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幸兵衛の小言

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安部政権の本質ー「内田樹の研究室」より。

 「内田樹の研究室」の1月7日付け記事は、毎日新聞の取材に対応した「安部政権の本質」のロングバージョンである。
「内田樹の研究室」の該当記事

 内田らしい、分析と指摘だ。
 
 引用する。太字は管理人による。

 戦後日本で国論の分裂が際立ったのは、1960年の日米安全保障条約改定の時です。当時は安倍首相の祖父・岸信介が首相でした。でも、これは戦後史上、例外的な事態だったと思います。ですから、その後に登場した池田勇人は、政治的対立を避けて、国民全体が政治的立場にかかわらず共有できる目標として「所得倍増」を掲げた。経済成長の受益者には右も左もありませんから。
 池田内閣の経済政策を主導したのは、大蔵官僚の下村治ですけれど、彼は「国民経済」という言葉をこう定義しました。
「本当の意味での国民経済とは何であろう。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億二千万人が、どうやって食べどうやって生きて行くかという問題である。この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることはできない。そういう前提で生きている。中には外国に脱出する者があっても、それは例外的である。全員がこの四つの島で生涯を過ごす運命にある。その一億二千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である。」(下村治、『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』、文春文庫)
 今の自民党議員たちの過半はこの国民経済定義にはもはや同意しないでしょう。「外国に脱出するもの」をもはや現政権は「例外的」とは考えていませんから。
 今の政府が若い日本国民をその型にはめようとしている「グローバル人材」なるものは「日本列島以外のところで生涯を過ごす」ことも社命なら従うし、非正規雇用も受け入れるし、所得の上昇も生活の安定も望まないと誓言する代償に内定をもらった若者のことだからです。

 池田内閣が掲げた「所得倍増」には、国民が同意でき得る、共有できる夢があったのは事実だろう。

 実際、給与は、ほぼ国民皆に、おしなべて増えたのだから。

 しかし、もはや「国民経済」という概念そのものを放棄しているのが、安倍政権だ。

 過去には、「分断」を恐れる当時の自民党政権の姿があった。

 しかし、安部政権は、まったく異質の自民党政権であることを、内田は指摘する。

国民全体が同時的に潤う(あるいは「協和的な貧しさ」のうちに安らぐ)ということをもう現在の政府はめざしていません。「選択と集中」とか「トリクル・ダウン」とかいうのは、平たく言えば「勝てるやつに資源を全部集めろ(勝てないやつは「おこぼれ」を待ってじっとしてろ)」ということです。新自由主義的な政策は貧富の間で国民が分断されることをむしろ積極的に推し進めている。国民の分断を「危機的事態」と見るか、それともただの日常的風景と見るか、それがかつての自民党政権と安倍政権の本質的な差だと思います。


 この「差」は大きい。
 
 小泉政権との比較を含め、「分断」を容認するどころか、積極的に利用しているのが、安倍政権であるという次の指摘は、鋭い。
 
郵政民営化を強行した小泉純一郎も対話的な政治家とは言えませんでしたが、圧倒的な支持率を背にしていました。ですから、国の根幹にかかわる制度変更を断行したにもかかわらず、国論を二分するという最悪のかたちにはならなかった。
 安倍政権が先行者たちと決定的に違うのは、意図的に国民を分断することから政権の浮揚力を得ているという点です。今の選挙制度なら、有権者の30%のコアな支持層を固めていれば、残り70%の有権者が反対する政策を断行しても、政権は維持できることがわかったのです。

 要するに、安部政権とは、自分たちの政権が維持されることが最優先課題であり、国民のことなんか、これっぽっちも考えていないのだ。

そのためには、味方を徹底的に厚遇し、政敵の要求には徹底的にゼロ回答を以て応じる。そういうことを繰り返しているうちに、有権者たちは「自分たちが何をしても政治は変わらない」という無力感に侵されるようになります。その結果、有権者の50%が投票所に行く意欲を失った。低投票率になれば、コアな支持層を持つ自民党がわずかな得票数でも圧勝する。そういうことが過去7年繰り返されてきた。
 安倍政権は意図的に縁故政治を行っていますが、これは倫理の問題ではありません。これを単なる「長期政権のおごり」や「綱紀の緩み」だとみなすメディアの評価は本質的な見落としをしていると思います。安倍政権の縁故政治は日本国民を敵と味方に二分するために意図的に仕組まれているものだからです。味方になれば「いい思い」ができ、敵に回れば「冷や飯を食わされる」。そういう分かりやすい仕組みを官邸は作り上げました。それが長く続けば、「どうせなら、いい思いをする側につきたい」という人も出て来るし、冷や飯を食わされている側はしだいに無力感に侵される。

 分断作戦によって疲弊した国民が、「どうせなら、いい思いをする側につきたい」という衝動にかられることも、人間だからありうる。

 しかし、その誘惑に負けてはいけない。

 内田樹は、最後にそんな政権であっても、単純に「敵」「味方」という構図での議論は誤りであることそ説いている。

 デモクラシーとは、なにか。

話を単純な敵味方の対立に落とし込むと、受ける。でも、「敵を倒せ」というのは本当を言うとデモクラシーじゃないんです。
 反対者を受け入れ、敵対者と共に統治するのがデモクラシーです。国民的な和解なくして、デモクラシーは成り立たないんです。反対者との「気まずい共生」こそがデモクラシーの本質なんです。

 「気まずい共生」とは、言いえて妙だ。

 民主主義の本質は、そこにあるのだろう。

 だって、世の中みんなが、自分と気安く付き合える人ばかりではないのは、自明だから。

 仲良し同士だけで、世の中は成り立たないし、ある意味、成長もしない。

 久しぶりに「内田樹の研究室」を訪れて、また、学ぶことができたような気がする。

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by koubeinokogoto | 2020-01-24 21:27 | 市場原理主義、新自由主義に反対! | Comments(0)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛