2018年 05月 21日
「忖度」させたこと自体が、罪!ー朝日の記事より。
兄弟ブログ「噺の話」に度々お名前を出させていただく、佐平次さんの弟さん、弁護士鈴木篤さんのブログの5月19日の記事で、ある新聞の論説について書かれていた。
“とてもわかりやすくて素晴らしい論説”とのこと。
「弁護士鈴木篤のつれづれ語り」の該当記事
探してみた。
政治学者、豊永郁子さんの<政治季評>だった。
なるほど、なかなか良い記事だ。
引用したい。
朝日新聞の該当記事
なかなか示唆にあふれた内容だ。
“ありふれた動機”
-出世欲、金銭欲、競争心、嫉妬、見栄、ちょっとした意地の悪さ、復讐心・・・・・・
そういった人間の本能とでも言える心が、歯止めがきかなくなると、とんでもない惨劇を、平気で行うことにつながる、ということか。
引用をもう少し。
まったく同感。
「忖度」させること自体が、国家の権力者においては悪である、と思う。
もう、多くの心ある国民は、安倍忖度政治に愛想をつかしている。
驚くことに、18日、柳瀬元秘書官が官邸で愛媛県関係者と会った事実を、なかったことにする閣議決定をした。
自分たちの利益にならないことは、事実を捻じ曲げ、なかったことにする、という悪態は、元秘書官のみならず、大臣全員による閣議決定でも繰り広げられているのだ。
その理由が、総理大臣官邸への「訪問予約届」は、使用目的を終えると、個人情報を含んだ膨大な量の文書を適切に管理する必要が生じるため「遅滞なく廃棄する」からだと言う。
だから、柳瀬が愛媛県関係者と面会していたか確認することは困難だ、という能書き。
おいおい、勘弁してくれ。
その予約届というものを廃棄するにしても、総理官邸への訪問者の記録は、どこかに残すだろう。エクセルで一覧化すること位、誰でもできる。なにも記録がない、なんて、小学生でも信じないだろうに。
こんな理不尽なことを、彼らは平気で行なっている。
“悪の陳腐さ”、出世欲などの“ありふれた動機”が、この国のアイヒマンたちを、とんでもない行動に走らせている。
これ以上、アイヒマンを増やさないように、しなければならない。
日本のヒトラーは・・・・・・言うまでもない。
“とてもわかりやすくて素晴らしい論説”とのこと。
「弁護士鈴木篤のつれづれ語り」の該当記事
探してみた。
政治学者、豊永郁子さんの<政治季評>だった。
なるほど、なかなか良い記事だ。
引用したい。
朝日新聞の該当記事
(政治季評)忖度を生むリーダー 辞めぬ限り混乱は続く 豊永郁子
2018年5月19日05時00分
アイヒマンというナチスの官僚をご存じだろうか。ユダヤ人を絶滅収容所に大量輸送する任に当たり、戦後十数年の南米などでの潜伏生活の後、エルサレムで裁判にかけられ、死刑となった。この裁判を傍聴した哲学者のハンナ・アーレントは「エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」を執筆し、大量殺戮(さつりく)がいかに起こったかを分析した。
前国税庁長官・財務省理財局長の佐川宣寿氏の証人喚問を見ていて、そのアイヒマンを思い出した。当時、佐川氏ら官僚たちの行動の説明として「忖度(そんたく)」という耳慣れない言葉が脚光を浴びていた。他人の内心を推し量ること、その意図を酌んで行動することを意味する。私はふと、アーレントがこの日本語を知っていたらアイヒマンの行動を説明する苦労を少しは省けたのではないかと考えた。国会で首相の指示の有無を問いつめられる佐川氏の姿が、法廷でヒトラーの命令の有無を問われるアイヒマンに重なったのである。
*
森友学園問題――国有地が森友学園に破格の安値で払い下げられた件、さらに財務省がこの払い下げに関する公文書を改ざんした件――については、官僚たちが首相の意向を忖度して行動したという見方が有力になっている。国会で最大の争点となった首相ないし首相夫人からの財務省への指示があったかどうかは不明のままだ。
アイヒマン裁判でも、アイヒマンにヒトラーからの命令があったかどうかが大きな争点となった。アイヒマンがヒトラーの意志を法とみなし、これを粛々と、ときに喜々として遂行していたことは確かだ。しかし大量虐殺について、ヒトラーの直接または間接の命令を受けていたのか、それが抗(あらが)えない命令だったのかなどは、どうもはっきりしない。
ナチスの高官や指揮官たちは、ニュルンベルク裁判でそうであったが、大量虐殺に関するヒトラーの命令の有無についてはそろって言葉を濁す。絶滅収容所での空前絶後の蛮行も、各地に展開した殺戮部隊による虐殺も、彼らのヒトラーの意志に対する忖度が起こしたということなのだろうか。命令ではなく忖度が残虐行為の起源だったのだろうか。
さて、他人の考えを推察してこれを実行する「忖度」による行為は、一見、忠誠心などを背景にした無私の行為と見える。しかしそうでないことは、ヒトラーへの絶対的忠誠の行動に、様々な個人的な思惑や欲望を潜ませたナチスの人々の例を見ればよくわかる。
冒頭で紹介したアーレントの著書は、副題が示唆するように、ユダヤ人虐殺が、関与した諸個人のいかにくだらない、ありふれた動機を推進力に展開したかを描き出す。出世欲、金銭欲、競争心、嫉妬、見栄(みえ)、ちょっとした意地の悪さ、復讐(ふくしゅう)心、各種の(ときに変質的な)欲望。「ヒトラーの意志」は、そうした人間的な諸動機の隠れ蓑(みの)となった。私欲のない謹厳な官吏を自任したアイヒマンも、昇進への強い執着を持ち、役得を大いに楽しんだという。
なかなか示唆にあふれた内容だ。
“ありふれた動機”
-出世欲、金銭欲、競争心、嫉妬、見栄、ちょっとした意地の悪さ、復讐心・・・・・・
そういった人間の本能とでも言える心が、歯止めがきかなくなると、とんでもない惨劇を、平気で行うことにつながる、ということか。
引用をもう少し。
このように森友学園問題に関して、ナチスに言及するのは大げさに聞こえるかもしれない。しかし、証人喚問を見ていると、官僚たちの違法行為も辞さぬ「忖度」は、国家のためという建前をちらつかせながらも個人的な昇進や経済的利得(将来の所得など)の計算に強く動機づけられているように感じられ、彼らはこの動機によってどんなリーダーのどんな意向をも忖度し、率先して行動するのだろうかと心配になった。また、今回の問題で、もし言われているように、ひとりの人間が国家に違法行為を強いられたために自殺したとすれば、そこに顔を覗(のぞ)かせているのは、犯罪国家に個人が従わされる全体主義の悪そのものではないか、この事態の禍々(まがまが)しさを官僚たちはわかっているのだろうか、と思った。
以上からは、次の結論も導かれる。安倍首相は辞める必要がある。一連の問題における「関与」がなくともだ。忖度されるリーダーはそれだけで辞任に値するからだ。
まったく同感。
「忖度」させること自体が、国家の権力者においては悪である、と思う。
もう、多くの心ある国民は、安倍忖度政治に愛想をつかしている。
驚くことに、18日、柳瀬元秘書官が官邸で愛媛県関係者と会った事実を、なかったことにする閣議決定をした。
自分たちの利益にならないことは、事実を捻じ曲げ、なかったことにする、という悪態は、元秘書官のみならず、大臣全員による閣議決定でも繰り広げられているのだ。
その理由が、総理大臣官邸への「訪問予約届」は、使用目的を終えると、個人情報を含んだ膨大な量の文書を適切に管理する必要が生じるため「遅滞なく廃棄する」からだと言う。
だから、柳瀬が愛媛県関係者と面会していたか確認することは困難だ、という能書き。
おいおい、勘弁してくれ。
その予約届というものを廃棄するにしても、総理官邸への訪問者の記録は、どこかに残すだろう。エクセルで一覧化すること位、誰でもできる。なにも記録がない、なんて、小学生でも信じないだろうに。
こんな理不尽なことを、彼らは平気で行なっている。
“悪の陳腐さ”、出世欲などの“ありふれた動機”が、この国のアイヒマンたちを、とんでもない行動に走らせている。
これ以上、アイヒマンを増やさないように、しなければならない。
日本のヒトラーは・・・・・・言うまでもない。
Commented
at 2018-06-11 12:09
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
koubeinokogoto at 2018-06-11 14:00
>鍵コメさんへ
おっしゃる通りです。
道徳と言う言葉をみだりに使う、そのご本人こそ、道徳感の微塵もない悪事を働いていますね。
一日も早く、こんな出鱈目な政府はなくなってもらいましょう。
おっしゃる通りです。
道徳と言う言葉をみだりに使う、そのご本人こそ、道徳感の微塵もない悪事を働いていますね。
一日も早く、こんな出鱈目な政府はなくなってもらいましょう。
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by koubeinokogoto
| 2018-05-21 19:01
| 責任者出て来い!
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Comments(2)