がある。

 「多重防護」の危うさについて高木さんは次のように指摘する。

たった一つの要因で、防護システムが総崩れになることもある
 まず、第一の壁と言われる燃料ペレットだとか、第二の壁の被覆管などというのは、ちょっとしたことがあれば、かなり頻繁に壊れることがあって、大きな事故を考えたら、これらはほとんど何の役にも立ちません。
 いちばん肝心なのは第三の壁、原子炉容器(圧力容器)の健全性ですが、この原子炉容器が爆発し、これが吹っ飛ぶようなことがあれば、その外側にある第四の壁、格納容器もまずもたないでしょう。第五の壁、原子炉の建屋に至っては、放射能という観点からみれば、かなりスカスカにできていて、役に立たないというのが実状だと思います。比較的客観的に公正に言えば、原子炉容器と格納容器の二つは、それなりに放射能を閉じ込められる容器として、かなり強固に作られています。しかし、かつてチェルノブイリ事故のように、これが一気に吹っ飛ぶこともあるし、スリーマイル島事故でも、この健全性がかなりの程度に傷つけられました。
 スリーマイル島の原発事故では、たとえば圧力容器は底にひび割れまで起こしたけれども、かろうじて大破壊までは至りませんでした。きわめてきわどいところまでいったけれども、幸運にもそこで止まり、このおかげで大惨事にはならなかった事故だったという気がします。そうしたことからも、この五重の壁は考えられているほどに意味がない、つまり五重であることの意味はないように思います。


 スリーマイル島とチェルノブイリ、そしてJCO事故を経て指摘された正論に、原子力ムラは、まったく耳を貸さなかった。

 原発賛成か反対か、という二元論をいったん棚に置いて、“Defence in Depth”という観点で直近の原発安全対策を考えると、フクシマ後でさえ、まったく浅いものであるのは明白である。なぜ、二年間も「仮」の配電盤のままだったのか、を振り返るだけで良いだろう。“小動物によるショート”は、想定して然るべきものであり、あと五~六日冷却活動が止まっていたらと思うと、ゾッとする。

 そして、新たな“原子力規制委員会”の活動を見ていると、とても彼らが“Defense in depth”という観念で仕事をしているようには見えない。どんどん原子力ムラの勢力に捲き込まれていると危惧している方は多いだろう。

 しかし、安倍自民党は、脱原発とは言わない。“アベノミクス”に浮かれているマスコミも、もちろん脱原発路線について、及び腰になってきた。

 フクシマのことを忘れてはならない、ということは、スリーマイル島の事故に学べなかった愚かな民族がいたことを忘れてはならない、という意味も持つだろう。もちろん、もうじき事故から27年が経過するチェルノブイリにも学ぼうとしていない。
 くどいようだが、避難基準の年間20ミリシーベルトがまかり通っているが、とんでもないことだ。これは、4月26日の前後に書くつもりでいる。


 スリーマイルの「メルトダウン」の教訓を真摯に受け止め、高木仁三郎さんや“熊取六人衆”の提言に従っていれば、フクシマはなかったはずだ。

 愚かな過ちは繰り返してはならない、そう肝に銘じる記念日が、今月と来月は続く。
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by koubeinokogoto | 2013-03-28 07:32 | 原発はいらない | Comments(0)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


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