2013年 10月 20日
むのたけじさんが五代目小さんに感じた“哀愁”—『戦争絶滅へ、人間復活へ』
むのたけじ(聞き手 黒岩比佐子)『戦争絶滅へ、人間復活へ』
2008年7月に岩波新書で発行された本書の副題は「九十三歳、ジャーナリストの発言」である。
すでに「ジャーナリズム」「ジャーナリスト」という言葉が日本では実質的には“死語”になったと思っているが、この本は、現在もジャーナリズム精神を忘れない骨太の人物への、黒岩比佐子による聞書きの本だ。
本書から紹介したい部分はいくつもあるが、最初に落語に関連した内容を引用したい。「第一章 ジャーナリストへの道」の最後の部分。
五代目柳家小さんの落語
当時のことで思い出すのが、落語家の五代目柳家小さんです。彼は私と同じ生年月日、1915(大正4)年1月2日生まれで、2002年に亡くなってしまいましたけどね。
じつは、私は落語が大好きなんです。なぜかというと、あの「間」の取りかたで、落語は「間」の芸術だと言ってもいいほどです。いまもずっとラジオで落語を聴いているんですよ。でも、下手だと思ったら、すぐにラジオを切ってしまいますが。
私が五代目小さんの落語にすごく心を惹かれるのは、同じ日生まれだったこともあるけれど、二・二六事件のとき、彼が兵隊に取られて反乱軍のなかにいたからです。あの事件で反乱軍にいた人たちは、良くない兵隊だということで、できるだけ危険で、死亡率の高い戦場へ送り込まれたと言われています。
彼はその年満州に行かされ、三年後に除隊したものの、1943年12月に赤紙が来て再徴兵されるのです。このとき彼は死を覚悟しますが、運よく生き残ることができて、敗戦の翌年にようやく帰国する。そしてふたたび落語をやれるようになった。
私は彼の落語を聴くと、あざむかれた者の哀愁を感じるんだな。私から言えば、何かむくれている。でも、むくれたってだめだ、と自分で自分に言っている。笑い話をやりながらも、彼は普通の落語家とは全然違うね。
あざむかれた世代ゆえのうらみつらみというものがあって、それを自分でなめながら我慢しているような、やる気がないようで、なにか寂寞としたものをもっている。そう感じているのは、私だけかもしれないけれども。
五代目小さんを評する言葉として、“哀愁”という二字を目にしたのは初めてだ。たしかに、むのたけじさんのように、小さんの背後に戦争のイメージが見える人だけ特有の感慨なのだろう。
今年の2月26日に、その少し前に放送されたNHKの「ファミリーヒストリー」の内容を含め、五代目小さんと戦争のことを兄弟ブログ「噺の話」に書いた。
「噺の話」の該当記事
その時に書いた内容を一部再録したい。
四代目小さんに入門して、三年目、陸軍に入隊してたった一か月後のことである。
占領から二日たった2月28日には食糧が届かなくなり、天皇の命令により鎮圧部隊が派遣された。反乱軍の汚名を着せられ、沈鬱なムードになる中で、上官が小さんに落語をやるように命令した。小さんは『子ほめ』を演じたが、誰も笑わなかった。「面白くないぞッ!」のヤジに、「そりゃそうです。演っているほうだって、ちっとも面白くないんだから。」と答えたと伝えられている。
小さんの演じた『子ほめ』の中で、もっとも観客が静かだった高座に違いない。
本書に戻る。聞き手の黒岩比佐子の質問から。
—五代目小さんが、二・二六事件とそういう関係があったとは知りませんでした。
あるとき、私が東京に出てきて、帰るために上野駅へ向かって歩いていると、偶然、小さんが上野の寄席から帰ってくるのに出会った。向こうは私を知らないはずだけど、「やあっ」と声をかけたら、彼も「やあっ」と言ってくれました。なんとなく同世代だとわかったんでしょうね。彼の落語には独特のムードがありますよ。お客をうわーっと笑わせたりしないで、そこでちょっと自分を抑える。そういう品の良さみたいなものがある。
五代目小さんの芸に、“哀愁”を感じ“品の良さ”を感じた、むのたけじさん。それは、五代目小さんになる前に小林盛夫という一人の兵士が味わった戦争の体験が小さんの芸にも少なからず影響を与えたということなのだろう。
噺家の高座には、その人のそれまでの人生のさまざまな経験が何らかのかたちで反映されていると考えると、これからの落語の聴き方も、少し変わってくるような内容だった。
本書からは他にも紹介したい内容がいくつかあるので後日書くつもりだ。
むのたけじさんは、98歳の今も健在。しかし、聞き手だった黒岩比佐子は、数冊の優れた著作で注目されていた矢先、三年前に52歳の若さで癌で亡くなった。私は今、むのたけじさんと黒岩比佐子の本を読んでいる。それらの内容もそのうちぜひ紹介したいと思う。
by koubeinokogoto
| 2013-10-20 07:50
| 戦争反対
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