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幸兵衛の小言

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58年前の“アインシュタインの遺言”を生かすことが現代人の課題だ!

 1955年の7月9日は、世界に誇る二人の偉人の名で、核兵器廃絶と戦争廃絶を訴えるメッセージが発表された日である。

 米ソが原爆のみならず水爆実験を行い、あの第五福竜丸の被爆が全世界のニュースとなった次の年、イギリスの哲学者で論理学者、数学者でもあるバートランド・ラッセルと、アルベルト・アインシュタインが中心となり、ロンドンにて当時の第一級の科学者ら11人の連名で核兵器廃絶、戦争の廃絶と科学技術の平和利用を訴えた宣言が「ラッセル・アインシュタイン宣言」である。

 この宣言が公開される約三か月前1955年4月18日にアインシュタインが没しており、この宣言への署名は死の一週間前だったらしい。よって、この宣言は“アインシュタインの遺言”とも言われている。

 この宣言から二年後1957年にカナダのパグウォッシュ村で科学者の会議が開催され、日本からは、湯川秀樹、朝永振一郎等が参加した。その後、この会議は第一回目の開催地の名で開催されるようになった。

 「宣言」の日本語全文を、「日本パグウォッシュ会議」のサイトから引用したい。
「日本パグウォッシュ会議」のサイト

ラッセル・アインシュタイン宣言(1955)

人類が直面している悲劇的な情勢の中、科学者による会議を召集し、大量破壊兵器開発によってどれほどの危機に陥るのかを予測し、この草案の精神において決議を討議すべきであると私たちは感じている。

私たちが今この機会に発言しているのは、特定の国民や大陸や信条の一員としてではなく、存続が危ぶまれている人類、いわば人という種の一員としてである。世界は紛争にみちみちている。そこでは諸々の小規模紛争は、共産主義と反共産主義との巨大な戦いのもとに、隠蔽されているのだ。

政治的な関心の高い人々のほとんどは、こうした問題に感情を強くゆすぶられている。しかしもしできるならば、皆ににそのような感情から離れて、すばらしい歴史を持ち、私たちのだれ一人としてその消滅を望むはずがない 生物学上の種の成員としてのみ反省してもらいたい。

私たちは、一つの陣営に対し、他の陣営に対するよりも強く訴えるような言葉は、一言も使わないようにこころがけよう。すべての人がひとしく危機にさらされており、もし皆がこの危機を理解することができれば、ともにそれを回避する望みがあるのだ。

私たちには新たな思考法が必要である。私たちは自らに問いかけることを学ばなくてはならない。それは、私たちが好むいづれかの陣営を軍事的勝利に導く為にとられる手段ではない。というのも、そうした手段はもはや存在しないのである。そうではなく、私たちが自らに問いかけるべき質問は、どんな手段をとれば双方に悲惨な結末をもたらすにちがいない軍事的な争いを防止できるかという問題である。

一般の人々、そして権威ある地位にある多くの人々でさえも、核戦争によって発生する事態を未だ自覚していない。一般の人々はいまでも都市が抹殺されるくらいにしか考えていない。新爆弾が旧爆弾よりも強力だということ、原子爆弾が1発で広島を抹殺できたのに対して水爆なら1発でロンドンやニューヨークやモスクワのような巨大都市を抹殺できるだろうことは明らかである。

水爆戦争になれば大都市が跡形もなく破壊されてしまうだろうことは疑問の余地がない。しかしこれは、私たちが直面することを余儀なくされている小さな悲惨事の1つである。たとえロンドンやニューヨークやモスクワのすべての市民が絶滅したとしても2、3世紀のあいだには世界は打撃から回復するかもしれない。しかしながら今や私たちは、とくにビキニの実験以来、核爆弾はこれまでの推測よりもはるかに広範囲にわたって徐々に破壊力を広げるであろうことを知っている。

信頼できる権威ある筋から、現在では広島を破壊した爆弾の2500倍も強力な爆弾を製造できることが述べられている。もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、放射能をもった粒子が上空へ吹き上げられる。そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。日本の漁夫たちとその漁獲物を汚染したのは、この灰であった。そのような死をもたらす放射能をもった粒子がどれほど広く拡散するのかは誰にもわからない。しかし最も権威ある人々は一致して水爆による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。もし多数の水爆が使用されるならば、全面的な死滅がおこる恐れがある。——瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数のものはじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊してゆく。

著名な科学者や権威者たちによって軍事戦略上からの多くの警告が発せられている。にもかかわらず、最悪の結果が必ず起こるとは、だれも言おうとしていない。実際彼らが言っているのは、このような結果が起こる可能性があるということ、そしてだれもそういう結果が実際起こらないとは断言できないということである。この問題についての専門家の見解が彼らの政治上の立場や偏見に少しでも左右されたということは今まで見たことがない。私たちの調査で明らかになったかぎりでは、それらの見解はただ専門家のそれぞれの知識の範囲にもとづいているだけである。一番よく知っている人が一番暗い見通しをもっていることがわかった。

さて、ここに私たちが皆に提出する問題、きびしく、恐ろしく、おそらく、そして避けることのできない問題がある——私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?人々はこの二者択一という問題を面と向かってとり上げようとしないであろう。というのは、戦争を廃絶することはあまりにもむずかしいからである。

戦争の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう。しかし、おそらく他のなにものにもまして事態の理解をさまたげているのは、「人類」という言葉が漠然としており、抽象的だと感じられる点にあろう。危険は単にぼんやり感知される人類に対してではなく、自分自身や子どもや孫たちに対して存在するのだが、人々はそれをはっきりと心に描くことがほとんどできないのだ。人々は個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということがほとんどつかめていない。そこで人々は、近代兵器さえ禁止されるなら、おそらく戦争はつづけてもかまわないと思っている。

この希望は幻想である。たとえ水爆を使用しないというどんな協定が平時にむすばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争が起こるやいなや双方とも水爆の製造にとりかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側はかならず勝利するにちがいないからである。軍備の全面的削減の一環としての核兵器を放棄する協定は、最終的な解決に結びつくわけではないけれども、一定の重要な役割を果たすだろう。第一に、およそ東西間の協定は、緊張の緩和を目指すかぎり、どんなものでも有益である。第二に、熱核兵器の廃棄は、もし相手がこれを誠実に実行していることが双方に信じられるとすれば、現在双方を神経的な不安状態に落とし入れている真珠湾式の奇襲の恐怖を減らすことになるであろう。それゆえ私たちは、ほんの第一歩には違いないが、そのような協定を歓迎すべきなのである。

大部分の人間は感情的には中立ではない。しかし人類として、私たちは次のことを銘記しなければならない。すなわち、もし東西間の問題が何らかの方法で解決され、誰もが——共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人であろうとヨーロッパ人であろうと、または、アメリカ人であろうとも、また白人であろうと黒人であろうと——、出来うる限りの満足を得られなくてはならないとすれば、これらの問題は戦争によって解決されてはならない。私たちは東側においても西側においても、このことが理解されることを望んでいる。

私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識の絶えまない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか?私たちは、人類として、人類に向かって訴える——あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。

決議

私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、つぎの決議に署名するようすすめる。

「およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続をおびやかしているという事実からみて、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然とみとめるよう勧告する。したがってまた、私たちは彼らに、彼らのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段をみいだすよう勧告する。」

1955年7月9日 ロンドンにて
マックス・ボルン教授(ノーベル物理学賞)
P・W・ブリッジマン教授(ノーベル物理学賞)
アルバート・アインシュタイン教授(ノーベル物理学賞)
L・インフェルト教授
F・ジョリオ・キュリー教授(ノーベル化学賞)
H・J・ムラー教授(ノーベル生理学・医学賞)
ライナス・ポーリング教授(ノーベル化学賞)
C・F・パウエル教授(ノーベル物理学賞)
J・ロートブラット教授
バートランド・ラッセル卿(ノーベル文学賞)
湯川秀樹教授(ノーベル物理学賞)



 この宣言に署名した湯川秀樹は、「原子力の平和利用」という詐欺まがいの謳い文句で、時の政府が原発を推進しようとするために設立した科学技術庁傘下の原子力委員会の委員として、政治の世界に巻き込まれた。
 その科学技術庁のトップは、「原子力大臣」と自称した正力松太郎だった。

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三宅泰雄著『死の灰と闘う科学者』(岩波新書)

 2011年4月に、まだ重版されていなかった三宅泰雄著『死の灰と闘う科学者』を元に、日本の原発行政の「あの時」を紹介したので、あらためて引用したい。
2011年4月13日のブログ

原子力大臣の出現 
 このときの内閣総理大臣は鳩山一郎氏(第三次)であった。閣僚の一人に正力松太郎氏がいた。正力氏は入閣をもとめられたさい、防衛大臣のポストをあたえられようとしていた。しかし、彼は「原子力大臣ならやる」と自ら原子力担当大臣を買って出た。
「彼(鳩山総理)はキョトンとした。“原子力って何だね”総理大臣が知らないのも無理はない。この時初めてわが国政府機構の中に原子力を中心とする科学技術全般を専管する大臣のポストが決り、その本格的政治が動き出したのだった」と正力氏はのちに、こう書いている(『原子力開発十年史』)。
 現代国家の総理大臣ともあろう人が「原子力」を知らないとは、おそれいった次第だが、それを「無理もない」とする正力氏にも問題がありそうだ。アイゼンハワー大統領が、「原子力を平和へ」の大演説を国連総会でおこなったのは、すでに二年も前のことであった。また、1954年の国連総会は、最大の政治的課題として、原子力平和利用の決議を採択した。1955年8月には、ジュネーブで国連主催の原子力平和利用会議が開催されたばかりであった。
 正力氏は翌年(1956年)1月1日に発足した原子力委員会の初代委員長になった。ついで、その年の5月19日にスタートした科学技術庁の初代長官のポストにおさまった。原子力委員会の委員の人選のさい、学術会議原子力問題委員会委員長藤岡由夫博士を、委員にすることに、正力氏はきわめて消極的であった。しかし、彼はノーベル賞受賞の湯川秀樹教授(京都大学、物理学)を入れて、委員会を内外ともに権威づけようとした。それとひきかえに、しぶしぶ藤岡氏の委員就任を承諾したのであった。
 藤岡博士の背後にある日本学術会議が、正力氏らが考えているような、原子力政策を、真向から批判することは目に見えていた。それが藤岡博士を忌避した理由である。しかし、懇請のすえ、ようやく入ってもらった湯川教授は、性急に輸入によって原子力発電を実現させようとする正力氏の意見との間に、本質的な相違を感じた。湯川教授は、はやくもその四月には辞表を出し、病気欠席のまま、翌年(1957年)には正式に辞任した。こんなことなら、面倒をかける大学人とは、むしろこちらから縁をきりたいと正力氏が考えたのは、当然のことであろう。
 すでに原子力委員会は、大学とは公式交流はしないことになっていた。委員の中には、社会党からの推せんをうけて、有沢広巳教授(東京大学、経済学)が入っていた。委員就任のさい、矢内原総長から、原子力委員会が大学の自治をおかさぬという約束をかたくなに守るようにいわれていたことは、いうまでもないことであった。
 科学技術庁設置法案を起草するにあたって、大学との絶縁状を法文化し、「こちらから」積極的に大学との縁をきろう、という一石二鳥の妙案が、正力氏はじめ、政府高官の間で練られていたことは、たしかなことである。



 1955年7月という時期を考えると、「ラッセル・アインシュタイン宣言」が、同年8月にジュネーブで予定されていた国連主催原子力平和利用会議を意識したものと察せられる。「平和利用」という言葉の欺瞞性をラッセルとアインシュタインも、そして他の署名した科学者もよく分かっていたからこその意思表明だったのだろう。

 それにしても、当時の総理大臣鳩山一郎の原子力に対する“感度”の低さには、情けないほど呆れてしまう。この“感度”の低さは、彼の孫にも引き継がれているようだ。

 湯川秀樹が、「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名した後に参加した原子力委員会で、正力委員長の独断専行でアメリカからの輸入による原子力発電所の早期建設という動きに抵抗して委員を辞任した行動は、よく分かる。しかし、いくらノーベル賞受賞者にしても、残念ながら、正力が進める原子力政策について歯止めをかけることは出来なかった。

 原子力委員会と科学技術庁が発足した昭和31(1956)年当時、鳩山一郎は73歳、正力は二歳年下の71歳と年齢は近い。しかし、政治家としてのキャリアは、正力が前年昭和30年の選挙で富山二区から立候補して初当選したばかり。政治家年齢なら、大人と子供の開きがあったと思うが、昭和28(1953)年に日本テレビ開局によって波に乗る正力と、三年後の昭和34年3月に亡くなった鳩山とでは、心身ともに勢いの違いがあったのかもしれない。

 正力松太郎が、自らの読売グループを最大限に原発の広報部門として活用した過去と、現在の安倍政権と読売や産経との関係を比べると、まさにデジャブ(既視感)に襲われる。


「ラッセル・アインシュタイン宣言」は、まったく色あせてはいない。

“戦争の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう。しかし、おそらく他のなにものにもまして事態の理解をさまたげているのは、「人類」という言葉が漠然としており、抽象的だと感じられる点にあろう。危険は単にぼんやり感知される人類に対してではなく、自分自身や子どもや孫たちに対して存在するのだが、人々はそれをはっきりと心に描くことがほとんどできないのだ。人々は個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということがほとんどつかめていない。そこで人々は、近代兵器さえ禁止されるなら、おそらく戦争はつづけてもかまわないと思っている。
この希望は幻想である”


 ラッセルやアインシュタイン、そして当時の世界を代表する科学者が「核の廃絶、戦争の放棄」を強調したのは、まさに“地球市民”としての視点からだったと思う。

 しかし、まだ地球には戦争も核兵器も残ったままである。

 そして、現在の日本。
 戦争廃絶どころか、憲法改正をして、“自前の軍隊で戦争ができる”ことを目指すことは、58年前のアインシュタインの遺言を、まったく無視した蛮行である。そして、原発を再稼動させることで原発自体が持つ人類と地球環境へ与える危険性に加え、テロにより核兵器として悪用される脅威も拡大する。

 日本の原発のテロ対策については、ほとんど無防備と言ってよいと思う。
 朝日新聞が「プロメテウスの罠」シリーズでも主張してきたことだが、もっとテロ対策を強化しておけば、フクシマは防げたという指摘がある。
「朝日新聞」サイトの該当記事


2013年7月2日0時37分
(核リポート)原発テロ対策 「不作為」の重い責任

【編集委員・前田史郎】日本ではテロなど起こるはずがない。そう思いこんで「無策」の連鎖を続けていた——。原子力規制に携わる官僚や事業者の感覚は、おおむねそんなものだったのではないか。「プロメテウスの罠(わな)」で、原発のテロ対策について連載した。関係者の証言から見えたのは、危機感の低さと先送り体質だった。

(プロメテウスの罠) テロ大丈夫か 一覧
     ■

 取材を始めたのは、ある米国人の言葉がきっかけだ。

 「もし日本がテロ対策をとっていれば、福島第一原発の被害は軽減されていた」

 震災から約半年後、米原子力規制委員会(NRC)のニルス・ディアズ元委員長が来日し、多くの日本人の前で語った。

 米のテロ対策とは、原子炉が自爆テロなどで全電源を失っても最低限、冷却機能を保てるようにすること。たとえば非常用電源や遠隔操作できる施設の設置、複数のポンプ、配管類を備えておくことだ。

 いずれも福島の事故対応で役立った可能性が高い。

 もちろん人為的な攻撃と自然災害による被害は違う。しかし、米国は9・11をきっかけに原発の弱点を見抜き、備えた。緊張感をもってテロの脅威と向き合っていたからだろう。

 NRCは危機感を日本と共有するため、旧原子力安全・保安院に2度も情報提供した。その情報は組織のなかで埋もれ、何の対策もとられないまま3・11を迎えてしまった。



 アインシュタインやラッセル、そして湯川秀樹といったノーベル賞受賞者たちは、天国からどんな目で地球を眺めているだろうか。

 「まだまだ、地球市民は“青い”なぁ」と、ガガーリンが表現した“色”ではなく、その未熟性を嘆いているに違いない。


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by koubeinokogoto | 2013-07-09 00:17 | 原発はいらない | Comments(0)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


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