幸兵衛の小言

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カテゴリ:戦争反対( 113 )

 赤報隊事件について、27日の土曜には実録ドラマとして、そして昨日は犯人捜査に関するドキュメンタリーとして連夜に渡りNHKが放送した。
NHKサイトの該当ページ
 土曜日のドラマを見ることはできなかったが、昨日のドキュメンタリーを見た。

 「赤報隊事件」とは赤報隊を名乗る犯人による一連の事件のことになるが、殺人事件としては、朝日新聞阪神支局の記者が散弾銃で殺された件のことを指す。
 Wikipedia「赤報隊事件」から、引用する。
Wikipedia「赤報隊事件」

朝日新聞阪神支局襲撃事件

1987年5月3日午後8時15分、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局へ散弾銃を持った男が侵入し、2階編集室にいた小尻知博記者(享年29)と犬飼兵衛記者(当時42歳)に向けて発砲した。小尻記者は翌5月4日に死亡(殉職により記者のまま次長待遇昇格)、犬飼記者も右手の小指と薬指を失った。犯人は現場にいたもう1人・高山顕治記者(当時25歳)には発砲せず、逃走した。勤務中の記者が襲われて死亡するのは、日本の言論史上初めてであった。5月6日には、時事通信社と共同通信社の両社に「赤報隊一同」の名で犯行声明が届いた。1月の朝日新聞東京本社銃撃も明らかにし、「われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす」「反日分子には極刑あるのみである」「われわれは最後の一人が死ぬまで処刑活動を続ける」と殺意をむき出しにした犯行声明であった。
 昨夜の番組では、何人かの容疑をかけられていた右翼への取材も紹介された。
 そして、未だに、あの事件を「義挙」などと言う、右翼の街宣も放送されていた。

 何が、義挙なのだ。

 反日という言葉をやたら使った、赤報隊。

 そして、過去も今日でも、その言葉を振り回す勘違いした人たちがいる。

 また、朝日を含め、反戦を唱えるメディアを目の敵にする、困った人たち。

 なかでも手におえない一人が百田だなぁ、と思っていたら、流石に「HUNTER」が、次のような記事を載せていた。
「HUNTER」の該当記事


「赤報隊」と極右作家の共通点
百田尚樹「朝日の読者は日本の敵」への“読者”からの反論(下)

2018年1月23日 08:40

「これは首を賭けてもいい。 もし、中国と日本が軍事衝突をすれば、朝日新聞は100パーセント、中国の肩を持つ。 朝日新聞は日本の敵だが、そんな売国新聞を支えている朝日の読者も日本の敵だ》――。ツイッター上にそう投稿した作家の百田尚樹氏だが、この主張を裏付ける証拠は示されていない。
 これまでも度々問題発言で物議をかもしてきた百田氏だが、彼が吠える時はいつも言いっ放し。激しい言葉で相手を誹謗・中傷し、間違いだと分かっても見苦しい言い訳を繰り返し、謝罪もしないというケースばかりだ。“恥”を知るのが日本人の美徳だとすれば、百田氏は最低の卑劣漢と言えるだろう。
 かつて、そんな百田氏と同じ方向性で、朝日新聞などに卑劣な犯行を繰り返したグループがいた。「赤報隊」である。

■沖縄への誹謗中傷―背景に百田発言?  
 昨年12月7日、米軍普天間基地所属の大型ヘリ「CH53」の部品が、基地近くにある保育園の屋根に落下するという事故が起きた。沖縄県民は怒り、当然ながら地元紙である琉球新報と沖縄タイムスは大々的に事件を報じた。

 これに対し、百田氏は同月12日、DHCテレビがネット上でライブ配信を行っている報道番組『真相深入り!虎ノ門ニュース』で、「(部品落下も報道も)全部ウソ」「捏造。ほぼ間違いない」と断言。「誰かが古いキャップ(部品)を持ってきて保育園の屋根の上に置いた可能性が高い」とまで言い切った。米軍発表を鵜呑みにした暴論だったが、飛行中のヘリをとらえた映像などから米軍発表の虚偽が証明済み。同じ月の13日には、基地に近接する市立普天間第二小学校の校庭に米軍へりの窓が落ち、小学生がケガをするという“事件”が起きている。

 問題は、虎ノ門ニュースでの百田発言以後、部品落下の被害を受けた保育園や小学校に、「(米軍機の窓落下は)やらせだ」「小学校のほうが後に作られたくせに文句をいうな」「沖縄の人間は基地がないと生きていけないだろう」「自作自演」「住むのが悪い」などといった内容の誹謗・中傷が寄せられたことだ。宜野湾市教育委員会に確認したところ、小学校あてにかかってきた誹謗・中傷の電話は、12月28日までに31件あったという(メールやFAXは未集計。現在は沈静化)。一連の流れからみて、政権擁護の極右が、百田発言に踊らされた可能性は否定できない。

 百田氏は、「永遠の0」や「海賊とよばれた男」を著したベストセラ―作家。発言を信じる国民は少なくあるまい。同氏が「部品落下は捏造」と断言すれば、被害者であるはずの沖縄の関係者が、逆に批判される立場へと変わることもある。それを狙っての発言なら、百田氏の罪は重い。

■沖縄蔑視で“でっち上げ”乱発  
 安倍政権にべったりの百田氏にとって、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移転に反対する沖縄県民と沖縄メディアは、我慢ならない存在なのだろう。沖縄蔑視の姿勢は見苦しいほどで、“でっち上げ”をあたかも事実のように公言してきた。

 2015年6月には、安倍首相に近い自民党の若手議員らが党本部で開いた勉強会「文化芸術懇話会」で、沖縄の地元紙が政府に批判的だとの意見が出たのに対し、「沖縄の2つの新聞(「沖縄タイムス」と「琉球新報」)はつぶさなあかん」と発言。「あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」と持論を展開した。米軍基地の存在を否定する沖縄メディアは、中国の手先という短絡的な思考だ。

 今回の朝日への攻撃は《中国と日本が軍事衝突をすれば、朝日新聞は中国の肩を持つ》→《朝日新聞は日本の敵だが、そんな売国新聞を支えている朝日の読者も日本の敵》→《(朝日新聞は)マジで潰れてもらわないといけない》という流れで、沖縄メディアを誹謗した時と同じ論理構成。悪質なのは、いずれのケースでも、彼の主張の核が根拠のない作り話であるという点だ。

 百田という男がとんでもないことは、何度か書いた。

 なかでも、宮崎駿が、彼の作品を酷評していることや、宮崎が反戦の思いを綴った文章の紹介を中心にした記事を、ほぼ四年前に書いている。
2014年2月4日のブログ

 その記事から、再度紹介したい。

 百田尚樹という人には、歴史を見る真っ当な常識があるように思えない。
 
 同じ零戦を扱った対照的な人物が宮崎駿である。

 宮崎は、ほぼ明確に百田の作品を批判している。昨年の引退表明直後の発言である。
「ビジネス・ジャーナル」の該当記事

宮崎駿、『風立ちぬ』と同じ百田尚樹の零戦映画を酷評「嘘八百」「神話捏造」
2013.09.25

 9月6日、引退会見を行ったアニメ界の巨匠・宮崎駿監督。引退作となった『風立ちぬ』(東宝)は興行収入100億円を超え、「最後の作品はスクリーンで」という人も多く、観客動員数は1000万人を突破すると見られている。

 そんな映画人生の有終の美を飾ろうとしている宮崎だが、ここにきて『風立ちぬ』と同じ“零戦”をテーマにした“あの作品”を猛批判しているのをご存じだろうか。

 宮崎が“あの作品”の批判を展開しているのは、「CUT」(ロッキング・オン/9月号)のロングインタビューでのこと。その箇所を引用しよう。

  「今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記を基にして、零戦の物語をつくろうとしてるんです。神話の捏造をまだ続けようとしている。『零戦で誇りを持とう』とかね。それが僕は頭にきてたんです。子供の頃からずーっと!」

 「相変わらずバカがいっぱい出てきて、零戦がどうのこうのって幻影を撒き散らしたりね。戦艦大和もそうです。負けた戦争なのに」


 「相変わらずバカがいっぱい」のリストに、安倍、石原、橋下、百田などの名を並べても、宮崎は否定しないだろう。

 戦争責任を誤魔化したり、美化することから、何ら生産的な未来は展望できない。

 宮崎の批判は続く。

戦争を美化する作品を糾弾する構えの宮崎

 宮崎がここで挙げている「零戦の物語」というのは、どう考えても人気作家・百田尚樹の原作で、12月に映画が公開される『永遠の0』(東宝)のこと。よほど腹に据えかねているのか、このインタビューで宮崎は“零戦神話”を徹底的に糾弾。

 「戦後アメリカの議会で、零戦が話題に出たっていうことが漏れきこえてきて、コンプレックスの塊だった連中の一部が、『零戦はすごかったんだ』って話をしはじめたんです。そして、いろんな人間が戦記ものを書くようになるんですけど、これはほとんどが嘘の塊です」と、『永遠の0』をはじめとする零戦を賛美する作品をこき下ろしている。

 もちろん、自身が『風立ちぬ』で基にした零戦設計者・堀越二郎の戦争責任についても言及。堀越の著書である『零戦』は共著であり、もう一人の執筆者が太平洋戦争で航空参謀だった奥宮正武だったことから「堀越さんは、自分ではそういうものを書くつもりはなかったけど、説得されて、歴史的な資料として残しておいたほうがいいんじゃないかっていうことで、書いたんだと思うんですけど」と前置きし、「堀越さんの書いた文章っていうのは、いろんなとこに配慮しなきゃいけないから、本当のことは書かないんだけど、戦争責任はあるようだけれども自分にはないと思うって書いています。面白いでしょう? 僕はこの人は本当にそういうふうに思った人だと思います」と弁護。

 さらに、「僕は思春期の頃、親父と戦争協力者じゃないかってもめた経験があるんですけど。そうやって断罪していくと、ほとんどの人が戦争協力者だと言わざるをえない。隣の韓国とか北朝鮮とか中国とかフィリピンとかインドネシアとかね、そういう側から考えると、それは加害者であるという」と話し、「職業をもつということは、どうしても加担するという側面を持っている。それはもうモダニズムそのものの中に入ってるんだと思ってるんです」と、到底美談では語れない戦争の加害性について論及している。

対照的な立場の宮崎と百田

 確かに同じ零戦をテーマとして扱っているとはいえ、宮崎と百田とはその政治的スタンスもまったく真逆だ。宮崎は憲法改正反対論者で、かたや百田はほとんど“右派論客”といってもいい活躍を見せている。

 百田は今年6月、朝日新聞で自身の作品が「右傾エンタメ」「愛国エンタメ」と評されたことに激怒し、苛烈に反論していたが、一方で首相再任前の安倍晋三との対談では「もう一度、自民党総裁選に出馬して総理を目指してもらいたい」と背中を押し、保守系論壇人である渡部昇一との対談でも「安倍政権では、もっとも大きな政策課題として憲法改正に取り組み、軍隊創設への道筋をつくっていかねばなりません」と語るなど、政治的発言を連発。朝日批判の際も「自虐史観とは大東亜戦争にまつわるすべてを『とにかく日本が悪かった』とする歴史観です」とネトウヨ(ネット右翼)が大喜びしそうなツイートをしていた。

 宮崎があえてインタビューで『永遠の0』批判を繰り出したのは、戦争を肯定する百田と一緒にされるのが耐えられなかったのかもしれない。

 しかし、一方の百田は、「先日、アニメ『風立ちぬ』の試写を観た。ラストで零戦が現れたとき、思わず声が出てしまった。そのあとの主人公のセリフに涙が出た。素晴らしいアニメだった」と同作を大絶賛。反戦主義の宮崎が零戦映画の製作をしたことで、方向転換したと勘違いして思わずはしゃいでしまったのかもしれないが、今回の宮崎の発言で見事にはね返された格好だ。

 歯に衣着せぬ言動や論争好きで知られる百田だが、果たして世界の巨匠・宮崎にはどのように反論するのか。大いに見ものである。(文=エンジョウトオル)

 宮崎駿と百田尚樹とは、まさに月とスッポンなのである。

 赤報隊も、殺人犯罪を義挙とする右翼も、反戦を主張するメディアを根拠なくSNSで批判するネトウヨも、もちろん百田尚樹も、皆、同じ共通項で括ることができる。

 彼らは、歴史を学ぶことのできないバカ、なのだ。

 百田などは、フランスで徴兵制が復活するニュースなどを、自分に都合よく利用すると思う。

 しかし、歴史に学ぶことができる日本人は、世界で日本以外のすべての国が徴兵制を復活させようが、唯一反戦を唱える国民であることを願う。

 なぜ、唯一の被爆国が、核兵器廃絶に国を挙げて反対できないのか。
 そんな政府のトップと仲良く食事をともにする百田などの取り巻き。

 そのような首相も、その仲間も、歴史に尊敬できる人物として名を残すことなどできない。
 残されるのは、汚名だけである。

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by koubeinokogoto | 2018-01-29 23:31 | 戦争反対 | Comments(0)
 「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」がノーベル平和賞を受賞し、受賞式で被爆者であるサーロー節子さんがスピーチを行った。

 河野外相へのインタビューを見たが、なんとも情けない言訳ばかり。

 「核廃絶のゴールは共有」するが、「現実的な核軍縮を前進させる道筋を追求していく必要」があるんだとさ。

 早い話が、「現実的」に、日本はアメリカの言いなりであるということだ。

 世界で唯一の被爆国日本のメディアは、それ以上に重要なニュースがあったようで、ニュースとしてはほんの一部でしか、この件を取り上げなかった。

 私の気持ちを代弁してくれるようなLITERAの記事を引用する。
LITERAの該当記事

ICANノーベル賞授賞式でサーロー節子さん感動のスピーチも日本マスコミは無視! 普段は“日本スゴイ”が好物なのに
2017.12.12

 「核兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです」──。日本時間10日夜におこなわれたノルウェー・オスロでのノーベル平和賞授賞式におけるサーロー節子さんの力強い演説が、いま、大きな話題と感動を呼んでいる。

 サーロー節子さんは広島県生まれで、13歳のときに学徒動員で暗号解読の助手として出向いた爆心地から約1.8キロメートルの場所にあった陸軍第二総軍司令部で被爆した。九死に一生を得た節子さんは戦後、留学を経て結婚、カナダへ移住し、平和活動に積極的に参加。ノーベル平和賞を受賞した国際NGO・核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の「顔」として、これまで長年にわたって核兵器の恐ろしさを伝える活動をつづけてきた。

 そして、節子さんは被爆者としてはじめてノーベル賞の授賞式で、世界に向けてスピーチをおこなったのだ。

 窓から飛び込んだ青い閃光と、建物の下敷きになったときに聞こえた「あきらめるな!」「あの隙間から光が入ってくるのが見えるだろう? そこに向かって、なるべく早く、はって行きなさい」という声。破壊され尽くした街で目にした、幽霊のような姿となった人びとの行列。たった一発の爆弾によって、愛した街も、家族も、友人も一瞬にして失った──。なかでも、節子さんは当時4歳だった甥の姿を忘れたことはない。「小さな体は、何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました」という甥っ子は、息を引き取るまで弱々しい声で「水が欲しい」と求めたという。

「私にとって彼は、世界で今まさに核兵器によって脅されているすべての罪のない子どもたちを代表しています。毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を、私たちの親しむすべての物を、危機にさらしています。私たちは、この異常さをこれ以上、許していてはなりません」(スピーチ翻訳は朝日新聞デジタルより。以下同)

 節子さんが訴えつづけてきた声は、たしかに世界を動かした。今年7月、国連が核兵器禁止条約を採択したからだ。演説のなかで節子さんはこの条約を「核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか」と呼びかけた上で、このようにつづけた。

「核武装国の政府の皆さんに、そして、『核の傘』なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そして、あなたたちの行動こそ重要であることを知りなさい。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません」

NHKは『ニュース7』も『ニュースウオッチ9』も授賞式を取り上げず
 
 核のない世界へ、光に向かって進みつづけよう──。節子さんのスピーチには何度も大きな拍手が起こり、さらには授賞式後、2000人以上の人びとがノーベル賞受賞を祝福するパレードに参加したが、そこでは「Yes!I can!」というコールが巻き起こった。ICANの受賞を喜ぶと同時に、核廃絶を「わたしたちにはできる」と誓う声だ。

 しかも、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏も、スウェーデン・ストックホルムでの記者会見において母親が長崎で被爆した経験をもつことにふれて、「冷戦終結後、核への関心が薄らぐ一方で危険性は高まっている。ノーベル平和賞が核の問題の重要性に再び光を当てたことは喜ばしい」と言及。ICANの受賞を言祝いだ。

 ICANの活動は日本の被爆者や市民団体が果たした役割が非常に大きく、授賞式にはICANのメンバーとともに広島・長崎の被爆者や広島市長、長崎市長も出席。すなわち、日本が世界から注目される大きな出来事だったわけだが、目を疑ったのは、日本のテレビメディアの伝え方だ。

 普段は「日本スゴイ!」が大好物であるはずのテレビのワイドショーをはじめ、ニュース番組でも、この話題をまったく取り上げなかったり、あるいはストレートニュースで消化したのだ。

 いや、もっと驚いたのは、NHKの姿勢だ。ノーベル平和賞授賞式から一夜明けた11日の『NHKニュース7』と『ニュースウオッチ9』が、揃って平和賞授賞式の話題を取り上げなかったのである。

『ニュースウオッチ9』のトップニュースは、アメリカ・カリフォルニア州で起こった山火事。つづいて元横綱・日馬富士が書類送検された話題をスタジオトークもまじえて伝えた。その後、ノーベル文学賞のカズオ・イシグロ氏の話題を取り上げたが、メインの内容は、小津安二郎の映画や『オバケのQ太郎』に影響を受けたというインタビュー。イシグロ氏は日本が過去とどう向き合うかといった問題についても語ったが、番組は結局、平和賞の授賞式やサーロー節子さんの演説には一切ふれることなく終了した。

 世界の平和よりも、外つ国の山火事や、乱暴な力士による傷害事件の方が大事だった、ということか。

 あるいは、NHK得意の「忖度」か・・・・・・。

 カズオ・イシグロの特別インタビューを見たが、彼が日本、それも長崎に生まれたことに関する思いや、日本を憂い気持ちは、想像以上に強いものがあると思った。

 それに比べて、その国にいる政治家やメディアの人間は、ICANや節子さんのことに、何を感じているのだろうか。

 憲法改悪反対や原発反対、共謀罪反対などのデモには、多くの高齢者の方が、心の底に「Yes!I CAN!」という思いをしっかり刻んで、寒い中でも行進に参加されている。

 私はなかなかそういうデモに出る機会は少ないが、「Yes!I Can!」という思いは失わないでいようと思っている。

 節子さんをはじめとする被爆者の方々の、文字通りに生命をかけた努力が、今回のノーベル平和賞受賞に大きく貢献している。

 少なくとも、そのことは同じ日本人の誇りにしたい。

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by koubeinokogoto | 2017-12-16 14:36 | 戦争反対 | Comments(5)
 少し前(9月4日)の「内田樹の研究室」より。三分割するが、全文を紹介したい。太字は管理人。
「内田樹の研究室」該当記事

 まずは、米朝戦争の現実性に関して。
米朝戦争のあと

7月に、ある雑誌のインタビューで、米空母の半島接近で、北朝鮮とアメリカの間で戦端が開かれる可能性はあるでしょうか?という質問が出ました。
戦争が始まる可能性はあるのか。あるとしたら、どういうかたちになるのか。その後何が起こるのかについて、そのときこんなことを申し上げました。

米朝戦争ということになれば、アメリカはすぐにICBMを打ち込んで、北朝鮮は消滅することになると思います。
でも、北朝鮮が消滅する規模の核攻撃をしたら、韓国や中国やロシアにまで放射性物質が拡散する(日本にも、もちろん)。朝鮮半島や沿海州、中国東北部の一部が居住不能になるような場合、アメリカはその責任をとれるでしょうか。
空母にミサイルが当たったので、その報復に国を一つ消滅させましたというのは、いくらなんでも収支勘定が合いません。人口2400万人の国一つを消滅させたというようなことは、さすがに秦の始皇帝もナポレオンもやっていない。それほどの歴史的蛮行は世界が許さないでしょうし、アメリカ国内からもはげしい反発が出る。
北朝鮮の空母がハドソン川を遡航してきてマンハッタンにミサイルを撃ち込んだというならともかく、アメリカの空母が朝鮮半島沖で攻撃されたというのでは開戦の条件としてはあまりにも分が悪い。
そうなると、あとは戦争をすると言っても、ピンポイントで核施設だけ空爆で破壊し、国民生活には被害が出ないようにするという手立てしかない。でも、仮にそれがうまく行って、ライフラインや行政機構や病院・学校などが無傷で残ったとしても、その国をアメリカがどうやって統治するつもりなのか。
アフガニスタンでもリビアでもイラクでも、アメリカは独裁政権を倒して民主的な政権をつくるというプランを戦後は一度も成功させたことがありません。成功したのは72年前の日本だけです。でも、それが可能だったのはルース・ベネディクトの『菊と刀』に代表されるような精密な日本文化・日本人の心性研究の蓄積が占領に先立って存在していたからです。同じように、もし北朝鮮の「金王朝」を倒して、民主的な政権を立てようと思うなら、それを支えるだけの「北朝鮮研究」の蓄積が必要です。でも、アメリカもどこの国もそんなものは持っていない。戦争であれクーデタであれ住民暴動であれ、北朝鮮政権が統制力を失った後の混乱をどうやって収めるかについてのプランなんて、中国もロシアもアメリカも韓国も誰も持っていない。
それについて一番真剣に考えているのは韓国だと思います。でも、その韓国にしても「北伐」というようなハードなプランは考えていないはずです。とりあえずは脱北者を受け入れ続け、その数を年間数万、数十万という規模にまで増やす。そして、もし何らかの理由で北朝鮮のハードパワーが劣化したら、韓国内で民主制国家経営のノウハウを学んだ脱北者たちを北朝鮮に戻して、彼らに新しい政体を立ち上げさせる。
韓国政府が北朝鮮に直接とって代わることはできない。混乱を収めようと思ったら、「北朝鮮人による北朝鮮支配」というかたちをとる他ない。そのことは、韓国政府にはわかっているはずです。
 核のボタンを押したらどうなるかは、金正恩でも分かっている。
 まだ、トランプの方が怖いかな。

 次は、あまり知られていないかもしれない、「一国二制度」のこと。
もっとソフトな解決法があります。一国二制度による南北統一です。
これは1980年に、当時の北朝鮮の金日成主席が韓国の全斗煥大統領に向けて提案したものです。統一国家の国名は「高麗民主連邦共和国」。南北政府が二制度のまま連邦を形成するという案です。「在韓米軍の撤収」という韓国政府にとって簡単には呑めない条件がついていたせいで実現しませんでしたが、懲りずに北朝鮮は2000年にも金正日が南北首脳会談の席で、金大中大統領に対して、再び連邦制の検討を提案しています。
南北統一については、北の方からまず「ボールを投げている」という歴史的事実は見落としてはいけないと思います。条件次第では、南北統一、一国二制度の方が「自分たちにとって安定的な利益がもたらされる」という算盤勘定ができないと、こんな提案は出て来ません。
今の金正恩にとっては、「王朝」の安泰が約束され、「王国」の中で自分たち一族が末永く愉快に暮らせる保証があるなら、一国二制度は悪い話じゃありません。連邦制になれば、核ミサイルをカードに使った瀬戸際外交を永遠に続けるストレスからは解放されるし、飢えた国民が自暴自棄になって暴動を起こしたり、政治的野心を持った側近がクーデタを起こすといったリスクも軽減される。
 ミニメディアやネットでは目にするアントニオ猪木の発言や行動は、もっとテレビや全国紙で取り上げられてもいいと思うのだが、北朝鮮は対話の扉を閉めているわけではない。
 きっと、「一国二制度」を飲んでくれるのなら、状況は大きく変わるはずだ。
北朝鮮は保有する兵力は想定ですが、陸軍102万人、海軍6万人、空軍11万。他に予備役が470万人、労農赤衛隊350万人、保安部隊が19万人。2400万人の国民のうち約1000万人が兵器が使える人間、人殺しの訓練をしてきた人間です。
イラクでは、サダム・フセインに忠誠を誓った共和国防衛隊の軍人たちをアメリカが排除したために、彼らはその後ISに入って、その主力を形成しました。共和国防衛隊は7万人。朝鮮人民軍は1000万、その中には数万の特殊部隊員がふくまれます。職を失った軍人たちをどう処遇するのか。彼らが絶望的になって、反社会勢力やテロリスト集団を形成しないように関係諸国はどういう「就労支援」を整備したらいいのか。それはもう日本一国でどうこうできる話ではありません。
リビアやイラクがそうでしたけれど、どんなろくでもない独裁者でも、国内を統治できているだけ、無秩序よりは「まだまし」と考えるべきなのかも知れません。
今のところ国際社会はそういう考えのようです。とりあえずは南北が一国二制度へじりじりと向かってゆくプロセスをこまめに支援するというのが「北朝鮮というリスク」を軽減するとりあえずは一番現実的な解ではないかと僕も思います

 なかなか、内田のような論調を目にすることはなく、とにかく騒ぐだけ騒いでいるのが、現在のマス・メディアの実態。

 もっとも罪が大きいのは、アメリカの強硬論に追随するだけの日本の政府。
 「すべてのカード」という言葉を安倍首相はよく使うが、「一国二制度」の模索、というカードは、彼のトランプの中にないのだろう。

 唯一の被爆国ができること、あるいは、すべきことはたくさんあるはずだ。

 豊臣秀吉の朝鮮出兵を、現代の人は無謀な、馬鹿げた行為と判断することができる。

 では、現在の北朝鮮問題については、どういう歴史を刻むことができるのか。

 歴史に、日本のおかげで最悪の事態は防ぐことができた、と書き残したいではないか。

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by koubeinokogoto | 2017-09-13 22:54 | 戦争反対 | Comments(0)
 9日の平和祈念式典で、田上長崎市長の「平和宣言」、そして被爆者代表深堀好敏さんの「平和への誓い」の間、カメラは安倍晋三の落ち着きのない表情を捉えていた。

 安倍は、頻繁に目を瞬かせて、心ここにない表情を見せていた。

 なんとも情けない、世界で唯一の被爆国の首相の態度であろうか。

 「ハフィントンポスト」から、まず、平和宣言の全文を引用する。

「ハフィントンポスト」の該当記事

「ノーモア ヒバクシャ」

この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

しかし、これはゴールではありません。今も世界には、1万5000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

日本政府に訴えます。

核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。

皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。

そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。

遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

2017年(平成29年)8月9日

長崎市長 田上富久

 「ヒロシマ」「ナガサキ」そして、「ヒバクシャ」というカタカタ文字の仲間に、「フクシマ」も加わっていると私は思う。

 なぜかメディアは「フクシマ」という表現を避けているように思うが、あえて「フクシマ」と書こう。

 これらの言葉が固有名詞化しているのか、その意味をもっとも考えなければならないのが、世界で唯一、原爆を投下された国の首相ではないのか。

 
 被爆者代表の深堀さんは、付き添いの方の手を借りて檀上に登り、「平和への誓い」をしっかりと述べられた。
 その中で、「フクシマ」のことにも触れられている。

 朝日から全文を引用する。
朝日新聞の該当記事


 原爆が投下された1945年8月9日、私は16歳。爆心地から3・6キロ離れた長崎県疎開事務所に学徒動員されていました。11時2分、白い閃光(せんこう)と爆発音を感じ慌てて机の下にもぐり込みました。夕方、帰宅命令が出て、私は学友と2人、金比羅山を越えて帰ろうと山の中腹まできたところ、山上から逃げてくる多くのけが人に「山の向こうは一面火の海だから…」と制止され、翌朝、電車の線路に沿って歩き始めました。長崎駅の駅舎は焼け落ち、見慣れた町並みは消えてなくなり、別世界に迷い込んだようでした。ようやく辿(たど)りついた山王神社近くの親せきの家は倒壊していました。その中で家の梁(はり)を右腕に抱きかかえるような姿で18歳の姉は息絶えていました。あの時、私が無理をしてでも家に帰っていれば、せめて最期に声をかけられたのではないかと、今でも悔やまれてなりません。そのあと大学病院へ向かい、さらに丘を越えると眼下に浦上天主堂が炎上していました。涙があふれ出るとともに怒りを覚え、「ああ、世界が終わる」と思いました。ここ平和公園の横を流れる川には折り重なって死体が浮いていました。私は、三ツ山に疎開していた両親に姉の死を報告し、8月12日、母と弟と3人で材木を井桁に組み、姉の遺体を荼毘(だび)に付しました。その日は晴天でした。頭上から真夏の太陽が照りつけ、顔の正面からは熱気と臭気がせまり目がくらみそうでした。母は少し離れた場所で地面を見つめたまま、ただ祈り続けていました。

 たった一発の原子爆弾は7万4千人の尊い命を奪い、7万5千人を傷つけました。あの日、爆心地周辺から運よく逃げ延びた人々の中には、助かった喜びも束(つか)の間、得体(えたい)のしれない病魔に襲われ多くが帰らぬ人となりました。なんと恐ろしいことでしょう。私は「核は人類と共存できない」と確信しています。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生し国内の原発は一斉に停止され、核の脅威に怯(おび)えました。しかし、リスクの巨大さに喘(あえ)いでいる最中、こともあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国のわが国にあって如何(いか)なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。戦後「平和憲法」を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬と信頼は決して失ってはなりません。また、唯一の戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはなりません。

 私は1979年、原爆で生き残った有志6人で原爆写真の収集を始め、これまでに様々な人たちが撮影した4千枚を超える写真を収集検証してきました。原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、世界の恒久平和と核廃絶のために微力をつくすことを亡くなられた御霊の前に誓います。

 2017年(平成29年)8月9日

 被爆者代表 深堀好敏


 平和宣言から、肝心な部分を太字で確認。

“核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません”

 平和への誓いからも。

“私は「核は人類と共存できない」と確信しています。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生し国内の原発は一斉に停止され、核の脅威に怯(おび)えました。しかし、リスクの巨大さに喘(あえ)いでいる最中、こともあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国のわが国にあって如何(いか)なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。戦後「平和憲法」を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬と信頼は決して失ってはなりません。また、唯一の戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはなりません”


 北朝鮮の行動に対し、アメリカと同調して強硬な姿勢を繰り返す日本政府の対応は、大きな間違いである。

 いつ、核弾頭を積んだミサイルがアメリカと同盟国である日本に落ちても、不思議のない実に危険な状況を、安倍政権は自ら招いている。

 核も原発も一切放棄し、九条を順守する非戦の決意をもってアジアの同胞に対話を続けてこそ、日本の存在意義があり、世界で尊敬される国になる可能性がある。

 核兵器禁止を明らかに訴え、憲法に則って反戦・非戦を明確に宣言できる、世界の誇れる国になる日が訪れることを、多くの国民が望んでいる。

 「平和」宣言、「平和」への誓い・・・この「平和」の意味するところを理解できない者が、この国のリーダーであるべきではない。

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by koubeinokogoto | 2017-08-10 12:21 | 戦争反対 | Comments(0)
 まさに大往生だった日野原重明医師の話題がそろそろ少なくなってきたが、反戦、憲法九条支持、安倍政権による憲法改正(改悪)反対を明確に主張していてことは、忘れてはならないだろう。

 LITERAの記事から引用する。
LITERAの該当記事

日野原重明氏が遺した安倍政権の改憲に反対する言葉! 「押しつけ憲法論」も真っ向否定
2017.7.19

100歳を超えても現役医師として活躍した日野原重明・聖路加国際病院名誉院長が亡くなった。延命治療を施さず105才での逝去は、日野原氏らしい大往生と呼ぶにふさわしいだろう。

日野原氏といえば、日本初の人間ドッグを開設したり、終末期治療の充実を提唱するなどして、医学界に大きな貢献をしたことはもちろん、地下鉄サリン事件発生時には病院をすぐさま開放する迅速な対応で、被害を最小限に抑えるなど、常に患者の側に立った姿勢を持ち続けたことで知られている。


一方、晩年は自らの戦争体験を通して、平和へのメッセージもおくってきた。それらは、2015年に刊行された『戦争といのちと聖路加国際病院ものがたり』(小学館)に詳しいが、いのちと向き合うはずの病院の中で起きたこと――東京大空襲で収容した1000人の負傷者。救えなかったたくさんのいのち。特高警察による監視、取り調べ。病院ロビーで聞いた玉音放送。終戦直後のGHQによる病院建物の接収――を余すことなく伝えることで、戦争に翻弄されるいのちのはかなさを説いている。

そんな経験を持つ日野原氏だからこそ、改憲にひた走る最近の安倍政権の動向には強い危機感を抱いていた。14年の憲法記念日には、『十代のきみたちへ−ぜひ読んでほしい憲法の本』(冨山房インターナショナル)を刊行。「戦争をできるように憲法を変えるのは反対」と護憲の意志をはっきり表した。

さらに、その危機感が強く伝わってきたのが、朝日新聞の連載「104歳 私の証・あるがまま行く」(16年3月19日・26日)に掲載された一文だ。

「12年前の憲法調査会公聴会」というタイトルがついたこの文章の冒頭、日野原氏はまず、天皇皇后両陛下がフィリピン訪問の際に日本人戦死者、フィリピン人兵士双方の碑と墓を訪問したことに触れたうえで、こう宣言する。

〈現在、国会では憲法改正について議論になることも増えていますが、私は自らの経験から今後も一貫して日本国憲法の大切さを主張しつづけていきたいと思っています〉

そして、日野原氏は04年の憲法調査会公聴会に公述人として参加した際、「押しつけ憲法論」を否定し、制定からここまで、日本国民が日本国憲法をしっかりと守る努力をしてきたのか、と問いかけたことを明かしている。

〈憲法改正を訴える人たちは、この憲法をアメリカに押し付けられたものだと言うのですが、憲法は私たち国民の合意のもとで制定されたものです。その憲法を私たち国民はしっかり順守し、実践してきたと言えるのでしょうか〉

 日野原氏は、憲法前文にある「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」という文言を挙げ、こう訴えたという。

〈我が国は平和を目指す国際社会の中で、日本国憲法前文がうたう「名誉ある地位」を占めてきたとは到底、言えない。私たちはそれを強く反省しなければならないし、また何をもってそれを償うかを考えなければならない〉

しかし、こうした訴えにもかかわらず、その後、憲法軽視はどんどんエスカレートし、第二次安倍政権でとうとう改憲が政治日程にのぼることになった。こうした動きに抗するように日野原氏は、記事の中でこう訴えている。

〈名誉ある地位は形式的なことで手に入るものではなく、具体的な労力、行動、犠牲を伴います。人を愛するとき、相手のすべてを「ゆるす」という犠牲が伴うのと同じです。それにより争いは避けられ、全体の安全が保たれることがあるのです。そのリーダーシップをとれる人がもっと日本に出てこなければなりません。武力で武力を制することはできません。別の手段を考えるべきなのです〉
〈憲法の目的は、国民のいのちを安全に保つことであって、憲法に定められた主役は「日本国民」です。押しつけどころか、私たちのいのちを武力以外で守る賢い仕組みです〉

 この記事が、日野原氏の待望するリーダー像とは真逆の安倍晋三首相を意識しているのは明白だろう。

〈今この時期、どうしても皆さんに私の考えをお伝えしたくて、筆を執った次第です〉

こう結ばれているこの文章からは、日野原氏の切実な危機感が伝わってくるが、しかし、その思いは安倍政権にはもちろん、まったく届いていない。

菅義偉官房長官は、18日の会見で日野原氏の死についてコメントを発したが、例の“スガ語”と同じ感情などまったく感じないトーンで「100歳を超えてもなお生涯現役として、医学界の発展に尽くされた。心から敬意と感謝を表するとともに、ご冥福をお祈り申し上げる」と、通り一遍のおくやみコメントを出しただけだった。

日野原氏の遺志を継ぐためにも、安倍政権の改憲の動きはなんとしてでも止めなければならない。
(窪川 弓)

 
 肝腎な部分を太字で繰り返そう。

〈憲法改正を訴える人たちは、この憲法をアメリカに押し付けられたものだと言うのですが、憲法は私たち国民の合意のもとで制定されたものです。その憲法を私たち国民はしっかり順守し、実践してきたと言えるのでしょうか〉

〈名誉ある地位は形式的なことで手に入るものではなく、具体的な労力、行動、犠牲を伴います。人を愛するとき、相手のすべてを「ゆるす」という犠牲が伴うのと同じです。それにより争いは避けられ、全体の安全が保たれることがあるのです。そのリーダーシップをとれる人がもっと日本に出てこなければなりません。武力で武力を制することはできません。別の手段を考えるべきなのです〉


 〈今この時期、どうしても皆さんに私の考えをお伝えしたくて、筆を執った次第です〉という言葉には、いつ自分にその時が来るか分からない、という強い、そして熱い思いがあったことがひしひしと伝わる。

 大学在学中に結核でほぼ一年療養生活を送ったことも、日野原医師の死生観には影響しているかもしれない。

 1970年の「よど号ハイジャック」の乗客の一人だった。
 犯人たちが「ハイジャック」という言葉を口にしたのだが、その意味を知らない他の乗客に教えたとされる。
 また、犯人たちが持ち込んだ本の貸し出しをすると申し出たが、本を借りたのは日野原医師一人で、その本は『カラマーゾフの兄弟』だったとのこと。

 著作を含め、多くの言葉を遺してくれた。
 その中でも、反戦、憲法擁護の強い主張は、忘れてはならないと思う。

 日野原医師は、安倍政権という最悪の政治環境の中で、旅立った。

 その政権のリーダーには上に立つ資格がないことを明確に指摘していた日野原医師の思いをつなぐのは、生きている者たちの責務だろう。


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by koubeinokogoto | 2017-07-31 19:53 | 戦争反対 | Comments(0)
 PKOの南スーダン派遣部隊における「戦闘」と記された日報を隠匿しようとしていた防衛省は、まるで大本営ではないか、と思っていたら、東京新聞の今日のコラム「筆洗」が、私の思いを代弁してくれていた。

 引用する。
東京新聞の該当コラム


筆洗
2017年2月9日

 日米開戦から二年がたった一九四三年十二月八日、大本営は戦果を発表した。二年間で米英の戦艦十八隻、空母二十六隻を撃沈、日本軍の損害は戦艦一隻に空母二隻。連戦連勝を思わせる戦果である▼では実際のところはどうだったのか。近現代史研究家の辻田真佐憲(まさのり)さんの『大本営発表』(幻冬舎)によると、米英軍の損失は戦艦四隻、空母六隻。対する日本軍は戦艦三隻、空母七隻を失っていた▼数字の操作だけではない。大本営は「全滅」を「玉砕」と言い、「撤退」を「転進」と言い換えた。情報を軽んじ、都合のいいように変える。それが、どんな悲劇をこの国にもたらしたか。現代史の常識なのだが、どうもそういう歴史に疎いのだろう▼国連の平和維持活動に陸上自衛隊が参加している南スーダンで昨夏、何が起きていたのか。防衛相らは「戦闘行為は発生していない」と言っていた▼しかし、二百人もが命を落とした緊迫した日々を、現地の陸自部隊は、「戦闘」という言葉を何度も使って日報に記録していた。この大切な日報を防衛省は「廃棄した」と説明していたのだが、追及されると、「実は、ありました」▼辻田さんの著書によると、大本営は、偽りの真実に自ら縛られていったという。そうして、非現実的な策が現場に押し付けられていった。そんな自縄自縛の罠(わな)が、防衛相には見えていないのだろうか。


 結局公開された日報には、生々しい「戦闘」そして「戦争」が刻まれていた。
 時事新報サイト「JIJI.COM」から引用する。
時事新報「JIJI.COM」の該当記事

突発的戦闘やPKO停止も=南スーダン派遣部隊の日報公開-政府説明とずれ・防衛省

 防衛省は7日、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊部隊が昨年7月に作成した日報などを公開した。同国の首都ジュバでは同月、大規模な武力衝突が発生しており、日報には「激しい銃撃戦」「突発的な戦闘への巻き込まれに注意」などという記載のほか、「国連活動の停止」もあり得るとの指摘もあった。

 「戦闘」という表記が複数あり、これまで政府が否定してきた「戦闘行為」が起きていたことを裏付ける内容。当初は日報を破棄したと説明していた同省の姿勢が厳しく問われることになりそうだ。
 公開された文書は、現地部隊が作成した昨年7月11~12日付の日報と、日報に基づき陸自中央即応集団が作成した「モーニングレポート」。
 日報には、同月11日午後、ジュバ市内の宿営地周辺で「激しい銃撃戦」や「砲弾落下」があったなどと記載。「(大統領派と前副大統領派)両勢力による戦闘が確認されている」と明記し、「宿営地周辺における流れ弾や突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要」としていた。
 さらに、今後想定されるシナリオとして「ジュバでの衝突激化に伴う国連活動の停止」とあり、PKO活動が停止する可能性も指摘していた。
 政府はこれまで、300人超が死亡したとされる昨年7月の武力衝突について、「武器を使っての殺傷や物を破壊する行為はあった」としながらも、「戦闘行為ではなかった」と説明。菅義偉官房長官は7日の会見で「文書を隠蔽(いんぺい)する意図は全くなかった」述べた。(2017/02/07-22:34)


 政府が、「武器を使っての殺傷や物を破壊する行為はあった」としながらも、「戦闘行為ではなかった」という苦しい弁明こそが、「隠蔽」しようとした確信犯であることを物語る。

 まさに、大本営の姿と変わらない。

 朝日の今日の社説に、昨年の安倍晋三の嘘や、稲田防衛相の発言を含め掲載されている。
朝日新聞の該当社説
 一部、太字にする。

社説
PKO日報 国民に隠された「戦闘」
2017年2月9日(木)付

 これまでの政府の説明は何だったのか。現場とのあまりの落差にあぜんとする。

 昨年7月の南スーダンの状況を記録した、国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報などの文書を防衛省が公表した。

 この当時、政府軍と反政府勢力の大規模な戦闘が起きた。文書には、部隊が派遣された首都ジュバの、生々しい状況が記録されている。

 「宿営地5、6時方向で激しい銃撃戦」「戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘」。事態が悪化すれば、PKOが継続不能になる可能性にも言及している。

 こうした状況について、政府はどう説明していたか。

 昨年7月12日、当時の中谷元防衛相は「散発的に発砲事案が生じている」と述べた。安倍首相は10月に「戦闘行為ではなかった。衝突、いわば勢力と勢力がぶつかったという表現を使っている」と国会答弁した。

 ジュバの状況を、政府はなぜ「戦闘」と認めないのか。

 稲田防衛相はきのうの衆院予算委員会でこう説明した。

 「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」

 政府は「戦闘行為」について「国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺傷し、または物を破壊する行為」と定義する。こうした「戦闘」が起きていると認めれば、憲法やPKO参加5原則に抵触し、自衛隊はPKOからの撤退を迫られる。

 稲田氏は「国際的な武力紛争の一環とは評価できない」とするが、派遣継続ありきで「戦闘」と認めないとも取れる。

 「戦闘」が記された文書は、昨年9月に情報公開請求され、防衛省は文書を「廃棄した」として不開示とした。ところが、自民党の河野太郎衆院議員に再調査を求められ、範囲を広げて調べ直すと別の部署で見つかったとして一転、公開された。

 この間、政府は10月に南スーダンPKOの派遣を延長し、11月以降、安全保障関連法に基づく「駆けつけ警護」が初めて付与された部隊が出発した。

 こうした政府の決定は結果として、国民にも、国会にも重要な判断材料を隠したままで行われた。駆けつけ警護の付与、さらにはPKO派遣継続自体の正当性が疑われる事態だ。

 そもそも、このような重要な記録を「廃棄した」で済ませていいはずがない。不都合な文書を恣意(しい)的に隠したと疑われても仕方がない。安倍政権は厳しく襟を正すべきだ。

 稲田の、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている、という発言は、戦地と認めれば国民を派遣できないので嘘をついている、ということを自供しているようなものだ。

 PKOは、弾の届かない安全な地帯への派遣である、などという嘘は、もはや通じない。

 自国のためといえども、日本は戦争を放棄したはずだ。
 それなのに、海外の戦地に、なぜ日本国民が生命の危険を賭して行かねばならないのか。

 自衛隊員、そして家族の皆さんも、当事者として発言して欲しい。

 戦争はまっぴらだ、と。


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by koubeinokogoto | 2017-02-09 21:14 | 戦争反対 | Comments(0)
 日本が、未だに主権のない国であり、アメリカの幇間持ちであることを露呈したのが、今回の国連での「核兵器禁止条約」に関わる行動だ。

 まず、朝日新聞の記事から引用。
朝日新聞の該当記事
核兵器禁止条約、交渉へ決議採択 国連、日米ロなど反対
ニューヨーク=杉崎慎弥、松尾一郎、田井中雅人
2016年10月28日14時48分

 国連総会第1委員会(軍縮)は27日、核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」について来年から交渉を始めるとの決議を、123カ国の賛成多数で採択した。米ロ英仏などの核保有国や、米国の「核の傘」の下にある日本など38カ国が反対し、中国など16カ国が棄権した。

 年内に国連総会本会議で採択され、核兵器の法的な禁止をめぐる本格的な議論が初めて国連で行われることになるが、米国などは不参加を表明しており、状況しだいでは実効性を問われる可能性もある。

 決議は、核兵器を禁止する法的措置を交渉する国連会議を2017年3月と6~7月に開催するように求める内容。メキシコやオーストリアなど核兵器の「非人道性」を訴える国々が提案し、推進してきた。

 これに対し、米国は「第2次世界大戦後の安全保障体制を下支えしてきた長年の戦略的安定性を損ねかねない」などとして強い反対を表明し、自らが主導する北大西洋条約機構(NATO)の加盟国などに反対するよう求めていた。


 次に、共同通信のニュースを元にした東京新聞の記事を引用。
東京新聞の該当記事

核禁止条約 交渉開始へ 国連委決議、日本反対
2016年10月28日 13時57分

 【ニューヨーク=東條仁史】国連総会第一委員会(軍縮)は二十七日、核兵器を法的に禁止する条約の制定交渉を来年から開始することを盛り込んだ決議案を賛成多数で採択した。唯一の戦争被爆国として核廃絶に取り組んできた日本政府は反対に回り、被爆者から反発の声が上がるのは必至だ。

 賛成は百二十三カ国で、核保有国の米国、英国、フランス、ロシアなど三十八カ国が反対、中国など十六カ国が棄権した。核実験を繰り返す北朝鮮は賛成した。

 来年三月にも核兵器の開発や実験、保有、使用などを全面禁止する条約の枠組みづくりに向け、国連で初めて本格的な議論が始まることになる。

 佐野利男軍縮大使は採決後、記者団に「核軍縮は核保有国と非保有国が協力して進めることが必要。国際社会の総意の下で進めるべきだと主張してきたが、意思決定のあり方に反映されなかった」と反対理由を説明した。

 決議案を共同提案したオーストリアのクグリッツ軍縮大使は採択後、日本の反対について「残念に思う」と述べた。

 決議は「核兵器の使用がもたらす人道的に破滅的な結果を深く懸念する」とし、来年三月二十七~三十一日と六月十五日~七月七日にニューヨークで「国連の会議を開き、核兵器を禁止する法的拘束力がある文書の交渉に入ることを決める」と明記した。交渉の進め方や議論する具体的な内容などについては今後、協議していくとみられる。

 ただ、米国など主要な核保有国は交渉に参加しない可能性が高い。核廃絶に向け、実効性のある条約が制定できるかは見通せない。

<核兵器禁止条約> 核兵器の開発や実験、保有、使用などを全面禁止する条約。現在は構想段階。核廃絶への法的手段を討議するためジュネーブで開かれた国連作業部会は今年8月、2017年の交渉開始を国連総会に勧告するとの報告書を採択。米国などの核保有国は強く反発しているが、オーストリアやメキシコなどは今年10月、17年3月の交渉開始に向けた決議案を国連総会に提出していた。(共同)
(東京新聞)


 佐野利男軍縮大使のコメントを、再度確認。

「核軍縮は核保有国と非保有国が協力して進めることが必要。国際社会の総意の下で進めるべきだと主張してきたが、意思決定のあり方に反映されなかった」

 この「国際社会」というのは、紛れもなく「アメリカ」を中心とする社会だ。

 それらの「国際社会」は「核の傘」の下にあるという。

 冷戦が終結してずいぶん時間が経ったが、いまだに、「抑止力」としての「核の傘」は、必要なのか・・・・・・。

 どんな戦略的な要因があろうと、「核廃絶」を訴える十分な資格が、世界で唯一の被爆国である日本にはある。

 しかし、その資格を生かすこと、役割を果たすことが、日本にはできないのか。

 「北朝鮮が核兵器で攻撃をしてきたら、どうする?」という脅し文句があるが、技術的な問題は置いておき、政治的には、北朝鮮が実際に核兵器を使うことは、まずありえないだろう。

 あくまで“脅し”なのである。

 ここに大きく二つの選択肢がある。

 (A)被曝国としての悲惨な歴史を忘れず、世界に核兵器廃絶を訴える日本
 (B)被爆国としての悲惨な歴史を忘れ、「核の傘」の下でうずくまる日本


 日本が、信頼され、そして尊敬される国となるには、どちらを選択すべきか明白だろう。
 そもそも、冷戦時代とは違い、いまや「核の傘」は、実態がないに等しい。

 今回の決議では、「棄権」という選択肢もあったはずなのだが、「反対」という意思表示をした。あくまで、アメリカに向かって犬のように尻尾を振りたかったのだ。
 
 さっそく、広島、長崎の被爆地から、今回の日本政府に非難の声が上がっている。
 毎日新聞から引用する。
毎日新聞の該当記事
核兵器禁止条約 .
広島から「日本政府は明確な妨害行動」
毎日新聞2016年10月28日 14時34分(最終更新 10月28日 15時57分)

交渉開始決議案が採択も日本政府は反対

 国連総会第1委員会(軍縮)で日本時間の28日朝、2017年の「核兵器禁止条約」制定交渉開始を定めた決議案が賛成多数で採択され、被爆地・広島からは歓迎の声が上がる一方で、日本政府が反対に回ったことに対して、痛烈な批判が相次いだ。

 広島市の市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」共同代表の森滝春子さん(77)は「採択は大きな前進。123もの国が賛成し、本当にうれしい」と喜んだ。一方、反対した日本政府には「賛成に転じる余地を残した棄権と異なり、明確な妨害行動。『核保有国と非核保有国の溝を埋める』と主張しているが、実際には溝を深めているだけ」と厳しく批判した。

 もし、日本が「賛成」したら、他の123の賛成した国は喜んで日本の行動を賛美したのではなかろうか。

 それこそ、信頼され尊敬される国として。

 いまだに、アメリカの属国であることを印象づけるだけの、日本政府の悪行だった。


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by koubeinokogoto | 2016-10-28 21:25 | 戦争反対 | Comments(0)

 一昨日の土曜に、兄弟ブログ「噺の話」で、もうじき終了するNHKの朝の連続ドラマ「とと姉ちゃん」について書いた。
「噺の話」2016年9月24日の記事

 モデルの一人である花森安治の薫陶を受けた「暮しの手帖」の元編集者が、あの番組では花森安治の真の姿は表現されていない、と批判していることも、LITERAの記事(および同記事で引用されている「週刊朝日」の記事)で紹介した。

 花森安治という人は、どんな思想、信条を抱いていた人なのか。

 「とと姉ちゃん」でも、その様子が一部紹介されていたが、花森は敗戦まで、大政翼賛会の外郭団体に籍を置いて国策広告に携わっていた。有名な「欲しがりません 勝つまでは」は花森が考案したと言われることがあるが、事実ではない。大政翼賛会と新聞社による標語募集に応募しされたものを花森が採用したのだった。しかし、この点について花森は一切弁明しなかったという。
 あの標語が自作ではないにせよ、自分が国策広告に携わっていた事実への自責の念が、そうさせたのだろう。

 彼が語らなかったことの意味を慮ることも大事だが、花森が書き残した言葉を読むことができる。

 その中の一つが、日本ペンクラブの「電子文藝館」のサイトにある、「見よぼくら一銭五厘の旗」だ。
「日本ペンクラブ 電子文藝館」の該当ページ
 作者と掲載された内容の説明を含む部分を、先にご紹介する。
花森 安治
ハナモリ ヤスジ
はなもり やすじ 編集者 1911・10・25~1978・1・14 兵庫県神戸市に生まれる。東大在学中、扇谷正造、杉浦明平らと帝大新聞の編集に携わり、戦後1948(昭和23)年、「暮しの手帖」を創刊、雑誌の全面に花森の手と息吹がかかっていた。

掲載作は1970(昭和45)年10月、「暮しの手帖」第2世紀8号に掲げた胸にしみるマニフェストである。なお、改行の仕方について今や筆者に確認をとれない微妙な点があり、雑誌初出時の改行(組体裁)のママに従っている。

 「マニフェスト」という言葉には、少し違和感があるが、花森安治というジャーナリストの意図を示す「声明文」あるいは「誓約書」という意味では、間違いではないのだろう。

 本文を、まず冒頭から引用する。
見よぼくら一銭五厘の旗

美しい夜であった
もう 二度と 誰も あんな夜に会う
ことは ないのではないか
空は よくみがいたガラスのように
透きとおっていた
空気は なにかが焼けているような
香ばしいにおいがしていた
どの家も どの建物も
つけられるだけの電灯をつけていた
それが 焼け跡をとおして
一面にちりばめられていた
昭和20年8月15日
あの夜
もう空襲はなかった
もう戦争は すんだ
まるで うそみたいだった
なんだか ばかみたいだった
へらへらとわらうと 涙がでてきた

どの夜も 着のみ着のままで眠った
枕許には 靴と 雑のうと 防空頭巾を
並べておいた
靴は 底がへって 雨がふると水がしみ
こんだが ほかに靴はなかった
雑のうの中には すこしのいり豆と
三角巾とヨードチンキが入っていた
夜が明けると 靴をはいて 雑のうを
肩からかけて 出かけた
そのうち 電車も汽車も 動かなくなっ

何時間も歩いて 職場へいった
そして また何時間も歩いて
家に帰ってきた
家に近づくと くじびきのくじをひらく
ときのように すこし心がさわいだ
召集令状が 来ている
でなければ
その夜 家が空襲で焼ける
どちらでもなく また夜が明けると
また何時間も歩いて 職場へいった
死ぬような気はしなかった
しかし いつまで生きるのか
見当はつかなかった
確実に夜が明け 確実に日が沈んだ
じぶんの生涯のなかで いつか
戦争が終るかもしれない などとは
夢にも考えなかった

その戦争が すんだ
戦争がない ということは
それは ほんのちょっとしたことだった
たとえば 夜になると 電灯のスイッチ
をひねる ということだった
たとえば ねるときには ねまきに着か
えて眠るということだった
生きるということは 生きて暮すという
ことは そんなことだったのだ
戦争には敗けた しかし
戦争のないことは すばらしかった
 
軍隊というところは ものごとを
おそろしく はっきりさせるところだ
星一つの二等兵のころ 教育掛りの軍曹
が 突如として どなった
貴様らの代りは 一銭五厘で来る
軍馬は そうはいかんぞ
聞いたとたん あっ気にとられた
しばらくして むらむらと腹が立った
そのころ 葉書は一銭五厘だった
兵隊は 一銭五厘の葉書で いくらでも
召集できる という意味だった
(じっさいには一銭五厘もかからなか
ったが……)
しかし いくら腹が立っても どうする
こともできなかった
そうか ぼくらは一銭五厘か
そうだったのか
〈草莽そうもうの臣〉
〈陛下の赤子せきし〉
〈醜しこの御楯みたて〉
つまりは
〈一銭五厘〉
ということだったのか
そういえば どなっている軍曹も 一銭
五厘なのだ 一銭五厘が 一銭五厘を
どなったり なぐったりしている
もちろん この一銭五厘は この軍曹の
発明ではない
軍隊というところは 北海道の部隊も
鹿児島の部隊も おなじ冗談を おなじ
アクセントで 言い合っているところだ
星二つの一等兵になって前線へ送りださ
れたら 着いたその日に 聞かされたの
が きさまら一銭五厘 だった
陸軍病院へ入ったら こんどは各国おく
になまりの一銭五厘を聞かされた


 「とと姉ちゃん」には、この「一銭五厘」のことは、一切登場しない。

 実際には存在しなかった、安かろう悪かろうという製品を作っていた電気メーカーとの戦いは描かれた。
 
 しかし、花森安治が戦ってきた相手は、違うのである。

 この文章の中盤には、公害問題に対する花森の強い思いが綴られている。
 
 なぜ、政府が自動車を規制しないのか、なども書かれている。
 ぜひ、全文を読んでいただきたい。

 後半から最後の部分を、引用したい。

さて ぼくらは もう一度
倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている〈民主々義〉を 探しだ
してきて 錆びをおとし 部品を集め
しっかり 組みたてる
民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にする
ということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
かったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
かったら 政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ
政府が 本当であろうとなかろうと
今度また ぼくらが うじゃじゃけて
見ているだけだったら
七十年代も また〈幻覚の時代〉になっ
てしまう
そうなったら 今度はもう おしまいだ

今度は どんなことがあっても
ぼくらは言う
困まることを はっきり言う
人間が 集まって暮すための ぎりぎり
の限界というものがある
ぼくらは 最近それを越えてしまった
それは テレビができた頃からか
新幹線が できた頃からか
電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか
とにかく 限界をこえてしまった
ひとまず その限界まで戻ろう
戻らなければ 人間全体が おしまいだ
企業よ そんなにゼニをもうけて
どうしようというのだ
なんのために 生きているのだ

今度こそ ぼくらは言う
困まることを 困まるとはっきり言う
葉書だ 七円だ
ぼくらの代りは 一銭五厘のハガキで
来るのだそうだ
よろしい 一銭五厘が今は七円だ
七円のハガキに 困まることをはっきり
書いて出す 何通でも じぶんの言葉で
はっきり書く
お仕着せの言葉を 口うつしにくり返し
て ゾロゾロ歩くのは もうけっこう
ぼくらは 下手でも まずい字でも
じぶんの言葉で 困まります やめて下
さい とはっきり書く
七円のハガキに 何通でも書く

ぽくらは ぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗のいろは
赤ではない 黒ではない もちろん
白ではない 黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布はぎれをつなぎ合せた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し
台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後あとへひかない
(8号・第2世紀 昭和45年10月)


 前回の「噺の話」の記事で引用したが、「とと姉ちゃん」のプロデューサーが、素顔の花森安治のことを描くにあたっての「ハードル」があると発言している。

 それは、たとえば、引用した次のような言葉に象徴されているだろう。

 ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
 かったら 企業を倒す ということだ
 ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
 かったら 政府を倒す ということだ
 それが ほんとうの〈民主々義〉だ


 「企業を倒す」も「政府を倒す」も、あくまで「ぼくらの暮し」とぶつかったら、という条件だ。
 そして、公害や粗悪な製品開発などは、花森にとっては「ぼくらの暮し」とぶつかることなのである。
 「ぼくら」という立ち位置を描くために、プロデューサーは、なんとかその“ハードル”を乗り越える努力をしたのだろうか。
 もっと言えば、プロデューサーの立ち位置は、果たして「ぼくら」の側にあったのか。

 「企業批判」は、民放では難しいかもしれない。
 しかし、広告のないNHKは、もっと花森安治の真実に迫ることができたのではなかろうか。
 「暮しの手帖」が広告を掲載しないからこそできた、「ぼくらの暮し」を守る活動を、なぜ、広告収入に依存しないNHKは、同じように、「ぼくら」の立場で描かないのか。

 それは、了見の違い、なのだと思うし、経営管理層の問題なのだろう。

 「とと姉ちゃん」では割愛(?)された花森安治という一人のジャーナリストの真の姿は、あの番組が終わるからこそ、もっと振り返られて良いように思う。

 
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by koubeinokogoto | 2016-09-26 22:47 | 戦争反対 | Comments(0)
 内田樹の研究室の8月5日の記事は、ル・モンドによる、日本の新防衛大臣に関する記事の翻訳。
 引用する。
「内田樹の研究室」の該当記事

ルモンドの記事から

日本政府、ナショナリストを防衛相に任命
『ルモンド』8月3日
Philippe Mesmer (東京特派員)

日本の首相安倍晋三は側近を彼の政府に登用したが、とりわけナショナリスト的立場で知られる女性を防衛相に任命することによって彼の権力掌握を一層強化しようとしている。

新内閣は8月3日水曜日に明らかにされたが、彼のスポークスマンである菅義偉、副総理兼財務相の麻生太郎、外相岸田文雄は留任した。

「アベノミクス(安倍の経済政策)を一層加速する」ための布陣と首相によって公式に紹介されている新内閣は参院選における自民党の大勝の三週間後に任命された。参院選によって自民党とその同盟者たちは両院で3分の2を制し、これによって安倍氏が憲法改定という彼の年来の野心を実現する可能が高まっている。
彼は防衛相に稲田朋美を任命した。このポジションを女性が占めるのは2007年第一次安倍政権の小池百合子以来である。稲田氏にはこの分野での経験がないが、自衛隊の海外派遣についての新しい枠組みを定めた2015年採択の安全保障関連法を運用するというデリケートな仕事を委ねられることになる。経験不足にもかかわらず稲田氏が登用されたのは、彼女が首相の側近であり、「お気に入り」だからである。安倍氏は彼女を後継者候補とみなしているようであるが、それは二人のイデオロギー的な近接性による。彼は稲田氏を自民党の政調会長に2014年に任命した。通常経験豊かな議員が任ぜられるこのポストに、稲田氏は2012年から14年まで行政改革担当相を勤めたあとに就いた。

 安倍の「お気に入り」であり、イデオロギー的な近接性により、通常ではありえない昇進を遂げている人物であることを、まず、指摘している。 

 そして、その人物の危険性を、次のように明らかにしている。
2005年に福井県から初当選したこの57歳の弁護士は安倍氏に近いそのナショナリスト的立場によって知られている。政界に入る前、彼女は1945年の沖縄戦の間の日本兵士のふるまいについての作家大江健三郎の著書によって名誉を毀損されたと感じた日本軍将校たちの弁護活動をしていた。
議員になってからは歴史修正主義の立場を繰り返し表明し、1937年の日本軍による南京大虐殺や、『慰安婦』の存在を否定している。2015年、終戦70年に際しては、謝罪しないと繰り返しアピールした。
ウルトラナショナリストの組織である日本会議のメンバーであり、日本のアジアでの行動を「侵略」とすることを否定しており、戦争犯罪人を含む戦死者を祀っているために当否について議論の多い靖国参拝を擁護している。稲田氏はまた憲法改定についても意欲的である。こういった言動は中国、韓国との外交関係を必ずや紛糾させるであろう。


 稲田朋美という新防衛大臣の危険性は、他の海外メディアも取り上げている。
 「LITERA」から引用する。(太字は管理人)
「LITERA」の該当記事
稲田朋美防衛相の軍国主義思想にロイター、
APなど海外メディアが一斉に警戒感! でも日本のマスコミは沈黙

2016.08.05

 第三次安倍改造内閣で安倍首相が防衛相に任命した自民党・稲田朋美衆議院議員。8月4日、就任後初の会見で、日中戦争などが日本の侵略戦争だとの認識があるか質問され、こう答えた。

「侵略か侵略でないかは評価の問題であって、一概には言えない」
「私の個人的な見解をここで述べるべきではないと思います」

 曖昧な回答で明言を避けたのは、本音では日本の侵略や戦争責任を否定したい歴史修正主義者だからに他ならない。実際、稲田氏は自民党きっての極右タカ派で、安倍政権による戦前回帰の旗振り役。本サイトではこれまで、稲田氏の経済的徴兵制推進など、その軍国主義丸出しの発言の数々を伝えてきた。

 ところが、こうした稲田氏の極右政治家としての本質を、日本のマスコミ、とくにテレビメディアはほとんど触れようとせずに、ただ“将来の総理候補”ともてはやすばかりだ。

 しかし、そんな国内マスコミとは対照的に、世界のメディアはその危険性を盛んに報道している。

 たとえば、英タイムズ紙は3日付電子版で、「戦中日本の残虐行為否定論者が防衛トップに」(Atrocity denier set to be Japan’s defence chief)との見出しで、冒頭から稲田氏について「第二次世界大戦中の日本が数々の残虐行為を犯したという認識に異議を唱え、日本の核武装をも検討すべきとする女性」と紹介した。

 また英ロイター通信も3日付の「日本の首相は経済回復を誓いながらも、新たな内閣にタカ派防衛相を迎える」(Japan's PM picks hawkish defense minister for new cabinet, vows economic recover)という記事で、稲田氏の写真を冒頭に掲載し、大きく取り上げている。

「新たに防衛相に就任する稲田朋美(前・自民党政調会長)は、日本の戦後や平和憲法、日本の保守派が第二次世界大戦の屈辱的な敗戦の象徴として捉えている平和憲法や戦後を改めるという安倍首相の目標をかねてより共有している」

 さらに米AP通信は3日付で「日本が戦争の過去を軽視する防衛トップを据える」(Japan picks defense chief who downplays wartime past)という記事を配信し、ワシントンポスト紙などがこれを報じている。記事のなかでは稲田氏を「戦中日本の行いを軽視し、極右思想(far-right views)で知られる女性」「国防についての経験はほとんどないが、安倍首相のお気に入りの一人」と紹介。そして「慰安婦問題など戦中日本の残虐行為の数々を擁護し、連合国による軍事裁判を見直す党の委員会を牽引してきた」と書いたうえで、在特会などヘイト勢力との“蜜月”についてもこのように伝える

稲田氏の悪名高い反韓団体とのつながりについて、今年、裁判所は稲田氏の主張を退けて事実と認めた。また2014年には、稲田氏が2011年にネオナチ団体トップとのツーショット写真を納めていたと見られることも表沙汰となった

 稲田と高市のネオナチ団体トップとのツーショットの件は、以前拙ブログの記事で紹介した。
2014年9月11日のブログ
 毎日の記事はリンク切れになっているが、The Gardianの記事はリンクできており、写真を確認できる。

 日本のメディアが、政府の広報紙に成り下がったり、恫喝に恐れて批判的なことがほとんど書けない状況において、真っ当なジャーナリズムはミニメディアやSNS、そして紹介したような海外メディアに頼るしかないのだろう。

 オリンピック報道に隠れて、為政者たちがどんな悪さをしようとしているか、しっかり監視しなくてはならないと思う。

 平気で「国民は国のために死ね」と言うような人物が防衛相に就いたのだ。
 本来なら、日本のメディアは、もっと批判精神を発揮すべき、とんでもな人事。

 まったく専門知識も経験もない極右政治家の防衛大臣就任は、まさに“馬鹿に刃物”なのである。

 
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by koubeinokogoto | 2016-08-10 12:27 | 戦争反対 | Comments(2)
 参院選、都知事選に関する、芸能ゴシップまがいの内容を含むメディアの喧噪は、これからリオ五輪報道に替わっていくのだろう。

 しかし、前回の記事で紹介したような、シリア難民のことや、ISの実態などの報道は、ほとんどテレビや全国紙で時間やスペースを割かれることはないに違いない。

 バングラデシュの首都ダッカのレストランで日本人を含む犠牲者を出したテロ事件が起こったのは、たった一ヶ月前のことなのだが、見事に参院選と都知事選のニュースで、“暗い”テロ事件のことは覆い隠された。

 とはいえ、テロ事件は、その被害の大きさに応じてニュースが報じられる。

 それらは、決して「線」でも「面」でもなく、「点」の事件としてのみ扱われる。

 なぜ、日本人までがISやIS信奉者によるテロに巻き込まれるのだろうか。
 
 テロリストであろうと、イスラム圏の国・地域の人々からは、「日本人は逃げなさい!」と言われることはあり得ても、「日本人か、そこに座れ!」と攻撃されることは、長い歴史の中では、基本的にはなかったはずだ。

 後藤健二さんが亡くなったのとされる時期とほぼ同じ頃の雑誌「SAPIO」に、内田樹の記事が載っているので「NEWSポストセブン」から引用する。
NEWSポストセブンの該当記事

米の従属国・日本がイスラム圏から敵視されてこなかった理由
2015.01.28 16:00

 シリアやイラクを中心に勢力を拡大するイスラム国に、世界中が頭を悩ませている。日本とて決して“対岸の火事”ではないイスラム国に対し、日本は何ができるのか? 思想家・武道家の内田樹氏が解説する。

 * * *
 イスラム共同体は北アフリカのモロッコから東南アジアのインドネシアまで、領域国家を超えて結ばれた人口16億人の巨大なグローバル共同体であり、宗教、言語、食文化、服装などにおいて高い同一性を持っている。これほど広い範囲に、これだけ多数の、同質性の高い信者を擁する宗教は他に存在しない。

 加えて、イスラム共同体の構成員の平均年齢は29歳と若い。欧米先進国も中国もこれから急激に少子高齢化の時代に突入する中で、イスラム圏の若さは異例である。ここが21世紀の政治経済文化活動のすべてについて重要な拠点となることは趨勢としてとどめがたい。

 アメリカ主導のグローバリズムとイスラムのグローバル共同体はいずれもクロスボーダーな集団であるが、支配的な理念が全く異なる。イスラム社会の基本理念は相互援助と喜捨である。それは何よりも「孤児、寡婦、異邦人」を歓待せねばならないという荒野の遊牧民の倫理から発している。

 アメリカ型グローバリズムには相互扶助も喜捨の精神もない。「勝者が総取りし、敗者は自己責任で飢える」ことがフェアネスだというルールを採用している。この二つのグローバル共同体が一つの原理のうちにまとまるということはありえない。かといって相手を滅ぼすこともできない。隣人として共生する他に手立てはない。

 日本はアメリカの従属国でありながら、幸い平和憲法のおかげで今日にいたるまでイスラム圏から敵視されていない。それは日本の宗教的寛容の伝統もかかわっているだろう。ムスリムもキリスト教徒も仏教徒も平和的に共生できる精神的な基盤が日本にはある。

 この「ゆるさ」は日本の外交的なアドバンテージと評価してよいと思う。この宗教的寛容に基づいて二つのグローバル共同体を架橋する「仲介者」となることこそ、日本が国際社会に対してなしうる最大の貢献だと私は思っている。

※SAPIO2015年2月号

 内田樹が説明するように、イスラム圏において日本は決して敵視される国民、民族ではなかった。

 しかし、今や、テロリストのブラックリストの中に日本は加わったと見るべきだろう。

 何が変わったのか・・・・・・。

 内田樹が指摘する、 “相互扶助と喜捨”の精神、そして、“宗教的寛容の伝統”は、今どうなっているのだろう。

 日本人一般においては、長い歴史を背景にした、文化基盤として変わることはないと思う。

 問題は、体外的に国の顔である政府やその首長たちだ。

 後藤さん、湯川さんの殺害や、先日のダッカでの日本人も巻き込むテロ事件の要因には、間違いなく、安倍首相のカイロでの演説が影響している。

 そして、次なる安倍内閣には、ますます、憲法を改悪し、堂々と戦争ができる国となることを推し進めようとする人材が増えている。

 彼や彼女には、 “相互扶助と喜捨”の精神などは、からっきしも存在しない。
 
 日本国民の敵は、イスラム圏の人々ではない。

 国のために命を投げ出せ、と平気で口走る政治家こそが敵である。
 
 アジアの隣国やテロリストと戦うのではなく、戦わない道を探ること、あるいは、戦おうとする両者の仲介役を果たすことのほうが、どれほど日本的であるだろうか。


 相互扶助と喜捨の精神は、日本人に馴染む。

 紛争の「当事者」になるのではなく、「仲介者」としての役割こそ、日本と日本人にとって相応しい道である。


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by koubeinokogoto | 2016-08-03 21:34 | 戦争反対 | Comments(4)

人間らしく生きることを阻害するものに反対します。


by 小言幸兵衛