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幸兵衛の小言

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改憲派は、平和の代りに一体何を望むのか—『9条どうでしょう』より。

安倍晋三は、肝腎な問題に関して“歴史家”にゲタを預けるのが好きだ。昨日の会見と自民党マニフェストについて、韓国「朝鮮日報」日本語版は次のように報じている。
「朝鮮日報」日本語版サイトの該当記事

安倍首相「植民地支配や侵略行為を否定したことはない」

自民党、参院選マニフェストで「『竹島の日』行事開催の検討」盛り込む

 日本の安倍晋三首相がまたも、過去の日本による侵略行為を事実上否定する発言をした。安倍首相は3日、日本記者クラブの主催で行われた各政党の代表による討論会の席上「日本が中国や韓国を侵略したと思うか」という質問に対し「政治家ではなく歴史家に(判断を)委ねるべきだ」と答えた。その上で安倍首相は「侵略や植民地支配に対し、私は判断をしない。私は歴史について定義する立場ではなく(政治家が)歴史について定義するということは謙虚だとはいえない」と語った。

 さらに安倍首相は「日本が植民地支配や侵略行為をしなかったと述べたことはない」というあいまいな発言も繰り返した。安倍首相は今年4月の国会での答弁で「侵略の定義は学界でも、国際的にも定まっていない」と発言し、国際的に非難を浴びている。一方、与党・自民党はこの日、今月行われる参議院議員選挙に向けたマニフェストに「領土・主権・歴史問題に関する研究機関の新設」や、「竹島(独島)の日」の行事の開催を検討するという内容を盛り込んだ。共同通信は最近、自民党が韓国との関係を考慮し、今回の参院選のマニフェストから「竹島の日」についての内容を削除するとの見方を示していたが、実際にはマニフェストに盛り込まれた。だが、昨年の衆議院議員総選挙の際には、「竹島の日」の行事を(島根県主催から)政府主催に格上げすると公約していたが、今回は「行事の開催を検討する」という表現に改められた。


東京= 車学峰(チャ・ハクポン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版


 安倍のイメージしている“歴史家”が誰なのか分からないが、真っ当な歴史家なら、間違いなく日本は「侵略」したと判断している。安倍の発言には、「侵略していない」と言いたい気持ちが明らかに透けて見えるから、中国も韓国も、そして最近ではアメリカも彼の歴史認識の誤りを非難するのは当然である。

 そして、安倍のような態度は、ますますアジア近隣国の態度を硬化させる。

 今後の中国と韓国の大きな関心は靖国参拝のことだろうが、8月15日を外してこっそり参拝するようなことも含め、彼は参拝すべきではない。
 個人の信条の問題を超えた、一国の総理大臣の外交活動の一環として、参拝することの是非を考えなければならないはずだ。しかし、この男は止まらないだろうなぁ。周囲も止める力は持っていそうにないだろう。困ったものだ。

改憲派は、平和の代りに一体何を望むのか—『9条どうでしょう』より。_e0337865_16401369.jpg

『九条どうでしょう』(筑摩文庫)

 さて、『九条どうでしょう』シリーズ、まずは平川克美。

 内田樹とは東京大田区で近所に住んでいた幼馴染。「内田樹の研究室」のある記事によると、当時の最寄駅で言うと内田が目蒲線の下丸子、平川が池上線の久が原だったようだ。

 平川は現在はリナックスカフェ社長。内田ほどではないが著書も何冊か発行されている。

 この人の次の主張は、この本全体に流れる基調を説明しているような気がする。

 戦後六十年の長きにわたって、日本が一度も戦争や紛争に巻き込まれなかったのは、紛れもなく憲法の第九条を順守するという「手かせ足かせ」の功績である。
 国際社会の中でも、日本が憲法によって自ら手足を縛っているという事実は認知されていただろう。おそらく、この憲法の平和主義に対する評価は、人によって異なっている。いや、人間であれば誰でもが平和を希求する。その意味では憲法に謳われた平和主義それ自体は誰も異議を表さないだろう。
 評価は、その条文と日本をめぐる現実との間に横たわっている。理想と現実との間にあるギャップがそれである。「平和主義者」という言葉は、しばしばリスクを回避するだけの臆病者に投げつけられる侮辱の感情とともに発せられる。歴代の自民党の政治家は、ある場合には憲法の非戦条項を交渉の戦略的なカードとして使って、紛争地域への武力行使の要請をかわすということもあったと想像するに難くない。
「いや、ご協力したいのはやまやまなんですが、憲法で派兵を禁じられていますもんで。ここはひとつ、金銭的な支援ということでご勘弁を」「海外派兵は、国民的なコンセンサスがとれません。いや、日本には兵がいないことになっているんです。ここはなんとか、お金で解決ということにしてくれませんでしょうか」。
 確かにこのとき、当事者である政治家はある種の屈辱感を抱いていたかもしれない。多くの先進国が
多国籍軍の名のもとに、紛争地域に自国の軍隊を派遣している折、ひとり経済協力を申し出ることは、自分だけが卑屈な傍観者になっているというような屈辱を覚えるのかもしれない。
「お前の国の経済的な繁栄は、結局のところアメリカの軍事的庇護の下でなされたものだ。日本は自分が平和のフリーライダーであることを忘れるべきではない」。こういった難詰があったとしても、「いや、だから金を出そうとい言っているじゃないでうか」と、苦しい言い訳をする他はなかった。駅代の大臣も、外交担当者も、この憲法を世界に向かって積極的アピールし、どのような場合において武力による解決という手法をとるべきではないと主張するほど、自らの信念に自信を持ち得なかった。いや、実のところ憲法の理想などはじめから信じてはいなかったのかもしれない。



 「手かせ足かせ」の憲法のために“屈辱感”を政治家が味わおうが、平和のほうがいいに決まっている。平川の主張は次のように続く。(傍点部分を太字にした)

 しかし、このように積極的に武力以外の紛争解決の決意と方策をアナウンスしえなかった場合においても、国益は守られたと言うべきだろう。国家の最も重要な役割が、国民の生命・財産を守ることであるとするならば、戦後六十人間、国際紛争を直接の原因として一般国民の死者をひとりも出していないのだから。
 このような明らかな薬効にもかかわらず、現在も多くの政治家、日本人が憲法を改正したいと思いなしているとすれば、それは憲法そのものが持っている(であろう)瑕疵によるものではなく、もっと別の理由によると考える方が自然である。



 改憲派の背後にある、“憲法そのものが持っている(であろう)瑕疵によるものではなく、もっと別の理由”にも、いろいろあるだろうが、改憲すること、あるいは改憲しやすい法改正を主張することで、彼らは何を望んでいるのだろう。
 それは、六十余年にわたって得られた平和以上に国家と国民にとって重要なことなのか。

 平川克美も内田樹も昭和25(1950)年生まれ。

 その内田樹の見解は、5月3日の憲法記念日のブログで、自民党の改正草案の問題点を考える中「内田樹の研究室」の引用によって紹介したが、再び一部を紹介したい。
2013年5月3日のブログ
 「内田樹の研究室」の六年前、2007年5月3日の内容から。
「内田樹の研究室」の該当ページ

『九条どうでしょう』以来、私が憲法について言っていることはずっと同じである。
それは交戦権を否定した九条二項と軍隊としての自衛隊は拮抗関係にあり、拮抗関係にあるがゆえに日本は「巨大な自衛力」と「例外的な平和と繁栄」を同時に所有している世界で唯一の国となった、ということである。
先日も書いたから、みなさんはもう聞き飽きたであろうが、二つの対立する能力や資質を葛藤を通じて同時的に向上させることを武道では「術」と言う。
「平和の継続」と「自衛力の向上」を同時に達成しようと思ったら、その二つを「葛藤させる」のがベストの選択なのである。
九条と自衛隊が矛盾的に対立・葛藤しているという考え方は、『九条どうでしょう』でも詳述したように、戦後の日本人がすすんで選んだ「病態」である。
本当の対立・葛藤は日米間にある。
九条はアメリカが日本を「軍事的に無害化する」ためにあたえた「足かせ」であり、自衛隊はアメリカが日本を「軍事的に有用化」するためにあたえた「武器」である。
日本はGHQが敗戦国民に「押しつけた」この二つの制度によって、「軍事的に無害かつ有用」な国になった。
ここには何の矛盾もない。
しかし、「ここには何の矛盾もない」という事実を認めることは、そのまま「日本はアメリカの軍事的属国である」と認めることになる。
それは壊滅的な敗北の後の日本人にとってさえ心理的に受け容れがたい「現実」であった。
それゆえ、日本人は「狂う」ことを選んだ。
耐え難い現実から逃避しようとするとき、人間は狂う。
日本人は暗黙の国民的合意によって「気が狂う」ことにしたのである。
それは「九条と自衛隊は両立しがたく矛盾しており、そこに戦後日本の不幸のすべての原因はある」という「嘘」を信じることである。
護憲派も改憲派もそれを同時に信じた。


 あらためて書くが、“日本は「巨大な自衛力」と「例外的な平和と繁栄」を同時に所有している世界で唯一の国となった”ことを、今後も「狂う」ことで日本人が受容することを、私は支持する。

 そして、必ずしも「狂う」ことなく、「第九条」の意義を積極的に捉えなおそうとする新たな主張も数あることは、5月3日のブログや、今回の『九条どうでしょう』シリーズで紹介した通り。

 
 過去の侵略戦争について“歴史家”の手に判断を委ねる、などという誤魔化しの言葉を使い、無駄に近隣諸国の緊張を煽る発言をする政治家にこの国を任すことの危険性は、“歴史家”になど委ねなくても分かる。
Commented by YOO at 2013-07-05 01:56 x
阿部率いる自民党、そのバックボーンであるこの国の官僚機構とマスコミは何がしたいのでしょう。このままではとんでもない状況に進んで行くような恐怖感すら感じています。
最大の問題はマスコミが構築している、自己の利益しか興味の無い国民全体の無関心でしょう。

Commented by 小言幸兵衛 at 2013-07-05 08:53 x
新聞の見出しやテレビも「アベノミクスの評価を問う」といったものが多いですが、これも「世論操作」ですね。
原発、TPP、憲法問題、もちろん大震災とフクシマからの復興という課題が二の次にされています。
安倍が言う「ねじれが解消されれば、復興スピードも上がる」なんて大嘘を、どれだけの有権者が見抜けるかが鍵ですが、さてどうなりますか。
投票率は下がるでしょうね。
反原発、反TPP、反改憲を訴える政治家が一人でも多く当選するのを、祈るばかりです。

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by koubeinokogoto | 2013-07-04 19:30 | 戦争反対 | Comments(2)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛