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幸兵衛の小言

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尖閣諸島の国有化で、どんな「国益」を目指したのか?

中国との領土問題が深刻化している。すでに“死に体”の野田ドジョウ政権が、ほぼ最後のあがきで犯した失態であり、国家に大きな損害をもたらす罪である。

 なぜ、「国有化」を宣言する必要があったのか。そして、そうした場合に中国がどう反応するかを、十分に検討したのか。

 野田ドジョウ政権は、感覚的には、石原伸晃と同じような“ノー天気”さで失態を招いたとしか思えない。「中国は攻めてこない」というのは、武力で戦争になることはない、ということしか考えず、政治と経済で“攻められる”ことへの配慮がなさすぎる。外務省を含む官僚は、いったい何を考えていたのか。あるいは、どう政治家をサポートしたのか、いや、なぜブレーンとして補佐できなかったのか。

 以前にも紹介したが、藤原正彦著『国家の品格』(新潮新書)から引用したい。
藤原正彦著『国家の品格』

愛国心の二つの側面

 祖国愛に対しては、不信の目を向ける人が多いかも知れません。「戦争を引き起こす原因になりうる」などと、とんでもない意見を言う人が日本の過半数です。
 まったく逆です。祖国愛のない者が戦争を起こすのです。
 日本ではあまりよいイメージで語られない「愛国心」という言葉には、二種類の考えが流れ込んでいます。一つは「ナショナリズム」です。ナショナリズムとは、他国のことはどうでもいいから、自国の国益のみを追求するという、あさましい思想です。国益主義と言ってよい。戦争につながりやすい考え方です。
 一方、私の言う祖国愛は、英語で言うところの「パトリオティズム」に近い。パトリオティズムというのは、自国の文化、伝統、情緒、自然、そういったものをこよなく愛することです。これは美しい情緒で、世界中の国民が絶対に持っているべきものです。
 ナショナリズムは不潔な考えです。一般の人は敬遠した方がよい。ただし、政治家とか官僚とか、日本を代表して世界と接する人々は当然、ある程度のナショナリズムを持っていてくれないと困る。
 世界中の指導者が例外なく、国益しか考えていないからです。日本の指導者だけが「ナショナリズムは不潔」などと高邁な思想を貫いていると、日本は大損をしてしまう。安全や繁栄さえ脅かされる。一般の国民は、ナショナリズムを敬遠しつつ、リーダーたちのバランスあるナショナリズムを容認する、という大人の態度が必要になってくる。現実世界を見ると、残念ながらダブルスタンダード(二重基準)で行くしか仕方がないのです。無論、リーダー達の過剰なナショナリズムへの警戒は怠ってはなりません。


 この「バランスのあるナショナリズム」が、大事だと思う。そして、もっと重要なことは、「国益」ということについてどれだけの検討を重ねたか、ということだ。『孫氏』ではないが、相手の考え方や行動特性を十分に検討した上で臨まなければ、戦いの成果は「危うし」ということになる。
 果して、尖閣を「国有化」するという宣言が、どのような中国の態度や行動につながり、その結果が政治や経済において、どのような「国益」につながると考えたのだろうか。

 たびたび引用する「内田樹の研究室」の8月21日の「領土問題は終わらない」から。
「内田樹の研究室」の該当ページ

華夷秩序的コスモロジーには「国境」という概念がないということは『日本辺境論』でも述べた。
私の創見ではない。津田左右吉がそう言ったのを引用しただけである。
「中国人が考えている中国」のイメージに、私たち日本人は簡単には想像が及ばない。
中国人の「ここからここまでが中国」という宇宙論的な世界把握は2000年前にはもう輪郭が完成していた。「国民国家」とか「国際法」とかいう概念ができる1500年も前の話である。
だから、それが国際法に規定している国民国家の境界線の概念と一致しないと文句をつけても始まらない。
勘違いしてほしくないが、私は「中国人の言い分が正しい」と言っているわけではない。
彼らに「国境」という概念(があるとすれば)それは私たちの国境概念とはずいぶん違うものではないかと言っているのである。
日清戦争のとき明治政府の外交の重鎮であった陸奥宗光は近代の国際法の規定する国民国家や国境の概念と清朝のそれは「氷炭相容れざる」ほど違っていたと『蹇蹇録』に記している。
陸奥はそれを知った上で、この概念の違いを利用して領土問題でアドバンテージをとる方法を工夫した(そしてそれに成功した)。
陸奥のすすめた帝国主義的領土拡張政策に私は同意しないが、彼が他国人の外交戦略を分析するときに当今の政治家よりはるかにリアリストであったことは認めざるを得ない。


 野田ドジョウ政権には、陸奥宗光の万分の一もの分析力もなかったようだ。四千年の歴史を背景に持つ彼らの「中華思想」を刺激した以上、「国際法」を持ち出したところで、事態は解決しない。もちろん、それを承知の“カード”であり、二の矢、三の矢を準備しているのならよいのだが、とてもそうは思えない。

 こうなった以上は、本来は官僚の力の見せ所であずなのだが、“死に体”の政府のために彼らが一所懸命に仕事をしそうにはないし、その力量も了見もなさそうだ。これまでの歴史が物語るように、政財界や文化人などのあらゆるパイプを使って、中国要人と人と人のつながりを通じて事態の収拾を図ることも選択肢の一つだが、産業界と現政権の信頼関係も強いとは思えないし、今の日中間に事態を改善させる人脈がありそうにも思えない。
 
 残念だが、この混沌はしばらく続くと覚悟するしかなさそうだ。
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by koubeinokogoto | 2012-09-29 09:25 | 戦争反対 | Comments(0)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


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