2015年 06月 11日
「砂川事件」最高裁判決は、アメリカの圧力に屈した違憲判決。
安倍政権が、「砂川事件」判決を持ち出して「戦争法案」の正当性を主張している。
東京新聞の該当記事
「自衛権」と「集団的自衛権」の違いは明白だ。
紹介した東京新聞の記事の後半に、砂川事件についてQ&A形式で説明があるので、引用。(太字は管理人)
東京新聞から、砂川事件最高裁判決をめぐる図も借用。
この最高裁判決の後、当時の岸信介首相は、集団的自衛権の行使について「自国と密接な関係にある他国が侵略された場合、自国が侵害されたと同じような立場から他国に出かけて防衛することは、憲法においてできないことは当然」(1960年2月10日、参院本会議)と述べている。
安倍ちゃん、お祖父さんの言葉をまったく無視している(^^)
東京新聞の記事の最後に書かれているように、当時の田中最高裁長官が、アメリカ側と接触していたことが、明らかになっている。
これは、元山梨学院大学法学部の布川玲子教授などの功績で、アメリカの公文書が開示されて判明したことだ。
田中は、在日米大使館マッカーサー大使との会談で、裁決の見通しを語っており、大使が1959年8月3日付けで米国務長官に宛てに出された航空書簡(G73)に、田中の言葉が記載されている。この書簡は、布川玲子元教授の申請で2013年1月に開示された。
布川玲子さんは、日本評論社から『砂川事件と田中最高裁長官-米解禁文書が明らかにした日本の司法』という本を2013年11月に出している。
また、山梨学院大学「法学論集」にも、同書簡の開示経過や本文のコピー、翻訳などが載っている。ご興味のある方はご参照のほどを。
「砂川事件『伊達判決』と田中耕太郎最高裁長官関連資料」-山梨学院「法学論集71」より。
下の図が、書簡のコピー。
翻訳文の一部をご紹介。
‘裁判長は、結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を‘’揺さぶる‘’素になる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っている’という表現は、まさに、それをアメリカが願っていたことを示している。
‘もし、最高裁が、地裁判決を覆し、政府側に立った判決を出すならば、新条約支持の世論の空気は、決定的に支持され、社会主義者たちは、政治的柔道の型で言えば、自分たちの攻め技が祟って投げ飛ばされることになろう’というマッカーサー大使のコメントが、アメリカの狙いを明確に物語っている。
この書簡によっても、砂川事件の最高裁判決が、自衛権に違法性がないことを担保するどころか、日本がアメリカの意向に沿って下した違憲判決であることが明白なのである。
百歩、いや千歩譲っても、砂川判決は、米軍基地の違法性を問う裁判であり、「集団的」自衛権に関わる裁判ではない。もちろん、「集団的」自衛権を支持するどんな要素も存在しない。
三権分立の精神が崩壊し、司法が行政の力に負けたのだ。
三権分立とは、次の三つが独立していることだ。
・立法権 法律を作る権限。国会が持つ。
・行政権 法律に基づいて政治を行う権限。内閣が持つ。
・司法権 法律に基づいて裁判を行う権限。裁判所が持つ。
しかし、砂川事件に最高裁判決が、「三権分立」など、絵空事であったことを示しており、いまだに、司法権が独立しているようには思えないのは、この判決からの「悪しき伝統」を守っているからだとは言えないだろうか。
今回の安倍内閣の「戦争法案」について、野党はもちろん憲法違反を指摘する。
しかし、国会という立法の府を過半数を占めているのは与党側である。
閣議決定という密室での横暴に、弁護士の多くが抗議しているものの、司法権を担当する裁判所からの声を、聞かない。
最高裁はじめ司法にいる日本人には、過去に先輩が犯した過ちをかばうのではなく、無残に否定されたが、東京地裁における伊達判決の尊さを思い出して欲しい。
また、布川玲子元教授は、法哲学を専攻していたが、当時の法哲学学会の会長が、田中元長官であった。布川さんは、そういった政治的なしがらみを越えて、大先輩が犯した罪を解明するため努めたのである。
現在、司法権を守る立場にいる人々は、沈黙しているように思えるが、それで、あなた達の良心は傷まないのですか!?
過去の過ちを生かすことこそ、先人たちが望んでいるのはないでしょうか。
その実効性はともかく、最高裁判所裁判官は、国民審査を経て選ばれている。政府ではなく、国民の輿論をもっと忖度して欲しい。
あなた達はあなた達のお孫さんが、他国で人殺しをしても、いいのですか!?
東京新聞の該当記事
安保法案 根拠乏しき「合憲」 政府見解「砂川判決」を拡大解釈冗談じゃない。
2015年6月10日 朝刊
政府は九日、衆院憲法審査会で憲法学者三人が他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案を「違憲」と批判したことに対し、合憲と反論する見解を野党側に示した。自国防衛に目的を限った集団的自衛権の行使容認は、日本が攻撃された場合のみ武力行使を認めた従来の憲法解釈の「基本的な論理」を維持し、「論理的整合性は保たれている」と結論づけた。野党側は見解には説得力がないとして、国会で追及する方針。
見解は、戦争放棄や戦力不保持を定めた憲法九条の下でも「自国の存立を全うするため、必要な自衛の措置を取ることを禁じているとは到底解されない」という従来の政府解釈に言及。自衛権行使を「国家固有の権能」と認めた砂川事件の最高裁判決と「軌を一にする」と指摘した。その上で、国民の生命や幸福追求の権利を根底から覆す事態は日本が直接攻撃された場合に限られていたが、軍事技術の進展などで、他国への武力攻撃で「わが国の存立を脅かすことも現実に起こり得る」との認識に改めたと表明。集団的自衛権の行使は「自衛の措置として一部、限定された場合に認めるにとどまる」ため、これまでの政府見解との整合性は保たれていると主張した。
「自衛権」と「集団的自衛権」の違いは明白だ。
紹介した東京新聞の記事の後半に、砂川事件についてQ&A形式で説明があるので、引用。(太字は管理人)
Q 砂川事件とは。
A 六十年も前の在日米軍基地の反対運動をめぐる事件だ。東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に入り、七人が日米安保条約に基づく刑事特別法違反罪で起訴された。
Q 現在の集団的自衛権の行使容認をめぐる議論とどう関係するのか。
A 「米軍駐留は憲法違反」として無罪を言い渡した一審の東京地裁判決(伊達秋雄裁判長の名をとり通称・伊達判決)を破棄した最高裁判決が首相が指摘する「砂川判決」だ。
(1)憲法は固有の自衛権を否定していない(2)国の存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを憲法は禁じていない(3)だから日本を守る駐留米軍は違憲ではない(4)安保条約のような高度な政治性を持つ案件は裁判所の判断になじまない-がポイント。
首相らは「自衛権」や「自衛の措置」に集団的自衛権の行使も含まれると主張し始めた。
Q 争点は何だったの。
A 日本を守るために外国の軍隊を国内に配備することが「戦力の不保持」をうたう憲法九条二項に反しないかが最大の争点だった。伊達判決が駐留米軍を「戦力」とみなして違憲としたのに対し、最高裁判決は「指揮権、管理権なき外国軍隊は戦力に該当しない」と判断した。日本が集団的自衛権を行使できるのかという問題は裁判ではまったく議論されず、判決も触れていない。
Q 判決は、日本が行使できるのは個別的自衛権だけとも書いていない。
A それは確かだ。それでも歴代政府は判決を踏まえて国会答弁や政府見解を積み重ね、一九七二年の政府見解では「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」と明確にし、四十年以上維持されてきた。安倍政権がそれ以前の砂川判決を引っ張り出し「集団的自衛権の行使も許される」と言い始めたことに、憲法学者が相次いで「論理に無理がある」と批判している。
Q 砂川判決の経緯も疑問視されているとか。
A 近年の研究で、当時の裁判長の田中耕太郎最高裁長官(故人)が判決前に、一審判決を破棄すると米側に伝えたことが判明し、司法が中立性を損なっていたと批判されている。
東京新聞から、砂川事件最高裁判決をめぐる図も借用。
この最高裁判決の後、当時の岸信介首相は、集団的自衛権の行使について「自国と密接な関係にある他国が侵略された場合、自国が侵害されたと同じような立場から他国に出かけて防衛することは、憲法においてできないことは当然」(1960年2月10日、参院本会議)と述べている。
安倍ちゃん、お祖父さんの言葉をまったく無視している(^^)
東京新聞の記事の最後に書かれているように、当時の田中最高裁長官が、アメリカ側と接触していたことが、明らかになっている。
これは、元山梨学院大学法学部の布川玲子教授などの功績で、アメリカの公文書が開示されて判明したことだ。
田中は、在日米大使館マッカーサー大使との会談で、裁決の見通しを語っており、大使が1959年8月3日付けで米国務長官に宛てに出された航空書簡(G73)に、田中の言葉が記載されている。この書簡は、布川玲子元教授の申請で2013年1月に開示された。
布川玲子さんは、日本評論社から『砂川事件と田中最高裁長官-米解禁文書が明らかにした日本の司法』という本を2013年11月に出している。
また、山梨学院大学「法学論集」にも、同書簡の開示経過や本文のコピー、翻訳などが載っている。ご興味のある方はご参照のほどを。
「砂川事件『伊達判決』と田中耕太郎最高裁長官関連資料」-山梨学院「法学論集71」より。
下の図が、書簡のコピー。
翻訳文の一部をご紹介。
大使館東京発(発信日1959.8.3 国務省受領日1959.8.5)
国務長官宛
書簡番号G-73
情報提供太平洋軍司令部G-26 フェルト長官と政治顧問限定
在日米軍司令部バーンズ将軍限定G-22
共通の友人宅での会話の中で、田中耕太郎裁判長は、在日米大使館主席公使に対し砂川事件の判決は、おそらく12月であろうと今考えていると語った。弁護団は、裁判所の結審を遅らせるべくあらゆる可能な法的手段を試みているが、裁判長は、争点を事実問題ではなく法的問題に閉じ込める決心を固めていると語った。こうした考えの上に立ち、彼は、口頭弁論は、9月初旬に始まる週の1週につき2回、いずれも午前と午後に開廷すれば、およそ週間で終えることができると確信している。問題は、その後で、生じるかもしれない。というのも彼の14人の同僚裁判官たちの多くが、それぞれの見解を長々と弁じたがるからである。裁判長は、結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を‘’揺さぶる‘’素になる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っていると付言した。
コメント:大使館は、最近外務省と自民党の情報源より、日本政府が新日米安全保障条約の提出を12月開始の通常国会まで遅らせる決定をしたのは、砂川事件判決を最高裁が、当初目論んでいた(G-81)、晩夏ないし初秋までに出すことが不可能だということに影響されたものであるとの複数の示唆を得た。これらの情報源は、砂川事件の位置は、新条約の国会提出を延期した決定的要因ではないが、砂川事件が係属中であることは、社会主義者やそのほかの反対勢力に対し、そうでなければ避けられたような論点をあげつらう機会を与えかねないのは事実だと認めている。加えて、社会主義者たちは、地裁法廷の米軍の日本駐留は憲法違反であるとの決定に強くコミットしている。もし、最高裁が、地裁判決を覆し、政府側に立った判決を出すならば、新条約支持の世論の空気は、決定的に支持され、社会主義者たちは、政治的柔道の型で言えば、自分たちの攻め技が祟って投げ飛ばされることになろう。
‘裁判長は、結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を‘’揺さぶる‘’素になる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っている’という表現は、まさに、それをアメリカが願っていたことを示している。
‘もし、最高裁が、地裁判決を覆し、政府側に立った判決を出すならば、新条約支持の世論の空気は、決定的に支持され、社会主義者たちは、政治的柔道の型で言えば、自分たちの攻め技が祟って投げ飛ばされることになろう’というマッカーサー大使のコメントが、アメリカの狙いを明確に物語っている。
この書簡によっても、砂川事件の最高裁判決が、自衛権に違法性がないことを担保するどころか、日本がアメリカの意向に沿って下した違憲判決であることが明白なのである。
百歩、いや千歩譲っても、砂川判決は、米軍基地の違法性を問う裁判であり、「集団的」自衛権に関わる裁判ではない。もちろん、「集団的」自衛権を支持するどんな要素も存在しない。
三権分立の精神が崩壊し、司法が行政の力に負けたのだ。
三権分立とは、次の三つが独立していることだ。
・立法権 法律を作る権限。国会が持つ。
・行政権 法律に基づいて政治を行う権限。内閣が持つ。
・司法権 法律に基づいて裁判を行う権限。裁判所が持つ。
しかし、砂川事件に最高裁判決が、「三権分立」など、絵空事であったことを示しており、いまだに、司法権が独立しているようには思えないのは、この判決からの「悪しき伝統」を守っているからだとは言えないだろうか。
今回の安倍内閣の「戦争法案」について、野党はもちろん憲法違反を指摘する。
しかし、国会という立法の府を過半数を占めているのは与党側である。
閣議決定という密室での横暴に、弁護士の多くが抗議しているものの、司法権を担当する裁判所からの声を、聞かない。
最高裁はじめ司法にいる日本人には、過去に先輩が犯した過ちをかばうのではなく、無残に否定されたが、東京地裁における伊達判決の尊さを思い出して欲しい。
また、布川玲子元教授は、法哲学を専攻していたが、当時の法哲学学会の会長が、田中元長官であった。布川さんは、そういった政治的なしがらみを越えて、大先輩が犯した罪を解明するため努めたのである。
現在、司法権を守る立場にいる人々は、沈黙しているように思えるが、それで、あなた達の良心は傷まないのですか!?
過去の過ちを生かすことこそ、先人たちが望んでいるのはないでしょうか。
その実効性はともかく、最高裁判所裁判官は、国民審査を経て選ばれている。政府ではなく、国民の輿論をもっと忖度して欲しい。
あなた達はあなた達のお孫さんが、他国で人殺しをしても、いいのですか!?
by koubeinokogoto
| 2015-06-11 12:50
| 戦争反対
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