幸兵衛の小言

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「鳥越潰し」で思う、歴史の繰り返しのこと。

 都知事選は、宇都宮さんが出馬辞退した時点で、興味を失っていた。

 それにしても、「週刊文春」といい「週刊新潮」といい、そして、自ら調査することもなく週刊誌報道を拡散するだけのテレビなども含め、揃って鳥越叩きである。

 調査報道を主体とする、数少ない真っ当なメディアHUNTERが、まさに真っ当な疑問を呈しているので、引用する。
HUNTERの該当記事

東京都知事選 文春スキャンダル報道への疑問
2016年7月22日 09:50

 週刊誌に事を公にする場合の基準なり内規なりがあるのかどうか分からないが、“話題になって売れればいい”というのが本音だろう。
 21日発売の「週刊文春」が打ち上げた鳥越俊太郎氏の女性スキャンダルは、東京都知事選挙に立候補している同氏に“裏の顔”があり、大学生(当時)への淫行に及んでいたというもの。「疑惑」と断りながら、選挙期間中、しかも鳥越氏を含む主要候補が接戦を演じていることが報じられている中での記事は、なんと14年前の出来事を掘り返したものだった。
 鳥越陣営ならずとも、「選挙妨害」を疑わざるを得ない内容。問題の記事を子細に見てみると、いくつもの疑問点が浮かび上がってくる。


当事者の証言なし 補強は「関係者の話」

 問題の記事は、14年前の2002年、鳥越氏が私立大学の女子学生を別荘に連れて行き、みだらな行為に及んだというもの。タイトルに「疑惑」とあるが、記事の内容は鳥越氏をクロと断定した形となっている。文春に告発したのは、女子学生の元恋人で、現在は夫となっている男性ということになっている。

 一読して感じるのは、断定的に書きながら確かな裏付けがないということ。元女子大生の肉声は一度も出てこず、顛末を語っているが夫だという男性だけなのだ。文春側が元女子大生に会って話を聞いた形跡もなく、“裏をとった”と胸を張れる内容ではない。

 記事の補強材料として使っているのが、告発者が鳥越氏に出したというメールの画面と元女子大生が通っていたという「私立大の関係者」。さらに、鳥越氏の人格を否定するために、同氏の古巣である「毎日新聞OB」と「テレビ朝日関係者」の話を紹介している。週刊誌の記事に信頼がおけないのは、この「関係者」という表現を多用すること。情報源の秘匿だという言い訳が聞こえてきそうだが、告発者は別として文春報道に実名で登場するのは鳥越氏本人だけ。あとは、存在さえ怪しいというのがこの記事の実態だ。

 「テレビ朝日関係者」の話の前振りに≪こんな声も少なくない≫とあるが、「少なくない」とは「多い」と同義。しかし、テレビ朝日の内部で、鳥越氏は女好きなどという話など聞いたことがない。淫行疑惑報道の発端であるかのように書かれている「私立大関係者」のコメントにしても、この関係者がどのような立場で、いかにして鳥越氏と元女子大生の話を確認したのか不明。“関係者の話”で逃げを打つのは週刊誌の常套手段だが、捏造だとすれば極めてタチが悪い。


証拠のメール画面に強要の疑いも

 補強材料の無理は、本筋の話が弱いことを意味している。元女子大生本人が出てこないのだから、“淫行”前後の話はほとんど伝聞に基づくもの。『……という。』表現ばかりが続く内容だ。力強く描かれているのは、告発者の男性が鳥越氏と会ったという場面だけ。甘利明元経済再生担当相を追い込んだ記事のような「動かぬ証拠」は皆無である。

 唯一の証拠というのが前述の告発者が鳥越氏に出したというメールの画面。告発男性は、2014年に自分が関わったイベントに鳥越氏が出演することがわかり、出演をキャンセルするようメールで頼んだというのである。不可解というしかない。12年前の出来事。しかも、鳥越氏はテレビ出演の機会が多く、顔を見ない時期は少なかったはず。告発男性は≪自分にとって大事なイベントを汚される気がした≫(文春の記事より)としているが、相手を困らせイベント出演を止めさせたとすれば、強要ととられてもおかしくない行為であろう。

 この記事でも指摘される「関係者」には、いろんな人が含まれていそうだ。
 
 昨今の「文春」としては、伝聞情報ばかりで信憑性に欠ける、何とも切れ味の悪い記事。

 なぜ、こんな記事が出たのか・・・何らかの力が背後で働いたと思うのが普通だろう。

 「日刊ゲンダイ」は、「小沢潰し」と同じ構造であると指摘している。

「日刊ゲンダイ」の該当記事

小沢事件と同じ構図…大メディア横並び“鳥越叩き”の異常
2016年7月25日

 ちょっとどころじゃない。かなり異常な事態だろう。都知事選に出馬している野党統一候補のジャーナリスト、鳥越俊太郎氏(76)に対する週刊誌スキャンダルで、一部を除く新聞・テレビが「疑惑」と称し、横並びで鳥越氏をガンガン叩きまくっていることである。

 候補者とはいえ、選挙に出馬表明し、“公人”となった以上、法令違反などが確認されれば批判にさらされるのはやむを得ない。辞職した舛添要一前都知事が連日、新聞・テレビにぶっ叩かれたのも、公用車の私的利用や、多額の政治資金の身内企業への還流――といった具体的な事実が確認されたためだ。

 しかし、今回の鳥越氏のケースは果たして舛添氏と同じなのか。腑に落ちないのは、そろって「根拠」は週刊誌報道だけという点だ。百歩譲ってメディアが都知事としての「資質を問う」意味で、鳥越氏を叩いているのであれば、日刊ゲンダイが繰り返し取り上げている小池百合子氏の不可解な政治資金の流れもキッチリ調べて報じるべきだろう。2代続けて都知事が「政治とカネ」問題で辞職したのだ。これ以上、同じ轍を踏まないためにも徹底的に追及するべきだし、フワフワした「疑惑」よりもよっぽど取り上げる意味がある。

 まったくゲンダイの指摘の通りだ。
 「生活の小沢一郎代表を叩きまくった『小沢事件』と同じ構図です。当時もメディアは検察リークに乗って小沢代表を犯人扱いして大々的に『疑惑』報道したが、結果、小沢代表は無罪でした。今回だって鳥越候補は事実無根と強調しているのに、構わず袋叩き。選挙期間中だけにイメージ低下は避けられないでしょう。鳥越氏側は東京地検に公選法違反の疑いなどで刑事告訴しましたが、結論が出るときには選挙は終わっている。これで本当に事実無根となったら、メディアはどう責任を取るつもりなのか」(司法ジャーナリスト)

 「デ・ジャブ」、なのだ。
 小沢の次は、鳥越なのである。

 「小沢潰し」については、2012年の4月に、兄弟ブログ「噺の話」において、カレル・ヴァン・ウォルフレンの『誰が小沢一郎を殺すのか?』文庫版から小沢一郎との公開対談の引用を含む記事を書いた。
「噺の話」の該当記事

 「週刊文春」2012年6月14日号で、小沢一郎が放射能が怖くて逃亡した、などという記事が載った。
 今ではほとんどすべてが嘘っぱちだったことが明らかになっているが、あの当時のイメージダウンは大きかった。
 いまだに、あの記事を信じている人さえいる。
 当時、小沢が東京にいて、ご本人はすぐにでも被災地に行きたがったが、現地の混乱を避けることと、周囲の反対で現地入りしなかったことが、多数の方から裏付けされている。小沢は達増岩手県知事と電話で話をして、被災地対策に関する彼の考えを伝えている。

 小沢一郎は、あの馬鹿げた週刊誌報道に、いちいち食ってかかる愚を避けて沈黙を守ったのだが、今や日本のメディアは週刊誌を中心に動いている、という認識が薄かったと言えるだろう。
 今の世の中、沈黙は金ではなくなった。言った者が勝ち、という風潮が蔓延っている。

 それにしても、この国のメディアは、誰の味方なのか・・・・・・。

 そして、今回の鳥越の記事を含め、その背後にあるのはいったい何か・・・・・・。

 小池の政治資金規正法違反の疑いのみならず、増田寛也にしても、県知事時代に財政を大幅に悪化させたという、本来の首長としての評価の低さのみならず、探ればいくらでも追及すべきネタはある。

 たとえば、「ビジネス・ジャーナル」には、次のような記事がある。
「ビジネス・ジャーナル」の該当記事

 岩手県知事を務めた3期12年の間に、就任前に6000億円余りだった岩手県の公債費を1兆2000億円強にほぼ倍増させた挙句、低迷した財政の再建策を打ち出すこともなく東京に戻ったことから、「岩手を捨てて逃げた」と批判する声も多い。
 本来は、自治体の首長の選挙なのだから、同じような経験をしている増田について、過去の実績を確認するのは当然だと思うが、大手メディアでこのようなことは、まったく報じられない。

 もっと、問題なのは、次のことだ。
 増田氏は2010年11月に 内閣府原子力委員会新大綱策定会議構成員に就任し、福島第一原子力発電所事故発生後、被害者への損害賠償や廃炉を支援する「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」の運営委員を務めた。そしてその後、東電の社外取締役となった。東電は告示の前日である13日に、増田氏は7月8日付で辞任したと公表した。
 つい今月の8日まで東電の社外取締役だった男が、都知事になったら、果たしてどのような電力政策を立てるのか。
 
 脱原発とは、正反対の位置に彼は存在すると思われてならない。

 橋下が、やたらと鳥越に噛みついているツイッターでの単なる“つぶやき”を、産経が盛んに垂れ流しているが、もはや新聞とはいえない。

 確信犯とも言える産経、読売に限らず、「週刊文春」であれ「週刊新潮」であれ、もはや、国民の味方ではない。
 
 彼らは自分たちの雑誌が売れることが第一、そして同じ位に重要なこととが、お上に睨まれないことなのだ。
 産経、読売はもちろんのこと、文春や新潮だって、すでに、国家の犬に成り下がりかねない状況にある。

 歴史は繰り返す。小沢一郎を潰したことを考えれば、鳥越などは簡単、というのが、権力者の思いに違いない。

 そして、その策略は実りつつある。

 実に恐ろしい時代になったものだ。

 2012年4月27日の「噺の話」の記事を、私は次のように締めくくった。 
 これからの日本がどうなるのか、それは消されかけていた小沢一郎が政治の舞台で再生できるかどうかにかかっていると思う。大震災の被災地出身の小沢なら、今の日本における課題の優先順位を間違えることはないように思うが、まだまだ「画策者なき陰謀」は続くのだろうか。特に“ベテラン”と言われるマスコミ人に小沢は評判が悪い。それは、彼らが小沢一郎のダーティイメージをこれまで目一杯発信し続け、たとえば小泉を持ち上げてきたのだから当然とも言える。

 国民の“支持”と“人気”の、ビミョウな違いを峻別し、あくまで誰に任せたら日本が世界の中で馬鹿にされず、尊敬される国になるのかを、今こそ自分自身で考える、それが一人一人に求められているのではなかろうか。いざとなれば、自分の生命を国のために預ける、そんな了見を持った政治家が必要なのだ。

 小沢一郎が復権することはなかった。
 それは、彼の政治家としての実力がなかったからではない。
 私は、誰か一人、日本の将来を託したい政治家を選ぶなら、いまも小沢一郎を選ぶ。
 しかし、見事にメディアが団結(?)した“小沢潰し”が成功してしまった。 

 イメージの時代は、メディアによって特定の人物の虚像を作ることのできる時代、ということでもある。

 ニュースに対する審美眼、いわゆる、メディアリテラシーが国民にこれだけ求められている時代はないかもしれない。なぜなら、ほとんどのメディアの立ち位置は、庶民の側ではないのだから。
 

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by koubeinokogoto | 2016-07-26 21:12 | 責任者出て来い! | Comments(0)

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by 小言幸兵衛