幸兵衛の小言

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あらためて、地震で一時外部電源が喪失した、泊原発のこと。

 本日未明の大地震で、泊原発の外部電源が一時喪失していたという、恐ろしい記事。
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泊原発で外部電源が一時喪失
使用済み燃料は冷却継続
2018/9/6 13:48

 6日午前に北海道で発生した地震で、震度2を観測した泊村にある北海道電力泊原発は午前3時25分、外部電源が喪失、午後1時までに復旧した。同原発は現在停止中で、1~3号機の原子炉に核燃料は入っていないが、非常用発電機6台を起動して、使用済み燃料計1527体を貯蔵中のプールの冷却を続けた。原子力規制庁によると、原子炉の冷却に必要な重要設備に異常は見られず、原発の敷地内や周辺の放射線量に変化はないという。

 規制庁によると、原発周辺にある放射線監視装置(モニタリングポスト)計91基のうち21基が、地震の影響で停止した。

 原発は、停止中だって、使用済み燃料は冷却を続けなければならない。
 そのために外部電源が必要となり、大量の電気が必要な発電所、という皮肉。

 泊原発については、ずいぶん古くなるが書いたことがある。
2011年6月28日のブログ

 重複するが、鎌田慧著『原発列島を行く』(集英社新書、2001年11月初版発行)から、あらためて泊原発の誕生の背景や、失われた海のことを紹介したい。
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鎌田慧著『原発列島を行く』
 泊は、石炭の町から、原発の町に変わった歴史を持つ。
村の苦境が狙われた
 北海道の積丹半島の付け根に建設された泊原発が、立地決定の69年当時、「共和・泊原発」と呼ばれていたのは、隣接する共和町との境界線あたりが予定地とされていたからだ。
 このあたりが、建設候補地に選定されたのは、その二年前の67年。それを受けたかたちで、古宇郡泊村には「誘致期成会」が結成された。しかし、岩内郡と泊の両漁協は、真っ向から反対した。
 かつて海の色を変えたといわれたニシンブームは去っていたとはいえ、北上してきた対馬暖流を阻むかのように、突兀(とつこつ)として日本海に突きだした積丹半島は、スケトウダラの産卵場であり、ウニの宝庫でもあった。
 ほぼ一万人を数えていた泊村の人口が、一挙に半減したのは、64年4月、村内にあった茅沼炭鉱閉山の打撃によった。
 この炭鉱は、タラ獲りの「漁夫」によって発見されたもので、函館奉行所、官営炭鉱としての歴史を経て操業108年、戦争末期には、労働者の四分の三が朝鮮人労働者だった(『茅沼炭鉱史』)。
 炭鉱とニシン漁によって、内地からの労働者を多く抱え、泊村の商店街も繁栄していたのだが、「エネルギー転換」によって、炭鉱は歴史を閉じた。とはいっても、この村が、それまでのように、「石炭から石油へ」と段階を踏むのではなく、いきなり、「石炭から原発へ」と一足飛びになったのをみると、村の苦境が狙われていたのがよくわかる。


 ニシン、そして石炭は、歴史的に北海道の主要産業である。「ニシン御殿」や「黒いダイヤ」という言葉が、懐かしい。炭鉱には落盤事故などの危険はある。しかし、あえて言うのならば、石炭からは放射能が発生しない。

 海岸沿いの炭鉱閉鎖地域の苦境に付け込んだのが、まさに原子力村の常套手段だった。
 スイートコーン(トウモロコシ)畑で立ち話をした農民の話によれば、3号炉建設にともなって、8億円支払われたのだが、それ以外にも5億円が追加されている、という。カネが必要になると、電力会社に「迷惑料」が請求される。「風評被害」が担保だが、どこの原発地帯にも共通する、自立とはほど遠い、「打ち出の小槌」への依存である。
 泊村役場は、ややメルヘンチックな建物で、9億6000万円、屋内アイススケート場(8億円)、国民宿舎(15億円)、公共施設はすべて新築、電柱にはオレンジ色の街灯がともり、12歳以下の医療費は無料である。
 さらに、修学旅行の費用は半額補助、70歳以上の老人には年間70枚の温泉無料券、それ以下の年齢は50枚配布される。村内に家を建てれば、200万円の補助がある。いわば、「原発パラダイス」である。


 この「原発パラダイス」の結果、どうなったのか。
温排水による海水上昇
「岩内原発問題研究会」の斉藤武一さん(四十八歳)は、岩内町立の保育所で、「保育士」として働いている。自治労の組合員で、本部が募集している「文学賞」に、反原発運動のルポルタージュを書き送ってこられていて、選考委員のひとりであるわたしはよく記憶していた。
 定年にちかい年輩のひととばっかり想像していたのだが、五十歳前、まだまだ職場になくてはならない人物である。原発促進の自治体にいて、少数者として抵抗するのには、勇気を必要とする。
 岩内町もまた、泊とおなじように、原発反対派がごく少数の地域である。岩内町にとっての原発は、一村をへだてた村にある存在だから、交付金はすくない。それでも、二基のドーム型の原発は、ちいさな入り江をはさんで、街なかから対岸にくっきりとみえていて、なにやら危なっかしい。その距離わずか五キロメートル。
「原発反対にたちあがるまで、十五年かかりました」
 と斉藤さんは率直である。78年から、彼は岩内港の防波堤で、夕方六時にバケツで採集した、海水の温度の変化を記録してきた。その結果、原発の運転開始前と試運転後の冬季間の水温が、1.6度上昇していることが判明した。
 いうまでもなく、温排水の影響だが、20年にわたって、うまずたゆまず、確実な手つきで原発の海で診断してきた沈着さが、最北の原発反対運動の静かな情熱をあらわしている。「報告書」には、原発から五キロメートル離れた地点での1.6度におよぶ水温上昇について、こう書かれている。
「スケソウが水深200メートルから水深300メートルに移動していることと関係あると思われる」
 不漁になった理由である。斉藤さんの祖父は、茅沼炭鉱から専用鉄道で、岩内港まで運ばれてきた石炭を、貨物船に積み込む「沖仲仕」だった。閉山のあおりを食って失職したのだが、その息子にあたる父親は、スケトウ景気に沸く魚市場のまっただなかで仲買人となった。町内でいちばん最初にテレビを買った、というから羽振りがよかった。
 石炭景気とスケトウ景気。それへの依存と栄華の記憶が、商業都市として拡大した岩内のひとたちの、原発への期待に反転した。

 原発は自然を崩壊させ、恐怖を生み出す。

 停止中でさえ、使用済み燃料棒は、ほぼ永遠に冷却し続けなくてはならない。

 ということは、地震などの自然災害による一次的な危険のみならず、「原発は大丈夫か!?」という問い、そして不安が、ほぼ永遠に消え去ることはない、ということだ。

 そんな原発など、いらない。

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by koubeinokogoto | 2018-09-06 20:47 | 原発はいらない | Comments(0)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


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